文/石川三千花
私にとって、90年代の映画シーンを語るときに忘れられないのは、94年にスタートした映画情報番組『シネマ通信』(テレビ東京)で毎週、新作映画をイラストで批評する仕事をしていたことだ。
最初に番組制作のプロデューサーから依頼があったときには、新作映画を星取りのような形で批評をして欲しい、と言われたのだが、私はちょうどマガジンハウスから初めての著書『顔が掟だ!』を出版したばかりで、映画の試写室にも出入りするようになり、イラストと映画評の2本立ての仕事などもするようになっていたから、新番組の『シネマ通信』ではイラストを描かせて欲しいとお願いしたのだ。単行本の初出版が嬉しくて、私の気分としては調子ぶっこきな状態だったのかもしれない。私の要望が通り、イラストを描く運びになったのだが、1枚の紙に描いたそれをテレビでどのように扱うのか、自分でもオンエアまでまったく知らなかった。初めてテレビで『勝手にシネマ』(私のオールタイム・ベスト映画『勝手にしやがれ』から命名)とタイトルされたそれを見たときには、ただ舐めるように平面のイラストをカメラで映し、時折、部分的にズームアップするだけのミョーにローテクなカメラワークが、容赦なく言いたい放題な書き文字とイラストの存在感を出して、かえって面白く感じたものだ。
思えば、今のようなネット時代に、あれだけ自由に自分が感じたままをきたんなく表現したら“炎上”となってしまうことだろう。制作サイドからは、私が取り上げる作品の選択からイラスト評の表現まで、すべて自由にさせていただいた。実にのびのびと、一映画ファンの視線を失わずに、だけどその表現のテクニックはプロの仕事となるように、という私の方針を実現することができたのだ。
2週間分のイラストをまとめて提出する締め切りはキビシかったが、『シネマ通信』に私のごひいきのスターがゲストで出演する際には、イラストを持ってインタビューを行う、という特典が時折あった。最初に番組でインタビューした相手は、ビッグもビッグ、超ビッグなロバート・デ・ニーロだった。94年にデ・ニーロの初監督作品『ブロンクス物語』のプロモーションで来日した彼に、でたらめな英語しかしゃべれない私がインタビューだなんて、神をも恐れぬ行為だが、もっとすごいのはたいした打ち合わせもせず、いきなり本番だったことだ。これは『勝手にシネマ』の本にも書いたことだが、本番前に緊張で顔面がばきばきになっていた私が、スタジオに現れたデ・ニーロの紺ジャケットの肩にフケを発見して、「あら〜、デ・ニーロもフケが出るんだ。」なんて訳のわからぬ感心をしていたら、緊張がほどけたのだった。生デ・ニーロが「ニッ」っと笑ったときに『未来世紀ブラジル』の笑顔とおんなじだ!と感動したのを今でも覚えている。
その年の10月、当時の私が「生きててよかった!」と思えるインタビューが『シネマ通信』であった。デビューした頃のまぬけキャラな時代から好きだったキアヌ・リーブスが、ついに『スピード』で彼の代表作といえる作品の主役を張り、来日したのだ。いや〜、この頃のキアヌはほんとにさわやか青年だった。ネクタイなんかして、見違えるほどこぎれいだった。92年に『ドラキュラ』で初来日したときは、配給会社の宣伝の人が、私がキアヌのファンだというと「なんで、あんなのがいいんですか。赤ら顔のばかですよ」とドカンとストレートにいったものだ。なんでも、『ドラキュラ』のプロモーションで記者会見もあるのに、彼はスーツひとつ持って来なくて、泥のついたドタ靴で来日したものだから、慌ててスーツを買いに宣伝の人が走ったということだった。バイク野郎でバンドもんのキアヌですもの、そういう飾らないというか、こじゃれないというか、ありのままのキアヌの良さが浸透していなかったのね。
その後も、ニコラス・ケイジ、ジョニー・デップ、ジム・ジャームッシュ監督、ティム・バートン監督、ジョン・ウォーターズ監督などのスターや監督に単独インタビューや、“らくがお”というスター自らの写真にいたずら描きをする遊びなど、随分とおおらかにスターとの時間をさいてもらった。今のように、スターがプライヴェートジェット機で来日して、滞在が1、2日で、取材時間は各社5分、などというビジネスライクなものではなかったのだ。ジム・ジャームッシュ監督が『デッドマン』で95年に来日した際には、番組のスタッフは監督の好きそうな新橋駅付近の場末な雰囲気の喫茶店に連れ出して、そこでインタビューを行った。せかされることもなく、じっくりと監督の話を聞いてオンエアできる、制作側も映画ファンにとってもなんともうれしい番組作りだった。
90年代の映画で最もヒットした話題作といえば、97年の『タイタニック』だろう。なんとこの超大作を、世界で一番早くその年の東京映画祭でプレミア上映されるとあって、監督のジェームズ・キャメロンや主演のレオナルド・ディカプリオが来日した。『ボーイズ・ライフ』や『ギルバート・グレイプ』でいきなり本能的にうまい演技をして私たちをうならせたレオを、幸運なことに『シネマ通信』でインタビューするという役得なチャンスが訪れた。今のおっさん体型なレオと違って、当時の彼は22、3歳だと思うが、やせっぽっちの童顔で10代の男の子にしか見えず、いっしょに“らくがお”を番組でしたのだが、えらく気に入った様子で終りの時間がきても、もう1枚描かせてくれとのりのりだった。映画の中では、あんなに感情表現豊かにプロの仕事を見せる彼なのに、素顔はすれた様子がひとつもない少年のようなレオであった。
それから、『シネマ通信』のタイトル場面には、QTことクエンティン・タランティーノ監督の傑作『パルプ・フィクション』の主人公、ジョン・トラボルタとユマ・サーマンのイラストを描いた。2人がクラブレストランのステージみたいなところで、おもむろに靴を脱ぎ捨ててクールに踊るシーンのわくわく感!あれをイラストで「単純」に表現した。現代のCG技術でなめらか〜に動くような映像ではなく、紙芝居が動くような手作り感。たしか、イラストを動かすために、トラボルタもユマも各3枚しかイラストは描いてないはずだ。92年に『レザボア・ドッグス』でバイオレンスと無駄しゃべり、という強烈なインパクトを持ったデビュー作で映画界に出現したタランティーノ監督。彼の作品にやられっぱなしの私にとって、90年代の映画のベストシーンだと思われる『パルプ・フィクション』の名コンビのダンスが『シネマ通信』のイメージとなったのは、うれしい限りだった。
石川三千花
イラストレーター&エッセイスト。パリ留学後、テレビ東京『シネマ通信』のイラスト評で人気を博す。映画、ファッションについて独自の視点からイラスト+エッセイを展開。
著書に『石川三千花の勝手にシネマ』、『勝手にオスカー』など多数。
『SPUR』誌でセレブねたの連載の他、ニューヨーカーマガジンやJTのWebサイトで映画のコラムを執筆。