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コラム「ベルイマンが奏でる“希望”という名の音楽」

ベルイマン監督が描いてきた人間の根源的な感情。
その中でも、「愛と孤独」そして「希望」というテーマは作品の中に深く根ざしたものである。
映画評論家、ロック評論家でもある樋口泰人氏が、独自の切り口でこのテーマについて語る。

長続きしているロックバンドは、だからといってみんな仲良しであるわけではない。例えばローリングストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズの微妙な関係は誰もが知るところだし、オアシスのギャラガー兄弟の例もある(こちらはついに解散してしまったが)。逆に長続きするバンドが少ないのも、皆がいつまでも仲良しでいられないからだろう。

イングマール・ベルイマンの映画を観ながらロックバンドのことに思いを馳せるのもどうかと思うが、ベルイマンの映画に描かれる夫婦や友人たちとの関係を、バンド内の関係と置き換えてみればいい。愛とは音楽のことであると、そんな風に見えて来ないだろうか。

例えば『秋のソナタ』のイングリッド・バーグマン扮するピアニスト。彼女はバンドではなくソロ演奏者なのだが、映画の中での彼女の告白によると、長年の友人であるオーケストラの指揮者からピアニストを辞めて家庭に戻った方が良いと言われたことがトラウマになっているという。若き日の、ふたりの奇跡的なコラボレーションによる演奏はもはや取り戻し得ないことを、指揮者は彼女に語ったのだった。

もちろんそのことは彼女の演奏能力の限界を意味しているわけではない。彼女は指揮者ともうまくいかず家族ともうまくいかず、たったひとりで音楽との関係を続けていくことになるわけだ。バンドではなく音楽=愛と直接コンタクトすることで、彼女の音楽=愛は再び花開いていく。しかしそれでもバンドがうまくいくわけではないというのがこの映画の物語なのだが、そのことの呆れるようなやるせなさがベルイマンの映画では繰り返し語られていく。

『秋のソナタ』

『秋のソナタ』

『ある結婚の風景』

『ある結婚の風景』

『秋のソナタ』に限らない。『ある結婚の風景』もそんな夫婦というバンドの物語だし、『冬の光』の中年の牧師を巡る人間関係の寒々しさや、『野いちご』の老医師とその息子の嫁の抱える苦悩もすべて、バンドの抱える苦悩と寒々しさと言うことができる。そこでは誰も、どんなに裕福な暮らしをしていても満足な人生を送れていない。人間関係はどこまでもぎこちなくささくれ立って、しかも例えば何かを成し遂げるために、というような共通の目標があるわけでもない。それを孤独と呼んでいいのかどうかもよくわからないほどに、彼らの人生は絶望的にたったひとりである。

そしてだからこそ彼らは家族を欲する。欲すれば欲するほどうまくいかず、自らの立場を危うくしていく。バンドも家族もうまくいくはずがない。そんな結論だけが、そこからは強く浮かび上がる。それらがほんとうにうんざりするくらい繰り返し語られて、観ているうちにこんな人生なら生きていなくても良いと思い始めるほど人生に幻滅を覚えることになる。

しかしどうしてベルイマンの映画の厳しさや悲しさによって人生への幻滅を感じるのかと言えば、それは私たちの現実の人生がその可能性を大いに孕んでいるからに他ならない。普段はそれに気づかないフリをして何とか楽しく賑やかにこの人生を生きていることを、ベルイマンの映画は否応なく気づかせてしまうのである。生きていても楽しいことがあるとは限らない、いや、それどころかもしかすると誰とも仲良くなれないし、だから共同生活などもってのほか、「婚活」などという言葉でいたずらに結婚を勧め家族の大切さを強要する日本社会の今に、ベルイマンの映画は決定的な異議を唱えているように思う。

もちろん結婚や家族との暮らしに反対しているわけではない。そこに何か明るい未来があることや、もしかするとあるかもしれない明るい未来に向かって共に同じ道を歩もうとすることへの異議と言ったらいいだろうか。結婚はする。しかしうまくいくわけではない。別れる。そして再び結婚する。もちろんうまくいくわけではない。その繰り返しの中で、さまざまな記憶が生まれ、その記憶と現実とが混ざり合い、現実はますます混乱するばかりである。歳をとるほどにその混乱は強くなり、その混乱こそが現実となる。

『冬の光』

『冬の光』

『野いちご』

『野いちご』

そこからが本当の人生である。ベルイマンの映画の晩年の充実は、そんな妄想を抱かせる。夫婦で仲良く共同生活を送ることや皆で同じものを目指し協力し合うことはヒヨッコのやることだ。そんなことがうまくいくはずがない。そのうまくいかなさをいやというほど繰り返し繰り返しどうにも行き場が無くなって人生は混乱を極め信ずるものも定かではなくなり、そこで初めて何かが始まるのだとベルイマンの映画は語り続ける。

つまりそれは幻滅の映画ではなく希望の映画である。すべてこの幻滅から始まるのだ、それでいいのだ、誰もが同じものを見て同じ希望を抱くことはない、分かり合えないひとりひとりの人間がそこにいて、そのざらついたコミュニケーションの中で時々同じ夢を見ることもある。それでいいのだ。そこに生まれる幽かな希望のことを、ベルイマンは「冬の光」と呼ぶだろう。

後期のベルイマン作品の中で印象的なのは、タイプライターやピアノに向き合う主人公たちの姿である。もはや他人と向き合うことはなく、キーボードによって音が奏でられ、あるいは物語が語られる何かに向き合う彼らの姿。それは彼らにとっての慰めとしてあるのではなく、どうしようもなく分かり合えない他者との関係の途方もない断絶とともにある、その断絶を確認するための儀式でもあるだろう。だからこそその音は美しいのだと、ベルイマンの映画は語る。愛は愛し合うことから生まれるのではなく、分かり合えないことから生まれるのだ。

誰もが同じ価値観と基準を持つことをよしとする均一化された社会がどこかで目指されている今、ベルイマンの映画の陰鬱で刺々しい言葉の数々は、その孤独で重い響きとは全く逆の、長閑で明るい音楽を奏でることになるだろう。愛とはそういうものだ。

樋口泰人(ひぐち やすひと)

樋口泰人(ひぐち やすひと)

映画評論家、boid主宰。ビデオ、単行本、CDなどを製作・発売するレーベル「boid」を98年に設立。04年から、東京・吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画。さまざまなジャンルの映画を爆音上映してきた。08年より「爆音映画祭」を開始。批評集『映画は爆音でささやく』(boid)も発売中。その他の著書に『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)など。活動の詳細はwww.facebook.com/boid.netにて。

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リヴ&イングマール ある愛の風景 12.7(土)公開
「不良少女モニカ[HDデジタルリマスター版]」©1953 AB Svensk Filmindustri Stills Photographer: Louis Huch/「冬の光[HDデジタルリマスター版]」©1963 AB Svensk Filmindustri/「第七の封印[HDデジタルリマスター版]」© 1957 AB Svensk Filmindustri/「野いちご」©1957 AB Svensk Filmindustri/「処女の泉[HDデジタルリマスター版]」©1960 AB Svensk Filmindustri/「ある結婚の風景[HDデジタルリマスター版]」©1973 AB Svensk Filmindustri/「夏の夜は三たび微笑む[HDデジタルリマスター版]」/「女はそれを待っている」©1958 Folkets Hus och Parker. All Rights Reserved/「秋のソナタ[HDデジタルリマスター版]」
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