私たちが写真や映像をみるとき、そこに映されているものをみていると同時に、映している者のまなざしをみていると思う。まなざしをみるというよりは、他人の靴を借りて履くような感じで、その人のまなざしを借り、そのまなざしがどんなものか無意識にでも感じながら対象物をみている。
なのでたとえばよその猫の写真や動画をみて「かわいい!」と思うとき、もちろん猫自体かわいいのだが、映した飼い主の「かわいい!」という感動が構図や画角やズーム具合やふと入った音声に表れ、その写真や動画をよりかわいく愛情あふれたものにしているのだと思う。逆もしかりで、対象物を冷徹に突き放した場合、映されたものは冷たくクールで無機質にみえることだろう。
それはもちろん映画にも言えて、特にドキュメンタリーという手法を用いて作られた映画作品の場合、“まなざし”はよりはっきりくっきりと感じられる。アニエス・ヴァルダの撮るドキュメンタリーを観るとき、映されているものもとても魅力的でおもしろいのだが、それと同じくらい、彼女のまなざしを借りてみることがとても心地よく、かつエキサイティングで、嬉しい驚きだった。
今まで私はヴァルダ作品は代表作でもある「幸福」をだいぶ昔に観ただけで、それがあまりぐっとこなかったので、他の作品については題名はよく見聞きしつつ、結局観ないでいた。今回「5時から7時までのクレオ」を予習がてら観て、ザ・シネマメンバーズで配信になった「アニエスによるヴァルダ」「ラ・ポワント・クールト」「タゲール街の人々」「落穂拾い」と観て、さらに「顔たち、ところどころ」を観たのだが、なんといってもおもしろかったのが「落穂拾い」だった。
ある時ヴァルダはパリのエドガール・キネ通りのカフェにいたところ、近くで開かれていた市場が終わって商人たちが片付けをして帰った後に、人々がやってきて残り物を集め始めるのを目にする。“捨てた物を拾って食べる人々”を撮らなければと思ったヴァルダは、体をかがめて落ちているものを拾い上げるその行動をミレーの名画「落穂拾い」になぞらえて、小さなデジカメを手にフランス各地を飛び回り、様々な“現代の落穂拾い”を取材していく。
収穫後に余ったじゃがいも、リンゴ、ぶどう、捨てられた肉や魚、パセリ、冷蔵庫、ソファ、テレビ…。様々な拾われるモノと、それを拾う人達が映される。生活に困っているシングルマザー、一度の失敗で多くのものを失った男性、友人宅に身を寄せるホームレスの男性、かと思えば、レジャー的に拾う人々、アート作品の材料にする人、仕事がありお金に困ってはいないが、主義主張のために拾ったものだけを食べる男性。そしてヴァルダが一番印象に残ったという、修士課程を出ていながら新聞配りをし市場で食べ物を拾い、夜間に無償で外国人にフランス語を教えている男性。
なのでたとえばよその猫の写真や動画をみて「かわいい!」と思うとき、もちろん猫自体かわいいのだが、映した飼い主の「かわいい!」という感動が構図や画角やズーム具合やふと入った音声に表れ、その写真や動画をよりかわいく愛情あふれたものにしているのだと思う。逆もしかりで、対象物を冷徹に突き放した場合、映されたものは冷たくクールで無機質にみえることだろう。
それはもちろん映画にも言えて、特にドキュメンタリーという手法を用いて作られた映画作品の場合、“まなざし”はよりはっきりくっきりと感じられる。アニエス・ヴァルダの撮るドキュメンタリーを観るとき、映されているものもとても魅力的でおもしろいのだが、それと同じくらい、彼女のまなざしを借りてみることがとても心地よく、かつエキサイティングで、嬉しい驚きだった。
今まで私はヴァルダ作品は代表作でもある「幸福」をだいぶ昔に観ただけで、それがあまりぐっとこなかったので、他の作品については題名はよく見聞きしつつ、結局観ないでいた。今回「5時から7時までのクレオ」を予習がてら観て、ザ・シネマメンバーズで配信になった「アニエスによるヴァルダ」「ラ・ポワント・クールト」「タゲール街の人々」「落穂拾い」と観て、さらに「顔たち、ところどころ」を観たのだが、なんといってもおもしろかったのが「落穂拾い」だった。
ある時ヴァルダはパリのエドガール・キネ通りのカフェにいたところ、近くで開かれていた市場が終わって商人たちが片付けをして帰った後に、人々がやってきて残り物を集め始めるのを目にする。“捨てた物を拾って食べる人々”を撮らなければと思ったヴァルダは、体をかがめて落ちているものを拾い上げるその行動をミレーの名画「落穂拾い」になぞらえて、小さなデジカメを手にフランス各地を飛び回り、様々な“現代の落穂拾い”を取材していく。
収穫後に余ったじゃがいも、リンゴ、ぶどう、捨てられた肉や魚、パセリ、冷蔵庫、ソファ、テレビ…。様々な拾われるモノと、それを拾う人達が映される。生活に困っているシングルマザー、一度の失敗で多くのものを失った男性、友人宅に身を寄せるホームレスの男性、かと思えば、レジャー的に拾う人々、アート作品の材料にする人、仕事がありお金に困ってはいないが、主義主張のために拾ったものだけを食べる男性。そしてヴァルダが一番印象に残ったという、修士課程を出ていながら新聞配りをし市場で食べ物を拾い、夜間に無償で外国人にフランス語を教えている男性。
「(ゴミ箱をあさる)理由は様々だろう」「人生経験で異なる」と入るヴァルダのナレーションを聴いて、ゴミを拾ったことのない自分の人生経験についてふと考えてしまった。
ただヴァルダは、捨てたものを拾って食べる人々を社会的弱者として描いたり、現代社会をわかりやすく安易に批判することはしていない。ドキュメンタリーにたまに見られる、示したい結論ありきでそこにむけて編集していくということも全くない。まず自分のひらめきと興味によって出かけていき、人々や起こっていることを映し、そこからまた自分で考え続けていく。そんなフラットで知的で好奇心に満ちたやり方が、ヴァルダのまなざしを借りて心地よい理由のひとつなのだろう。
余談だが、ヴァルダは愛猫家で、映画には時々猫が出てくる(「5時から7時までのクレオ」ではとてもたくさん出てくる)。私は猫が好きなので、そこもヴァルダ映画を観る楽しみポイントのひとつになった。それからまた話が飛ぶけれど、私はじゃがいもが好きなので、じゃがいもが山ほど出てくるこの「落穂拾い」はじゃがいも好き視点でも楽しめた。子どもたちがイモを拾いながら歌っていた「♪月曜ジャガイモ 火曜ジャガイモ 水曜もジャガイモ 木曜ジャガイモ 金曜ジャガイモ 土曜もジャガイモ 日曜ジャガイモ・グラタン!」という歌をきいて、ああいいなあとほくほくした気分になった。
「落穂拾い」を観る前に、「アニエスによるヴァルダ」を先に観ておくと、よりこの映画を楽しめると思う。ご興味をもってくださった方は、ぜひご覧ください。
ただヴァルダは、捨てたものを拾って食べる人々を社会的弱者として描いたり、現代社会をわかりやすく安易に批判することはしていない。ドキュメンタリーにたまに見られる、示したい結論ありきでそこにむけて編集していくということも全くない。まず自分のひらめきと興味によって出かけていき、人々や起こっていることを映し、そこからまた自分で考え続けていく。そんなフラットで知的で好奇心に満ちたやり方が、ヴァルダのまなざしを借りて心地よい理由のひとつなのだろう。
余談だが、ヴァルダは愛猫家で、映画には時々猫が出てくる(「5時から7時までのクレオ」ではとてもたくさん出てくる)。私は猫が好きなので、そこもヴァルダ映画を観る楽しみポイントのひとつになった。それからまた話が飛ぶけれど、私はじゃがいもが好きなので、じゃがいもが山ほど出てくるこの「落穂拾い」はじゃがいも好き視点でも楽しめた。子どもたちがイモを拾いながら歌っていた「♪月曜ジャガイモ 火曜ジャガイモ 水曜もジャガイモ 木曜ジャガイモ 金曜ジャガイモ 土曜もジャガイモ 日曜ジャガイモ・グラタン!」という歌をきいて、ああいいなあとほくほくした気分になった。
「落穂拾い」を観る前に、「アニエスによるヴァルダ」を先に観ておくと、よりこの映画を楽しめると思う。ご興味をもってくださった方は、ぜひご覧ください。