PROGRAM

放送作品情報

ラスト・ショー

THE LAST PICTURE SHOW 1971年 アメリカ / 127分 青春 ドラマ

田舎町の若者たちの愛と友情がほろ苦く染みる…ピーター・ボグダノヴィッチ監督が描く名作青春映画
放送日時
2018年10月04日(木) 06:30 - 09:00
2018年10月17日(水) 08:00 - 10:15
2018年10月22日(月) 10:45 - 13:00
解説

『ペーパー・ムーン』のピーター・ボグダノヴィッチ監督が、寂れていく田舎町の若者たちの青春をモノクロ映像で写し取る。アカデミー助演男優賞(ベン・ジョンソン)、 助演女優賞(クロリス・リーチマン)を受賞。

ストーリー

1951年、テキサス州アナリーン。高校生ソニーと親友デュアンは、町で唯一の映画館を経営する元カウボーイのサム・ザ・ライオンに憧れていた。恋人シャーリーンとの仲を進展させたいソニーは、結婚するまで一線を越えさせない彼女に不満。一方デュアンも、家柄の違う恋人ジェイシーとの関係に悩んでいた。そんなある日、ソニーはフットボール部のコーチから妻ルースの送り迎えを頼まれ、彼女と関係を持ってしまう。

出演

ティモシー・ボトムズ
ジェフ・ブリッジス
ベン・ジョンソン
エレン・バースティン
ほか

字幕/吹替
字幕
掲載制限
なし
カラー/白黒
白黒
画面サイズ
ワイド
HD
※【ザ・シネマHD】にご加入の方は、
HD画質でご覧頂けます。

オススメキーワード

  • 鑑賞日

    「アメリカングラフィティー」に陰の部分を加えた感じ

    出演者がみんな演技派揃いで見応えがある。車やセットはもちろん、モノクロが背景となった1950年代を見事に再現している。 ただ、「アメリカングラフィティー」よりも年代が前であるせいか、馴染みの曲が少ないのが残念。 また、ストーリー自体は「アメリカングラフィティー」のような明るさがある反面、人の死(突然死と交通事故死)や裏切り、幼女誘拐等の陰の部分も多く、その統一性のなさ、ギャップに違和感を感じる。最後はその「陰」の部分で終わってしまって後味が悪く、やや消化不良ぎみである。そもそも主人公がフットボールのコーチの妻と恋愛関係になるが、この女優は明らかにミスキャスト。どう見ても高校生が好きになるタイプとは思えない。エレンバースタインのほうだったら、まだ納得できるが。 あと、全体的に性の倫理観が私の感性には合わなかったので、演技派の出演者誰一人、共感できる者はいなかった。同じ監督の「ペーパー・ムーン」が心温まる感動作だっただけに、期待しすぎただけ、その落差も大きかった。 なお、「アメリカングラフィティー」と比較したが、「アメリカングラフィティー」より2年前の作品なので、「アメリカングラフィティー」が「ラストショー」から陰の部分を除いた感じ、と表現したほうがよいかもしれない。

  • 鑑賞日 2017/10/25

    白黒

    哀愁漂う アメリカの田舎

  • 鑑賞日 2017/9/7

    過去と未来の対峙

    アメリカテキサスの田舎町の高校生と、彼らのたまり場のビリヤード食堂を併設する映画館を経営する老人の交情を描く青春物語。 ピーター・ボクダノビッチ監督がモノクロで1950年代の田舎町の高校生を描いた。 冒頭の砂埃の舞うさびれた田舎町の風景に、ゴーストタウンかと思ってしまう。そこに走りくる小型トラック。そんなうら寂しい通りを箒で履いている少年。急停止するトラック。 とても不穏な雰囲気を感じさせる。青春映画だと聞いていたのに、冒頭から事件でも起こるのだろうかと思ってしまう。 そしてトラックから降りた青年が主人公の高校生サニーであることが分かり、彼が入っていったビリヤード場にいた人物が経営者のサムであると知る。この二人の関わりが本作のベースとなる。 ただ、二人の関係について描かれる分量は少なく、エピソードも平板である。だが、サムが代表するものと、サニーが代表するものが、分かりあい、反発しあい、お互いに敬意を表す。それは、過去と未来の対峙でもある。 そして、サニーの周囲の同級生ドゥエイン、その彼女のジェイニー、体育教師の妻のルース、ジェイニーの母ロイス、食堂のウェイトレスのジェヌビェーブ、サムの世話しているろうあ者の少年ビリー、彼らと関る日常が、ぶつ切りのシークエンスの連なりで描かれる。サニーの日常は、普通ではあるが、それでいて突拍子もない出来事も起こる。 ぶつ切り故に、余韻を感じさせる間を与えず、哀しいことも、辛いことも、見る者の感情を高めるような演出は皆無である。 サニーは男子高校生の本能に則り、恋と性に焦がれる。その結果、ガールフレンドと別れ、新たなセックスパートナーを設けたり、恋故の喧嘩も起こす。更に、ジェイニーがとんでもない女子高校生で、周囲の男性たちを翻弄し、更には自分自身をももて余し、暴走する。リアリティからは程遠い人物造形であるが、サニーを誘惑するモノの怪の象徴と考えれば、映画の構図にピタリと入る。 そんなサニーの日常は、ある種のアウトローの領域に踏み込みそうに思えるのだが、サニーとサムの関係が物語のベースとしてあるので、生々しさは薄れる。 古き良きアメリカとしての西部を体現したベン・ジョンソンがサムを演じているのが、本作のメッセージでもある。 サニーは、ビリーの事件を受けて、サムの心境をおもんぱかり、狼狽する。そして、ダメ男ぶりをさらけ出すことで、彼自身の変化を予感させる。そんなラストは、具体的に語ってくれないが、エンドロールの余韻は深い。

  • 鑑賞日 2017/9/10

    生き生きと描かれた群像

     ボグダノヴィッチ監督が描く青春映画の傑作。50年代のテキサスという田舎町を舞台にして高校生たちの友情や恋を活写している。モノクロへのこだわりが時代の雰囲気を醸し出し、青春の光と影をも強調してみせる。  評価の高い作品だけれどこれといった大事件が起きるわけでもなく、会話を中心にした乾いた雰囲気のストーリー展開に自分は最初それほどのめり込めなかった。いかにもアメリカの高校生らしい性への欲求や悩みが自由奔放に描かれたよくある青春映画としか思えない。でもあとを引くものが残る。噛めば噛むほど味が出てくる映画といったらよいだろうか。  男女の恋愛の駆け引きの様子が思いのほか繊細なタッチで描かれていたことに後で気づくことになる。登場人物それぞれがしっかり描かれていることが映画に奥行を与えているのだろう。主演のサニー(ティモシー・ボトムズ)、相棒のドゥエイン(ジェフ・ブリッジス)、ジェイシー(シビル・シェパード)、サム(ベン・ジョンスン)、そしてさみしがり屋の人妻ルース(クロリス・リーチマン)、奔放なジェイシーの母親(エレン・バーステイン)らが皆実在の人間のように生き生きとしていて身近にいてもおかしくない。そんな実在感がドラマの陰影を濃くしていたのだと余韻に浸りながら思う。

  • 鑑賞日

    気だるい感じ

    音楽だけ聞くとそんなことないのだが、小さな音で流れているカントリーミュージックはモノクロ画面と合わせると、気だるい感じがする。登場人物たちの小さな街から出たいと言う想いが、更に気だるさを増幅させる。見終えると気分が重くなった。

  • 鑑賞日 2017/9/11

    また観た

    学生時代に観た映画を今また観ることは、学生時代の自分に再会するようで、とても懐かしい。この「ラスト・ショー」もそのひとつ。またいつか観たい。ティモシー・ボトムズの不安げな自身のなさそうな表情が印象的だ。

  • 鑑賞日

    描かれる青春そのものが古きテキサス男同様に時代遅れ

     原題"The Last Picture Show"で、最後の映画の意。ラリー・マクマートリーの同名の自伝的小説が原作。  1950年代初頭、テキサスの田舎町を舞台に青春をノスタルジックに振り返るという作品で、ハイスクール最終学年の主人公ソニーとその親友デュアンの友情物語という、よくあるパターンだが、『アメリカン・グラフィティ』『スタンドバイミー』といった、その後の類似作品の先駆け。  この町のデートスポットの映画館でのソニーとデュアンのダブルデートから始まり、ハイスクールを卒業して映画館の閉館上映をソニーとデュアンが二人で見るまでの青春の蹉跌が描かれるが、映画館閉館の理由が古きテキサス男の映画館主サムの死によるもので、旧き良きアメリカの終焉と映画館閉館に、二人の良き青春の思い出を重ね合わせるという作品になっている。  タイトルの"The Last Picture Show"は、この閉館上映のことで、一つの時代の終わりを描く映画だが、半世紀後に見ると、そこに描かれる青春もまた古き良き時代のもので、当時の若者たちの倫理観・価値観が今では大きく変貌していることに気づかされる。つまり、ここに描かれる青春そのものが、サム同様に時代遅れなのかもしれない。  この映画館で最初に上映されるのは『花嫁の父』(1950)、閉館上映は『赤い河』(1948)。  結婚までセックスはお預けという彼女と別れたソニーは、夫との愛情に満たされない人妻と不倫。デュアンは処女を捨てたがっているジェイシーとの初体験に失敗し、別れたジェイシーはソニーに魅かれてセックス。二人の友情にひびが入り、ソニーはジェイシーと駆け落ちするが失敗する。  ジェイシーが単なる気まぐれ女と気づいたソニーは、町を出て朝鮮戦争に志願したデュアンと仲直りし、Last Picture Showに行く。  サムの物語として、人妻だったために成就できなかった悲恋があり、その相手がジェイシーの母だったという隠し味もあって、シナリオは凝っている。  もっとも、ノスタルジー以外に何か残るものは特になく、本作自体が旧き良きアメリカ映画への"The Last Picture Show"といえなくもない。(キネ旬1位)

  • 鑑賞日 2016/7/17

    アメリカン・フィフティーズ・グラフィティ。

    ラジオからトルーマン大統領がテキサスを来訪する、というニュースが流れ、 時代と舞台が明かされる。つまり製作年から20年前の話と言うことになる。 73年の「ペーパー・ムーン」でもモノクロームを採用したボグダノヴィッチ監督、 本作も砂埃が舞うテキサスの田舎町をモノクロームでノスタルジックに描く。 原作小説に感銘したのか、監督自身が脚色し、思い入れたっぷりの各エピソードを 素晴らしい映画的シーンに組み立て直し、たった一度の青春を甘酸っぱく再現した。 J・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」の60年代カルフォルニアの若者の狂騒と 比較すると、興味は尽きない。保守的な50年代テキサスは、喉首を締めるような 重苦しさがある。学校のバスケットのコーチの妻であるルースとソニーの不倫、 ジェイシーとその母親に象徴される女性のセックス観が、町のモラルに背を向ける。 では、ビッグ・カントリー、テキサスの男はどこに現れているのか。 長らく西部劇のいぶし銀の脇役を務めていたベン・ジョンソンが、 そのたたずまいだけで、テキサス男を見事に演じ上げた。 テキサスはアメリカの50分の一ではない、 俺たちがアメリカさ、と言っているような存在感がある。

  • 鑑賞日 2001/4/5

    青春かな?

     青春なんでしょうね。鑑賞したのは15年前ですが、確か内容というよりもジェフ・ブリッジスが出演していたことだけが印象に残っている作品でした。こういう作品に出演していたんだなぁと。後はあまり覚えていません。

  • 鑑賞日 2016/7/9

    青春の挫折感と空虚を痛烈に描く

     そんなに好きになれる訳ではないが、過ぎ去ってしまう青春の挫折と空虚感を痛烈に描いている。そして、閉じられた田舎町であるがゆえに、郷愁とか、寂寥感も十二分に感じられる。  ティモシー・ボトムズのソニーの特にラストの空虚な思いに痛いほど共感し、ベン・ジョンソンのサムがとってもいいと思い、エレン・バースティンやアイリーン・ブレナンに懐かしさと上手さを感じた。  多分、前に観たのは1970年代だと思うが、からっ風が通り抜ける寂しげな感じは記憶に残っていた。

  • 鑑賞日 2016/7/4

    いちばん格好悪いのは続編を作った監督か

    ◎ 主役3人が3人とも、こんなに格好悪い青春映画も珍しい。ティモシー・ボトムズ演じるサニーは優柔不断だし、その親友のデュアンは、演じるジェフ・ブリッジスの顔そのままで軽薄なうえに小心でズルい。そして、何よりも美しくチャーミングであってほしいヒロインのジェイシーは男を翻弄する悪女の卵であり、嫌な女のサンプルのようだ。それに、シビル・シェパードにはこんなに簡単に服を脱いでほしくない。 ◎ 初めて観たのは43年前で、この映画の描いている時代に生まれた私は、主役3人の年齢に近かった。そして、今はベン・ジョンソン演じるライオンのサムの世代になった。この映画の中で、唯一彼だけが格好いい。彼は言う。「何もしないで老いぼれてしまうのが一番悪い。」43年前にこのセリフがもっと身に染みていたらといまさら悔やんでもしょうがない。

  • 鑑賞日 2016/4/21

    アメリカの田舎町の青春物語。高校時代・・・この映画の主人公達と同じくらいの年頃で見たのだが、正直あまりピンとこなかった。50年代という設定なのか?アメリカと日本の違いなのか?歳を経て見直してみるとなかなか見応えのあるドラマだったと気付いた。主人公の仲間たちが一人ずつ町を離れていく・・・最後一人になった主人公に呼応するかのようにぽつんと取り残された閉館した映画館・・・その看板にはもう何もかかれてはいない・・・。モノクロが色あせた時を映して不思議な味わいを作っている。私の中ではジョージ・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」が重なってくる。

  • 鑑賞日 1982/6/12

    オマージュにみちた語り口

    清純派のイメージが強かったS・シェパードのまさかのストリップシーンが目を引くなか、とりわけ素晴らしい存在感を発していたのがE・バースティン、E・ブレナン、C・マーチンの熟女トリオで、その三者三様の魅力が滋味深い物語にさらなる奥行きをもたらしていた。 物語の要所で映し出されるH・ホークスの「赤い河」をはじめ、その佇まいはまさにカウボーイかガンマンのようなB・ジョンソンや、吹きすさぶ風に木の葉舞い散る街路の荒涼とした風景描写、そして、終幕近くにルイスがサムへの思いを語るその台詞など、西部劇という廃れゆくジャンルへの自らの愛惜を寂寥感漂うモノクロ画面に封じ込め、ノスタルジアをかき立てる甘いメロディとともに、登場人物の鬱々とした心情を余情豊かに紡ぎ出したP・ボグダノビッチ。そのシネフィルならではのオマージュにみちた語り口に魅せられる異色にして出色の青春譚だった。 あと、朴訥とした存在感が光るT・ボトムズ、J・ブリッジスの役にはまった好演も心に残る。

  • 鑑賞日 2015/4/14

    誰もが知る秘密

    テキサス州アイリーン、1952年秋 ロイヤル劇場さよなら興行『赤い河』上映にむけての カウントダウンがはじまります。 強風によってスクリーンのカラーも吹き飛んだ モノクローム映像が、田舎町の真実を浮かび上がらせる。 ボトムズとブリッジスの友情、 サム・ザ・ライオン=ベン・ジョンソンのアカデミー賞も のちに探偵社勤務となるシェパードを筆頭に プチ魔女たちの輝きが、 キャストの確かさをしっかりと伝えてくれる。

  • 鑑賞日

    痛いような青春の物語

    同年に製作された『ミスターグッドバーを探して』は都会の若者の孤独でしたが、こちらはテキサスの小さな町の若者の孤独な青春を描いた作品です。都会の若者だけでなく田舎の若者も孤独なのだ。どちらも痛いような青春の物語です。

  • 鑑賞日 2011/8/26

    最後に行った名画座(高田馬場、西友パール座)で観たのがこの青春映画の傑作。モノクロの美しい映像に、ティモシー・ボトムズ、ジェフ・ブリッジス、シビル・シェパードの、当時の若手俳優達にベン・ジョンスンやエレン・バーステインといった、ベテラン俳優達が珠玉の演技を見せてくれる。何度観ても心にじわりと来る名作。

  • 鑑賞日 2014/3/7

    少年期の終わり

    ロバート・サーティスの白黒撮影が美しい。テキサスの田舎町の青春。主人公たちは青春の真っただ中。大人たちもかつては青春を過ごした。少年はいま、かつて少年だった大人たちへ一歩をふみだす。

  • 鑑賞日 1972/7/21

    ロードショーで。

     キネ旬の持ち上げ方がすごかったか、アカデミーでの受賞評価で、さっそく映画館へ。     地味なモノクロ映画だった。「赤い河」も知らなかったし。     当時の19才の男が見て面白い映画じゃない。     ジェフ・ブリッジスを見る為に再見したい。

  • 鑑賞日 2013/8/12

    なんつーことないのに、じわっと切ない

    「ペーパームーン」と同じ監督が、同じく1970年代に、1950年代ふうに撮った作品。 もはや70年代も大昔なので、「あれ、シビルシェパードってカラー作品出てなかったっけ」などと混乱してしまいます。 こういうアメリカの、なんつーことない郊外の町の、なんつーことない普通の人たちって、なんか憎めないんですよね。ティモシー・ボトムスのナイーブな若者らしさ。シビル・シェパードの身勝手な美しさ。その母エレン・バースティン若すぎ!「アリスの恋」で懸命に生きるバツイチの母を演じてたけど、お子さんずいぶん大きくなりましたね、という感じ。 そして「うんと年増の寂しい女」クロリス・リーチマンの演技、泣かせます。若者と恋に落ちるときは本当にセクシーで、いじけるときは本当にひねくれた表情、そして彼を赦していく心の動きの演技といったら。 アメリカの田舎町なんて一度も行ったことないのに、なんだか懐かしく切ない気持ちになります。あー、でかい車レンタカーして、アメリカ横断したい…。

  • 鑑賞日 1977/10/30

    2回目

    1977年10月30日に鑑賞。高知・名画座にて。3本立て。同時上映は「夜霧の恋人たち」と「さらば夏の光よ」。 ベン・ジョンソンの演技がすばらしい。最後に上映される映画が「赤い河」であるのも泣かせる。ピーター・ボグダノヴィッチの最高傑作である。

  • 鑑賞日 1974/5/29

    ボグダノヴィッチの傑作

    1974年5月29日に鑑賞。高知・名画座にて。3本立て。同時上映は「イージー・ライダー」と「マジック・クリスチャン」。 ボグダノヴィッチの最高傑作である。「アメリカン・グラフィティ」よりも傑作かもしれない。

  • 鑑賞日 1980/8/30

    廃れていく町の侘しさ

    1980年8月30日、八重洲スター座で鑑賞。(2本立て、400円) 埃っぽいアメリカの田舎町をモノクロ映像で描いた作品。 前半の「性欲あふれるエロさ」と後半の「町が廃れていく哀しさ」のギャップが激しい。町が廃れていくのは、止めようと思っても止められるものではない。その終焉を象徴的に示しているのが映画館の閉館、それがこの映画の原題「The Last Picture Show」につながっているのだろう。 侘しさを感じる佳作であった。

  • 鑑賞日 2009/11/28

    心にしみる

    学生時代にこの作品を劇場で見ることができて幸せだった、と思える映画です。この映画とこれを見ていた当時の自分がなつかしい。

  • 鑑賞日

    1950年代のテキサスの田舎町。町唯一の映画館の閉館に絡め、ほろ苦い青春時代から大人へ巣立っていく若者達を爽やかに描いた佳作。ティモシー・ボトムズ、ジェフ・ブリッジス、シビル・シェパード、皆若くて輝いている。

  • 鑑賞日 2011/4/10

    ジェフ・ブリッジスの『クレイジー・ハート』を見た後、この映画を見ると、彼の存在感がより大きなものに変化します。

    正直申しましてこの映画の何を見れば面白いのかよくわからなかったんですね。 でもよくよく冷静になって考えると、やはりこの映画には戦争の影が映し出されているということがほんのり伝わってきますね。 この辺がピーター・ボグダノビッチのうまいところですよね。 本質的にはコメディでロードムービーが彼の作品の初期には多かったのですが、この作品はある町の固定したお話。 で、そんな田舎の町で何となく過ごす青年たち。 そして戦争、別れ、友情の復活というありきたりなお話をかなり強引に淡々と表現しているところがユニークですよね。 職人です。 近年『クレイジー・ハート』でようやくアカデミー賞を受賞したジェフ・ブリッジスが若々しくて荒々しくていいんですね。彼ももともとのイメージってこんな感じ。しかもいかにもアメリカの田舎の若者という感じが出ていていいわけです。 そのほかティモシー・ボトムズもサム・ボトムズもエレン・バースティンも若くいいですね。 何といってもシビル・シェパード。 若くて素敵でしたね。 彼女というとどうしても『タクシー・ドライバー』のあの印象がとても強いのですが、その前にこんな映画に出ていたんですね。 アメリカ映画の影の部分として、この映画では朝鮮戦争が見え隠れしていますが、その後ベトナム戦争へシフト、最近ですとイラク戦争へと変化しています。 どんな映画にのアメリカ映画には戦争の影が見え隠れしていて、その時代性もよく表現できていると思いますね。

  • 鑑賞日 2012/9/26

    ライオンのサム

    タイトルから映画に対するオマージュ作品かと思い込んでいたので、ちょっと内容的に肩透かしの感があったことは否めなかった。ボグダノヴィッチ監督自体はかなりの映画マニアらしくて、本作にも寂れていく象徴としての映画館は登場するが、基本セックスを中心とした痛々しい青春の物語であった。 寂れたテキサスの架空の小さな町アナリーン。人の姿はほとんどなく、風が強い通りには砂ほこりが舞い上がっている。こんな道路で掃き掃除をしているビリー(サム・ボトムス)は、知的障害があるようだが、純真さの象徴のようでもある。掃いても掃いても砂埃は舞い上がり続けるのだ。高校生のソニー(ティモシー・ボトムズ)はビリーを弟のように可愛がっている様子が伝わってくる。 この町唯一のロイヤル映画館はデートスポットで、若者たちはここでろくに映画も見ずにいちゃついている。スクリーンにはエリザベス・テイラーの姿。ソニーと付き合っている彼女は下半身には触れさせない。まだ身持ちの固い価値感の時代である。ソニーが学校でぼんやり外を眺めていると、さかっている犬の様子が目に入る。ソニーの頭の中は、そんなことばかりで一杯なのだろう。 ソニーの親友のデュアン(ジェフ・ブリッジス)は町一番の美人ジェイシー(シビル・シェパード)と付き合っている。ジェイシーの母親ロイス(エレン・バースティン)は夫の部下と何やら意味ありげな視線をサングラス越しに交わしている。ジェイシーはこんな母親に影響されているようだ。性に関する好奇心は並々ならぬものを感じる。 若者達全員素っ裸でのプールパーティー。飛び込み台でのシビル・シェパードのストリップ・シーンはドキドキものである。恥ずかしそうに、しかし覚悟を決めて一枚ずつ着衣を放り投げる姿は魅力的だが痛々しくもある。プールサイドで見つめる仲間達、そしてプールで無邪気に泳ぐ小学生くらいの男の子の視線。恥ずかしさを克服することが、ジェイシーにとっての大人への階段なのだろうか。デュアンからプレゼントしてもらった時計の扱いから、ある決意が感じられた。 ソニーはバスケットボール・コーチの妻ルース(クロリス・リーチマン)を車で送ったことからただならぬ関係に陥ってしまう。ルースが溜める涙が、夫との不仲と彼女の抱える不安を感じさせる。ソニーがルースと関係するのは、愛情なのか性欲なのか。母親のような年齢の女性と高校生の関係は、とても美しくは感じられない。こちらも痛々しさが漂うばかりである。一人部屋で待つルースの姿が哀れである。 ソニーが最終的に辿り着く場所と、相手の反応。淋しい者同士の反発と、選択肢の限られた残された結果は、温かさというより遣る瀬無さが優先してしまう。 町の少年達が慕うサム(ベン・ジョンソン)の存在感が良い。このカウボーイ上がりの男は、釣りに来た川で思い出話を語る。他の人間にとってはどうということもない風景だが、彼にとっては忘れられない青春の一ページとしていつまでも記憶から離れない愛おしい景色なのだろう。「一番バカなのは、何もしないで老いぼれること」。彼は悔いのない人生を送ったのではなかろうか。ソニーとデュアンがメキシコに遊びに行く前のサムの想いのこもった視線が印象的だ。そしてこの川で一緒に裸で泳いだという女性の存在と「ライオンのサム」というあだ名が、物語に一層の奥行きを感じさせる。 この町の映画館のラスト・ピクチャー・ショーはハワード・ホークス監督作。新たな旅立ちに気合を入れるジョン・ウェインの姿が映し出されていた。この映画は観たかどうか記憶にないので、このシーンのことを知っていたら、また感慨もひとしおなのかも知れない。 冒頭と円環を成すようなラストショット。西部劇の時代も去り、夢である映画の時代も終わってしまったのか。ただこの町の通りのように、心の中を淋しい風が通り抜けるようだ。

  • 鑑賞日 2010/1/11

    失われた青春の夢の終わり

    自分のBLOGより: 青春の夢が終わるまでを、町の寂れ具合で表現しながら 描いた作品。 テキサスの小さな町アナリーン唯一の映画館に通う、 男女を中心に物語は進む。 一組のカップルのソニーとシャーリーンは、 交際1年目で破局する。 ソニーはフットボールコーチの妻に恋をする。 ある日、ソニーは友達のデュアンと恋人が原因 で絶交する。 数年後、朝鮮戦争に出征するために故郷に戻ったデュアン は、ソニーと仲直りし映画館へ向かうのだが...。 西部劇っぽい町の寂れ具合が哀愁漂って良かった。 特に最後の方での木枯らしが吹くシーンが 素晴らしい演出だった。

  • 鑑賞日 2011/3/4

    テキサスの小さな町を舞台に、アメリカという国の失われてゆく過去を描く、ピーター・ボグダノヴィッチの監督作品。 古き良きアメリカをしっかり描いた作品として、アメリカでは名作と捉えられている本作。60年代以降の暗い世相を知っている観客にとって、これから迎えるアメリカイズムの凋落を、油田発掘で沸いた小さな街の衰退と重ねた演出がうまい、名作である。監督は映画批評家から転じて、監督になったためカメラワークも輝かしきハリウッド作品を思い出させる。 特に、ソニーが父親以上に尊敬しているサムをベン・ションソンが演じる。寡黙な男が多かった彼のフィルムワークに多弁な男の役、さらにフロンティアスピリッツに追憶感を忍ばせたこの役はまさにはまり役。アカデミー助演賞に申し分ない。湖畔での回顧シーンは秀逸で、彼や街の輝かしかった時代はもうどこにもなく、水辺の沼地と同じく、湿って誰も近寄らない侘しさを表現している。 また、フットボールのコーチの妻ルースの悩みは家庭を顧みない亭主関白な夫とみてとれるが、同性愛者であろう。映画でもうまく描くことができない当時の含みも感じられる。終盤のビリー(サム・ボトムズ、ティモシー・ボトムズの実弟)の死も、突然である。彼の日課は小さい街であれば誰もが知っている。また、噂もすぐに広がるはずなのに住人たちの態度の豹変さが、無関心さを通り越して不気味にも感じられる。労りや慈しみの消失はこの時期(大戦後)からきたとの監督の揶揄とも見てとれる。 音楽は1951年から52年にかけて流行したヒット曲から選出した。アメリカのドライブにはこんな歌が似合う。★★★★シビル・シェパードが、可愛くて綺麗です。『こちらブルームーン探偵社』の頃には、すっかりおばさんでしたからね。続編『ラスト・ショー2』は彼の作品群のなかでも駄作となっている。でも、続編もきっと見てしまうだろうという自分がいる