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COLUMN/コラム2022.03.01
メキシコの生んだ伝説の悪霊ラ・ヨローナが甦る!『ラ・ヨローナ ~泣く女~』
映画界でも脈々と受け継がれたラ・ヨローナの恐怖 日本でも大人気のホラー映画『死霊館』ユニバースの第6弾に当たる作品だが、しかしストーリー上の直接的な関連性は薄いため、厳密には単独で成立するスピンオフ映画と見做しても構わないだろう。テーマはメキシコに古くから伝わる怪談「ラ・ヨローナ(泣く女)」伝説。ラテン・アメリカ圏では広く知られた話で、過去に幾度となく映画化もされてきているが、しかし日本でちゃんと紹介されたのは、これが初めてだったのではないかとも思う。そこでまずは、「ラ・ヨローナ」の伝説とはいかなるものなのか?というところから話を始めたい。 それは昔々のこと。メキシコの小さな村に美しい女性が住んでいた。ある時、彼女は村へやって来た裕福な男性と恋に落ちて結婚し、2人の子宝にも恵まれるものの、やがて夫は別の若い女性と浮気をしてしまう。これに怒り狂った女性は、仕返しとして子供たちを川で溺死させてしまった。すぐ我に返って子供らを助けようとしたもののすでに手遅れ。深い喪失感と後悔の念に打ちひしがれた女性は、自らも川に身投げをして命を絶つ。しかし、神の罰を受けた彼女は白いドレス姿の亡霊としてこの世に甦り、我が子を探し求めて泣きながら永遠に地上を彷徨うこととなる。そして、運悪くラ・ヨローナに遭遇してしまった人間は、亡き子供たちの身代わりとして連れ去られてしまうのだ。 地域によって多少の違いはあるものの、一般的に知られているラ・ヨローナ伝説の大まかな内容は以上の通り。メキシコのみならずプエルトリコやベネズエラなど中南米各国に似たような話が存在し、昔から大人が子供を躾けるための怪談として語り継がれてきたという。「悪いことをするとラ・ヨローナにさらわれちゃうよ」と。さらに、中南米からの移民によってアメリカへも伝説は持ち込まれ、かつて1990年代にはマイアミやニューオーリンズ、シカゴなどの各地で、ホームレスの子供たちが黒い涙を流すラ・ヨローナを目撃したという噂が広がったこともあった。 ラ・ヨローナのルーツについては諸説ある。そのひとつが、古代アステカの神話に出てくる女神シワコアトル。亡き息子を探し求めて泣きながら現れる、死の予兆を感じると泣きながら現れるなどの言い伝えがあるらしいが、いずれにせよ彼女がラ・ヨローナ伝説の元になったという説が最も有力だ。また、エウリピデスのギリシャ悲劇「メディア」との類似性を見出すこともできるだろう。夫の裏切りに怒り狂った王女メディアが、復讐のため我が子を手にかけるという下りは非常によく似ている。さらに、アステカ帝国を征服したスペインの侵略者エルナン・コルテスに棄てられたインディオの愛人マリンチェが、奪い去られそうになった息子をテスココ湖のほとりで殺害し、死後に亡霊となって泣きながら地上を彷徨ったという逸話もあるそうだが、しかし彼女とコルテスの息子マルティンはスペインでちゃんと育っているので、これは裏切り者の代名詞として憎まれたマリンチェを貶めるために生まれた作り話と思われる。 そんなラ・ヨローナが初めて映画に登場したのは、メキシコで最初のホラー映画とも呼ばれる『La Llorona(泣く女)』(’33)。これはラ・ヨローナの呪いをかけられた一家の話で、ホラーというよりもミステリー仕立てのメロドラマという印象だ。続く『La Herencia de la Llorona(泣く女の遺産)』(’47)は幻の映画とされており、筆者も見たことはないのだが、推理ミステリーの要素が強かったらしい。’60年代には有名なB級映画監督ルネ・カルドナが『La Llorona(泣く女)』(’60)という作品を残しているが、しかしラ・ヨローナ映画の最高傑作として名高いのは、メキシカン・ホラーの巨匠ラファエル・バレドンの『La Maldición de la Llorona(泣く女の呪い)』(’61)であろう。ここでは黒装束に黒い眼をしたラ・ヨローナが登場。ラ・ヨローナを復活させるための生贄に選ばれた女性の恐怖を描き、マリオ・バーヴァ監督の『血ぬられた墓標』(’60)を彷彿とさせるゴシックな映像美が素晴らしい。 以降も、覆面レスラーのサントがラ・ヨローナと対決するルチャ・リブレ映画『La Venganza de la Llorona(泣く女の復讐)』(’74)、ラ・ヨローナ伝説にフェミニズムを絡めたシリアスな幽霊譚『Las Lloronas(泣く女たち)』(’04)、珍しく日本でDVD発売された『31km』(’06)、マヤ語の方言でラ・ヨローナを意味する悪霊ジョッケルが出てくる『J-ok'el』、ラ・ヨローナ伝説を子供向けにアレンジしたアニメ『La leyenda de la Llorona(ラ・ヨローナの伝説)』(’11)が登場。その中でも『Las Lloronas』は女性監督らしい視点の光る秀作だ。また、アメリカでもラ・ヨローナ伝説にエクソシストを絡めた『Spirit Hunter: La Llorona』(’05)、『死霊のはらわた』風にアレンジした『The Wailer』(’05)、スラッシャー映画仕立ての『The River: Legend of La Llorona』(’06)などが作られており、『The Wailer』と『The River: Legend of La Llorona』はシリーズ化もされている。ただ、’00年代のアメリカ版ラ・ヨローナ映画は、いずれもウルトラ・ローバジェットのインディーズ映画で、残念ながら決して出来が良いとは言えない。 ハリウッドが初めて本格的に取り組んだラ・ヨローナ映画 そして、ハリウッドのメジャー映画が初めてラ・ヨローナを取り上げたのが本作『ラ・ヨローナ~泣く女~』(’19)。冒頭でも述べたように『死霊館』ユニバースのひとつとして作られたわけだが、しかしシリーズ作品との関連性は『アナベル 死霊館の人形』(’14)のペレズ神父がサブキャラとして出てくることと、フラッシュバックで一瞬だけアナベル人形が姿を見せるくらいしかない。 映画の冒頭はオリジン・ストーリー。1673年のメキシコで、夫に浮気された女性が復讐のため2人の息子を川で溺死させ、自らも命を絶って白いドレスの悪霊ラ・ヨローナとなる。舞台は移って1973年のロサンゼルス。時代設定は『アナベル 死霊博物館』(’19)の1年後に当たる。警官の夫に先立たれた女性アンナ(リンダ・カーデリーニ)は、ソーシャルワーカーとして働きながら2人の子供を女手ひとつで育てている。ある時、アンナは担当するメキシコ系のシングルマザー、パトリシア(パトリシア・ヴェラスケス)と連絡が取れないとの報告を受け、無事を確認するため彼女の自宅へ訪問すると、物置部屋に監禁されたパトリシアの息子たちを発見する。児童虐待を疑われて逮捕されたパトリシアだが、しかし本人は子供たちを守るためだと必死になって懇願する。そして翌晩、施設に預けられていたパトリシアの子供たちが、なぜか近くの川で溺死体となって発見された。 真夜中に亡き夫の元相棒クーパー刑事(ショーン・パトリック・トーマス)から呼び出され、息子クリス(ローマン・クリストウ)と娘サマンサ(ジェイニー・リン=キンチェン)を連れて現場へ駆けつけるアンナ。大きなショックを受ける彼女に、半狂乱になったパトリシアが「あんたのせいだ」と激しく詰め寄り、子供たちはラ・ヨローナに殺されたと主張する。その頃、車で待っていたクリスとサマンサは悪霊ラ・ヨローナ(マリソル・ラミレス)に襲われるが、言っても信じては貰えまいと母親には内緒にする。それ以来、アンナの自宅では奇妙な現象が相次ぎ、やがて彼女自身もラ・ヨローナの姿を目撃。悪霊は明らかに子供たちを狙っていた。恐ろしくなったアンナは教会のペレズ神父(トニー・アルメイダ)に相談し、強力なシャーマンである呪術医ラファエル(レイモンド・クルス)を紹介してもらう。愛する我が子を守るため、ラファエルの力を借りてラ・ヨローナに立ち向かうアンナだったが…? ロサンゼルスが舞台となっているのは、ここがかつてメキシコ領だったこと、現在に至るまでメキシコ系住民の多いことが主な理由であろう。’70年代を時代設定に選んだのは、もちろん当時のオカルト映画ブームへのオマージュという意味もあろうが、同時に本作が女性の映画、母親の映画であることにも深く関係しているように思う。ウーマンリブ運動の台頭によって女性の権利向上が飛躍的に進んだ’70年代のアメリカだが、それでもまだ女性の社会的地位は決して高いとは言えず、マーティン・スコセッシ監督の『アリスの恋』(’74)など当時の映画を見ても分かる通り、シングルマザーが子育てをするには依然として厳しい社会環境だった。周囲の理解やサポートをなかなか得られないシングルマザーが、子供を守るため悪霊に立ち向かっていくという本作のストーリーにとって、そうした時代背景はとても重要な要素とも言えるだろう。 アメリカでもラテン・コミュニティの間では誰もが知る有名な怪談だったラ・ヨローナの物語。これが長編映画デビューだったマイケル・チャベス監督も、ロサンゼルスで育ったことからラ・ヨローナを知っていたそうだが、しかし一般的な知名度はそれほど高くなかった。そのため、本作はラ・ヨローナ伝説の基本へと立ち返り、その存在を初めて知る平均的なアメリカ人女性を主人公に据えることで、予備知識のない観客でも理解できるオーソドックスなオカルト映画に仕立てられている。一部を除いてCGやグリーンバックの使用をなるべく避け、アナログな特殊メイクでラ・ヨローナを描写している点も、古き良きオカルト・ホラーの雰囲気を醸し出して効果的だ。ラ・ヨローナという題材以外に目新しさはないものの、そのぶん安心して楽しめる王道的なホラー・エンターテインメントと言えよう。 なお、本作の直後にはグアテマラ内戦時代に起きた先住民の大量虐殺事件とラ・ヨローナ伝説を結び付けたグアテマラ映画『La Llorona(泣く女)』(’19)が、さらに最近ではメキシコを旅した米国人一家がラ・ヨローナに襲われる『The Legend of La Llorona』(’22)が作られている。果たして、ラテン・アメリカの生んだ永遠不滅の亡霊ラ・ヨローナは、フレディやジェイソン、キャンディマンなどに続くホラー・アイコンとなり得るだろうか…?■ 『ラ・ヨローナ 〜泣く女〜』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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COLUMN/コラム2019.04.30
「マクドナルド」“創業者”のホントのところ!? 『ファウンダー ハンバーガー帝国の秘密』
誰でも知ってる「マクドナルド」は、正確な英語読みで発音すると、「マクドナルド」とはならない。「マク・ダーナルズ」「マク・ダーヌルズ」或いは「マクナード」などになるらしい。 アメリカ発のこのハンバーガーチェーンを日本で展開するに当たり、アメリカ本社の反対を押し切って、「日本語的に馴染み易い3・3の韻になるように」と、「マクドナルド」という名称にしたのは、「日本マクドナルド」の創業者・藤田田(1926~2004)である。主に関東で使われる略称「マック」はともかく、関西方面での「マクド」という呼び方は、藤田の決断があったが故に生まれたと言える。 冗談はさて置き、「マクドナルド」と命名したエピソード一つからでも、藤田のイノベーターとしての優秀さや、ベンチャー事業者としての優れた勘を読み取ることが可能であろう。「ソフトバンク」の孫正義や「ユニクロ」の柳井正など、彼の薫陶を受けた経営者も、数多い。 「日本マクドナルド」が、アメリカ本社の反対を押し切ったという意味でもう一つ有名なのが、「第1号店」を東京・銀座のど真ん中に出店したこと。 藤田はこの戦略について、奈良時代・平安時代の昔より日本では外国文化が、まず国の中心に入ってきてから広がっていった歴史があると考え、出店先を決めたと語っている。実際は、アメリカ側が自動車での来店を想定して、神奈川県の茅ヶ崎に「第1号店」を開くことを主張したのに対し、日本ではアメリカほどモータリゼーションが発展していない現実に向き合った結果が、銀座出店だったと言われている。 藤田はそうした自分の経営哲学のようなものを、経営者やビジネスマンに響くような言葉で、数多く残している。そんな中で私が特に印象深く覚えているのは、次の言葉である。 「人間は12歳までに食べてきたものを一生食べ続ける」 子どもの時に食べたものは、絶対忘れない。年を取っても食べ続け、自分の子ども達にも食べさせるという算段である。藤田は実際に、12歳以下の子どもたちをターゲットにハンバーガーを売りまくって、いわば“味の刷り込み”に成功。外食産業の世界で、大きな地位を築いた。 この言葉とエピソードは、ビジネス的には名言であり大きな成功譚として捉えるべき内容なのかも知れない。しかし、素直に称賛などできない。大きく引っ掛かる部分がある。 藤田自身がハンバーガーについて、「あまり好きじゃない(笑)。ハンバーガー屋だからハンバーグ食べなきゃならんという理由はないんだよ。ハンドバッグ屋のオヤジがハンドバッグ持って歩きますか?」「ハンバーガーより、うどんが好物」などと、何の衒いもなく語るような人物であったから、余計に…。 そんな藤田に、日本での「マクドナルド」展開の権利を渡したのが。本作『ファウンダー ハンバーガー帝国の秘密』でマイケル・キートンが演じる主人公、レイ・クロックである。 さて、「マクドナルド」という、どう考えても人名由来のハンバーガーチェーンの“ファウンダー=創業者”を名乗る男が、なぜレイ・クロックなのであろうか?そうした疑問を抱いたプロデューサーの存在があって、本作はこの世に生み出された。 正確に言えばクロックは、「マクドナルド」自体の“創業者”ではない。「マクドナルド」のフランチャイズチェーン化を成功させた意味での“創業者”なのである。 では真の“創業者”は? “ファストフード”の命とも言える、“スピード・サービス・システム”やコストをカットしながらもクオリティを保つという革新的なコンセプトを生み出した者は、一体誰だったのか? そこまでの疑問は、レイ・クロックの有名な自伝「成功はゴミ箱の中に」を読むだけでも、すぐに解ける。それは、カリフォルニア州のサンバーナーディーノに、自分たちの姓を冠したハンバーガーショップを開いていた、マックとディックの“マクドナルド兄弟”なのである。 クロックとマクドナルド兄弟の出会いは、1954年。当時52歳のクロックは、ミルクシェイクを作る“マルチミキサー”のセールスマンだった。ある時兄弟の店から大量発注を受けたことがきっかけで、引きも切らず客が押し寄せる、彼らの店の驚くべきシステムを知る。 クロックは、大々的な出店には慎重だった兄弟を、口八丁手八丁で説得し、「マクドナルド」の“フランチャイズ権”を獲得。チェーン化による大量出店を進めていく。 さてそこまでの経緯は良いとして、クロックがフランチャイズ展開を始めて7年後の1961年に、兄弟は自分たちの姓を付けた「マクドナルド」を、完全に手放すこととなる。そこには一体何があったのか? クロックの自伝では、フランチャイズ各店ごとの事情に応じた変更を行なおうとすると、マクドナルド兄弟は契約を盾にして、まるで融通が利かなかったとされる。また契約上、文書を書き起こす必要があるような場合でも、口約束で済まそうとしたという。時には向上心が薄い彼らが、まるで「マクドナルド」の拡大・発展を阻んでいるかのように記された部分さえある。 ところが本作では、主役にはクロックを据えながらも、マクドナルド兄弟の視点が盛り込まれていることで、その辺りの事情がかなり違って描かれる。それは本作の製作チームが、「マクドナルド」から手を引いた後のディック・マクドナルドが小さなモーテルを所有していたという記事を発見し、そこからディックの孫とコンタクトを取ることが出来たからである。 製作チームは、その時は既に亡くなっていた兄弟が遺した、会話の録音テープやクロックとの間の書簡や記録写真、様々な設計図や模型など、貴重な資料の数々を入手。それによって、クロックの自伝だけでは窺い知ることが出来なかった物語を、紡ぐことが可能になった。 先に書いた通り、1961年に兄弟は「マクドナルド」の商権を、クロックへと譲渡した。その対価は、270万㌦。クロックの自伝によると、兄弟はこの大金を得たことで、旅行や不動産投資を楽しみにする老後に、「ハッピーリタイアした」とある。 しかし本作で描かれる「マクドナルド」売却を巡るやり取りは、そんな生易しいものではない。詳しくは本作をご覧いただくとして、兄弟が「ニワトリ小屋の中にオオカミを入れてしまった」と評したクロックの、「欲しいと思ったものは、絶対に手に入れる」やり口には、嫌悪感を抱く向きも少なくないであろう。 またクロックは、「マクドナルド」のやり口だけパクって、「クロックバーガー」を展開することも可能だったのに、「マクドナルド」という名前ごと、兄弟から奪い取ることにこだわった。本作で語られるその理由は、アメリカという移民国家や大量消費社会を考察する意味で、大変興味深い。 最後に、レイ・クロックの人物像に更に迫るため、「日本マクドナルド」の藤田田の話に戻る。藤田は自身の言で、日本出店の交渉のために、レイ・クロックを訪ねた際のやり取りを紹介している。 それによるとクロックは、名刺をトランプのように掴んで、「300枚あるよ。日本の商社の人やダイエーの中内さんも来た。でもサラリーマンには熱意はないし、ミスター中内さんは買ってやるという高姿勢だったから断った。キミは熱心だし、日本で成功できそうだからキミに売るよ」と、藤田に日本での展開を委ねたという。 素直に受け取ればクロックに、「人を見る目」「先見の明」があったというエピソードになる。しかし、本作『ファウンダー』で、レイ・クロックが自分が生んだわけではない「マクドナルド」を手に入れて“ファウンダー=創業者”を名乗り、拡大に次ぐ拡大をした軌跡を目の当たりにした後では、単に「先見の明」があったという話にはノレない。 己が好きでもない食べ物を拡販して、後に日本人の食の嗜好や習慣まで変えてしまうことになる藤田に対して、クロックは自分と同じような“何か”を感じたのではないだろうか? そんなことまで、考えさせられる。『ファウンダー』は、実に深い作品であった。■