去る3月10日(水)新宿明治安田生命ホールにて、視聴者の皆様をご招待したザ・シネマ主催による新作映画『マイレージ、マイライフ』特別試写会を実施しました!
150組300名様ご招待のところ、ナントそのウン十倍の応募数!たくさんのご応募、本当にありがとうございました!今回残念ながら抽選に漏れた方も次の機会にも是非ご応募下さい!
さて当日。普段視聴者の方々と直接お会いする事が少ない我々ザ・シネマ編成部員も、この日は貴重な機会としてほぼフルメンバーでスタンバイ!タイトな時間で諸々準備を終えて予定通り18時開場。お客様をお迎えする事が出来ました。
いよいよ本番スタート!

今回の試写会では映画上映前のスペシャルイベントとして、長塚京三さんのトークショーを実施。
既にご存知の通り、長塚さんは現在ザ・シネマで毎週土曜朝10時からクラシック映画の名作をおおくりする「赤坂シネマ座」で、名作の魅力を紹介するオリジナル解説番組「シネマの中へ 長塚京三 映画の話」のナビゲーター。言わば“ライブ版シネマの中へ”開催です!
長塚さんも視聴者の方々に直接お話出来る事に大変喜ばれていて、いつもの番組の雰囲気よりフランクな感じで語り始めました。
観客の皆様に純粋な気持ちで映画を楽しんで欲しいと、本作の内容については語らなかった長塚さん。ただし本作主演のジョージ・クルーニーについては「何をやってもブレない。自分自身を笑えるスマートさがある。」と述べ、「平均的なアメリカの明るさを持っているから、彼の映画ならどの作品でも付き合える」と絶賛されました!
また、長塚さん自身の“映画体験”についても言及。「3歳ぐらいから父に連れられて映画館に通った。学生の時は家から弁当を持って映画館をハシゴしていました。学校にはほとんど行かず1年に400本近く観てました」という程の映画好きだったそう。
さらには、俳優である自分の師匠も、映画の中のポール・ニューマンやヘンリー・フォンダとのこと。そして一番好きな映画として、ポール・ニューマン主演の『暴力脱獄』(1967年)を上げられていました。
映画『マイレージ、マイライフ』は、アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した『JUNO/ジュノ』(2007年)のジェイソン・ライトマン監督最新作。
敏腕リストラ宣告人の人生の転機を描く人間ドラマで、ゴールデングローブ賞最優秀脚本賞など60冠以上を獲得した話題作。ただいま全国公開中です!
これに合わせてザ・シネマでは、ジョージ・クルーニー主演のサスペンス・アクション大作『ピースメーカー』を4月10日(土)に放送!こちらも是非ご覧下さい!!
(ザ・シネマ編成部 THEシネマン)
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このドキュメンタリー映画には、本編中何度か、象徴的なスナップ写真が登場する。写っているのは一人の男。試合後の拳闘家のように腫れぼったい瞼をした初老の男性である。東洋人の見本のような面相と言っていい。発達した蒙古ヒダは、アジア人に顕著な外見上の特徴である。
私や、貴方が知っている男性の誰かに、きっと、似ている。
彼は、病室らしい部屋のベッドに横たわっている。包帯をターバンのように頭にグルグル巻きにされて。厚い瞼に覆われた瞳から表情を読み取ることは至難だが、口元には、微かに笑みらしいものを浮かべているようだ。
病床での滑稽な姿を写真に撮られることへの照れとはどうも違う、一種異様の表情が、わずかに上がった口角あたりに浮かんでいるように見えなくもない。
この写真が撮られる数日前、1983年2月10日の夜。アメリカ、シカゴ。
彼は、車を運転していた。させられていた。助手席と後部座席に同乗した、二人の男のナビゲーションにしたがって。
彼が指示どおりに駐車場で車を停めると、後ろの男はおもむろに拳銃を取り出し、超至近距離から彼の後頭部に三発、銃弾をブチ込んだ。
彼は、だが、死ななかった。血達磨になりながら、近所の店に助けを求めた。歩いて、である。
バケモノじみている。
彼はシカゴ・マフィアの一員だった。それも、日系人の。あまりに東洋的すぎる顔を持つ彼は、イタリア系マフィアの世界では毛色の変わりすぎた異分子であり、いわばアウトサイダーの中のマイノリティで、それがために侮蔑され続けた。だが同時に、畏怖されてもいた。彼は闇社会で幅を利かせた凄腕の博徒であり、また、冷酷な殺し屋でもあったからである。
彼はこの時期、捜査機関から賭博がらみで取り調べを受けていた。マフィアは、彼が組織にとって不利な証言をする前に、彼を消してしまおうとしたのである。
殺されかけてまで彼が組織に仁義をとおす理由はない。死の淵から蘇ると、彼は、捜査機関への協力を決断する。
例の写真は、その時に撮られたものだ。彼の顔に浮かんでいたあの曰く言い難い表情は、不敵なようでもあり、凄みがあるようでもあり、あるいは単なる照れ笑いだったかもしれないが、何にしても、これほど得体の知れない表情は、堅気の人間が真似して作れるようなものではない。
捜査機関に全てを暴露し始めた彼は、自分を殺す指示を出した暗黒街の顔役たちを手始めに、シカゴの刑事部長や郡の判事、さらには元州知事まで、マフィアと裏で癒着していた大物どもを端から刑務所送りにしていった。
シカゴ・マフィアは、かくして、壊滅した。
晩年、彼は“アジア系の元自動車修理工の好々爺”といった体を装い、地域社会に溶け込んだ。終いには、平凡な勤労市民の退職金と考えれば決して悪くはない額の25万ドルという慰労金までFBIから与えられ、気候温暖なハワイの地で、元殺し屋には不釣合いなほどの平和のうちに死んでいったのである。ただし、孤独に。
私や貴方が知っている誰かにも似た、典型的日本人の顔を持つ、一人の日系人。
1919年以降1,111件にのぼるというマフィアの暗殺事件で、生き残ったただ一人の男。
頭部に三発の鉛の弾をブチ込まれ、なお死ななかった男。
“トウキョウ・ジョー”とは、その男につけられたニックネームである。
本名、ケン・エトー。
この男の人生、あまりに、映画的でありすぎる。
「このドキュメンタリー映画を、1本の映画が完成し、公開されました、で終わらせるつもりはありません。これは、より大きな“プロジェクト”の始まりなんです」
そう語るのは、亀山千広氏。あの、亀山氏である。今さらわざわざ「『踊る大捜査線』の 」などと紹介するのも煩わしい、今日の日本映画界における最高のヒットメーカーだ。この2008年に限っても『少林少女』、『ザ・マジックアワー』、『容疑者Xの献身』、『ハッピーフライト』などのヒット作を連発した。フジテレビ映画事業局長であり、TV業界が映画界をリードする、ひいては、邦画そのものが劇的な再興をとげるという、ここ数年来の日本映画の活況を現出せしめた立役者である。今作で氏はエグゼクティブ・プロデューサーを務めている。
もう一人のエグゼクティブ・プロデューサーが奥山和由氏だ。亀山氏がTVの世界からやってきた現代最高のヒットメーカーなら、奥山氏は伝統的な日本映画界が輩出した、現代最大の風雲児と言える。あえて一作品だけ挙げるなら今年の『ラストゲーム 最後の早慶戦』など、高い評価を受ける良作・話題作を次々とプロデュースする一方、ハリウッドに持つ華麗な映画人脈、監督としての北野武ら異能の発見・発掘、ファンドを通じての製作資金調達というシステムの日本映画界への革命的導入などなど、その閲歴はまさに風雲児と呼ぶに相応しい。
そもそも、“トウキョウ・ジョー”という怪人に注目したのは奥山氏だった。
奥山「この人物の存在は15、6年前に初めて知りました。しかし、当時は彼を知るための資料があまりに少なかった。それから時は過ぎて、ロサンゼルスでデ・ニーロと会い、彼と、自分は『ゴッドファーザー』が好きでさぁ、といったような話をしていた時に、改めて、この“トウキョウ・ジョー”はいずれ映画にできる素材だし、また、映画にすべき素材だと考えるようになったんです。ただ、その時点ではドキュメンタリーにするつもりはまったくなかった。劇映画にするつもりでした」
そして奥山氏は、後日、フジテレビ亀山氏に幾つかの企画の話を持ち込んだ際、その中の雑談の一つとして、“トウキョウ・ジョー”の話を披露した。結果、“トウキョウ・ジョー”の物語はドキュメンタリー映画として作られることになったのである。
亀山「劇映画がメインの僕たち二人なので、当然、劇映画・ドラマとして作ることを前提に話していたけれど、そのための分厚い企画書を作り、何人に読ませたところで、おのずと限界がある。それより映像があれば、見た人はすぐイマジネーションが沸くし、この人物のこういう部分を映画にしてみたい、といった具体的なアイデアも浮かぶでしょう」
奥山「今でも、最終目標はあくまで劇映画なんです。いざその時になって、向こうの役者さん、デ・ニーロと話すにせよパチーノと話すにせよ、キチっとした立派な映像企画書をまず見せられる方が、話は早い。それにどっちみち、劇映画の準備で資料を集めているんだし、どっちみち、フィクションを作るにせよ事実は隅々まで調べなければならないんだし、であるならば、その素材でまずドキュメンタリーを作ってみよう、ということになったんです」
そう。今作『TOKYO JOE マフィアを売った男』は、実は、将来ハリウッドをも巻き込んだ劇映画製作のための、贅沢きわまりないプレゼン資料なのである。だから、この映画は全編英語で作られているのだ。だから、“あの”亀山千広氏が製作に名を連ねているのだ。この硬質なドキュメンタリー映画の製作陣に、ある意味きわめてキャッチーなエンターテインメント作ばかりを手がける亀山氏の名前が加わっていることの違和感の種を明かせば、そういうことなのである。
亀山「僕がというよりも、フジテレビの映画に派手なイメージがあるのかもしれませんね(笑)。ですが、この映画に関して言えば、確かに僕は“プロジェクト”という言葉に敏感に反応したことは事実です。これが出来上がったら最後なのではなく、これが最初で、ここから始まっていく。そういう“プロジェクト”だから、僕が参加しているし、今回の説得力のあるドキュメンタリー映画を、それこそ企画書がわりにバラまくことによって、同じ興味と同じ志を持った人たちが集まって来てくれるんじゃないかな、と期待もしているんです」
今作が、93分間の映像企画書である、ということは分かった。しかし一般の観客は、完成されたこの一本の作品を、企画書としては観ないだろう。日本映画界の二人の寵児は、一般の観客に対しては、今作を通じて何を訴えようとしているのか。
奥山「こういう日本人がいた、という事実を、まずは知って欲しいんです。実際にこういう顔をし、こういう事件があり、こういう人生を送り、ということを目で見てもらえれば、日本人の血が持つ迫力とか魅力とかが、活字で読んで想像する以上に、より浮き彫りになると思うんです。まずそれを今回の映画で実感してもらうことが、次の映画、最終目的である劇映画への期待へとつながっていくんじゃないかなと」
亀山「映画作りとは、もちろん、映画を観に来ていただいた方たちに何かを感じさせる行為のことです。しかし、この“映画作り”の定義の中に、パブリシティということも含めていいなら、今回の映画の宣伝を見て、あるいは映画紹介の記事を読んで、“トウキョウ・ジョー”のことを初めて知る人、それに対して興味を持つ人が必ず出てくるはずで、そうした人が多ければ、僕らは次なるステップ、劇映画という最終ステップに、一歩前進できるかもしれません。その意味で、いい“映画作り”ができたと考えていますし、劇映画のための布石としては、今作は素晴らしい作品に仕上がったと思っています」
今日の日本映画界最高のヒットメーカーと、最大の風雲児の紐帯が生み出すであろう、ある怪人、一人の日系人マフィアの壮絶なるドラマ。それを銀幕で目撃できる日はいつになることか。続報が待たれる。
いずれにせよ、今、我々にできることは、今作『TOKYO JOE マフィアを売った男』というノンフィクションを観て、過剰なまでに映画的な人生を生きた男“トウキョウ・ジョー”の実像について知り、それがヒットメーカーと風雲児によってどう料理され、どのように華麗なフィクションに姿を変えて我々の前に饗されるかを、楽しみに待つことしかない。
(聴濤斎帆遊)
文中、一部敬称略
12月13日(土)、渋谷シネ・アミューズ、新宿バルト9ほか全国ロードショー
※渋谷シネ・アミューズは12月20日より“ヒューマントラストシネマ文化村通り”に劇場名が変わります
'08日 93分 エグゼクティブ・プロデューサー/亀山千広、奥山和由 監督/小栗謙一
公式サイトはこちらから
©2008 Tohokushinsha Film Corporation / Fuji Television Network Inc.
問題:2008年いちばん注目のハリウッド新鋭スターは?
答え:ジム・スタージェス
と、(1)からだいぶ時間がたってしまいましたが、例のジム・スタージェス君の注目作その2をご紹介します。
ご存知、ビートルズの曲と同名タイトルですが、この映画そのものが、いくつものビートルズ曲の組み合わせでできてるミュージカルなんです。
ってことは、多くの人がメロディをはじめっから知ってるってワケです。知らない曲よりは知ってる曲の方が“のれる”でしょう。敷居の低さというか、入って行きやすさというか、そこらへんが、まずこの映画の魅力のひとつ。
この映画は当初ショボく23館で公開され、そのうち面白さが評判となり、なんと964館まで拡大されたという、去年の北米興行のダークホース。
我らが文化部系ハリウッド・スターのジム・スタージェス君は、この映画の時点ではほとんど無名で、役者でもありミュージシャンでもある、という、よくいるフワっとした微妙セレブの典型だったのですが、本作をヒットさせて『ラスベガスをぶっつぶせ』の主役をゲットしたのです。日本公開はあとさきが逆になってしまいましたが。
出てる人はマイナー。公開規模も極小。でも評判が評判を呼んで大ヒット。氏もなけりゃ素性もないけど実力で天下を切り従えてやったぞザマミロ、みたいなこの手の太閤秀吉系映画は例外なく面白い!ってのは自然の法則・宇宙の摂理であります。
さて、映画の舞台は1960年代。スタージェス君はこの映画でも主役はってます。さすがは仲間を集めて自分はVo.G.を担当してる、まさしく文化部系なバンドやろうぜ兄貴だけあって、彼は歌うたわせてもスゴいんですね。
スタージェス君が演じてるのが、イギリス(しかもリバプール)から夢を追ってアメリカに渡ってきた青年ジュードです。ジュードなんです!ジュードときたら、絶対そのうち“あの曲”が流れるだろうな、と誰でも思うわけですよ。
で、アメリカの大学生マックスと意気投合。マックスのお宅にお呼ばれし、そこで彼の妹の美少女と知り合うのです。それがヒロインのルーシー。ルーシーですよ、ルーシー!“あの曲”はいつ流れるんだろうか、とういう期待感が、このミュージカルにはいっぱいあります。
で、映画のかなり後半まで待たされて、それが意外な使われ方だったりして、「ほほぅ、こうきたか!」みたいなサプライズがあったりして、実に楽しいのです!
このジュードとマックスの親友コンビがニューヨークに上京し、2人のまわりにはヒッピーみたいな連中が集まってきます。途中で萌えな妹ルーシーたんも転がり込んできて、音楽やったりアートやったり、みんなでラブ&ピースな共同生活を始めるのです。
しかし、マックスが徴兵されちゃうんですねぇ。そこから、物語は怒涛の60’sカウンター・カルチャーモードに突入!レイト60’sのフラワーチルドレン&カウンター・カルチャーまわりの事象をパロったようなシーンのテンコ盛りです。
たとえば、ケン・キージーのマジック・バスもどきみたいなのが出てきて(その偽ケン・キージーが実は“ドクター・ロバート”だという設定にニヤリ)、偽ジャニス・ジョップリンや偽ジミヘンみたいなキャラも出てきて、画面はサイケデリックに染め上げられていきます。
さらに、兄貴を兵役にとられたルーシーたんはベトナム反戦運動に身を投じ(反戦学生がデモ隊鎮圧の兵士の銃口に花を挿すお約束のシーンももちろんアリ)、コロンビア大のティーチ・インに参加。そこに警官隊が突入し って、これぞホントの「いちご白書」をもういちどじゃん!「映画がまた来る」じゃなくて、「映画がまた作られた」という意味でですけど。
戦争が人の心を荒ませ、反戦運動は過激化し、とうとう引き裂かれてしまう友人たち。このまま、愛と自由を求めた仲間たちの理想は、暗い時代に押しつぶされてしまうのか !?といったあたりの終盤が、ドラマ的には大盛り上がりに盛り上がって、たいそう感動させられます。
さてさて、この映画の楽しいとこは、ビートルズを知ってる人が「この曲をこう使ったか!」と感心しながら見れる上に、さらに60’sの知識のある人なら「あの事件をこう描いたか!」みたいなマニアな見方もできてしまう、奥の深さでしょう(いや、知らなきゃ知らないで普通に楽しめますけどね)。
このエンターテインメント・ミュージカル映画を見てるだけで、60年代末の世相をひととおり追体験できちゃうのです。そうまさしく、これは映画でめぐるマジカルでミステリーな60年代ツアーだ!と言っても過言じゃありません。
そこで、2008サマーはサマー・オブ・ラブを『アクロス・ザ・ユニバース』で追体験しよう!ってな見方を、僕としては推奨いたします(そういや、この映画が米本国で公開された去年って、サマー・オブ・ラブ40周年イヤーだったんですよね)。
ヒッピーファッションってけっこう周期的にリバイバルしていて、今では流行りすたりと無関係に定番化してますから、当時をリアルタイムで知る団塊の世代以外にも、ヒッピーファッション好きな人なんかは、この作品を特に、120%楽しみ尽くせちゃうのではないでしょうか。または、この映画を見てヒッピーファッションにハマった、なんて人も続出しそうな、それぐらいの魅力を持った作品です。
2008年マイ・ベストのトップ3に入ることは、早くも確実な情勢であります。
(編成部 飯森盛良)
8月9日(土)より渋谷アミューズCQN、シネカノン有楽町他にて全国ロードショー!
'07米 131分 監督/ジュリー・テイモア 出演/エヴァン・レイチェル・ウッド、ジム・スタージェス、ジョー・アンダーソンほか
©2007 Revolution Studios Distribution Company,LLC.All Rights Reserved.
問題:2008年いちばん注目のハリウッド新鋭スターは?
答え:ジム・スタージェス
と、言い切っちゃうのも語弊がありますが、ほんと、それぐらいの勢いなんです。
5/31に公開が迫る『ラスベガスをぶっつぶせ』。初登場&2週連続1位の全米大ヒット作です。
これに主演してるのが彼、ジム・スタージェス。ほとんどの日本人が聞いたこともない俳優だと思います。イギリス人で、アメリカ映画に進出して出演作もまだほとんどありませんから、たぶん米本国でもあまり知られてないんじゃないでしょうか。
そんな彼が先日、プロモーションのため来日したので、インタビューしてきました。すでに当チャンネルの放送でその模様の一部が流れてますが、ここで完全版をテキストに起こして収録します。
まず作品について。
「この作品は楽しいジェットコースターのような映画だけど、それだけじゃなくて、青春映画でもあり、主人公の自分探しの物語でもある。主人公たちは、平日は普通に学生生活を送っている、どっちかと言えばガリ勉系な連中なんだけど、週末ともなるとラスベガスで大金を賭けて、VIP待遇を受けてる。実際にベガスから何百万ドルも巻き上げてるんだ。そして、それが実話だってことがポイントだね」
数学がむちゃくちゃ得意な人は、ブラック・ジャックというギャンブルでカードが読める。で、スタージェス演じる主人公は数学の超天才で、同じような大学の天才たちとチームを組んでベガスで荒稼ぎする、ってストーリーです。
この行為って、イカサマじゃないんだけど限りなく黒に近いグレーで、万一バレるとカジノの用心棒にボコられる、そのスリリングなハラハラ感や、貧乏学生が豪遊セレブに大変身、みたいな展開が「ジェットコースターのよう」ということでしょう。
自分探しってのは、この半イカサマ行為がもともとは進学資金集めという目的のための手段に過ぎなかったはずなのに、あまりにも天文学的な額を稼げちゃうので、次第に手段が目的化してくるんですね。人まで変わってきちゃう。初心を貫いて進学しようか、それともこのままリッチなイカサマ師の道を突っ走るか、みたいな躊躇がドラマとして描かれてるので、ちゃんとした青春映画としても立派に成立してる娯楽作品に仕上がってます。
ちなみにご本人は、数学とかギャンブルとかってどうなんですか?
「数学は嫌いじゃないけど得意でもない。もし得意だったら今頃ベガスで荒稼ぎしてるって。ギャンブルもある程度は楽しむけどハマるってことはない。撮影が終わってからは一度もやってないよ。撮影中はずいぶんやったけどね」
とのこと。まぁギャンブルやるようなタイプには見えないけど、彼はどっからどう見ても文化部系な雰囲気なので、頭良さそうには見えます。本作で大儲けする前のアキバ系ガリ勉スタイルも板に付いてて、こういう役をすんなり演じられるイケメンってのも珍しいです。
なんとなくアキバ系を演じてる時の方が、演じるのがラクそうに見えましたけど?
「どっちがラクとは言えないね。どっちも僕自身とはかけ離れてるから。役作りは環境が助けてくれたよ。学生の格好で大学の構内で演技してる時は自然と芝居もそうなったし、ベガスで高価なアルマーニのスーツでキメてる時は、そういう気持ちに入りやすかった」
アメリカ版アキバ系も演じられる文化部風イケメン俳優。この映画を大ヒットに導き、早くもマネー・メイキング・スターの仲間入りか?これから特に注目しておいた方がいいハリウッド・スターであることは間違いないです。
ところで、この映画の試写に行く前、「ラスベガスを舞台に息詰まるポーカーの戦いが繰り広げられる」的な内容の、さるギャンブル映画を見たんです。有名ハリウッド俳優が出ている、そこそこ近年に公開されたこの映画が、年に1本あるかないか級につまらなかった 。調べたら興収的にも大コケしたそうです。
ちょっと前にそういう痛い思いをしてたので、この『ラスベガスをぶっつぶせ』も、かなり警戒してマスコミ試写を見に行きました。
何を警戒してたかと申しますと、ギャンブルの描かれ方です。
今、僕の家にはトランプってものがありません。トランプは子供の頃にババ抜きと神経衰弱をやったぐらいで、それすら今はもうルール忘れました。ポーカーとかブラック・ジャックなんて一切ルール知りません。って言うかギャンブルそのものをやりません。つまり、爪の先ほども興味関心が無いのです。
そういう人間でも楽しめるような映画作りしてるか?トランプのルールに精通してる人なんて10人中1人ぐらいだろうから、残り9人のこともちゃんと考えて作れよ?って言うかむしろ9人の方が数的に言って重要だろ。という観点から、徹底的にシビアに採点してやろうと、構えて見に行ったのです。
例の大コケしたギャンブル映画ってのは、そこらへんがまるっきりなってなかった!DVDの映像特典で、監督が「ギャンブルを知らない人でも楽しめる映画になったと思うよ」としゃあしゃあと自画自賛してましたけど、いや、なってないし!話に全然ついてけません。
『ラスベガスをぶっつぶせ』は、この点が実にお見事。これから本作を見ようという人で、しかもギャンブルをやらない人は、どうやって何も知らない自分をこの映画が楽しませてくれるのか、ぜひ映画の作りを意識しながらご覧ください。1人でも多くのお客に、より高い満足度を与える、という崇高なる使命を担ったエンターテインメント映画の、これぞ正しい作られ方です。いやはや感服つかまつりました!
最後に、あともう1本、ジム・スタージェス主演のヒット作が日本で公開されます。それについては続きの(2)で。
(飯森盛良)
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
5月31日(土)より有楽座ほか全国ロードショー
4月24日の晩、日比谷スカラ座にて開催された『ランボー 最後の戦場』の完成披露試写に赴いた。ランボー、実に20年ぶりのシリーズ新作である。
第1作は、映画史に残る社会派アクションの傑作であった。2作3作は、ランボー1人で何百という敵を片っ端から斃す、純然たる戦争娯楽アクションに転じたが、これはこれで(特に個人的には2作目が)、その痛快さを存分に楽しむことが出来た。
では、この4作目はどうか。
ストーリーは前の2作と何ら違いは無い。アメリカ国民が敵性国家の軍隊に捕らわれ、ランボーが多勢に無勢を覚悟の上で、救出のため敵地に乗り込み大暴れする、というものだ。
前作と違うのは、今作がR-15指定を受けた点だ。
映倫によると「村民の虐殺、女・子供への暴力といじめ、戦闘中の首・腹など肉体的損壊の描写の頻度が多く、15歳未満の観賞には不適切ですのでR-15に指定しました」とのことである。
「村民の虐殺」、「女・子供への暴力といじめ」は、今作における“敵”であるミャンマー軍が、反政府少数民族を弾圧する場面において描かれる。そして、それは到底「いじめ」などという生中なレベルのものではない。
過去の『ランボー』シリーズでは描かれたことのない戦場の阿鼻叫喚の実態を、シリーズ作品で初めて自らメガホンをとったスタローン監督は、手加減なしに描き切っている。
ミャンマー兵は、火を放った民家に幼児を生きたまま投げ込む。小学生くらいの少年の腹に銃剣を突き立てて殺す。蛮刀で村民の腕を断ち、首を刎ね、刎ねた首を串刺しにして見せしめとし、腐乱するに任せる。それら全てが、スクリーンに映し出されるのだ。ここまでくると、もはやスナッフ映画と言ってもいい。
そして、少数民族を支援しようと現地入りしたアメリカのキリスト教ボランティア団体がミャンマー軍に拉致され、ランボーは救出のため軍の基地に潜入。生存者を連れて脱出する。追撃するミャンマー軍。ランボーが反撃に出る。その反撃もまた酸鼻を極める。
ランボーは敵に向け重機関銃を掃射する。シリーズ前作にもあった、ファンには懐かしくもお馴染みのシーンである。前作では撃たれた敵がバタバタと斃れていった。その映像に、悲惨さは無かった。
しかし今作では違う。バタバタ斃れるのではない。大口径の銃弾を浴びた敵兵の身体は、ベトベトの粘っこい碧血と肉片を周囲に撒き散らしながら、四散する。頭がもげ、足は砕け、体はちぎれ、生命活動を停止した単なるモノ、肉塊と化して、重量感を持ってドサリと地面に崩れ落ちる。
今作『ランボー 最後の戦場』では、前2作のような痛快でお気楽な戦争アクションを心待ちにしている向きの期待を、良くも悪くも大きに裏切る、凄まじい地獄絵図が次から次へと繰り広げられるのである。
『ランボー』がスクリーンから遠ざかっていたこの20年間で、戦争映画も様変わりした。痛快さとは程遠いリアルな戦場の臨場感と、目を覆わんばかりの悲惨さを、ありありと再現してみせた作品群。1998年の『プライベート・ライアン』や2001年の『ブラックホーク・ダウン』といったそれらの作品は、戦争映画にアクション・ゲームの観点を盛り込んだ『ランボー』へのアンチテーゼであったかもしれない。
今作は、かつて『ランボー3 怒りのアフガン』で戦車と攻撃ヘリのチキン・レースを演じていたジョン・ランボーからの、それら作品群に対する真摯な回答である。
だが、それだけではない。この20年で変わったのは戦争映画の描かれ方だけではない。我々自身の目もまた、大きく変わってしまっているのだ。
今作『ランボー 最後の戦場』で無辜の民を虐殺する軍隊の姿は、ともすれば我々観客には荒唐無稽に映る。描写があまりに極端すぎるため、リアリティが感じられないのだ。軍にとって、かくまで残忍に、嗜虐的に自国民を殺戮する意味が無いではないか。
しかし、リアリティが感じられないほど極端な凄惨さこそ、実は紛争地帯におけるリアルそのものに他ならないのだ。
スタローン監督は言う、「この映画で描かれる残酷な行為もリサーチに基づいた事実だ。これは暴力を見せるためのものではなく、事実に基づいた映像なんだ」と。
我々はその言葉が嘘ではないだろうとことに気付いている。この20年の間、軍隊が嬉々として無辜の民を虐殺して回る忌むべき事件が、世界中で発生した。我々は、それを覚えているではないか。
1991年からのユーゴ紛争におけるレイシャル・クレンジング、ルワンダ紛争における1994年のジェノサイド、そして、現在進行中のダルフール紛争 。
イデオロギーの優劣を決めるという、少なくとも当事者間では大いに意味ある戦いであった東西冷戦が終結した後、世界では、意味の無い、純粋な憎悪によって引き起こされる民族紛争が頻発した。
これらの紛争において、軍隊が、無辜の民衆を、無意味に、嬉々として、思いつく限りの残酷な方法を用いて、殺して回ったという事実。今回、スタローン監督が描いているのが、まさにそれである。
そう、この20年で変わったのは戦争映画だけではないのだ。次々と起こる現実の戦争の悲惨なニュースに触れ、何より我々自身の目が変わってしまったのである。我々は不幸にも、もう戦争映画を痛快なアクション・ゲーム感覚では楽しめない時代に生きている。スタローンがそんな我々に向けて自身の代表作『ランボー』を改めて見せるなら、前作のような戦争エンタテインメントではなく、今回のような映画になることは、必然であったのだろう。
(聴濤斎帆遊)
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