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PROGRAM/放送作品
ノスフェラトゥ
古典怪奇映画が重厚な映像美で蘇える!鬼才ヴェルナー・ヘルツォーク監督がドラキュラ映画の元祖をリメイク
1922年の『吸血鬼ノスフェラトゥ』をヴェルナー・ヘルツォーク監督が再映画化。ドラキュラ伯爵役クラウス・キンスキーの不気味さとイザベル・アジャーニの透明な美貌が鮮烈。ベルリン国際映画祭美術賞を受賞。
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COLUMN/コラム2020.01.31
1978年発!“映画史”の過去と現在をつなぐ クライム・アクションのマスターピース 『ザ・ドライバー』
~こいつがハンドルをにぎったら〈ブリット〉さえも追いつけない…~ これは本作『ザ・ドライバー』が、1978年9月の公開時に用いたキャッチフレーズだ。この頃カーアクション映画と言えば、必ず引き合いに出されたのが、スティーブ・マックイーン主演の『ブリット』(1968)だったのが、「時代」を感じさせる。 公開当時は中2だった私にとって、本作に改めて触れるのは、即ち1978年の空気を思い出すこと。それと同時に、連綿と続いていく“映画史”の中で本作が、メガヒット作というわけでもないのに、クライム・アクションを語る意味で、極めて重要な位置を占めていることに思い至る。 『ザ・ドライバー』初公開時の配給会社は、今はなき「日本ヘラルド映画」。ハリウッドメジャーの傘下ではない、独立系洋画配給として、長らく「東宝東和」などと覇を競っていた会社だ。 「ヘラルド」「東和」共に、1960年代半ばから70年代前半までは、マカロニ・ウエスタンやアラン・ドロン主演作などのヨーロッパ系作品が大きな売りであった。しかし70年代後半になると、ハリウッド映画や大作路線にシフトチェンジが行われた。 例えば「東和」は77年の正月興行の“大本命”として、ディノ・デ・ラウンレンティス製作の『キングコング』(76)を、拡大公開。それに対して「ヘラルド」は、ラウレンティスとかつてコンビを組んでいたカルロ・ポンティがプロデュースし、バート・ランカスターやソフィア・ローレンなどオールスターキャストのパニックサスペンス大作『カサンドラ・クロス』で対抗するといった具合に。 78年になると、ハリウッド・メジャー「20世紀フォックス」配給の『スター・ウォーズ』(77)が夏休みに鳴り物入り公開するのに先駆けて、「ヘラルド」はサム・ペキンパー監督のトラックアクション『コンボイ』を、大宣伝で仕掛けた。当時の「ヘラルド」は“ゲリラ戦”も交え、洋画戦線で様々な創意工夫を凝らしていたのである。 その年の夏興行が一段落して、「ヘラルド」が秋の目玉の1本として公開したのが、本作『ザ・ドライバー』だった。物語の主役はタイトルそのままに、“ドライバー”。銀行やカジノなどを襲った強盗たちを乗せ、凄腕の運転技術で警察の追跡を振り切ることを生業とする。車種がスーパーカーであろうと軽トラであろうと、そのテクに揺るぎはなく、完璧に“仕事”をこなす。恋人もなく友人もいない彼は、笑顔ひとつ見せない寡黙な男である…。 その夜の“ドライバー”はいつものように、“仕事”の直前に盗んだ車でカジノ前に乗り付け、犯行を終えた強盗たちが飛び出してくるのを待ち受けていた。ところが、強盗たちが予定よりも時間を喰ったため、車中で待機中、カジノに出入りする“プレイヤー(賭博師)”と呼ばれる美女に、その顔を見られてしまう。 警察には、“ドライバー”の逮捕に執念を燃やし、専従捜査班を束ねる、1人の“刑事”が居た。彼は目撃者である“プレイヤー”に、“ドライバー”の面通しをするが、彼女はなぜか、「この男ではない」と証言する。 “プレイヤー”の協力を得られなかった“刑事”は、“ドライバー”を罠に掛けるため、別の強盗事件で捕まえた悪党を脅して、“ドライバー”に仕事を依頼するように仕向ける。ところがその悪党が、“刑事”と“ドライバー”の両者を出し抜こうとしたことから、歯車が大きく狂っていく。 “ドライバー”は、“プレイヤー”の協力を得ながら、自らの“掟”を貫こうとするが…。 “ドライバー”にライアン・オニール、“刑事”にブルース・ダーン、“プレイヤー”にイザベル・アジャーニ。当時としては正に、「旬のキャスト」であった。 1964年から始まったTVシリーズ「ペイトンプレイス物語」で人気を得たライアン・オニールは、主演作の『ある愛の詩』(70)の大ヒットによって、映画の世界でもスターの座に就いた。以降、ピーター・ボクダノヴィッチ監督の『おかしなおかしな大追跡』(72)『ペーパー・ムーン』(73)、スタンリー・キューブリック監督の『バリー・リンドン』(75)などのヒット作・話題作に主演。リチャード・アッテンボロー監督の戦争超大作『遠すぎた橋』(77)日本公開時には、ダーク・ボガードやロバート・レッドフォードらと並んで、“14大スター”の1人に数えられた。 オニールにとって『ザ・ドライバー』は、そのキャリアのピーク時の主演作と言える。それまでの甘い二枚目ぶりを封印し、自らカースタントにも挑んだという“ドライバー”の役どころは、新境地と言えた。 対する“刑事”役のブルース・ダーンは、『11人のカウボーイ』(72)の悪役で、「ジョン・ウェインを殺した男」として注目された後、ヒッチコック監督の遺作となった『ファミリー・プロット』(76)や、ジョン・フランケンハイマー監督の『ブラック・サンデー』(77)などで主演級に。『ザ・ドライバー』と同年公開の『帰郷』では、心を病んだベトナム帰還兵を演じて、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。 この頃のダーンは、偏執狂的な役どころを得意としていた。そうした意味で本作は、タイプキャストだったと言える。 本作がアメリカ映画初出演だったイザベル・アジャーニは、二十歳の時に主演したフランス映画、フランソワ・トリュフォー監督の『アデルの恋の物語』(75)で、セザール賞、そしてアカデミー賞の主演女優賞候補となり、スターダムに。日本でも76年春に『アデル…』が公開されると、映画雑誌の人気投票で上位にランクインするなど、大人気となった。 その後も次々と主演作が製作されて、本国フランスでは押しも押されぬスター女優の地位を確立していったが、なぜか日本ではそれらの作品は未公開に終わったり、劇場公開まで5~10年ほどの歳月を要したり。『アデル…』で彼女に恋したファンにとっては、『ザ・ドライバー』は2年半ぶりとなる、待望の日本公開作だったのである。 そんな「旬の3人」を擁した本作のメガフォンを取ったのは、ウォルター・ヒル。サム・ペキンパー監督の『ゲッタウェイ』(72)などの脚本で注目される存在となり、75年にチャールズ・ブロンソン主演の『ストリートファイター』で監督デビューを果たした。本作が監督第2作となる。 “西部劇の神様”ジョン・フォード監督をこよなく愛するというヒルは、『ザ・ドライバー』劇場用プログラムに掲載されたインタビューで、次のように語っている。 「…警官にも、犯罪者にも、それぞれの主張というものがあるわけだ。だから映画は善と悪の対立を描くんではなくて、その両者の意志と意志のたたかいを描いていくんだ。 だからぼくはジョン・フォードを敬愛しているし、西部劇が好きなんだよ。西部劇には因習的な道徳律にとらわれず、新しいモラルを作っていくようなところがあるだろう。」 なるほど。本作にはヒルが愛する“西部劇”的な趣向が、数々盛り込まれている。様々な運転テクを駆使して逃走を図る“ドライバー”だが、ここ一番の勝負は、まるでガンマンのように、正面から正々堂々の一騎討で臨む。そして独りラジオでカントリーミュージックを聴く“ドライバー”に、“刑事”は「カウボーイ」と呼び掛ける…。 “西部劇”と同時に、その影響が指摘されるのは、『サムライ』(67)。本作の“ドライバー”のキャラクターが、ジャン・ピエール・メルヴィル監督によるフレンチ・フィルム・ノアールの傑作でアラン・ドロンが演じた、寡黙な殺し屋像にインスパイアされているというのは、至極有名な話である。 現代のロサンゼルスというコンクリートジャングルを舞台にしながら、“映画史”的な伝統を受け継いだ、『ザ・ドライバー』。いわば、“西部劇風ノアール”とでも言うべき作品となっている。 実はDVDソフトなどの特典映像で、本編からカットされたシーンを見ると、“編集”時点での判断が、この作品の成否の鍵となったことがわかる。元々は作品冒頭、“ドライバー”の犯行が行われる前に、1つのシーンがあった。それは、“ドライバー”に“仕事”の仲介を行っている“連絡屋”(演:ロニー・ブレイクリー)が、“プレイヤー”の部屋を訪れ、“ドライバー”のアリバイ工作を依頼するというもの。警察での“ドライバー”の面通しで、“プレイヤー”が「彼ではない」といった理由が、はっきりと描かれていたのである。 またオリジナルの予告編には、“ドライバー”と“プレイヤー”の濃厚なキスシーンが挿入されている。恐らく作中の展開として撮影されていたこのシーンが挿入されていたら、クライマックスで“プレイヤー”が“ドライバー”に協力する理由が、「男女の仲」故ということになりかねない。 これらの説明的な部分をバッサリとカットしたからこそ、“ドライバー”“プレイヤー”それぞれの孤独感が強まると同時に、共に屹立したキャラクターとなった。この2人は、“恋愛”などの理屈抜きのプロとプロの関係であるからこそ、お互いを認めて、クールな協力関係になったわけである。この“編集”こそ、本作の成功に繋がったと言えよう。 この作品以降ウォルター・ヒルは、『ウォリアーズ』(78)『ロング・ライダーズ』(80)『48時間』(82)『ストリート・オブ・ファイヤー』(84)等々の作品を放ち、80年代中盤まで、他の追随を許さない、“男性アクション(死語!?)”の担い手として疾走した。付け加えれば、『エイリアン』シリーズ(79~ )のプロデューサーという役割も、長年果たすこととなる。 そして『ザ・ドライバー』は、後続のアクション映画に大きな影響を与え続ける作品となった。やはりロスを舞台にした、『ターミネーター』第1作(84)では、夜のカーチェイスシーンで、同じロケ場所を使用。ジェームズ・キャメロン監督も、本作の影響を明言している。 犯罪組織から請け負った荷物を何でも運ぶ天才的なドライバーを主人公としたのが、『トランスポーター』シリーズ(2002~ )。ジェイソン・ステーサムの出世作となったこのシリーズも、『ザ・ドライバー』の存在なくしては、成立しなかったかも知れない。 もっとストレートに、強盗を逃す“ドライバー”を主人公としたヒット作が、2010年代には2本登場した。1本目は、ニコラス・ウィンディング・レフン監督の『ドライヴ』(11)。実は『ドライヴ』の原作小説は、『ザ・ドライバー』にオマージュを捧げて書かれたもので、ライアン・ゴズリング演じる寡黙な主人公の役名は、本作と同じく“ドライバー”となっている。 もう1本のヒット作は、記憶に新しい、『ベイビー・ドライバー』(17)。映画マニアで知られ、『ザ・ドライバー』に深い愛を捧ぐエドガー・ライト監督は、『ベイビー…』の主要登場人物たちの役名を、本作同様に記号化した。アンセル・エルゴートが演じた主人公の“ベイビー”をはじめ、強盗団のボスは“ドック”、メンバーは“バディ”“ダーリン”“バッツ”といった具合である。その上でライト監督は、わざわざウォルター・ヒルに、“声の出演”までさせている。 ウォルター・ヒル監督自身のキャリアは、80年代中盤をピークに、その後は正直言って、失速した感が強い。しかし、何とも言えない、“映画史”の妙とでも言うべきか。ヒルが“西部劇”と“ノアール”から受け継いだスピリットは、このような形で2010年代のクライム・アクションにまで、大きな影響を及ぼしているのである。■ 『ザ・ドライバー』© 1978 Twentieth Century Fox Film Corporation - © 2013 STUDIOCANAL FILMS Ltd
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PROGRAM/放送作品
ザ・ドライバー
プロの逃がし屋と刑事の“男の対決”が始まる!ハードボイルドな世界にシビれるカーアクション
男の映画の巨匠ウォルター・ヒル監督が、凄腕の逃がし屋と刑事との戦いを、夜のLAを舞台に無骨なカーアクションと共に活写。『ベイビー・ドライバー』『ドライヴ』など後の逃がし屋映画に多大な影響を与えている。
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COLUMN/コラム2018.03.05
ポランスキー的な“恐怖”と“倒錯”が濃厚に渦巻く悪夢的スリラーの傑作『テナント/恐怖を借りた男』
■『チャイナタウン』と『テス』の狭間に撮られた日本未公開スリラー 『反撥』(65)、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)、『チャイナタウン』(74)、『フランティック』(88)、『戦場のピアニスト』(02)、『ゴーストライター』(10)などで名高いロマン・ポランスキーは、言わずと知れたサスペンス・ジャンルの鬼才にして巨匠だが、アルフレッド・ヒッチコックのような“華麗なる”イメージとは異質のフィルムメーカーである。その一方で“倒錯的”な作風においてはヒッチコックに勝るとも劣らないポランスキーの特異な個性は、彼自身の世にも数奇な人生と重ね合わせて語られてきた。 ユダヤ系ポーランド人という出自ゆえに第二次世界大戦中の少年期に、ナチスによるユダヤ人狩りの恐怖を体験。映画監督としてハリウッドで成功を収めて間もない1969年には、妻である女優シャロン・テートをチャールズ・マンソン率いるカルト集団に惨殺された。そして1977年、少女への淫行で有罪判決を受けてヨーロッパへ脱出し、今なおアメリカから身柄引き渡しを求められている。 このように“身から出た錆”も含めて災難続きの大波乱人生を歩んできたポランスキーだが、日本でも多くの熱烈なファンを持ち、母国ポーランドでの長編デビュー作『水の中のナイフ』(62)から近作『毛皮のヴィーナス』(13)までの長編全20本は、そのほとんどが日本で劇場公開されている。妻のエマニュエル・セニエとエヴァ・グリーンをダブル主演に据えた最新作『Based on a True Story(英題)』(17)はスランプ中の女流作家とその熱狂的なファンである謎めいた美女との奇妙な関係を描いたサイコロジカルなサスペンス劇。こちらもすでに日本の配給会社が買付済みで、年内の公開が予定されている。 今回紹介する『テナント 恐怖を借りた男』(76)は、シャロン・テート惨殺のダメージから立ち直ったハードボイルド映画『チャイナタウン』と文芸映画『テス』(79)の間に撮られた心理スリラーだ。原作はローラン・トポールの小説「幻の下宿人」。『ポランスキーの欲望の館』(72)、『ポランスキーのパイレーツ』(86)と合わせ、わずか3作品しかないポランスキーの日本未公開作の1本だが、上記の2作品とは違ってなぜ劇場で封切られなかったのか理解に苦しむハイ・クオリティな出来ばえである。さらに言うなら“ポランスキー的な恐怖”を語るうえでは絶対欠かせない重要な作品なのだ。 ■極限の疎外感に根ざしたポランスキー的な“恐怖” 主人公の地味なサラリーマン、トレルコフスキーはフランスに移り住んだポーランド人。彼はパリの古めかしいアパートを借りようとするが、やけに無愛想な管理人のマダム(シェリー・ウィンタース!)に案内されたのは、前の住人である若い女性シモーヌが投身自殺を図ったいわく付きの部屋。シモーヌは現在入院中なのだが、マダムは嫌な笑みを浮かべて「まだ生きてるけど、死ぬのは時間の問題よ」などと不謹慎なことを言い放つ。やがてシモーヌは本当に死亡し、トレルコフスキーはこの部屋での新生活をスタートさせるが、次々とおぞましい出来事に見舞われていく。 トレルコフスキーがまず悩まされるのは隣人トラブルだ。会社の同僚を部屋に招いて引越祝いのパーティーを開くと、上の階の住人からの苦情を受け、下の階に住む年老いた大家からは顔を合わせるたびに「君は真面目な青年だと思ったのだが」と皮肉交じりの小言を浴びせられる。こうしてトレルフスキーは“"物音”を立てることに過敏になっていくのだが、ある日訪ねた同僚の男は深夜にステレオを大音量で鳴らし、文句を言いに来た隣人を「いつ、どんな音で聴こうが俺の勝手だ!」と逆ギレして追い返す。何たる神経の図太さ。しかし小心者のトレルコフスキーには、そんなマネなどできるはずもない。この映画は社会のルールを守り、すべてを無難にやり過ごそうとするごく平凡な常識人が言われなき非難と攻撃を受け、精神的に孤立していく過程を執拗なほど念入りに描き、カフカ的な不条理の域にまで昇華させている。 むろん“倒錯の作家”ポランスキーが紡ぐ恐怖が、ただの隣人トラブルで済むはずもない。部屋のクローゼットからは前住人シモーヌの遺品である黒地の花柄ワンピースが発見され、壁の穴にははなぜか人間の歯が埋め込まれていることに気づく。そして夜な夜な窓の外に目を移すと、向かいの建物の共同トイレに人が立っている。しかもその人物は幽霊のように生気が欠落していて、身じろぎもせずただボーッと突っ立っているのだ。ここまで記した隣人、ワンピース、歯、共同トイレの幽霊人間のエピソードはすべて、このうえなく異常な展開を見せる後半への伏線になっている。ついでに書くなら、トレルコフスキーが行きつけのカフェで煙草のゴロワーズを何度注文しても、マスターが「マルボロしかない」と返答し、頼んでもいないホット・チョコレートを差し出してくる逸話も要注意だ。生前、このカフェに通っていたシモーヌはマルボロの愛好家であり、いつもトレルコフスキーが座る席でホット・チョコレートを飲んでいたのだ! かくしてトレルコフスキーはアパート関係者やカフェのマスターらがこっそり結託し、自分をシモーヌ同様に窓からの投身自殺へと追い込もうとしているのではないかというオブセッションに取り憑かれていく。こうした人間不信を伴う極限の疎外感こそが、まさに前述した“ポランスキー的な恐怖”の根源である。本作はそれだけにとどまらない。人間不信の被害妄想的な側面を徹底的に膨らませ、トレルコフスキーとシモーヌのアイデンティティーの一体化をまさかの“女装”によって直接的に表現しているのだ。むろん、そうした奇妙キテレツなストーリー展開はローラン・トポールの原作小説に基づいているが、グロテスクなようで怖いほどハマっている女装も含め、すべてを主演俳優でもあるポランスキー自身が演じている点が実に興味深い。 ■物語の見方がひっくり返されるポランスキー的な“倒錯” ひょっとすると、ブラックユーモアも満載されたこの映画は、現実世界で理不尽な厄災に見舞われ続けてきたポランスキーが、自らの内なる恐怖と向き合うセラピーを兼ねた企画なのではないかという気がしてくる。そう考えると、映画の見方そのものが根底からひっくり返される。そもそも前住人が怪死を遂げた事故物件を積極的に借りたがるトレルコフスキーの行動は不可解だし、入院中のシモーヌをわざわざ見舞いに行く律儀さも不自然だ。もしやトレルコフスキーは周囲の悪意に翻弄されて悲惨な運命をたどったのではなく、言わば“安らかな自己破滅”を望んでこのアパートにやってきたのではないか。理屈では容易に納得しがたいこのような突飛な解釈が脳裏をかすめるほど、本作には“ポランスキー的な倒錯”が濃厚に渦巻いている。 寒々しくくすんだ色調の映像を手がけた撮影監督は、イングマール・ベルイマンとの長年のコラボレーションで知られるスヴェン・ニクヴィスト。カメラがアパートの窓と外壁をなめるように移動するオープニングのクレーンショットからして印象的だが、そこで最初にクレジットされるキャストはイザベル・アジャーニである。前年に狂気の悲恋映画『アデルの恋の物語』に主演して一躍脚光を浴びた彼女は、本作の撮影時21歳。まさに売り出し中の新進美人女優だったわけだが、ここで演じるのはトレルコフスキーと出会ったその夜に映画館へ繰り出し、『燃えよドラゴン』を観ながら客席で発情するという変態的なヒロインだ。 そんなアジャーニの起用法も何かとち狂っているとしか思えないが、観ているこちらの困惑などお構いなしにポランスキーの神経症的な恐怖演出は冴えに冴えている。とりわけ『世にも怪奇な物語』のフェリーニ編を想起させる“生首”の幻想ショットには、何度観てもうっとりせずにいられない。■ TM, ® & © 2018 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ザ・ドライバー 【日曜洋画劇場版】
プロの逃がし屋が大迫力のカーチェイスを魅せる!スタイリッシュに織りなすハードボイルドアクション
高度な運転で夜のLAを疾走する逃がし屋と刑事の対決を、『48時間』など男臭いアクション映画を得意とするウォルター・ヒル監督がスタイリッシュに活写。イザベル・アジャーニがミステリアスな美女を好演。
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COLUMN/コラム2017.02.18
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2017年3月】にしこ
気弱な国王(ジャン=ユーグ・アングラード)に代わり、政治の実権を握る母后カトリーヌ・ド・メディシス(イタリア、メディチ家からやってきた)の絶対的権力の元、娘のマルゴは新興勢力である新教徒ユグノー派のアンリ公と政略結婚させられるが、マルゴは結婚など意に介さず、新婚初夜に男を求め街へ繰り出す。そこでユグノー派の貴族ラ・モール伯爵(ヴァンサン・ペレーズ)と運命的に出会い、二人は激しく愛し合う。しかし、カトリックであるマルゴの母カトリーヌによるユグノー派の大弾圧「サン・バルテルミの虐殺」がすぐそこまで迫ってきていた… マルゴの周辺の男はみんなマルゴに夢中。史実にも「男を破滅させるたぐいの美しさだ」と言われたという記述が残るほどの美貌で、奔放に生きている様に見えますが、その実、政略結婚相手のアンリ公に愛情は全く示さないながらも、彼の命の危機を自らの危険を顧みずに助けたり、母であるカトリーヌ后に完全にいい様に操られている長兄の事も、心配し愛している、非常に情と懐の深い女性である事がよくわかる映画です。懸命に運命に抗おうとしながらも、どこか自分の生まれに諦めも抱えているという複雑な内面を、イザベル・アジャーニが演じ、唯一無二のマルゴにしている事も胸を打ちます。当時、イザベル・アジャーニ40歳。美しさ、天井知らず。 この映画のクライマックスである「サン・バルテルミの虐殺」も壮絶極まりますが、母后であるカトリーヌ・ド・メディシスの恐ろしさもこの映画の見どころの一つ。「絶対負けられない戦いがある!」という気迫で、ユグノー派を虐殺しまくる姿は、人間のそれではない様に感じるのであります。見応え抜群! © 1994 - PATHE PRODUCTION - FRANCE 2 CINEMA - DA FILMS - RCS PRODUZIONE TV SPA - NEF FILMPRODUKTION
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PROGRAM/放送作品
サブウェイ
パリの地下に広がるエキセントリックな別世界──パンクでエスプリの利いたリュック・ベッソンの長編第2作
パリの地下鉄のさらに深くに地上とは異なるエキセントリックな世界が広がる、という独自のイマジネーションをリュック・ベッソンらしいスタイリッシュな映像で描写。イザベル・アジャーニらキャストもハマリ役。
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PROGRAM/放送作品
ブロンテ姉妹
文学史に残る名作はこうして生まれた…フランス美人女優の豪華競演でブロンテ三姉妹の生涯に迫る
「嵐が丘」などの作者として知られるブロンテ三姉妹の生涯を、カンヌ国際映画祭監督賞の受賞歴を誇るアンドレ・テシネが映画化。三姉妹に扮するイザベル・アジャーニらフランス名女優たちの競演に胸を揺さぶられる。
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PROGRAM/放送作品
テナント/恐怖を借りた男
現実と妄想の境目で男は正気を失っていく…ロマン・ポランスキー監督が主演も兼任するサイコスリラー
スキャンダルでフランスへ逃亡したロマン・ポランスキーが監督と主演を兼ね、当時の追い詰められた心境を反映し描いたサイコスリラー。じわじわと膨らんでいく被害妄想を、悪夢のような不安感を漂わせて体現する。
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PROGRAM/放送作品
ザ・フォース(2011)
フランスの大女優イザベル・アジャーニが犯罪最前線に。美しき狂気に息を呑む異色のクライム・サスペンス
フランスの大女優イザベル・アジャーニが辣腕警視役を熱演。権力に振り回される女刑事と覆面強盗団への潜入を強いられた模範囚の葛藤と愛憎を軸に、静かな狂気をにじませながら息詰まる捜査の行方を描き出す。