笑えるけれど、笑えない。『レディ・キラーズ』に見る、コーエン作品の魅力
最初の印象はとくに何とも思わなかったのに、いつのまにか妙に気になる存在になっていた、というような経験は誰にでもあると思う。
僕にとって、コーエン兄弟の映画はまさにそれだった。
初めて観た彼らの作品は『赤ちゃん泥棒』で、コーエン作品であることをちゃんと意識して観たのは『ファーゴ』が最初。『ファーゴ』はご存じの通り彼らの名前を一躍有名にした作品ではあるものの、いまのところ、僕個人の評価はアカデミー賞やカンヌなどの世間的な高い評価とは正直なところ少し差がある。
その理由はあとで詳しく書くことにして、僕にとってコーエン兄弟は『赤ちゃん泥棒』で少し気になり、『ファーゴ』で喉にささった小骨のようにさらに気になる存在となり、それ以降は新作が公開されるたびに、「観なきゃな」という気にさせられる監督になった。
コーエン映画の特徴はブラックなユーモアや、物語に漂う狂気的、サスペンス的な雰囲気、不気味さが挙げられると思うが、作品のタイプは大きく二つに分けられる。
一つは『バートン・フィンク』、『ファーゴ』、『ノー・カントリー』のようにスリラー、サスペンス的要素が強く押し出され、それがブラックユーモアのパーセンテージを上回っているもの。
もう一つが『未来は今』『ビッグ・リボウスキ』『オー・ブラザー』のように、ユーモア(もちろんブラックなものが多い)を全面に押し出したもの。ただ、彼らの作品は往々にしてサスペンス、スリラー的要素を持っているので、明確な区分けはできないが、今回の『レディ・キラーズ』は後者の、ブラックユーモアにその針が大きく振れた、コーエン兄弟にしか描けないコメディ映画である。
僕はどちらかというと、後者グループのほうが好きなので、前述したように『ファーゴ』よりも、ブラックユーモア満載のほうが、楽しめている。でもまあ、これはあくまで個人の好みです。
『レディ・キラーズ』のトム・ハンクスが演じる男は、"教授"の愛称を持つ知的な強盗犯。この男がカジノ船の売上金を盗もうと計画する。しかし正面切ってカジノから奪うという方法は、彼にとって知的な強盗ではない。そこで考えたのが、カジノの売上金が運ばれる金庫まで地下トンネルを掘り、金を奪うという『大脱走』的強盗。早速、教授は仲間を募り、穴を掘り始める場所を探す。
そして見つけたのが、今作のもう一人の主役といえるイルマ・P・ホール演じる婦人の家の地下。教授は見事、穴掘りに最適な地下室を借りることに成功するのだが、いつしかその計画が婦人にばれてしまい、教授は婦人を殺そうと画策する。
この映画、ネットなどの評価を見る限り、「盛り上がりにかける」や「トム・ハンクスがやや気味悪い」などコーエン兄弟にしては、それほど評価は高くないようだ。
トム・ハンクス主演コメディという世間に与えるキャッチーさと、コーエン兄弟の描くブラックユーモアの差が埋めきれなかったせいかもしれない。これは『レディ・キラーズ』に限ったことではないけれど、コーエン作品を観た後に残るのは、きまって、どことなく奇妙な可笑しさである。
だから、いかにもコメディらしい爽快感を期待すると、イマイチな評価をしたくなるのもわかる。でも、この妙な可笑しさこそが、コーエン兄弟の魅力なのだ。
僕らが何も考えずに笑える爽快な「ユーモア」というのは、「そんなことあるわけない」「まさか」という性質を持った笑いである。
自分とはおよそ関係がなく、他人事。だから無邪気に笑うことができる。
でもコーエン兄弟の描くユーモアは違う。
ひとしきり笑ったあとに、ふと自分のことを考えてしまう。映画にでてくる登場人物の多くは滑稽で、間抜けだ。
『レディ・キラーズ』でも、トム・ハンクスが婦人を殺そうとやっきになる。しかしいつもうまくいかない。その様子はたしかに笑いを誘う。
でも彼を腹の底から、指さしして、「マヌケな奴」と笑うことは、少なくとも僕にはできない。映画で描かれる人物に共感を抱くわけでも、自分の周りにこういう人がいるなと思うわけでもなく、ただ、この「マヌケな奴」は自分だったかも知れないと思えてしまう。
自分もこういう風になる可能性がある(あるいはあった)と思ってしまう。
だから、コーエン兄弟の映画では、無邪気には笑えない。
コーエン兄弟の最新作『バーン・アフター・リーディング』も『レディ・キラーズ』と同じ路線。だが、ユーモアの切れ味はぐっと増していて、コーエン兄弟好きにはたまらない作品になっている。
コーエン兄弟の常連であり、私生活ではジョエル・コーエンの奥さんでもあるフランシス・マクドーマンドが演じるのは、幸せになるためには美容整形しかないと、半ば強迫観念を抱く中年女性リンダ。
そのリンダの同僚が、ブラッド・ピット演じるiPod中毒のマッチョな男。ある日、ブラピが勤務先で見つけたCDに、国家の機密情報が入っていた。それを知ったリンダは、それをネタに、脅迫してデータの持ち主から金を受け取ろうと計画する。その金というのが、美容整形のための手術代なのである。見事なまでのバカバカしさ。
どこの誰が、美容整形の手術費のために、国家機密を(自分の身の危険も顧みず)売り飛ばそうと考えるのだろう?
それをやってしまうのが、コーエン映画なのである。
でも、よくよく考えてみると、本当に、絶対にそんなことをするわけない、と言い切れる人が果たしてどれぐらいいるだろうか?
毎日が全然面白くなくて、恋人もいなくて、でも歳だけはちゃんととっていって、人生ははや半ばを過ぎている。
そして、そんな状況を打破する突破口が美容整形にあると考える。それさえあれば、人生がいきなりドラマティックに変化するはずだと夢見る。
でも美容整形するお金はない。
そんなときに、タイミングよく、誰かの、とてもとても大切な落とし物を見つけてしまう。
もしかすると、金になるのではないか。そう考える。
あるいは、どうしようもなく金に困って、強盗を企てる。
ところが、実行前にその計画を知られてしまう。
最初は誰かを殺す気はまったくなかった。
でも計画を知ってしまった誰かを、殺そうと画策する。
これらはそんなに突拍子もない話には思えない。置かれている境遇は違うかも知れないけれど、数年前、あるいは数年後、リンダのように、あるいは教授のように感じたとしても、何ら不思議はない。
それはたまたま、今の自分ではなかっただけに過ぎない。
コーエン兄弟は、いつも僕らのなかにある決してゼロではない可能性とその愚かさを描き続けている。
だから、彼らの映画がどんなにバカバカしかったり、不気味だったりしても、僕は心の底から馬鹿だなあと呆れたり、あり得ないと否定することもできない。
なぜならコーエン兄弟の映画にでてくる人々は、ちょっとしたタイミングで別の道を選んだ、自分かもしれないのだから。
『レディ・キラーズ』Copyright: © Touchstone Pictures. All rights reserved
『バーン・アフター・リーディング』©2008 Focus Features LLC.All Rights Reserved.
(映画ライター 奥田高大)
※『バーン・アフター・リーディング』 4/24(土)、TOHOシネマズ スカラ座ほか全国ロードショー










