男はマフィア映画が好きだ。
強さ、たくましさ、切なさ、野心、哀愁、友情
。マフィア映画には、それらすべての要素が入っている。以前、このブログで「女性はおしなべて姫になりたがる」と書いたけれど、「男はおしなべてマフィア映画好き」はそれと対をなすと思う。
そして、マフィア映画のスターといえば、筆頭はやはり『ゴッドファーザー』『スカーフェイス』のアル・パチーノだろう。
本作『フェイク』では、うだつのあがらないマフィア、レフティを演じている。
アル・パチーノほどの役者が、シケたマフィア役にハマるのか心配だったのだが、観た瞬間にその心配は吹っ飛んでしまう。レフティはどう見てもプライドだけが高い、シケたマフィア。なのに存在感がある。
もう一人の主役は、FBIの囮捜査官としてレフティに近づくジョニー・デップ演じるジョー。ジョーは、自らをダニーと名乗ってレフティの弟分になることに成功し、常に行動をともにするようになる。FBI本部からの指令を着実にこなしながらも、レフティに全幅の信頼を置かれるようになるジョー。
ところが潜入が長引く間に、ジョーは組織を取り仕切るボスのソニーにまで目をかけられはじめ、レフティを差し置いて出世してしまう。プライドを傷つけられながらも、恨みがましいことをいうわけでもないレフティ。その姿に、ジョーはいつしか潜入捜査官という立場でありながら、友情にも近い感情を抱き始めていた。
男はマフィア映画をなぜ愛するのか? 僕が思うに、それは“憧れ”という言葉だけでは片付けられない。もっと強い、いわば共感や同情、自己投影といった感情が近いと思う。
現実的には、マフィアの世界はほとんどの人にとって縁遠い。
だが、本作『フェイク』をはじめとする多くのマフィア映画で描かれるのは、実は自分たちを取り囲んでいる世界とほとんど変わらない。
どれだけ嫌であっても従わなければいけない命令があり、媚びへつらわなければいけない相手がいる。どんなことをしてでも、金を稼がなければいけないときがあり、自分が助かるためには仲間を裏切らなければいけないときもある。後輩に出世で追い抜かれることもあり、それでも野心を失うことのできない自分がいる。
マフィア映画は男が生きる社会の縮図そのものだ。それゆえ男たちはマフィア映画に共感し、同情し、自分を重ね合わせる。
物語の終盤、ソニーとレフティが、ダニーが潜入捜査官であることを示す証拠写真をFBIに突きつけられた後に語るシーンがたまらなくいい。
ソニー「ダニーを知らなきゃ、騙されるとこだ」
レフティ「ああ、ダニーを知らなきゃな」
ソニーはマフィアのボスらしく、誰に対しても用心深い。ところがそんなソニーでさえ、ダニーが自分たちを裏切るわけがないと全幅の信頼を置いている。レフティもソニーの言葉に同意する。ソニーとレフティだけでなく、ダニーも彼らを信頼していなければ、こんな言葉はでてこない。
映画『ユー・ガット・メール』にこんな科白がある。「人生に必要なことは全部『ゴッド・ファーザー』に書いてある」
『フェイク』もそんな映画のひとつなのである。
(映画ライター 奥田高大)
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当時、監督がどんな思いで『ピースメーカー』を作ったのか知る由もないが、今作は2001年9月11日まで、ごく普通に面白いサスペンス・アクションの一つだった。
ジョージ・クルーニーとニコール・キッドマンの豪華組み合わせに加えて、見応えあるカーチェイス。「核を奪ったテロリストを追いかける」というストーリーはそれほど斬新でないにせよ、観客を楽しませるツボをしっかりと押さえた一級の娯楽作品。
ところが9.11後の今になって観ると、妙なリアリティを持って迫ってくる。
旧ソ連の核弾頭10基を解体のために運搬していた列車が事故に遭い、そのうちの1基が爆発。
そこでアメリカ政府は、核物理科学者のケリー(ニコール・キッドマン)をはじめとする専門家を招集して事故の究明にあたる。
そして調査チームにロシア事情に詳しいデヴォー大佐(ジョージ・クルーニー)が加わったことから、事故はテロリストが仕組んだものであったことが判明。ケリーとデヴォーはテロリスト達を追い詰めてゆく。
そうして苦労の末、盗まれた核弾頭の回収に成功するのだが、見つけた核弾頭は8基。残り一つはテロリストにすでに運び去られたあとだったのである。
その核を運び出した人物というのが、ユーゴスラビア紛争で「ピースメーカー」を自負するアメリカに故郷を破壊されたデューサンという男。
デヴォーとケリーはデューサンを見つけ、核を奪い返すことができるのだろうか・・・というのが本作のあらすじ。
『ピースメーカー』に登場するテロリストの動機は、巨額の金でもなければ、ムショにいる仲間の解放でもなく、「アメリカの正義」に対する怒りだ。
動機そのものは新しいものではない。
けれど、『ピースメーカー』がほかと大きく異なる点は、テロリストの描き方にある。
この手の映画の多くが、テロリストを同情の余地ない対象として描くのに対して、本作では「おまえ達の言い分もわかるよ」とテロリストに感情移入したくなるほど、犯人の心理がきちんと描かれている。
アメリカの攻撃によってデューサンが故郷や家族を失い、そのために受けた悲しみにとうてい癒されるものではなく、怒りのやり場をどこかへ向けることも仕方ない。
ふつうなら、嫌な存在でしかないはずのテロリストに対して、『ピースメーカー』ではふとそんな風に考えてしまう。決して許される方法ではないものの、それはある種の正義によって行われた行為なのだ。
とくにアメリカ同時多発テロ事件後の今となっては、その思いがより複雑なものになる。
ただ、そんな具合にそこらのサスペンス・アクションとは違うだけに、ラストシーンには一言もの申したい。今作ではジョージ・クルーニーとニコール・キッドマンによる愛だの恋だのが(すごく出てきそうなのに!)まったくといっていいほど描かれないのだが、最後の最後でそれを微妙に匂わせるシーンがある。
『ピースメーカー』は娯楽映画の体裁をとりつつ、きっちりメッセージも込めているところが長所(?)の一つだと僕は思っていたのだけど、最後にそんなシーンがあると、「え?! スターを二人も起用したから、なんだかんだ言っても最後はそうなっちゃうワケ?」と、ちょっとガッカリする。
雨の日も風の日も、休むことなく新聞配達を頑張っている女の子が、いかにも軽そうな男とデートしているのを見かけてしまったような気分になる。
いえ、べつに愛だの恋だのがあってもいいんだけどね・・・。ちょっと中途半端すぎやしませんか!?
と、こちらも最後の最後で辛口になってしまいましたが、未見の方はもちろん、9.11以前に観たことのある人も、ぜひもう一度『ピースメーカー』をご覧下さい。きっと以前とは違った思いを抱くはずです。
(映画ライター 奥田高大)
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前回書きかけた、『マトリックス』が大っっっっっっっっキライだった、ということの続きを、今回は書きます。
まずワタクシ、基本、エンターテイメントが好きなんです。好きっつーか、スゴいと思う。心から感心する。感動すらする。
より多くの人たちに、より満足度の高い娯楽を供給する、っつーミッション・インポッシブルを、商売柄、ワタクシも日々課せられてますんで、常にそれにチャレンジしつづけてる(で、ちゃんと結果だしてる)ハリウッドを、ワタクシ、心底リスペクトしてるんですわ。
100人いたら100人全員を楽しませるってことが、実は一番ムズかしい。
逆に、100人全員を楽しませなくていいんだ、って開き直っちゃったような映画、「ミーの高尚なアートがユーに理解できるザマすか?」的な芸術映画だとか、「解るヤツだけオレ様についてこい!ついてこれん落伍者は容赦なく置き去りにするぞ!」的な難解オレ様映画だとかに、まるっきし興味ないです。エゴだよそれは(byアムロ)。
そんなワケでして、実はワタクシ、『マトリックス』、好きじゃなかったんです 。
公開時にリアルタイムで見てんですが、1は確かに面白かった! 1はまごうかたなきエンターテイメント映画でしたから。お客さんに楽しんでもらって、喜んで映画館から帰ってもらおう、っつう、まっとうな商売人としての低姿勢さが、ちゃ~んと感じられた。
2で、つまらなくなった。ってか、監督兄弟が本当にやりたかったのは、エンターテイメントじゃなかったんだ、“オレ様映画”がやりたかったんだ、ってことが、2で分かっちゃった。
2公開時、「ストーリー、意味わかんない。でも、最終作の3で全てのナゾが解けるんでしょ?」、的な、むなしい期待論もささやかれてました。でも、そりゃありえないって!とワタクシ思ったもんですわ。もはや明らかに2で方向転換してるじゃんか、「解るヤツだけオレ様についてこい」路線に。
で、3公開。ワタクシは期待せずに見に行ったワケですが、案の定、ますますワケわからない状態で、シリーズは終わっちゃった。こうなる未来は2の時すでにワタクシにゃ見えてたのだよ。オラクルのようにね!
とまぁ、ここまでは、ワタクシ個人の感想と思い出です。ただ、世間一般的にも、この、「1面白い、2つまらない」という感想は、皆様がかなり共通に抱いたようでして、2がワケわからなすぎて3見る気が失せちゃって、結局、3見ず終い、っつう人が、ワタクシの回りじゃけっこう多かった。ネットで調べてもそういう声は多いようです。
今回のザ・シネマでの放送では、そういう人が多いっつう仮説にのっとり、かつて2まで見てやめちゃった人や、今回初めて『マトリックス』を見るんだけど、やっぱり2で見るのやめちゃうであろう人たちを、いかにして3までつなげるか、という点を、実はウチら的には課題としてたんです。
とにかく問題となるのは、2がワケわからなすぎる、っつーこと。特に終盤ですよね。アーキテクトっつうナゾの白髪翁(マトリックスを作ったヤツ?)が出てきますが、そいつとネオとの、TVモニターがいっぱいある変な部屋(ソース?なにソースって)でのやりとりが、まるで禅問答みたいでMAX意味不明。さらに中盤での、予言者とネオの会話も、かなりワケわかりません。
そこらへんが分かって、2で何が描かれ、何が語られたかぜんぶ分かって、はじめて、3を見る気が起こる。3も、見終わった後に意味不明感や消化不良感が残るようじゃ、「面白かった!」っつう評価にはならんだろ、ここは疑問を残させないぐらいの解説が必要だ!っつう結論に達したんですわ。
そこでまず、シリーズ3本一挙にやる!ことにしました。これ、民放なんかでバラバラに放送されたりしてましたが、ただでさえ難解なものが、それをやっちゃあ致命的に分からなくなる。イッキ見は最低限マストでしょう!!
さらに、ウチでは特番つくりました。本編後にはストーリーのおさらいも付けました。あれらは全て、主に、そういう意図にもとづいて作られてたんです。
実は、特番などを作るに際し、ワタクシ、『マトリックス』シリーズを通しで8回見ました!1回見ただけじゃ意味分からない。2回目にやっと「そっか!これって、もしかしてこういう意味!?」みたいな発見があり、その漠然とした発見を補強するために、さらに立て続けに見返して、8回目にしてようやく、悟りの境地に達したのであります。
後日、番組制作のための打ち合わせの席で、ディレクターの解釈とワタクシの解釈では、かなり喰い違う部分が出てきた。で、そっから議論が勃発!トータルで10時間以上は激論を戦わせましたねぇ。
この時から、『マトリックス』はワタクシにとって、映画史上もっとも面白いSF映画となったのです!
ディレクターとの激論バトル、これが、何年かぶりぐらいに面白い映画体験だった! そういや学生だった頃、映画ヲタクのワタクシは、よくそんな議論をヲタク仲間どもと繰り広げたもんです。何時間も、とか、夜通し、とか、電話の子機(その時代は家電ってのがあって子機ってもんがあった)の充電が無くなるまで、とかね。
映画好きの人の中には、そういう経験がある人って、少なからずいると思うんすよね。ケンケンガクガクの映画談義。いや~、今となっては遠い日の思い出っすわ。
でも、社会に出て働きだして、あれやこれやで忙しくなると、そんなことしてるヒマがなくなっちゃった。
いや、実は、ヒマなんていくらでもあるのかも。ただ人として萎えてきただけなのかも。
「議論なんか面倒だ」
「疲れるだけだ」
「たかが映画じゃないか」
「映画ごときで声を嗄らして議論するのもバカらしい」
我ながら、イヤ~な年のとり方をしちまいました。悲しいぐらいつまんねーオトナになっちゃってます 。
その映画に何が描かれてるか理解するため、全神経を集中させ、頭をフル回転させて、緊張して映画と向き合う。
何度も繰り返し見て、どうにかして理解しようと努める。
そうやって築いた自分なりの理解も、他人のそれとは喰い違ってるかもしれない。
その場合、双方の相違点をとことん徹底的にぶつけ合う。恐れず逃げず、議論する。
エキサイティングっすよ、これって! っていうか、それがエキサイティングだったっつう遠い日の記憶を、ほんと十何年かぶりに思い出させてもらいましたわ、『マトリックス』に!
100人中100人を喜ばせるエンターテインメントをリスペクトする、っつう気持ちは今も変わりません。が、知性を挑発してくるような、知的格闘を強いられるような、“手強い映画”だけが持ってる、楽しさと興奮。
そうした楽しさと興奮ってのは、古びる、色褪せる、っつうことがありません。
『マトリックス』はアクションも売りです。VFXも売りです。ただ残念ながら、それらにゃ賞味期限っつうもんがありますよね。特にVFXなんて日進月歩ですから、いずれは色褪せてく運命です。『マトリックス』は作られて10年ぐらいなんで、2009年現在まだ迫力は感じますが、さらに10年、20年、30年と時がたてば、『マトリックス』の特撮やアクションなんて、特に目新しさもなく、大して迫力も感じさせないものなってくことでしょう。
でも、知的興奮、知的スリル、その面白さは、けっして賞味期限切れで腐ってくことはない。2020年、2030年、2040年の未来に生きる映画ファンたちも、『マトリックス』が持っている、そうした魅力に興奮させられるだろうことは、間違いないと確信しますね、ワタクシは。
『マトリックス』は、まさに、知的に挑発してくる映画です。知的格闘を強いられる映画です。1度見ただけでは分からないと思います(分かったらスゴい!)。けど、2度・3度と見るごとに、どんどんと面白く感じられるようになるハズです。
「もう見飽きたよ」ということに、永遠にならない、奇跡のような映画なのです。
歴代SF映画のベストに、『マトリックス』を推す人ってのが、けっこういます。つまらない(2以降)という声がある一方、一部で評価が異常に高い!
ちなみにアメリカの権威ある映画(などのエンタメ全般)情報誌「エンターテイメント・ウィークリー」誌が、オフィシャルサイトで2007年に選出したベストSF1位も、実は『マトリックス』だったんです。
それは、以上のようなワケなんでしょうな。あの、超有名SF大作『×××・××××』も、あの、大ヒットしたSFシリーズ『××××××××』も、ランキング圏外でした。それは、映像の迫力だけに依存しすぎてて、数十年たてば色褪せてくっつーうら寂しい末路が、なんとなく予想できちゃうからなんでしょう。
『マトリックス』は、誰が見ても同じ解釈にはならない映画です。それでいいんです。
視聴者の皆々様もきっと、それぞれの解釈(ワタクシのとはまるっきし違う)をお持ちになると思います。それでいいんです。
だからこそ、『マトリックス』こそ映画史上最高のSF映画だ、なんです。
今日日、ネットで探せば、『マトリックス』の解釈を記してるサイトなんて、山ほど出てきます。そんなのを参考程度に読みつつ、当チャンネルで『マトリックス』シリーズをご覧になった後は、ぜひ、あなた独自の解釈ってのを、試みてみてください。
できれば、あなたの解釈を、誰かを相手に、ツバを引っかけ合うような議論でぶっつけてみてください。
映画見るってこんなにエキサイティングな行為だったのか!と、『マトリックス』は、あらためて思い出させてくれると思いますよ。
『マトリックス レボリューションズ』™ & © Warner Bros. Entertainment Inc.
(編成部 飯森盛良)
【『マトリックス』三部作12月一挙放送】 4日、18日、19日、20日
【『マトリックス』三部作一挙放送特設サイト】 コチラ








