【日芸 映画批評連携】#2-1 『花様年華』 -花のような時代-

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【日芸 映画批評連携】#2-1 『花様年華』 -花のような時代-
ミニシアター系サブスク、ザ・シネマメンバーズが大学の授業や映画を学ぶ学生と連携し、映画について考えていく学生参加型のプロジェクト第一弾:日本大学芸術学部映画学科との映画批評での連携。第二回目の題材は、ウォン・カーウァイの「花様年華」。今回は二人の批評を掲載。一人目は、ペンネーム:assirさん。

目次[非表示]

  1. 執筆者:assir(ペンネーム) 芸術学研究科芸術専攻博士後期課程3年
  2. 選評

執筆者:assir(ペンネーム) 芸術学研究科芸術専攻博士後期課程3年

 「花樣年華」とは、中国語で「花のような時代」という意味である。やがては枯れてしまう花のように、美しく儚い歳月のことを表す四字熟語で、日本語の「青春」に近い言葉だと考えられている。そう思って見た観客の中には、主人公を演じた俳優の二人が40代を目前としていることに驚かされた人もいただろう。なぜなら、この映画で「花のような時代」として描かれたのは登場人物ではなく、「香港」という場所だからである。
 「花のような時代」として設定された映画の舞台は、1960年代の香港である。主人公の二人は香港に越してきた上海人だが、監督のウォン・カーウァイ自身も実はこの時期に移住した上海出身の移民だ。映画はウォンが幼少期を過ごした「1960年代の香港」を再現し、観客が当時を追体験できるよう注力された。タイのバンコクで撮影され、スペイン語によるナット・キング・コールの楽曲が使われた『花様年華』は、一見それほど「香港」という場所にこだわっていないようにも見えるかもしれない。しかし、タイで撮影された理由は当時の外観を残している場所が香港に残っていなかったからであり、ナット・キング・コールの曲が使われた理由はこの時期の香港でラテン調の音楽が流行していたからである。1960年代の香港を知る人は、映画に使用されたバンコクの街並みやスペイン語の音楽によって、たちまち当時の情調を思い出すことができるようになっているのである。
 1960年代だけに限らず、香港には「花樣年華」という言葉がよく似合う。「移民の街」として絶え間なく人が入れ替わり、19世紀半ばから属する国はイギリス、日本、中華人民共和国と忙しなく変動してきた。本作の冒頭もアパートに上海からの移民が引っ越してくる場面から始まり、終盤では大家が香港の未来を懸念する娘とアメリカに移住する可能性を話している。今の香港は、明日にはもう無いかもしれない。そんな一過性の場所であり続ける事実が、香港に儚さを漂わせている。長くは続かないかりそめの時間が流れているのは、香港という特殊な場所の事情だけでなく、叶わない主人公たちの不倫関係の所為でもある。ウォン・カーウァイの映画では、基本的に登場人物の奔放さや立場の関係等から恋愛関係が上手く行かない。『恋する惑星』(『恋する惑星』(重慶森林, 1994)では恋愛には賞味期限があることが、『2046』(2046, 2004)では永遠に変わらないものなど無いことがテーマとして描かれ、どれほど楽しい恋愛にも終わりがあることが強調された。ウォンが一過性の恋愛を描き続けるのは、彼が「香港」という刹那の場所を生きる作家だからだろう。映画が公開された2001年は香港が中国へ返還されてからまだ間もない頃で、「イギリス領時代が終わる」という儚い時間意識の中に立たされていた。香港にとって、中国がいずれは元に戻ることが約束されている配偶者ならば、イギリスは束の間の不倫相手のような存在だったと言える。映画の舞台である1960年代は、そんなイギリス領香港の全盛期である。劇中では「時計」が何度もクロースアップで映し出され、二人の過ごした美しい1960年代が刻一刻と終わりに近づいていることが暗示された。

「花様年華」4Kレストア版
© 2000 BLOCK 2 PICTURES INC. © 2019 JET TONE CONTENTS INC.

 ところで、監督は『花様年華』を「不倫」の映画にしたくなかったと2001年のカンヌ国際映画祭におけるインタビューで語っている。曰く、既に不倫の映画はたくさん作られているため、ありきたりでつまらないと思ったからだそうだ。その代わりに、ウォンは本作を「秘密」の映画にすることにした。不倫とは「秘密の恋愛」のことであり、本作の英題も当初は『Secrets』(秘密)で構想されていた。この「秘密」を込めるために、作品へ施された工夫が秀逸である。まず、主人公の二人が密会する様子を表現するため、観客が彼らを覗き見る視点になるように撮影された。アパートや事務所、タクシーの窓や、鏡越しに撮影する「フレーム内フレーム」(註:画面のフレームの中にさらに別のフレームを作ること)の技法が積極的に使われ、レストランで食事する場面は二人から少し離れた席で撮られている。こうした間接的な撮影方法により、観客は二人を監視したり尾行したりしているような気分になることができる。また、全体的に二人が落ち合う場面の照明は仄暗くされ、影の出来やすい狭い階段や鉄格子が空間作りに利用された。暗いトーンによる画作りは、人目に付かない場所で隠れて会っている雰囲気を見事に作り上げている。なかでも印象的なのは、彼らの配偶者たちの扱いである。チャン(マギー・チャン)が夫に不貞を問い詰めているように見えるシークエンスがあるが、アングルが変わると実は話し相手はチャウ(トニー・レオン)で、二人でチャンの夫を問い詰める「予行演習」を行っている様子だったことが発覚する。このとき観客がチャンの話し相手を夫だと錯覚してしまうのは、チャウが長いこと正面から映されず後ろ姿と声でしか登場しないからである。二人の配偶者たちは一貫して後ろ姿とヴォイス・オーヴァー(註:画面に映っていない人物の声を用いる手法)でしか現れず、彼らの顔は最後まで画面上に現れない。言わば、見る側に一つの「秘密」が作られていることになる。映画のエンディングでは、チャウがアンコールワットの壁穴に「ある秘密」を囁いて蓋を閉じ、観客はその内容を思い思いに想像することになる。この秘密に関する場面は実は撮影されていたのだが、編集では全て削除されてしまった(注1)。最大の「秘密」を残したまま、映画の幕は強制的に下ろされるのである。

「花様年華」4Kレストア版
© 2000 BLOCK 2 PICTURES INC. © 2019 JET TONE CONTENTS INC.

 映像からは何かが隠されて「秘密」が作られた一方、逆に音楽では「秘密」のヒントが与えられた。例えば、劇中で流れるナット・キング・コールの《テ・キエロ・ディヒステ》では、愛する女性の本心を知りたがる男性の気持ちが歌われる。チャウとチャンは、周囲の人間どころかお互いにまで気持ちを隠しているのだが、少なくとも観客はこの曲を手掛かりに男性側であるチャウの心情を知ることができる。実質的なメインテーマである《夢二のテーマ》は、元々は鈴木清順の映画『夢二』のために書き下ろされたワルツである。ワルツは二人一組で踊ることが想定されたダンス音楽であるため、聴く人に恋愛関係を連想させやすい。それゆえ、映像では二人が軽く会釈してすれ違っているだけでも、二人で踊るためのワルツが流れることで、実は互いに気があるのではないかと勘繰らせる効果がある。それに加え、《夢二のテーマ》はシュトラウスのように明るく軽快なワルツではなく、不穏で重々しいスローテンポの短調である。これは、オリジナルの映画『夢二』も不倫を題材にしていたことが関係しており、この点も二人の秘密の関係性を仄めかすことに貢献している。この曲にはストリングスの弦を指ではじく「ピッチカート奏法」が使われているが、その音は時計の秒針が進む音を想起させる。花のような歳月が過ぎていく様子が、淡々と奏されるピッチカートによって演出されているのである。
 以上の音楽は観客にだけ聞こえるものだが、一曲だけ登場人物たちも実際に聴いている音楽がある。周璇の《花樣的年華》である。映画のタイトルに擬えたこの曲は、チャウが配偶者の誕生日プレゼントと銘打って、チャンのためにラジオのリクエスト曲として贈ったものだ。周璇は第二次世界大戦時に上海で流行した歌手で、この歌では日本に占領された上海への憂いが歌われている。同じく日本占領下の上海を経験した移民のチャンに、チャウがこっそりと捧げたのである。かつての自由だった上海を恋しがる《花樣的年華》は、そのままどこかの属国であり続ける「香港」のアイデンティティとも重ねられている。チャウとチャンの関係がかりそめであるように、美しい1960年代の香港もやがては終わる。《花樣的年華》は、次の一節で締め括られる。「ああ、愛しい祖国よ いつになればあなたの懐に飛び込めるだろう この霧が晴れるのを見られるだろう あなたの輝きを再び見られるだろう 花のような時代 月のような心」(筆者訳)。
(注1)
チャウが囁いた秘密の内容は、一部の研究者からは「二人が関係を持った」ことに関するものだと考えられている。該当する削除されたシーンや画像は、本編の代わりに映画のポスターに使用された他、インターネット上でも確認することができる。

選評

 『花様年華』の言葉の意味から、映画がつくられた時代、香港という場所、そしてウォン・カーウァイという映画作家までが明快にリンクしながら書かれたのちに、“秘密”というキーワードで解いていく構成は、一気に読ませるものでした。また、秘密や音楽について語られる際に、作り手と観客の視点とがしっかりと意識として落とし込まれているので、論旨が明確でありつつ、読みやすく、「観る気にさせてくれる」文章でした。最後の一曲だけ登場人物たちもその曲を聴いているというポイントも秀逸でした。

 但し、削除されたシーンと“秘密”との関係については、約3000字程度としているこの取り組みの中では、字数が足りなかったかもしれません。

 ウォン・カーウァイは、数々のインタビューで公言している通り、脚本なしで、セッションするように様々なアイデアを撮って、映画として編んでいくというスタイルで作っています。特に『恋する惑星』から『2046』あたりまでそれが顕著で、彼の代表作もこの時期の作品群と言えるでしょう。

 そうやって、セッションするように撮られたもののなかには当然、アイデアとしては面白かったが、物語を変えてしまうようなシーンもあり、それらは、 “そうであったかもしれない物語のかけら”であり、音楽でいう“アウトテイク”であり、場合によると、“除去されたノイズ”ということもあります。『花様年華』は特に制作過程での膨大な断片があり、『@ in the Mood for Love』 というウォン・カーウァイ自身による約50分のドキュメンタリーや“alternate ending”と呼ばれる別のエンディングの存在も知られています。

 ただ、ウォン・カーウァイは、『花様年華』という“作品の最終形”としては残さなかった。このことが映画としてはポイントであり、それは彼の作家性によってなされていると考える時、さらに深堀りできる余地がありそうです。

(ザ・シネマメンバーズ 榎本 豊)

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