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COLUMN/コラム2020.10.05
スピルバーグ念願の“劇場用映画”第1作!『続・激突!/カージャック』
スティーヴン・スピルバーグが監督した、伝説的なTVムービー『激突!』は、1971年11月にアメリカで放送。高視聴率と高評価を勝ち取った。 気を良くした製作会社のユニヴァーサルは、海外では『激突!』を、“劇場用映画”として展開することを決定。フランスで開かれた「第1回アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭」ではグランプリを受賞するなど、大評判となった。 1946年12月生まれ。20代中盤だったこの時期のスピルバーグにとって、『激突!』のようなTVムービーの転用ではない、初めての“劇場用映画”を手掛けるという、念願の瞬間は刻一刻と近づいてきていた。しかし『激突!』が好評だったからといって、一気呵成に夢が実現したわけではない。 『激突!』の翌年=72年は、2本目のTVムービーとして、オカルトものの『恐怖の館』、73年にはシリーズ化を想定した90分のパイロットフィルム『サヴェージ』を演出している。 そうしている間にも、“劇場用映画”の準備を並行。脚本家ジョゼフ・ウォルシュと9カ月掛けて練ったギャンブルものの『スライド』は、実現のメドが立たず、やがてスピルバーグは、プロジェクトから離れた。この脚本は後にロバート・アルトマン監督の手で、『ジャックポット』(1974/日本未公開)という作品になる。 スピルバーグが脚本を書いた、クリフ・ロバートソン主演の『大空のエース/父の戦い子の戦い』(1973/日本未公開)。この作品では結局、“原案”としてクレジットされるに止まった。 当時人気急上昇だった、バート・レイノルズ主演の『白熱』(73)。スピルバーグは、ロケハン、キャスティング等々、製作準備に追われて3カ月ほど過ぎたところで、監督を降板した。 この件に関して彼は、「職人監督の道を歩みたくなかった。もう少し独自のものをやりたかったんだ」などと発言しているが、友人兼仕事仲間の一団を従えて撮影に関与してくるレイノルズとの仕事を、うまく裁く能力も興味もなかったからだとも言われる。結局『白熱』は、ジェゼフ・サージェントがメガフォンを取って、完成した。 そうした紆余曲折を経て、最終的に実現に向かったのが、本作『続・激突!/カージャック』だった。日本語タイトルは、『激突!』を受けて、その続編の体裁となっているが、内容は全くの無関係。1969年5月にテキサス州で実際に起こり、全米の耳目を集めた事件をベースに、スピルバーグが、友人のバル・バーウッド、マシュウ・ロビンスという2人の脚本家と共に、物語を編んだ。 テキサス州立刑務所に、ケチな窃盗事件の犯人として収監されていたクロービス(演:ウィリアム・アザ―トン)は、面会に来た妻のルー・ジーン(演:ゴールディ・ホーン)の手引きで脱獄する。刑期をあと4か月残すのみだったのに、敢えて危険を冒すハメになったのは、裁判所命令で取り上げられていた2人の幼い息子が、福祉協会を通じて養子に出されてしまうことがわかったからだった。 最初は脱獄に消極的だったクロービスだが、ルー・ジーンから「息子を取り戻さないと、離婚よ」と迫られ、渋々妻の計画に従うことに。他の囚人の面会に来ていた老夫婦を騙してその車に同乗し、我が子が引き取られた家庭がある、“シュガーランド”の町へと向かう。 その途中、スライド巡査(演:マイケル・サックス)のパトカーに呼び止められたことから、逃走を図った2人は、成り行きからパトカーを“カージャック”。人質にしたスライドを脅迫し、引き続きシュガーランドへと針路を取った。 やがてこの事実が明らかになり、タナー警部(演:ベン・ジョンソン)が指揮を執る、警察の追跡が始まった。狙撃による、犯人の射殺も検討されたが、夫婦が凶悪犯ではないことを知った警部は、躊躇する。 やがてマスコミの報道から、事件を知った野次馬も大挙して押し掛け、夫婦を英雄扱いする者まで現れる。人質のスライド巡査も夫婦に、友情のような気持ちを抱くようになる。 はじめはただ我が子を取り戻したかっただけなのに、騒ぎが過熱していく。クロービスとルー・ジーン、彼ら2人に訪れる結末とは!? 無責任に2人を煽って騒動を大きくしていく、マスコミや野次馬への批判的視点も盛り込まれた本作だが、スピルバーグがこの物語で重視したのは、父親と母親が不都合を顧みず、我が子を遠路はるばる取り戻しに行くストーリーだったと言われる。少年期に経験した両親の不和と離婚を、フィルモグラフィーに反映し続けた、スピルバーグの原点と言える。 そんな本作の企画ははじめ、スピルバーグと関係の深いユニヴァーサルに持ち込まれたものの、にべもなく断られて宙に浮く。他社への売り込みを図らなければならなくなったところで登場したのが、リチャード・D・ザナックとデヴィッド・ブラウンのコンビだった。 ザナック&ブラウンは、映画会社には属しない独立プロデューサーとしての活動を始め、ちょうどユニヴァーサルと提携したばかり。『ザ・シュガーランド・エクスプレス(本作の原題)』の脚本を読んで気に入ったものの、この企画が1度、自分たちの提携先に却下されていることを知って、知恵を絞った。 そして2人は、本作の企画を、他のプロジェクトの一群に紛れ込ませるという荒業を使って、通してしまったのである。但しメインキャストの3人の中に、名前が通った“スター”を入れるのが、絶対条件であった。 スピルバーグはまず主演男優に、『真夜中のカーボーイ』(69)や『脱出』(72)などのジョン・ヴォイトを据えようとした。しかし、そのために設けた会食の席でヴォイトは、新人監督の作品に出ることをリスキーと考えたらしく、本作への出演を断った。 ザナック&ブラウンは主演女優として、『サボテンの花』(69)でアカデミー賞助演女優賞を受賞しているゴールディ・ホーンを提案。一説にはユニヴァーサルが、「ゴールディ・ホーンが出なければ映画は作らない」と主張し続けたとも言われている。 ホーンは、本作が自分の新生面を引き出してくれることを期待して、オファーを快諾。『続・激突!/カージャック』の製作に、GOサインが出た。 「予算180万ドル」「準備期間3カ月」「撮影60日」。実際に起きた事件をベースにしていることから、事実にできるだけ即するため、ロケはすべてテキサスで行われることとなった。 クランクインは、1973年1月8日。ザナックはその撮影初日から、スピルバーグに唸らされたといいう。 「…ほんの青二才がそこでは周囲に海千山千のクルーを大勢従え、大物女優を引き受けている。それも何か簡単なシーンからスタートするのではなく、あの男ときたら複雑なタイミングを山ほど必要とする、やたらこみ入ったシーンから手をつけたよ。そして、それが信じられないほどうまく進行しているときた…あの男ときたら映画の知識を身につけて生まれてきたかのよう、自在にやってのけていたよ。あの日以来、私は彼に驚かされっ放しなんだ」 このザナックの現場での実感は、「ニューヨーカー」誌の著名な映画評論家ポーリン・ケイルが、本作公開後に記した批評にも通じる。 「技術的安定が観客にもたらす娯楽という点から見て、これは映画史においても最も驚異的なデビュー作である」 本作は撮影隊がテキサス州を移動するのに合わせ、州内各地の町で5,000人のエキストラが雇われ、車240台が使われた。撮影は完全な“順撮り”。台本通りの順番で行われた。これは本作で、主人公たちを追跡する警察や自警団、野次馬などの車が、徐々に多くなっていく展開だったためである。製作費の関係上、日数計算でレンタル料を払わなければならない車両を、撮影に使わない日まで借りている余裕がなかったのだ。 余談であるが、テキサスでのロケに当たっては、現地の警察がパトカーを出してくれるのを期待していたが、それはすげなく断られた。その少し前に同地で撮影された、サム・ペキンパー監督の『ゲッタウェイ』(72)のスタッフが、酒場で喧嘩騒ぎを起こしたり、警察が貸した車両から、警察無線が消えたりしたことが原因だった。ペキンパー組の煽りを喰って、本作ではパトカーを競売で25台、落札するハメとなった。 しかしながら、ロケは順調に進んだ。この処女作の撮影で、スピルバーグが得たものは、非常に大きかったと言える。 主演のゴールディ・ホーンについてはスピルバーグ曰く、「…最初の映画を撮るぼくにとって驚くべき女優だった。彼女は完全に協力的で、数えきれないほどの名案を出してくれた」ということである。 そして彼女の役どころは、その後のスピルバーグ映画によく登場する、「あまり身だしなみに気を使わない女性」の先駆けとなった。『未知との遭遇』(77)のメリンダ・ディロン、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81)のカレン・アレン、『E.T.』(82)のディー・ウォレス、『オールウェイズ』(89)のホリー・ハンター、『ジュラシック・パーク』(93)のローラ・ダーン等々のオリジナルが、本作にある。 因みにゴールディ・ホーンは本作の撮影について、「こんなに楽しいロケは初めてだというスタッフが何人もいたわ」と語っている。地元の女性と結婚したスタッフが、4人もいたのだという。 本作の撮影を担当したのは、ヴィルモス・ジグモンド。1956年に共産圏だったハンガリーから亡命し、“アメリカン・ニューシネマ”の時代になると、気鋭の若手監督の作品を多く手掛け、めきめきと頭角を現していた。彼はスピルバーグに、「視点を持つこと」の大切さを教えた。 スピルバーグが、あるシーンを車のガラス窓越しに撮影するようジグモンドに伝えると、「誰の視点なんだ?」との問いが返ってきた。そこでスピルバーグが、「僕の、監督の視点だ」と答えると、ジグモンドは、「そいつは賢い。だが効果はないね」。 カメラは監督の客観的な“神の目”から覗くのではなく、登場人物の視点から覗かなければならないということ、カットは映像的に素晴らしいだけでは不十分で、何かを意味しなければならないことを、ジグモンドは教授したわけである。 撮影中は意見が衝突することも少なくなかったというが、スピルバーグは後に、『未知との遭遇』(77)で再びジグモンドを起用。 『未知との…』の素晴らしいカメラには、アカデミー賞の撮影賞が贈られた。 スピルバーグにとって特に大きな収穫と言えたのは、音楽を担当したジョン・ウィリアムズとの出会い。本作を皮切りにもはや半世紀近く、「スピルバーグ作品と言えば、ジョン・ウィリアムズの音楽」である。 スピルバーグがジョージ・ルーカスに紹介したことが、ウィリアムズが『スター・ウォーズ』の音楽を手掛けることにも、繋がった。正にお互い、映画業界の第一人者の地位を、その協力関係によって築き上げたと言える。 スピルバーグには実りが多かった本作だが、1974年4月5日からのアメリカ公開は、興行的には不発であった。しかし先に挙げたポーリン・ケイルをはじめ、批評的には素晴らしい評価をされ、その年の5月開催の「カンヌ国際映画祭」では、脚本賞が贈られた。 スピルバーグを喜ばせたのは、尊敬するビリー・ワイルダー監督からの絶賛。「この作品の監督はこれから数年以内にすばらしい才能を発揮するようになるはずだ!」 本作のラッシュを見た段階でスピルバーグの才能を確信したザナックとブラウンは、監督第2作に取り組ませることにした。まず提案したのは、『マッカーサー』。敗戦後の日本の統治を行ったことなどで知られる、アメリカの英雄的な軍人の伝記映画である。 しかしスピルバーグは、「2年もの間10カ国で働き、それぞれの国で下痢をする」のは嫌だと断った。因みにこの作品は、『激突!』の出演を断ったグレゴリー・ペックの主演で映画化され、77年に公開している。『白熱』でスピルバーグの代役となったジョゼフ・サージェントが、またも監督を務めたのは、“運命の皮肉”と言うべきか。 『マッカーサー』を断り、では次回作を何にするかを考えている時、スピルバーグはデヴィッド・ブラウンのデスク上に、ザナック&ブラウンが出版前の段階で映画化権を押さえた、小説のゲラ刷りが積んであるのが目に入った。彼は何気なく、一番上にあるものを手に取り、ブラウンの秘書に許可を貰って、自宅に持ち帰って読むことにした。 そのゲラ刷りの表紙に記してあったのは、『JAWS=ジョーズ』というタイトルだった。■ 『続・激突!/カージャック』© 1974 Universal Studios. All Rights Reserved.
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NEWS/ニュース2019.08.27
8/26(月)よりタランティーノ監督の解説付き番組を独占放送!タランティーノ&ディカプリオ初2ショット来日!「世紀のクーデターと思う!」
今夜、8/26(月)よりクエンティン・タランティーノ監督の解説付き番組をザ・シネマで独占放送!番組情報はこちら視聴するにはこちら クエンティン・タランティーノ監督とレオナルド・ディカプリオが8月26日、東京都内で開催された映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(8月30日公開)の来日記者会見に出席されました。タランティーノ&ディカプリオが揃っての来日は初となります!またプロデューサーのシャノン・マッキントッシュも登壇しました。最初の挨拶でタランティーノが妻の妊娠への祝福に受けて喜びを語り和やかに会見がスタート。ザ・シネマではQ&Aで記者会見をご紹介します!今夜の放送前にぜひ、ご覧ください。 Q:「なぜ、デカプリオ&ブラピをキャスティングしたのか?」 A:タランティーノ「二人がこのキャラクターたちにぴったりだったから。自分が選んだというより彼らがぼくを選んでくれたと思うんです。選んでくれたのはラッキーだったし、沢山送られてくる企画書の中からきっとぼくの脚本が上の方にあったのだと思うし、内容にも個人的にもこのキャスティングができたのが世紀のクーデターと思う!」 Q:「どのように準備したか?」 A:デカプリオ「たくさんの往年の俳優さんたちをリサーチして参考にした。監督はシネフィルで、ものすごい知識の宝庫だから、いろんな作品や俳優を紹介されたよ。ある意味、この映画は、ハリウッド映画界を祝福する作品でもあると思う。このリサーチは素晴らしい経験になった」と、語った。 (※そして、、デカプリオ!シャノンさんに質問ありますか?と記者へ促す紳士ぷりを発揮!!) Q:「撮影でのエピソードは?」 A:シャノン「タランティーノの作品は本当にマジカルなものがあります!まさにファミリー。非常に多くのインスピレーションを受けるのです。撮影の準備など映画の撮影がないときはタランティーノの歴史の授業がはじまっていろんなことを学べるわけです。誰よりも映画をしっていますから。彼のスタッフは他の映画を断ってでも彼の作品に参加したい。喜びとありますし彼の仕事ぶりをみて感じたのは喜びと素晴らしさです!」「テイクを取った後に、タランティーノがOKを出すけどもう一回とるときになぜとながら、全員で「だってみんな映画つくりがすきなんだ!」というのがお決まり。本心で言っている」と貴重なエピソードを披露。 Q、皆さんの身の回りに起こった奇跡はなんですか? A、タランティーノ:「仕事からではなく一人のアーティストして映画を9本の映画が作ることができて、日本にきても自分がだれだか知られていて、ビデオストアで働いていた自分をふりかえると一人のアーティストして自分のみちのりを前にすすむという形で物語と幸運だし、このことを絶対わすれないでいる」 デカプリオ:「ぼくはLAで育ちました。この業界を知っているのでどれだけ俳優でいるのが大変なことがわかります。世界中からこの夢をもってハリウッドにきます。中々夢をかなえられないのが現状だと思うのです。ラッキーにも子供のころからハリウッドにいて学校がおわってオーデションを受けにいく生活ができたんだ、今、仕事があり決定権や選択肢があるのは俳優として奇跡だと思います!日々感謝しています」 シャノン:「大好きな業界で大好きな仕事ができる、そしてこの生活に耐えてくれる夫がいて二人の息子がいることが奇跡だと思います!」 映画作成には沢山のリサーチをした語るタランティーノ。本作の8月30日の公開まえに今夜からスタートする番組を予習にぜひお楽しみください。 <映画> 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』8月30日(金)全国公開 <番組情報> ■8/26(月)放送!タランティーノ監督のコメント到着! 「新作の舞台となった60年代の名作の数々を紹介します。一緒にたのしみましょう!わたしの新作はまもなく公開です。ぜひ、劇場で」★『イージー・ライダー』(※コメント抜粋)「ほぼあらゆる点において、1960年代の映画の最も偉大な例かもしれない」★『…YOU…』 (※コメント抜粋)「大好きな作品!エリオット・グールドの大ファンなんだ!彼の最高傑作の1つだと思うよ。(監督の)リチャード・ラッシュは反体制側の描き方が見事だと思う。」★『ボブ&キャロル&テッド&アリス』(※コメント抜粋)「監督のポール・マザースキーは70年代のコメディー監督の中でも大好きな監督!1969年だからこそ撮れた作品だと思う。“What The World Needs Now Is Love” を歌っちゃうほどお気に入り!」続きは放送で!!!! ■ 「タランティーノ監督が選び語る映画たち!(前解説・後解説付き8作品)」と、ディカプリオ&ブラピ主演2作品も放送! この解説付きの8作品を観ることで『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の理解度が深まります!映画の予習にもぜひ、お楽しみください。 <タランティーノ監督が選び語る!映画たち:放送日> ◎8月26日(月)『イージー・ライダー』23:00~/ 『草原の野獣』深夜01:00~ ◎8月27日(火)『サイレンサー第4弾/破壊部隊』23:00~/ 『 …YOU… 』深夜01:00~ ◎8月28日(水)『 (吹)手錠の男』23:00~/ 『ハマーヘッド』深夜00:30~ ◎8月29日(木)『ボブ&キャロル&テッド&アリス』23:00~/ 『サボテンの花』深夜01:00~ 番組情報はこちら視聴するにはこちらシネ女ちゃんはこちら
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COLUMN/コラム2018.06.01
ゴールディ・ホーンのサイケな天使に誰もが恋する!『サボテンの花』
ゴールディ・ホーンはTVのお笑い番組のゴーゴー・ガールから、『サボテンの花』で映画デビューして、いきなりアカデミー助演女優賞に輝きました。この映画を観れば誰でも彼女の魅力のトリコになるでしょう。 冒頭、ホーンがいきなり自殺を試みます。彼女は妻子ある40過ぎの歯科医(ウォルター・マッソー)と付き合っていて、この恋には先がないだろうと絶望して死のうとするわけです。自殺は未遂に終わるんですが、マッソーは責任を感じて、ホーンと結婚すると言い出す。するとホーンは「あなたの奥さんと子どもが不幸になるのは嫌!」と言い出す。実はマッソーは結婚しないで自由でいたいから、妻子がいると嘘をついてたんです。そこで、嘘をつくろうために、助手のイングリット・バーグマンに頼んで自分の妻を演じてもらう……という、ものすごくややこしい話です。 この映画のポイントは、1960年代後半、カウンター・カルチャー最盛期のニューヨークの風俗です。ホーンはサイケなファッションで、フリー・セックスOKのヒッピー娘に見えるけど、実は天使のように純粋な心の持ち主。彼女はキューピッドとして、バーグマン扮するサボテンのようにトゲトゲしいオールドミスの心に恋の花を咲かせます。 とにかく展開がドタバタのしっちゃかめっちゃかで、爆笑しているうちに、最後はほっこりするスクリューボール・コメディの傑作、お楽しみください!■ (談/町山智浩) MORE★INFO. 1950年にロベルト・ロッセリーニとの不倫スキャンダルでハリウッドを干されていたイングリッド・バーグマンの久々のアメリカ映画復帰作。フランスの舞台を翻案したブロードウェイの同名舞台の主演はローレン・バコール。当時新人のゴールディ・ホーンがアカデミー助演女優賞ほか女優賞を総なめ。インドやエジプトでもリメイクされ、2011年には『ウソツキは結婚のはじまり』としてリメイクされたが日本では劇場未公開に終わった。 CACTUS FLOWER/69年米/監:ジーン・サックス/原:エイブ・バローズ/案:ピエール・バリエほか/脚:I・A・L・ダイアモンド/出:ウォルター・マッソー、イングリッド・バーグマン、ゴールディ・ホーン/104分/© 1969, renewed 1997 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2018.03.01
男たちのシネマ愛ZZ④『The Duchess and the Dirtwater Fox』
なかざわ:そして最後は『The Duchess and the Dirtwater Fox』。日本語タイトルすら存在しない映画ですね。 飯森:どんだけ貴重なんだと。しかも、手前味噌で恐縮ですけど、ムチャクチャ面白いときたもんだ。 なかざわ:僕はこのメルヴィン・フランクという監督さんが大好きなんですよ。ダニー・ケイの映画とか、ボブ・ホープの「珍道中」シリーズなどで有名な人なんですけど、ジーナ・ロロブリジーダ主演の『想い出よ、今晩は!』も最高に面白かった。ヴィットリオ・デ・シーカ監督がソフィア・ローレン&マルチェロ・マストロヤンニのコンビで撮ったようなセックス・コメディを、そのまんまの風刺精神でハリウッド流にアレンジする手腕が見事だと思いましたね。 飯森:すると、ずっとコメディ一筋でやってきた人なんですね?なるほど道理で上手いわけだ!ぶっちゃけ、ゴールディ・ホーンの歴代主演作の中でもベスト5に入るような面白さですよ。それがなんで日本では未公開なんだ!もはや怒りすらこみあげてきますね。 なかざわ:この映画のゴールディ・ホーンは素晴らしくコケティッシュ。 飯森:そして芸達者! なかざわ:ミュージック・ホールのパフォーマンス・シーンでは、実際に歌って踊っていますし。彼女が映画で歌声を披露したのは、この映画が初めてだったみたいです。 飯森:この映画はコメディ西部劇で、彼女はサンフランシスコの売春婦なんですよね。ショーパブのステージに立ちつつ、その傍らで春をひさいでいるという。オープニングではドイツ語で喧嘩するシーンがありますけど、ドイツ系移民ってことなのかな。 なかざわ:そういえば、途中でジョージ・シーガル演じる詐欺師と外国語訛りの英語で喋るシーンもありましたよね。 飯森:ああ、あれ凄いですね!タモリの4か国語麻雀みたいなやつ(笑)。3人で狭い馬車の中にスシ詰めで座っていて、真ん中の第三者に会話の内容を悟られないように、語尾だけフランス語風やイタリア語風にして、数カ国語ペラペラの上流階級のマルチリンガル同士の会話を装い、実は超お下劣きわまりない話を堂々としている。つまり、タモリの4か国語麻雀を余裕でやってのけてしまう才能を持ったゴールディ・ホーンだったわけですよ!彼女がコメディエンヌとして成功した理由がよく分かります。 先ほど触れた歌とダンスのパフォーンスでもね、お尻に食い込むようなランジェリー姿で、お下劣極まりない歌を歌うわけですよ。「♪私のプラムをイジっちゃイヤ~ン」とか「♪あの人のプラムをイジりたいわ~ン」とか(笑)。果物のプラムにかこつけて、全く別のモノをイジるだの、揉むだの、シゴくだの言っているわけ。 なかざわ:そんな彼女がモルモン教徒の大金持ちと結婚しようとする。 飯森:この映画は1882年が舞台だと冒頭にテロップで出てくるんですが、1890年まではモルモン教は一夫多妻制だったんですね。で、その7人目の妻に収まれば、1週間に1晩夜のお勤めするだけで、あとの6日は遊んで暮らせると踏んだわけですな。そこで、上流階級風の上品なドレスを買って名門の侯爵夫人に成りすまし、まずはその金持ちの子供たちの住み込み家庭教師としてお近づきになろうとする。すると採用面接で「音楽の授業はできるか?ためしに1曲歌ってみてくれ」と言われるんだけど、そこで例のプラムの歌を歌う。でも、とっさのひらめきで下品な歌詞をアドリブで直す。メロディはまんま同じだし歌詞も大して違わないんだけど、要所要所の決定的NGワードだけ変え、アレンジをガラリと変え、イギリス英語でお淑やかに歌うことで、『王様と私』や『マイ・フェア・レディ』さえ霞むほどお上品な曲に変えてしまう。それでまんまと大富豪に見初められるわけです。このゴールディ・ホーンの芸達者なことときたら! なかざわ:一方、ジョージ・シーガル演じる詐欺師の男は、ギャング集団に無理やり拉致られて銀行強盗に加担させられる。で、上手いこと彼らを騙して大金を奪って逃走するわけですが、その豪遊先で知り合ったのがゴールディ・ホーンだった。そこから、お互いの素性を知った2人が旅の道中でも一緒になり、追いかけてきたギャング集団から逃げ回っていくうち、いつしか好意を寄せ合うようになっていくというわけですね。 飯森:しかし本当に、これだけ面白い映画がなんで日本ではスルーされたのか! なかざわ:相手役がジョージ・シーガルだからですかね(笑)?でも、当時はジョージ・シーガルも『レマゲン鉄橋』とか『ジェット・ローラー・コースター』とか話題作に主演していましたけど。 飯森:ゴールディ・ホーンが『サボテンの花』でアカデミー賞を獲ったのが69年でしたっけ。それから7年くらいが経っているわけで、当時すでにハリウッドのトップスターですよ。それにも関わらず、この映画がこれほどまでに知名度が低いことの理由は、まず宣材写真が悪いことが挙げられるんじゃないですかね。権利元から送られてきた写真の中に、ヒロインの魅力を伝えるような写真が1枚もありませんでしたから。ネットで画像検索しても1枚も出てこないので、そもそも撮ってなかった、宣材カメラマンの腕が悪かったということなんでしょう。ゴールディ・ホーンも本編では可愛いのに、スチル写真はろくなものがない。ポスターのデザインも良くないですし。宣材が悪いと宣伝のしようがないんですよね。このページで上の方に載せてるポスターは、見るからに後年フォトショップで合成したやつですね。逆に言うと、それぐらい無かった。 なかざわ:そう考えると、もしかすると映画会社があまり力を入れてなかったのかもしれませんよ。メルヴィン・フランク監督も当時は全盛期を過ぎていましたし。 飯森:仮にそうだとしても、今見ればボブ・ホープなんかと仕事をしてきた大ベテランが、職人としての手堅い手腕を存分に発揮して、初期ゴールディ・ホーンのコケティッシュな魅力や、コメディエンヌとしての不世出の才能を引き出した傑作だと言えますよね。これを本邦初公開作品としてご紹介できるのは、映画チャンネルとして誇らしいことですし、今回の企画の目玉にしてもいいくらいだと思っています。 なかざわ:メルヴィン・フランクは、この映画の撮影当時で既に60歳。昔の60歳ですから、今で言うと70~80といった感じでしょうか。そんな年齢を感じさせないくらい演出が若いというか、ちゃんと’70年代のコンテンポラリー感があるんですよね。 飯森:そういう意味でも、これは実に不遇な映画だった。改めて日本で陽の目を見るためにも、ここで思い切って邦題を我々2人で決めてしまいましょう! なかざわ:それは事前に飯森さんから頼まれていたので、実は個人的に一番シックリ来るような邦題を考えてきたんですよ。あまり原題から大きく逸脱せず、かといってただの直訳にならないようなものをということで、考え付いたのが『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』。いかがでしょうかね。 飯森:いってみましょうか、これで! なかざわ:エっ、一発OKですか!?原題をそのまま訳すと『侯爵夫人と泥水狐』という意味不明なタイトルになってしまいますので、これくらいの意訳がほど良いのかな、と思うのですが。 飯森:ですよね。これで権利元に確認出ししてみようと思います。さすがに我々だけで勝手に決めることは人様の映画なので出来ませんから(笑)。でも、これで20世紀FOXからアプルーバル(承認)が下りれば、この映画の日本における題名は『イカサマ貴婦人とうぬぼれ詐欺師』になるわけだ! なかざわ:うわー、ドキドキっすね。 飯森:そうなれば以後永久にこれです。 なかざわ:そういえば、飯森さんからの案はないんですか? 飯森:ありましたよ。いかにもサラリーマン的な発想ですが『侯爵夫人とダートウォーター・フォックス』というのが一番通りやすいと思ったんですよね。なんの工夫もしていません。通りやすさ優先で直訳にしてやろうと。思考放棄。ダートウォーター・フォックスは役名なので翻訳できない。字幕でもそのまま「ダートウォーター・フォックスさん」と出てきますので、『侯爵夫人とダートウォーター・フォックス』しかないかと。「直訳でーす。何の独自性も盛り込んでませーん。だから承認して❤」とここはした手に出ようかと。ここでNGが出てもやりとりしている時間が無いものでして。でも、これだと意味わかりませんから、なかざわ案が良いと思いますよ。それでいってみましょう! にしても、映画の邦題って時々モメるじゃないですか。なんじゃこれ?ふざけんな!みたいに炎上するようなこともあったりして。どこのどれとはあえて申しませんが、割と最近でもありましたよね? なかざわ:それって、『ドリーム』…?(笑)。 飯森:とかね(笑)。でも、それについて某ウェブメディアの取材にその映画の担当者が真摯に答えていらっしゃって、邦題が決定するまでのプロセスを丁寧に説明されていたんですね。やはり、そこにはヒットさせるための計算とか狙いとか想いとかが込められているわけですよ。その人も、インディペンデント系の上質な作品を熱心に日本に持って来てくれている、業界では有名な人で、この方のシネマ愛が無ければ日本で見れなかった良作も山ほどあるんじゃなかろうか。シネマ愛が無いから適当な邦題つけたんだろ?なんて逆に絶対ありえないんですよ。むしろ直訳の方が思考放棄・努力の放棄ということだってあるんです。あ、それが俺か(笑)。同じフォックス作品でもまんまカタカナ表記の『ホワット・ライズ・ビニース』の方が、僕個人としてはとっつきにくかったですね。英語が赤点だった僕のような劣等生には、何のこっちゃか全然意味がわからない。 なかざわ:まあ、邦題といっても名タイトルから珍タイトルまでありますよね。その昔『ホラー喰っちまったダ!』なんてのもありました。 飯森:なんですか、それは!? なかざわ:おや、ご存じない(笑)?原題が『Microwave Massacre』というインディペンデントのC級ホラーで、奥さんを殺した旦那がその死体を電子レンジでチンして食べるという話なんですが、それが日本でビデオ発売された際に『ホラー喰っちまったダ!』という邦題が付けられたんですよ。 飯森:とても権利元にアプルーバル(承認)取っているとは思えませんな。さすがに天下の大フォックス様の作品で、それはできない(笑)。絶対に怒られるでしょう。 なかざわ:あと、一時期なんでもかんでも邦題に『愛と~の~』って付けるのが流行った時期がありますよね。 飯森:『愛と青春の旅だち』以降ね。『愛と青春の旅だち』についてはウチのブログで深く論考したことがあって、なぜあの邦題になったのかということも語っています。ちゃんとした理由があるんですけど、その後に粗製乱造というか、似たようなタイトルが次々と出てくるようになっちゃったんですよねぇ…。 なかざわ:そうだ!あと忘れちゃいけない、この映画は音楽もいいんですよ。ラストに流れる主題歌を歌っているのはボヴィー・ヴィントン。 飯森:以前になかざわさんにセレクトして頂いたパラマウントのこれぞゲスの極み映画『ハーロー』の主題歌を歌っていたクルーナー歌手ですね。 なかざわ:そうなんですよ。この主題歌を含めた音楽全般を手掛けているのがチャールズ・フォックスという人で、彼は映画音楽だと『バーバレラ』が一番有名なんですけれど、恐らく最大の代表作はロバータ・フラックが歌った全米ナンバーワン・ヒット『やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)』。日本ではネスカフェのCMにも使われましたが、あの名曲を書いた人が音楽を担当しているんですよ。そこも注目ポイントだと思いますよ。 飯森:そもそもこの映画、コメディ・ウエスタンではありますけれど、音楽の要素もかなり大きいですからね。ゴールディ・ホーンの歌った「プラムの歌」もさることながら、彼女とジョージ・シーガルが迷い込むユダヤ人の結婚式で流れる音楽も、これまた、一度聴いたらなかなか耳から離れないようなトラウマ曲。あのシーンがまた死ぬほど笑えるんだ!本当に、これは映画ファンなら必見の映画ですよ。フォックスの激レア作品は来月も3本放送しますけど、個人的に今月来月で一番見て欲しい作品はこれですね。 次ページ >> 中締めの挨拶 『おたずね者キッド・ブルー/逃亡!列車強盗』© 1973 Twentieth Century Fox Film Corporation. 『ロッキーの英雄・伝説絶ゆる時』© 1972 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2000 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.『The Duchess and the Dirtwater Fox』© 1976 Twentieth Century Fox Film Corporation. Renewed 2004 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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COLUMN/コラム2017.04.02
【本邦初公開】東西冷戦下のモスクワで育まれるイデオロギーを超えた男女のささやかな愛。当時のロシアを知る映画ライターが作品の魅力と知られざるソ連の素顔に迫る!〜『ペトロフカの娘』〜04月27日(木)深夜ほか
出演はゴールディ・ホーンにハル・ホルブルック、アンソニー・ホプキンス。そして監督は、以前にここでもご紹介した切ない系青春映画の傑作『愛すれど心さびしく』(’68)の名匠ロバート・エリス・ミラー。この顔ぶれにして、なぜか今まで日本では劇場未公開。それどころかテレビ放送やソフト発売すらされていなかった幻の作品が、この『ペトロフカの娘』(’74)である。 ペトロフカとは、ロシアのモスクワ中心部にある大通りのこと。ネタバレになりかねないので深くは言及しないが、ここには名前の由来となったヴィソコ・ペトロフスキー修道院やロシアン・バレエの殿堂ボリショイ劇場、そして権力の象徴たるモスクワ警察署が存在し、今では高級ブランドのブティックが軒を連ねるショッピングストリートだ。 実は筆者、このペトロフカ通りから徒歩で15分くらいの場所に住んでいた。時は’68年~’72年、そして’78年~’83年。大手マスコミのジャーナリストだった父親がモスクワ特派員として2度に渡って赴任し、家族ともども暮らしていたのだ。当時はまだ東西冷戦の真っ只中。ソビエト連邦はブレジネフ書記長の政権下にあった。そんな鉄のカーテンの向こう側を知る人間として、本作はいろいろな意味で興味深い映画だ。 ストーリーは東西の壁に阻まれた男女の悲恋ドラマである。主人公は米国新聞社のモスクワ特派員ジョー(ハル・ホルブルック)。妻に先立たれたばかりの彼は、現地の友人コスチャ(アンソニー・ホプキンス)を介してオクチャブリーナ(ゴールディ・ホーン)というロシア人女性と知り合う。自由奔放にして天真爛漫。口を開けば歯に衣着せぬ物言いだが、やたらと尾ひれや背びれを付けるので、何が本当で何が嘘なのかよく分からない。仕事もなければモスクワの居住許可証もないが、政府高官をはじめとする男たちの間を渡り歩いて逞しく生きている。ゴールディ・ホーンのコケティッシュでキュートな不思議ちゃんキャラがなんとも魅力的だ。 ちなみに、オクチャブリーナとはロシア語の10月、オクチャーブリ(Октя́брь)に由来する名前。10月といえばソビエト政権樹立のきっかけとなった十月革命。それゆえ、男ならオクチャーブリン、女ならオクチャブリーナと名付ける親がソビエト時代は多かった。ただし、ロシア語ではアクセントのないOをアと発音するので、厳密に言うと10月はアクチャーブリ、ヒロインの名はアクチャブリーナと発音すべきなのだが、本作ではセリフも字幕も英語読みとなっている。 で、そんなオクチャブリーナに振り回されつつも、いつしか強く惹かれていくジョー。当局の目をかいくぐっての異文化交流がやがて恋愛へと発展していくわけだが、しかしそんな2人の間に厳格なソビエトの社会体制が立ちはだかる…という筋書きだ。 原作は1971年に出版された同名小説。著者のジョージ・ファイファーは本来ノンフィクション作家で、ソビエト時代のロシアに関する著書も数多い。本人が実際にどれだけ現地へ足を運んだことがあるのかは定かでないが、ある程度の正確な知識や情報を持っていたであろうことは、この映画版を見れば想像に難くない。とはいえ、原作と映画は基本的に別物と考えるのが妥当だと思うので、ここではあくまでも映画版に焦点を絞って話を進めていこう。 まず、本作に登場するモスクワの風景や街並みが明らかに本物と違うのは仕方あるまい。なにしろ、ソビエト体制の矛盾に斬り込んだ内容なので、当時のモスクワでの撮影は絶対に不可能だ。選ばれたロケ地はオーストリアのウィーン。マット合成で赤の広場を背景に差し込むなどの工夫は凝らされているものの、建築様式の違いなどは見た目に明らかだ。それよりも筆者が少なからず違和感を覚えたのは、主人公ジョーとロシア人コスチャの友人関係である。当時のソビエトで外国人と現地人が交流することは別に違法ではなかったものの、現実には限界があったと言えよう。特に現地人にとってはリスクが高い。なぜなら、万が一の時にスパイの嫌疑をかけられる可能性が生じるからだ。特に主人公ジョーのようなジャーナリストには、KGBの尾行が付くことも十分に考えられる。筆者の父親も日頃から尾行は意識していたようだし、実際に自宅アパートの電話は常時盗聴され、通りを挟んだ向かい側のアパートからも部屋が監視されていた。本作の場合、当時の社会状況や主人公の職業を考えると、現地人のアパートへ気軽にふらりと立ち寄る彼の行動は軽率だ。 なので、西側から来た外国人が日常的に付き合う現地人となると、仕事の一環を兼ねての政府関係者か、もしくは当局から派遣された外国人専用のメイドや秘書(人材派遣センターはKGBの管轄で、彼らは派遣先で見聞きしたことを報告していた)などにおのずと限られてしまう。と考えると、ジョーとコスチャの親密な友人関係は、決してあり得ないとは言わないまでも、あまり現実的ではない。 その一方で、オクチャブリーナがジョーの住む外国人専用アパートを訪れる際、塀を乗り越えて裏口から侵入するというのは結構リアルな描写だ。当時、モスクワ市内には外国人専用アパートが何か所もあり、その正門にはミリツィアと呼ばれる武装した民警兵士が常駐していた。居住者はもちろん顔パスだが、現地人はそこで許可証をチェックされる。なので、オクチャブリーナのように一見すると無茶な手段も仕方ないのだ。 ちなみに、筆者の父親にも現地民間人の友人はいた。その方は日本語が話せたので、電話連絡は全て日本語で。自宅へ招くときは疑われないよう、外国人の泊まる高級ホテルで落ち合い、父の運転する自家用車で正門からアパートへと直接入った。さすがに外国人ナンバーの車まではミリツィアもチェックしないからだ。そういう意味では、意外と緩いところもあったのである。 実際、当時のソビエトの市民生活は、外から想像するよりも遥かにのんびり平穏だった。もちろん、日本ではあり得ないような制約は多かったし、言論や移動の自由も全くないし、文化的にはだいぶ遅れているし、生活レベルも高いとは言えなかったものの、その一方でモスクワ市内に点在するルイノックと呼ばれる市場では新鮮な肉や野菜が沢山揃っていたし、有能でも無能でも誰もが平等に一定の給料を貰えるし、不祥事さえ起こさなければ仕事をクビになることもない。とりあえず体制に盾ついたりせず、贅沢を望んだりしなければ、それなりに楽しく生活できたのだ。建前上は民主主義国家として市場経済の導入された現在のロシアで、ソビエト時代を懐かしむ声が多い理由はそこにある。 そうやって振り返ると、本作で描かれるモスクワの市民生活はけっこう正しい。とはいえ、ちょっと時代的に古くも感じる。例えば本作ではジャズが当局から禁止されていて公衆の面前で演奏することが出来ないとされているが、しかしそれは’50年代までのこと。’60年代以降は大規模なジャズ・フェスティバルも各地で開かれていたし、当局の認可するジャズクラブも存在した。’75年にソロ・デビューした女性歌手アーラ・プガチョワはジャズやロック、R&Bなどを積極的に取り入れてロシアの国民的大スターとなったし、彼女に多くのヒット曲を提供したラトヴィア出身の作曲家レイモンズ・パウルスは’60年代から活躍するジャズ・ミュージシャンだった。’70年代には西側の流行音楽も数年遅れで入っており、例えば’74年にはTレックスのレコードも正規版でリリースされている。なので、本作は『ニノチカ』(’39)の時代辺りでストップしたソビエト観の基に成り立っているとも言えよう。 その一方で、本作は当時の多くのハリウッド映画に登場したような、体制側に洗脳されたロボットのような人間、死んだような目でクスリとも笑わない陰鬱な人間としてではなく、アメリカ人と何ら変わることない等身大の人間として、ロシア人を描いている点は特筆に値する。実際に昔からロシア人は陽気で大らかで人懐っこい人が多かった。劇中に出てくる政府高官のように、お堅い役人でもいったん仕事を離れると気さくだったりする。その点はまさにその通り!といった感じだ。 ちなみに、劇中では役人や警察への賄賂としてアメリカ製のタバコが使われているが、他にもいろいろと賄賂に有効なものはあった。筆者の父親がよく使っていたのは日本航空の水着カレンダー。あとは、ひっくり返すと女性の水着が消えてヌードになるボールペンも効果抜群だったので、西側へ旅行した際にはまとめ買いしてきたものだった。やはり世の東西を問わず人間はスケベなのだ。 モスクワ市民のささやかな日々の営みを、時に瑞々しく、時に爽やかに、そして時に切なく描くロバート・エリス・ミラーの演出も素晴らしい。ラストへ向けての抒情感溢れる哀しみなどは、まさしく彼の真骨頂。そういえば、先述した筆者の父親の友人は、とある事件を起こして当局に逮捕されてしまった。実は生活の足しにと現地通貨のルーブルを、うちの両親がこっそりドル紙幣に両替してあげていたのだが、どうやら彼はそれを闇市で転売していたらしく、KGBのおとり捜査に引っかかってしまったのだ。その煽りでうちの父親はスパイ容疑の濡れ衣を着せられ、共産党機関紙プラウダでも報じられた。たまたま本社から帰国の辞令が出ていたので、我が家に関しては大事に至らなかったのだが、父の友人は強制労働送りになったはずだ。あの日、彼の奥さんが泣いて取り乱しながら我が家に電話をかけてきた。ほっそりとした華奢な体に憂いのある瞳の、とても美しい女性だった。筆者は息子さんとも仲が良かった。あの一家は今どうしているだろうか。本作の哀しいラストを見ながら、ふと思い出してしまった。■ © 1974 by Universal Pictures. All Rights Reserved.
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COLUMN/コラム2016.04.20
軽妙なヒッチコック風ジャンルミックス映画を、時代を代表するコメディ俳優ゴールディ・ホーンとチェヴィー・チェイスの好相性が輝かせる〜『ファール・プレイ』〜
図書館で働くバツイチ女子グロリア(ゴールディ・ホーン)は、ドライブ中にスコッティと名乗る男を拾う。成り行きで一緒に映画を観る約束をさせられるが、映画館内で再会した時には彼は既に息も絶え絶え。「用心しろ、ドワーフに」と謎の言葉を残して絶命してしまう。 驚くグロリアは映画館の支配人を呼ぶが、座席に戻った時には何故か死体は消えていた。 それ以来、彼女は白スーツのスナイパーに追われるように。助けを求めるグロリアだったが警察からは逆に不審者扱いされる始末。唯一、信じてくれた刑事は、かつて彼女をナンパしたことがあるイイ加減男のトニー(チェヴィー・チェイス)だった。やがて一連の事件の裏に、アメリカ訪問中のローマ教皇を暗殺する陰謀が横たわっていることを二人は知るのだが ……。 大学の卒業制作に、あの『ハロルドとモード』(71年)の脚本を書き、そのままハリウッド・デビューを果たした逸話を持つ才人コリー・ヒギンズが、『大陸横断超特急』(76年)で試した手法をさらに発展させたのが『ファールプレイ』である。その手法とは、コメディ、ミステリー、ロマンス、サスペンスといった様々なジャンル映画の要素をヒッチコック・タッチのもとでミックスさせるというもの。 その証拠に、本作の舞台は『めまい』の舞台であるサンフランシスコ。ほかにも『ダイヤルMを廻せ!』や『知りすぎていた男』といったヒッチコック作品へのオマージュがふんだんに盛り込まれている。 こうしたヒッチコックへのオマージュは、『殺しのドレス』 (80年)や『ボディ・ダブル』 (84年)といった同時代のブライアン・デ・パルマ作品にも見られるものだけど、『ファールプレイ』はいい意味でもっと軽い。 というのも、グロリアとトニーのやりとりはロマンティック・コメディ調だし、ふたりが複数の自動車を乗り継いでローマ教皇がオペラ鑑賞をしているオペラハウスに向かうシーンは、同じサンフランシスコを舞台にしたスティーブ・マックイーンの刑事アクション『ブリット』(68年)の様。ベテラン俳優バージェス・メレディス(テレビドラマ版『バットマン』のペンギンや『ロッキー』シリーズのトレーナー、ミッキー役で有名)がカンフーで敵と延々と戦うシーンが設けられるなど、同時代の流行への目配せも行き届いているし、何よりグロリアを演じているのがゴールディ・ホーンだからだ。 1945年生まれのゴールディは、ブロードウェイでのダンサーとしての活動を経て、伝説的なコメディ番組『Laugh-In』(68〜73年)にレギュラー出演したことで人気を獲得。映画進出作『サボテンの花』(69年)ではあの大女優イングリッド・バーグマンの恋敵役だったものの魅力で圧倒、ハジけた演技を披露してアカデミー助演女優賞をゲットしてしまった。この下克上的偉業において比較できるのは『ベスト・フレンズ・ウェディング』(97年)におけるジュリア・ロバーツに対するキャメロン・ディアスくらいのものだろう。 70年代に入るとスティーヴン・スピルバーグの初の劇場作『続・激突!/カージャック』(74年)やハル・アシュビーの監督作『シャンプー』(75年)といった話題作に次々と出演。満を持して挑んだ主演コメディが『ファールプレイ』だったというわけだ。その後は制作総指揮を兼ねる形で『プライベート・ベンジャミン』(80年)や『アメリカ万歳』(84年)といったヒット作に主演。90年代半ばまで主演を張れるコメディ女優として活躍を続けた(彼女のポジションは娘のケイト・ハドソンがそのまま引き継いだ)。 そんなゴールディの相手役を本作でチェヴィー・チェイスが務めたのはある種の必然かもしれない。チェイスは『Laugh-In』の後継番組といえる『サタデー・ナイト・ライブ(SNL)』(75年〜)の初期レギュラーだったからだ(ついでに言うと『サボテンの花』は90年代『SNL』のレギュラーだったアダム・サンドラーが『ウソツキは結婚のはじまり』(11年)としてリメイクしている)。 そのチェイスのバイオグラフィーはとてもユニークだ。1943年ニューヨーク生まれの彼の本名はコーネリアス・クレーン・チェイス。そう、とても重々しいのである。それもそのはず、彼は重機メーカー、クレーン社の創業家の血を引く富豪一族のボンボンで、総資産は5000万ドルにも及ぶらしい。 なのにチェイスはロックンロールに夢中になり、バード大学ではスティーリー・ダンの前身バンドでドラムスを叩いていたという。その後、ソフトロック・バンド、カメレオン・チャーチのメンバーとしてメジャー・デビュー。しかし徐々にお笑いに関心を持ち始め、70年代に入るとパロディ雑誌「ナショナル・ランプーン」が始めたお笑いライブやラジオ番組で活動するようになった。これが認められて『SNL』スタート時にメンバーに迎えられたというわけだ。 現在も伝説として語り継がれる第1シーズンは、採用されるネタが殆どチェイスのものだったことから、彼の独壇場(あのジョン・ベルーシとダン・エイクロイドも脇に押しやられていた)。すぐさまハリウッドから映画出演のオファーが殺到したため、チェイスは最初の1年であっさり番組を降板(ちなみに彼の後任がビル・マーレーである)、今作がハリウッド進出第一作となった。 いかなる時でも余裕を感じさせる得難い個性は、アッパーなゴールディを包み込むかのよう。『昔みたい』(80年)で再共演したのも頷ける相性の良さだ。40代を迎えたあたりから急速にオッサン化し(しかしハングリー精神が薄いせいか、加齢と戦おうとはしなかった)なぜ『SNL』でダントツのスターだったのかが謎になってしまったチェイスだけど、本作では天下を取ったその魅力が伝わってくると思う。 そして『ファールプレイ』を語る上で欠かせない第三の存在が、ある時はバー、ある時はいかがわしい館、そしてオペラハウスにも登場する謎の英国人スタンレーを怪演するダドリー・ムーアだ。 1935年生まれと、ゴールディやチェイスより一世代上にあたる彼のキャリアは60年代初頭まで遡る。主演映画『悪いことしましョ!』(67年)もあったものの、意外にも本作がハリウッドへの本格進出作となる。 変態チックだけど愛すべき男である本作のスタンレー役で、成功への足掛かりを掴んだ彼は、ブレイク・エドワーズ監督作『テン』(79年)、そして『ミスター・アーサー』(81年)といったヒット作に立て続けに主演してトップ・スターとなったのだった。 しかしこの二作の彼はいずれもアルコール中毒の設定だった。ムーアの手足の動きがアル中のそれにしか見えなかったからだった。当初は、酒好きの本人すらそう思っていたというが、やがてこうした症状が進行性核上性麻痺という病が原因であることが判明した。 これが次第に日常生活にまで支障をきたすようになり、90年代以降は一線を退くことを余儀なくされたムーアは、長い闘病生活の末に02年に亡くなっている。本作こそがコンディションが万全だった頃のムーアの演技が観れる数少ない作品といえるだろう。 なお本作の監督のコリン・ヒギンズも『9時から5時まで 』(80年)など大ヒット作を放ちながら、88年にHIVで47歳の若さで亡くなっている。ムーアとヒギンズが病に倒れなければ、90年代以降のコメディ映画界はもっと華やかになったかもしれない。『ファールプレイ』は、そんなありえたかもしれない未来を妄想させてくれる映画でもあるのだ。■ COPYRIGHT © 2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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COLUMN/コラム2015.12.25
男たちのシネマ愛②愛すべき、味わい深い吹き替え映画(6)
なかざわ:その他のイチオシはどれでしょう? 飯森:「ファールプレイ」(注54)ですね。これは日曜洋画劇場でやったバージョンなんですが、ローカライズが魅力的なんですよ。日本ならではの味というか、日本語吹き替えにしか出せない味。オリジナルよりも面白くなっちゃったというパターンです。なぜなら、ダドリー・ムーア(注55)を広川太一郎(注56)さんがやっているから。もう明らかにオリジナルのセリフとは関係ないことをしゃべっているんです。 なかざわ:コメディーは特にそうだと思うんですが、笑いの文化って国によって全く違うじゃないですか。その国の生活様式であったり価値観であったりが色濃く反映されますから。それをそのまま日本に持ってきてもピンと来ないことが多いですもんね。 飯森:あくまで僕の個人的な感想ですけど、某動画配信サイトで提供している字幕版の「サタデーナイトライブ」(注57)なんかも、すごく期待して見たものの、僕みたいなリアルタイムのアメリカ事情に通じてないコッテコテの日本男児でおまけに英語弱者には、面白さがいまいち分かりづらいんですよ。 なかざわ:ユーモアって言葉の組み合わせや語呂合わせ、ニュアンスなんかから生まれたりするので、そもそもの構造が違う別言語に直接変換しても意味が伝わらないんですよね。 飯森:広川太一郎さんはいつもの調子ですよ。“選り取りみどり赤黄色”、ってギャグを言うんですけど、そんなこと英語で言っているわけがない(笑)。でも、直訳しても意味がないんですよ。結果的に面白ければいいじゃんというノリで作られた吹き替えなんです。 なかざわ:結果的に面白くて、なおかつ映画を壊してなければ全然構いませんよね。 飯森:若干壊しちゃっているんですけどね(笑)。ちょっとヤンチャが過ぎるというか。なんでもこの調子で笑い倒してしまうので、そのキャラクターじゃなくて広川太一郎が前面に出てきてしまう。特にコメディーリリーフ的な脇役をやると、全部かっさらっていくような目立ち方をするんです。だって、この映画だってダドリー・ムーアなんか殆ど出ていない。たったの3回しか出てこないんですよ。その全てに変な日本語ギャグを入れているおかげで、すごく面白い。でも異常に広川太一郎の印象が残ってしまう。 なかざわ:もはやそれはダドリー・ムーアじゃない(笑)。 飯森:なのでこれには賛否両論あるかもしれませんが、でも気に入らなければ字幕版を見ればいいんですから。僕は間違いなく字幕版より面白いと思いますね。ちなみに、キャラクターよりも前に出てきてしまうといえば、野沢那智さんもその傾向がありますよね。ただ、今回初めて野沢さん版の「ゴッドファーザー」を見たんですけど、パート1の音声を最初に聞いたとき、何度聞いても野沢さんに聞こえないの。しかも完全に違うんじゃなくて、野沢那智にすごく似ている普通の人がやっている感じなんです。ミスで違う音源が納品されたのかと確認しても、テープには’76年版と書かれているし、野沢さん以外のキャストは’76年版キャスト表と照らし合わせて間違いなく一致するので、恐らく間違ってはいないはずです。でも、これオンエアしたら音源間違いの放送事故になっちゃうんじゃないかと、いまだに若干ビビってるぐらいなんですが、こればっかりは確かめようがない。結局、100%裏を取れる確実な方法が実は無いんですよ。最後に頼れるのは自分の耳だけなんです。 なかざわ:ご本人も亡くなっていますしね。 飯森:それがね、パート3になると完全に野沢那智になってるんです。アクが強くなっているんですよ。僕らの知っている野沢さんです。誰が聞いても一発で野沢さんだと分かる個性がある。山寺宏一(注58)さんみたいにカメレオンのごとく声を変えられる方もいますけど、野沢さんは野沢那智調みたいな独特の節回しがあって、パート1とパート3を聴き比べると、それが後年になるに従って強くなっていたことが分かります。恐らく吹き替えに寛容ではない人が見ると、「これはもうアル・パチーノじゃない」ってなるんでしょうけれど、その一方で「よっ!野沢那智!」って期待している人もいますから、良きにつけ悪しきにつけだとは思いますが。いずれにせよ、パート1の頃はすごく抑えて演技をしていたんでしょうね。まだ独特のクセが生み出される前だったんだろうと。 なかざわ:声優として経験を積むことで、自分のスタイルを確立して行ったんでしょうね。 飯森:するとね、「ゴッドファーザー」にも別の物語が生まれるわけですよ。堅気の道を歩もうとした若者マイケル・コルレオーネ(注59)が、やがてマフィアのボスに登りつめる。一方で、ごくごく平凡な青年の声だった野沢さんが、パート3で年季の入ったボスを演じると途端にドスが効いているんです。 なかざわ:マイケルと野沢さんの成長がシンクロするんですね。 飯森:そうなんですよ。しかも、野沢さんも意図してやっているわけじゃないですから。そういう面白い見方もできるかもしれませんよね。 なかざわ:それは確かに意外な発見です。 ■字幕絶対派だのアンチ字幕派だのということ自体がナンセンス(飯森) 飯森:さて、最後にこれだけは言っておきたいということがあるんですが、よろしいですか(笑)? なかざわ:どーぞどーぞ。 飯森:うちのザ・シネマというのは東北新社がやっているチャンネルじゃないですか。東北新社というのは映像制作会社でCM作ったり映画作ったりCSチャンネル運営したりしてますけれど、そもそもの成り立ちは外国映画やドラマの日本語吹き替え版の制作なんです。なので、もともと吹き替えに強い会社なんですよ。 なかざわ:確かに、最初に東北新社さんの社名を覚えたのは、映画だかドラマだかの最後に出てくるクレジットだったと思います。 飯森:とはいえ、字幕も作っているんですよ。両方うちで作ってる。だから、字幕絶対派だのアンチ字幕派だのということ自体がナンセンスで、両方いいに決まっているじゃないか!というのがサラリーマンとしての僕の立場なんです。だから、そういう日本における吹き替え制作の歴史を踏まえたうえで、この「厳選!吹き替えシネマ」という企画をやっているということも、是非みなさんにお伝えしておきたいと思います。 (終) 注54:1978年制作。ローマ法王の暗殺計画に巻き込まれた女性と探偵を描いたヒッチコック風コメディー。ゴールディ・ホーン主演。注55:1935年生まれ。俳優。代表作は「ミスター・アーサー」(’81)や「ロマンチック・コメディ」(’83)など。注56:1939年生まれ。声優。ロジャー・ムーアやトニー・カーティスの吹き替えのほか、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の古代守役でも知られる。2008年没。注57:1975年から続くアメリカの国民的なバラエティ系コメディ番組。ジョン・ベルーシやビル・マーレイなど数多くの大物コメディアンを輩出している。注58:1961年生まれ。声優。ジム・キャリーやウィル・スミスなどの吹き替えで知られ、バラエティ番組などでも活躍している。注59:映画「ゴッドファーザー」三部作を通しての主人公。コルレオーネ家の三男として生まれ、普通の人生を送ろうとするものの、やがて家業を継いでボスになる。 『ゴッドファーザー』COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED. 『ゴッドファーザーPART Ⅲ』TM & COPYRIGHT © 2015 BY PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED 『レインマン』RAIN MAN © 1988 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved 『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』©Channel Four Television/UK Film Council/Illuminations Films Limited/Warp X Limited 2012 『ファール・プレイ』COPYRIGHT © 2015 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.