青野賢一 連載:パサージュ #27 「円形のもの」「回るもの」に翻弄される人々の物語──『ディーバ』

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青野賢一 連載:パサージュ #27 「円形のもの」「回るもの」に翻弄される人々の物語──『ディーバ』

目次[非表示]

  1. 静かに録音されるディーバの歌声
  2. 秘密のカセットテープ
  3. ロフトとそこにあるハイエンド・オーディオ
  4. 犯罪と恋愛感情が交差するスリル
  5. 頻出する「円形のもの」「回るもの」
  6. ロケーションやファッションも見どころのひとつ
  7. サウンドトラックの魅力
 ジャン=ジャック・べネックスがその生涯で手がけた長篇劇映画は6作。2013年のテレビ・ドキュメンタリー『Les Gaulois au-delà mythe』が最後の監督作ということで、1977年の初短篇作品から数えて36年のあいだ(2002年以降は映画を撮っていなかったのでそれを差し引くと25年ほどとなる)でこの数は寡作といって差し支えないだろう。にもかかわらず、べネックスの映画が強く記憶に残っているのは、それぞれの作品の持つ鮮烈さゆえにちがいない。今回はそんな印象的な作品を生み出してきたべネックスの長篇デビュー作であり、「セザール賞」の新人監督作品賞、撮影賞、音楽賞、録音賞の4部門で受賞を果たした『ディーバ』(1981)にフォーカスし、その魅力について考えてみようと思う。

静かに録音されるディーバの歌声

 仕事が終わったあとと思しき若き郵便配達員のジュール(フレデリック・アンドレイ)が郵便配達に使っているミニ・バイクで向かったのはクラシカルな印象の劇場。ここでアメリカ人ソプラノ歌手シンシア・ホーキンス(ウィルヘルメニア・フェルナンデス)のコンサートが行われるのだ。劇場の内部には満員の観客、ステージ上──といっても高さのあるステージはなく、1階の客席と同じレベルなのだが──にはオーケストラとコンダクター(本作の音楽を手掛けているウラジミール・コスマが実際に出演)が控えている。そしていよいよシンシアが登場。最初の演目はイタリア人作曲家カタラーニのオペラ《ラ・ワリー》よりアリア「Ebben? Ne andrò lontana(さようなら、故郷の家よ)」だ。皆が固唾をのんでステージを見つめるなか、ジュールはバッグに仕込んであるテープレコーダーのノブを操作して静かに録音を始める。曲がクライマックスを迎えると、ジュールの目には涙が。彼はシンシアの大ファンであり、彼女の歌唱に大いに感動しているのだ。終演後、公演プログラムにサインをもらい、シンシアと短いながらも会話することができたジュールだったが、その直後にハンガーに吊るしてあった彼女のステージ・ドレスを何食わぬ顔で盗みだしてしまう。帰宅したジュールは、盗んだドレスを毛布のように掛けて、先ほど盗み録りした音源に聴き惚れるのだった。
 シンシアを演じたウィルヘルメニア・フェルナンデスは自身もオペラ歌手ということで、この印象的なアリアも当然ウィルヘルメニアが吹き替えなしで歌っている。ちなみに「さようなら、故郷の家よ」は、かのマリア・カラスも録音している有名曲である。作中、ジュールがシンシアの歌唱をこっそり録音するテープレコーダーはスイスで1951年に創業したハイエンド・オーディオ・メーカー〈NAGRA〉の「Ⅳ-S」というモデル。1971年に発表された同社で最初のステレオ・アナログ・テープレコーダーである。テープレコーダーといっても(そもそもテープレコーダーとは何? という方もおられるかもしれないが……)、カセットテープではなく、オープンリール・テープに録音するものなので、それなりの大きさがある。ジュールが家でシンシアの歌声を聴き直すシーンを観るとそのサイズ感がよくわかるのではないだろうか。

秘密のカセットテープ

『ディーバ』
© 1981 STUDIOCANAL

 コンサートの翌朝、メトロから大勢の人が吐き出されるサン・ラザール駅で人混みに交じってひとりの女性が歩いている。裸足でなんだか様子がおかしいこの女性は、見るからに怪しいふたりの男(ジェラール・ダルモンとドミニク・ピノン)の姿を見つけると、彼らを巻こうとしたが、仕事中のジュールとぶつかってしまい、倒れたところをくだんの男ふたりに捕らえられてしまう。一度は逃亡を図ったがアイスピックかダーツのような武器でしとめられあえなく絶命。この女性は娼婦で、彼女が知っている売春組織の秘密──麻薬と人身売買に関する情報とその黒幕──を自ら語り録音したカセットテープを所持しており、それを以前の仲間である情報屋と刑事に託すつもりだった。その願いは叶わなかったが、彼女はこのカセットテープをジュールのミニ・バイクに取り付けてあるバッグに咄嗟に放り込んだのだった。
 そんなことはつゆ知らず、ジュールはミニ・バイクに乗って配達に勤しむ。仕事の合間に立ち寄ったレコード・ショップで店員とおしゃべりをしていると、若い女性がレコードを万引きするのを目撃。ジュールが店員に告げ口したので、女性は退店する際に引き止められたが、盗んだはずのレコードが見つからない。証拠がないならどうしようもないということでお咎めもなく店をあとにした。ストーリーとは関係ないが、彼女が盗んだレコードのうちの1枚はチック・コリアとゲイリー・バートンのデュオ作品『クリスタル・サイレンス』(1973)。映画公開時期を考えるとオリジナル・リリースでなく1980年に出たスペイン盤のリイシューかもしれない。〈ECM〉らしい透明感たっぷりの音で、わたしも好きなアルバムである。

ロフトとそこにあるハイエンド・オーディオ

『ディーバ』
© 1981 STUDIOCANAL

 この女性が気になったのか、ジュールはあとから追いかけて話しかける。アルバという名前の彼女(チュイ=アン・リュー)はベトナム人で、「悟りの境地にいる人」「波を止める夢をみる男」と彼女がいうところの男性と同居している。きっかけは「ヒッチハイクで拾われた」から。この男性はゴロディッシュ(リシャール・ボーランジェ)という。彼の部屋もジュールの部屋もいわゆるロフトなのだが、どちらもオーディオ機器の充実には目を見張るものがある。ジュールはオーディオ・マニアといった感じで、先に述べた〈NAGRA〉のほかにもオープンリール・デッキを所有しており、かたやゴロディッシュはオープンリール・デッキなども持ってはいるが、そのほかはグッとスタイリッシュな佇まいのものを使っている。ザ・シネマメンバーズの記事「ブートレグ録音マニアが推しと恋に落ちる映画『ディーバ』のマニアックな話」によれば、このスタイリッシュなオーディオ装置は、カセット・デッキがつとに有名な日本のハイエンド・オーディオ・メーカー〈Nakamichi〉の「SYSTEM ONE」という縦型ラック・マウント型のコンポーネントをラックを用いずにレイアウトしているのだそう。本作と同じ頃、日本でもオーディオ・ブームがあり、当時中学1年だったわたしも自分では買えもしない高級オーディオのカタログをもらってきては、そのサウンドやこうしたオーディオに相応しい部屋を夢想したものだが、ゴロディッシュのロフトは当時わたしが思い描いていた理想の部屋そのものなのである。

犯罪と恋愛感情が交差するスリル

 閑話休題。ジュールが知らぬ間に売春組織の秘密を吹き込んだカセットテープを預かってしまうことになったのは先に述べたが、彼はこのカセット──これも〈Nakamichi〉ブランドだ──が世間に知られてはまずい人々から命を狙われることとなる。そればかりか、シンシアの歌声を録音したオープンリール・テープを手に入れようと企む台湾のレコード会社の男ふたりからも同様に狙われてしまう。台湾のふたりがなぜそんなにも躍起になるのかといえば、それはシンシアが「必ず聴いてくれる人が必要なのです コンサートがそのための場」「歌手にも聴衆にも唯一の瞬間です」「音楽は流れるもの 留まりません」といった信念に基づき、レコーディングを頑なに拒んでいるからだ。台湾のふたりはジュールがコンサートを録音した際、彼の後ろの席で一部始終を目撃していたため音源の存在を把握しており、これを入手することで彼らとレコーディング契約を結ぶか、さもなくば海賊盤として先の録音が世に出るぞ、という二択をシンシア側に迫ることができるのである。これら二組の追手に加えて、サン・ラザール駅での売春婦刺殺を目撃していたなかに刑事もいたことから、ジュールは警察からも捜索されることになる。そんなジュールと関わりを持ったアルバとゴロディッシュも事件に巻き込まれ──といった感じで物語は進んでゆく。そこにシンシアとジュールの淡い恋愛感情のようなものも絡んでくるのである。

頻出する「円形のもの」「回るもの」

 このようにサスペンスや犯罪映画、恋愛映画といった側面のある『ディーバ』だが、よく観てみると「円形のもの」「回るもの」というモチーフが頻出していることがわかる。オープンリール・テープやカセット・テープはもちろんのこと、ジュールのミニ・バイク、彼のロフトに行くためのエレベーターの滑車、アルバが万引きするレコード、ローラースケートを履いてゴロディッシュの部屋をぐるぐると回るアルバなどなどという具合である。これらの丸くて回るものたちは、登場人物の運命に大なり小なり影響を及ぼしており、その際たるものがシンシアのステージを録音したオープンリール・テープであり、売春組織の情報が録音されたカセット・テープということなのだ。また、これらのテープは録音であれ再生であれ、片方のリールやハブがテープを巻き取ることで成立するのだが、そんなところからジュールやアルバとゴロディッシュが意図せず事件に巻き込まれてゆくことを想像させはしないだろうか。
 それから本作を改めて鑑賞してもう一点頭に浮かんだのは、サスペンス、推理もの、SF、ファンタジーといったジャンルの優れた原作を新進女優を起用して映像化した1980年代の角川映画作品。『ディーバ』にはアイドル的な女優は出演してはいないが、なぜだか’80年代の角川映画と近しい匂い──撮影や演出方法、俳優の演技といったクオリティの話でなくあくまでもムードという意味に限定しての──を感じてしまうのである。単に同時代だからということなのか、それともほかに何か理由があるのかは定かではないが、不思議なリンクを感じたのは発見だった。

ロケーションやファッションも見どころのひとつ

『ディーバ』
© 1981 STUDIOCANAL

 ストーリー展開や演技などの映画の本筋に関係する事柄だけでなく、この時代のパリとそこを行き交う人々の様子が克明に収められているのも本作の見どころだろう。シンシアがコンサートを行った「ブッフ・デュ・ノール劇場」、ジュールがバイクでメトロに乗り込み、脚力自慢の刑事と追いかけっこをする駅構内(コンコルド駅とオペラ駅の表示がある)、夜明けにシンシアとジュールが歩くシーンでは凱旋門やチュイルリー庭園を見ることができる。また、ロケ撮影時の街を歩く人々や登場人物のファッションからこの時代の傾向をとらえることも可能だろう。ジュールが着ている赤いバイカー・ジャケットはおそらく英国の〈Belstaff〉のもの。バイク用のアウターだが、街着としてもポピュラーなヘビーデューティー・トラディショナル・アイテムである。映画の後半のゴロディッシュのジャケット・スタイルは『特捜刑事マイアミ・バイス』を先取りしているかのようだ(あちらは〈GIORGIO ARMANI〉や〈VERSACE〉だが、こちらはどうだろうか)。複雑な物語ではないので、『ディーバ』はこうしたディテールに注目する余裕のある作品なのである。

サウンドトラックの魅力

 最後に印象的な音楽について少々。シンシアが歌うカタラーニのオペラ《ラ・ワリー》については先に触れたが、ジュールとシンシアが明け方にふたりで街や庭園を歩くシーンに添えられている「Promenade Sentimentale」はわたしのお気に入り。この曲のウラジミール・コスマのピアノは、それが響いたとたん空間を青みがかった透明感のある色に一変させる。まさにあのシーンの色合いのように。コスマの『ディーバ』といいガブリエル・ヤレドが手がけた『ベティ・ブルー』といい、べネックスの作品は音楽に恵まれているとつくづく思う。本作を観て興味を持った方はサントラを入手してみてはいかがだろうか。ジュールやゴロディッシュほどではないにせよ、しっかりとしたオーディオ装置で再生すれば感動もひとしおなはずである。

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この記事のライター

青野賢一
青野賢一
1968年東京生まれ。株式会社ビームスにてプレス、クリエイティブディレクターや音楽部門〈BEAMS RECORDS〉のディレクターなどを務め、2021年10月に退社、独立。現在は映画、音楽、ファッション、文学などを横断的に論ずるライターとしてさまざまな媒体に寄稿している。また、DJ、選曲家としても30年を超えるキャリアを持つ。

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