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名匠トニー・スコットの本領発揮、痛快なスパイ映画の傑作『スパイ・ゲーム』を吹替えでもいかが?~12月字幕+吹替え3バージョン

高橋ターヤン

 カリフォルニア州ロサンゼルスにある460mの吊り橋、ヴィンセント・トーマス橋。ロサンゼルス港とサンペドロ地区を結ぶ最高高所は56mというこの橋からの眺めは、カリフォルニアらしいビーチ風景ではなく、港湾工業地帯の無機質なものとなっている。  2012年8月19日、この殺風景な橋から老齢の男性が飛び降り自殺を図った。老人の名はアンソニー・デビッド・スコット。『エイリアン』『ブレードランナー』などで知られるリドリー・スコット監督の実弟で、トニー・スコットという名前で世界的な大ヒットを連発した名監督だ。  トニーは1944年6月21日、3人兄弟の末っ子としてイングランドで生まれた。ロンドン王立美術大学を卒業したトニーは、画家として活動しつつBBCでドキュメンタリーを撮りたいと考えていたが、長兄のリドリーの薦めで劇映画監督を志す。リドリーの設立したCM制作会社RSA(リドリー・スコット・アソシエーツ)でCMの監督としてその実力を認められたトニーは、1983年に小説『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』にインスパイアされて、同じ吸血鬼映画である『ハンガー』で長編映画監督としてデビューを飾る。カトリーヌ・ドヌーヴ、デヴィッド・ボウイ、スーザン・サランドンという豪華スターが揃った『ハンガー』はカルト的な人気を誇る作品となったが、興行的には成功とは言い難い結果となってしまった。  再びCM業界へと戻ったトニーのもとに、2人の男が訪れる。『ハンガー』を評価したドン・シンプソンとジェリー・ブラッカイマーだ。既存のハリウッド映画に飽き飽きしていたシンプソンとブラッカイマーは、まったく新しい映画を作れる監督を探していた。白羽の矢が立ったトニーは『トップガン』を監督。1981年に開局して大ムーブメントを巻き起こしていたMTVに倣い、映画をサントラのプロモーションビデオのように撮る斬新さと、細かなカット割りによる緊張感溢れるドッグファイトシーンが好評を博した。さらに主演のトム・クルーズは、本作によって世界的な大スターへの階段を駆け上がり、映画のサントラは爆発的な大ヒット。フライトジャケットのMA-1やレイバンのサングラスを着用したフォロワーが世界中に溢れるなど、これまでの映画とは異なるビジネス展開が発生するエポックメイキングな作品となった。  『トップガン』の大ヒットによって一役スター監督となったトニーだったが、その後の作品で『トップガン』を超える社会現象を巻き起こすような作品があったかというと微妙だ。シンプソンとブラッカイマーの出世作の続編『ビバリーヒルズ・コップ2』は前作を超えるヒットとはならなかったし、上り調子だったケビン・コスナーを主演に迎えた『リベンジ』も興行的には失敗となった。再びトム・クルーズとタッグを組んだ『デイズ・オブ・サンダー』はヒットしたものの、続くブルース・ウィリスの『ラスト・ボーイスカウト』は壊滅的な興行収入となってしまったのだ。  しかし『トゥルー・ロマンス』では痛快なバイオレンス・ラブ・ロマンスとして非情に高い評価を獲得し、盟友デンゼル・ワシントンと初タッグを組んだ『クリムゾン・タイド』は緊迫感溢れる潜水艦映画として大ヒットを記録した。ロバート・デ・ニーロとウェズリー・スナイプスが共演したストーカーサスペンスの『ザ・ファン』は奮わなかったが、『インデペンデンス・デイ』や『メン・イン・ブラック』で面白黒人枠でスターになったウィル・スミスをシリアスな役に挑戦した『エネミー・オブ・アメリカ』は興行的にも批評的にも成功を収め、再び売れっ子監督に返り咲いたトニーが2001年に監督したのが、この『スパイ・ゲーム』となる。  1991年。伝説のCIA工作員であるネイサン・ミュアー(ロバート・レッドフォード)は、この日をもってCIAを円満退職することとなっていた。しかし早朝から長年の友人であるCIA香港支局長のダンカン(デヴィッド・ヘミングス)からの電話で起こされることに。ダンカンからの情報は、ミュアーの愛弟子の工作員であるトム・ビジョップ(ブラッド・ピット)が、中国の蘇州刑務所での作戦中に拘束されたというものであった。しかもビジョップは中国で行われる別の作戦を途中離脱して、許可なく蘇州刑務所に潜入していたのだった。しかも折り悪く米中通商会談の直前ということもあり、アメリカ政府はビジョップ見殺しもやむなしの方向に流れていた。  CIA内では、何故ビジョップが職場放棄をしてまで蘇州刑務所に潜入したかを確認するため、ミュアーの上司であるフォルジャー(ラリー・ブリッグマン)とチャールズ・ハーカー(スティーヴン・ディレイン)らがミュアーを呼び出し、彼が知るビジョップの実像のヒアリングを開始する。そこでミュアーはビジョップと初めて出会ったベトナム戦争末期の暗殺作戦の話を語り始める。それはミュアーとビジョップの師弟関係と、CIA内でも誰も知らなかった様々な新事実が浮かび上がる15年に渡る長大な物語であった。そしてミュアーは決別していた愛弟子ビジョップを救うべく、ヒアリングの休憩時間の間をぬって、長年の工作員生活で培った手練手管を使っての救出作戦を策謀する。しかしビジョップ処刑までのタイムリミットはすでに20時間を切っていた……。  本作はロバート・レッドフォードとブラッド・ピットという新旧超絶ハンサム俳優の共演で話題となった映画なのだが、ただのハンサム俳優ではない二人の演技力が極限まで引き出された作品と言える。二人が演じたミュアーとビジョップの師弟関係の描き方が見事で、物語が進むにつれて二人の絆と確執が観る者の共感を呼ぶものとなっている。レッドフォードにとっては、僅かなチャンスを決して逃さないプロフェッショナリズムに徹しながらも熱い感情を内に秘めるミュアー役は、キャリアの後半の中でも傑出したキャラクターとなっている。筆者はこの作品から遡ること25年前に出演した『コンドル』でレッドフォードが演じた若きCIAエージェントのその後の姿がミュアーであると勝手に想像して楽しんだりしている。もちろんトンパチで生意気な天才エージェントのビジョップを演じたピットも素晴らしい。  トニーの演出も冴えまくり、トニーお得意の激しいカットの切り替えが過去と現在が入り混じる展開の中で効果を発揮。スパイアクションでありながら発生する激しい銃撃戦や、予想外の度を超えた大爆発も実にトニー映画らしい。また綿密に張られた伏線が、クライマックスで一気に回収される痛快な展開と、感動的でありながら決してしみったれた形で終わらない爽やかなラストは必見の作品となっている。  さて、本作はVHSやDVDなどのメディアに収録されたバージョンとテレビ東京の木曜ロードショーで放映されたバージョン、そしてフジテレビのプレミアステージで放映されたバージョンの3つのバージョンの日本語吹替え版が存在している。メディアバージョンはレッドフォード役と言えばこの人、野沢那智が担当し、ピット役は定番の山寺宏一が担当。そしてテレ東バージョンではテレ東・テレ朝のピット役の定番声優・森川智之と、レッドフォード役には広川太一郎が担当したりなんかしちゃったりしている。フジテレビバージョンのピット役は、日テレ・フジ版のブラピ定番声優の堀内賢雄が担当し、レッドフォード役には磯部勉という意外なキャスティングがされているのだが、これがまた望外にハマっている(広川版に近い感じ)。  何と今回はザ・シネマでこの3バージョンがすべて放送されるので、それぞれのバージョンを聴き比べて、名人たちの吹替えの妙を楽しんで頂きたい(筆者は原語版も含めて、テレ東版が一番のお気に入りです)。■

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VFXの発展に寄与したロシアの“スター・ウォーズ”『ナイト・ウォッチ』『デイ・ウォッチ』~12月6日(水)ほか

尾崎一男

■この世に人間がいるように、”異種”もまた存在する---。  前々回の『プリズナー・オブ・パワー 囚われの惑星』(08)そして前回の『メトロ42』(13)を例にとり、筆者(尾崎)担当の本コラムでは連続して「国産映画のハリウッド化」という、ロシア映画界の変容のプロセスに触れてきた。だが真の意味でこの『ナイト・ウォッチ』(04)と『デイ・ウォッチ』(06)こそが、ロシア映画の歴史を一新させた作品といっていいだろう。しかし両作の公開からすでに11年が経ち、その偉業はやや薄らいだ感がある。今やハリウッド映画に距離を詰めすぎ、そのイミテーションな佇まいが笑いの対象となっているロシア映画だが、興行成績を大きく塗り替え、またロシアン・ポップカルチャーとして同国のエンタテインメント・ムービーの新たなスタイルを生んだ本作の価値は大きい。このダークファンタジーの、果たして何がすごかったのかーー? それを思い出し、改めて敬意を払うのもムダな行為ではないだろう。  光と闇の超能力者である異種たちがお互いを監視し、1000年ものあいだ平和が均衡が保たれている人間の世界。『ナイト・ウォッチ』は、その均衡を破壊する邪悪な存在の復活と、光と闇が再び戦闘状態に入ろうとする物語だ。そして前作が“光の側の視点”で描かれているのに対し、『デイ・ウォッチ』は光側のドラマを中心とした物語だ。光と闇が休戦協定を結んで1000年目の現在、その均衡を破ると予言された異種の「闇側」が登場するのが『ナイト〜』ならば、『デイ〜』は「光側」が頭角を現し、予言どおり均衡は破られて全面戦争に突入するという展開を描いている。こうして両作は、ロシア映画の旧態依然とした表現の外殻をやぶり、ハリウッドに拮抗するようなエンタテインメント映画の新たなフォーマットを作り出し、ロシア映画史上空前の興行的ヒットを打ち立てたのだ。 ■監督ティムール・ベクマンベトフの成した偉業  本作を監督したティムール・ベクマンペトフは1961年生まれで、数多くのコマーシャルを手がけてきたCMディレクターだ。そのため映像の持つ力を熟知し、同時に優れたマーケッターでもある。  まず『ナイト・ウォッチ』を監督するにあたってベクマンペトフがおこなったのは、視覚効果ファシリティ(設備)のインフラ整理だ。同作以前、ロシアでは大作映画のVFXやCGを手がけるような、大手のファシリティがひとつとして存在しなかった。スタジオの民営化によって小型の製作会社が乱立し、VFXの工房も同じような轍を踏んでいたのである。  ベクマンペトフはこうした、CMくらいでしか活かすことのできないロシア圏内の小規模な視覚効果ファシリティを、映画用に大きくひとつにまとめたのだ。複数のファシリティをコミュニティに置き、ネットワークを介して仕事を共有することで、デジタル視覚効果のワークフローと組織化を確立。CGやVFXのクオリティをあげることに成功している。それによって『ナイト・ウォッチ』は、ロシア映画としても異例ともいえる全編1000ショットに及ぶVFXと、36%を占めるCGエフェクトを作り上げている。こうしたVFXのインフラ整理によって、続編である『デイ・ウォッチ』はより精度を高めたVFXショットを、『デイ』よりも安価で数多く生み出している。  なによりこうしたインフラ整理は、ハリウッドに立派なモデルケースがある。1977年の映画『スター・ウォーズ』の製作がおこなわれたさい、監督であるジョージ・ルーカスから相談を受けた視覚効果マンのジョン・ダイクストラが、同作専用の視覚効果スタジオを設立。それまで映画会社の一部門だった視覚効果班が、大型ファシリティとして拡大化し、映画を支える存在になったのだ。それが現在のインダストリアル・ライト&マジック、通称ILMである。つまりベクマンペトフのおこなったことは、ロシアにILMを作ったに等しく、すなわち『ナイト・ウォッチ』はロシア映画界の『スター・ウォーズ』と喩えていいだろう。    また彼はロシア映画で初めてといえる本格的な「プロダクト・プレイスメント」を導入し、このシリーズに徹底したリアリティとコストダウン効果をもたらしている。プロダクト・プレイスメントとは、映画やテレビドラマの劇中に実在の商品や企業を映し出すことで、広告収入を得るシステムのこと。もとよりセルゲイ・ルキヤネンコによる原作は、例えば主人公がロックマニアという設定から、文中ではピクニックやブラックモアズ・ナイトなどのハードロック系サウンドの名前が出てきたり、他にも実在のバンドや企業名が多く登場し、ロシアの現代社会に異世界が存在するリアリティ作りに一役買っている。映画ではさらにそうした性質を徹底させることで、多くのロシア人の共感を得ることができ、映画は大きな興行的成功をモノしたのである ■幻となったシリーズ三作目『トワイライト・ウォッチ』  しかし、この二部作を愛する者にとってつくづく残念なのが、シリーズ第三作目となるはずだった『トワイライト・ウォッチ』の頓挫だろう。『ナイト』そして『デイ』の成功の後、ベクマンベトフはマーク・ミラーとG・J・ジョーンズの共著によるグラフィック・ノベルを原作とした『ウォンテッド』(08)を手がけ、本格的にアメリカ映画界進出を果たしている。そしてこの『ウォンテッド』の後、氏は満を持して『トワイライト・ウォッチ』に着手する予定だったのだ。同企画はハリウッド資本とロシア資本による合作となり、本編言語も英語になるとアナウンスされていたが、ファンはそれ以上に、ストーリーに対して耳目を傾けていた。というのも『デイ・ウォッチ』は、ルキヤネンコの原作版『ナイト・ウォッチ』のエピソード第2章「仲間の中の仲間」(映画でアントンとオリガの肉体が入れ替わるくだり)がベースとなっており、厳密に言えば小説版『デイ・ウォッチ』(ルキヤネンコとウラジーミル・ワシーリエフとの共同執筆)の映像化というワケではない。そのため物語が原作に準拠するのか、映画オリジナルの道を歩んでいくのか、そのことが最大の関心事だったのだ。それがうやむやになってしまったのは、かえすがえすも惜しい。  結局、シリーズがペンディングとなってしまった理由は、ペクマンペトフがハリウッドでの成功を得たためとも、同じ題材を取り組むことに飽きたためとも言われている。そもそも氏のような優秀なロシア映画人の海外流出は、世界的にロシア映画の知名度を上げることによる、外資獲得のもくろみがあった。しかしハリウッドナイズされた作品を手がけ、ロシア映画のハリウッド化に大きく貢献した男が、ハリウッドに身を沈めていくというのも皮肉な展開である。  とはいえ、“光”と“闇”という2大勢力の対立、そして「異種は自らの意志でどちらの側にでもつくことができる」という本作の基本設定になぞらえて、ここは「ロシア映画の革命を起こした異種が、ハリウッド側についた」とドラマチックに捉えるのが、この二部作のクリエイターらしい解釈かもしれない。■ © 2004 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.

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五臓六腑にサイモン・ペグが染み渡る珠玉のダークコメディ『変態小説家』~11月08日(水)ほか

尾崎一男

■ブリットコムの伝統を踏襲しつつ、新しい境地に立つ怪作  児童作家から犯罪小説家へと転身を図るべく、ビクトリア朝時代の連続殺人事件を研究していた主人公ジャック(サイモン・ペグ)。ところがそのうち「自分も殺人鬼に殺されるのでは?」という妄執に取り憑かれ、引きこもり状態になってしまう。そんなある日、ジャックはエージェントから「ハリウッドの経営幹部があなたの仕事に興味を抱いている」と聞かされ、その重要会議に出るための準備を迫られる。そして彼が家から一歩外へと踏み出したとき、ジャックはさらなる恐怖と直面することになるのだ! 『変態小説家』……いやぁ、それにしても、ため息が漏れるくらいひどい邦題である。原題も“A Fantastic Fear of Everything”(すべての素晴らしい恐怖)と、冒頭のストーリーを踏まえていないと抽象的で理解に困るが、それでもその不忠実さは邦題の比ではない。せめてもうひとつばかし知恵を絞り『妄想小説家』くらいのニュアンスを持たせて欲しかった。それというのも、この要領を得ない邦題のせいで、本作の持ち味がいまひとつ周りに伝わっていない気がするからだ。  そう、このサイモン・ペグ主演のホラーコメディには、いろいろと楽しい要素が詰まっている。まずパラノイアに陥ったジャックの心象が、彼の手がけた児童文学の形を借り、不条理な世界を形成していく異様な語り口が独特だ。そこへ加え、密室から外界へと舞台が移行していく急展開の妙や、細かな伏線を抜かりなく回収していく「空飛ぶモンティ・パイソン」(69〜74)式の構成など、由緒正しいブリットコム(英国コメディ)の韻を踏まえつつ、この映画ならではの世界を形成しているのだ。そもそも主人公が殺人鬼の影に支配される設定からして、ブラックな笑いを特徴とするイーリング・コメディ(英イーリング撮影所で製作された黄金期のコメディ作品群)の様式をまとい、ブリットコムの古典的な流儀に対して敬意を示しているし、また同時にサイモン・ペグの盟友であるエドガー・ライト監督が成立させた、軽快にリズムを刻むフラッシュ編集を採り入れるなど、ブリットコムの最先端な手法にも目配りしている。そうした性質もあって、本作は『007』シリーズの撮影で知られるイギリスの伝統スタジオ、パインウッドが支援している低予算映画の第一回作品となった(撮影自体はもうひとつの伝統スタジオ、シェパートンで行なわれているのが皮肉だが)。 ■笑いの異能者による一人芝居を楽しめ!  本作を監督したクリスピアン・ミルズは、映画『キングスマン』(14)でも楽曲が使用されている英国ロックバンド「クーラ・シェイカー」のギターボーカルとして知られている。なによりもお父さんが、英国を代表する喜劇役者ピーター・セラーズの主演作を数多く手がけたロイ・ボールティング監督で、ブリットコムの血筋をひいた作り手といえる。事実、これが初監督とは思えぬ堂に入ったコメディ演出や、既知されるコメディ映画に類例のない不思議なお笑い感覚が全編にただよっている。  また共同監督として、レディオヘッドやザ・ヤング・ナイヴスのMVで知られるPVディレクター&アニメーターのクリス・ホープウェルが共同監督に名を連ね、彼が手がけたレディオヘッド「ゼア・ゼア」のPVに登場した、動物たちのモデルアニメーションが本作でも効果的に使われている。  だが何にもまして、主人公のジャックを演じたサイモン・ペグ自身の存在が、独特のユーモアとして機能している。特に映画の前半に展開される、彼の一人芝居は圧倒的な見ものだ。常に何かに怯えている狭心なさまや、外界を警戒していたジャックが意を決し、全ての元凶となるコインランドリーに向かうまでの葛藤を、ひたすらハイテンションな演技と、古典落語を演じる噺家のごとき言葉たぐりと感情表現で、観る者を飽きさせることなく劇中へと誘っていく。  このように主人公が常に不安を抱えた一人芝居は、主人公の女性が検診を受け、結果がわかるまでの感情の揺れ動くさまをリアルタイムで捉えた『5時から7時までのクレオ』(62)や、男性恐怖症の女性が妄執にとらわれていくプロセスを丹念に描いたロマン・ポランスキー監督の『反撥』(65)に近いテイストのものといえる。特に本作の場合、後者である『反撥』からの強い影響は明らかだ。象徴的に挿入される眼球のアップや、同作の主人公キャロルの画面から滲むような焦燥感など、それらを『変態小説家』は劇中で見事なまでに反復している。いちおう本作は『ウィズネイルと僕』(87)で知られるブルース・ロビンソン監督が執筆した小説“Paranoia in the Launderette”を基にしたという指摘があるが、こうした映画を出典とするディテールも、同作のプロデュースを務めているサイモンのオタク的なこだわりを感じさせる。 ■実際のサイモン・ペグは、映画とは真逆!?  そんなふうに、プロデューサーとしてこの映画を成立させ、また劇中でも圧倒的なパフォーマンスを見せるサイモン・ペグだが、筆者が主演作『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!』(07)の宣伝プロモーションで出会ったときの彼は、あの突き抜けて陽性な感じとは程遠い、物静かで知性的な雰囲気をただよわせていた。もちろん、ときおり楽しいコメントを提供し、周囲に笑いをもたらしてくれるが、それは同席したエドガー・ライト監督の談話を補足するような場合がほとんどで、自分から率先して笑いをとるようなことはなかったと記憶している。 『ショーン・オブ・ザ・デッド』(04)や『宇宙人ポール』(11)など、サイモンとの数多いコンビ共演で知られているニック・フロストは、こうしたコメディ俳優の二面性を主演作『カムバック!』(14)で取材したさい、以下のように語っていた。 「コメディ俳優は 実生活も笑いと楽しさにあふれていると思われがちだけど、コメディとドラマを自然体で演じるタイプの役者は、精神的にも相当の負荷がかかるんだよ」(*1)  もっとも、このコメントは同じ頃に亡くなった名優ロビン・ウィリアムスの訃報に触れたものだったのだが(同作の劇中、ロビン主演のTVコメディ『モークとミンディ』(79)が引用されている)、先のサイモンの印象があまりにも強く残っていたので、筆者は反射的に彼の盟友サイモンのことを連想してしまった。  スクリーン上のサイモンと現実の彼との隔たりに、精神的負荷が起因していると思うほど短絡的ではないにせよ、フロストの話は笑いを生業とする役者にはテンプレのごとくついてくるものだ。しかしサイモンの場合、こうしたギャップをコントロールし、あえて自身の中で楽しんでいるフシがある。例えば先の『ホットファズ』のインタビューでも、 「僕はイギリスの、あまり事件が起こらない場所で育ったんで、ロンドンの観光地みたいなところで怪奇事件が起きたら面白いと思い、アイディアを膨らましたんだ」(*2)  と発想のきっかけをこのように話していたし、ジェリー・ブラッカイマーが製作するハリウッド・アクション映画のテイストを拝借したことにも、 「ハリウッド・アクションに決して悪意を抱いているワケじゃなく、二兆拳銃の銃撃戦が田舎のパブで行われている、そんなセッティングのズレに笑ってほしいんだよ」(*3)  と答えている。なので『変態小説家』で見せた演技も、こうしたギャップにこだわるサイモン自身を体現しているのかもしれない。単にインタビュー当日、虫の居所が悪かっただけかもしれないが、邦題が招く誤解を少しでも和らげるためにも、このようにまとまりよく結ばせてほしい。■ ©2011 SENSITIVE ARTIST PRODUCTIONS LIMITED

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イギリスの名監督がキャリアの初期に放った、“奇妙な魅惑”が息づく不完全な犯罪ロードムービー『殺し屋たちの挽歌』〜11月25日(土)ほか

高橋諭治

 スティーヴン・フリアーズはちょっとした映画マニアならば誰もがその名を知るイギリス・リーズ出身の映画監督だが、その個性をひと言で表現できる人は筆者も含めてほとんどいないだろう。若き日のダニエル・デイ=ルイスが主演した『マイ・ビューティフル・ランドレット』(85)で初めて日本に紹介されたこのフィルムメーカーは、それ以降、約20本が日本公開されているが、手がけるジャンルやテーマは多岐にわたり、どれが自分で企画を主導した作品で、どれが雇われ仕事なのかも区別しがたい。『マイ・ビューティフル~』と『プリック・アップ』(87)が立て続けに公開された1980年代半ばには“マイノリティーを描く社会派監督”のイメージで語られることがあったが、その後、ラクロの官能小説の映画化『危険な関係』(88)でハリウッドに進出すると、サスペンス、ヒューマン・ドラマ、コメディ、時代ものを次々と発表。近年は『あなたを抱きしめる日まで』(13)、『疑惑のチャンピオン』(15)、『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』(16)という“実話が元ネタ”以外の共通点がほとんど見つかりそうもない映画を世に送り出している。  フリアーズの凄いところは、こうした多様な作品群のほぼすべてで水準以上の結果を叩き出してきたことだ。強烈な作家性を前面に押し出すタイプではないが、ストーリーテラーとしてのバランス感覚や手際よさに優れ、どの作品を観ても退屈しない(というか、ほとんどが面白い!)。要するに、極めてアベレージの高い職人監督にしてヒットメーカーであり、プロデューサーからすればこれほど重宝する人材はいない。「さて、このややこしい企画をどうしたものか。まずフリアーズに話を持っていくか」。きっとハリウッドやイギリスにはそんな思考回路でフリアーズにオファーを出し、彼の卓越した手腕の恩恵に浴してきた製作者が何人もいるはずだ。  目立った受賞歴は『ハイロー・カントリー』(00)でのベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)くらいなものだが、『グリフターズ/詐欺師たち』(90)、『クィーン』(06)でアカデミー賞監督賞に二度ノミネートされ、『プリック・アップ』と『ザ・ヴァン』(96・未)でカンヌ国際映画祭コンペティションに参加している実績は、堂々たる名匠と言ってもいい。加えて『靴をなくした天使』(92)、『スナッパー』(93)、『ハイ・フィデリティ』(00)、『堕天使のパスポート』(02)のような愛すべき秀作、佳作も多数発表しているのだから、新作が届くたびに「とりあえずフリアーズなら観ておくか」と考える筆者のような映画ファンは少なくないはずだ。  だいぶ前置きが長くなったが、今回のお題の『殺し屋たちの挽歌』(84)は、フリアーズが『マイ・ビューティフル・ランドレット』の前年に撮った日本未公開作品である。『Gumshoe』(71・未)に続く劇場映画第2作だが、この人はBBCのディレクターとして膨大な数のTVムービーを手がけているので、当時すでに40代半ばの中堅どころであった。邦題はまるで香港ノワールのようだが、濃厚でエモーショナルな人間模様や派手なドンパチで見せる暗黒街ものではなく、極めてクール&ドライなタッチの犯罪映画だ。  物語はギャングの一員であるウィリー・パーカー(テレンス・スタンプ)がイギリスでの裁判に出廷し、銀行強盗の仲間を裏切る証言を行うシーンから始まる。それから10年後、司法取引によって罪を軽減されたパーカーはスペインの田舎町でひっそりと暮らしているが、執念深い組織は現地にベテランの殺し屋ブラドック(ジョン・ハート)と若い助手のマイロン(ティム・ロス)を派遣。荒っぽく拘束されたパーカーは、組織のボスが待つパリまで車で運ばれることになる。ところが途中立ち寄ったマドリードで揉め事に遭い、マギー(ラウラ・デル・ソル)という若い娘を道連れにするはめになった一行の旅は、それをきっかけに迷走していく。  いわゆる“護送もの”のロードムービーなのだが、『ガントレット』(77)や『ミッドナイト・ラン』(88)のように登場人物が行く先々で危機一髪のアクションを繰り広げる映画ではない。パーカーは組織を裏切った後の10年間の隠遁生活であらゆる分野の書物を読破し、死をも恐れぬ悟りを開いたと言い放つ怪人物。1000キロ余り先のパリで待ち受けるボスに処刑されゆく運命にあるというのに、殺し屋コンビが走らせる車の後部座席でまったく動じることなく、薄気味悪い笑みさえ浮かべ続ける。このパーカーが発する得体の知れないカリスマ性が冷徹に任務を遂行しようとする殺し屋たちを動揺させ、さらには激しい気性と色気を兼ね備えたファムファタール、マギーの存在がいっそう状況をややこしくさせる。旅のスタート地点で主導権を握っているのは明らかに殺し屋コンビだが、ロードムービーに付きものの寄り道を繰り返すたびに4人の関係性はじわじわとねじ曲がり、当初はごくシンプルな設定に思えた犯罪劇がいつしか危うい心理サスペンスに変容してくのだ。  オフホワイトのスーツに黒いサングラスをまとったブラドック役のジョン・ハート、血気盛んなトラブルメーカーのチンピラ、マイロンを金髪で演じたティム・ロス(これが映画デビュー作!)、そして謎めいた言動を連発して彼らを翻弄するパーカーに扮したテレンス・スタンプ。それぞれのユニークなキャラクターになりきった俳優3人の緊張感みなぎるアンサンブル、そこからにじみ出す静かな狂気や人間的なおかしみが実に豊かで素晴らしい。彼らのささいな表情の変化や仕種を的確にすくい取るフリアーズの演出もまた、前述した円熟の“バランス感覚”や“手際のよさ”とはひと味もふた味も違う繊細さ、鋭さが随所にうかがえ、この緩やかに劇的な破滅へと突き進むロードムービーを魅惑的なものに仕上げている。何もかもが乾ききったスペインの広大なロケーションと、パコ・デ・ルシアのギター演奏をフィーチャーしたサウンドトラックも、本作の特異なムードの醸造にひと役買っている。冒頭のメロウな主題曲を手がけたのはエリック・クラプトンだ。  ただし、この映画には大きな難点がある。「人間は誰もが死に到達する。それは自然な出来事だ」。本作のテーマはそんなパーカーの哲学者のようなセリフに象徴される人間の生と死、その皮肉な行く末にあることは明白なのだが、クライマックスがあまりにも唐突で消化不良の感が否めない。それはそれで意外性はあるし、ジョン・ハートがラスト・シーンで披露する“ウインク”の演技は鳥肌ものなのだが、多くの観る者は不可解で腑に落ちない急展開に呆気にとられることだろう。殺し屋たちを追跡するスペイン警察の捜査責任者役にわざわざフェルナンド・レイを起用しておきながら、これといった見せ場がまったくないことも不自然である。ひょっとするとフリアーズ自身も、これらの点に不満を感じているのかもしれない。2011年にはフリアーズが本作をセルフリメイクするというニュースがネット上を駆けめぐったが、未だ実現しておらず続報を待ちたいところである。いずれにせよ、この“不完全な犯罪映画”はフリアーズの多彩なフィルモグラフィーの中でもとびきりの異彩を放ち、今なお一度観たら忘れられない奇妙な魅惑が息づいている。  ちなみに、今をときめくクリストファー・ノーランもこの映画の愛好者のひとり。2013年、Indie Wire誌のサイトに掲載された“10 Filmmakers’ Top 10 Films Lists”という記事において、ニコラス・ローグの『ジェラシー』(79)、大島渚の『戦場のメリークリスマス』(83)、シドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』(57)などとともに、お気に入りの10本のひとつに本作を選出している。■ COPYRIGHT © MCMLXXXIV CENTRAL PRODUCTIONS LIMITED ALL RIGHTS RESERVED

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ゴダールの果てなき映画的探究の旅の出発点となった重要な野心作『彼女について私が知っている二、三の事柄』〜11月30日(木)ほか

桑野仁

■「彼女」について私たちが知っている二、三の事柄…。   ジャン=リュック・ゴダールとその「彼女」、とりわけ、『勝手にしやがれ』(1959)で衝撃的な長編監督デビューを果たした後の1960年代、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として華々しい活躍を繰り広げた映画界の天才的革命児ゴダールと、彼を魅了し、その留まることを知らない自由奔放で旺盛活発な創作意欲を刺激し続けたミューズたる「彼女」といえば、映画ファンならば、やはりまずアンナ・カリーナ、次いで、つい先日惜しくも70歳でこの世を去ったアンヌ・ヴィアゼムスキーの名前と姿が、たちどころに脳裡に思い浮かぶに違いない。  ゴダールは、長編第2作の『小さな兵隊』(1960)で、カリーナを初めて自作のヒロインに迎えたのを皮切りに、以後、彼女と公私にわたる名コンビを組んで、『女は女である』(1961)、『女と男のいる舗道』(1962)、『はなればなれに』(1964)、『アルファヴィル』(1965)、『気狂いピエロ』(1965)などをたて続けに発表(この間、2人は1961年に結婚し、1965年に離婚)。ラディカルな変貌を幾度となく繰り返しながら、今日に至るまでなおひたすら我が道をどこまでも邁進し続ける、現代の生ける神話ともいうべきこの厄介な怪物ゴダールの息の長い映画作家人生において、「アンナ・カリーナ時代」とも呼称・区分されるその豊穣な季節に生み落とされた傑作群は、切なくも甘美でほろ苦い青春期の貴重なドキュメントとして、いまも世界中の多くの映画ファンを魅了し続けている。  一方、もうひとりの「彼女」とのコンビ作の方はどうかというと、17歳の女子高生の時分に、ゴダールも敬愛する映画作家ロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』(1966)のヒロインにいきなり抜擢されたのをきっかけに女優としての道を歩み始め、やがてパリ大学に進学したヴィアゼムスキーを主役のひとりに起用して、ゴダールは『中国女』(1967)を発表。翌1968年にパリで5月革命が起きるのと相前後して、自らの政治的姿勢をより先鋭的に急進化させたゴダールは、カリーナに次ぐ2番目の愛妻となったヴィアゼムスキーをその革命的同志のひとりに据えて、『ウイークエンド』(1967)、『ワン・プラス・ワン』(1968)、『東風』(1969)などの過激で戦闘的な政治映画にますます深くのめり込んでいく(2人は1967年に結婚するが、1970年代前半には別れて、後に離婚)。ノーベル文学賞も受賞した高名な作家フランソワ・モーリヤックを祖父に持つヴィアゼムスキーは後年、自らも作家に転身し、ゴダールとの馴れ初めと『中国女』での撮影現場の舞台裏を「彼女のひたむきな12カ月」という自伝的小説に書き記すことになる。  さて、こうしてゴダールの1960年代の軌跡をざっと駆け足で振り返ってみると、1966年に発表された映画『彼女について私が知っている二、三の事柄』は、彼がアンナ・カリーナ、そしてアンヌ・ヴィアゼムスキーという2人の「彼女」と個別に取り結んだ公私にわたる密接なパートナーシップの、奇しくもちょうど過渡期に生み落とされた作品ということが分かる。そしてこの映画は、ゴダールが「アンナ・カリーナ時代」に終止符を打ち、1960年代の後半以降、新たな方向へと向かうその第一歩を記した最初の里程標となると同時に、映画から物語性を剥ぎ取り、それに代わって、映画とは何か、そして、ほかならぬこの映画を一体なぜこのようにして作るのかという、それ以後、21世紀の今日に至るまでゴダールを執拗に駆り立てることになった自己言及的な問いかけを、彼自らがナレーターを務めることで初めて前面に大きく押し出し、その果てなき映画的探究の旅の出発点ともなった決定的重要作と言えるだろう。  この作品でゴダール映画の最初で最後のヒロインを務めることになったのが、ロシア系のフランス人女優マリナ・ヴラディ(彼女はその後、日本映画『おろしや国酔夢譚』(1992 佐藤純彌)に、ロシア帝国の伝説的女帝エカテリーナ二世役で出演することにもなる)。ただし、映画の題名である『彼女について私が知っている二、三の事柄』の「彼女」が、このヴラディその人だけを必ずしも指し示すわけではないところが、いかにもゴダールならではのユニークで非凡な着眼点といえる。  映画の冒頭のタイトル紹介では、『彼女について私が知っている二、三の事柄』の原題である「2 OU 3 CHOSES QUE JE SAIS D’ELLE」という数字や単語の連なりが、これまた、いかにもゴダールらしい独自のモンタージュでバラバラに分断され、時に反復や逆回転も伴いながら、「2」、「OU 3」、「2」、「OU 3」、「2」、「OU 3」、「CHOSES QUE JE SAIS D’ELLE」…といった具合に独特のリズムで順番に映し出される(しかも、「2」は青色、「OU」は白色、「3」は赤色として示され、それらを合わせると、フランス国旗の三色旗を構成するトリコロールとなる。これは、『女は女である』以来、ゴダールのカラー映画ではすっかりお馴染みの色彩戦略ではある)。続いて、「彼女」を指すフランス語の「ELLE」と左右に並置される形で、「パリ首都圏」を意味するフランス語の女性名詞の語句「LA REGION PARISIENNE」が、これまたそれぞれ、青白赤の三色で観客の前に提示されることになるのだ。  つまり、このタイトルに従うならば、「彼女」とはまず、「パリ首都圏」を意味することになる。当時、パリ郊外の道路網や公団住宅地域では、都市開発の整備拡張計画が急ピッチで進められていて、建設中の高速道路や高層ビルなどのパリ郊外の風景を点描したショットが、その騒がしい工事音を伴って、今述べたタイトル紹介のすぐ後に映し出されていく。  そしてその後になってようやく、本作の主演女優たるマリナ・ヴラディが団地の上階のバルコニーに佇んでいる姿で画面の中に初めて登場して、「彼女はマリナ・ヴラディ。女優。濃紺のセーター」云々と、ささやくように語るゴダール自身のナレーションによって観客に紹介され、続いて彼女自身が正面のキャメラに向かって、「真実を引用するように話せと、ブレヒトは言っている。“俳優は引用せよ”と」と語りかける。次いでカットが変わり、背後の風景は多少変わったものの、先ほどと服装もメイクもおそらくは同じままのヴラディが、今度は、「彼女はジュリエット・ジャンソン。団地の主婦」と、この映画の中で彼女が演じることになるキャラクターの役名・役柄と共に、やはりゴダールのささやき声で紹介されるのだ。  『彼女について私が知っている二、三の事柄』における「彼女」は、従って、映画の舞台となる「パリ首都圏」、主演女優たるマリナ・ヴラディその人、そして彼女が劇中で演じるキャラクター、といった具合に、多重的な意味を帯びて観客の前に提示されることになる。  ■一本の映画のなかにすべてをもちこまなくてはならない…。  ところで、この映画の企画は、パリ郊外に建設された新しい団地に移り住んだ多くの主婦たちが、団地生活での出費の増加に伴って金のやりくりに困り、売春に身をゆだねているという、ある週刊誌の実態調査記事に、ゴダールが目を留めたことがおおもとの出発点になっていて、「売春」という主題は、既に初期の短編『コケティッシュな女』(1955)の頃から、『女と男のいる舗道』や『アルファヴィル』を経て、さらには後の『勝手に逃げろ/人生』(1979)に至るまで、多くの作品の底流をなすゴダールお気に入りのテーマの一つでもあった。  ゴダール自身、「一本の映画のなかにすべてをもちこまなくてはならない」と題されたインタビュー記事の中で、この映画について、以下のように説明している。 「(引用者補注:『彼女について私が知っている二、三の事柄』は、当時この映画とほぼ同時並行的にゴダールが撮影を進めていたもう1本の映画『メイド・イン・USA』(1966)よりも)ずっと野心的な映画だ。この映画はパリ地域圏の都市開発という問題をとりあげているという意味ではドキュメンタリーで、またぼくが映画のなかでたえず、自分はなにをつくりつつあるのかを自分に問いかけているという意味では純粋な探究の映画なんだが、この両方の側面において野心的な映画なんだ。もちろん表向きは、団地の生活を、またときどきは売春をとりあつかっているということになっている。でも本当の目的は、ある大きい変動を観察するというところにあるんだ。」 (「ゴダール全評論・全発言Ⅰ」)  ゴダールは、同じ記事の中で、「いわゆる現代の生活なるものを分析したい ― 生物学者がするように、解剖し、その深部の動向をさぐりたい」とも述べていて、実際、映画の中でも彼自身が例のささやき声で、「私は今、団地とその住民の生活を、また住民たちを結びつけている関係を、生物学者が進化における個と種の関係を観察すると同じ細心さをもって観察している」とコメントする場面も出てくる。  こうして、マリナ・ヴラディ演じる映画のヒロイン、ジュリエットをはじめ、団地の住人である女性たちが、子供の養育や家事に励んだり、あるいは街で買い物を楽しんだりする日常的な生活風景と並行して、彼女たちがホテルやアパルトマンの一室で売春に励む様子が生物学者的なミクロな観察眼を通してクールに描き出され、その合間を縫って、都市開発で大きく変容するパリ郊外の風景が、こちらはマクロな視点からキャメラで捉えられていく。さらには、街の至るところに氾濫する商品広告の看板やポスター、小綺麗にデザインされた日用品のパッケージや雑誌の広告写真、イラスト、等々、人々の日常生活を取り巻くおびただしい事物のイメージも、人物や街の風景と同等、あるいはそれ以上の存在感をもって、印象的に映し出されることになるのだ。  先ほどと同じインタビュー記事の中で、ゴダールはさらに、次のようにも語っている。 「なぜこの映画をつくるのか、なぜこうしたやり方でつくるのか、マリナ・ヴラディが演じているヒロインは団地の住人を代表するような人物になっているだろうかといったように、ぼくはたえず疑問をなげかけている。ぼくは撮影する自分を見つめ、観客はぼくの思考に耳を傾けるというわけだ。要するに、これは映画ではなく映画の試みなんだ。しかもそのようなものとしてつくられているんだ。この映画はよりずっと、ぼくの個人的な探究という性格の強い映画なんだ。それにまた、物語を語ろうとするものじゃなく、ひとつの証拠資料であろうとするものだ。」  先にも述べたように、映画とは何か、そして、ほかならぬこの映画を一体なぜこのようにして作るのかを自らに問い、あくまで映画作りの実践とその製作プロセスの分析を通して改めて映画を一から再構築していくという、何とも困難で骨の折れる映画的探究の旅を、ゴダールはこの『彼女について私が知っている二、三の事柄』から本格的にスタートさせている。そして、その果敢な試みの最初の重要な成果というべき一例が、映画の中盤で、マリナ・ヴラディ演じるヒロインのジュリエットが夫の職場であるガソリンスタンド兼自動車整備工場を訪ねる場面において示されることになる。  ここでゴダールは、「はたしてこれらの出来事、この日の16時40分頃に起きた事実をどう説明すればいいのか? どのように提示し、あるいはまた、言い表せばいいのだろうか?」「たしかにジュリエットがいる。彼女の夫がいる。ガソリンスタンドがある…。しかし、用いるべきものは、これらの言葉と映像だけなのか? ほかにはないのか?」と、次々と自問自答し、ガソリンスタンドのすぐそばには樹木が生え、木の葉が風にそよいでいること、あるいはまた、ジュリエットや彼女の夫以外にも見知らぬ若い女性がいることを、別の映像で指し示した上で、ジュリエットが夫の職場を訪ねる同じ場面を、先の音声と映像の組み合わせとはまた異なるモンタージュで、改めて観客の前に提示し直してみせるのだ。  しかし、原理的にはいくらでも組み替えがきき、無数に存在しうる、音と映像の組み合わせの潜在的可能性の中から、なぜ最終的には作品として結実する一つのものが選択されるのだろうか? この根源的な問いに、絶対的な一つだけの正答など、ありようはずはない。一本の映画のなかにすべてをもちこまなくてはならない。しかし、無論、すべてを一本の映画のなかにもちこむことは不可能である…。  かくして、そのジレンマに引き裂かれながらも、ゴダールはこの『彼女について私が知っている二、三の事柄』以後もずっと、従来の決まり切った硬直化したスタイルとは異なる、音と映像の新たな結びつきの可能性を徹底的に追い求めて(彼のその試みはやがて、皆も知る通り、「ソニマージュSONIMAGE」[=「音SON」+「映像IMAGE」]と呼ばれることになる)、音と映像の断片が絶妙に接合し、また時には離反しながら圧倒的な強度に満ちた映画世界を形成する、あの鮮烈で精妙極まりないモンタージュ技法を編み出し、21世紀を迎えた今日もなお、その独自の映画的探究の旅を続けてやまないのである。■   © 1967 Argos Films

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