『花様年華』はウォン・カーウァイの「60年代三部作」と称される作品のなかの二作目にあたるもの(一作目は『欲望の翼』、三作目は『2046』)。物語の始まりは1962年の香港である。花が描かれた生地で仕立てた旗袍(チーパオ=チャイナドレスのこと)をキリリと着こなす女性が、とあるアパートの一室を訪れる。この女性の名前はチャン(マギー・チャン)。どうやらこちらの部屋のひとつを間借りするようだ。家主であるスエン(レベッカ・パン)と手短に話をし、部屋をあとにするチャン。それと同じタイミングでスーツを着たひとりの男が階段をのぼってきた。この男はチャウ(トニー・レオン)。彼もスエンのところに間借りしようとやってきたのだが、チャンが一足お先に借り手となったことを聞かされ落胆する。しかしスエンから隣のクウさんの部屋なら一部屋空いているはずだと教えてもらい、早速呼び鈴を鳴らしてみた。
こうしてチャンはスエン宅、チャウはクウ宅にそれぞれ間借りすることとなった。どちらも夫婦で住まうようである。引越しは偶然にも同じ日に行われるのだが、引越し業者がちょくちょく荷物の運び先を間違える。チャンは業者のひとりに「私のじゃない きっと隣の人の靴だわ」と袋に入ったハイヒールを突き返す。一方、チャウの方には自分のものでない本が運ばれてきたので、それを「お隣さん」のチャンに返しにゆく。これがふたりの初めての会話のきっかけとなった。この引越しのシークエンスで、チャンの夫についての情報が明らかになる。すなわちボスが日本人の会社で働いていること、海外出張が多く家を空けがちだということなどだ。
こうしてチャンはスエン宅、チャウはクウ宅にそれぞれ間借りすることとなった。どちらも夫婦で住まうようである。引越しは偶然にも同じ日に行われるのだが、引越し業者がちょくちょく荷物の運び先を間違える。チャンは業者のひとりに「私のじゃない きっと隣の人の靴だわ」と袋に入ったハイヒールを突き返す。一方、チャウの方には自分のものでない本が運ばれてきたので、それを「お隣さん」のチャンに返しにゆく。これがふたりの初めての会話のきっかけとなった。この引越しのシークエンスで、チャンの夫についての情報が明らかになる。すなわちボスが日本人の会社で働いていること、海外出張が多く家を空けがちだということなどだ。
日常描写にさりげなく潜む不倫の影
あるとき、チャンは夫に出張先でハンドバッグをふたつ買ってきてほしいと伝える。ひとつは自分用、もうひとつは勤め先の社長の「彼女」用。チャンは社長秘書をしており、いわゆる業務のほかにこうした社長の個人的な要求にも応えている。社長は既婚者であり、このハンドバッグは妻ではない「彼女」へのプレゼントなのだ。ここからしばらくはチャンとチャウの日常の描写が続き、チャウが新聞社に勤めていることや彼の妻が仕事のため──ホテルのフロント業務だろうか──夜勤が多いことなどがわかってくる。ようは不在がちなパートナーのため、チャンもチャウも単身者的な生活を送っているのである。単身者的生活なので、食事も自炊よりは外食に頼る。チャンは小ぶりなジャーを持って屋台に夕食を買い求めにゆき、チャウは屋台で夕食を摂ることも多い。
一見、なんということのない様子が描かれる一連のシーンだが、実はさりげなく重要な事柄も織り込まれている。チャンの夫が日本で買ってきた炊飯器をめぐるやりとり、チャウの妻が男と歩いていたという目撃情報、チャンの会社の社長のタイについての会話、それから先に述べたハンドバッグについてもそうだ。そんな日々のなか、チャンもチャウもあることに気づく。それはお互いの配偶者同士が不倫関係にあるということだ。
一見、なんということのない様子が描かれる一連のシーンだが、実はさりげなく重要な事柄も織り込まれている。チャンの夫が日本で買ってきた炊飯器をめぐるやりとり、チャウの妻が男と歩いていたという目撃情報、チャンの会社の社長のタイについての会話、それから先に述べたハンドバッグについてもそうだ。そんな日々のなか、チャンもチャウもあることに気づく。それはお互いの配偶者同士が不倫関係にあるということだ。
経済発展をみせる1960年代の香港
ここでこの時代の香港の情勢についてを簡単に記しておきたい。1958年に始まった毛沢東の「大躍進政策」は中国の経済および農業事情を悪化させ、特に農村部においては大飢饉をもたらすこととなった。これにより中国から香港への移民──難民といっていいだろう──が殺到。このピークが1962年といわれている。移民は安価な労働力となり、繊維業やアパレル関連の製造業、それから造花に代表されるプラスティック製品製造を中心とした1960年代の香港の経済発展に寄与する産業に従事することとなった。このように1960年代の中国からの移民は工場労働者が多かったのだが、作中のチャンもチャウも第二次産業従事者ではなく、そのことから以前より香港にいたのが想像できる(チャンが間借りしている部屋の家主スエンは上海料理に言及している箇所があるので、第二次国共内戦の頃に上海から香港に移ってきたのかもしれない)。ちなみにウォン・カーウァイは1958年上海生まれで5歳のときに香港に移り、香港で育っている。同時期の日本に目を移すと、高度経済成長の真っ只中。技術革新は家電分野の伸張を促していった。チャンの夫が日本で買って帰ってきた最新式の炊飯器をスエンやクウらが好奇の目で眺めるのは実に象徴的ではないだろうか。
小説執筆に乗り出すふたり
さて、映画に話を戻すと、お互いのパートナーが不倫をしていることを確信したチャンとチャウは、同じ境遇ということで会う機会が増える。会って何をするかといえば、それぞれの夫、妻の気持ちを知ろうとシミュレーションをしてみたり、レストランで双方のパートナーの好みを探ってみたり。そんなことをしながら、少しずつ距離が縮んでゆくふたりだった。ここで注意しておきたいのは、ひとつながりのシーンに見えて、実は異なる日にちのエピソードが入り込んでいる点である。チャンの旗袍やチャウのタイの違いを見逃さないようにしたい。
そのようにして配偶者不在の時間を過ごしていたふたりだったが、ある日チャウは「新聞の連載小説を書きたい」とチャンに告げる。「実はもう書き始めてる」「君にも手伝ってほしい」。「私じゃムリ」と返すチャンに「筋を話し合うんだ」と説得するチャウ。こうしてお互いのパートナーの不倫シミュレーションから、小説執筆に時間を割くようになったふたり。創作に熱中し、チャウの部屋でも執筆を進めていたが、あるときチャンが自室に帰れない状況が生じてしまう。ようやくチャウの部屋から出られるタイミングが訪れたが、チャンの足元は室内用のスリッパ。それを履いて戻るわけにもいかないので、チャウの部屋にあった「自分のものではない」ハイヒールに無理やり足を入れて自室に帰るチャン。おそらくこのハイヒールは引越しの際に間違えて運ばれたあの靴で、部屋でこれを脱ぐときのチャンの表情は、足が痛いのと、自分の夫の不倫相手でありいまや自分がほのかに思いを寄せるチャウの妻でもある人物の靴を履いていたことに対するなんともいえない嫌悪感が入り交じっている。
そのようにして配偶者不在の時間を過ごしていたふたりだったが、ある日チャウは「新聞の連載小説を書きたい」とチャンに告げる。「実はもう書き始めてる」「君にも手伝ってほしい」。「私じゃムリ」と返すチャンに「筋を話し合うんだ」と説得するチャウ。こうしてお互いのパートナーの不倫シミュレーションから、小説執筆に時間を割くようになったふたり。創作に熱中し、チャウの部屋でも執筆を進めていたが、あるときチャンが自室に帰れない状況が生じてしまう。ようやくチャウの部屋から出られるタイミングが訪れたが、チャンの足元は室内用のスリッパ。それを履いて戻るわけにもいかないので、チャウの部屋にあった「自分のものではない」ハイヒールに無理やり足を入れて自室に帰るチャン。おそらくこのハイヒールは引越しの際に間違えて運ばれたあの靴で、部屋でこれを脱ぐときのチャンの表情は、足が痛いのと、自分の夫の不倫相手でありいまや自分がほのかに思いを寄せるチャウの妻でもある人物の靴を履いていたことに対するなんともいえない嫌悪感が入り交じっている。
心通わせるふたりを遮るもの
チャンとチャウはいわゆる不倫関係ではないが、先の出来事もあって、チャウは書斎がわりに部屋をもうひとつ借りることにした。「安心して会えるよ 僕たちは潔白だけどウワサ話は困る 同感だろ」とチャウ。しかしチャンは「私は行かない 1人で書けるでしょ」と冷たく返した。その後、書斎として借りた部屋にこもっているのか、チャウが新聞社を数日無断欠勤していることを知るチャン。チャウからの電話で居場所を把握したチャンは仕事を終えて件の書斎部屋へと向かうのだが、このときのリップの色は普段よりグッと明るい。鮮やかな赤のアウターとも相まって、チャウと対面する心躍るような気持ちが表れているといえよう。これを契機に、チャンはこの書斎部屋へとたびたび通うのだった──。
自由に会うことができる部屋ができたにもかかわらず、チャンとチャウ、ふたりの関係は極めて禁欲的であり、一線は超えない。しかし、お互いの気持ちは十分に通じあっていることは明白だ。チャンはチャウとの密会を重ねるうち、しばしば素の自分を出して涙を流したりもする。これは大きな変化である。しかしふたりを取り巻く状況は変化の兆しがない。終盤、雨のなか佇むふたりの姿はそんな身動きがとれない状態と重なる。そして、その動けない状況をどうにかするべく、チャウはある決心をしていた。その決心を実行するため、チャンとチャウは「練習」するのだったが、ここでもチャンは思い溢れて泣いてしまう。これに続くいくつかのシーンはとてつもなく切ないもので、そこに登場する炊飯器がこんなに悲しいものに思えることはこれまでもこの先もないだろう。
おもに室内でチャンとチャウをカメラが捉えるとき、その視線はガラス越しや鏡越しという場合が多いのだが、それはあたかもふたりの時間が幻想であるかのように感じさせるし、あるいは他者の視線を表しているともいえるだろう。我々は都市生活では近隣関係が希薄というように考えてしまうが、この時代の香港はむしろ逆だったようで、それはチャンとチャウの住まいが「間借り」であることからも読み取ることができる。間借りは同居とニアリーイコールであり、そこでの家主と店子のコミュニケーションは当然ながら欠くべからざるもの。チャンとチャウのあいだに割って入ってくるのは、不在の配偶者たちではなく、スエンら身近な人々なのである。
自由に会うことができる部屋ができたにもかかわらず、チャンとチャウ、ふたりの関係は極めて禁欲的であり、一線は超えない。しかし、お互いの気持ちは十分に通じあっていることは明白だ。チャンはチャウとの密会を重ねるうち、しばしば素の自分を出して涙を流したりもする。これは大きな変化である。しかしふたりを取り巻く状況は変化の兆しがない。終盤、雨のなか佇むふたりの姿はそんな身動きがとれない状態と重なる。そして、その動けない状況をどうにかするべく、チャウはある決心をしていた。その決心を実行するため、チャンとチャウは「練習」するのだったが、ここでもチャンは思い溢れて泣いてしまう。これに続くいくつかのシーンはとてつもなく切ないもので、そこに登場する炊飯器がこんなに悲しいものに思えることはこれまでもこの先もないだろう。
おもに室内でチャンとチャウをカメラが捉えるとき、その視線はガラス越しや鏡越しという場合が多いのだが、それはあたかもふたりの時間が幻想であるかのように感じさせるし、あるいは他者の視線を表しているともいえるだろう。我々は都市生活では近隣関係が希薄というように考えてしまうが、この時代の香港はむしろ逆だったようで、それはチャンとチャウの住まいが「間借り」であることからも読み取ることができる。間借りは同居とニアリーイコールであり、そこでの家主と店子のコミュニケーションは当然ながら欠くべからざるもの。チャンとチャウのあいだに割って入ってくるのは、不在の配偶者たちではなく、スエンら身近な人々なのである。
携帯ジャーと秘密
この物語はふたりの1962年が終わったところでエンドではない。1963年のシンガポール、それから1966年の香港、そしてカンボジアへと続くのだ。シンガポールのシークエンスで、チャウは昔の人の考えだとしたうえで「大きな秘密を抱えている者がその秘密をどうするか」を同僚に話す。そのやり方とは、山のなかの大木の幹に穴を掘ってそこに秘密を囁き、穴を土で埋めるというもの。これで封印するということだろう。これを聞いて、私が即座に思い浮かべたのは、チャンが屋台に買い出しにいく際に持参するあのジャーのことだった。いうまでもなくジャーは保温機能があって、おまけにチャンが使っているのは持ち運び可能なサイズのもの。ジャーのなかには「秘密」とはいわずとも、チャウと共有した時間が少なからず詰まっているはずで、気が向いてそれを眺めたり使ったりすればその思い出を保温状態で取り出すこともできそうだ。一方、チャウが語った木の幹に埋めるという方法は、一度やってしまったらその秘密を再び取り出すことは難しそうである。
世界情勢の変化のなかで変わらない心
続く1966年の香港のシークエンスでは、この年の香港の状況が暗に語られている。1966年は中国の「文化大革命」の年。毛沢東主導による社会主義社会におけるこの革命運動──本質的には中国共産党内部の権力闘争なのだが──は、思想的弾圧から逃れようと香港に向かう移民を増加させ、またそれまで比較的平和裡にいられた香港の状況が変化するかもしれないという懸念を香港の人々に抱かせることとなった。そうしたなか、この物語の登場人物たちがどうなってゆくのか。それはぜひ本篇にてお確かめいただきたいのだが、ウォン・カーウァイはこの1966年を変化の年、それまでの時代の名残が感じられなくなった年と捉えているようである。そして最後に同年のカンボジア王国へと舞台は移る。このシークエンスでは、ベトナム戦争の真っ最中、カンボジア国王を1955年に退きながらも国家元首であったシアヌーク殿下と王妃がフランスのシャルル・ドゴール大統領を空港で出迎えるニュース映像が用いられている。ドゴールはこのカンボジア訪問の際の演説(プノンペン演説)で中立を貫く姿勢を見せつつ、ベトナム戦争におけるアメリカの武力行使を問題視し、反米ともとれる発言をしているのだが、それはともかく、この年が香港、中国のみならずほかのアジア圏、ヨーロッパ、アメリカなどにとっても重要なものであったことを印象づける映像である。そんな年にチャウはひとりカンボジアのアンコールワットを訪れたのだった──。
こうしてみてゆくと『花様年華』は、1963年のシンガポールまではチャンとチャウを中心とした物語、それ以降は香港や世界情勢の変化へと軸足が移っているように感じられる作品である。だが、チャンとチャウは作品の終盤に描かれるそうした国家レベルでの変化にはさほど影響は受けておらず、むしろ変わりゆく世界のなかにあって、1962年のふたりの心持ちが時を経てもなお変わらないでいることが際立ってくるように思う。そんなふたりの左手の薬指から、いつのまにか結婚指輪がなくなっていることに気づいたときには、思わずニヤリとしてしまった。
こうしてみてゆくと『花様年華』は、1963年のシンガポールまではチャンとチャウを中心とした物語、それ以降は香港や世界情勢の変化へと軸足が移っているように感じられる作品である。だが、チャンとチャウは作品の終盤に描かれるそうした国家レベルでの変化にはさほど影響は受けておらず、むしろ変わりゆく世界のなかにあって、1962年のふたりの心持ちが時を経てもなお変わらないでいることが際立ってくるように思う。そんなふたりの左手の薬指から、いつのまにか結婚指輪がなくなっていることに気づいたときには、思わずニヤリとしてしまった。