■2時間以上も拡張されたヴェンダースの野心作

 ヴィム・ヴェンダースが1991年に発表した映画『夢の涯てまでも』は、9か国・20都市をめぐる広範囲なロケに加え、壮大なSF的発想と2年にわたる長期撮影、そして製作費2300万ドルが投入された、アートハウスの作家映画としては破格の製作規模を持つ作品である。しかし編集に関しては監督の思い通りにはならず、上映時間の妥協を余儀なくされ、その判断は興行成績や評価に影響を与えてしまった。

 本稿で詳述する『夢の涯てまでも ディレクターズカット版』は、ランニングタイムが4時間47分と劇場初公開時より2時間以上も長くなり、内容も大幅に拡張されている。これからご覧になるという方には早計な配慮かもしれないが、以下『劇場公開版』と今回の『ディレクターズカット版』の違いをおおまかに記しておきたい。

 基本的に『劇場公開版』と『ディレクターズカット版』で物語に大きな変更は生じていないが、内容を理解するうえで必要な描写が、前者は後者からばっさりと切り落とされているのが分かる。なんせ序盤からして、主人公クレア(ソルヴェーグ・ドマルタン)の元恋人ユージーン(サム・ニール)が、なぜこの作品の語り部であるのかを記す登場場面がカットされているし、クレアの長い旅のきっかけとなる現金輸送も、依頼主であるチコ(チック・オルテガ)とレイモン(エディ・ミッチェル)のキャラクター描写が大幅に削られてしまっている。またクレアの親友である日系人マキコなど、彼女に関わりを持つ主要人物が丸ごといなくなっており、そのため『劇場公開版』は不足する要素をナレーションで補わねばならず、ヴェンダース自身が「ダイジェスト版だ」と言ったのも大いに納得がいく。

 また物語の中盤にある日本パートでも、トレヴァー=サム(ウィリアム・ハート)が滞在先の箱根で森(笠智衆)老人に目を治してもらう場面が『劇場公開版』では簡略化され、目の治癒は後半の布石でありながら印象の薄いエピソードになっているし、彼とクレアが世界各地を駆け巡るセクションと、後半部のオーストラリアにおけるドリームマシン開発のセクションは、『ディレクターズカット版』では均等化されてバランスを保っているものの、『劇場公開版』は前半部に時間を割いたため、後半部の未消化を招いている。特にサムと父ヘンリー(マックス・フォン・シドー)の確執と和解は、この映画におけるドラマチックな要素のひとつだが、『劇場公開版』の急ぎ足な展開はそれを損ね、加えてドリームマシンが生み出す夢のシーンが少ないのも、作品の魅力を低減させてしまっている。当時NHKの協力を経て、ハイビジョン合成を駆使して創り出された夢の映像はこの映画の大きな話題だったが、今回の『ディレクターズカット版』ではそれが復活しており、作品の独自性とアートスタイルがいっそう高まっている。

 結果として『ディレクターズカット版』は、全体の大幅な肉付けによって物語のニュアンスも大きく変わり、加えて不明瞭だった展開や登場人物の行動の真意に、観る者の理解が及ぶよう配慮されている。特にクレアがサムと旅路を共にする複雑な感情は、ユージーンとの恋愛関係が動機づけられていることで理解できるし、また都市から都市へのディテールを増した移動描写によって、旅情性が強く感じられるものになっている。これこそ『都会のアリス』(73)や『パリ、テキサス』(84)など、ロードムービーの名手として知られたヴェンダースの真髄といって相違ないだろう。


■『夢の涯てまでも』さまざまなヴァージョン違い

 もともとヴェンダースはアメリカの配給元であるワーナー・ブラザースとの契約上、『夢の涯てまでも』を2時間30分で完成させなければならない義務を負っていた。だが編集作業の時点で、規定の上映時間内に収めることは不可能だと認識。さらに作品を完成へと進めていく過程において、彼は映画にもっと長い時間が必要だと気づき、プロデューサーにランニングタイムを拡大するよう請願する。しかし、契約条件がくつがえされることはなかった。

 そこでヴェンダースは長年のお抱え編集者であるピーター・プリゴッダに協力してもらい、自分で管理していたスーパー35mmのオリジナルネガからマスターポジを作り、それを基に約20時間の長さに及ぶ粗編集の【ワークプリント版】を制作。そこからさらに2部作・計8時間の構成へと整え、ヴェンダースは再度プロデューサーに掛け合い『夢の涯てまでも』を2本の映画としてリリースするよう依頼したのだ。残念ながらそのアイデアも却下され、監督は自分の方法でロングバージョンを世に出すことにしたのである。さらにこの8時間のものはさらに6時間へと縮められ、この【6時間版】とスクリプトを元に書かれたノヴェライズが日本で出版された。

 結局、ワーナーを配給とする【米劇場公開版】は2時間38分の上映時間となり、1991年9月12日にアメリカで公開。いっぽうでドイツやフランスなどの非英語圏では、ヴェンダースが6時間版を2時間59分に刈り込んだ【ヨーロッパ公開版】が上映された。日本では91年10月に開催された第4回東京国際映画祭でヨーロッパ公開版がクロージング上映されたのだが、翌年に一般公開されたときは米劇場公開版だったため、「映画が短縮されている」と不満を抱く者も少なくなかった。こうしたユーザーの声に応じる形で、93年11月にヨーロッパ公開版が『夢の涯てまでも ディレクターズ・カット版』と題して国内限定公開され、翌年の94年4月25日にパイオニアLDCが同バージョンを『夢の涯てまでも〈特別版〉』と銘打ち、LDソフトをリリース。それは日本でしか発売されなかったこともあり、海外のファンがこぞって求め、本作の再評価をうながす一助となった。

 結局、ヴェンダースは劇場公開から2年後、改めて『夢の涯てまでも』の長時間バージョンに着手。ランニングタイムは5時間に設定され、テレビ放送のミニシリーズを想定し、三部に切り分けられた。この【5時間版】は1994年7月に英ロンドンのナショナル・フィルム・シアターで上映され、ヴェンダースは劇場でのティーチインに参加。その後、1996年12月には米ワシントン大学で、また5年後の2001年1月にアメリカン・シネマテークで上映がおこなわれ、4年後の2005年にはドイツを皮切りに、イタリア、フランスなどワーナーが権利を持つアメリカ以外でDVD化された。


■そして決定バージョン『ディレクターズカット版』へ

 やがて時代は デジタルで旧作を鮮明な画像・音質で蘇らせる隆盛を迎えた。2014年、ヴェンダースはフランス国立映画センター(CNC)支援のもと、自らの財団において自作のレストアを意欲的におこなっていく。そして翌年の2015年、ついに『夢の涯てまでも』の最終形態ともいえる『夢の涯てまでも ディレクターズカット版』を制作。ランニングタイムは4時間47分で、上記の3部作構成からインターミッションを挟んだ2部構成へと戻されている。特筆すべきは画質と音質の向上で、『ディレクターズカット版』はベルリンのフィルムラボ「ARRI Film&TVServices」にあるオリジナルカメラネガからARRISCANフィルムスキャナーを介して4K解像度で作成され、入念な復元作業がほどこされた。音声も元の35mm磁気トラックからリマスターされ、そのすべての工程をヴェンダースが承認したものだ。

 この『ディレクターズカット版』は同年「ヴィム・ヴェンダース回顧展」の一環としてニューヨーク近代美術館で初公開され、4年後の2019年12月には米クライテリオン・コレクションからブルーレイとDVDでソフトリリースされた。そして日本では、映画専門チャンネル「ザ・シネマ」での放送と、同社配信サービス「ザ・シネマメンバーズ」でようやく視聴が可能となった。ちなみにこの『ディレクターズカット版』ではインターミッションが取り払われ、一本の長大な作品としてまとめられている。劇中、クレアが長い旅を経て自分の物語を終わらせたように、ヴェンダースのヴァージョン違いをめぐる格闘の歴史もまた、長い時をかけて完結を迎えたのだ。■

『夢の涯てまでも 【ディレクターズカット版】』© 1994 ROAD MOVIES GMBH – ARGOS FILMS © 2015 WIM WENDERS STIFTUNG – ARGOS FILMS