人生いろいろ『フォレスト・ガンプ/一期一会』
「人生はチョコレートの箱みたいなもの。食べてみるまで中身は分からない」
ってのは、映画冒頭、主人公フォレスト・ガンプの最初のセリフなんですけど(母親の口癖の受け売りだけど)、この言葉が、作品のすべてを語り尽くしちゃってますね。
この映画では、2、3の人生が描かれます。
人間のドラマ、あるいは、人生を描いた物語のことを「ヒューマン・ドラマ」と定義すんなら、この映画こそまさしく、もっとも典型的なヒューマン・ドラマでしょう。
知能に障害を持つ男、フォレスト・ガンプ。子供の頃は身体も不自由で、補助具をつけないと歩くのも困難なほど。ただ、その補助具が星飛雄馬にとっての大リーグボール養成ギプス的な役割を果たしちゃって、ガンプの脚力は、気づかぬうちに常人をはるかに上回るものになってた。
で、とあることがキッカケで、逆に韋駄天としての超人的能力を発揮することに。
それ以来、この、「ムっチャクチャ足が速い」っつう特技のおかげで、ガンプの人生には次から次へと幸運が舞い込んできます。
野心も野望も打算も下心もなく、ただ、その時その時の自分の人生を、バカ正直に生きた男の、夢のような成功物語。ヒューマン・ドラマであると同時に、一風変わったアメリカン・ドリームを描いたサクセス・ストーリーでもある。主人公のガンプを軸に見れば、これは、そんなお話っすわ。
いっぽう。ガンプの幼なじみの女の子でヒロインのジェニーは、ヒっドい人生を送ってます。子供の頃は父親に虐待され、女子大に入るとエロ本に出たことがバレて退学に。その後、成人してからも踏んだり蹴ったりの人生。
ガンプとジェニーは、世代的には“団塊の世代”っすわ(アメリカにはないだろ)。1950年代に子供時代をすごし、60年代に青春時代を送って、70年代にオトナの仲間入りをした。まさしくアメリカ現代史を駆け抜けてきた、そんなジェネレーションっす。
ジェニーは、その時代感覚に染まりきって生きてる女。女子大生の頃はジョーン・バエズにあこがれてフォーク・シンガーになる夢をいだくものの、例の顔出しエロ本発覚事件のせいで場末のストリップ小屋に身を沈めることに。ビートニック・ビューティー“ボビー・ディロン”ってバカっぽい源氏名で、野郎どもにヤラしい野次をあびせられたり、触られたりしながら、全裸でギターを弾き語りします。
その頃“ビート族”が流行ってたから、「ビートニック・ビューティー」。
ボブ・ディランのブレイク直後だから、「ボビー・ディロン」。
その後も、ビート族からヒッピーになって、みんながシスコに詣でればシスコに行き、みんながワシントンDCでベトナム反戦デモをすればそれに加わり、マリファナとかアシッドだとかの悪い草やクスリにも手を伸ばす。流行ってたから。
そのうちヒッピーが時代遅れになって70年代ディスコ・ブームが到来すると、今度はそれ風のファッションに身をつつんで、コカインとかヘロインとかまでやっちゃって、いよいよもって廃人路線を転がり落ちてく。
ただ時代に流されてくだけ。時代を生きるんじゃなくて、ただ流されるまま。
ガンプの方は、きちんと時代を生きてます。時代という枠の中でも、あくまでマイペースで生きてくんですけど、そういうことが、このジェニーって女には、できない。
で、どんどんドツボにはまってく。なんとか逃げ出したい。「鳥になってここから飛んでいきたい」と少女の頃からずーっと祈りつづけ、人生を自分の手にしっかりと掴みたいと必死で願ってるのに、掴めず、ただ流されるまま、けっきょく抜け出せずに、もがきつづけて、どんどん身を落としてく。
でも、流されるだけのジェニーを、ゼメキス監督は、映画の中で罰してるワケじゃないと思うんです。罰として次々に不幸がふりかかってるワケじゃないだろうと思うんです。
この映画って、ガンプは正直者だからラッキーな人生を送り、ジェニーはスレた女だから不幸になった、という因果応報の物語では全然ない、とワタクシは感じるのであります。
人生の浮き沈みなんてもんは、しょせん運でしかありません。
流される女ジェニーは、よくある人間類型です。むしろ、ガンプのように流されずマイペースを貫ける人間って、実はレアな存在でしょう。俊足・強運・マイペース。ガンプこそ、現実には存在しない、実は“超人”なんであって、ジェニーのような人ってのは、いつの時代・どこの国でも見られる、よくいるタイプなんじゃないんでしょうか。
日本で言うと、バブルの頃にイケイケでブイブイいわせてたオヤジギャル(死語×3)とか、10年ちょい前に品行よろしからぬ女子高生ライフを送ってた元コギャルとかって、いったい今、どうしてんでしょうか?
そういう人たちのそんな生き様ってのも、べつに間違ってたってワケじゃない。ただ、そんな人がほんのちょっと運を逃しちゃった場合、ジェニーみたく、再浮上不能な、非常にお気の毒な人生を送ることになっちゃったりもするんでしょうな。
この2009年の日本のどっかには、きっと、そんな和製ジェニーな感じの方たちが、ワンサといらっしゃるような気がしてなりません。
映画『フォレスト・ガンプ』では、そんな、運に見放された気の毒な人を代表しているヒロインの、逆サクセス・ストーリーが、主人公のサクセス・ストーリーの裏で、表裏一体の関係で描かれていきます。ヒューマン・ドラマであると同時に、挫折と転落と蹉跌のドラマでもあるんすわ、この映画は。
つまり、結論としては「人生いろいろ」。運のいい人、悪い人、いろいろあります。それがテーマです。
ってオイ、そんなナゲヤリなテーマあるかい!そう、それを踏まえた上で、この映画では大感動のポイントがちゃーんと設けられてるんすわ。
超ラッキーな男ガンプが、子供の頃から一貫して、不幸なジェニーのことを一途に想いつづけてるって点。それがそのポイントです。
ストーリーは実際のアメリカ現代史(リアル)を時代背景に展開しますが、2人がつむぐ物語って、はっきり言って、リアリティまるっきしありません。ヒューマン・ドラマって、いかに人間をリアルに掘り下げて描けるかっつうとこがキモなんすけどねぇ 。
ラッキーな方がアンラッキーな方を何十年間も慕いつづけてる、幼なじみの何十年ごしの片想い、なんつうのは、かなりメルヘンチック(非現実的)な筋立てでしょう?
でも、非現実的だけど、かなり素敵ではある。これほどまでに素敵なメルヘンを、ワタクシは他に知らんのです。
ヒューマン・ドラマであると同時に、いや、ヒューマン・ドラマである以上に、ワタクシに言わせりゃ、これは、映画史上もっとも美しいメルヘンなのです。そのメルヘン要素が、多くの人を泣かせたんじゃないでしょうかね。
ほんとに、生まれてきた甲斐も無いっつうぐらいな不幸なジェニーの人生ですが、どんなドン底の時でも、離れててどこで何してても、純真無垢なガンプがずーっと彼女のことを想い続けてる、って事実が、彼女の人生の救いであり続けるんですな。映画を見てる方にとってもこれは救いです。この作品、純愛ストーリーでもあるんです。
で、最後に。
2つの人生がおりなすメルヘンとはちょっと離れたとこから、この映画では、3つめの人生を、追っかけてます。
まずこの世にいなさそうな男、強運の持ち主、天然マイペースの“超人”ガンプ。
流されるだけの女、よくいるタイプ(ここまで不幸なのは滅多にいないかも)なジェニー。
そして、第3の人物の登場です。この人物こそ、もっともボクらに近い、いちばん普通の人生を歩んでるキャラなんじゃないでしょうか。
運が良くもないけど、悪くもない。おおよそ普通。大過なく生きてきて、ある日ある時、思ってもみなかったような信じられないぐらいの災難に見舞われてしまう 。
そういうことは、誰にでもありえます。愛する人が突然死んだ。深刻な病気だと宣告された。事故に巻き込まれた。いきなり解雇され生活が破綻した 。そういうことが自分の身にだけは絶対に起こらない!と言い切れる人なんて、誰もいやしません。豚インフルだ不景気だなんつってる今日日は、特にそうです。
そういう目にあってしまった一人の人物が、我が身の不幸を嘆き、神を呪い、自暴自棄になり、死にたいなどとグチりながら、ちょっとずつ再生してく姿が、この映画の3番目の人生として、描かれます。
「人生はチョコレートの箱みたいなもの。食べてみるまで中身は分からない」
このテーマを反芻しながら、以上の3つの人生を追いかけてみると、この、映画史上たぶん十指に入るぐらい(ワタクシの独断)のヒューマン・ドラマの大傑作『フォレスト・ガンプ』を、おそらく75%(?)ぐらいは楽しめちゃうだろうと思いますよ。
【さらに蛇足】
75%、なんで!? その訳をお答えしましょう。その前に、十指に入る、と上で独断で書きましたが、十指どころか、ワタクシの映画ヲタク人生で、その日の気分によってはベストに選びたいぐらいな、個人的には非常に特別な作品なんすわ、『フォレスト・ガンプ』って。
点数あげるとしたら、あくまで独断ですけど、100点満点中133点はあげたい(また中途半端な)! 133点とハンパなのは、仮に75%しか楽しめなかったとしても99.75点なので、ほぼ満点レベルで楽しめる、っつうことっすわ。
で、75%の根拠ですけど、ここまでのこのブログの中で、いろいろ、妙なカタカナ語をいくつか書いてきました。これを全部わかっちゃえるツワモノなら、もしかしたらこの映画、100%楽しめるのかもしれません。
「ジョーン・バエズ」と「ボブ・ディラン(これは分かるか)」、「ビートニク(ビート族)」 etc
つまりですねぇ、とりあえずガンプが物心ついてからはケネディ→ジョンソン→ニクソン→フォード→カーター→レーガンと、大統領が6代も替わってる(そのうち何人かとガンプは会って言葉をかわしてる。会ってなくても劇中にニュース映像としては出てくる)ぐらい、1960年代(少年時代を入れると1950年代)~80年代までの、文字どおりアメリカ現代史が、映画の時代背景として描かれてんですわ。
ここ数十年、アメリカという国が歩んできた道のり。もしかしたら、それは映画の中で描かれてる、4つめの人生なのかもしれません。つまり、一国の人生(ヒューマン)ドラマでもあるんです。
その当時の世相とか、社会情勢とか、流行とか、ファッションとか、音楽とかが、この映画の中には、これでもかとテンコ盛りに盛り込まれてるんです。
それら全部が分かった上で見ると、きっとこの『フォレスト・ガンプ』って映画は、ほんっとに究極にムチャクチャ面白いんでしょうねぇ、たぶん。
でも、それ、まず日本人にはムリな注文でしょう?「うぉー!猛烈に懐かしいー!!」とかは、やっぱ、アメリカ人じゃないと感じられない、非常にドメスティックな感覚なんだろうと思いますわ。
さらにアメリカ人の中でも、やっぱアメリカ版“団塊の世代”の人じゃないと、「あー、こういうことあったよあった!」「あー、これ流行った流行った!!」とかまでの生々しいレベルでのノスタルジーは得られなさそう。
つまり、アメリカ人でも100%楽しめる人はごく一部、世代的にはかなり限られてくると思うんです。
それでも、その他おおぜいの世代・国の人にも楽しんでもらえるように、もともと100点満点中130点ぐらいのありえないほどの完成度で映画を作っといて、多少理解できないとこがあって減点されたとしても100点ちかい印象は与えられるようにしたんでしょうね、さすがはゼメキス監督!
実際、今回のウチでの放送にあたり、事前に、アメリカ現代史とかにこれっぽっちも興味関心がない何人かに聞きましたが、「非常に面白い」「面白い」との回答が5人(全員。サンプル少ねー!)、「どちらともいえない」「つまらない」「非常につまらない」との回答は、ゼロでした。
もちろん、その方たちは、劇中ちょいちょい出てくる、世相ネタとか当時のカルチャーねた等は一切理解不能だったとのこと。それでも面白く感じられることが、ここに立証されたのです(サンプル5人ですが)。
いちおう、それでも、ちょっとでも予備知識あった方が楽しめるは楽しめるんで、ワタクシどもザ・シネマといたしましては、同時代を描いてる、
『ジョージ・ウォレス/アラバマの反逆者』
『ジョンソン大統領/ヴェトナム戦争の真実』
って2タイトルを、6月最後の土日で編成しときましたんで、予習的にご覧いただけたら編成冥利に尽きるってモンです(ちなみにこれがウチでの最後の放送で、次回放送予定はありません )。
いや、このジョージ・ウォレスっつう人もジョンソン大統領っつう人も、『フォレスト・ガンプ』の中の世相ネタのところで出てくるんですわ。
姉妹編みたいな関係の2本(監督はどちらもジョン・フランケンハイマー)なんで、土日両日、あわせて見てもらうのがベストっす(姉妹編ならではの、キャスティングの遊びシーンあり。2本見た人だけに分かるお楽しみ)。
おまけに『ジョージ・ウォレス』の方は、ウォレス役を演じてるのが、なんとゲイリー・シニーズ!この人、たまたま『フォレスト・ガンプ』にも超重要な役どころで出てます。そんなとこでも軽~くリンクしてたりする。
とりあえずこの機会に予習しといて、アメリカ独立記念日の7月4日にあえて初回放送を持ってくるっつう、ほとんど誰も気づかない自己満足な編成にワタクシひとり悦に入っとる『フォレスト・ガンプ/一期一会』を、その日は、75%と言わず、90%ぐらいは楽しんじゃってください!
あ、そうそう、ちなみに7月第2土曜は、今度はキューバ危機を描いた『13デイズ』やりますんで、そっちもお楽しみに。
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(編成部 飯森盛良)









