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映画『スターリングラード』を見る前に話しておきたい、第二次大戦についての二、三の雑感

 まず、今回の拙稿では、映画『スターリングラード』のことで紙幅を費やそうとは考えていないことを、あらかじめお断りしておきたい。映画をご覧いただく前に知っておいていただきたい事と、映画をご覧いただいた後で考えていただきたい事とがあるからだ。

 

本人にとって、第二次世界大戦とは、あくまで、当時においては「大東亜戦争」であり、今日では「太平洋戦争」である。日本は、東南アジアから西太平洋の島々にかけて、主にアメリカを相手にして、この戦争を戦った。

 

 神風、玉砕、硫黄島。圧倒的に優勢な米軍に対し、勝ち目のない死闘を演じつづける日本軍。

 

 それでも米軍の攻勢は食い止められず、ついに戦局は、民間人が万単位で犠牲となる、まさに地獄絵図の様相を呈してくる。

 

 東京はじめ各都市は空襲にさらされ、沖縄では凄惨な地上戦が演じられ、最後はヒロシマ・ナガサキでの大虐殺によって、この戦争は幕を閉じた。

 

 ナガサキ原爆投下の前日、8月8日。ソ連は、日本に対し突如として宣戦を布告。翌9日には早くも侵攻を開始した。

 

 わずか数ヶ月前まで、日本とソ連は中立条約を結んでいたが、ソ連は条約延長を一方的に拒絶。それでも日本は連合国との和平仲介役としてソ連を当てにしていたし、その意思はソ連側にも伝えてあった。さらには、8月8日の時点で中立条約はまだ生きていた。それを蹂躙しての対日参戦であった。

 

 ソ連は満州、朝鮮半島、南樺太、千島列島に攻め入り、8月15日の日本“終戦”(ただし降伏文章調印は9月2日)後も攻撃をやめず、その結果、千島列島のうち南の四島(我が“北方領土”)と、南樺太(日露戦争に勝利して日本がロシアから割譲された領土)を奪い、2009年の今日なお、実効支配をつづけている(ソビエト社会主義共和国連邦としてではなく、ロシア連邦として、だが)。

 

 アメリカとの戦争に死力を尽くし、これ以上たたかう余力など残っていなかった日本に、戦争の最後の最後という局面で、突然、盟約を裏切り、騙まし討ちのようにして襲いかかってきた、ソ連。我が国が切実に和を請うているという事実は、仲介を頼まれたかの国が、他のどの国より知っていたはずだ。それを百も承知の上での、火事場泥棒的な所業。

 

 こうした振る舞いを、かの国ではいざ知らず、我が国においては「卑怯」と呼んでもいいことになっているのだが、それはそれとして、ひとまず置こう。第二次世界大戦を、たとえば、ソ連の観点から見たら、どういうものになるのか。以下で試みてみたい。

 

スターリングラード モブ.jpg「大祖国戦争」と、そう、第二次世界大戦は、ソ連、そして今日のロシアでは呼ばれている。

 

 この第二次大戦において最大の犠牲者を出した国こそ、実はソ連である。その数、軍民あわせて2,000万人ともされ、日本人戦没者数の約10倍にのぼる。当時の人口比は日1億:ソ2億とおよそ倍でしかなかったことも考えあわせるなら、我が国土を画布として、そこに血の色で描かれた例の地獄絵図より、何倍か巨大な号数の地獄絵が、かの国の広大無辺な土地の上には描かれた、などと比喩することもできよう。

 

 ドイツ第三帝国総統アドルフ・ヒトラーの野望は、常に東方に向けられていた。まず手始めにオーストリアとチェコを無血併呑し、スロヴァキアを保護国とし、次いでポーランドに侵攻。事ここにいたって英仏はドイツの無道を看過できなくなり、対独宣戦布告。ついに、第二次世界大戦が始まる。時に、1939年の9月。

 

 ポーランドの抵抗は開戦わずか1ヵ月で終息し、翌1940年になると、ドイツはフランスを抜いて、さらに空からイギリスに襲いかかった。だがしかし、西方(英仏)はヒトラーのそもそもの標的ではない。狙いは、あくまで東方にあった。この時点では、すなわち、ソ連である。

 

 そして、翌1941年の6月に、突如としてナチスは、今度はソ連に侵攻を始める。作戦名、「バルバロッサ」。

 

 ナチスにとって東方侵略は予定の行動だが、ソ連にとってはまさしく寝耳に水であった。なぜなら、ソ連は2年前にナチスと不可侵条約を結んでいたからである。その条約を、一片の反故とされたのだ(4年後の夏、今度はソ連が日本との中立条約を反故にするのだが…)。

 

 かくして、独ソ戦が始まる。このドイツとの戦いの中で、先にあげた、2,000万とも言われるソ連国民が犠牲となっていくのである。

 

 ヒトラーは、権力の座に就くはるか以前、暴徒の首魁としてつながれた獄中で、著書『我が闘争』を記し、その中ですでに、“生存圏(レーベンスラウム)”について述べている。

 

 なんでも、“優越民族”であるというドイツ民族は、今後も発展と拡大を続ける資格があって、そのためには、さらなる土地と資源が必要であり、それこそが、ドイツ民族が手に入れて然るべき“生存圏(レーベンスラウム)”だと言うのだ。それを手に入れることによってのみ、ドイツはようやく、西欧の一等国たる英仏と対等に渡り合うことができるのだという。

 

 そして、その“生存圏(レーベンスラウム)”は、東方にこそ築かれるべきである、と言うのだ。

 

 まるで、少年漫画の悪役の悪巧みそのものではないか。ないしは、インベーダーによる地球征服にも似ている。トム・クルーズの『宇宙戦争』という映画。あるいは、『インデペンデンス・デイ』という映画。むしろ、あれらに近い。

 

 幼稚かつ突飛なヒトラーの野望、狂気と言ってもいいが、それにさらされたソ連の人々は、戦わざるをえなくなった。戦わなければ、良くてドイツ人に土地を奪われ、最悪の場合は命を奪われるのだ(その最悪の場合が日常の光景と化すのだが)。

 

 ソ連にとってあの戦争は、生存戦争そのものだったのである。

 

 だから、ソ連の、あるいは今日のロシアの人々は、あの戦い、いや、第二次世界大戦と言うより、ドイツに攻められ、追いつめられ、踏み潰されるアリのようにして殺され、土壇場にまで立たされながら、そこから反転攻勢に出て、最後はドイツの首都ベルリンを陥とし、ヒトラーを自殺に追い込んだ、その一連の戦いのことを、「大祖国戦争」と呼ぶのである。そう呼ぶ以外にないではないか。

 

いの転換点となったのが、スターリングラード攻防戦だ。

 

 1941年の「バルバロッサ」作戦は、ポーランドやフランスを屠ったのと同じ、ドイツ軍得意の電撃戦によって、緒戦はドイツ優勢のうちに進み、ドイツ先頭部隊がついにモスクワと指呼の間まで迫るにいたった。その距離、わずかに25km。ドイツ軍から肉眼で見えたという。クレムリンの宮殿の尖塔が、である。

 

 しかし、この攻勢は例年よりも早い冬将軍の到来によって頓挫。ソ連側の反撃にあって、ドイツ軍は後退を余儀なくされた。

 

 雪辱に燃えるヒトラーは翌1942年、「ブラウ」作戦を発動。前年に打撃を受けたとは言え、なお強力な戦力を有するドイツ軍はソ連南部に大攻勢をかける。

 

 かくして、スターリングラードという街は、戦場となった。人類史上最大、最悪の市街戦が、この街を舞台として、半年以上にわたって繰り広げられたのである。

 

スターリングラード.jpg 映画『スターリングラード』は、この死の街で戦うことになった、ソ連の3人の若者男女を主人公としている。地獄のような瓦礫の街の中を這いずり回りながら戦い続ける彼らの、恋と友情、青春が描かれる。

 

 2時間を越すこのドラマの内容について、何を解説する必要もないであろう。この物語は、映画を見る人のものだ。そこに何を想い何を感じるかは、当たり前のことながら、見る人に委ねられている。

 


スターリングラードレイチェル.jpg しかし、彼ら3人の若者が戦っていた戦争がどういう性質のものだったかについては、映画の中で語られることはない。そして、是非それも知った上で、この映画は見ていただきたかった。その上で、何かを想い、何かを感じていただきたかった。ゆえに、以上ながながと駄文を書きつくった。

 

局、この攻防戦に勝ち抜き、反転攻勢に出たソ連軍は、国土からドイツの侵略軍を追い払い、さらにベルリンまで攻め立てていった。地下壕にこもったヒトラーは、長年の愛人と結婚し、翌日、新婚夫婦はそろって自決。その翌日にベルリンは陥落し、ソ連軍の手に落ちた。ドイツの無条件降伏は、それからさらに1週間のちの、1945年5月7日のことである。

 

 ベルリンで、ソ連軍は、2,000万同胞を殺されたことへの残忍な復讐を始めた。だが、それでも彼らの溜飲が下がることはなかったのだろう。2,000万人も奪われたのだ、あらゆる機会をとらえて、ドイツ、さらにはその同盟国であり、未だに(ソ連以外の)連合軍との戦いを続けている大日本帝国からさえも、奪えるだけ奪うことに、なんの躊躇がいるだろうか、と彼らは考えたのだろう。

 

 アメリカもイギリスも、それを許した。しぶとく抵抗を続ける日本に対し、ソ連が中立条約を反故にしてでも参戦するなら、千島列島(我が“北方領土”)と南樺太はソ連のものだ、というお墨付きを与えた。そう。アメリカとイギリスが、与えたのである。テヘラン、ヤルタ、ポツダム。連合国が戦後処理について話し合った会談で、そのお墨付きはことごとに、米英からソ連に与えられ続けた。

 

 そして、ソ連は、その通りにした。

 

 これが、ソ連の側から見た第二次世界大戦の結末であり、また、彼らから見た“北方領土”の見え方なのである。

 

 騙まし討ち、火事場泥棒。小生が日本国民である以上、彼らソ連の1945年8月のやり口を「卑怯」と感じずにいることは、できない。今この瞬間も、そう感じている。

 

 だが、2,000万人が殺され、ほとんど種としての生存か絶滅かというような瀬戸際の戦いに辛うじて勝った彼らの立場は、知識として知っていたいし、それも知った上で、この64年前の出来事を世界史的観点から俯瞰するという作業を、けっして、怠ってはならないとも思うのである。

 

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(聴濤斎帆遊)

 

【6月放送日】 13日21日25日30日

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