2026/06/03

『別れる決心』パク・チャヌク、必殺のズーム

2026年上半期はパク・チャヌクの名前を目にすることが多かった。
3年ぶりとなる新作『しあわせな選択』が3月に日本で公開されたかと思えば、前作『別れる決心』で監督賞を受賞したカンヌ国際映画祭では、本年度のコンペティション部門の審査員長に抜擢された。

名実ともに世界を代表する映画監督としての地位を確立したパク・チャヌク監督作品から想起される要素といえば、やはりバイオレンスと性描写。しかし、それが顕著に確認されるのは『お嬢さん』までであって、次作『別れる決心』は直接的な暴力と性描写が排除され、精神的な官能サスペンス作品に仕上がっている。他にも彼を名匠たらしめる要素はいくつもあるが、 今回は『JSA』から脈々と受け継がれるパク・チャヌクのエッセンスのなかから、観客を掴んで離さない「ズーム」という手法について、『別れる決心』を中心に思う存分に語ってみたい。

【別れる決心 あらすじ】
男が山頂から転落死した事件を追う刑事ヘジュンと、被害者の妻ソレは捜査中に出会った。取り調べが進む中で、お互いの視線は交差し、それぞれの胸に言葉にならない感情が湧き上がってくる。いつしかヘジュンはソレに惹かれ、彼女もまたヘジュンに特別な想いを抱き始める。やがて捜査の糸口が見つかり、事件は解決したかに思えた。しかし、それは相手への想いと疑惑が渦巻く“愛の迷路”のはじまりだった…。

【監督・脚本】パク・チャヌク
【出演】パク・ヘイル、タン・ウェイ、イ・ジョンヒョン、コ・ギョンピョほか

まず、チャヌク監督は出世作『JSA』ですでに印象的なズームアウトを使用している。それは、共同警備区域での射殺事件への関与を疑われたイ・ビョンホン演じる主人公スヒョクが、同じく事件の現場に居合わせた弟分とも言える後輩の飛び降り自殺を、取調室の中から目撃するシーンだ。事件のあらましを話さず口をつぐんでいたスヒョクだが、窓の外で落ちていく後輩と目が合った瞬間、呆気に取られたような表情をする。カメラはその表情をアップで捉え、やにわにズームアウトしてスヒョクを映す。事件の全貌が見えずスローペースで進んでいた物語にとって、また何より感情を押し殺していた主人公スヒョクにとって、重要な転換点となる一瞬だった。

一方で、例えば『オールド・ボーイ』では、クライマックスにほど近いシーンで、主人公の決め台詞を言い放つのに合わせて顔がギュンとズームアップされる。前後の展開はネタバレになるので言えないが、アップになる迫真の顔面や置かれた状況は裏腹の、コミカルで抜け感のあるズームでもあった。他にも『お嬢さん』では、第二部冒頭の朗読クラブのシーンで、何とも滑稽な"お尻ズーム"が用いられていたりする。停滞していた物語を加速させるためだけではなく、張り詰めた場面を弛緩させるためにも、チャヌクはズームで遊ぶのだ。それが重厚なストーリーテリングを一切邪魔しないのが本当にテクい。

そして、実は『別れる決心』ではこれまでのフィルモグラフィとは比べ物にならないほどズームが多用された。まず前半パートだが、官能的な作風を下支えする色気のあるズームが散りばめられている。捜査とのぞき見が渾然一体となる物語の起点ともなるシーンでは、双眼鏡越しの場面をズームイン・ズームアウトで切り替えていて、没入と覚醒をこちらにも体験させるかのような演出だ。その後にも、双眼鏡で容疑者を探るシーンに再びズームが使用されており、刑事・ヘジュンと容疑者・ソレという関係に潜む背徳感のせめぎあいを感じさせる。ズームを合図に、ぜひそのスリルに没入してみてほしい。

物語が進むにつれて数々の事実が明かされるが、その重要なタイミングでもしっかりとズームによる緊張感が演出される。第一部のクライマックスでは、犯人と同じ行動で現場への足取りを辿るヘジュンが転落死の真相を突き止めた瞬間、彼は頭のなかで映像を思い浮かべる。そして崖の下から突き落とした"犯人"の顔が見上げるようにズームされ、その正体が明らかになる。そうして事件の謎を解明するや否や、またしても死体発見現場から見上げる同じ構図で、真相に辿りついたヘジュンの表情もズームされる。一体どんな表情をしているのか、彼はその後にどんな「決心」をするのか。顔面を映しすぎない絶妙な距離感のズームは、ヘジュンとソレの距離感を表しているかのようだ。最終局面まで途切れることのない緊張感とズームという技巧に要注目だ。

第二部へ物語は続く。更なる事件が発生し、映画の本質はヘジュンとソレの心理戦にも似たやり取りに発展していく。新たな事件の容疑で取り調べを受けるソレが、「夫のイム・ホシンを殺しましたか?」という問いにどう答えるのかーーチャヌクの回答は、「口元をズームし、何も言わせず、吐息を聞かせる」だ。個人的には、この一瞬の緊張感と色気が大好きで、心酔しきってしまった。ガラス越しに取り調べを聞いているヘジュンの体勢が、このシーンの直後には若干前のめりになっているのも面白い。もう一人の主人公であるソレが持つ蠱惑的な引力に、観客もカメラも引き寄せられるのだ。

その後の第二部の展開はまさに劇的だ。ヘジュンとソレのお互いへの感情が煮詰まった局面で、2人の最後の交感がはじまる。最後まで飄々としてミステリアスなソレと、その姿を全速力で追うヘジュン。静謐なクライム・ロマンスではあるものの、ヘジュンの高まった気持ちをさらに加速させるように、車を飛ばす彼の表情をカメラは力強くズームアップする。クライマックスは何も明言しない終わり方だが、カメラが映してくれたヘジュンのその強い意思は、画面には映らないその先もしっかりと想像させてくれるはずだ。

パク・チャヌク監督は、ズームの他にも印象的な編集を数々取り入れている。ジャンルやあらすじからは激しくて鮮烈な映像を想像させるが、実際のところは意外と落ち着いており、軽妙洒脱でとても見やすい。一方で、人間ドラマを描くことに長けているからこそ、画が淡々としすぎないないように様々な技巧を凝らして観客を飽きさせない。『別れる決心』はズーム以外にも色々な工夫によって緊張感と見やすさのバランスが取れている名作だ。ザ・シネマでは、6月に「キネマ旬報 ベスト・テン セレクション」で本作を取り上げる。批評家たちが絶賛し2023年の7位に選出された本作、すでに一度ご覧になった視聴者も多いだろうが、ぜひこれを機会に「ズーム」という観点からも見てみてほしい。

【放送日時】
『別れる決心』(2022年・韓国・139分・カラー) https://www.thecinema.jp/program/07340
キネマ旬報 ベスト・テン 第97回 外国映画7位
6/26(金)夜9:00~
 

テレーズ
洋画専門チャンネル「ザ・シネマ」の編成担当。そこそこの頻度で寝落ちするし首を痛めもするが映画館に通い続けている1995年生まれ。視聴者のみなさまを日常から”解放”する映画を届けるべく作品選びに勤しんでいる。それは地球から12光年離れた宇宙でのロッキーとの出会いだったり、テレーズとキャロルの運命的な出会いだったり。