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PROGRAM/放送作品
8 1/2【完全修復版】
創作に行き詰まった映画監督の苦悩…巨匠フェデリコ・フェリーニが現実と幻想を交えて描く自伝的名作
フェデリコ・フェリーニ監督がマルチェロ・マストロヤンニ演じる映画監督に自身を投影し、現実と幻想を同時に表現する独自のスタイルを官能的に魅せる。アカデミー外国語映画賞と衣装デザイン賞(白黒)を受賞。
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COLUMN/コラム2020.12.03
フェリーニ映画という比類なきジャンルを確立した迷える映画監督の精神的な深層世界『8 1/2』
イタリア映画黄金期の寵児となった巨匠フェリーニ 2020年に生誕100年を迎えたイタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリーニ。1920年1月20日に北イタリアの沿岸都市リミニに生まれた彼は、「映画がなければサーカスの座長になっていた」と本人が語るほど、幼少期はサーカスの世界に魅了されていたという。しかし、フェリーニが大人になる頃には旅回りのサーカスも衰退し、その代わりに映画が娯楽の王様となっていた。’39年にローマの新聞社で働くようになったフェリーニだが、そこで知り合った同僚がチェザーレ・ザヴァッティーニやエットーレ・スコラ、ベルナルディーノ・ザッポーニなど、後のイタリア映画界を背負って立つ偉大な才能たち。この新聞社時代のエピソードは、スコラの遺作となったドキュメンタリー映画『フェデリコという不思議な存在』(’13)にも詳しい。 やがてラジオの放送作家としても活動するようになったフェリーニは、取材で意気投合した名優アルド・ファブリーツィの紹介で映画の脚本も手掛けるように。その頃出会ったのが、後にフェリーニ映画のミューズとなる女優ジュリエッタ・マッシーナだった。当時ラジオの声優をしていたジュリエッタとフェリーニは’43年に結婚。戦争末期に生活のため風刺画屋を始めた彼は、店を訪れた映画監督ロベルト・ロッセリーニの依頼で、ネオレアリスモ映画の傑作『無防備都市』(’45)の脚本に参加する。これを機にロッセリーニやアルベルト・ラットゥアーダのもとで修業し、映画作りのノウハウを学んでいったフェリーニは、そのラットゥアーダとの共同監督で映画『寄席の脚光』(’51)の演出を手掛ける。 次回作『白い酋長』(’52)で一本立ちした彼は、3作目『青春群像』(’53)で早くもヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞を受賞。続いて妻ジュリエッタを主演に据えた『道』(’54)は日本を含む世界中で大ヒットを記録し、アカデミー外国語映画賞にも輝いた。そんな飛ぶ鳥を落とす勢いのフェリーニにとって、大きな転機となったのがカンヌ国際映画祭のパルムドールを獲得した『甘い生活』(’60)だ。 そんなグイドの脳裏をよぎるのは、田舎の祖母(ジョージア・シモンズ)の家で若い乳母たちにチヤホヤされて育った幼少期、海辺の小屋に住む大女の娼婦サラギーナ(エドラ・ゲイル)とルンバを踊って神学校の教師に折檻された少年時代などの甘酸っぱい思い出。そして、理想の美人女優クラウディア(クラウディア・カルディナーレ)の幻影。夢の中に現れる両親(アンニバーレ・ニンキ、ジュディッタ・リッソーネ)に救いを求めるが、当然のことながら叶うはずもない。そうかと思えば、ホテルでたびたびすれ違うミステリアスな貴婦人(カテリーナ・ボラット)に興味をそそられるグイド。とりとめもない記憶やイメージを脚本に盛り込んでいくが、助言を求めた高名な映画評論家カリーニ(ジャン・ルゲール)からはことごとくダメ出しを食らう。 心細くなってしまったのか、グイドは夫婦仲の冷めかけた妻ルイーザ(アヌーク・エーメ)とその親友ロセッラ(ロセッラ・ファルク)らを湯治場へ呼び寄せるものの、運の悪いことに愛人カルラと鉢合わせてしまう。嘘に嘘を重ねる不誠実な夫に愛想を尽かすルイーザ。とはいえ、グイドの女好きは少年時代からの筋金入り。それをしつこく責められてうんざりした彼は、これまでの人生で出会ってきた女たちを支配する自分だけのハーレムを夢想して現実逃避する。一方、そんなグイドをよそに映画の製作準備は着々と進み、宇宙船発射台のオープンセットまで完成。もはやこれ以上は待てないと、製作者パーチェはテストフィルムを上映してグイドにキャスティングの決断を迫る。しかし、私生活を自分の都合よく解釈した内容に激怒したルイーザが彼のもとを立ち去り、ようやく出演オファーを引き受けてくれた女優クラウディアからは脚本を批判され、あなたは愛を知らないと言われてグイドは茫然とする。そして、製作発表の記者会見が行われることに。いよいよ逃げ場を失ってしまったグイドの取った行動とは…? 理解する映画ではなく心で感じる映画 これといって明確なストーリーラインはなく、そればかりか夢と現実と空想の境界線すら曖昧なまま、とりとめのないイメージやエピソードを羅列することによって、創作の危機に追い詰められた映画監督の混沌とする精神的な深層世界を掘り下げていく本作。実際、『甘い生活』で世界的な巨匠へと上りつめ、次回作への期待が高まる存在となったフェリーニは、大物製作者アンジェロ・リッツォーリと新作映画の契約を交わしたものの、肝心要となる脚本の執筆は思うように進まず、しまいには自分が何を描きたいのかも分からなくなってしまったという。そこで閃いたのが、今の自分が置かれた状況をそのまま映画にすることだったというわけだ。
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PROGRAM/放送作品
甘い生活
巨匠フェデリコ・フェリーニにしか描けない究極の退廃──カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞の傑作
イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニがローマ上流社会の退廃をセンセーショナルに描き、社会問題を巻き起こした衝撃作。カンヌ国際映画祭パルム・ドールに輝き、他にもアカデミー衣装デザイン賞(白黒)受賞。
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COLUMN/コラム2015.09.05
フェデリコという大いなる存在 ~スコーラの見たフェリーニ~
今年6月にエットレ・スコーラ監督の最新作『フェデリコという不思議な存在』(2013)がようやく劇場公開された。1931年北イタリアのトレヴィコ生まれのスコーラは、イタリア式喜劇の正統的な継承者として知られる名匠であり、本作完成時には既に82歳の高齢になる。フェデリコ・フェリーニ(1920年リミニ生まれ)に対する敬愛の情溢れるこの伝記映画でも触れられていたように、スコーラが11歳年長の先輩監督との知遇を得たのは、ユーモア誌『マルカウレリオ』の寄稿家時代だった。 1931年ローマで創刊された『マルカウレリオ』は、戦中の1943年に一時休刊に追い込まれたものの、戦後直ちに復刊され、1958年に廃刊されるまで<ユーモアの殿堂>として屹立した。1947年、まだ16歳の高校生だったスコーラが同誌の編集部に通い始めた時の先輩ライターの中には、フェリーニの他に、ステーファノ・ヴァンツィーナやフリオ・スカルペッリ、ヴィットリオ・メッツら、監督や脚本家として、50年代以降のイタリア式喜劇の中心的なメンバーとして活躍することになる錚々たる面子が揃っていた。ほとんど一回りという年齢差にも関わらず、『マルカウレリオ』誌におけるフェリーニとスコーラの共通点は、ギャグマンとしてのみならず、イラストレーターとして諷刺画(カリカチュア)も手がけ、類希なる造形力の片鱗を覗かせていたことだろう。 実はスコーラが自作の中でフェリーニを登場させたのは、今回が初めてではない。スコーラの代表作『あんなに愛しあったのに』(1974)は、第2次世界大戦中にレジスタンス(対独抵抗運動)の同志だった3人の男性を通して眺められた戦後イタリア史であり、ネオレアリズモの伝統を継承することを改めて宣言した映画である。 そもそもロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』(1945)に端を発するネオレアリズモは、第2次世界大戦末期のレジスタンスから始まり、敗戦直後のイタリア社会の抱える諸問題(失業や戦災孤児)に向き合った作品群を指した。『マルカウレリオ』誌での活動と並行しながら、ラジオや映画へと仕事を広げたフェリーニは、『無防備都市』を始めとするロッセリーニ作品の脚本家を経て、ネオレアリズモの分化が顕著となった1950年代に監督デビューを果たしたのだった。 『あんなに愛しあったのに』の3人の登場人物、実業家として成功するジャンニ(ヴィットリオ・ガスマン)、救命士となるアントニオ(ニーノ・マンフレディ)、売れない映画評論家となるニコラ(ステーファノ・サッタ・フロレス)は、ブルジョアジーとプロレタリアート(労働者)、そしてインテリゲンツァ(知識人)の各階級を代表しながら、ネオレアリズモ以降の戦後史を背負って行く。こうした些か類型的な人物造形が、屡々<自伝的>と称されるフェリーニの諸作にも通じることは明らかだが、<ブーム>と呼ばれたイタリアの高度経済成長期を代表する映画として劇中で取り上げられたのが、フェリー二の『甘い生活』(1959)に他ならない。 故郷のリミニで過ごした自堕落な下積み時代に取材した『青春群像』(1953)、ジャーナリストとして目撃した現代ローマのデカダンスを活写した『甘い生活』、そして映画監督として掴んだ栄光とその失墜に対する恐れと慄きの告白である『81/2』(1963)の3作は、フェリーニの実人生の3つの局面に対応する<自伝的な>側面を備えたフィクションである。なかでも、<パパラッツィ>という言葉を世間に広めた『甘い生活』は、当初『青春群像』の主人公モラルド(フランコ・インテレンギ)の後日談として構想されながら、<ラテンの恋人>マルチェッロ・マストロヤンニが起用されることで、ストーリーの一貫性よりも場面ごとのスペクタクル性が前面に押し出される一方で、ネオレオリズモの方法をイタリア社会から個人の内奥へと転じた傑作となった。 <ブーム>に沸き立つローマを現代のバビロンに見立てた『甘い生活』は、ヘリコプターに吊り下げられたキリスト像という意味深長な開幕の後、魅惑的なスペクタクル・シーンの連続が観客を陶酔の渦に巻き込まずにはおかないだろう。とりわけ、主人公マルチェッロの同行取材の最中に、ハリウッド女優(アニタ・エクバーグ)が深夜の<トレヴィの泉>で水浴びをする件は、嘆息なしに見られない名場面として長く記憶されることとなった。 フェリーニ作品に登場する女性像としては、(私生活における細君でもある)小柄で愛くるしい聖女タイプのジュリエッタ・マシーナと、グラマラスで扇情的な娼婦タイプのエクバーグが双璧をなしているが、スウェーデン出身のセクシー女優に過ぎなかったエクバーグが、永遠のイコンとして映画史に刻まれた瞬間だった。フェリーニ晩年の『インテルビスタ』(1988)では、すっかり歳を召したエクバーグが再登場し、マストロヤン二と一緒に往年の美貌を懐かしがってみせたが、惜しむらくも本年1月に逝去している。 『甘い生活』の15年後に完成された『あんなに愛しあったのに』の中で、スコーラはこの<トレヴィの泉>の撮影現場を再現し、(幾分頭髪の寂しくなりつつあった)フェリーニ本人を登場させるという荒業をやってのけた。若き日のフェリーニは痩身の美男子で、ロッセリーニのエピソード映画『アモーレ』(1948)では、俳優として顔見せしたこともあったほどが、TV用映画『監督ノート』(1969)以降、すっかり恰幅の良くなった体躯をカメラに晒すようになる。<自伝的なフィクション>から、映画の中で映画についての考察を促す<自己反省的なメタ映画>へと、フェリーニの作風が変わりつつあった。 監督本人がスクリーンに登場し、映画製作について(虚実を織り交ぜつつ)あけすけに語り始める。こうしたメタ映画をひとつのジャンルとして定着させたのは、フェリーニの功績と言ってよいだろうし、監督がスター化すると同時に、脚光を浴びたのがチネチッタ撮影所だった。1937年、ムッソリーニ政権下に開設されたチネチッタ撮影所は、50年代から60年代にかけてはハリウッドの大作史劇の製作を支えたものの、映画産業の斜陽化が顕在化した70年代に入ると、経営的な苦境を迎えることとなる。そうした逆風の時代にあって、類まれなる造形力を発揮する工房として、チネチッタを愛用したのがフェリーニであり、フェリーニを敬愛するスコーラであった。 『フェデリコという不思議な存在』では、チネチッタ最大級の第5ステージに焦点が当てられ、背景であるべきスタジオが前景化されている。TV番組のスタジオと化したチネチッタを題材にした『インテルビスタ』は元より、『オーケストラ・リハーサル』、『カサノバ』、『そして船は行く』など、後期のフェリーニ作品は、殆ど撮影所の外に出ることを自ら禁じるかのように演出されている。港町のリミニに生まれたフェリーニの作品では、<海>が重要なモチーフとして繰り返し登場するが、ネオレアリズモの後継者としてロケーションを重用した初期から、巨匠としてチネチッタに君臨した後期まで、フェリーニの描く<海>がどのような変遷を辿るのかに着目してみるのも一興かも知れない。■ (西村安弘) © Rizzoli 1960
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PROGRAM/放送作品
8 1/2
創作に行き詰まった映画監督の苦悩…巨匠フェデリコ・フェリーニが現実と幻想を交えて描く自伝的名作
フェデリコ・フェリーニ監督がマルチェロ・マストロヤンニ演じる映画監督に自身を投影し、現実と幻想を同時に表現する独自のスタイルを官能的に魅せる。アカデミー外国語映画賞と衣装デザイン賞(白黒)を受賞。
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COLUMN/コラム2015.08.28
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年9月】おふとん
映像の魔術師フェリーニの代表作。女の美しさ、街の美しさ、そして退廃的な生活の美しさ…まさにローマを見てから死ね状態です!ナポリなんかに負けません。この映画観ずして、映画語るべからず。 ヨーロッパ映画好きも、そうでない人も人生で一度は観ておきたい『甘い生活』。絶対に損はさせません。 9月ザ・シネマでは【特集:夜明けのフェリーニ】をお届け。代表作『甘い生活』から『魂のジュリエッタ』『女の都』、さらに『崖』『オーケストラ・リハーサル』といったマニア作までたっぷりとフェリーニの魅力をお送りします。お見逃しなく! © Rizzoli 1960