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グレートウォール(2016)
マット・デイモンが万里の長城で伝説の怪物を迎え撃つ!巨匠チャン・イーモウ監督の驚愕アクション映画
独特の映像美に定評のあるチャン・イーモウ監督が製作費約150億円を投じて完成させた壮大なファンタジー・アクション。弓の名手に扮するマット・デイモンが中国人スターに負けじとアクロバティックな活躍を披露。
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COLUMN/コラム2023.04.03
‘80年代の日本の映画ファンを熱狂させたロックンロールの寓話『ストリート・オブ・ファイヤー』
アメリカよりも日本で大ヒットした理由とは? 日本の洋画史を振り返ってみると、本国では不入りだったのになぜか日本では大ヒットした作品というのが時折出てくる。その代表格が『小さな恋のメロディ』(’71)とこの『ストリート・オブ・ファイヤー』(’84)であろう。リーゼントに革ジャン姿のツッパリ・バイク集団にロックンロールの女王が誘拐され、かつて彼女の恋人だった一匹狼のアウトロー青年が救出のため馳せ参じる。ただそれだけの話なのだが、全編に散りばめられたレトロなアメリカン・ポップカルチャーと、いかにも’80年代らしいMTV風のスタイリッシュな映像が見る者をワクワクさせ、不良vs不良の意地をかけた白熱のガチンコ・バトルと、ドラマチックでスケールの大きいロック・ミュージックが見る者の感情を嫌が上にも煽りまくる。血沸き肉躍るとはまさにこのことであろう。 当時まだ高校生1年生だった筆者も、映画館で本作を見て鳥肌が立つくらい感動したひとりだ。その年の「キネマ旬報」の読者選出では外国映画ベスト・テンの堂々第1位。エンディングを飾るテーマ曲「今夜は青春」は、大映ドラマ『ヤヌスの鏡』の主題歌「今夜はエンジェル」として日本語カバーされた。当時の日本で『ストリート・オブ・ファイヤー』に熱狂した映画ファンは、間違いなく筆者以外にも大勢いたはずだ。それだけに、実は本国アメリカでは見事なまでに大コケしていた、どうやら興行的に当たったのは日本くらいのものらしいと、だいぶ後になって知った時は心底驚いたものである。 ではなぜ本作が日本でそれだけ受けたのかというというと、あくまでもこれは当時を知る筆者の主観的な肌感覚ではあるが、恐らく昭和から現在まで脈々と受け継がれる日本の不良文化が背景にあったのではないかとも思う。実際、良きにつけ悪しきにつけ’80年代はツッパリや暴走族の全盛期だった。なにしろ、横浜銀蝿やなめ猫やスケバン刑事が大流行した時代である。加えて、当時の日本ではロックンロールにプレスリーにジェームズ・ディーンなど、本作に登場するような’50年代アメリカのユース・カルチャーに対する憧憬もあった。まあ、これに関しては、同時代のイギリスで巻き起こった’50年代リバイバルやロカビリー・ブームが日本へ飛び火したことの影響もあったろう。さらに、’70年代の『小さな恋のメロディ』がそうだったように、劇中で使用される音楽の数々が日本人の好みと合致したことも一因だったかもしれない。いずれにせよ、アメリカ本国での評価とは関係なく、本作には当時の日本人の琴線に触れるような要素が揃っていたのだと思う。 実は『ウォリアーズ』の姉妹編だった!? 冒頭から「ロックンロールの寓話」と銘打たれ、続けて「いつかどこかで」と時代も舞台も曖昧に設定された本作。まるで’50年代のニューヨークやシカゴのようにも見えるが、しかしよくよく目を凝らすと様々な時代のアメリカ文化があちこちに混在しているし、確かにリッチモンドやバッテリーという地名は出てくるものの、しかしどうやら実在する土地とは全く関係がないらしい。つまり、これは現実とよく似ているが現実ではない、この世のどこにも存在しない架空の世界の物語なのだ。 とある大都会の寂れかけた地区リッチモンドで、地元出身の人気女性ロック歌手エレン・エイム(ダイアン・レイン)のコンサートが開かれる。詰めかけた大勢の若者で熱気に包まれる会場。すると、どこからともなくバイク集団ボンバーズの連中が現れ、リーダーのレイヴン(ウィレム・デフォー)の号令で一斉にステージへ乱入する。バンドマンやスタッフに殴りかかる暴走族たち、パニックに陥って逃げ惑う観客。悲鳴や怒号の飛び交う大混乱に乗じて、まんまとレイヴンはエイミーを連れ去っていく。その一部始終を目撃していたのが、近くでダイナーを経営する女性リーヴァ(デボラ・ヴァン・ヴァルケンバーグ)。警察なんか頼りにならない。なんとかせねばと考えた彼女は、ある人物に急いで電報を打つのだった。 その人物とはリーヴァの弟トム・コディ(マイケル・パレ)。かつて地元では札付きのワルとして鳴らし、兵隊を志願して出て行ったきり音沙汰のなかった彼は、実はエレンの元恋人でもあったのだ。久しぶりに再会した弟へ、誘拐されたエレンの救出を懇願するリーヴァ。だが、音楽の道を目指すエレンと苦々しい別れ方をしたトムは躊躇する。なぜなら、今もなお心のどこかで彼女に未練があるからだ。それでも姉の説得で考えを変えたトム。しかし、エレンのマネージャーで現在の恋人でもある傲慢な成金男ビリー(リック・モラニス)から負け犬呼ばわりされた彼は、カチンときた勢いで1万ドルの報酬と引き換えにエレンを救い出すことに合意する。別に未練があるわけじゃない、単に金が欲しいだけだという言い訳だ。 ボンバーズの本拠地はリッチモンドから離れた貧困地区バッテリー。バーで知り合ったタフな女兵士マッコイ(エイミー・マディガン)を相棒に従え、古い仲間から武器を調達したトムは、依頼人のビリーを連れてボンバーズが根城にする場末のナイトクラブ「トーチーズ」へ向かう。客を装って潜入したマッコイがエレンの監禁場所を押さえ、その間にトムが表でたむろする暴走族を銃撃して注意をそらすという作戦だ。これが見事に功を奏し、エレンを無事に奪還することに成功したトムたちだが、しかし面目を潰されたレイヴンと仲間たちも黙ってはいなかった…! 本作の生みの親はウォルター・ヒル監督。当時、エディ・マーフィとニック・ノルティ主演の『48時間』(’82)を大ヒットさせ、ハリウッド業界での評判もうなぎ上りだった彼は、それこそ「鉄は熱いうちに打て」とばかり、すぐさま次なる新作の構想を練る。その際に彼が考えたのは、自作『ウォリアーズ』(’79)の世界に再び挑戦することだったという。実際、本作を見て『ウォリアーズ』を連想する映画ファンは多いはずだ。ニューヨークのコニー・アイランドを根城にする不良グループが、ブロンクスで開かれたギャングの総決起集会に参加したところ罠にはめられ、逃亡の過程で各地区の不良グループと戦いながら地元へ辿り着くまでを描いた『ウォリアーズ』。「都会のヤンキーがよその縄張りへ行って帰って来るだけ」というストーリーの基本プロットは本作と同じだ。雨上がりの濡れたアスファルトに地下鉄や車などを乗り継いでの逃避行、アメリカ下町の不良文化など、それ以外にも符合する点は少なくない。グラフィックノベルの実写版的な世界観も共通していると言えよう。さながら姉妹編のような印象だ。 400万ドルの製作費に対して2200万ドルもの興行収入を稼ぎ出す大ヒットとなった『ウォリアーズ』だが、しかしウォルター・ヒル監督にとってはいろいろと悔いの残る作品でもあった。同作をグラフィックノベルの実写版として捉え、ポスプロ段階でコミック的な演出効果を加えようと考えていたヒル監督だが、しかしパラマウントから指定された締め切りを守るために断念せざるを得なかった(’05年に製作されたディレクターズ・カット版でようやく実現)。しかも、劇場公開時には映画の内容に刺激された若者たちが各地で暴動を繰り広げ、恐れをなしたパラマウントはプロモーション展開を自粛。一部の映画館では上映を中止するところも出てしまった。そもそもヒル監督によると、パラマウントは最初から同作の宣伝に非協力的だったという。紆余曲折あって『48時間』では再びパラマウントと組んだヒル監督だが、しかし同社から次回作を要望された彼が、あえて本作の企画をパラマウントではなくユニバーサルへ持ち込んだことも頷ける話だろう。 恐らく彼としては、『ウォリアーズ』で叶わなかった理想を本作で実現しようと考えたのかもしれない。シーンの切り替わりで象徴的に使われるギザギザのワイプなどは、なるほどコミック的な演出効果とも言えよう。また、今回はユニバーサルから潤沢な予算が与えられたこともあり、一部のシーンを除く全てをスタジオのセットで撮影。高架鉄道や多階層道路のシーンはシカゴで、貧困地区バッテリーはロサンゼルス市内の工場廃墟で撮影されているが、主な舞台となるリッチモンド地区はユニバーサル・スタジオに大掛かりなオープンセットを組み、夜間シーンはそこに天幕を張って撮影されている。おかげで、狙い通りのコミック的な「作り物感」が生まれ、より「ロックンロールの寓話」に相応しい世界を構築することが出来たのだ。 ‘80年代のトレンドを吸収したウォルター・ヒル流「MTV映画」 もちろん、ヒル監督が熱愛する西部劇の要素もふんだんに盛り込まれている。そもそも、郷里に舞い戻ったヒーローが相棒を引き連れ、無法者たちにさらわれたヒロインを救い出すという設定は西部劇映画の王道である。中でも、監督が特に意識したのはセルジオ・レオーネのマカロニ・ウエスタン。ニヒルでクールで寡黙な主人公トム・コディは、さながら若き日のクリント・イーストウッドの如しである。また、本作の主要キャラクターはほぼ若者で占められ、中高年は全くと言っていいほど出てこないのだが、これは当時ハリウッドを席巻していたスティーヴン・スピルバーグとジョン・ヒューズの映画に倣ったとのこと。つまり、若い観客層にターゲットを定めたのである。実際、’80年代のハリウッド映画は若年層の観客が主流となり、その需要に応えるかのごとくトム・クルーズやモリー・リングウォルドやマイケル・J・フォックスなどなど、数えきれないほどのティーン・アイドル・スターが台頭していた。そこで本作が集めたのは、駆け出しの新人を中心とした若手キャストだ。 主人公トム・コディにはトム・クルーズ、エリック・ロバーツ、パトリック・スウェイジがオーディションを受けたが、最終的にヒル監督はマイナーな青春ロック映画『エディ&ザ・クルーザーズ』(’83)に主演した若手マイケル・パレに白羽の矢を当てる。ヒロインのエレン役には、当時18歳だったダイアン・レイン。本作のキャストでは唯一、知名度のある有名スターだ。もともとはダリル・ハンナが最有力候補だったが、結局はキャリアもネームバリューもあるダイアンが選ばれた。恐らく、マイケル・パレがまだ無名同然だったため、引きのあるスターが欲しかったのだろう。エレンのいけ好かないマネージャー、ビリー役は、当時テレビのお笑い番組「Second City Television」で注目されていたコメディアンのリック・モラニス。プロデューサーのジョエル・シルヴァーがモラニスの大ファンだったのだそうだ。 さらに、当初トムの姉リーヴァ役でオーディションを受けたエイミー・マディガンが、トムの相棒マッコイ役を演じることに。本来、この役はラテン系の巨漢男という設定で、役名もメンデスという名前だったという。しかし「これを女に変えて私にやらせて!絶対に面白いから!」とエイミー自らが監督に直訴したことで女性キャラへと変更されたのだ。そういえば、ヒル監督が製作と脚本のリライトを手掛けた『エイリアン』(’79)の主人公リプリーも、もともとは男性という設定だったっけ。代わりに姉リーヴァ役に起用されたのは、『ウォリアーズ』のヒロイン役だったデボラ・ヴァン・ヴァルケンバーグ。さらに、ヒル監督がキャスリン・ビグローの処女作『ラブレス』(’82)を見て注目したウィレム・デフォーが、暴走族のリーダー、レイヴン役を演じて強烈なインパクトを残す。本作で初めて彼を知ったという映画ファンも多かろう。 そのほか、ビル・パクストン(バーテン役)にE・G・デイリー(エレンの追っかけベイビードール役)、エド・ベグリー・ジュニア(バッテリー地区の浮浪者)、リック・ロソヴィッチ(新米警官)、ミケルティ・ウィリアムソン(黒人コーラスグループのメンバー)など、後にハリウッドで名を成すスターたちが顔を出しているのも要注目ポイント。デイリーは歌手としても成功した。また、『フラッシュダンス』(’83)でジェニファー・ビールスのボディダブルを担当したマリーン・ジャハーンが、ナイトクラブ「トーチーズ」のダンサーとして登場。ちなみに、トーチーズという名前のクラブは、ヒル監督の『ザ・ドライバー』(’78)や『48時間』にも出てくる。 ところで、ヒル監督が本作を撮るにあたって、実は最も影響されたというのがその『フラッシュダンス』。全編に満遍なく人気アーティストのポップ・ミュージックを散りばめ、映画自体を1時間半のミュージックビデオに仕立てた同作は空前の大ブームを巻き起こし、その後も『フットルース』(’84)や『ダーティ・ダンシング』(’87)など、『フラッシュダンス』のフォーマットを応用した「MTV映画」が大量生産されたのはご存知の通り。要するに、『ストリート・オブ・ファイヤー』もこのトレンドにちゃっかりと便乗したのである。そのために制作陣は、パティ・スミスやトム・ペティのプロデューサーとして知られるジミー・アイオヴィーンを音楽監修に起用。ジョン・ヒューズの『すてきな片想い』(’84)では当時のニューウェーブ系ヒット曲を総動員したアイオヴィーンだが、一転して本作ではユニバーサルの意向を汲んで、映画用にレコーディングされたオリジナル曲ばかりで構成することに。オープニング曲「ノーホエア・ファスト」を書いたジム・スタインマンを筆頭に、トム・ペティやスティーヴィー・ニックス、ダン・ハートマンなどの有名ソングライターたちが楽曲を提供している。 ダイアン・レインの歌声を吹き替えたのは、ロックバンド「フェイス・トゥ・フェイス」のリードボーカリスト、ローリー・サージェントと、ジム・スタインマンの秘蔵っ子ホリー・シャーウッド。「ノーホエア・ファスト」と「今夜は青春」には、「ファイアー・インク」なるバンドがクレジットされているが、これは「フェイス・トゥ・フェイス」のメンバーを中心に構成された覆面バンドだ。また、挿入曲「ソーサラー」と「ネヴァー・ビー・ユー」は、サントラ盤アルバムのみ前者をマリリン・マーティン、後者をマリア・マッキーと、当時売り出し中の若手女性ボーカリストが歌っている。つまり、映画とサントラ盤では歌声が別人なのだ。これは黒人コーラスグループが歌う「あなたを夢見て」も同様。劇中ではウィンストン・フォードという無名の黒人男性歌手が歌声を吹き替えていたが、しかしサントラ盤アルバムを制作するにあたって作曲者のダン・ハートマンが自らレコーディング。これが全米シングル・チャートでトップ10入りの大ヒットを記録する。 ちなみに、映画の最後を締めくくる楽曲は、本作とタイトルが同じという理由から、ブルース・スプリングスティーンの「ストリーツ・オブ・ファイアー」のカバー・バージョンが選ばれ、実際に演奏シーンも撮影されていたのだが、しかしレコード会社から著作権の使用許可が下りなかった。そこで、急きょジム・スタインマンが「今夜は青春」を2日間で書き上げ、改めてラスト・シーンの撮り直しが行われたのである。ダイアン・レインの髪型がちょっと不自然なのはそれが理由。というのも、当時の彼女は次回作(恐らくコッポラの『コットン・クラブ』)の撮影で髪を切っていたため、本作の撮り直しではカツラを被っているのだ。 一方、ポップソング以外の音楽スコアは、『48時間』に引き続いてジェームズ・ホーナーに依頼されたのだが、しかし出来上がった楽曲が映画のイメージとは全く違ったためボツとなり、ヒル監督とは『ロング・ライダーズ』(’80)と『サザン・コンフォート/ブラボー小隊 恐怖の脱出』(’81)で組んだライ・クーダーが起用された。確かに、ロックンロール映画にはロック・ミュージシャンが適任だ。むしろ、なぜジェームズ・ホーナーに任せようとしたのか。そちらの方が不思議ではある。 ロックンロールに暴走族に西部劇にレトロなポップカルチャーと、ウォルター・ヒル監督が少年時代からこよなく愛してきたものを詰め込んだという本作。プレミア試写での評判も非常に良く、製作陣は「絶対に当たる」との自信を持っていたそうだが、しかし結果的には大赤字を出してしまう。ヒル監督やプロデューサーのローレンス・ゴードン曰く、カテゴライズの難しい作品ゆえにユニバーサルは売り出し方が分からず、アメリカでは宣伝らしい宣伝もほとんど行われなかったという。映画でも音楽でも小説でもそうだが、残念ながら内容が良ければ成功するというわけではない。本作の場合、アメリカではビデオソフト化されてから口コミで評判が広まり、今ではカルト映画として愛されている。これをいち早く評価していたことを、日本の映画ファンは自慢しても良いかもしれない。■ 『ストリート・オブ・ファイヤー』© 1984 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
フリードキン・アンカット
鬼才か、奇人か?巨匠ウィリアム・フリードキン監督の素顔と映画術に迫る渾身のドキュメンタリー
ジャンルにとらわれず常に新しい映画を追求してきたウィリアム・フリードキン監督。その人物像や作品づくりを、本人のみならずコッポラやタランティーノなど彼に縁のある監督・俳優へのインタビューで掘り下げる。
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COLUMN/コラム2023.01.10
1990年!“カルトの帝王”は“トレンド・リーダー”だった‼『ワイルド・アット・ハート』
そのフィルモグラフィーから、「カルトの帝王」と異名を取る、デヴィッド・リンチ監督。 1946年生まれの彼の初長編は、『イレイザーヘッド』(1977)。リンチが20代後半から1人で、製作・監督・脚本・編集・美術・特殊効果を務め、5年掛かりで完成させた。 見るもおぞましい、奇形の嬰児が登場するこの作品は、シュールで理解不能な内容のために、悪評が先行した。しかし、独立系映画館で深夜上映されると、一部で熱狂的な支持を集めるようになり、やがて“カルト映画”の代名詞的な作品となった。 続いてリンチが手掛けたのが、『エレファント・マン』(80)。生まれつきの奇形のために“象男”と呼ばれた、実在の青年の数奇な人生を描いた作品である。『エレファント・マン』はアカデミー賞で、作品賞をはじめ8部門にノミネート。リンチ自身も監督賞候補となり、大きな注目を集めた。因みに81年に公開された日本では、その年の№1ヒット作となっている。『エレファント・マン』は、感動作の衣を纏っていたため、多くの誤読を招いたことも手伝っての高評価だったのは、今となっては否めまい。この作品のプロデューサーだったメル・ブルックスは、リンチの特性をもちろん見抜いており、彼のことをこんな風に評している。「火星から来たジェームズ・スチュアート」と。 健康的なアメリカ人そのものの出で立ちで、いつも白いソックスを履き、シャツのボタンは、必ず一番上まで留めて着る。そんな折り目正しい外見のリンチが、実は他に類を見ないような“変態”であることを表した、ブルックスの至言と言えよう。 ・『ワイルド・アット・ハート』撮影中のデヴィッド・リンチ監督 その後リンチは、ディノ・デ・ラウレンティスによって、当時としては破格の4,000万㌦という製作費を投じたSF超大作『デューン/砂の惑星』(84)の監督に抜擢される。しかしこの作品は、興行的にも批評的にも散々な結果となり、リンチのキャリアにとっては、大きな蹉跌となる。『デューン』に関しても、リンチ一流の悪趣味な演出を、カルト的に愛するファンは存在する。しかし、いかんせんバジェットが大きすぎた。因みに、この作品の出演者の1人、ミュージシャンのスティングはリンチについて、「物静かな狂人」とコメントしている。 深刻なダメージを受けたリンチだったが、その後の製作姿勢を決定づける、大いなる学びもあった。それは今後の作品製作に於いては、“ファイナル・カット権”即ち最終的な編集権を己が持てないものは、作らないということ。粗編集の段階で4時間以上あった『デューン』を、無理矢理半分ほどの尺に詰められて公開されたことに、リンチは強い憤りを覚えていたのである。 そんなことがあって次の作品では、大幅な製作費削減と引き換えに、“ファイナル・カット権”を得て、思う存分腕を振るった。それが、『ブルー・ベルベット』(86)である。この作品でリンチは、ジャンルを問わず様々な題材を多く盛り込むという、独特の作風を確立。『ブルーベルベット』は、興行的にも批評的にも成功。後に「カルトの帝王」と呼ばれるようになる、足掛かりとなった。 そんなリンチであるが、まさかの“トレンド・リーダー”的存在として、崇められた時期がある。ピンポイントで言えば、それは1990年のこと。 この年、彼が製作総指揮・監督・脚本を務めたTVシリーズ「ツイン・ピークス」が大ヒット!それと同時に、マンガ、ライヴの演出やジュリー・クルーズのアルバムのプロデュース、CMの制作等々、八面六臂の大活躍を見せ、時代の寵児となったのである。 リンチの劇場用長編新作だった本作『ワイルド・アット・ハート』も、この年のリリース。そして、「カンヌ国際映画祭」で見事、最高賞=パルム・ドールを勝ち取ったのだ。 この作品の企画がスタートしたのは、89年の4月。プロデューサーのモンティ・モンゴメリーが、自分が監督するつもりで、バリー・ギフォードが書いた小説の映画化権を獲得したことにはじまる。 モンゴメリーはリンチに、製作総指揮などやってもらえないかと依頼した。ところが、リンチがその小説を読むと、自分が監督をやりたくなってしまったのである。その希望を、モンゴメリーは快諾。リンチは早速脚本化に取り掛かり、僅か8日間で第1稿を書き上げる。 撮影開始は、その4ヶ月後の8月。ロス市内や郊外の砂漠を含む周辺の町で8週間。 加えてニューオリンズ、フレンチクォーターでロケを行った。 ***** セイラー(演:ニコラス・ケイジ)は、恋人のルーラ(演:ローラ・ダーン)の目の前で、黒人の男にナイフで襲われる。それは明らかに、ルーラに偏執狂的な愛情を注ぐ、その母親マリエッタ(演:ダイアン・ラッド)の差し金。セイラーは返り討ちで、男を殺してしまう。 22ヶ月と18日後、刑務所を仮釈放となったセイラーは、ルーラを連れて、車でカリフォルニアへの旅に出る。情熱的な歓喜に満ちた2人の道行きだったが、マリエッタにより、追っ手が掛かる。 まずはマリエッタの現在の恋人で、私立探偵のジョニーが、2人を追跡する。しかしなかなか足取りを追えないことに苛立ったマリエッタは、かつての恋人で暗黒街の住人サントスにも相談。2人を見つけ出し、セイラーを殺害することを依頼するが、サントスはその条件として、追っ手のジョニーも殺すことになると、告げる。 セイラー殺し、ジョニー殺しのため、危険な殺し屋たちが、集められる。そして、彼らの手でジョニーは、無残に殺されてしまう。 旅の最中、セイラーはルーラに、今まで秘密にしていたことを明かす。火事で亡くなったルーラの父を、セイラーは生前から知っていた。そして、自分はかつてサントスの運転手を務めており、ルーラの父が焼け死ぬ現場の見張りを命じられていたのだ。ルーラの父は、マリエッタとサントスが共謀して、殺害したのであった。 次第に手持ちの金がなくなっていく中、ルーラの妊娠が発覚する。セイラーとルーラ、激しく愛し合う2人の行く手には、何が待ち受けているのか!? ***** リンチは脚色の際、原作にかなり手を入れた。そして、彼の言葉を借りれば、「…ロードムーヴィーだし、ラヴストーリーでもあり、また心理ドラマで、かつ暴力的なコメディ…」に仕立て上げた。 最も顕著な改変は、『オズの魔法使い』(39)の要素を入れたこと。竜巻に襲われて魔法の国オズに運ばれてしまった少女ドロシーの冒険を描くこの作品の、恐怖と夢が混在するところに、リンチは初めて観た時から心を打たれていたという。 具体的には、ルーラに執着する母親のマリエッタを、『オズの…』に登場する“悪い魔女”に擬して描いたり、ドロシーが赤い靴のヒールをカチッと合わせる有名なシーンを、ルーラに再現させたり。 挙げ句はラスト近く、ルーラの元を去ろうとするセイラーの前に“良い魔女”が現れて、物語を大団円へと導く。 実は脚本の第1稿では、セイラーがルーラを棄ててしまうという、原作通りの暗い結末を迎えることになっていた。ところがリンチの前作『ブルーベルベット』でヒロインを演じ、その後リンチと交際していたイザベラ・ロッセリーニが脚本を読んで、こんな悲惨な映画には絶対出演しないと言い出した。 そこでリンチは再考した結果、『オズの…』に行き着く。そして本作を、現代のおとぎ話としてのラヴ・ストーリーという形で展開することに決めたのである。その甲斐あってか、ロッセリーニも無事、キャストの1人に加えることができた。 こうした改変を、原作者のギフォードは称賛。映画版の『ワイルド・アット・ハート』を、「…ブラックユーモアのよく利いた、ミュージカル仕立てのコメディ…」と、高く評価した。 そんな本作の、キャスティング。リンチは原作を読んだ瞬間から、ルーラはローラ・ダーン、セイラーにはニコラス・ケイジといったイメージが浮かんだという。『ブルーベルベット』ではウブな少女役だったダーンを、それとは対照的にホットなルーラに当てることを、意外に受け止める向きも少なくなかった。しかしリンチに言わせれば、原作のルーラの台詞から、ダーンの声が聞こえてきたのだという 本作のクライマックス近く、場を浚うのが、“殺し屋”ボビー・ペルー役のウィレム・デフォーだ。黒ずくめで細いヒゲを生やし、歯は歯茎まですり減っているという、異様な外見。レイプ紛いの言葉責めで、ルーラを追い詰める等々、とにかく強烈な印象を残す。 リンチは彼をキャスティングした理由を尋ねられた際、「だってクラーク・ゲーブルは死んでしまったからね」と、彼一流の物言いで返答。それはさて置き、デフォーにとって本作の撮影は、本当に楽しいものだったようだ。 曰く、「…監督にいろんな提案をすると、必ず『じゃあ、やってみよう』と言ってくれたからね」 そんなことからもわかる通り、リンチの演出は、即興的なインスピレーションに支えられている。スラムのような場所でロケした際は、実際のホームレスを急遽エキストラとして集めたりもした。 因みにマリエッタ役には、ルーラ役のローラ・ダーンの実の母親、ダイアン・ラッドがキャスティングされた。リンチはラッドと、夕食を一緒に取った際のインスピレーションで、彼女に決めたという。 奇しくも『ブルーベルベット』の時、ローラ・ダーンをキャスティングしたのも、レストランでの出会いがきっかけだった。 リンチはスタッフに、ラッドとダーンが実の母娘だと知らせてなかった。そのため、撮影が始まってしばらく経った時に、「君たち二人は顔までそっくりになってきたね。怖いぐらいだ」と、ラッドに言いに来たスタッフが居たという。 さて本作のラスト、セイラーは愛するルーラと我が子に向かって、『ラヴ・ミー・テンダー』を歌い上げる。このシーンは、演じるニコラス・ケイジの趣味嗜好を押さえておくと、より楽しめる。 ケイジはエルビス・プレスリーの熱烈なファンで、その関連グッズのコレクター。本作から12年後=2002年に、プレスリーの遺児であるリサ・マリーと結婚した際などは、ケイジのプレスリーコレクションとして、「最大の得物をゲットした」と揶揄されたほどである。まあこの結婚は、すぐに破綻したのだが…。 そんなケイジが演じるセイラーが、「俺の女房になる女にしか歌わない」と劇中で宣言していた、プレスリーの代表的なラヴソングをド直球に歌い上げて、本作はエンドとなる。ケイジはさぞかし、気持ち良かったであろう。 当時リンチのミューズであった、イザベラ・ロッセリーニは、撮影現場でのリンチのことを、こんな風に語っている。「…俳優たちと付き合うのが大好きで、撮影で一緒に遊んでる感じ…」「…まるでオーケストラの指揮者がバイオリン奏者を指揮するように演出する…」 そんな監督だからこそ、『ワイルド・アット・ハート』の、感動的且つ爆笑もののラストが生まれたのかも知れない。■ 『ワイルド・アット・ハート』© 1990 Polygram Filmproduktion GmbH. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ライトハウス
[R15+]灯台を守る男たちを悪夢が襲う…ホラー映画の新鋭ロバート・エガースが放つ戦慄のサスペンス
『ウィッチ』のロバート・エガース監督が人気配給会社「A24」と組み、実話を基に描く衝撃サスペンス。2人の灯台守が絶海の孤島で狂気と幻想に侵されていく様を、神話や古典文学の要素を交えミステリアスに綴る。
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COLUMN/コラム2022.06.09
間もなく第3弾が登場!? カルトな人気シリーズ『処刑人』のはじまり
昨年11月、『処刑人』のシリーズ第3弾が製作されるという、映画ニュースがネットで流れた。第1作が製作されたのは、1999年。第2作は2009年であり、報じられた通りに『処刑人Ⅲ』が実現すれば、第1作から20年余にして、実に10数年ぶりのシリーズ再開となる。 亀のように遅々とした歩みながら、確実にコアなファンを掴んできた、『処刑人』シリーズの生みの親は、71年生まれのトロイ・ダフィー。今はもう50代だが、『処刑人』の脚本を書き上げた時は、まだ25歳の若さだった。 ニューハンプシャー州で育ったダフィーは、大学の医学部進学課程に入学したものの、1年半でドロップアウト。ミュージシャンの道へと進むため、93年にロサンゼルスへと移り住んだ。 生計は飲み屋の用心棒やバーテンダーで立てながら、ダフィーは弟と共に、廃墟のようなアパートで暮らした。そしてそこで、『処刑人』のアイディアの元となる体験をする。 96年のある夜、ダフィーが仕事から帰ると、向かいの麻薬ディーラーの部屋から、女性の遺体が台車で担ぎ出されるところだった。女性は死後数日は経っている様子で、アーミー・ブーツを履いていたが、そこに出てきたディーラーは、「そのクソ女が俺のカネを取りやがったんだ!」と叫びながら、そのブーツを、思い切り真下へと叩きつけた。 期せずして、衝撃的なまでに不快な出来事と遭遇してしまったダフィーは、自らへのセラピー代わりに、あることに取り掛かる。それは、脚本を書くことだった。 幼少時から、彼の身近には犯罪者の巣窟があって、「…いつも誰かが奴らを退治してくれないかと思っていた…」という。そして遂に、その時がやって来た! ダフィーは、「…武器じゃなくてペンと映画で…」悪人退治を実行することにしたのである。 映画学校などに通ったことがないダフィーは、友人から映画脚本の書き方について手本を見せてもらうと、自らが抱えた嫌悪感を、バーテンダーの勤務中にノートへと書き殴り、仕事が終わると、借り物のPCで入力した。「THE BOONDOC SAINTS」、直訳すれば、“路地裏の聖人たち”。日本公開時には『処刑人』という邦題が付く、この作品の脚本の完成までに要したのは、3ヶ月。時は96年の秋になっていた…。 ***** ボストンの精肉工場で働き、地元の教会の敬虔な信者である、コナーとマーフィーのマクナマス兄弟。行きつけの酒場に、ロシアン・マフィアのメンバーが、借金取り立ての嫌がらせにやって来た。居合わせた2人は、マフィアたちを袋叩きにする。 怒ったマフィアたちは数人で、兄弟のボロアパートを急襲する。それを返り討ちにして、全員を殺害。兄弟は、警察へと自首した。 拘留された留置場の夜、兄弟は“神の啓示”を受ける。~悪なる者を滅ぼし、善なる者を栄えさせよ~ 正当防衛が認められ、すぐに釈放となった兄弟は、大量の武器を調達。ロシアン・マフィアが集まるホテルの一室を襲撃して、ボスをはじめメンバー9人を、祈りを捧げながら、皆殺しにする。 兄弟の親友で、イタリアン・マフィアの使い走りをしていたロッコも、仲間に加わる。そしてロッコをハメようとしたイタリアン・マフィアの幹部や殺し屋などを、次々と血祭りに上げていく。 身の危険を感じたイタリアン・マフィアの首領ヤカヴェッタは、最強最悪の殺し屋で重要犯罪人刑務所に囚われの身だったエル・ドーチェを出獄させ、兄弟たちに刺客として差し向ける。 一方この連続殺人を追う、FBIのキレ者捜査官スメッカーは、兄弟たちの仕業に、次第に共感を覚えるようになっていく…。 ***** 脚本が出来上がったタイミングで、ダフィーはかつてのバーテンダー仲間の友人と再会する。友人は「ニュー・ライン・シネマ」の重役アシスタントとなっており、ダフィーの脚本をハリウッドへと持ち込んだ。 時は『パルプ・フィクション』(94)成功の興奮が冷めやらず、犯罪映画をスタイリッシュに描く、“タランティーノ”症候群真っ盛りの頃。時制のズラしやスローモーションなどを駆使した、本作脚本への反響は大きく、「ニュー・ライン・シネマ」「ソニー・ピクチャーズ」「パラマウント」等々の間で、争奪戦になったのである。 しかしダフィーは、なかなか首を縦に振らなかった。そんな中で「パラマウント」との間には、本作ではなく、内容も未定で、まだ一行も書いてない2作品の脚本を50万㌦で売るという、“青田買い契約”が、先にまとまった。 97年3月になって、本作の脚本を勝ち取ったのは、当時は「ミラマックス」の社長だった、悪名高きハーヴェイ・ワインスタイン。脚本に30万㌦とも45万㌦とも言われる値を付け、製作費として1,500万㌦を用意したと言われる。それにプラスしてダフィーは、ワインスタインに様々な条件を呑ませた。 まず、ダフィーがバーテンダーを務めるスポーツ・バーを買い取った上で、その共同経営権を譲渡すること。そして映画化の際は、ダフィーに監督を委ね、キャスティングの最終的な決定権を渡すこと。更にはダフィーのバンドに、サウンドトラックを担当させること等々であった。 この契約は、大きなニュースとなり、ハリウッド中の話題となった。しかし、ダフィーの“有頂天”は、6週間ほどで終わりを告げる。「ミラマックス」との製作交渉は、なかなか最終合意に至らなかった。中途からワインスタインは、直接のコンタクトを一切拒絶するようになり、97年11月には、本作の製作は取りやめとなる。それと同時に、スポーツ・バーの買収から、バンドデビューの話まで、一切が立ち消えとなってしまった。 巷間伝わる話によると、「ミラマックス」側が兄弟役やFBIの捜査官役に、ブラッド・ピット、ビル・マーレイ、シルベスター・スタローン、マイク・マイヤーズ、ジョン・ボン・ジョヴィといったキャストを推し当てようとしたことに、ダフィーが反発。それでいてダフィー側が、ユアン・マグレガーやブレンダン・フレーザーといったスターとの出演交渉に失敗したことなどが、積み重なった結果だと言われる。 ダフィーは起死回生に、主役の兄弟役として、TVシリーズの「インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険」(92~93)でタイトルロールを演じ、注目されたショーン・パトリック・フラナリーと、プラダのモデルなどを務めていたノーマン・リーダスという、2人の若手俳優を見つけ出して、自費でスクリーン・テスト用のショートフィルムまで製作。それを「ミラマックス」にプレゼンしたと言われるが、功を奏さず、遂には破談に至った。 もっともこの2人が、最終的には本作の主演となって、「他には考えられない」ような当たり役とすることを考えると、無駄骨だったとは言えないが…。 「ミラマックス」との交渉決裂後は、かつての争奪戦が嘘のように、本作の製作に乗り出そうという大手映画会社は、姿を消した。結局インディー系である「フランチャイズ・ピクチャーズ」が、「ミラマックス」の半分以下の予算である製作費700万㌦を提示。ダフィーは、それに乗った。 兄弟役に次ぐ、重要な役どころと言える、FBIのスメッカー捜査官には、ウィレム・デフォーの出演を取り付けた。ゲイでナルシストで天才肌のプロファイラーという、キレキレの役どころにデフォーが見事にハマったのは、衆目の一致するところであろう。 本作は、98年8月にカナダのトロントでクランクイン。その後ボストンを巡って、9月下旬には無事撮影を終えた。 ポスト・プロダクションを経て、作品は翌99年4月末に完成。ところがその直前に、ある“大事件”が起きたことで、本作の行く手にはまたもや、暗雲が広がる。 4月20日、コロラド州のコロンバイン高校で、銃乱射事件が発生。銃器を駆使するヴァイオレンス映画に対して、反発が強まった。その上、本作の兄弟の出で立ちが、“トレンチコート・マフィア”と呼ばれた、事件の犯人の少年たちの服装に、カブるものがあったのである。 本作のアメリカでの一般公開は、暗礁に乗り上げそうになる。最終的にはダフィーが一部自腹を切るという条件で、2000年1月に、ニューヨーク、ロサンゼルス、ボストンの3都市5館で2週間のみの上映に漕ぎ着ける。興行収入は3万㌦しか上がらず、もはや本作、そして時同じくしてバンド活動も不発に終わったダフィーの命運は、尽きたものと思われた。 ところが“神”は、本作とダフィーを見放さなかった。2月にビデオの販売とレンタルが始まると、口コミで徐々に人気が広がっていき、やがてインディー作品としては、ベストセラーとなる。その後DVDなども発売され、遂にはアメリカ国内だけで、5,000万㌦を超える売り上げを記録するに至った。 海外での展開も、概ね順調な推移を見せるようになっていく。日本では当初劇場公開はせずに、ネットでのプレミア配信とビデオ発売のみの予定だったのを変更。2000年10月に『処刑人』というタイトルで、「東京ファンタスティック映画祭」で初上映。翌01年2月には、全国30館で3週間の興行を実施した。 小規模の限定公開だったにも拘らず、興行収入は1億円に達し、その後発売されたビデオとDVDは、大ヒット。レンタル店では、高回転の超人気ソフトとなったのである。 製作を取りやめた「ミラマックス」に対し、ダフィーは見事な意趣返しを果たした!…と言いたいところだが、実は『処刑人』が上げた収益は、契約の不備から、びた一文ダフィーの懐には入っていない。 また世界中から届くようになった、“続編”を望む声にも、ダフィーはなかなか応えることが出来なかった。『処刑人』の製作会社「フランチャイズ・ピクチャーズ」と訴訟沙汰となったため、身動きが取れない状態が、長く続いたのである。 結局『処刑人Ⅱ』の製作・公開は、第1作からほぼ10年後。ファンは、2009年まで待たなければならなかった。 それから更に10年以上の時が経ち、監督だけでなく兄弟役の2人も、今や50代である。ショーン・パトリック・フラナリーは、映画やTVの中堅俳優として活躍。ノーマン・リーダスは、2010年から続くTVシリーズ「ウォーキング・デッド」で、一躍人気スターとなった。 俳優としてのキャリアを積み重ねた、フラナリーとリーダス。それに比べて監督のダフィーは、ほぼ『処刑人』シリーズのみで語られる存在となっている。 そんな3人の座組は変わらずに製作されるという、『処刑人』のPART3。リーダスのアイデアを盛り込みながら、フラナリーと共同で書く脚本で、ダフィー監督はメガフォンを取ると伝えられている。 既報通りであれば、今年5月にクランクインということで、もう撮影は行われている筈だ。第1作から二十数年の歳月を経て、50代トリオがどんな『処刑人』を見せてくれるのか? まずは第1作でシリーズのスタートを体験した上で、是非想像していただきたい。■ 『処刑人』© 1999 FRANCHISE PICTURES. ALL RIHGTS RESERVED
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PROGRAM/放送作品
フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
“夢の国”の隣に広がる厳しい貧困の実態…アメリカの格差社会をリアルに描き出す衝撃ヒューマンドラマ
フロリダのディズニーワールドの近隣に建つ安モーテルを舞台に、シングルマザー母子の厳しい生活を通じてアメリカの格差社会を描き出す。母子を厳しくも温かく見守るモーテル支配人をウィレム・デフォーが好演。
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COLUMN/コラム2019.06.30
1999年のデヴィッド・クローネンバーグ。『イグジステンズ』
かつて“プリンス・オブ・ホラー”と異名を取った、デヴィッド・クローネンバーグ監督(1943年生まれ)。彼が本作『イグジステンズ』の着想を得たのは、イギリスの作家サルマン・ラシュディとの出会いであった。 ラシュディと言えば、1988年に発表した小説「悪魔の詩」が、イスラム教を冒涜しているとして、当時のイランの最高指導者ホメイニから“死刑宣告≒暗殺指令”を受けた人物。そのため彼は、イギリス警察の厳重なる保護下に置かれ、長きに渡って隠遁生活を送ることとなった。 この“死刑宣告”はラシュディ本人に対してだけでなく、「悪魔の詩」の発行に関わった者なども対象とされたため、イギリスやアメリカでは多くの書店が爆破され、「悪魔の詩」のイタリア語版やトルコ語版の翻訳者は襲撃を受けることとなった。また、この“宣告”に異議を唱えた、サウジアラビアとチュニジアの聖職者が銃殺されるという事件も起こっている。 遠く異国の話ばかりではなく、日本でも大事件が起こった。1991年7月、「悪魔の詩」の日本語訳を行った「筑波大学」助教授の中東・イスラム学者が、キャンパス内で刺殺体で発見されたのである。この衝撃的な殺人事件は犯人が逮捕されることなく、迷宮入りに至った。 クローネンバーグは95年に、そんな「悪魔の詩」の著者であるラシュディと、雑誌で対談。芸術家がその芸術ゆえに“死刑宣告”を受けるという状況に強い衝撃を受け、本作の構想を練り始めたという。 己の作品が、特定の社会的・政治的解釈の餌食になることを好まないクローネンバーグだが、実際は新作発表の度に様々な事象と紐づけられては、物議を醸してきた過去がある。ラシュディとの邂逅にインスパイアされ、物語を編み出すなど、「いかにもクローネンバーグらしい」エピソードである。 そしてその後、紆余曲折を経て完成に至った本作も、「いかにもクローネンバーグらしい」作品と言える。 近未来の世界の人々の娯楽。それは、脊髄にバイオポートという穴を開け、生体ケーブルを挿し込み、両生類の有精卵で作った“ゲームポッド”に直接つないでプレイする、ヴァーチャル・リアリティーゲームだった。 新作ゲーム“イグジステンズ”の発表イベントにも、多くのファンが集結。開発者である、天才ゲームデザイナーの女性アレグラ・ゲラー(演:ジェニファー・ジェイソン・リー)を、拍手をもって迎えた。 しかしその会場に、“反イグジステンズ主義者”を名乗るテロリストが闖入。「“イグジステンズ”に死を!魔女アレグラ・ゲラーに死を!」と唱えると、隠し持っていた奇妙な銃でゲラーを撃ち、彼女の肩に重傷を負わせる。 その場に居合わせたのが、警備員見習いの青年テッド・パイクル(演:ジュード・ロウ)。彼はアレグラを保護するべく、彼女を連れて会場から脱出し、逃走する。 アレグラは、襲撃された時に傷ついたオリジナルの“ゲームポッド”が正常かどうかを、確かめるようとする。そこで、脊髄に穴を開けることを怖れてゲームを毛嫌いしていたテッドを強引に巻き込み、“イグジステンズ”のプレイをスタートする。 ルールもゴールも分からないまま、ゲーム世界のキャラクターになったテッドは、自意識はあるものの、進行に必要なセリフは勝手に口をついて出てくる状態になる。その中で、同行するアレグラとセックスを欲し合ったり、殺人を犯したりしながらステージをクリアして行く。 やがて“イグジステンズ”をプレイし続ける2人の、現実と非現実の境界は、大きく揺らいでいくのだった…。 本作『イグジステンズ』は公開当時、「クローネンバーグの“原点回帰”」ということが、まず指摘された。本作が製作・公開された1999年(日本公開は翌2000年)の時点での、クローネンバーグのフィルモグラフィーを振り返れば、誰もが『ヴィデオドローム』(83)を想起する内容だったからである。 ここで日本に於けるクローネンバーグの初期監督作品の紹介のされ方をまとめる。劇場公開された初めての作品は、『ラビッド』(77)。ハードコアポルノ『グリーンドア』(72)のマリリン・チェンバースが主演ということもあって、78年の日本公開当時は、一部好事家以外には届かなかった印象が強い。 続いての日本公開作は、超能力者同士の対決を描いた、『スキャナーズ』(81)。特殊効果による“人体頭部爆発”シーンを、配給会社が売りとして押し出したのが功を奏し、大きな話題となった。 そして、『ヴィデオドローム』(83)である。この作品の日本公開は、アメリカやクローネンバーグの母国カナダから2年遅れての、85年。しかし熱心な映画ファンの間では、そのタイムラグの間、劇場のスクリーンに届くより前に、かなりの話題となっていた。 ちょうどビデオテープに収録された映画ソフトを家庭で楽しむことが、ようやく一般化し始めた頃だった。私の『ヴィデオドローム』初体験にして、即ちクローネンバーグ作品初体験も、友人宅でのビデオ鑑賞。確か、字幕もない輸入ビデオだった。 本物の拷問・殺人が映し出された謎の海賊番組「ヴィデオドローム」に、恋人の女性と共に強く惹かれてしまった、ケーブルTV局の社長マックス。その秘密を知ろうと動く内、恋人は行方知れずになり、陰謀に巻き込まれたマックスの現実と幻覚の境界は、大きく崩れていく…。 英語を解せたわけでもないので、こうした筋立てが当時完全にわかっていたとも思えない。仮に言語の壁をクリアしても、「難解」と評する声が高かった作品である。「この映画監督は、狂っているのではないか?」と言う向きさえあった。 しかし、わけがわからないながらも、生き物のように蠢くビデオテープ、男の腹に出来る女性器、肉体とTV画面の融合等々、クローネンバーグの“変態ぶり”が炸裂するギミックや特殊効果に、まずは圧倒された。男ばかり数人で酒を飲みながらの鑑賞で、自らもブラウン管に呑み込まれていく思いがしたものである。 作品の性格上、これはむしろスクリーンより、TV画面で体感するのに適した作品かも知れないと感じた。その頃映画ファンの口の端に上り始めた“カルト映画”が、正にそこにあった。 『ヴィデオドローム』に関してはクローネンバーグ本人が、カナダの文明評論家マーシャル・マクルーハン(1911~1980)のメディア論を下敷きにしていることを語っている。その言説は至極簡単に言えば、「メディアは身体の拡張である」ということ。つまりテレビやビデオも、人間の機能の拡張したものになりうるという主張だ。 クローネンバーグは『ヴィデオドローム』でそれを、グチャドロを織り交ぜて、彼なりに端的に(!?)描いたわけだが、マクルーハンの言説は今どきなら、テレビやビデオをネットに置き換えるとわかり易いだろう。例えばネット検索さえ出来れば、その個人にとって未知の物事や事象であっても、知識を取り繕うことが可能になるという次第だ。 そしてヴァーチャル・リアリティーゲームの世界を舞台にした本作『イグジステンズ』は、『ヴィデオドローム』の16年後に製作された、正にそのアップデート版と言えた。両生類の有精卵を培養したバイオテクノロジー製品である“メタフレッシュ・ゲームポッド”、小動物の骨と軟骨から作られた銃で、銃弾には人間の歯を利用する“グリッスル・ガン”等々、登場するギミックの“変態ぶり”も含めて、「いかにもクローネンバーグらしい」作品だったわけである。 しかしながら『ヴィデオ…』よりは、だいぶわかり易く作られた本作は、実は公開当時、少なからぬ“失望感”をもって迎えられた。『ヴィデオ…』の時は「時代の先を行っていた」ように思われたクローネンバーグが、「時代に追いつかれた」いや「追い抜かれた」ように映ったのである。 電脳社会を描いた、押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(95)が、96年にはアメリカではビルボード誌のビデオ週間売上げ1位となった。そしてその多大な影響を受けた、ウォシャウスキー兄弟(当時)の『マトリックス』が、「革新的なSF映画」として世界的な大ヒットを飛ばしたのは、本作『イグジステンズ』と同じ1999年だった。 本作の日本公開は、翌2000年のゴールデンウィーク。その直前には最新鋭のゲーム機として、「プレイステーション2」がリリースされている。 そうしたタイミング的な問題がまずある上、本作はわかり易く作られた分、『ヴィデオ…』の尖った感じも失われてしまっている。そんなこんなで当時のクローネンバーグの、「時代に追い抜かれた」感は半端なかったのである。 しかし本作の製作・公開から20年経った今となって、クローネンバーグの作品史を俯瞰してみると、見えてくることがある。『ヴィデオ…』で“カルト人気”を勝ち得たクローネンバーグは、その後ファンの多い『デッドゾーン』(83)や大ヒット作『ザ・フライ』(86)で、ポピュラーな人気をも得ることになる。続く作品群は、『戦慄の絆』(88)『裸のランチ』(91)『エム・バタフライ』(93)『クラッシュ』(96)と、ある意味“変態街道”まっしぐら。 そして21世紀を迎える直前に本作を手掛けるわけだが、映画作家としての自分がこれからどこに向かうのかを確認し、新たな道を切り開いていくためには、出世作とも言える『ヴィデオ…』の焼き直しという、「原点回帰」の必要があったのではないだろうか? 本作後、『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』(02)の興行的失敗で破産寸前に追い込まれたクローネンバーグは、続いてヴィゴ・モーテンセン主演で、ギミックに頼らない生身の暴力を描いた『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(05)『イースタン・プロミス』(07)を連続して放ち、絶賛をもって迎えられる。 私はこの2作に触れた際、「クローネンバーグみたいな監督でも、円熟するんだ~」と驚愕。そして彼が、「2人といない」映画監督であることを、再認識することに至った。 そうした意味でも本作『イグジステンズ』は、クローネンバーグが撮るべくして撮った作品であると、今は評価できる。製作・公開から20年を経たことで、製作当時の「追い抜かれた」感が逆に薄まっていることも、また事実である。■ 『イグジシテンズ』(C)1999 Screenventures XXIV Productions Ltd., an Alliance Atlantis company. And Existence Productions Limited.
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PROGRAM/放送作品
プラトーン
[PG12]戦場の現実とは。ベトナム戦争の最前線を実体験に基づきリアルに描いたアカデミー賞受賞作品
自らもベトナム戦争の志願兵であったオリヴァー・ストーン監督の実体験が色濃く出た本作。最前線の極限まで追い詰められたテンションと生々しい描写が、戦争の無益さを痛切に訴えている。
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COLUMN/コラム2016.04.07
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年4月】うず潮
ロバート・ロドリゲス監督の『エル・マリアッチ』『デスペラード』に続くマリアッチ三部作完結編!『デスペラード』に続き主演は アントニオ・バンデラスが務め(第1作『エル・マリアッチ』の主演はカルロス・ガラルドー。本作では製作を担当)、バンデラスを操ろうとする悪徳CIA捜査官にジョニー・デップ、敵役のボスにウィレム・デフォー、その用心棒にミッキー・ローク、さらに ダニー・トレホと個性派俳優が大集結!面々ともに劇中で持ち味出しまくりです! あらすじは、→バンデラス、恋人を殺され引きこもりに…→デップ、麻薬王のデフォーが計画するクーデターを指揮する将軍の殺害をバンデラスに依頼→この将軍、バンデラスの恋人を殺した張本人!バンデラス、復讐に燃え仲間を集める→デップ、デフォーが将軍に支払う大金を横取りしようと画策するが… ロバート・ロドリゲス監督のアクション演出センスが光るガンファイトも、もちろん必見ですが、ジョニー・デップが劇中に着ているナイスなTシャツにもご注目。マジ笑えます!是非ご覧頂きたい1本です! © 2003 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.