「正しい日 間違えた日」は韓国の名匠や鬼才と称されるホン・サンス監督が、初めて女優のキム・ミニを主演に迎えて撮った作品だ。
物語は二部構成になっていて、前半の冒頭には「あの時は正しく 今は間違い」、後半の冒頭には「今は正しく あの時は間違い」というタイトルが表示される。どちらも同じ登場人物が同じ設定で出会い同じ場所に行くのだが、些細な言動や気分、タイミングによって微妙に変わっていく二通りのストーリーが描かれる。
「あの時もしもこうしていたら」とか「あれがきっかけでその後の未来が決まった」というテーマで実際の世界ともうひとつの世界を描くという作品はよくあるといえばよくあるので(私はそれを“運命の分かれ道映画”と呼んでいる)、この「正しい日 間違えた日」もそんな感じなのかなと思いながら悠長にかまえて観ていた。
しかし後半が始まってすぐに、おや?これはなんだか今までのそういうものとはひと味違うぞ?と姿勢を正して見入ることになり、結果、私がこれまでに観てきたどの“運命の分かれ道映画”とも違う、新鮮な驚きや清々しい感覚をもたらしてくれた。
物語の大筋は、映画監督のチュンスが講演のために訪れた街でヒジョン(キム・ミニ)という女性に出会い、二人は意気投合して喫茶店でお茶を飲み、絵を描いているというヒジョンのアトリエに行き、居酒屋でお酒を飲み、ヒジョンの友人たちの集まりに合流し、そして別れる、というもの。この流れは前半と後半で全く一緒なので、一見全く同じ話を二度繰り返しているようにも見える。しかし、交わされる会話や心の動きが微妙に異なり、それに伴い前半には無いシーンが後半に挿入されたり、それを受けての二人の感情が大きく違うものになったりする。
どちらが良いとか悪いとかいった話ではなく本当にどちらもありえる展開なのだが、一応バッドエンドとハッピーエンド(というよりは「ベターエンド」の方があっているかもしれない)になっていると言える。別れの挨拶を交わしたあとにチュンスの映画を一人で観るキム・ミニの穏やかな表情と会場を出て雪の中を歩いていくシーンが心に残り、観終わった後にこう思った。私たちの日々や人生を方向づけるものは「あの時もしもこうしていたら」とか「あれがきっかけでその後の未来が〜」といったわかりやすくドラマティックな出来事や大きな決断よりも、自分や相手のふとした心情と、それを正直に素直に表出できるかどうか、あるいは自然とそのタイミングが訪れるかどうか、そしてそれらが幾重にも折り重なってのものなのかもしれない、と。
物語は二部構成になっていて、前半の冒頭には「あの時は正しく 今は間違い」、後半の冒頭には「今は正しく あの時は間違い」というタイトルが表示される。どちらも同じ登場人物が同じ設定で出会い同じ場所に行くのだが、些細な言動や気分、タイミングによって微妙に変わっていく二通りのストーリーが描かれる。
「あの時もしもこうしていたら」とか「あれがきっかけでその後の未来が決まった」というテーマで実際の世界ともうひとつの世界を描くという作品はよくあるといえばよくあるので(私はそれを“運命の分かれ道映画”と呼んでいる)、この「正しい日 間違えた日」もそんな感じなのかなと思いながら悠長にかまえて観ていた。
しかし後半が始まってすぐに、おや?これはなんだか今までのそういうものとはひと味違うぞ?と姿勢を正して見入ることになり、結果、私がこれまでに観てきたどの“運命の分かれ道映画”とも違う、新鮮な驚きや清々しい感覚をもたらしてくれた。
物語の大筋は、映画監督のチュンスが講演のために訪れた街でヒジョン(キム・ミニ)という女性に出会い、二人は意気投合して喫茶店でお茶を飲み、絵を描いているというヒジョンのアトリエに行き、居酒屋でお酒を飲み、ヒジョンの友人たちの集まりに合流し、そして別れる、というもの。この流れは前半と後半で全く一緒なので、一見全く同じ話を二度繰り返しているようにも見える。しかし、交わされる会話や心の動きが微妙に異なり、それに伴い前半には無いシーンが後半に挿入されたり、それを受けての二人の感情が大きく違うものになったりする。
どちらが良いとか悪いとかいった話ではなく本当にどちらもありえる展開なのだが、一応バッドエンドとハッピーエンド(というよりは「ベターエンド」の方があっているかもしれない)になっていると言える。別れの挨拶を交わしたあとにチュンスの映画を一人で観るキム・ミニの穏やかな表情と会場を出て雪の中を歩いていくシーンが心に残り、観終わった後にこう思った。私たちの日々や人生を方向づけるものは「あの時もしもこうしていたら」とか「あれがきっかけでその後の未来が〜」といったわかりやすくドラマティックな出来事や大きな決断よりも、自分や相手のふとした心情と、それを正直に素直に表出できるかどうか、あるいは自然とそのタイミングが訪れるかどうか、そしてそれらが幾重にも折り重なってのものなのかもしれない、と。
そしてこの映画、キム・ミニが居酒屋でお酒を飲んでいる姿がとてつもなく可愛かった。ケラケラと笑ったりふと静かになったりむくれたりする、くるくると変わる自然な表情や、心地よい抑揚やわずかなかすれのある声と喋り方、お猪口グラスを持つ華奢な手指、揺れるおだんご。一目見てかわいい!好き!と思うような好みのタイプの女優さんではなかったのだが、この居酒屋シーンでたちまちノックアウトされ、こんなの誰がみても絶対可愛いじゃないか!と「惚れてまうやろが」状態になってしまった。
すごく鼻が高いわけではないけどとても綺麗で美しい横顔の曲線や、カーブした眉や、服の着こなしなど、その後他の映画でもキム・ミニを見るのがとても楽しみになり、キム・ミニが出ているならその映画をとりあえず観てみたいと思うようになった。
この映画で初仕事をしてホン・サンス監督とキム・ミニは恋仲となり、二人はその後「夜の浜辺でひとり」「それから」「クレアのカメラ」といったどれも素晴らしい作品を発表し続けている。キム・ミニの表現には磨きがかかり、「夜の浜辺でひとり」では凄みを感じさせ、「それから」ではとてもしなやかで、中でもタクシーのシーンはため息がでるほど美しかった。すべてザ・シネマメンバーズで配信しているのでせひご覧いただきたい。
私は最近の映画事情にうといので、「監督とミューズ」といって真っ先に思い浮かぶのはゴダールとアンナ・カリーナ、アントニオーニとモニカ・ヴィッティ、カラックスとジュリエット・ビノシュだったりするのだけど、皆自分が生まれる前から活躍しているずっと世代が上の人達であり、加えてどれも破局しているので、同時代に現在進行形の「監督とミューズ」、そして二人が作り出す映画をこれからもリアルタイムで追えるというのはとても興味深く、楽しみなことである。
すごく鼻が高いわけではないけどとても綺麗で美しい横顔の曲線や、カーブした眉や、服の着こなしなど、その後他の映画でもキム・ミニを見るのがとても楽しみになり、キム・ミニが出ているならその映画をとりあえず観てみたいと思うようになった。
この映画で初仕事をしてホン・サンス監督とキム・ミニは恋仲となり、二人はその後「夜の浜辺でひとり」「それから」「クレアのカメラ」といったどれも素晴らしい作品を発表し続けている。キム・ミニの表現には磨きがかかり、「夜の浜辺でひとり」では凄みを感じさせ、「それから」ではとてもしなやかで、中でもタクシーのシーンはため息がでるほど美しかった。すべてザ・シネマメンバーズで配信しているのでせひご覧いただきたい。
私は最近の映画事情にうといので、「監督とミューズ」といって真っ先に思い浮かぶのはゴダールとアンナ・カリーナ、アントニオーニとモニカ・ヴィッティ、カラックスとジュリエット・ビノシュだったりするのだけど、皆自分が生まれる前から活躍しているずっと世代が上の人達であり、加えてどれも破局しているので、同時代に現在進行形の「監督とミューズ」、そして二人が作り出す映画をこれからもリアルタイムで追えるというのはとても興味深く、楽しみなことである。