1980年代以降の映画マニアたちを挙って少年へと回帰させるのがジョゼッペ・トルナトーレだとしたら、一世代前のノスタルジーを掻き立てたのがロベール・アンリコ。各々の代表作『ニュー・シネマ・パラダイス』(89)と『追想』(75)にフィリップ・ノワレが出演しているのは単なる偶然だと思うが。

 ロベール・アンリコにはもう1本、忘れがたい作品がある。『冒険者たち』(67)だ。同じ映画業界に身を置く筆者の先輩はかつて、友達を吟味する時に『冒険者たち』が好きか嫌いかをリトマス紙代わりにすると言っていた。夢破れた男たちが宝探しに興じた結果、物悲しい結末を迎えるという、言うなれば他愛のない、文字通り夢見たがり屋たちのための寓話を、正直に愛せるかどうか?それは確かに、映画を語る上で、親しく付き合う上で重要な価値基準だったのかも知れない。

 セザール賞作品賞に輝いた『追想』や『冒険者たち』に比べると、同じアンリコ作品でもなぜか知名度で劣るのが『ラムの大通り』である。今以てあまり多くの資料が残っていないのが不思議なくらいだ。主演は『冒険者たち』でアンリコと共に夢を体現して、当時フランス映画界を代表する人気俳優だったリノ・ヴァンチュラだし、相手役はやはり当時、"フランスのマリリン・モンロー"と謳われたセックスシンボルでありながら、そのディーバぶりが作品の評価を超えて話題を撒いていたキャリア末期のBBことブリジット・バルドーであるにも関わらず。実際、BBはこの2年後、映画界を引退してしまう。

 作品の説明に入る前に、もう少しヴァンチュラとBBについて語ってみたい。撮影に入るといつも演技に対する自信のなさから不機嫌になり、トレーラーに籠もってしまうことが多かったというヴァンチュラは、特にラブシーンが苦手だったと言われる。『ラムの大通り』のオファーを受けた際、アンリコにラブシーン拒否を宣言したほどだ。方や、BBは当然ながらヌードとラブシーン抜きには語れない女優であった。まして彼女には、前作の『パリは気まぐれ』(70)で監督とソリが合わず、今で言うところのクリエイティビティの違いから、監督交代劇にまで発展するという前科があった。

 ところが、予想に反し、BBは男たち2人を味方に付けてしまう。クランクイン当初はヴァンチュラの風貌と頑固な性格がかつて『可愛い悪魔』(58)で共演したジャン・ギャバンに似ていることから敬遠気味だったBBだが、撮影中、頻繁に食事を共にすることでヴァンチュラの警戒心を和らげることに成功する。つまり、映画のヒロイン、リンダ役は、彼女にとってそこまでするに足る魅力的なキャラクターだったのだ。またアンリコにとってBBは、『冒険者たち』のヒロイン、ジョアンナ・シムカスと同じく、夢を追い続ける男たちのアイコンとして、是が非でも欲しい存在だったに違いない。

 夢の象徴に生々しさは不釣り合いだ。劇中でラブシーンと呼べるのは、リンダがヴァンチュラ扮する主人公コルニーのほっぺにキスの雨を降らせる場面くらい。深い仲になる2人は一夜を共にするが、それすら"中抜き"で翌朝のシーンへとすっ飛ばしている。それはラブシーン恐怖症だったヴァンチュラの意向であり、同時に、セックスシンボルでありながら、あからさまな性描写の反乱に辟易し、すでに女優引退を考えていたBBのポリシーに沿ったものでもあった。こうして、出会うべくして出会ったヴァンチュラ×BB×アンリコの3人は終始友好的な関係をキープし続ける。まるで夢に賭け、弾けた『冒険者たち』のヴァンチュラ×シムカス×アラン・ドロンのように。

 さて、物語の舞台はアメリカに禁酒法が敷かれていた1920年代。カリブ海にはジャマイカからニューオリンズへのラム酒密売ルート、通称"ラムの大通り"があり、密輸船の船長、コルニーは沿岸警備隊の銃撃を浴びて船を失い、命からがら海岸に漂着。酒場の主人に勧められて闇撃ちゲームの標的になって手にした大金を元手に、新しく船を買い、船長となって復活したある日、偶然立ち寄ったジャマイカ、キングストンの映画館で観た『恋する女豹』のヒロイン、リンダに一目惚れ。密輸稼業を続ける傍ら、今度はパナマの映画館でリンダと再会する。それは何かの予兆だったのか、やがて、コルニーはビーチを優雅に闊歩するリアル=リンダと遭遇。夢中で銀幕の彼女に恋した経緯を説明した後、必然的に2人は愛し合う仲になって行く。

 展開する密造酒絡みのカリビアン・クルーズは、格段スリリングでもなく、ひたすら男たちの"海愛"が波間にゆらゆらと漂うのみ。一緒に揺れていると、ついつい観ている方もラム酒とは行かなくても久しぶりにバーボンかウィスキーに手が伸びてしまいそう。それも景気づけのストレートで。真っ暗がりの中で幾度となく銃声が響く闇撃ちゲーム、バーのカウンターで始まる一気飲み大会、殴り合い、決闘と、繰り出されるアイテムは男の夢と願望のオンパレードだ。飛行機、レーシンクカー、トレジャーハントだった『冒険者たち』と同じく、アンリコの"海愛"と"男愛"は『ラムの大通り』でも踏襲されている。

 女の立ち位置にしてもそう。『冒険者たち』でヴァンチュラとドロンは宝探しと引き換えに失ったレティシア(シムカス)の遺体を海に沈め、『追想』でノワレが着手するリベンジは愛しい妻(ロミー・シュナイダー)をナチスに惨殺されたことから始まる。アンリコ映画では男が主人公ではあるけれど、物語の起点になっているのは常に女性なのだ。逆に言えば、女性は男の物語を物語るためのツールに過ぎないとも言える。その最たるものが『ラムの大通り』のリンダだ。スクリーンから現実へと飛び出してきた彼女は、荒くれ男コルニーを激しく虜にするけれど、彼の心は海に置いてきたままだ。結婚式のシーンでBBが生声で歌う主題歌"ラムランナーの歌"(作曲は全曲、口笛をフィーチャーした『冒険者たち』他アンリコ作品ではお馴染みのフランソワ・ド・ルーベ)には、そんなリンダの切ない気持ちが表現されている。『男は海に恋している。そして、そして、私は。。。』と歌った直後、リンダは突如泣き崩れてその手で顔を覆うのだ。

 それでも、BBにとってこれは女優人生の最後を飾るに相応しいメモリアルな1作である。なぜなら、アンリコは彼女に非現実(映画)と現実の間を渡り歩く、男の夢以上に尊いはずの映画の夢を託しているのだから。監督の願いに応え、アニマル柄のビキニからアールデコの代表的アイテムであるフラッパーガール、マリンルック、西部劇風ドレス、そして、純白のウェディングドレスと次々着替えて、ジャンル映画の数々をコスチュームで辿って見せるBBは、全編を通して実に生き生きとしている。今は動物愛護活動に忙しい彼女だが、その女優としての残像は人々の記憶に強く刻まれたままだ。

 フランス映画界でBBに匹敵する、またはそれ以上の存在となったカトリーヌ・ドヌーブはかつて、『BBより人気のある女優はこれからもたくさん出てくるかも知れないけれど、BBに取って代わることは誰にも出来ない』と明言したことがある。まさに言い得て妙。今宵は『ラムの大通り』を肴に、男のロマンと映画のノスタルジーとブリジット・バルドーに酔いしれてみてはいかがだろうか?■

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