変幻自在デ・ニーロの代表作『レイジング・ブル』
よく言われることだけど、役者には二通りの人がいる。
ひとつは撮影前に台本を読む以外は特別な準備をせず、現場に臨むタイプ。
もうひとつは与えられた役をより深く理解しようとして、撮影に入る前に、実際に役にできるだけ近い状況を自分自身に与えるタイプ。
必ずしも前者がナマケモノで、後者が超一流の俳優の条件・・・というわけではないし、映画を観る人にとっては、あまり関係のない話である。前者の代表格・・・というのは残念ながら思い浮かばないが、後者の代表格の1人には、間違いなくロバート・デ・ニーロがあげられる。
デ・ニーロの役作りに対する徹底した姿勢はよく話題になるのでご存知の方も多いかも知れないけれど、そのいくつかをここで並べてみる。
1973年『バング・ザ・ドラム』
で野球選手を演じたときは、小さな田舎の野球チームという設定なのでアトランタ近くの田舎町にアパートを借りた。
1974年『ゴッドファーザーPART 2』
シチリア訛りをマスターするために、テープレコーダーを持ってシチリアに、渡り地元の住民から方言を学ぶ。
1976年『タクシードライバー』
2週間、実際にタクシー運転手としてマンハッタン界隈を流した。体重を15キロ落とす。
1978年『ディア・ハンター』
物語の舞台となったピッツバーグで撮影前の数ヶ月を過ごす。さらに製鉄所で働く男の役だったため、実際に働こうとするが断られた。
1984年『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
では、主人公がユダヤ人のため、ユダヤ人家庭にホームステイ。
1987年『アンタッチャブル』
では、マフィアのボス、アル・カポネを演じるにあたり、額の生え際の毛をすべて抜いた。(毛抜きを使ったらしい)
1990年『レナードの朝』
では、重病患者の役を演じるために、映画の舞台となった病院で実際に撮影前の数ヵ月間入院生活を送った。
1991年『ケープ・フィアー』
では凶悪犯を演じるために、5,000ドルかけて歯を矯正。撮影後、今度は2万ドルをかけて元に戻した。
こうして並べてみると、徹底をこえて、正直なところややコワイほどである。
たとえば訛りでも、注意すればそれはそれでしのげるだろうし、タクシードライバーを経験したかどうかは、観る人には当然わからない。
ところが『レイジング・ブル』は、違う。
この映画で、デ・ニーロは40~'50年代を中心に活躍した実在のボクサー、“ブロンクスの猛牛"と呼ばれた男ジェイク・ラモッタを演じた。世界ミドル級チャンピオンの座を手にしたが、やがて転落していくジェイク・ラモッタの半生。マーティン・スコセッシが、モノクロ映像でフィルムにロバート・デ・ニーロを焼きつけていく。映し出されるのは、引き締まった体のデ・ニーロと、ぶくぶくのデ・ニーロである。その体重差、約20~30キロ。

時々、日本の俳優や女優が「役作りのために髪を切った!」みたいなニュースが流れるけど、デ・ニーロに言わせれば、そんなのはメイクするぐらい当たり前なこと。
『タクシードライバー』でのモヒカン姿ぐらいにならないと、デ・ニーロにとっては、髪を切ったことにさえならないのかもしれない。
どこで読んだかは忘れたけれど、たしかジャック・ニコルソンが「デ・ニーロの役作りはちょっとヘンだ。毎回、あそこまでやるなら、殺人鬼役のときはどうすんだ?」みたいなことを言っていた。まあ、それも極端な話だけど、たしかに一理ある。
ただ、デ・ニーロのすごいところは、若手のころはともかく、超一流と呼ばれるようになってもやめていないことである。若いときは(何せ売れてないから)時間もある。でもデ・ニーロは引き続き(というかむしろエスカレートして)役作りにのめり込んでいる。映画によっては、物語の話を訊くよりも、役作りの話を訊いた方が面白いかもしれない。
『レイジング・ブル』はそんなデ・ニーロの徹底した(そして人によってはちょっと過剰とも思われる)役作りを目の当たりにできる映画である。言うまでもなく傑作。
デ・ニーロさんには、体に気をつけながら、引き続き映画ファンをうならせるような映画にたくさん出演してもらいたい。
『レイジング・ブル』 © 1980 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC. ALL RIGHTS RESERVED.
(映画ライター 奥田高大)








