検索結果
-
COLUMN/コラム2021.04.07
血まみれサムとマックィーンの黄金時代『ゲッタウェイ』
本作『ゲッタウェイ』(1972)の監督は、サム・ペキンパー。その異名“血まみれサム”は、多くの方がご存知の通り、彼の作品の特徴である、血飛沫飛び散るヴァイオレンス描写に由来するものである。 しかし“血まみれ”なのは、撮影現場やスクリーン上だけの話ではなかった。ペキンパーは常に、製作会社やプロデューサーと、血で血を洗う戦いを繰り広げていた。その戦いについて、彼は本作が製作・公開された年のインタビューで、こんな風に語っている。「西部のガンマンの対決なんか、製作費の問題での対決にくらべれば屁みたいなものさ。俺はいつもケチなプロデューサーを相手に、嘘をつき、ゴマ化し、チョロマカす。でもこれまで大方、この闘いは負けだった。いつも、プロデューサーとケンカして、クビさ。じっさい、この世界には、寄生虫やハイエナがウヨウヨだ。殺されるなんてものじゃない。生きたまま食われちまうんだぜ」 そんな血みどろの戦いの中で、“血まみれサム”は自らのスタッフをも、次々と血祭りに上げたことでも、知られる…。 ドン・シーゲル門下ということでは、現代の巨匠クリント・イーストウッドの兄弟子に当たる、ペキンパー。1925年生まれの彼が、TVドラマの西部劇シリーズなどを経て、映画監督としてのスタートを切ったのは、齢にして30代中盤だった。 デビュー作は、『荒野のガンマン』(60)。それに続く『昼下がりの決斗』(61)では、興行的な成果こそ得られなかったものの、新しい時代の西部劇の担い手として、注目されるに至った。 そしてこの作品では、フィルムを大量に回し、膨大なそのすべてを把握して編集するという、彼一流の手法が、確立した。ペキンパー組の常連俳優だったL・Q・ジョーンズ曰く、「脚本を壊し、全てを断片にし、それから組み合わせる」やり方である。 続いて手掛けたのが、『ダンディー少佐』(65)。主演のチャールトン・ヘストンが、『昼下がりの決斗』に感銘を受けたのが、ペキンパー起用の決め手となった作品だ。 しかし『ダンディー少佐』は、ペキンパーに悪名を与える、決定打となった。いわく、「予算もスケジュールも守らない」「スタッフに過大な要求をし、出来なければ情け容赦なくクビにする」「大酒飲みのトラブルメーカー」といった具合に。 製作したコロムビアと大揉めに揉めたこの作品では、ペキンパーは最終的に編集権を奪われる。そして彼が編集したものより、大幅に短縮された作品が、公開されるに至った。 このパターンは、その後のペキンパー作品について回る。しかしそれ以前の段階としてペキンパーは、『ダンディー少佐』から4年以上の間、干されることとなった。 雌伏の時を経て、ペキンパーが69年に放ったのが、代表作『ワイルドバンチ』である。この作品でペキンパーは、彼の代名詞とも言える、銃撃戦などアクションを“スローモーション”で捉える手法を、初めて用いた。これが、「デス・バレエ=死の舞踏」などと評され、正にペキンパーの「血の美学」が、世界中にセンセーションを巻き起こしたのである。 後に続くフィルムメーカーたちに多大な影響を与え、映画史に残るマスターピースとなった『ワイルドバンチ』。しかしこの作品も、ペキンパー作品の辿る悪しきパターンから、逃れられなかった。 ペキンパーが当初完成させたバージョンは、2時間24分だったが、公開後興行成績が思ったほど伸びなかったため、製作元のワーナーはペキンパーに無断で、フラッシュバックなどをカット。2時間12分版を作って、全米の劇場に掛けたのである。 それはともかく、『ワイルドバンチ』で悪名以上の勇名を得たペキンパーは、続けて「恐らく私のベストフィルム」と胸を張る、『ケーブル・ホーグのバラード』(70)(日本初公開時のタイトルは『砂漠の流れ者』)を完成。更にダスティン・ホフマンを主演に迎え、イギリスで撮影した初の現代劇『わらの犬』(71)では、その暴力描写が、賛否両論の嵐となった。 キャリア的には正にピークを迎えんとするタイミングで、ペキンパーは、当時名実と共にNo.1アクションスターだった、スティーヴ・マックィーンと組むことになる。その作品は西部を舞台に、ロデオの選手を主人公にした現代劇、『ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦』(72)。ペキンパーのフィルモグラフィーでは、銃撃と死体の登場しない、唯一の作品である。 実はペキンパーはこの作品以前に、マックィーンとの邂逅があった。それはマックィーンがポーカーの名手を演じた、『シンシナティ・キッド』(65)である。時期的には『ダンディー少佐』で、悪名を轟かせた直後。そしてペキンパーは、『シンシナティ・キッド』の撮影開始から1週間足らずで、監督をクビになったのである。 この時マックィーンは、ペキンパーの解雇に同意したという経緯があった。『ジュニア・ボナー』で、そんなペキンパーとの因縁の組み合わせが決まった時のことを、後にマックィーンはこう思い起こしている。「俺はいつも完璧主義者だから、多くの人の頭痛の種だったし、サムも悪評高かった。彼と俺で、大したコンビさ。スタジオ側は頭痛薬をたっぷり用意してたと思うよ」 いざ『ジュニア・ボナー』の撮影が始まると、2人の間には最初こそ緊張感が生じたものの、次第に解消していったという。マックィーンが頻繁に自分の登場シーンを書き換えることで、対立などもあったが、両者の関係は概ね良好だった。 ペキンパーはマックィーンについて、「…奴のことを好きな人間はあまりいないみたいだが、私は好きだね」と語っている。一方でマックィーンは、「サム・ペキンパーは傑出した映画作家だ…」と、リスペクトを表明している。『ジュニア・ボナー』は、評判の高さに比して、興行は期待外れに終わった。しかしマックィーン×ペキンパーの両雄は、続けて組むこととなる。 それが、本作『ゲッタウェイ』である。 ジム・トンプソンの犯罪小説を映画化するというこの企画は、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)『ゴッドファーザー』(72)などのヒット作を手掛けた、パラマウントのプロデューサー、ロバート・エヴァンスがスタートさせた。ペキンパーに監督させるというプロジェクトだったのだが、不調に終わり、一旦ご破算になった。 続いてパラマウントの別のプロデューサーが、マックィーン主演作として企画を進めることとなったが、それも頓挫。マックィーンは、ポール・ニューマンやシドニー・ポワチエ、バーブラ・ストライサンドらと設立した製作会社ファースト・アーティストの第1回作品として、本作の製作を決める。 脚本は、原作者のトンプソン自らが手掛けたが、マックィーンがその内容を気に入らず、没に。当時新進の脚本家だった、ウォルター・ヒルが担当することとなった。 マックィーンが、監督の第一候補と考えていたのは、ピーター・ボグダノヴィッチ。当時『ラスト・ショー』(71)で高い評価を得ていた、新進気鋭の若手監督だった。しかしスケジュールの問題などで、実現せず。 そこで白羽の矢が立てられたのが、ペキンパーだった。彼にとっては、元より興味があった企画の上、次なる監督作として取り組んでいた『大いなる勇者』『北国の帝王』などが、諸事情によって、他の監督の手に渡ってしまったタイミング。そこで『ジュニア・ボナー』に続けて、マックィーンと組むこととなった。 テキサスの刑務所に、銀行強盗の罪で服役していた男が、10年の刑期を半分も務めることなく、4年で仮釈放となった。男の名は、ドク・マッコイ(演:スティーヴ・マックィーン)。迎えに来た妻キャロル(演:アリ・マッグロー)と、4年振りの熱い夜を過ごす。 ドクの早すぎる仮釈放は、地方政界の実力者ベニヨン(演:ベン・ジョンソン)との裏取引によるもの。出所と引き換えに、田舎町の小さな銀行を襲って、その分け前をベニヨンに納めるという約束だった。 ベニヨンはドクに、銀行強盗の仲間として、ルディ(演:アル・レッティエリ)、ジャクソン(演:ボー・ジャクソン)という2人を引き合わせる。綿密な計画が立てられ、キャロルを含めて4人での、決行の日がやってくる。 すべてがスムースにいくと思われたが、青二才のジャクソンが、銀行の守衛を射殺したことから、全ての歯車が狂い出す。ドクとキャロル、ルディとジャクソンの二手に分かれて逃走を図るも、ルディはジャクソンを突然射殺。集合場所でドクも撃ち殺して、金を独り占めしようと図るが、気配を察したドクに、逆に撃ち倒される。 ドクは黒幕のベニヨンの元に、取り引きに行く。ベニヨンは、今回の銀行強盗の裏事情を明かし、ドクを釈放させた背景に、キャロルとの情事があることを仄めかす。ショックを受けるドクの背後に、突然キャロルが現れた。そしてベニヨンに、銃弾をぶち込む。 互いに傷つき、その絆が揺らぎながらも、逃避行を続けるドクとキャロルの夫婦に、次々とアクシデントが襲い掛かる。更にはベニヨンの手下たち、そしてドクに撃たれながらも、生きながらえていたルディが、追っ手となって迫る。 ドクとキャロル、犯罪者の夫婦が大金を手にしたまま国境越えを目指す、“ゲッタウェイ”逃走劇は、果して成功するのか!? キャロル役のアリ・マッグローは、白血病のヒロインを演じて観客の涙を絞った『ある愛の詩』(70)が、大ヒットして間もない頃。私生活では、本作を当初プロデュースする予定だったロバート・エヴァンスと、結婚生活を送っていた。本作のヒロインにキャスティングされたのも、その流れからと思われる。 ところが『ゲッタウェイ』の撮影中、マッグローは、前妻と15年の結婚生活にピリオドを打ったばかりのマックィーンと、恋に落ちてしまう。結局マックィーンによる略奪婚という形で、マッグローはエヴァンスと別れ、撮影終了後に2人は夫婦となった。 72年2月にクランクインした本作は、そんなスキャンダラスな話題も交えながら、順撮り、即ち物語の進行の順番通りに、撮影を進めていった。そして5月には、クランクアップ。予算的にもスケジュール的にも、ペキンパー作品としては大過ない、進行と言えた。 しかしポストプロダクションで、トラブる。ペキンパーは、『ワイルドバンチ』『わらの犬』に続いて、音楽をジェリー・フィールディングに依頼するも、完成したスコアは、マックィーンの意向で、すべて差し替え。画面を彩ったのは、クインシー・ジョーンズのジャズっぽいスコアとなった。 更にマックィーンは、最終編集権をペキンパーには渡さずに、作品を完成させた。アクション映画の諷刺を目指して本作に挑んだというペキンパーは、完成版を目にした時に、「これは俺の映画じゃない!」と、叫んだと伝えられる。 本作の次に撮った『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(73)では、MGMの判断で勝手に編集が行われた際、ペキンパーはその経営者に、メキシコから殺し屋を差し向けようとまで思い詰めたという。それでは本作のマックィーンに対しての怒りは、どんな形で発露されたのか? 意外や意外、2人の友情は、その後も続いたという。それは一体、なぜだろうか? 一見、いつもの悪しきパターンにはまり込んだかのような『ゲッタウェイ』だったが、興行の結果が他のペキンパー作品とは、大きく違った。彼のフィルモグラフィーに於いて、最大のヒット作となったのである。 ペキンパーは、興収から多額の歩合も貰える契約を、マックィーンと結んでいた。これでは、矛を収める他はなかったのかも知れない。 だが、そんな裏事情を敢えて無視して、本作を眺めてみよう!すると、ごく単純化されたストーリーラインの中で、至極楽しめる極上の娯楽作品となっていることが、わかる。 公開時は、42才。ノースタントのアクションスターとして、まさに脂が乗り切っていた、マックィーンの身のこなし。そして、銃器の扱いに関しては、右に出る者がないと言われた彼が魅せる、ガンアクション。 ペキンパーは、47才。お得意の“スローモーション”を駆使した、ヴァイオレンスシーンの演出に磨きがかかり、観る者の度肝を抜く。 本作では、そんな両者の技能が、まさに融合。“映画的瞬間”を、作り出しているのである。 そして2021年の我々は、知っている。1972年にピークを迎えた、2人のその後の運命を。 マックィーンはこの後、たった8年しか生きられず、50歳でこの世を去ってしまう。ペキンパーの余命も、あと12年。60才を迎える前に、彼の心臓は止まってしまう。 そんな彼らが全盛期に手を組んで、輝きを放つ、『ゲッタウェイ』。今こそ感慨を新たに、フィルムに焼き付けられた、2人の“黄金時代”を、凝視したい。■ 『ゲッタウェイ』© Warner Bros. Entertainment Inc.
-
COLUMN/コラム2015.04.18
【ネタバレ】プレップスクールギャル・ファッション満載!アリ・マッグローのセンス炸裂の辛口青春ドラマ〜『さよならコロンバス』
1970年代前後から80年代にかけてハリウッドで脚光を浴びたモデル出身の女優たちの中で、最も成功したのはアリ・マッグローではないだろうか?まず、モデル時代の活躍ぶりが凄い。彼女はその個性的なルックス(スコッテッシュとハンガリアンの血を引く)を武器に、"ハーパース・バザール"を始め、一流ファッション誌のカバーや特集ページを次々席巻。特に、タートルネックのセーターにミニスカートという、典型的なアメリカ東部プレップスクールのライフスタイルを取り入れたコンサバな着こなしと、一転、バンダナを大胆に頭に巻き付けたボヘミアン調のスタイルは、当時のファッションシーンに強烈なインパクトを与えたものだ。彼女が仕掛けたトレンドは女優デビュー後も映画と巧く連動し、世界中に拡散して行った。それが、実際にプレップスクールを舞台にした純愛物語『ある愛の詩』(70)であり、デビュー2作目になる『さよならコロンバス』(69)なのだ。 さて、『さよならコロンバス』は小説家のフィリップ・ロスがアメリカに住むユダヤ人の生活形態や価値観を独特のユーモアと共に綴った作家デビュー作で、発刊されたのは1959年。その翌年、アメリカで最も権威のある文学賞の1つである全米図書賞に輝いた原作にハリウッドが目を付けたのは10年後、1969年のことだ。後に『クレイマー、クレイマー』(79)でアカデミー賞を獲得するスタンリー・R・ジョフィの初プロデュース作品で、監督はTV出身の新鋭、ラリー・ピアースに任される。原作の知名度もあり、読者のイメージを損なわない厳格なキャスティングが行われた結果、リチャード・ベンジャミンが演じる冷めたユダヤ人青年、ニールが恋に落ちる同じく裕福なユダヤ人ファミリーの令嬢、ブレンダ役に抜擢されたのが、モデルとして人気絶頂だったアリ・マッグローだった。映画の冒頭、プールサイドで女の子の水着チェックに余念がないニールの前に若干逆光気味に現れたブレンダが、『ちょっとサングラスを持っててくれない?』と語りかけるシーンから、彼女はニールと観客のハートを鷲掴みにしてしまう。 当時、マッグローは30歳でブレンダの設定年齢より10歳も年上だったが、それは問題ではなかった。彼女の前に役をオファーされたナタリー・ウッドは11歳も年上だったし、何よりも、マッグローはその年齢を超越した褐色の肌とモデル業で鍛え上げた身軽な身のこなしで、名門大学に通う女子大生のルックを完璧にクリアしていたのだから。ニューヨークのブロンクスで公立図書館員としてライブラリーを管理するニールは、大学を卒業して陸軍に入隊し、除隊後は大した野望もなくのんびりと暮らしている男だ。そんな掴みどころのなさが、一代で巨万の富を築いた父親や家族、また、その周辺にたむろする男達にはない魅力として映ったのか、ブレンダはニールの半ば強引なアプローチを受け容れ、2人は急接近して行く。 だが、2人は住む世界が違いすぎた。ニールが居候するブロンクスの親戚の家では、台所を預かる叔母が家族各々の好みに合わせて別々の料理を振る舞っているのに対し、ニールが招待されて席に着いたブレンダ家の食卓では、メイドがコース料理を家族全員に取り分け、それをみんなが黙々と食するのが決まりだ。料理にあまり手をつけない末娘に対し、ブレンダの母親は『世界には飢えている子供もいるのよ』と叱りつけるが、それを冷めた目で眺めるニールの表情が印象的だ。個人の好みを優先するか?それとも全員で飽食を貪るのか?この違いは、アメリカ社会に於けるユダヤ人の異なる立ち位置と価値観を暗示しているようで興味深い。つまり、ニール家は原作者フィリップ・ロスが属するアメリカ文学及びアメリカン・カルチャーを支える個人主義の象徴であり、一方、ブレンダ家はアメリカの実業界を牛耳るユダヤ人コミュニティの金満主義のシンボルと思えなくもないからだ。 そもそも、ニールとブレンダが本当に愛し合っていたのかどうかも、定かではない。結局、2人はブレンダの両親に隠れて頻繁にセックスを楽しんだ結果、決定的な意識のズレに直面し、決別することになるのだが、観客からしてみれば、それも想定内。人は未知のものに惹かれることはあっても、なかなか価値観を共有するまでには至らないことを、多くの人が経験上、知っているからだ。ユダヤ社会という特殊な世界で芽生えた一夏の恋にフォーカスしつつ、そこから人間関係の本質にまで言及している点が、フィリップ・ロスの作家として秀逸なところだ。 ニューヨーク近郊のマサチューセッツ州ケンブリッジにあるブレンダ邸の裏庭にはプールがあり、プールサイドでは頻繁にパーティが行われている。また、邸宅の周囲にはテニスコートや池があってニールとブレンダの絶好のデートコースだ。そんな背景に合わせて、マッグローはカプリパンツやボーダーのノースリーブ、短めのトレンチコート、そして、彼女が世に広めたセーターの肩掛けやスカーフの髪結び等々、トレンディな着こなしをファッション・フォトのように画面上に並べて行く。結果、原作者の意思を超越して、決して共感できないブレンダというヒロイン像が、魅惑のファッション・アイコンへと浄化されることになる。驚くのは、"ハーパース・バザール"が今年『ニュー・イングランド・スタイル』と題してボーダーのトップとパンツを穿いた『さよならコロンバス』のマッグローをそのまま掲載していること。彼女が希代のファッショニスタとして永遠の存在である証拠だ。 この後、マッグローは大学時代の旧友だったエリック・シーガルの原作『ある愛の詩』を、当時パラマウントの副社長だったロバート・エヴァンスに売り込み、映画版に主演して純愛ブームを巻き起こす一方で、エヴァンスの妻に収まりセレブライフを満喫。エヴァンスは愛妻のために『チャイナタウン』や『華麗なるギャツビー』(共に74)という魅惑の企画を用意するが、マッグローは『ゲッタウェイ』(72)の撮影中、恋に落ちたスティーヴ・マックイーンの元に走り、それらの企画はあえなく頓挫。マッグローとマックイーンは3年間、夫婦として生活を共にする。ハリウッドのウォーク・オブ・フェイムにはマッグローの手形がしっかりと刻まれているが、『さよならコロンバス』『ある愛の詩』『ゲッタウェイ』『コンボイ』(78)と、以上たった4本の出演作で刻印の栄誉に与った女優は、ハリウッド史上珍しいことらしい。ファッショニスタは効率の良さでも他を圧倒しているのだ。 今年、アメリカの演劇界最大の事件は、『ある愛の詩』で一世を風靡したマッグローと相手役のライアン・オニールが、その続編とも言うべき舞台『Love Letters』で45年ぶりに共演し、一緒に全米をツアーすること。今年77歳になるマッグローは白髪の老婦人としてPRの席に現れ、顔に深く刻まれた皺を隠そうともせず微笑む姿は、口うるさいメディアを一瞬沈黙させるほど美しかったとか。■ TM & Copyright © 2015 Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved.
-
COLUMN/コラム2014.10.30
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2014年11月】おふとん
フィリップ・ロスのデビュー作を1969年に映像化した珠玉の名作。青春の輝きと痛みが凝縮されたストーリーと、瑞々しく透明感に溢れた映像。夏のプールの水面のきらめき、遠い記憶の匂い、少女たちの熟れた胸とおしり、アソシエイションの主題歌、小麦色の肌と真っ白なテニスウェアのアリ・マッグロー、パステルカラーのママたちの服、ゴーギャンが大好きな少年。やっぱり69年は特別な年!オープニングのプールシーンは映画史に残る名場面。 TM & Copyright © 2014 by Paramount Pictures. All rights reserved.