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PROGRAM/放送作品
ヒドゥン
[PG12相当]人間に寄生するエイリアンを追う刑事コンビの活躍を描いたカルト的人気のSFアクション!
アボリアッツ国際ファンタスティック映画祭グランプリ受賞。 フェラーリが爆走するカーチェイス、刑事と犯人の激しい銃撃戦などのアクションに加え、地球人を模倣するエイリアンのユーモラスな行動なども見どころ。
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COLUMN/コラム2023.05.02
アメリカン・ドリームの不都合な真実を暴いた鬼才ヴァーホーヴェンの問題作『ショーガール』
劇場公開時に受けた不当なバッシングの理由とは? ハリウッド映画史上、恐らく最も不当に過小評価された作品のひとつであろう。劇場公開から30年近くを経た今でこそ、カルト映画として熱狂的なファンを獲得しているものの、しかし当時は「中身のない低俗なポルノ映画」「ハリウッドは一線を越えてしまった!」などとマスコミから猛攻撃され、一般の観客からも「不愉快な映画」「生々しすぎる」と総スカンを食らってしまった。中には、脚本家ジョー・エスターハスの出世作『フラッシュダンス』(’83)にひっかけ、本作を「トラッシュダンス」などと呼ぶ映画評論家まで出てくる始末。おのずと興行収入でも大赤字を出してしまう。さらに、’95年度のラジー賞では最低作品賞や最低監督賞、最低女優賞など、史上最多となる合計13部門を獲得。その4年後の同賞では、過去10年間で最も出来の悪い映画に贈られる「’90年代最低作品賞」にも選ばれてしまった。 その一方で、当時から本作を高く評価する向きも少ないながら存在した。例えばフランスの名匠ジャック・リヴェット監督は「過去数年間で最も偉大なアメリカ映画のひとつ」と評しているし、クエンティン・タランティーノ監督もたびたび本作を擁護していたと記憶している。筆者も日本公開時に本作を見て、「なんたる傑作!最高じゃないですか!」と大満足して映画館を後にしたのだが、それだけにアメリカでの低評価やバッシングはなんとも理解し難く感じたものである。 とはいえ、確かに激しく賛否の分かれる映画であることは間違いない。ラスベガスの夜を彩るトップレスダンサーたちの熾烈な競争を描いた、欲望と策略と虚飾の渦巻くサクセス・ストーリー。しかも、監督を務めるのはオランダ出身の鬼才ポール・ヴァ―ホーヴェンである。母国で手掛けた『ルトガー・ハウアー/危険な愛』(’73)や『娼婦ケティ』(’75)、『SPETTERS/スペッターズ』(’80)などで国際的に注目され、ハリウッドへ拠点を移してからは『ロボコップ』(’87)と『トータル・リコール』(’90)の大ヒットでメジャー監督の仲間入りを果たしたヴァーホーヴェン。人間や社会の醜悪な部分を包み隠すことなく描き、あえて見る者の神経を逆撫でする過剰で挑発的な作家性はハリウッドにおいても健在で、ちょうど当時はエロティック・スリラー『氷の微笑』(’92)で物議を醸したばかりだった。そのストーリーや題材ゆえ、本作はさらに過激なセックスとバイオレンスがてんこ盛り。ヨーロッパに比べて遥かに倫理観の保守的なアメリカの観客が、本作に少なからぬ嫌悪感や拒否感を覚えたのも、冷静になって考えてみればそれほど不思議でもあるまい。 弱肉強食のショービズ界を這い上がるヒロイン 舞台はギャンブルとショービジネスの街ラスベガス。トップダンサーを目指してやってきた若い女性ノエミ・マローン(エリザベス・バークレー)は、ヒッチハイクで乗せてもらったドライバーの男に騙され、身ぐるみを剥がされて途方に暮れる。そんな彼女に声をかけたのが、ステージの衣装デザイナーとして働くモリー(ジーナ・ラヴェラ)。ノエミの窮状を知って同情したモリーは、自宅トレーラーに彼女を住まわせることにする。 過激なサービスが売りのトップレス・クラブでダンサーとして働くようになったノエミ。ある日、彼女はモリーの職場を見学させてもらう。そこはラスベガスでも随一の人気を誇る高級ホテル、スターダスト・カジノの看板トップレスショーの舞台裏。自分の働くクラブとは比べ物にならない豪華なステージに目を奪われ、トップスターのクリスタル(ジーナ・ガーション)に紹介されて興奮を隠せないノエミだったが、しかしそのクリスタルから場末のダンサーであることをバカにされて憤慨する。そこで彼女は憂さ晴らしにモリーと夜遊びへ繰り出すことに。無我夢中になって踊り狂う彼女を、売れないダンサーのジェームズ(グレン・プラマー)が見染める。 それからほどなくして、ノエミの職場にクリスタルが恋人の舞台プロデューサー、ザック(カイル・マクラクラン)を連れて来店する。ザックにラップダンスのサービスをさせようとノエミを指名するクリスタル。場末のダンサーなんて娼婦も同然よと、ノエミを侮辱する魂胆は見え見えだ。頑として要求をはねつけるノエミだったが、しかしクリスタルから提示された500ドルに目のくらんだ店長アル(ロバート・デヴィ)が引き受け、ノエミは仕方なくクリスタルの目の前でザックに性的サービスを提供する。その様子をたまたま目撃し、娼婦のような真似をして才能を無駄にするんじゃないと忠告するジェームズ。彼は自身のプロデュースするダンスショーを企画しており、そのメインダンサーをノエミにオファーする。再び男になど騙されまいと警戒しつつ、ジェームズの熱意に少しずつ心を開くノエミ。しかし結局、彼は行きずりでセックスをしたノエミの同僚ダンサー、ホープ(リーナ・リッフェル)と組むことになる。 一方、ノエミのもとにはスターダスト・カジノから欠員オーディションのオファーが舞い込む。喜び勇んで会場へ向かうノエミだったが、しかし演出家トニー・モス(アラン・レイキンズ)によるセクハラまがいの指導にブチ切れてしまう。これでオーディション落選も決定的かと思いきや、なぜか合格の連絡を受けて驚くノエミ。どうやらクリスタルが裏で手を回したようだ。持ち前の負けん気でハードなトレーニングをこなし、念願だった一流のステージに立つノエミだったが、そんな彼女に同性愛的な欲望の眼差しを向けるクリスタルは、その一方で若くて野心家のノエミからトップスターの座を守らんと屈辱的な嫌がらせも仕掛けていく。愛憎の入り雑じった一触即発のライバル関係を築いていくノエミとクリスタル。そんな折、クリスタルの代役ダンサーが怪我で入院し、ノエミにチャンスが巡って来る。女の武器を使ってザックを誘惑し、代役の座を得ようとするノエミだったが…? アメリカ的なるものへ批判の目を向けたハリウッド時代のヴァーホーヴェン いわば、男性が権力を握る男社会のショービジネス界で、その搾取構造に抵抗しながらも成功を掴もうとする女性の闘いを描いた物語。他人を蹴落としたり騙したり陥れたりと、とにかく嫌な奴ばかり出てくる映画だが、その中でも特に男性キャラは揃いも揃って女性を食い物にするクズばかりなのが印象的だ。結局、「女の敵は女」とばかりに女性同士を対立させるのも、男たちが作り上げた性差別的なシステムが原因。そのことに無自覚だったノエミだが、しかしある事件をきっかけに男社会の搾取構造へ加担することを拒絶し、むしろ女性の誇りと尊厳を守るために男たちへ反旗を翻すことになる。これが実に痛快!胸がすくような思いとはまさにこのことだろう。 劇場公開時には「男尊女卑的な映画」との批判も受けた本作だが、しかしその評価は明らかに全くの的外れ。これはあくまでも「男尊女卑的なシステムを批判的に描いた映画」であって、作品の趣旨そのものはヴァーホーヴェンの最新作『ベネデッタ』(’21)と同様に極めてフェミニスト的だ。よくよくストーリーや設定を紐解いていくと、その基本プロット自体が『ベネデッタ』と酷似していることにも気付かされるだろう。 思い返せば、『ロボコップ』ではアメリカの警察組織を、『氷の微笑』ではアメリカ男性のマチズモを、『スターシップ・トゥルーパーズ』(’97)ではアメリカの帝国主義をと、ヨーロッパ人の視点からアメリカ的なるものへ鋭い批判の目を向けたハリウッド時代のヴァーホーヴェン監督。本作でもショービズ界の男尊女卑的なシステムを風刺しつつ、その背景として「金と権力」がものを言うアメリカ型資本主義の在り方そのものを痛烈に批判し、男たちの野心と欲望によってスターへと仕立て上げられていくノエミの成功を通してアメリカン・ドリームの不都合な真実を暴く。もしかすると、アメリカの観客が「不愉快だ」と感じた最大の理由はそこにあるのかもしれない。 そもそも、そのキャリアの初期から一貫して、ヴァーホーヴェン監督は社会や組織や権力への全般的な不信を露わにしてきたと言えよう。そういう意味でも、本作は紛れもないヴァーホーヴェン映画。『ベネデッタ』との類似性はすでに指摘した通りだが、男性からの暴力に対する女性の復讐劇は『ブラックブック』(’06)や『エル ELLE』(’16)とも共通するし、ノエミやクリスタルのようなタフで強い女性はもはやヴァーホーヴェン映画のトレードマークみたいなものだ。そういえば、ノエミもクリスタルも貧困時代にドッグフードを食べていたそうだが、『SPETTERS/スペッターズ』のヒロインも料理にドッグフードを使っていたっけ。なお、日本では「ノエミ」と表記される主人公だが、厳密にはノーミ(Nomi)と発音するのが正しい。 そのノエミ役に抜擢された主演女優エリザベス・バークリー。日本ではほぼ無名に等しかったが、しかしアメリカではテレビの人気シットコム『Saved By The Bell』(‘89~’93・日本未放送)でフェミニストの優等生少女ジェシー役を演じ、お茶の間のアイドルとして親しまれたスターだった。本作は満を持しての映画初主演作だったのだが、しかし世間からは映画と共に彼女の演技も酷評されてしまう。なるほど確かに、感情直下型ですぐに激昂する短絡的なノエミは、なかなか共感しづらいキャラクターではある。しかし、本編後半で明かされる通り、不幸な生い立ちから悲惨な人生を歩んできた彼女は、その過程で他者からさんざん傷つけられたであろうことは想像に難くない。彼女の攻撃的で感情的なリアクションは、恐らく辛酸を舐めてきた人間だからこその自己防衛本能が働いているのだろう。要するに、自分を傷つけようとする人間への威嚇だ。そう考えれば、ノエミの直情的な行動原理も理解できるし、エリザベス・バークリーの芝居にも納得がいく。むしろ非常に説得力があると言えよう。それだけに、本作の悪評が災いして大成できなかったことは誠に気の毒だった。 ちなみに実はヴァーホーヴェン監督、当初は本作の企画をパスするつもりだったらしい。というのも、ジョー・エスターハスが最初に仕上げた脚本が、あまりにも『フラッシュダンス』とソックリだったため、ヴァーホーヴェンも製作者マリオ・カサールも食指が動かなかったのだそうだ。ちょうどその時期、アーノルド・シュワルツェネッガーを主演に十字軍を題材にした歴史大作『Crusades』の企画が浮上し、ヴァーホーヴェンはそちらへ着手することに。ところが、製作準備開始から半年が経っても資金が集まらず、そのうえ製作会社カロルコが『カットスロート・アイランド』(’95)に多額の予算を注ぎ込んだため、モロッコにエルサレムのセットを組み始めたタイミングで『Crusades』の製作中止が決定。その代わりにフランスの製作会社が『ショーガール』の企画に興味を示し、製作資金の提供を申し出たことから本作のゴーサインが出たのだそうだ。 ブロードウェイの内幕を描いた名作『イヴの総て』(’50)を参考に、なるべく『フラッシュダンス』から遠ざかるよう脚本を書き直したヴァーホーヴェン監督。実際のラスベガス以上にラスベガスらしい世界を創出し、煌びやかな虚構の裏側でうごめく醜いアメリカン・ドリームの実像を徹底的に炙り出すべく、あえて演出も脚本も演技も音楽も全てを過剰なくらい大袈裟にしたという。劇場公開当時はあまりに不評だったため、果たして自分の演出方針は正しかったのかと自信が揺らいだそうだ。’16年のインタビューでは「今になって見直すと、興味深いスタイルだったと思う」と語っているヴァーホーヴェンだが、まさしくその過剰で大袈裟なスタイルこそ、本作が時を経てカルト映画として愛されるようになった最大の理由ではないかとも思う。■ 『ショーガール』© 1995 - CHARGETEX
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PROGRAM/放送作品
ショーガール
[R15相当]欲望渦巻くショービジネス界を過剰なエロスで彩る鬼才ポール・ヴァーホーヴェン監督の問題作
ラスベガスのショービジネス界を舞台に、『氷の微笑』の監督・脚本家コンビがスターへとのし上がるショーガールを軸に、欲望と嫉妬を生々しく描いた衝撃作。半裸の女性たちが繰り広げる過剰なエロスが波紋を呼んだ。
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COLUMN/コラム2022.07.01
美しい表層の裏に隠された魑魅魍魎を炙り出すデヴィッド・リンチの悪夢的世界『ブルーベルベット』
※下記レビューには一部ネタバレが含まれます。 『砂の惑星』での苦い経験から学んだリンチ監督 1980年代の半ば、映画監督デヴィッド・リンチはキャリアのどん底を経験していた。前衛アーティストして絵画や短編映画を作っていたリンチは、4年の歳月をかけて自主製作した長編処女作『イレイザーヘッド』(’76)がカルト映画として評判となり、アカデミー賞で8部門にノミネートされた名作『エレファント・マン』(’80)にてメジャーデビュー。この成功を受けて、イタリア出身の世界的大物プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが製作する超大作SF映画『砂の惑星』(’84)の監督に起用されるものの、しかし脚本の準備段階から様々な困難に見舞われる。そのうえ、最終的な編集権がスタジオ側にあったことから勝手な編集が施され、出来上がった映画はリンチ本人にとって不本意なものとなってしまい、結果として批評的にも興行的にも大惨敗を喫してしまったのである。 しかし、この失敗に全く懲りる様子のない人物がいた。金銭的に大損をしたはずのディノ・デ・ラウレンティスである。てっきり見限られたと思っていたリンチだが、そんな彼にデ・ラウレンティスは次回作の話を持ち掛けてきた。以前に見せてもらった脚本、あれは面白いから映画化しようと言われ、えっ?興味ないとか言ってなかったっけ?と驚いたというリンチ。その脚本というのが『ブルーベルベット』(’86)だった。 実は『イレイザーヘッド』を発表する以前から、リンチが温めていた企画だったという『ブルーベルベット』。といっても、最初は劇中でも流れるボビー・ヴィントンのヒット曲に由来するタイトルだけで、草むらに落ちている切断された人間の耳、クローゼットの隙間から覗き見る女性の部屋など、そのつど断片的に浮かび上がるイメージを、長い時間をかけながらひとつの脚本にまとめあげていったのだそうだ。 デ・ラウレンティスがプロデュースの実務を任せたのは、かつて彼の製作アシスタントだったフレッド・カルーソ。最初に算出された予算額は1000万ドルだったが、しかし当時のデ・ラウレンティスはアメリカに新会社を設立したばかりで、なおかつ自社スタジオの建設に着手していたため、それだけの資金を用立てている余裕がなかった。そこでリンチは自身のギャラをはじめとする製作コストを大幅に削減する代わり、編集権を含む全ての現場決定権を自分に与えるよう提案。これにデ・ラウレンティスが合意したことから、リンチは思い描いた通りの映画を自由に作るという権利を手に入れたのである。恐らく『砂の惑星』での苦い経験から学んだのであろう。ただし、同時期にデ・ラウレンティスが手掛けている他作品の監督たちに配慮して、あくまでも契約書には記載されない口約束だったらしい。それでもデ・ラウレンティスは最後まで現場に口出しをせず、リンチとの約束をしっかり守ったという。 リンチ監督の潜在意識を具現化したダークファンタジー 舞台はノースカロライナ州の風光明媚な田舎町ランバートン。大学進学のために町を出ていた若者ジェフリー(カイル・マクラクラン)は、父親が急病で倒れてしまったことから、家業である金物店の経営を手伝うため実家へ戻ってくる。病院へ父親を見舞った帰り道、家の近くの草むらで切断された人間の耳を発見するジェフリー。父親の友人であるウィリアムズ刑事(ジョージ・ディッカーソン)のもとへ耳を届けた彼は、「これ以上この事件には深入りしないように」と忠告を受けるのだが、しかしウィリアムズ刑事の娘サンディ(ローラ・ダーン)から「クラブ歌手のドロシー・ヴァレンズが事件に関係しているらしい」と聞いて好奇心を掻き立てられる。 ナイトクラブ「スロー・クラブ」で名曲「ブルーベルベット」を歌って評判の美人歌手ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)は、ジェフリーの実家のすぐ近所に住んでいるという。サンディの協力で合鍵を手に入れたジェフリーは、事件に繋がる手がかりを探すためドロシーの留守宅にこっそりと忍び込むのだが、そこへクラブでの仕事を終えた本人が帰ってきてしまう。慌ててクローゼットに身を隠すジェフリー。そこで彼が目にしたものは、狂暴なサイコパスのギャング、フランク・ブース(デニス・ホッパー)とドロシーの変態的な性行為だった。どうやらドロシーは夫と息子をフランクの一味に拉致され、強制的に愛人にされているらしい。警察に通報すべきなのかもしれないが、しかし現時点では盗み聞きした情報しかない。さらなる具体的な証拠を求め、ドロシーやフランクの周辺を探り始めたジェフリーは、次第にめくるめく暴力と倒錯の世界へ足を踏み入れていく…。 まるで1950年代辺りで時が止まってしまったようなアメリカの田舎町ランバートン。そこに住む人たちの服装や髪型は明らかに’80年代のものだが、しかし住宅街に並ぶ家々は’50年代のホームドラマ『パパは何でも知っている』や『うちのママは世界一』からそのまま抜け出てきたみたいだし、街角のダイナーや道路を走る車もレトロスタイルで、ヒロインのサンディの部屋には’50年代の映画スター、モンゴメリー・クリフトのポスターが貼ってある。さらに言えば、ナイトクラブのステージでドロシーが使うマイクは’20年代のヴィンテージだし、ドロシーの住むアパートメントは’30年代のアールデコ建築。さながら古き良きアメリカの集大成的な異次元空間、デヴィッド・リンチの創り出した完璧な理想郷である。これは、その美しい表層の裏に隠された醜い闇をじわじわと炙り出していく作品。何事にも表と裏があり、光と影がある。本作のオープニングで、綺麗に手入れされた庭の芝生にカメラが近づいていくと、草むらの暗い陰に無数の虫たちが蠢いている。これこそが本作のテーマと言えるだろう。 鮮やかな色彩やドラマチックな音楽の使い方などを含め、’50年代にダグラス・サーク監督が撮った一連のメロドラマ映画をも彷彿とさせる本作。もちろん、同時代のフィルム・ノワール映画からの影響も大きいだろう。しかし、筆者が真っ先に連想するのはラナ・ターナー主演の『青春物語』(’57)である。同じく風光明媚な古き良きアメリカの田舎町を舞台にした同作では、さすがに本作のように倒錯的なセックスや暴力こそ出てこないものの、まるで絵葉書のように美しい田舎町の裏側に隠された貧困や差別、不倫やレイプなどの醜い実態を次々と暴き、神に祝福された理想郷アメリカの歪んだ病理を描いて全米にセンセーションを巻き起こした。その『青春物語』で母親の再婚相手にレイプされて妊娠する貧困層の少女セレーナを演じ、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた名女優ホープ・ラングが、本作でサンディの母親役を演じているのは恐らく偶然ではないだろう。 実は自身も本作に出てくるような’50年代のサバービアで育ったリンチ監督。ある時彼は、桜の木から滲み出る樹液に無数の蟻が群がっている様子を発見し、美しい風景もよく目を凝らすとその下に必ず何かが隠れていることを悟ったという。恐らく彼は、物事の美しく取り繕われた表層に居心地の悪さを感じ、その裏側に隠された魑魅魍魎の世界に魅せられるのだろう。そういえば、純粋さと危うさが同居する主人公ジェフリーといい、厚化粧でクールを装ったドロシーといい、本作の登場人物は誰もが表の顔と裏の顔を併せ持つ。これは、そんなリンチ監督自身の潜在意識を具現化したシュールなダークファンタジーであり、ある意味で『ツイン・ピークス』の原型ともなった作品と言えよう。 見過ごせないディノ・デ・ラウレンティスの功績 また、本作はデヴィッド・リンチ作品に欠かせない作曲家アンジェロ・バダラメンティが初めて関わった作品でもある。当初は、クラブ歌手ドロシーを演じるイザベラ・ロッセリーニのサポートとして呼ばれたというバダラメンティ。というのも、プロの歌手ではないロッセリーニのレコーディングが難航し、困った製作者のフレッド・カルーソがボーカル指導に定評のある友人バダラメンティに助け舟を求めたのだ。これが上手くいったことから、カルーソはエンディング・テーマの作曲も彼に任せることに。リンチ監督自身はUKのドリームポップ・バンド、ディス・モータル・コイルのヒット曲「警告の歌(Song to the Siren)」を使いたがったのだが、著作権使用料が高すぎるという理由でディノ・デ・ラウレンティスが首を縦に振らず、ならば似たようなオリジナル曲を作ってしまおうということになったらしい。 それ自体は大して難題ではなかったものの、バダラメンティを悩ませたのはリンチ監督から渡された歌詞。韻文やリフレインなどの定型ルールを無視しているため、歌詞として全く成立していなかったのである。なんとか楽曲を完成させたバダラメンティに、リンチ監督は「天使のように囁く歌声」のボーカリストを希望。そこで彼は当時関わっていたステージの歌手ジュリー・クルーズに、誰か条件に合致する候補者はいないかと相談したという。そこで3~4人の歌手を紹介してもらったものの、どれもいまひとつだったらしい。すると、ジュリーが「私にトライさせて貰えない?」と言い出した。しかし、当時の彼女はエセル・マーマンのようにパワフルに歌いあげる熱唱型歌手。さすがにイメージと違い過ぎると考えたバダラメンティだったが、「天使のように囁く歌声」を徹底的に研究したジュリーは、見事に希望通りの歌唱を披露してくれたのである。 このテーマ曲「愛のミステリー(Mysteries of Love)」でリンチ監督の信頼を得たことから、バダラメンティは本編の音楽スコア全般も任されることとなり、これをきっかけにバダラメンティの音楽はリンチ作品に欠かせない要素となる。ジュリー・クルーズも引き続き『ツイン・ピークス』のテーマ曲に起用された。 そういえば、本作はリンチ監督と女優イザベラ・ロッセリーニが付き合うきっかけになった映画でもある。当初リンチはドロシー役にヘレン・ミレンを希望していたらしい。ある時、デ・ラウレンティスの経営するイタリアン・レストランへ行ったリンチは、そこでたまたま知人に遭遇したのだが、その知人の連れがロッセリーニだったという。ちょうど当時、彼女は映画『ホワイトナイツ/白夜』(’85)でヘレン・ミレンと共演したばかり。これは奇遇とばかりにヘレンを紹介してもらうことになったのだが、ロッセリーニ曰くその2日後にリンチ監督からドロシー役をオファーされたのだそうだ。当時『エレファント・マン』は見たことがあったものの、それ以外はあまりリンチ監督のことを知らなかった彼女は、前夫マーティン・スコセッシに相談したところ『イレイザーヘッド』を見るように勧められたという。それで彼の才能を確信して出演を決めたのだとか。で、これを機に私生活でも親密な関係になったというわけだ。 ちなみに、劇中でジェフリーが発見する切断された耳はシリコン製で、最初は特殊メイク担当ジェフ・グッドウィンが自分の耳で型取りしたものの、リンチ監督から「小さすぎる」と指摘されたことから、プロデューサーのフレッド・カルーソの耳をモデルにして製作したという。さらに、リンチ監督がトレーラーで散髪した際にその髪を集め、シリコン製の耳に貼り付けたとのこと。撮影では耳に蜂蜜を塗ったうえで草むらに置き、そこへ冷凍で仮死状態にした蟻をバラまき、気温で蟻が蘇生して動き出すまで待ってカメラを回したそうだ。また驚くべきは、クライマックスで銃殺されたフランクの頭から脳みそが飛び出すシーンで、本当に人間の脳みそを使用していること。リンチ監督の希望で西ドイツから取り寄せたらしい。 当初のオリジナルカットは3時間57分もあったらしいが、リンチ監督自身が再編集を施して2時間ちょうどに収まった本作。初号試写で「これを配給する会社はないだろう」と判断したディノ・デ・ラウレンティスは、本作のために新たな配給部門を立ち上げたという。さらに、ロサンゼルスのサンフェルナンド・ヴァレーで一般試写を行ったのだが、これが関係者も頭を抱えるほどの大不評で、アンケート用紙には監督への非難や罵詈雑言のコメントが並んだらしい。しかし、これに全くたじろがなかったのが、またもやディノ・デ・ラウレンティス。「彼らは何も分かっていない、これは素晴らしい映画だ、1フレームたりともカットするつもりはない」と作品を全面擁護し、「予定通りに公開する、批評家は絶対に気に入るだろうし、そうなれば観客だってついてくるさ」と予見したという。実際にその言葉通り、本作は最初こそ世間からブーイングを浴びたものの、やがて口コミで評判が広がって大ヒットを記録。リンチ監督はアカデミー賞監督賞にノミネートされ、現代ハリウッドを代表する鬼才とも評されることとなる。こうした『ブルーベルベット』の成功を振り返るにあたって、やはりディノ・デ・ラウレンティスの功績を忘れてはならないだろう。■ 『ブルーベルベット』© 1986 Orion Pictures Corporation. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ブルーベルベット
[R15相当]『ツイン・ピークス』のD・リンチ監督独特の世界が満喫できる、官能的なダークスリラー
カルトの帝王・リンチ監督一流の悪夢的なヴィジュアル表現と、悪夢そのもののような不条理なストーリー展開が堪能できる、初期の代表作。主演は、リンチ作品常連のカイル・マクラクラン。
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COLUMN/コラム2014.01.01
2014年1月のシネマ・ソムリエ
■1月11日『ザ・ローリング・ストーンズ・ア・ライト』 ロック通の巨匠M・スコセッシと、ザ・ローリング・ストーンズのコラボレーションが実現。2006年、ニューヨークのビーコン・シアターで行われたライブの記録映画だ。 『JFK』のロバート・リチャードソンなど、ハリウッドの一流撮影監督が多数参加。カメラ18台を駆使した見事なカット割りの映像で、ストーンズの熱い演奏を見せる。 バディ・ガイ、ジャック・ホワイトらのゲストを迎えたステージは臨場感満点。セットリストが直前まで届かずに苛立つスコセッシの姿を捉えたオープニングにも注目を。 ■1月18日『ブルーベルベット』 ハンサムな大学生ジェフリーが野原で人間の片耳を拾う。好奇心に駆られ、事件の関係者であるクラブ歌手ドロシーの自宅に侵入した彼は、そこで異常な光景を目撃する。鬼才D・リンチの世界的な名声を揺るぎないものにしたフィルムノワール。のどかな田舎町に潜む倒錯的な暴力とセックスを描き、賛否両論の大反響を呼び起こした。「この世は不思議なところだ」という劇中セリフに象徴される映像世界は、猟奇的かつ淫靡でありながら優雅でもある。変態のサディストを怪演したD・ホッパーも強烈! ■1月25日『アクロス・ザ・ユニバース』 ビートルズ・ナンバー33曲をフィーチャーした青春ミュージカル。ベトナム反戦運動に揺れる1960年代の米国を舞台に、若者たちの恋と挫折をドラマチックに描き出す。監督は独創的な舞台演出家でもあるJ・テイモア。サイケな視覚効果が圧巻の「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」など、名曲の数々を巧みに物語に融合した。美形女優E・R・ウッドらのキャストが見事な歌声を披露。登場人物にルーシー、ジュードといったビートルズの歌詞にちなんだ名前が付けられているのも要チェック。 『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』©2007 by SHINE A LIGHT, LLC and GRAND ENTERTAINMENT (ROW) LLC. All rights reserved./『ブルーベルベット』BLUE VELVET © 1986 STUDIOCANAL IMAGE. All Rights Reserved/『アクロス・ザ・ユニバース』© 2007 Revolution Studios Distribution Company, LLC. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ライブラリアン 伝説の秘宝
考古学オタクの知性派ヒーローが誕生!図書館員版『インディ・ジョーンズ』と呼ぶべき冒険活劇第1弾
『ER 緊急救命室』のノア・ワイリーが、本の虫で浮世離れした図書館司書という新感覚ヒーロー役で冒険劇を熱演。考古学の知識を活かした謎解きや秘境へのアドベンチャーは『インディ・ジョーンズ』を彷彿とさせる。