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PROGRAM/放送作品
恐怖の報酬(1977)【オリジナル完全版】
公開当時カットされた映像が奇跡の復活!ウィリアム・フリードキン監督による名作フランス映画のリメイク
1953年の同名フランス映画をウィリアム・フリードキン監督がリメイクし、オリジナルを上回る出来と評価されたサスペンス大作。北米以外での公開で30分カットされた映像が、監督自ら尽力して完全版として復活。
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COLUMN/コラム2024.04.03
地の底から這い上がってきたサスペンスの芸術『恐怖の報酬(1977)【オリジナル完全版】』
「ハリウッドの監督の中には、“平凡さ”という黄金の神殿で自身を犠牲にすることのない、そんな知性と強さを持っている人はわずかしか存在しない。『恐怖の報酬』で共に仕事をする機会に恵まれた監督は、いい映画がウォール街の株のように機能しない事実を知っていたのだ」 タンジェリン・ドリームエドガー・フローゼ(『恐怖の報酬』音楽担当) ◆失敗作の十字架に張りつけられた傑作 1977年に公開されたサスペンス映画『恐怖の報酬』は、『フレンチ・コネクション』(1971)そして『エクソシスト』(1974)で時代の寵児となった監督ウィリアム・フリードキンの、輝きに満ちたキャリアを一気に曇らせた不運な傑作だ。わずかな振動でも大爆発を起こす消火用ニトログリセリン(液状爆薬)を、3百キロも先の火災現場まで運ぶ4人の男たち。映画はそんな彼らの恐怖で塗り固められたトラック輸送を、すさまじいまでの緊張感を通じて描き出していく。テレビドキュメンタリーの世界で演出の腕を極限まで磨いてきたフリードキンは、あたかも観客が物語の当事者であるかのごときスタイルを本作に適応させ、寡黙に作品の核心へと踏み込んでいくディレクティングを駆使し、121分間絶え間なく続く地獄を観る者に共有させていく。 「わたしのこれまでの作品は、『恐怖の報酬』を手がけるための予行演習だったのだ」 ウィリアム・フリードキン(自伝“THE FRIEDKIN CONNECTION~A MEMOIR“より) しかし、そんな自信に満ちた野心作も、いざ公開されるや興業成績は惨敗に終わり、一般的には「フリードキンの失敗作」として認識されることとなった。おりしも当時、アメリカ映画界では『スター・ウォーズ』(1977)旋風が吹き荒れ、オーディエンスの嗜好は陽性で希望に満ちた作品へとシフトしていき、暗い時代を反映したような『恐怖の報酬』は、完全に関心の外へと追いやられてしまったのだ。 さらには評論家たちの発するネガティブなレビューも、この映画の不調に拍車をかけた。ディテールを緻密に積み重ね、巨大な全体像を浮かび上がらせていくフリードキンの演出は、本作において「もったいぶって退屈」とみなされたのである。 加えて不運なことに、この映画には脅威的な作品が評価の物差しとして待ち構えていた。同じ原作の初映画化であるアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督、イブ・モンタン主演のフランス映画『恐怖の報酬』(1953)だ、フリードキンはクルーゾー版のリメイクではなく、ジョルジュ・アルノーの小説の再映画化だと抗弁したが、評価の定まったマスターピースの影響から逃れることなど困難で、偉大な前作を敵に回し、そのつど不利な土俵に立たされてしまったのである。 なにより本作にとって気の毒だったのは、アメリカとは異なる地域において、本編を30分以上カットし再編集した「インターナショナル版」が公開されたことだ。これは同作の海外配給権を持つCICが監督に無断で作成したもので、(内容は後述するが)本編のあちこちに手を加えたせいで、その出来はまとまりを欠いていたのだ。 このように、本国での不評やクルーゾー版との不利な比較、そして短縮版の不出来な編集が大きなアダとなり、フリードキンの挑戦は、世界的なレベルで敗北を喫してしまったのである。 ◆堂々よみがえったサスペンスの芸術 そんな不当な評価を一転させたのが、この【オリジナル完全版】だ。2023年8月7日に87歳で亡くなったフリードキンは、キャリアも後半にさしかかったとき、二次収益媒体の拡大や高品質化に合わせて、過去作のデジタルレストアを精力的におこなっていた。『恐怖の報酬』も例外ではなく、レストアの対象としてリストに加えられ、『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』に次いでその作業がおこなわれたのだ。 しかし本作の製作はユニバーサルにパラマウントという、リスクヘッジのための共同体制が権利を複雑なものにしており、長いことアクセスを困難なものにしたのである。しかしフリードキンは両社の権利がすでに失効していることを明らかにし、ワーナー・ブラザースに権利を取得させてレストア作業をおこなったのだ。その執念のもくろみは見事に奏功し、レストア済マスターを素材とするオリジナル完全版のDVDとBlu-rayリリースは商業的成功をおさめ、『恐怖の報酬』は初公開から約36年目にして、ようやく不当な評価をくつがえしたのである。 そしてレストア作業にともなう素材のDCP化によって、本作はDCP投影を主流とする現在のシネコンや映画館での上映も可能となり、2018年にはオリジナル完全版が日本公開されている。この上映に尽力した映画プロデューサーの岡村尚人氏は、1991年に日本でビデオ販売された121分のバージョンに接し、国内で短縮バージョンしか周知されていないことに不満を募らせ、オリジナル版公開の機会を長いこと伺っていたという。筆者(尾崎)も同じく、このビデオでリリースされたバージョンに触れて不当評価に異を唱えた一人だけに、氏の同作に賭けた情熱は痛いほどよくわかるし、その根強い意志と成し遂げた偉業には頭の下がる思いだ。 ・日本で121分全長版の内容を広く周知させ、後の【オリジナル完全版】国内公開の布石となった『恐怖の報酬』VHSビデオソフト(販売元/CIC・ビクター ビデオ株式会社)。これが当時、いきなりブロックバスター価格でリリースされたことも驚きだった(筆者所有)。 2024年の現在、『恐怖の報酬』のようなクラシックの2Kならびに4Kによるデジタルリマスター版上映は、コロナ禍やハリウッド俳優ストの影響による新作減少が遠因となってスタンダードになったといえる。そうした動きを活発化した要素のひとつとして、このオリジナル公開版の存在には敬意を払いたい。 ◆インターナショナル版との違い しかし、このように本来の形を取り戻した『恐怖の報酬』が当たり前に提供されるいま、むしろ短縮した「インターナショナル版」がどのようなものだったのか、気になる人もいるだろう。詳述して比較に触れるとネタバレを誘発するので、以下は鑑賞済みの人に向けたい。 オリジナル完全版(または米国公開版)とインターナショナル版との主な違いは、プロローグの全般的な削除と、エンディングの変更をそこに指摘することができる。前者は冒頭でニトログリセリンを運ぶ4人の男たちが一堂に会するまでの、それぞれの犯罪的バックストーリーを時間をかけて描いていくが、後者は爆破火災が起こる製油所から物語が始まる構成になっている。カットされた4人それぞれのエピソードは、回想という形で本編中に挿入されるが、そのポイントは不規則で徹底されておらず、まとまりを欠く起因のひとつとなっている。 またオリジナル完全版は悲観的な結末を示して物語を締めるバッドエンドなテイストを特徴とするが、インターナショナル版は希望的な余韻を残して終わる。このハッピーエンドはクルーゾー版とも趣を異にする展開で、それを安易かつ大衆に迎合した変更だと捉える向きもあった。繰り返すが、インターナショナル版は海外配給側が独自に生み出したもので、フリードキンは編集権の侵害を視野に訴える構えを見せてきた。 他にもシーンの前後を入れ替えるなどの細かな置き換えや、セリフや音楽の微修正や変更など、全体的な調整がはかられている。またタイトルは「魔術師」を意味する原題“Sorcerer“から、クルーゾー版と同様“Wages of Fear“(『恐怖の報酬』英訳タイトル)へと変えられている。これは本作にあえてクルーゾー版と関連を持たせる改題であると同時に、フリードキンの前作『エクソシスト』と似たホラーものだと勘違いされることを警戒しての措置だともいわれている。 ただインターナショナル版の場合、オリジナル完全版には存在しないショットが数か所ほど組み込まれており、独自の価値を有している。ちなみにインターナショナル版は該当エリアで過去にパッケージソフトが流通しており、また日本でもテレビ放送されたさいの録画ビデオや、あるいはそれらが無断で配信サイトに動画アップされているのをたまに見かけることがある。非合法なので積極的にお勧めはしないが、機会があれば参考までに観てほしい。■ 『恐怖の報酬(1977)【オリジナル完全版】』© MCMLXXVII by FILM PROPERTIES INTERNATIONAL N.V. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
フリードキン・アンカット
鬼才か、奇人か?巨匠ウィリアム・フリードキン監督の素顔と映画術に迫る渾身のドキュメンタリー
ジャンルにとらわれず常に新しい映画を追求してきたウィリアム・フリードキン監督。その人物像や作品づくりを、本人のみならずコッポラやタランティーノなど彼に縁のある監督・俳優へのインタビューで掘り下げる。
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COLUMN/コラム2024.02.28
芸術の追求か、マーケティングの残骸か——『エクソシスト ディレクターズ・カット版』
『エクソシスト ディレクターズ・カット版』(本稿では以下『DC版』)は、悪魔に取り憑かれた少女リーガン(リンダ・ブレア)を救うため、母親クリス(エレン・バースティン)と二人の司祭ーメリン神父(マックス・フォン・シドー)そしてカラス神父(ジェイソン・ミラー)が凄絶な戦いに挑む史上最高の超常現象ホラー『エクソシスト』(1973 /本稿では以下『劇場公開版』)に約11分間の未公開シーンを追加した、ランニングタイム133分の拡張バージョンだ。 拡張とはいえ、いずれの追加シーンも『劇場公開版』の編集段階において存在したものだ。それらは配給元であるワーナー・ブラザースの指示によって改善点を指摘され、監督であるウイリアム・フリードキンが応じて再編集し、122分に短くしたものが初公開された。しかしこの『劇場公開版』を原作者であるウィリアム・ピーター・ブラッティは快く思っておらず、ことあるごとに、 「作品の精神を損ねた。カットして公開したのは間違いではなかったのか?」 と、フリードキンを責め苛んだという。 そんな状況に転機が訪れたのは1998年、イギリスBBCによって『劇場公開版』の25周年ドキュメンタリー『エクソシスト THE FEAR OF GOD』が製作され、この番組と併せて、未公開フッテージへのアクセスが認められたのである。そのときフリードキンは、映画界の動向として当時活況を呈していた、劇場公開とは違うバージョンをDVDで発表するムーヴメントにならった。そして『劇場公開版』をワークプリント時の状態に再編集することで、長い間の軋轢としてあった、ブラッティの意向に歩み寄る姿勢を見せたのだ。 こうして2000年に生み出された『DC版』は『The Version You've Never Seen』と題されて劇場公開、ならびにVHSとDVDでリリースされ、2010年には『Extended Director's Cut』と銘打ち、細かな変更を加えたバージョンをDVDとブルーレイで再リリースした。後者が今回の放送バージョンである。 ・『エクソシスト』撮影中のウィリアム・フリードキン(右)とリンダ・ブレア(左) ◆『ディレクターズ・カット版』に追加された要素 以下は実際に同バージョンをご覧になった方に向けて、具体的な追加シーンを列挙しておきたい。『劇場公開版』『DC版』問わず盛大なネタバレを含んでいるので、まずは本編を観てほしい。もっとも、いま『エクソシスト』に何の予備知識も持たずに接することができる、そんな幸福な人間がどれだけ存在するのかは知らないが。 【1】『劇場公開版』はイラクの採石場で、考古学者でもあるメリン神父が悪魔の彫像を発掘するシーンから幕を開ける。しかし『DC版』では、ジョージタウンにあるマクニール家を示すオープニングから始まる。 【2】リーガンの誕生日にクリスが夫に国際電話をかけたさい、「私は20分間も、このクソラインにいたのよ!」と交換手をなじるセリフがあるが、『DC版』では省略されている。 【3】リーガンの異常行動が何に起因するものなのかを調べる、彼女の診療シーンが追加された。同シーンではリーガンはマクニール医師に粗暴な振る舞いをして憑依の兆候を示し、クリスがリーガンに「お医者さんがただの神経症だと言ったじゃない」と伝えるシーンの根拠となる。 【4】クリスが撮影から自宅に帰って屋内を歩き回るシーンでは、悪魔の顔や彫像の画、新しい効果音や音楽などのデジタルエフェクトが追加。しかし『Extended Director's Cut』では、リーガンのドアに現れる悪魔パズズの顔の1つの効果が削除されている。 【5】リーガンが逆さまの状態で階段を駆け降りてくる、衝撃的な「蜘蛛歩き」のシーンが『DC版』に挿入された。同シーンではワイヤーがデジタル除去され、口から血をながしながら迫るテイクが使用されている。 【6】リーガンが精神科医の股間をつかむ前に、うなり声を発して悪魔(アイリーン・ディーツ)に変身する彼女の顔の新しいデジタル効果が追加。 【7】カラス神父がミサに行く前、父親と話そうとしているリーガンのテープを聞くシーンが追加された。 【8】シャロン(キティ・ウィン)が悪魔のうめき声をチューニングしようとしている新しいシーンと、メリン神父の弱さをほのめかす、クリスとの短い瞬間のやり取りが追加。 【9】カラス神父とメリン神父が悪魔祓いをおこなうために階段を上るシーンに、新しい音楽と部屋に入る前の短いショットが追加。メリン神父はクリスにリーガンのミドルネームをたずね、テレサだと答えた彼女に「素敵な名だ」と言うシーンなど。 【10】カラス神父とメリン神父が階段に腰を下ろし、「なぜリーガンが悪魔に選ばれてしまったのか?」を問答するシーン。「人間は獣のように野卑で下劣な存在で、醜悪なのだと思い知らすためだ」とメリンがカラスに諭すやりとりが『DC版』に加えられた。 【11】カラス神父が悪魔に憑依されている瞬間に窓を見上げると、彼の母親の顔がディゾルヴする新しいデジタル合成ショットが追加された。 【12】クリスがダイアー神父(ウィリアム・オマリー)にカラス神父のメダルを渡すと、彼はそれを彼女に返し、「あなたが持っておくべきだ」と言う場面。加えてリーガンがダイアー神父に微笑んで手を振り、ダイアー神父が手を振りかえす短いシーンが追加。 【13】『劇場公開版』では【12】で終わるエンディングを、ダイアー神父とキンダーマン刑事(リー・J・コッブ)の対話で終わるようにしている。キンダーマンは映画『カサブランカ』(1942)を引用し、「これは美しい友情の始まりだと思う」と結び、マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」のサウンドは、彼らが立ち去った後のクレジット内で流れる。 ◆原作者はなぜ『劇場公開版』を嫌ったのか? これらの多くは原作者のブラッティが物語に不可欠だと感じたシーンであり、特に【10】は、この映画の本質に触れており、小説家であるブラッディには自身の感覚を維持するために重要なものだった。しかしフリードキンは「それは本編を通じて自分が演出で語っている」と、真っ先にこのシーンを削除し、軋轢を決定づけてしまったのである。 またカットは他にも【11】ならびに【13】について、カラス神父が窓から落下して悪魔を道連れにした、キリストのような犠牲的行為を偲び、キンダーマン刑事とダイアー神父は亡くなった友人を思う。それはブラッティの当初のヴィジョンにはるかに近いものといえた。それさえもフリードキンは容赦なく切り刻んだのである。『DC版』は、経年をへて角のとれたブラッティとフリードキンの、ある種の「和解バージョン」と捉えれば、そこまで禁欲的に否定することもないのかもしれない。フリードキンは言う、 「ブラッティはいつも“普通の生活が再開するところを見せるべきだ“と考えていた。だからこのエンディングの再設定は、和解のためのものと言えるかもしれない。僕は変わったんだ。あの頃の自分にはもっとハードなエッジがあった。今はそのエッジがない」 ◆老画家の心残り いっぽうで、このエンディングの正当性について疑問を抱いた人物がいる。権威ある映画評論家の一人として知られるロジャー・エバートだ。彼は『DC版』の初公開時、この追加エンディングを、 「パーティーが終わった後もしゃべり続ける客のようなものだ」 と評し、フリードキンに対し、 「このバージョンは芸術というより、マーケティングと関係があるかもしれない。なぜならスタジオの考え方には明白な根拠がある、劇場再公開の口実となり、すでに旧版を所有している人たちにもビデオが売れるからだ」 と伝え、フリードキンの真意を引き出そうと彼を挑発している。監督はエバートの挑発にこう答えた。 「『DC版』が気に入らないと言うのはかまわない。だが、これをマーケティングと結びつけるのは的外れだ。このバージョンを公開するために、私たちはスタジオ(ワーナー・ブラザース)の壁を乗り越えなければならなかった。連中が我々を憎んでいるのは、我々が『エクソシスト』の編集をめぐり、彼らに強権を行使してさまざまな軋轢を呼び込んだからだ」と。 そして、自分にとって過去作への再アクセスがどういった意味を持つのか、フランスの画家ピエール・ボナールのエピソードに喩えてこう語っている。 「ボナールは老年になってから、絵筆を持ってルーブル美術館に入り、自分の絵に手を加え始めたという話を聞いたことがあるかい? 彼は追い出されたそうだ。でも“あれは自分の絵だ!“と言って、今とは違う見方をしていた。私も同じだ。もしチャンスがあれば、私は戻って自分のやったことをすべてやり直したい」 このエピソードが正しい美術史に基づくものなのかはここで論議しないが、言葉どおりフリードキンは自作『フレンチ・コネクション』(1971)や『恐怖の報酬』(1977)そして『クルージング』(1980)といった過去作のレストアに晩年を費やし、ときにそのグレーディングをめぐって撮影監督であるオーウェン・ロイズマンの反感を買ったりもした。しかしフリードキンはそんなロイズマンを招いて『エクソシスト』の4Kレストアを監修し、2023年8月7日にこの世を去っている。■ 『エクソシスト/ディレクターズ・カット版』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
エクソシスト/ディレクターズ・カット版
怖すぎて封印された未公開シーンを追加!一大ブームを巻き起こしたオカルトホラーの金字塔が真の姿を現す
オカルトブームを生んだ1973年の傑作ホラーに、当時カットされた15分の未公開シーンを追加したディレクターズ・カット版。悪魔に憑かれた少女リーガンのスパイダーウォークなど、伝説の場面の数々が見られる。
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COLUMN/コラム2024.01.18
フリードキン流ドキュメンタリーの手法が、アクチュアルなド迫力を生んだ!『フレンチ・コネクション』
昨年87歳でこの世を去った、ウィリアム・フリードキン。1935年生まれの彼が、映画監督として最高のスポットライトを浴びたのは、『フレンチ・コネクション』(71)『エクソシスト』(73)の2本をものした、30代後半の頃であったのは、間違いない。 近年には、長らく“失敗作”扱いされ、キャリアの転換点とされた、『恐怖の報酬』(77)の再評価などがあった。しかし、『フレンチ…』『エクソシスト』を連発した際の、リアルタイムでのインパクトはあまりにも凄まじく、それ故に、以降は“失墜”した印象が、強くなったとも言える。 そんなフリードキンのキャリアのスタートは、TV業界。10代後半、父親が早逝し、大学に進む気がなかった彼が、必要に駆られて職に就いたのが、生まれ育った地元シカゴのローカルテレビ局の郵便仕分け係だった。 ところがこの局では、異動の度に様々な職種を経験していくシステムになっており、やがて彼は、番組の“演出”を担当するようになる。元はディレクター志望だったわけではないが、水が合ったらしく、その後幾つか局を移りながら、20代後半までに、ヴァラエティ、クイズ、クラシック音楽、野球など2,000本以上の生番組を手掛け、10数本のドキュメンタリーを世に送り出した。 フリードキンが映画界へと進んだのは、30代を迎えた60年代後半。舞台の映画化作品である『真夜中のパーティー』(70)などが評判にはなったが、決定打が出ないまま、70年代へと突入した。 思い悩む彼がアドバイスを求めたのが、ハワード・ホークス監督。スクリュー・ボール・コメディからミュージカル、メロドラマ、ギャング映画、航空映画、西部劇等々、様々なジャンルでヒットを放ってきた巨匠ホークスがフリードキンに言ったのは、次の通り。「誰かの抱えている問題や精神的な厄介ごとについての話なんて誰も聞きたかねぇんだよ。みんなが観たいのはアクションだ。俺がその手の映画をイイ奴らと悪もんをたくさん使って作ると必ずヒットするのさ」 そしてちょうどそのタイミングで、スティーヴ・マックィーン主演の刑事アクション『ブリット』 (68)で大ヒットを飛ばした、プロデューサーのフィリップ・ダントニから、出版前のゲラ刷りが、フリードキンへと持ち込まれた。それが、ロビン・ムーアの筆によるノンフィクション「フレンチ・コネクション」だった。 ニューヨーク警察が、フランスから持ち込まれた大量のヘロインの押収に成功した、61年に実際に起こった大捕物を記したこの原作に、フリードキンは心惹かれた。更にはニューヨークに行って、この捜査の中心だった、麻薬捜査課の2人の刑事、エドワード・イーガン、サリヴァトーレ・グロッソの実物と会ってからは、本当に夢中になって映画化に取り組んだ。 そこから納得のいく脚本づくりに時間を掛けて、本作『フレンチ・コネクション』がクランクインしたのは、1970年の11月30日。翌71年の3月に入るまで、65日間の撮影では、セットは一切使わなかった。ニューヨーク、それも実際の事件の舞台となった場所を使用した、オールロケーションを敢行したのである。 ***** ニューヨーク・ブルックリンで、麻薬の摘発に勤しむ2人の刑事、ジミー・ドイルとバディー・ルソー。“ポパイ”と呼ばれるドイルの強引なやり口を、ルソーがフォローする形で捜査を含める、名コンビだった。 ある時2人で出掛けたナイトクラブで、豪遊する男サル・ボカを見て、ドイルの“猟犬”の勘が働く。妻と共に軽食堂を営むサルを張り込み、店の盗聴を行った結果、彼の仲介で、フランス・マルセイユから届くヘロインの大きな取引が行われることがわかった。 取引の中心に居るのは、フランス人実業家のシャルニエ。殺し屋の二コリを従えて、ニューヨークのホテルに滞在していた。 財務省麻薬取締部の捜査官も交えて、シャルニエらの尾行が始まる。ある日ドイルの尾行に気付いたシャルニエは、地下鉄を利用。狡猾なやり口で、まんまとドイルを撒いた。 証拠不十分でドイルが捜査から外されたタイミングで、二コリがライフルでドイルを狙撃する。弾を逃れたドイルは、高架を走る地下鉄へと逃げ込んだ二コリを追うため、通りがかりの車を徴発。高架下を猛スピードでぶっ飛ばす。 地下鉄をジャックして、ノンストップで走らせたニコリだが、終着駅で停車していた車両に衝突。何とか逃げおおせようと、地下鉄を脱出するものの、追いついたドイルによって、射殺される。 ドイルは捜査へと復帰。いよいよシャルニエたちの麻薬取引が迫る中、繰り広げられる虚々実々の闘いは、終着点へと向かう…。 ***** 主役のドイル刑事に選ばれたのは、ジーン・ハックマン。40歳になったばかりの「ハックマンは、それまでに『俺たちに明日はない』(67)などで、2度アカデミー賞助演男優賞にノミネートされるなど、知名度はそこそこにあったが、本格的な主演作は初めて。 無名俳優を使いたかったフリードキンと、スターを主演にしたかった製作会社。その妥協によって、中間的な位置にいたハックマンが起用されたという。 ハックマンは、相棒のルソー刑事に選ばれたロイ・シャイダーと共に、自分たちの役のモデルとなった、イーガン、グロッソ両刑事の捜査などに、2週間密着。麻薬常習者の溜まり場に踏み込んだり、その連行を手伝ったりまでして、役作りを行った。 刑事たちが追うシャルニエ役に、フェルナンド・レイが選ばれたのは、実は手違いからだった。フリードキンは当初、ルイス・ブニュエル監督、カトリーヌ・ドヌーヴ主演の『昼顔』(67)に出演していた、フランシスコ・ラバルをキャスティングしようと考えていたのである。 ところがキャスティング・ディレクターが、勘違い。同じブニュエル監督のドヌーヴ主演作、『哀しみのトリスターナ』(70)の共演者だったレイが、ニューヨークの撮影へと招かれた。フリードキンはその時会って初めて、自分が考えていた俳優とは、別人だと気付いたという。 実はこれが、瓢箪から駒となった。役のモデルとなった犯罪者は、粗野なコルシカ人だったが、フェルナンド・レイは、見るからに洗練された紳士。粗野なドイル刑事とのコントラストが、効果的に映えた。因みに当初想定されていたラバルは、英語がまったく話せなかったので、そうした意味でも、大成功のキャスティングとなった。
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PROGRAM/放送作品
フレンチ・コネクション
鬼刑事が麻薬密輸組織を追い詰める!アカデミー賞5部門に輝いたジーン・ハックマン主演の傑作刑事ドラマ
麻薬密輸組織の壊滅に執念を燃やす鬼刑事をジーン・ハックマンが熱演し、アカデミー主演男優賞に輝いた。他にも同作品賞・監督賞・脚色賞・編集賞を受賞。電車で逃げる殺し屋を自動車で追うカーアクションは語り草。
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COLUMN/コラム2014.09.04
あまりにも短すぎたキャリア絶頂期が過ぎ去った後、孤高の鬼才ウィリアム・フリードキンが放った刹那的な輝き〜『L.A.大捜査線/狼たちの街』、『ジェイド』
1960年代半ばにドキュメンタリーからフィクションの世界へと転身し、『誕生パーティー』(69)、『真夜中のパーティー』(70)という舞台劇に基づく異色作2本を発表。続いて『ダーティハリー』(71)と双璧を成すポリス・アクションの最高峰『フレンチ・コネクション』(71)で作品賞、監督賞を含むアカデミー賞5部門を制し、その2年後にはオカルト・ホラーの歴史的な金字塔『エクソシスト』(73)を発表して空前の社会現象を巻き起こした。 ところがフリードキンの時代は長く続かなかった。『エクソシスト』の後は『恐怖の報酬』(77)、『ブリンクス』(78)、『クルージング』(79)といった意欲作を世に送り出したものの興行的にパッとせず、あれよあれよという間に威光が衰えたフリードキンは、同世代のフランシス・フォード・コッポラ、ひと世代下のスティーヴン・スピルバーグらに追い抜かれ、置き去りにされてしまう。器用な職人監督にはなりきれず、なおかつ常人には理解しがたいこだわりを内に秘めたこのフィルムメーカーは、1980年代以降もメガホンを執り続け、トミー・リー・ジョーンズと組んだ軍事サスペンス『英雄の条件』(00)、筆者が愛してやまないナイフ・アクションの快作『ハンテッド』(03)、マシュー・マコノヒー主演の異色ノワール『キラー・スナイパー』(11)などで健在ぶりを示すが、その合間には数多くの失敗作を手がけている。 巨匠と呼ぶにはあまりにもキャリアの絶頂期が短かったフリーンドキンだが、このたびザ・シネマで放映される『L.A.大捜査線/狼たちの街』(85)は、彼が全盛時のパワーを取り戻したかのような刹那的輝きに満ちた力作である。物語は連邦捜査官のチャンスが、偽札製造のプロに定年退職寸前の相棒を殺害されるところから始まる。怒りの弔い合戦を決意したチャンスは、経験の浅い新たな相棒ジョンとともに犯人エリックを追い、執念深い捜査を繰り広げていく。 陽光眩いアメリカ西海岸が舞台とあって、フリードキン流の泥臭いドキュメンタリー・タッチが全開だった『フレンチ・コネクション』とはヴィジュアルのルックがまったく異なっている。とことんドライで、そこはかとなく「マイアミ・バイス」風のスタイリッシュ感をまとった映像を手がけたのは、この前年にヴェンダースの『パリ、テキサス』(84)とアレックス・コックスの『レポマン』(84)、翌年にジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』(86)に携わった撮影監督ロビー・ミューラー。砂漠などのロケーションが鮮烈な印象を残すこの映画は、やがてフリードキン作品らしく思いもよらない方向へと屈折し、法を遵守する立場のはずの主人公の凄まじい暴走を描いていく。 そのハイライトは、憎きエリックをあぶり出すための偽札作りの手付金の調達を上司に却下されたチャンスが、相棒をむりやり従わせて誘拐強盗を犯す場面だ。何とか5万ドルの入手に成功したものの、犯罪組織に追われる身となったチャンスとジョンは、車に飛び乗って逃走を図る。ところが逃げても逃げても敵がわき出してくるため、チャンスの車は行き当たりばったりで水路や線路を突っ走った揚げ句、高速道路を猛スピードで逆走し、一般市民の対向車を山のようにクラッシュさせていく。囮捜査の資金調達をめぐるプロット上のささいなエピソードをはてしなく肥大化させ、映画史上希に見る異様なカー・アクション・シークエンスを実現させたフリードキンの型破りな剛腕! 『フレンチ・コネクション』や『ハンテッド』にも色濃く見られたチェース・シーンへのただならぬ執着に圧倒され、唖然としつつも理屈を超えた感動を覚えずにいられない。 この怒濤のカー・チェイスに加え、エリック役の若きウィレム・デフォーのカリスマ性も見逃せない。序盤、エリックが砂漠の工場でひとり黙々と偽札製造を行うシークエンスは、まるで至高の芸術作品の創造に没頭するアーティストを連想させる。エレガントな狂気と神出鬼没の狡猾さを兼ね備えた出色の悪役を体現したデフォーは、これが出世作となって『プラトーン』(86)、『最後の誘惑』(88)、『ミシシッピー・バーニング』(88)といった話題作に相次いでキャスティングされることになる。エリックの運び屋に扮したジョン・タトゥーロの助演も要チェックである。 初見の方のために物語の行く末は伏せておくが、チャンスとエリックがついに直接相まみえるクライマックスには異常な展開が待ち受けている。法の裁きや復讐、偽札による金儲けといった思惑を超え、奇妙なまでに曲がりくねって行き着く男たちの壮絶な運命は、驚くほど呆気ないがゆえに極めてフリードキン的だ。おまけに、これほど登場人物が顔面に被弾する銃撃シーンの多い映画は珍しい。北野武監督のデビュー作『その男、凶暴につき』(89)に影響を与えたとも言われ、実際いくつかの共通点が見られる本作は、あらゆる点において何かが確実に狂っている映画なのである。 そしてザ・シネマにお目見えする、もう1本のフリードキン作品『ジェイド』(95)も紹介しておきたい。ある大富豪がアフリカ製の斧で惨殺されるという奇怪な猟奇事件が発生し、検事補コレリの調査によって“ジェイド(淫婦)”の異名を持つ井正体不明の美女の存在が浮かび上がる。カリフォルニア州知事のセックス・スキャンダルにも絡んでいる“ジェイド”とは何者なのか。ジョー・エスターハスが脚本を担当している点からも、『氷の微笑』(92)の二匹目のドジョウを狙ったことが明らかなエロティック・サスペンスである。 ところが男と男の因縁を描かせると天下一品のフリードキンに、男と女の淫らな秘密をめぐるこの企画を委ねるのは少々筋違いであった。いろんな出来事がめまぐるしく起こるので退屈はしないが、フリードキン的な濃厚さは乏しく、ストーリー上必要不可欠な官能性もいまひとつ。にもかかわらず本作には、“チェイス狂”フリードキンの本領発揮たるカー・アクションが盛り込まれている。主人公コレリの車が何者かにブレーキを破壊され、サンフランシスコの坂道を転がり落ちるシーン。さらに証人を殺害した運転手不明の車を追跡し、大勢のアジア系市民によるパレードでにぎわうチャイナタウンに乱入するシークエンス。もはや本筋のミステリー劇そっちのけで繰り広げられるこれらのカー・チェイスは、『L.A.大捜査線~』と同じく名スタント・コーディネーター、バディ・リー・フッカーとのコラボレーションによるものだ。また本作はジョン・ダール監督の傑作『甘い毒』(94)とともに、セクシー女優リンダ・フィオレンティーノの艶めかしい魅力が拝める代表作でもある。 ふと思えば『L.A.大捜査線~』のウィリアム・L・ピーターセン、『ジェイド』のデヴィッド・カルーソといういささか影の薄い主演男優ふたりは、それぞれのちに「CSI:科学捜査班」のギル・グリッソム、「CSI:マイアミ」のホレイショ・ケインという当たり役で名を馳せることになる。奇人とも暴君とも呼ばれる孤高の鬼才フリードキンは、ピーターセンやカルーソにどれほど現場で無茶な要求を突きつけ、彼らのキャリアにいかなる影響を与えたのか。そんな想像を思い巡らせながら鑑賞するのも一興かもしれない。■ COPYRIGHT © 2014 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
英雄の条件
任務成功と引き換えに民間人83名を犠牲に…それでも彼は英雄か?緊迫の軍事法廷サスペンス
中東駐在の大使を救出するため民間人を無差別銃撃…その罪を問う軍事裁判の行方を、トミー・リー・ジョーンズら演技派俳優の競演で描く。ドキュメンタリータッチの戦闘シーンが、物語のリアルな緊迫感を高める。
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PROGRAM/放送作品
ジェイド
[R15相当]過去に心から愛した女性が事件の容疑者に…。『氷の微笑』の脚本家による情欲のサスペンス
『氷の微笑』の脚本家、ジョー・エスターハスが脚本を手掛け、『フレンチ・コネクション』『エクソシスト』のウィリアム・フリードキン監督とともに放つエロティック・サスペンス。