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PROGRAM/放送作品
バラ色の選択
愛か夢の実現か…、究極の選択を迫られる男の奮闘を描いた、心ときめくロマンチックコメディ
夢の実現を前に、愛orお金の選択に葛藤する男をマイケル・J・フォックス、彼が思いを寄せる女性店員を美しきガブリエル・アンウォーが演じる。マンハッタンを舞台にした、前向きで元気になれるラブストーリー。
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COLUMN/コラム2020.05.30
日本映画の革命児・大島渚が、『マックス、モン・アムール』で挑戦したこと
多分クランクインした、1985年の秋だったと思う。大島渚監督が新作『マックス、モン・アムール』を、パリで製作していることが、報じられた。監督の前作『戦メリ』こと『戦場のメリークリスマス』(83)大ヒットの記憶が、まだ新しい頃である。 ヒロインが、あのシャーロット・ランプリングであること。そして彼女が演じるのが、チンパンジーと愛し合う人妻であることが、かなりセンセーショナルに受け止められた。 出演する俳優が実際に性行為を行った、日本初の“ハードコアポルノ”『愛のコリーダ』(76)を撮った大島渚が、『愛の嵐』(74)で「ナチス帽に裸サスペンダー」のデカダンな衝撃をもたらした、シャーロット・ランプリング主演で、人間と猿の“愛”を描く!しかも舞台は、花の都にして“アムール”の本場、フランスはパリ!! 今度は一体、どんな刺激的な作品になるのか?そして、どんなスゴい“性描写”を行うのか?世間的には、そんな下世話な関心も高かったと言える。 しかし翌86年、「カンヌ国際映画祭」のコンペに出品後、フランス公開を経て、87年5月に日本でも『マックス、…』が公開される段になると、識者などの間から、困惑の声が広がっていった。 私は初公開時にこの作品を観ることはなく、後に大島渚が監督した映画作品の全貌を追う必要が生じた際に、初見となった。以前に観賞済みの作品も含め、大島渚作品の初期から時系列で観ていったのだが、なるほど、大島23本目の劇場用長編である本作に、戸惑いを覚えた者が少なからず居た理由が、理解できる気がした。 その理由を紐解くためにも、とりあえずは、本作のストーリーを紹介する。 パリ駐在の、イギリス大使館員ピーター(演;アンソニー・ヒギンズ)。美しい妻と小学生のひとり息子に恵まれ、職場には愛人関係にある同僚もいる。そんな優雅な生活を送っていたが、ある日、妻のマーガレット(演;シャーロット・ランプリング)の様子がおかしいことに気が付く。 探偵を雇うと、妻が秘かにアパートを借りていることがわかる。そこに足を踏み込んだピーターが目撃したのは、何と、妻が雄のチンパンジーと、ベッドを共にしている姿だった。 マーガレットは、マックスと呼ぶそのチンパンジーと、動物園で出会った。そして、一目で惹かれ合ったという。 ただならぬ驚きと嫉妬を覚えたピーターだったが、自宅の一室に檻を付けて、マックスを住まわすことを提案。奇妙な共同生活が始まる。 マックスの部屋に入り浸るマーガレットに対し、ピーターは室内で何をしているのか、気になって仕方がない。そんな彼にマーガレットは、「鍵穴から覗けば」と、部屋のキーを渡すのだった。 ホームパーティを開いた際には、参加者の友人たちにも、マックスの存在が知られてしまう。マックスが見せる、マーガレットへの鮮烈な愛情表現に、その場は気まずい空気が漂った。 マーガレットとマックスの間には、“性的関係”はあるのか?ピーターは煩悶し、日々苛立ちを増していく。やがて仕事にも支障を来たすようになった彼の日常は、大きく軋んでいくのだった…。 本作は、製作の報が伝わった時に期待されたような、「刺激的な作品」では、まったくなかった。“性描写”と言えるようなものも存在せず、その仕上がりは、エスプリの利いた、チャーミングな“艶笑譚”とでも言うべきものだった。 しかし多くの者が戸惑いを覚えたのは、それだけが理由ではない。本作『マックス、…』が、従前の大島作品とは、あまりにも様相を異にしていたからである。 1932年生まれの大島は、京都大学で学生運動に身を投じた後に、「松竹」に入社。「大船撮影所」での助監督を経て、59年に『愛と希望の街』で監督デビューした。 続く『青春残酷物語』(60)『太陽の墓場』(60)の2作が評判となり、“松竹ヌーヴェルヴァーグ”の旗手として、注目される存在になる。しかし安保闘争をテーマにした『日本の夜と霧』(60)が、上映4日で公開中止となったことから、「松竹」に叛旗を翻して、翌61年に退社。 独立プロである「創造社」を興し、以降は、次々と意欲的な作品を作り上げ、60年代から70年代初頭までを、一気呵成に駆け抜けていく。特に評判となったのが、「ATG=日本アート・シアター・ギルド」とのコラボ。製作費を500万円ずつ折半して作る、「1,000万円映画」などで、『絞死刑』(68)『新宿泥棒日記』(69)『少年』(70)『儀式』(71)といった傑作・話題作を世に送り出し、当時の若者たちから、強く支持された。 この頃の大島作品の特徴は、彼の盟友とも言うべき、映画評論家の佐藤忠男氏の言を借りれば、「きっぱりとした反体制的なテーマ」が打ち出されていることである。大島は、貧富の階級差や民族差別、家族制度や沖縄問題等々の、社会的な抑圧を次々と俎上に上げて、闘いを挑んでいった。また、既成の映画文法の破壊にも、極めて自覚的に取り組んでいた。 しかし「1,000万円」という“低予算”故に、得られた自由闊達さにも、やがて限界が訪れる。72年には齢40代に突入し、正に円熟期を迎えんという大島にとっては、その製作規模では、描き切れないものが次第に多くなっていった。 72年に最後の「1,000万円映画」である『夏の妹』を公開。翌73年には、「創造社」を解散した。 そこから大島は、国際舞台へと飛躍する。かつて『絞死刑』が、「カンヌ国際映画祭」の“監督週間”で評判となったのがきっかけとなり、フランスでの評価が高かった大島に、かの国のプロデューサー、アナトール・ドーマンから、作品製作の申し入れがあったのだ。 ここで大島が作ったのが、1936=昭和11年に起こった、「阿部定事件」を題材にした、『愛のコリーダ』。軍国主義が台頭する時代の日本で、ただひたすら性愛に興じる男女の姿を、“ハードコアポルノ”としてリリースし、世を騒然とさせたのである。 『愛のコリーダ』は、フランス側の出資を受けながら、日本を舞台に日本人俳優が出演する作品であったが、大島は続いても、ドーマンプロデューサーと組み、同じ製作スタイルで、『愛の亡霊』(78)を完成させる。この作品は「カンヌ」のコンペに出品され、“監督賞”の栄誉に輝いた。 その5年後に完成させたのが、イギリスのジェレミー・トーマスがプロデューサーを務め、製作費が15~16億円と謳われた、『戦場のメリークリスマス』。日本軍の捕虜収容所を舞台にしたこの作品では、大島が監督した劇映画では初めて、大々的な海外ロケを敢行。坂本龍一やビートたけしが演じる日本軍の兵士と、デヴィッド・ボウイやトム・コンティの連合軍兵士たちの“邂逅”と“衝突”が描かれた。 このように、「1,000万円映画」から国際的な合作へとスケールアップを遂げながらも、大島作品では一貫して変わらなかったことがある。それは 、“日本”という国家、そして“日本人”の在り方を追究し、撃ち続けたことである。 ところが本作『マックス、…』には、“日本”の影も形もない。人と猿の“愛”というアバンギャルドな題材に、無理矢理「大島らしさ」を見出したとしても、やはり、純然たる“フランス映画”に映る。それが、大島作品を追ってきた者たちに困惑をもたらした、最大の理由であったように思われる。 ルイス・ブニュエルの監督作を長く製作してきた、プロデューサーのセルジュ・シルベルマンの提案によってスタートした、この企画。ブニュエル作品の脚本家だったジャン=クロード・カリエールのオリジナル・アイディアが、ベースとなっている。パリに赴いた大島は、カリエールと机を挟んで、脚本作成の作業を進めた。 撮影は、ゴダール作品など、ヌーヴェルヴァーグの映画作家たちを支えてきた、ラウール・クタールを起用。マックスの特殊メイクのスーパーバイザーとして、リック・ベイカーが参加し、タイトルデザインは、『007』シリーズで知られる、モーリス・ビンダーが担当した。 スタッフ、キャスト共、すべて外国人といった座組に、大島は単身乗り込んだ。通訳も付けずに、英語とフランス語を駆使して、演出を行ったという。前作『戦メリ』の際に、日本人スタッフと外国人スタッフが揉めて、ウンザリしたという経緯もあったようだが、これは相当な覚悟を以って、本作の現場に臨んだものと考える他ない。 ここで再び、大島の盟友佐藤忠男氏の言を借りたい。大島は、「自分の仕事が日本的特殊性に頼らず、どこまでインターナショナルな普遍性を持ち得るかの実験として単独でフランスに行くということにした…」のであろう。 己の国際性を高めようという意思は、キャスティングからも顕著だ。ここで大島が、自作の出演者選びに関して、よく述べていた過激な言葉を紹介する。 ~一に素人、二に歌うたい、三四がなくて、五に映画スター。六七八九となくて十に新劇~ 映画には、役を超えてその演じ手の実質を映し出すドキュメンタリー的な側面がある。そしてそれが作品の強みにもなるというのが、大島の考え方であった。実際に、大島の「1,000万円映画」の主役には、現役のフーテン娘や著名なグラフィックデザイナーなど、“素人”が起用されることが、往々にしてあった。また、前作『戦メリ』のメインキャストも、当時は演技の“素人”であった坂本龍一やビートたけし、そして“歌うたい”のデヴィッド・ボウイであった。 しかし本作『マックス、…』では、そうした大島キャスティングの“大原則”さえ外している。主役は、“映画スター”のランプリング、そして脇を固めるのは、ヨーロッパ映画界に於ける、いわば“新劇”俳優たちとなっている。逆説的にはなるが、大島にとってはこれもまた、“挑戦”だったのだと思う。 前述したように、「カンヌ」のコンペにも出品された本作であるが、日仏両国で「絶賛」や「大ヒット」の果実を得たという話は、寡聞にして聞かない。しかし大島の意図から考えれば、“フランス映画”のエスプリが感じられる本作は、十分に「成功」を収めたと言えるのではないだろうか? 本作の後に大島は、『戦メリ』のジェレミー・トーマスと再タッグを組み、『ハリウッド・ゼン』の企画を進める。創成期のハリウッドでTOPスターとなった日本人俳優・早川雪洲と、イタリア系で、同時代の美男スターだったルドルフ・ヴァレンティノの、相克の物語である。 雪洲に坂本龍一、ヴァレンティノにアントニオ・バンデラス、雪洲の妻・青木鶴子にジョアン・チェンと、国際的な顔触れのキャストが決まった。あとは1991年11月に予定された、クランクインを待つばかりとなった。 ところが、セットの建て込みも進み、あと数週間で撮影が開始するというタイミングで、70億円という巨額の製作費の調達にメドが立たなくなり、撮影は半年間延期に。しかしこれも再延期となり、『ハリウッド・ゼン』は、結局製作中止へと追い込まれてしまう。 『マックス、…』に於ける、己の国際性を高める“挑戦”が、必ずや生きたであろう、大島畢生の超大作『ハリウッド・ゼン』。この企画が日の目を見なかったことには、今はただ、残念以外の言葉がない。 結局大島は、『マックス、…』の後の長編監督作は、『御法度』(99)1本のみ。その後は長い闘病生活へと入り、2013年に80歳で彼岸へと旅立った。■ 『マックス、モン・アムール』(C) 1986 STUDIOCANAL - France 2 Cinema
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PROGRAM/放送作品
ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎
『レインマン』の名匠バリー・レヴィンソンがシャーロック・ホームズの少年時代を描いた冒険活劇
製作総指揮スピルバーグ、後にハリー・ポッター1、2作目を監督するクリス・コロンバスが脚本を担当。【スピルバーグ流冒険活劇×「ハリポタ」風テイストを加えた名探偵ホームズ】という娯楽作。
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COLUMN/コラム2016.08.09
【ネタバレ】若き名探偵ホームズの冒険アクションがもたらした、三つの映画革命〜『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』〜
いまシャーロック・ホームズといえば、舞台を現代に置き換え、ベネディクト・カンバーバッチがホームズを演じて人気を得た英国ドラマ『SHERLOCK(シャーロック)』(10~)を思い出す人が圧倒的に多いだろう。あるいは映画だと、名優イアン・マッケランが93歳の老ホームズに扮し、過去に解決できなかった難事件に挑む『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』(15)が記憶に新しい。他にも『アイアンマン』シリーズが好調のロバート・ダウニー・Jr.が、その追い風に乗ってワイルドな看板ヒーローになりきった『シャーロック・ホームズ』(09)と続編『シャーロック・ホームズシャドウ ゲーム』(11)も、観る者に強烈な印象を与えている。 これらの作品に共通するのは、原作者アーサー・コナン・ドイルが生んだホームズ像を忠実になぞるのではなく、稀代の名探偵をフレキシブルに捉え、そのキャラクターや設定を独自にアレンジしている点だ。 そんなホームズ作品の、いわゆる「新解釈モノ」の先鞭といえるのが、1985年公開の本作『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』である。贋作でもパロディでもない、正伝に迫らんとする創意のもと、ドイルが手がけることのなかった「シャーロック・ホームズのティーン時代」を描いたのだ。 このオリジナルストーリーを執筆したのは、製作当時まだ26歳だったクリス・コロンバス。90年代、マコーレー・カルキン主演の留守番ドタバタコメディ『ホーム・アローン』(90)そして『ホーム・アローン2』(92)で大ヒットを飛ばし、2000年代には人気シリーズ『ハリー・ポッターと賢者の石』(01)と二作目の『ハリー・ポッターと秘密の部屋』(02)を手がけた、時代を象徴する監督だ。最近でも、天才ゲーム少年だった中年男が人類の存亡を賭け、8ビットエイリアンと戦う『ピクセル』(15)を演出し、健在ぶりを示している。 こうした諸作から明らかなように、コロンバスが得意とするのは、少年が日常から未知の冒険へと踏み出すジュブナイル・アクションだ。『ヤング・シャーロック』は、そんな彼の作風を顕著にあらわす、キャリア初期の脚本作である。 なにより製作のアンブリン・エンターテイメントにとって、コロンバスの作風は値千金に等しかった。同社は名匠スティーブン・スピルバーグが設立した製作会社で、スピルバーグは『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81)によってアクション密度の高い作品スタイルを確立させ、多くの観客を劇場へと呼び寄せていた。 そのためアンブリンは、『レイダース』タイプの映画を自社の看板商品とするべく、傘下のクリエイターたちにアイディアを求めたのである。 ジョー・ダンテ監督のクリーチャーコメディ『グレムリン』(84)に脚本で参加し、アンブリンにいち早く貢献していたコロンバスは、先の要求に応えて二本のジュブナイル・アクション映画の脚本を完成させる。そのひとつが、海賊の財宝を探して少年たちが冒険を繰り広げる『グーニーズ』(85)で、もうひとつが『ヤング・シャーロック』だったのだ。 ところが、企画から撮影までが順調に進んだ『グーニーズ』とは対照的に、本作は脚本の執筆だけで9ヶ月もの期間を要している。理由はふたつあり、ひとつは『グレムリン』があまりにも悪趣味な内容だったために改稿を余儀なくされ、その作業とかぶってしまったこと。そしてもうひとつ、ホームズには「シャーロキアン」と呼ばれる熱狂的なマニアがおり、彼らの厳しい鑑識眼に堪えねばならなかったからだ。 古典的なヒーローを現代のアクション映画向きにアレンジしつつ、原作のイメージを損ねることは許されない……。コロンバスは右にも左にも偏ることのできない直立の状態で、新しいホームズ像を作らねばならなかったのである。 しかし、そんな困難に揉まれたおかげで『ヤング・シャーロック』は、大胆なアレンジの中にもオリジナルへの目配りが隅々にまで行き届いている。 例えば本作の、1870年という時代設定。これはシャーロキアンの研究に基づくホームズの誕生年(1854年生まれ)から、16歳を想定して割り出されたものだ。またホームズ役に大スターを起用せず、駆け出しの新人だったニコラス・ロウを抜擢したのも、「高身長」そして「ワシ鼻」という、ホームズの外見的特徴を重視したうえでのチョイスである。 さらにはホームズが得意とするフェンシングをアクションの大きな見せ場に用いたり、彼や盟友ワトスン(アラン・コックス)を苦しめる邪教集団ラメ・タップを、シリーズ短編「マスグレーヴ家の儀式」(『シャーロック・ホームズの思い出』に収録)をヒントに膨らませるなど、原作を巧みに活かした脚本づくりが展開されている。 他にもクールで女性に懐疑的なホームズの性格や、ロングコートやパイプの愛用など、誰もが知っている彼のキャラクター像に、本作では思わず膝を打つような由来が与えられている。加えて、鋭い分析能力がまだ精度100パーセントでないところなど「若さゆえの未完成」といった解釈が利いており、まさしく“ヤング・シャーロック”を体現している。 かくのごとき水も漏らさぬ徹底した作りによって、コロンバスは映画ファンのみならず、口うるさいシャーロキアンたちにも好感触を抱かせたのだ。 産業革命下のイギリスを舞台に、古代エジプト期からの呪術を受け継ぐ殺人教団の陰謀を、明晰な頭脳で阻止しようとする若き探偵ーー。知的好奇心をくすぐる、ヴィンテージ感覚と謎解きの興奮に満ちたこの冒険物語を、監督であるバリー・レヴィンソンが緻密な演出で視覚化している。 ヴォルチモアを舞台にした青春劇『ダイナー』(82)や、ロバート・レッドフォード主演の野球ファンタジー『ナチュラル』(84)で一躍注目を浴びたレヴィンソンだが、これほど手の込んだ大作を手がけるのは初めてだった。しかしそんな懸念をものともせず、ブルース・ブロートンの高揚感満載なテーマ曲に呼応した、胸のすくようなジュブナイル・アクションを世に送り出したのだ。 本作でレヴィンソンはスピルバーグの信用を勝ち得、スピルバーグは『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(89)の撮影と重なって監督を降りた『レインマン』(88)を彼に委ねた。スピルバーグの見込みは、同作が米アカデミー作品賞、監督賞を含む5部門を制覇したことからも、間違いのないものだったといえよう。 ■映画史上初のデジタルCGキャラクター また本作は、ホームズのアレンジに成功したというソフト面だけではなく、ハードな側面からも大きな成果をもたらしている。それはハリウッドの劇場長編映画に、初めてフルデジタルのCGキャラクターを登場させたことだ。 そのキャラクターとは、毒矢を射られた司祭の幻覚に登場し、彼を死へと追いやるステンドグラスの騎士だ。 本作のスペシャルエフェクト・スーパーバイザーを担当した視覚効果スタジオ、ILM(インダストリアル・ライト&マジック)のデニス・ミューレンは、『スター・ウォーズ』(77)で成功を得たルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門に協力を求め、この幻想上の怪物を既存の特撮技術ではない、コンピュータ描画による新たな創造を試みたのである。 パペット操作やモデルアニメーションとは一線を画すこの手法、まずは騎士をかたどった立体模型から、デジタイザ(デジタル画像変換装置)を用いて形状をキーポイント入力し、フルカラーモデルを描き出すことのできるレンダリング・プログラム「レイズ」で、コンピュータ上に騎士の3Dイメージを作成する。そして俳優から得たライブアクション(本作では騎士の模型を作った技師が担当)を参考に、ロトスコープ技法で動作をつけるというものだ(使用したCGドローイングシステムはエバンス&サザーランド社の「ピクチャー・システム2」)。こうして生み出されたCGキャラクターを、フィルム上で実景と合成させるのである。 問題点としては、創り出した騎士の動きが、モデルアニメーションのようにカクカクすることだった。それを解決するために、モーションブラー(動きをスムーズに見せるためのブレ)のアルゴリズムを用いるなど、フォトリアルなCGキャラクター作りの基本が本作によって確立されている。 デジタルによる映画製作が主流となった現在、先述した技法の革新性や難しさは、もはや実感しにくいかもしれない。しかし30年前は画像処理ひとつをとっても、解像度や処理速度などのパフォーマンスが充分ではなく、コスト上の制約も厳しかったのだ。また完成したCGをフィルム内に取り込むのも、旧来はCRT(高解像度ブラウン管)に映し出された映像を再撮するやり方でおこなわれていたのだが、それではフィルム内合成のマッチングが図れず、画質の面でクオリティを保てない。 そこで同部門が開発した、レーザーで直接CGをフィルムネガに焼き込める画期的なシステムを用い、CGで作り出したイメージを違和感なく本編に取り込むことに成功したのだ。こうした経緯から、当時わずか6ショット、計30秒に満たないこのシーンを生み出すのに、6ヶ月という途方もない制作期間が費やされている。 だがその甲斐あって、ガラス窓から抜け出し、平面のまま意志を持ったように人を襲う、悪夢のようなキャラクターが見事に生み出されたのだ。そして本作を機にデニス・ミューレンは『アビス』(89)『ターミネーター2』(91)そして『ジュラシック・パーク』(93)など、ハリウッド映画の視覚効果にCGの革命をもたらし、VFXの第一人者として業界を牽引していく。 ちなみに、このデジタル騎士の誕生に協力したコンピュータ・アニメーション部門の名は「ピクサー・コンピュータ・アニメーション・グループ」。そしてデジタル騎士のパートをミューレンと共に手がけたのが、誰であろうジョン・ラセターである。そう、前者は本作から10年後の1995年、世界初のフル3DCG長編アニメ『トイ・ストーリー』を世に送り、今や世界の頂点に立つアニメーションスタジオ「ピクサー」の前身だ。そして後者は『トイ・ストーリー』を監督し、現在はピクサーとディズニースタジオのクリエイティブ・アドバイザーを務める、ハリウッドを代表するトップクリエイターである。 『ヤング・シャーロック』は、映画にデジタル・メイキングの礎を築き、その映像表現飛躍的な進化と無限の可能性をもたらしたのだ。 ■クレジット終了後のサプライズも…… 最後に『ヤング・シャーロック』は、「ポスト・クレジット・シーン」という、いわゆるエンドロール後のサプライズ演出を用いた作品としても知られている。今や『アベンジャーズ』(12)を筆頭とするマーベル・シネマティック・ユニバース映画などでおなじみのこのスタイルを、ハリウッド映画に定着させたのは本作なのだ。 ラメ・タップ教団の黒幕として暗躍し、ホームズとの対決に敗れて氷の河に沈んだレイス教授(アンソニー・ヒギンズ)。その彼がクレジット後に何食わぬ顔で姿を見せ、馬車で到着した、とあるホテルの受付で名を記帳する。 「モリアーティ」とーー。 邪力のなせるワザか、それとも天才的な悪の頭脳プレイかーー? 死んだはずの人物が生存し、あまつさえその男が、ホームズの終生のライバル、モリアーティ教授だったとは! 衝撃が二段仕込みの、じつに気の利いた演出である。 『スター・ウォーズ』以降、ハリウッド映画は視覚効果やポスト・プロダクションが大きく比重を占め、参加スタッフの増加と共にエンドロールが長くなる傾向にあった。そのため観客が本編終了直後、すぐに席を立ってしまうことが懸念され、こうした作案が客を帰らせないための一助となったのである。また、コロンバスの書いた脚本には、このポスト・クレジット・シーンは設定されておらず、続編への布石として追加されたものとも言われている。しかし残念ながら本作は大ヒットには至らなかったため、続編は現在においても果たされていない。 ちなみにこのサプライズ演出、筆者が初公開時にこれを観たとき、隣席の男性が傍らのカノジョに向かってこう言い放った。 「モリアーティって、誰?」 シャーロック・ホームズに関する基礎教養を欠いては、せっかくの映画革命も台無しである。こればかりはさすがにホームズの天才的な頭脳をもってしても、どうすることもできないだろう。■ ® & © 2016 Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
マックス、モン・アムール
[PG12相当]妻の愛人はチンパンジーだった…大島渚が奇妙な三角関係で愛の形を問う、異色ドラマ
大島渚監督がフランス資本で世界に向けて手がけた“愛の3部作”の一編。『愛の嵐』の美女シャーロット・ランプリングとチンパンジーの美しい純愛を通じて、人間社会における愛のあり方に根本的な疑問を投げかける。
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PROGRAM/放送作品
(吹)ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎
『レインマン』の名匠バリー・レヴィンソンがシャーロック・ホームズの少年時代を描いた冒険活劇
製作総指揮スピルバーグ、後に「ハリー・ポッター」1、2作目を監督するクリス・コロンバスが脚本を担当。スピルバーグ流冒険活劇に「ハリポタ」風寄宿学校テイストを加えた名探偵ホームズもの、という贅沢な娯楽作。