※3月31日20:00更新

「東北地方太平洋沖地震」におきまして、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。

ザ・シネマでは、災害発生による人心を鑑み、一部作品の放送予定を変更いたします。

ご理解、ご了承いただけますようお願いいたします。

3月31日現在の変更内容は、下記の通りです。


■4月30日(土)17:00『ファイナル・デスティネーション』 
          19:00『デッドコースター』 
          21:00『ファイナル・デッドサーキット』 
          22:45『ファイナル・デッドコースター』
 変更後  →   17:00『(吹)レオン [ビデオ版]』
          19:00『ビロウ』
          21:00『イルマーレ』
          23:00『スパイキッズ』


なお、現在、引き続き、今後の放送予定に関しまして、作品内容・テーマを勘案した上、オンエアを自粛すべき作品があるかどうかの検討作業を続けております。

したがいまして、今後も急遽作品差し替えが生じる可能性があります。

差し替えのご連絡、最新の放送スケジュールは、当ウェブサイトにて逐次発表いたししますので、変お手数ではございますが、ご確認くださいますようお願い申し上げます。

お客様には大変ご迷惑をおかけし、深くお詫び申し上げます。

ザ・シネマ一同
※3月25日19:00更新

「東北地方太平洋沖地震」におきまして、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。

ザ・シネマでは、災害発生による人心を鑑み、一部作品の放送予定を変更いたします。

ご理解、ご了承いただけますようお願いいたします。

3月25日現在の変更内容は、下記の通りです。


■4月2日(土) 13:30 『壊滅暴風圏/カテゴリー6 前編・後編』
 変更後  →  13:30 『特番「監督ジョン・カサヴェテスの2つのファミリー」』
                13:45 『最新映画情報』
                14:00 『ザ・メキシカン』

■4月3日(日) 13:30 『特番「監督ジョン・カサヴェテスの2つのファミリー」』
                13:45 『最新映画情報』
                14:00 『壊滅暴風圏 II/カテゴリー7 前編・後編』
 変更後  →  13:30 『マレーナ』 
                 15:15 『キャプテン・ウルフ』 

■4月6日(水) 6:30 『大災難P.T.A』
                 8:30 『ザ・シネマ ラインナップ紹介』
 変更後  →  6:30 『山の郵便配達』 

■4月11日(月) 21:00 『壊滅暴風圏/カテゴリー6 前編・後編』
              深夜0:30 『特番「監督ジョン・カサヴェテスの2つのファミリー」』
              深夜1:00 『アメリカの影』
              深夜3:00 『ゴスフォード・パーク』
              深夜5:30 『最新映画情報/ザ・シネマラインナップ紹介』
 変更後  →   21:00 『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』
                 23:30 『スナッチ』
               深夜1:30 『アメリカの影』
               深夜3:15 『特番「監督ジョン・カサヴェテスの2つのファミリー」』
               深夜3:30 『ゴスフォード・パーク』

■4月12日(火) 21:00 『壊滅暴風圏 II/カテゴリー7 前編・後編』
                深夜0:30 『こわれゆく女』
               深夜3:30 『特番「監督ジョン・カサヴェテスの2つのファミリー」』
               深夜4:00 『カリフォルニア・トレジャー』
 変更後  →   21:00 『ディファイアンス』
                 23:30 『コブラ』
              深夜1:00 『特番「監督ジョン・カサヴェテスの2つのファミリー」』
              深夜1:15 『こわれゆく女』
              深夜4:15 『カリフォルニア・トレジャー』

■4月13日(水)  深夜3:30 『渚にて』
 変更後  →     深夜3:30 『エル・ドラド』

■4月16日(土)  8:00 『大災難P.T.A.』
 変更後  →     8:00 『山の郵便配達』

■4月18日(月)  深夜4:00 『大災難P.T.A.』
 変更後  →     深夜4:00 『スーパー・マグナム』

■4月19日(火)  8:30 『壊滅暴風圏/カテゴリー6 前編・後編』
 変更後  →    8:30 『マレーナ』
                 10:15 『キャプテン・ウルフ』

■4月20日(水) 8:30 『壊滅暴風圏 II/カテゴリー7 前編・後編』
 変更後  →   8:30 『エマニュエル』
                10:15 『青い体験』

■4月23日(土) 深夜1:00 『ピアノチューナー・オブ・アースクエイク』
 変更後  →   深夜1:00 『太陽のとどかぬ世界』

■4月25日(月) 14:00 『壊滅暴風圏/カテゴリー6 前編・後編』
 変更後  →   14:00 『プレステージ』
                  16:45 『最新映画情報』

■4月26日(火) 14:00 『壊滅暴風圏 II/カテゴリー7 前編・後編』
 変更後  →    14:00 『セイント』
                  16:30 『映画『SOMEWHERE』とソフィア・コッポラの世界』

■4月27日(水)  6:00 『渚にて』
 変更後  →    6:00 『ザ・メキシカン』

■4月28日(木) 深夜2:00 『ピアノチューナー・オブ・アースクエイク』
 変更後  →   深夜2:00 『アリス』


なお、現在、引き続き、今後の放送予定に関しまして、作品内容・テーマを勘案した上、オンエアを自粛すべき作品があるかどうかの検討作業を続けております。

したがいまして、今後も急遽作品差し替えが生じる可能性があります。

差し替えのご連絡、最新の放送スケジュールは、当ウェブサイトにて逐次発表いたししますので、変お手数ではございますが、ご確認くださいますようお願い申し上げます。

お客様には大変ご迷惑をおかけし、深くお詫び申し上げます。

ザ・シネマ一同
※3月24日19:00更新

「東北地方太平洋沖地震」におきまして、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。

ザ・シネマでは、災害発生による人心を鑑み、一部作品の放送予定を変更いたします。

ご理解、ご了承いただけますようお願いいたします。

3月24日現在の変更内容は、下記の通りです。


■3月26日(土)深夜4時 → 変更前 『キッスで殺せ!』 → 変更後 『飾窓の女(カラー版)』


なお、現在、引き続き、今後の放送予定に関しまして、作品内容・テーマを勘案した上、オンエアを自粛すべき作品があるかどうかの検討作業を続けております。

したがいまして、今後も急遽作品差し替えが生じる可能性があります。

差し替えのご連絡、最新の放送スケジュールは、当ウェブサイトにて逐次発表いたししますので、変お手数ではございますが、ご確認くださいますようお願い申し上げます。

お客様には大変ご迷惑をおかけし、深くお詫び申し上げます。

ザ・シネマ一同
※3月15日19:00更新

「東北地方太平洋沖地震」におきまして、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみを申し上げます。

ザ・シネマでは、災害発生による人心を鑑み、一部作品の放送予定を変更いたします。

ご理解、ご了承いただけますようお願いいたします。

3月15日現在の変更内容は、下記の通りです。


■3月15日(火)14時 → 変更前 『ダンテズ・ピーク』 → 変更後 『三国志』

■3月15日(火)21時 → 変更前 『ダンテズ・ピーク』 → 変更後 『三国志』

■3月24日(木)12時 → 変更後 『ダンテズ・ピーク』 → 変更後 『グラスハウス』

■3月26日(土)10時 → 変更後 『地獄へ秒読み(カラー版)』 → 変更後 『手錠のままの脱獄』

■3月31日(木)10時 → 変更後 『地獄へ秒読み(カラー版)』 → 変更後 『手錠のままの脱獄』


なお、現在、引き続き、今後の放送予定に関しまして、作品内容・テーマを勘案した上、オンエアを自粛すべき作品があるかどうかの検討作業を続けております。

したがいまして、今後も急遽作品差し替えが生じる可能性があります。

差し替えのご連絡、最新の放送スケジュールは、当ウェブサイトにて逐次発表いたししますので、変お手数ではございますが、ご確認くださいますようお願い申し上げます。

お客様には大変ご迷惑をおかけし、深くお詫び申し上げます。

ザ・シネマ一同
 映画にはさまざまな「バージョン違い」をもつ作品が多い。そして、その存在理由も多様にしてさまざまである。例えば『ゾンビ』のように、公開エリアによって権利保持者が違ったため、各々独自の編集が施されたケースもあれば、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズや『アバター』のように、劇場公開版とは別の価値を持つものとして、DVDやBlu-rayなど制約のないメディアで長時間版を発表する場合もある。

 『ブレードランナー』もそれらのように、いくつもの別バージョンが存在する作品として有名だ。しかし、先に挙げた作品とは「発生の理由」がまったく異なる。いったいどのような経緯によって、同作にはこうしたバージョン違いが生まれたのだろうか?

 なぜバージョン違いが生まれたのか?

 それは最初に劇場公開されたものが「監督の意図に忠実な作品ではなかった」というのが最大の理由だ。

 映画の完成を定める「最終編集権」は、作品を手がけた「監督」にあると思われがちだ。しかし、その多くは作品の「製作者」が握っており、監督が望む形で完成へと到らないケースがある。『ブレードランナー』もまさしくそのひとつで、1982年に劇場公開された「通常版」は、製作者の権利行使によって完成されたものなのだ。

 当然、それに納得いかなかったのが、監督のリドリー・スコットである。醇美にして荘厳な映像スタイルを自作で展開させ「ビジュアリスト」の名を欲しいままにする希代の名匠。そんな完璧主義の鬼が、自らの意図と異なるものに寛容であるはずがない。そう、もともと『ブレードランナー』は、リドリーの意図に忠実に編集されていたのである。しかし製作側が完成前にテスト試写をおこない、参加者にアンケートをとったところ、以下のような驚くべき意見が寄せられてしまったのだ。

 「映画に出てくる単語や用語が難しい。“レプリカント”って何? そもそも“ブレードランナー”って何なの?」

 「ラストが暗すぎる。デッカード(ハリソン・フォード)とレイチェル(ショーン・ヤング)は、あの後どうなったの?」

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 こうした意見に製作側が戦々恐々となったのは言うまでもない。そして収益に響いては困るとばかりに、編集に修正を加えるのである。「用語が難しい」という問題には、劇中にわかりやすいナレーションを入れることで対応し、そして「ラストが暗い」には、「レイチェルには限られた寿命がなく(レプリカントは4年しか生きられない)、ふたりは生き延びて仲良く暮らしました」とでも言いたげなハッピーエンド・シーンを追加した。

 しかし、今となっては考えられないことかもしれないが、こうした製作側の配慮もむなしく、『ブレードランナー』はヒットには到らなかったのである。

 何が問題だったのか? それは懸念された「内容の難解さや暗さ」ではなく、ダークなセンスこそ光る本作を「SFアクション劇」で売ろうとした製作側の大きな宣伝ミスだったのだ。そして皮肉にも、その退廃的な未来図像や哲学的なストーリーが目の利いた映画ファンから絶賛され、『ブレードランナー』は年を追うごとに注目を集め、マスターピースとしてその名を高めていくのである。


「ディレクターズ・カット/最終版」(1992年)の誕生
 商業性を優先した製作側に、作品を曲解されてしまったとリドリー・スコット監督は考えていた。作品の評価が高まるにつれ、彼は今そこにある『ブレードランナー』が、自分の意図どおりのものでないことにジレンマをつのらせたのである。そして「いつか私の『ブレードランナー』を作る」と、来るべき機会をじっと待っていたのだ。

 そして、ついにその祈願が果たされるときがやってくる。1991年、ワーナー・ブラザースが同作のファンの需要に応え、「通常版」の前のバージョンの公開を局地的に展開していた。そう、リドリーの意向に沿った編集版だ。

 それに対してリドリーは、

 「あの編集バージョンはあくまで粗編集で、未完成のものだ。公開を承認することはできない。これはビジネスの問題じゃなくて芸術の問題だ」

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 と、公開にストップをかけたのだ。そしてワーナーに対し、ある代案を呈示したのである。

「監督である私の意図にしたがい、新たに編集したものならば公開してもいい」。

 この代案が受け入れられ、編集権はリドリーに譲渡される形となった。そしてリドリーは自分どおりの、新たな編集による『ブレードランナー』を発表することになったのだ。それが「ディレクターズ・カット/最終版」である。


「通常版」と「ディレクターズ・カット」、ここを見比べよう!
 監督の意図に忠実な「ディレクターズ・カット/最終版」は、「通常版」に入れられたナレーションをすべて取り払い、そして最後に追加されたハッピーエンド・シーンも削除したバージョンだ。そこには監督の「混沌とした未来像をありのままに受け止めてほしい」という演出プランが息づいている。

 こうした点にこだわりながら、改めて両バージョンを見比べてほしい。ナレーションのない「ディレクターズ・カット/最終版」は、耳からくる情報収集で聴覚を奪われないぶん、視覚を集中して働かせられる。そのため、映像が放つインパクトをより強く受け取ることができるのだ。公開当時、革命的で前代未聞といわれたデッドテックな未来像。その視覚的ショックを、監督の思う通りに実感できるという次第だ。

 さらにリドリーは「ディレクターズ・カット/最終版」に新たなショットを付け加えることで、観客がこれまで抱いてきた『ブレードランナー』の固定観念を覆すことに成功している。それが「森を駆けるユニコーン(一角獣)」のイメージ・シーンである。

 デッカードが見る「夢」として挿入されるユニコーンの映像。それは彼の同僚ガフ(エドワード・ジェームズ・オルモス)が捜索現場に残した「折り紙のユニコーン」と重なり合う。デッカードの脳内イメージを第三者であるガフが知っているということは、「デッカード自身もレプリカントなのでは?」という疑念を観る者に抱かせるのだ。そしてその疑念こそが「ディレクターズ・カット/最終版」の、もうひとつの変更点=“ハッピーエンドの否定”へとリンクしていく。

 「ならば『通常版』は、監督の意図と違うからダメなのか?」

 と訊かれれば、それはノーだ。「通常版」固有のナレーションは、1940?50年代に量産された「フィルム・ノワール(犯罪映画)」や「ハードボイルド小説」のスタイルを彷彿とさせる。『マルタの鷹』や『三つ数えろ』『ロング・グッドバイ』など、主人公が自身の行動や考え、感情をストーリーの流れに沿って口述する文体は、フィルム・ノワール、特にハードボイルド小説の「探偵ジャンル」に顕著なものだ。そうした古来の語り口を介することで、『ブレードランナー』もまた「孤独な主人公が犯罪者を追う」古典的な物語であることを認識させてくれるのである。

 そういう観点からすれば「通常版」は“未来版フィルム・ノワール”として独自の価値を持つものであり、監督が思うほど「ディレクターズ・カット/最終版」に劣るものでは決してないのである。


さらに作品を極めたい?そして「ファイナル・カット版」(2007年)へ
 リドリーは紆余曲折を経て、自分の意向に沿った『ブレードランナー』を世に出すことに成功した。だが、それだけでは満足しないのがアーティストの性(さが)だろう。「さらに極めたものを作りたい」という思いは、完璧主義者としての彼の奥底に深く根を張っていたのだ。

 そうした自身の思いと、多くのファンの作品に対する支持はワーナー・ブラザースを動かした。同社は『ブレードランナー』公開から25周年を迎えるにあたり、改めて同作の権利契約を結び、“究極”ともいえる「ファイナル・カット版」の製作にゴーサインを出したのである。

 「ファイナル・カット版」は、基本的には前述の「ディレクターズ・カット/最終版」をアップデートしたものだ。なので「通常版」→「ディレクターズ・カット/最終版」に見られたような大きな違いはなく、下記のようにディテールの修正が主だった変更点である。

【1】撮影・編集ミスによる矛盾の修正
 撮影ミスや編集ミスで、カットごとに違うものが映し出されるシーン(不統一な看板の文字など)や、または矛盾を生じるセリフの修正などが徹底しておこなわれている。特に代表的なのは、ブライアント(M・エメット・ウォルシュ)がレプリカントに言及するセリフで「(6体の逃亡したレプリカントのうち)1匹は死んだ」としゃべっていたものを、「2匹が死んだ」と変えている場面だ。これはデッカードが追う残り4体のレプリカント(ロイ、ゾーラ、リオン、プリス)の数に合致させるための変更である。

 あるいは修正のために、新たに映像素材を撮影したシーンもある。デッカードに撃たれたゾーラが倒れるシーンで、スタントの代役が如実に分かるミスショットがあるが、ゾーラ役のジョアンナ・キャシディを招いて撮ったアップショットを代役にリプレイスメント(交換)することで解決へと導いている。また人口蛇をめぐってデッカードがアブドルと話すシーンでの、声と口の動きが一致していない問題点には、ハリソン・フォードの実子ベンジャミン・フォード(お父さんそっくり!)の口もとを合成し、同様に解決されている。

【2】特殊効果シーンの一部変更ならびに修正
 オプチカル(光学)による合成ショットのブレや、シーンによって左右反転するデッカードの頬傷メイク、あるいはスピナーが浮上するさいに見える、吊り上げるためのワイヤーなど、ミスや製作当時の技術的な限界を露呈した点がデジタル処理で修正されている。またバックプレート(背景画像)が大きく入れ替えられている部分もあり、たとえばロイの死の直後にハトが飛び去るショットは、前カットとの連続性を持たせるために晴天から雨天へとレタッチされ、下部分に写る建造物も新たにデジタル・ペイントされて、違和感をなくしている。

【3】未公開シーンの挿入
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 デッカードがゾーラを訪ねるシークエンスで、繁華街に登場するホッケーマスクのダンサーなど、未公開だったショットが追加されている。またユニコーンのシーンも1ショット追加され、それにともないデッカードのアップにユニコーンのショットがインサートされる編集処理となり、ユニコーンのシーンはディゾルブ(オーバーラップ)でなくなった。
すべてのバージョンが『ブレードランナー』である !

 そう、1982年の『ブレードランナー』初公開から四半世紀の間に、映画の世界には大きな変革が及んだ。「デジタル技術」の導入により、そのメイキング・プロセスや作品の仕上がりに高いクオリティが与えられたのだ。監督とスタッフは「ファイナル・カット版」作成に際し、オリジナルの本編シーン35mmネガ、そして視覚効果シーンの65mmと70mmオリジナルネガをスキャンしてデジタルデータに変換し、すべての編集や修正をコンピュータベースでおこなっている。

 その結果、同バージョンは「ディレクターズ・カット/最終版」と比較(あるいは「通常版」と比較)しても、とにかく映像の美しさという点で勝っている。デジタルによる高解像度のスキャンによって、これまでの別バージョンに較べて画面の隅々までが明瞭に見えるようになったし、照明効果の暗かった場面の光度や輝度をデジタル処理で上げることで、暗部に隠れた被写体の可視化に「ファイナル・カット版」は成功している。

 また映像面だけでなく、サウンドにおいても微細に加工が施されている。セリフ、効果音、スコアそれぞれのトラックからノイズをデジタルで消去し、それらをリミックスして響きのいい音を提供している。またナレーションを排したために、ところどころで音の隙間が出来てしまった場面においても。スピナー飛行時の通信ノイズや街の雑踏など新たなサウンドエフェクトで補っているのだ。

 こうした丹念な修正作業と、リドリー・スコット監督の執念によって、「ファイナル・カット版」は『ブレードランナー』の“完成型”といえるものに仕上がった。とはいえ、デジタルという態勢下で加工された「ファイナル・カット版」に対し、あくまでフィルムベースで存在する「通常版」「ディレクターズ・カット/完全版」の“映画らしい質感”を称揚する者も少なくない。なにより私(筆者)自身、作家性を重んじる立場から「ファイナル・カット版」に感動しつつも、「最初に劇場公開されたものこそオリジナル」という主義でもあるので、すべてのバージョンを観るたびに心が揺れる。だからどの『ブレードランナー』を支持するかは、観る者の嗜好によって一定ではないだろう。

 しかし、誰がいかなるバージョンに触れたとしても、やはり『ブレードランナー』という作品そのものが持つ「魅力」と「偉大さ」を、改めてすべての人が感じるに違いない。

【3月放送日】
『ブレードランナー』…5日、25日
『ディレクターズカット/ブレードランナー 最終版』…11日、29日
『ブレードランナー ファイナル・カット』…20日、26日
『(吹)ブレードランナー ファイナル・カット』…20日、26日
『デンジャラス・デイズ/メイキング・オブ・ブレードランナー』…5日、20日

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尾崎 一男(おざき かずお)
映画評論家&ライター。「映画秘宝」「チャンピオンRED」「フィギュア王」などに 寄稿。最近の共著として「映画監督 市川崑」(洋泉社)がある。また“ドリー・尾崎”の名義でシネマ芸人ユニット[映画ガチンコ兄弟]を組み、TVやトークイベントでも活躍中。日本映像学会 (JASIAS)会員。

参考資料
(文献)『メイキング・オブ・ブレードランナー ファイナル・カット』ポール・M・サモン著(ヴィレッジブックス・刊)
    『日本版シネフェックス2』特集『ブレードランナー』(株式会社バンダイ・刊)
(映像) Blade Runner The Criterion Collection laser video disc
    『デンジャラス・デイズ:メイキング・オブ・ブレードランナー』
 ザ・シネマで『ブレードランナー』ファイナルカット版の日本語吹き替えを、わざわざ放送用に新録すると聞いてうれしくなっています。しかもハリソン・フォードの声は定番の磯部勉さん。僕同様、期待している吹き替えファンは多いことでしょう。地上波でも局制作の吹き替え洋画番組が少なくなっている中、これは快挙といえるかもしれません。

 さてしかし、僕のような吹き替えファンがいるいっぽうで、関係者のお話をうかがうと「吹き替えにニーズなどあるのか」「吹き替えはオリジナル俳優の演技に対する冒涜ではないのか」「どうして吹き替えがいいのかわからない。字幕だけやっていればいいのではないか」というご意見も、いまだにあるようです。そこで以下では、そうした方達に向けて、吹き替えの意義や魅力について、一吹き替えファンの立場からお話をさせていただきたいと思います。

 おっと早まらないでください。「字幕より吹き替えがいい」と強固に主張するつもりは毛頭ありません。早々と結論を先に書いてしまいますが、要は「吹き替えも字幕もそれぞれにいいところがある(同様にマイナス面もある)」ということです。

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 吹き替え派vs字幕派の論争は、テレビで吹き替え放送が始まった1950年代からずっと続いてきました。媒体が限られていた時代には重要問題だった対立項も、現在の選択肢の多い視聴環境では、僕はもはや不毛だと考えています。これも後で詳しく述べます。しかし「それぞれお好きなように」ではやはり悲しい。字幕ファンにも吹き替えの利点や魅力を少しでも知ってもらいたいのです。

 というわけで、以下で書くことは吹き替えファンなら言わずもがなの自明のことで、僕自身もこれまで場所や機会をいただいては、繰り返し述べてきたことでもあります。なので、そうした吹き替えファンの方はスルーしていただいてけっこうです。むしろ先にあげたような「吹き替えの意義がわからない」という方や「ちょっと興味がある」という方達に向けて筆を進めます。

●ここが吹き替えのよいところ!
 まず最初の「吹き替えにニーズなどあるのか」ですが、ここにユーザが1人確実に存在します。そもそも一定数のニーズがないのにチャンネルや番組枠が開設できるほど世の中は酔狂ではありません。関係者のお話では、アンチ意見もある一方で「よくぞ吹き替え枠の番組を作ってくれた」という声も多く届いているようです。シネコン時代に入り、劇場用の吹き替え版が多く作られ、必ずしも年少者とは限らない広い層の観客を動員しているという事実もあります。

 単に「わかりやすい」ということだけではありません。日本の吹き替えの歴史は既に半世紀以上にも及びます。元の俳優や映画のファンがいるように、長い時間をかけて支持され信頼されてきた声優さん、及びそのファンが存在し、人気の吹き替え作品があることを、字幕ファンには知っていただきたいと思います。

 「吹き替えはオリジナル俳優の演技に対する冒涜ではないのか」、これは、もっとも重要な論点でしょう。冒涜というのはきつい言葉ですが、元の俳優の大ファンであるならば、その表現もわかります。そこまでいかなくとも、声やセリフまわしも含めてその俳優の演技を、ひいては映画を楽しみたいのだ、という気持ちは、僕も吹き替えファンである前に映画ファンですからよく理解しているつもりです。

 声優さん達は元の俳優の演技や個性を日本語で表現すべく、昔も今も最大限に努力されています。吹き替えファンの眼や耳も厳しいので、そうした中で「○○なら誰々」と評価されている人の演技は、けっして「冒涜」とは思いません。

 しかし「なによりも元の俳優の声、あるいは原語の表現こそを聴きたいのだ」という方に対しては、むりやり吹き替え版を勧める気はありません(あたりまえの話です。反論する余地も理由もありません)。ただ、オリジナル音声+字幕で観ることが「当然」「常識」「正しい」と主張されると、これにはちょっと反論したくなります。映画にはさまざまな観方があります。俳優で観る人もいれば、別の要素を重要視する人もいます。どちらが「正しい」「間違い」ということではないのです。

吹き替え02.jpg
 フランスなどヨーロッパの幾つかの国では外国映画は劇場であっても、字幕ではなくて吹き替えで公開されることのほうが「一般的」「常識」です(映画祭やフィルムセンターなどでの例外はあります)。日本よりも厳格にフィックス(=その俳優専門の)声優が決まっているようですが、似ているとはいっても他人は他人です。つまりこれは、映画的に「元の俳優の声」以上に優先されるべき事項がある、もしくは字幕版になんらかのマイナス面がある、と判断されているということです。

 端的にいえば、それは「セリフの情報量の一致」ということになります。

 字幕の文字数は限られていて、実際に俳優が喋っている内容のごく一部しか画面には表れていません。かなりの情報がそぎ落とされています。また、字数節約のため、適当とは思えない極端な意訳も多い(もちろん、そうした創意工夫の中から歴史に残るような名字幕翻訳も数多く生まれました。そのことは否定するものではありません)。複数名が同時に喋っているシーンなどでは表示も混乱しますし、本来タイミングが一番重要なはずのギャグも、字幕版ではワンテンポ遅れて笑いが起きる、ということがよくあります(それ以前にギャグや皮肉の細かいニュアンスが字幕では伝わらないことも、ままあります)。

 この「セリフの“内容”をオリジナルとほぼ等しくできる」という面においては、圧倒的に吹き替えが字幕に勝ります。さらに、オリジナル至上主義の字幕ファンが見落としがちなことですが、字幕は実はオリジナルの画面をかなり隠しています。声よりも「画」の美しさを優先する人にとっては、字幕はけっこう大きなノイズと映ります。物理的な占有だけでなく、いちいち字幕に視線を移すことにより、大事なものを見落としたり画面に集中できなくなったりという弊害もあります。

 つまり視覚情報(画面)を尊重して保持するか、聴覚情報(俳優の声)を尊重して保持するか、という違いで、どちらも厳密にはオリジナルではないのです。加えて、聴覚情報を尊重しても、観客や視聴者に元の映画の言語の理解力がなければ、文字数の限られた日本語字幕に頼らざるをえなくなり「声」はともかく「内容」的な情報もまた欠落することになります。

 このように字幕には字幕の、吹き替えには吹き替えのよい面、そしてマイナス面が、それぞれにあるのです。それぞれの長所を踏まえ、字幕と吹き替えの両方で活躍している翻訳家の方も複数名いらっしゃいます。

アンチ吹き替え論はなぜ生まれたか
 さてしかし、長い間、日本では吹き替え支持派は劣勢でした。字幕派が吹き替え版を批判したり攻撃することはあっても、吹き替えファンが字幕版をダメだと主張することは、めったにありませんでした。それは日本の吹き替え版が劇場ではなくテレビで発達していったことに起因しています。

 吹き替えは常にテレビで流される洋画番組の他の問題点と一緒にされて論じられてきました。他の問題点とは、CMによる中断、放送時間に合わせるための大幅なカット、さらに効果音や音楽まで日本側で付け足す場合もあり、吹き替え版はいわばオリジナルの加工品とみなされ、そもそも比較するような対象ではなかったのです。

 問題点と書きましたが、制作している側にとっては、これらは至極当然の工夫であったでしょう。尺(時間)やCMは厳然と決められている基本条件なので、どうしようもありません。その中で原画の魅力を効果的に伝えるにはどうしたらいいか、現場では毎回頭をひねっていたはず。こうした試行錯誤の中で、ときどき突拍子もなく「吹き替えそれ自体が」面白い作品も登場するようになりました(もちろん間違った方向に暴走したり空回りした作品も数知れず、ですが)。

吹き替え03.jpg
 けれども、当時はビデオも衛星放送もない時代。旧作の映画に触れる手段はテレビの洋画劇場くらいしかありませんでした(とくにリバイバル上映や名画座のない地方ではそうでした)。媒体が一つしかなければ、できるだけオリジナルに近い形で観たいと思う層には、CMあり、カットあり、遊びありのテレビの吹き替え版は、ますますまがいものに映ったでしょう。

 しかしいっぽうでは、そうした洋画番組は確実に視聴率を稼ぎ、僕のような吹き替えファンも多く生むことになりました。CMありカットあり、そして吹き替えであっても、そこから生まれる感動は「本物」だったのです。さらにそこから一歩進んで、先に述べたような「テレビ吹き替え独自の」ちょっとアヴァンギャルドな面白さにも僕らは気づいていきました。制作者や声優さんの熱い熱を感じていたのです。

 それでも長らく吹き替え版の優位を口に出すことは、はばかられました。家庭用ビデオ録画機が誕生してからも、最初はむしろオンエア機会の少ないノーカット字幕版のほうを喜んで録画していました。

 そして……時代は変わりました。

楽しみ方いろいろの21世紀へ!
 いまやBSやCS、そしてケーブルテレビで、ノーカットの字幕版が連日放送されています。さらに、どの地方都市にいっても普通にレンタル店があり、古い名作からマニアックな怪作までタイトルも充実しています。地上波ですら、吹き替えの洋画劇場の枠は減り、深夜に放送される映画はノーカット字幕版のほうが多くなりました。

 ですから、いまは字幕がいいか吹き替えがいいかなどという論争は意味をなさなくなった、と思っています。自分が映画に求める優先事項に応じて、字幕版を選択したり吹き替え版を選択すればよいのです。もちろんダメな吹き替えはありますが、同様にダメな字幕もあるのです。

 そしてさらに付け加えるなら、そうしたノーカット字幕版優勢の現在の視聴環境にあっては、いまこそ誰はばかることなく「あえて吹き替えを楽しむ」方向で吹き替え版を支持したって全然かまわないと思っています。僕のように吹き替え独自の遊びや名人芸を楽しみたい人は、たとえカットがあってもテレビ版の吹き替えで観たい。オフィシャル版はどうもお行儀がよすぎる、ということもありますし、古い作品は名声優の全盛時のお声でこそ聴きたいのです。

 僕にとっては、吹き替え版もまた元の映画同様その時代時代の「作品」なのですから。

とり・みき
マンガ家、吹き替え“愛好家”。代表作に『クルクルくりん』『愛のさかあがり』『山の音』など多数。94年、98年に星雲賞コミック部門受賞。95年、『遠くへいきたい』で文春漫画賞受賞。同95年、とり・みき&吹替愛好会として『吹替映画大事典』を上梓。以降、吹き替えに関するコラムを数多く執筆。
http://www.torimiki.com
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