検索結果
-
PROGRAM/放送作品
ピラニア
[PG12相当]恐怖の生物兵器、凶暴なピラニアが人肉を食いつくす!大ヒットを記録した動物パニック映画
『グレムリン』のジョー・ダンテ監督の出世作。70年代動物パニック映画の流れに名を連ねる作品。かつて日活の女優で、後に渡米した筑波久子がチャコ・ヴァン・リューウェンという名前で製作に携わっている。
-
COLUMN/コラム2019.08.02
アルトマンとニューマンの共謀 『ビッグ・アメリカン』に於ける企て
本作『ビッグ・アメリカン』で、主演のポール・ニューマンが演じているのは、“バッファロー・ビル”。西部開拓史にその名を残す実在の人物で、セシル・B・デミル監督の『平原児』(1936)、ジョエル・マクリー主演の『西部の王者』(44)、ブロードウェイ・ミュージカルの映画化『アニーよ銃をとれ』(50)等々、黄金期のハリウッド製西部劇映画にも、度々登場してきた有名キャラクターである。 しかしながら世代によっては、その名を聞くと、『羊たちの沈黙』(1991)でテッド・レヴィンが演じた、猟奇連続殺人犯の方を先に思い浮かべてしまう向きも、決して少なくないであろう。この猟奇連続殺人犯は、「獲物の女性を捕らえて殺し、皮を剥ぐ」というその手口によって、“バッファロー・ビル”と名付けられた。 実在の“バッファロー・ビル”は、「バッファロー狩りの名手」として鳴らしたことからから、そう呼ばれるようになった男である。それが後々、「獲物の女性の皮を剥ぐ」殺人鬼のニックネームに冠せられるとは、まさか本人は、夢にも思わなかったに違いない。 それほどまでに高名な、“バッファロー・ビル”の本名は、ウィリアム・フレデリック・コーディ。アメリカ・メキシコ戦争が勃発した1846年生まれで、子どもの頃から乗馬と射撃が巧みであり、10代中盤には、馬を利用した速達便である、“ポニー・エクスプレス”の騎手として活躍したと言われる。 その後金鉱開発やインディアン討伐に関わり、南北戦争(1861~65)時には、北軍のスカウト=斥候に。 南北戦争が終結すると、ビルは先に挙げたように、バッファロー狩りの猟師となった。当時バッファローは、鉄道建設の邪魔ものであると同時に、労働者たちの貴重な食料。ビルは1年半の間に、何と4,000頭以上ものバッファローを仕留めたという。 そんな彼の勇名を高めたのは、本作ではバート・ランカスターが演じている、小説家ネッド・バントラインとの出会いだった。バントラインは、ビルの様々な経験談を盛り込んだ小説を書き、大ヒットとなる。 そしてビルは、「バッファロー狩りの名手」をはじめ、「ポニー・エクスプレスの花形」「インディアン討伐の勇者」などと謳われ、一躍「西部のヒーロー」となった。そんな経緯からわかる通り、ビルの前半生の「ヒーロー譚」については、バントラインによって盛られたところが多いのは、想像に難くない。 何はともかく、若くして名声を得た“バッファロー・ビル”。そんな彼の後半生=30代後半以降は、本作『ビッグ・アメリカン』で描かれる、「ワイルド・ウエスト・ショー」と共にあった。 「西部の荒野のリアルを見せる」という触れ込みの「ワイルド・ウエスト・ショー」をビルが思い付いたのは、バントラインの次の言葉だったという。 「東部へ、大平原やインディアンを運びたまえ」 1882年にネブラスカ州ノース・プラットで試演。翌83年にオマハで、正式に幕開けとなった。 内容的には、アニー・オークリーと、フランク・バトラーの夫婦(本作ではジェラルディン・チャップリンとジョン・コンシダインが演じる)による曲撃ちで幕を開け、続いて開拓者の生活、駅馬車の襲撃、第7騎兵隊の全滅、ロープの妙技などを披露していく。 座長の“バッファロー・ビル”の出番は、インディアンによる駅馬車襲撃のパート。ビルはそこに助けに駆けつける役として、颯爽と登場したという。 この「ワイルド・ウエスト・ショー」には、往年のガンマンであるワイルド・ビル・ヒコックやカラミティ・ジェーン、強盗団で西部を荒らした、元無法者のフランク・ジェームズやコール・ヤンガー、更には本作にも登場する通り、リトルビッグホーンの戦いで、カスター将軍率いる第7騎兵隊を全滅させた、スー族インディアンのシッティング・ブル等々、「西部の有名人」が出演。84年のシカゴ公演では1日4万人の観客を動員するなど、大いに人気を集めた。 86年には、ビルは240名のメンバーを率いてイギリスに渡り、ヴィクトリア女王の即位50年を記念する御前公演を実施。クライマックスの駅馬車襲撃では、ギリシャ、ベルギー、デンマークの各国王が乗客に扮し、イギリス皇太子が駅馬車台に座って、西部ムードを満喫したという。 更に89年には、フランス、スペイン、イタリアを巡演し、ローマ法王に拝謁。93年のシカゴ・ワールド・フェアでは、半年で600万人を動員。「ショー」は、全盛期を迎えた。 20世紀に入ると、その勢いは徐々に下火となっていったが、1913年に解散するまで、「ワイルド・ウエスト・ショー」は、30年の歴史を刻んだ。 「ショー」の解散に際しては、「私の胸は張り裂けるようだった」と記した、“バッファロー・ビル”。その4年後の1917年、70歳で生涯の幕を下ろした。 先に記した通り、相当に盛られていたことは間違いないが、“バッファロー・ビル”は、これだけドラマチックな人生を送ったことになっている。このような「西部のヒーロー」を取り上げて“映画化”する場合、かつてはアクションやロマンスを軸にした“娯楽映画”にするのが、王道であった。 しかし本作が製作・公開されたのは、1970年代中盤。アメリカ社会の欺瞞や虚飾を痛烈に暴く、“ニューシネマ”の潮流がギリギリ命脈を保っていた頃である。 そして監督はロバート・アルトマン、主演はポール・ニューマン。この時代にこの題材で、この監督にこの主演俳優である。真っ当な“英雄譚”などが、製作される筈がない。 ここに至るまでのアルトマンのキャリアで、ヒット作と言えば、『M★A★S★H マッシュ』(70)と『ナッシュビル』(75)。前者は朝鮮戦争を舞台にしながら、製作・公開時にアメリカが行っていた“大義なき戦い”=ベトナム戦争を、徹頭徹尾おちょくった内容である。後者も、カントリー&ウエスタンを扱った音楽映画を装いながら、アメリカという国家を批評的に描いた、野心作であった。 その他興行的には成功を収めたとは言えない、『BIRD★SHT バード★シット』(70)『ギャンブラー』(71)『ロング・グッドバイ』(73)といった、アルトマンの諸作を眺めれば、実在の「西部のヒーロー」などは、アメリカ開拓史のウラを暴くための道具立てに過ぎないに、決まっている。アルトマンはビルを、「捏造されたアメリカの英雄第1号」として描いた。 本作以前に、『ハスラー』(61)『動く標的』『暴力脱獄』(67) など、様々な“アンチ・ヒーロー”を十八番としてきたのが、主演のポール・ニューマン。彼が西部に実在した人物を演じるのは、『左きゝの拳銃』(58)のビリー・ザ・キッド、『明日に向って撃て!』(69)のブッチ・キャシディ、『ロイ・ビーン』(72)のタイトル・ロールに続いて、本作の“バッファロー・ビル”が4本目。それまでの3本と同様、いやそれまで以上に、本作では「西部」のレジェンドを、打ち壊しに掛かっている。 『ビッグ・アメリカン』に登場する“バッファロー・ビル”は、中身のないすぼらな嘘つきで、「作られた」神話に見合うようにと、背伸びをして生きているように描かれている。現実に“スーパースター”でありながら、虚飾に満ちたハリウッドから距離を置いたライフスタイルを取っていたニューマンにとっては、「願ったり叶ったり」と言える役どころであった。スターとしての存在感を意図的にへこませるようなこの役に関しては自分自身で、「ポール・ニューマンという映画スターを演じている」と、アルトマンに伝えたという。 そんなわけでアルトマン監督と主演のニューマンの想いは合致し、現場での息もぴったりに撮影は進んでいった。本作が公開される1976年は、アメリカが建国200年を迎える年。アルトマンとニューマンはその年の7月4日、正に200周年の記念日に本作を公開し、愛国的なお祭り騒ぎに、皮肉な一撃を加えることを目論んだ。 しかし彼らとは、想いをまったく異にする男が居た。プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスである。この頃のラウンレンティスは、見栄えばかりが仰々しい、『キングコング』(76)や『オルカ』(77)などの大作路線に走っていた頃。アルトマンの前作『ナッシュビル』(75)の大ヒットがきっかけとなり、本作に参加することになったのだが、撮影に当たっては、次のような注文を付けたという。 「心してアクションを満載にしてくださいよ。脚本を読んでもアクションがあまりない」 アルトマンはそれを受け入れるふりをして、もちろんやり過ごした。結局完成した映画を観て、ラウンレンティスは心底失望したという。 こうして、アルトマンとニューマンの思い通りの作品となった、『ビッグ・アメリカン』。世界三大映画祭のひとつ「第26回ベルリン国際映画祭」では金熊賞(グランプリ)を受賞するなど、高い評価を受けた。しかしアメリカ本国での批評家受けは芳しくなく、興行も「ポール・ニューマン史上最低」と、当時は言われるほどの不発に終わった。 因みに相性が抜群だったアルトマンとニューマンは、この3年後『クインテット』(79)という、近未来の氷河期を舞台にした作品で再びタッグを組む。『クインテット』は『ビッグ・アメリカン』以上に総スカンを食い、日本では遂に、劇場未公開に終わってしまった。 叛逆の映画人2人の、その性懲りのなさも、今となってはただただ素晴らしく思える。■
-
PROGRAM/放送作品
ビッグ・アメリカン
[PG12相当]西部開拓史の伝説のガンマンの真実とは?名匠ロバート・アルトマンの演出が光る西部劇
実在する西部開拓期のガンマン、バッファロー・ビルにまつわる伝説を、ロバート・アルトマン監督がシニカルな視点から見つめ直す。ポール・ニューマンが空虚な英雄ビルを熱演。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞。
-
COLUMN/コラム2019.07.25
主人公ラクエル・ウェルチの娘役(当時10歳の)ジョディ・フォスターにも注目!
『カンサス・シティの爆弾娘』(72年)は、ローラーダービーという70年代に流行ったスポーツのスター選手が主人公です。バンクのあるトラックをローラースケートで走り、敵チームの妨害をかわしてポイントを稼ぐゲームで、日本ではローラーゲームと呼ばれて、1972年頃、毎週TVで放送されて人気でした。日本のチーム名は「東京ボンバーズ」。キャプテンの佐々木ヨーコさんは大スターでした。 ローラーゲームは実はプロレスのようなものでした。つまりスポーツというよりショービジネス、筋書きがあるエンターテインメントでした。反則攻撃が売り物で、ベンチなどを使った凶器攻撃や、女の人同士が髪の毛を引っ張りあうキャットファイトに観客は熱狂しました。女性選手は体の線がはっきり見える服を着て、ちょっとエロチックな見世物の要素もありました。でも、本作が作られたころはアメリカ人も日本人も無邪気にこれが真剣勝負だと信じていて、それを前提にこの映画は作られています。 主演はラクエル・ウェルチ。あまりにも完璧なスタイルで60年代に世界中の男性をノックアウトしました。特に『恐竜100万年』(66年)での原始人ガールは衝撃で、『ショーシャンクの空に』にも出てきますね。こういうスタイルが良すぎる女性は、ゲイの男性からも人気があるんです。『カンサス・シティの爆弾娘』のシナリオを書いたバリー・サンドラーもそうでした。 サンドラーはUCLAの学生時代、とにかくラクエル・ウェルチが大好きで、彼女を主役にしたローラーゲームの映画が観たくて、自分で一所懸命シナリオを書いて、ラクエル・ウェルチさんの家まで持ってったんですよ。で、ウェルチさんが自分で映画会社に持ち込んで、映画化にこぎつけたんです。サンドラーはこれでハリウッド・デビューして、1982年に書いた『メーキング・ラブ』はハリウッドが始めて同性愛を真正面から描いた映画になりました。 僕が『カンサス・シティの爆弾娘』を観に行った理由は、ラクエル・ウェルチよりも、ジョディ・フォスターが出てるからなんですよ。ウェルチの娘役でね。僕はフォスターのファン世代なんです。そのころ、彼女が出ている映画は『タクシードライバー』から『ダウンタウン物語』、『白い家の少女』(すべて76年)まで片っ端から観てたので、『カンサス・シティの爆弾娘』にも子役で出ていると知って、名画座まで追っかけました。でも、ジョディは売れっ子になる数年前だから、ろくにアップもなかったですけどね(笑)。 この映画、ラクエル・ウェルチは「カンサス・シティの爆弾娘」と呼ばれているんですが、舞台はオレゴン州のポートランドなんですよね。いったんスターの座から落ちたヒロインが、どん底から再起していく、スポーツ物の定番です。共演はケヴィン・マッカーシー。『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56年)とか、昔の50年代のホラーSF映画によく出ていた俳優ですが、本作ではローラーゲームの大物プロモーター、W W Eのヴィンス・マクマホンみたいな経営者を演じていて、ヒロインと恋愛関係になります。監督がT V出身のジェロルド・フリードマンだからか、ちょっとメロドラマ風です。でも、ウェルチ様は権力のある男に屈することなく独りで闘う道を選びます。 ローラーダービーは70年代半ばには廃れましたが、21世紀に入ってから蘇りました。アメリカの女性たちが自主運営でリーグを作っていったのです。真剣勝負のスポーツとしてのローラーダービーを。それは『ローラーガールズ・ダイアリー』(09年)という映画になっていますから、この『カンサス・シティの爆弾娘』とぜひ、比べてみてください。■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●ウェルチはスケート・シーンのほとんどを自身で演じた。その訓練中に右の手首を負傷したため6週間撮影が中断。その間ウェルチはブダペストへ飛んで、リチャード・バートン主演の『青ひげ』(72 年)にカメオ出演した。●全米のトップ・スケーターはもとより、日本(当時日本で人気絶大だった“東京ボンバーズ”)とオーストラリアのチームも撮影に招かれた。●TVドラマの監督だったジェロルド・フリードマンの劇場映画監督デビュー作。●撮影監督は当初ヴィルモス・ジグモンドが担当するはずだった。●K・Cをいじめるジャッキー・バーデット役ヘレナ・カリアニオテスがゴールデン・グローブの最優秀助演女優賞を受賞した。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
-
PROGRAM/放送作品
インナースペース
スピルバーグ製作総指揮のSFアドベンチャー。「難しいこと一切抜き」の典型的80’sハリウッド娯楽作
ジョー・ダンテ監督が描くSFアドベンチャー・コメディ。主演は『 ドラゴンハート』のデニス・クエイド、その恋人役にメグ・ライアン。本作での共演後、2人は実生活でも結婚していた。
-
COLUMN/コラム2018.09.05
ロジャー・コーマン製作の『ジョーズ』亜流映画はバカの連鎖によって大惨事が引き起こされる痛快(?)ブラック・コメディ『ピラニア』
B級映画の帝王ロジャー・コーマンが弟ジーンと共に、'70年に設立したインディペンデント系映画会社ニューワールド・ピクチャーズ。'83年にコーマンがハリウッドの大物弁護士3人の合弁会社へ売却するまでの間、実に100本以上の低予算エンターテインメント映画を製作・配給した同社だが、その中でも興行的に最大のヒットを記録した作品がジョー・ダンテ監督の『ピラニア』('78)だった。 ニューワールド・ピクチャーズの基本方針といえば、言うまでもなく徹底したコストの削減である。人件費を浮かせるため撮影期間は最小限に抑えられ、キャストもギャラの安い無名の若手新人か落ちぶれたベテラン勢で固め、セットや衣装、大道具・小道具などは別の映画でも使い回しされた。時にはフィルムそのものを使い回すことも。さらに、リスクを取ることなく確実に当てるため、映画界のトレンドやブームには積極的に便乗。最初期の代表作『危ない看護婦』('72)シリーズは折からのソフトポルノ人気に着目しての企画だったし、ヨーロッパ産の女囚映画が当たり始めるとすかさず『残酷女刑務所』('71)や『残虐全裸女収容所』('72)などの女囚物をバンバン連発した。さらに、『バニシングIN 60”』('74)が大ヒットすれば『デスレース2000年』('75)や『バニシングIN TURBO』('76)を、『スター・ウォーズ』('77)がブームになれば『宇宙の七人』('80)や『スペース・レイダース』('83)を、『エイリアン』('79)が当たれば『ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星』('81)や『禁断の惑星エグザビア』('82)をといった具合に、時流のジャンルや大ヒット映画を臆面もなくパクるのがコーマン流の成功術だったわけだ。 なので、当時のロジャー・コーマンが折からの『ジョーズ』ブームに目を付けたのも当然と言えよう。'75年の6月に全米公開されたスティーブン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』('75)は、900万ドルの予算に対して4億7000万ドル以上を売り上げ、各映画会社が夏休みシーズンに目玉映画を公開するサマー・ブロックバスターの恒例行事を初めて確立し、自然界の生き物が人間を襲うという動物パニック映画のブームを巻き起こした。自然公園に出現したクマが人間を襲う『グリズリー』('76)、可愛い犬たちが集団で人間を襲撃する『ドッグ』('76)、さらにはオゾン層の破壊の影響で様々な動物が凶暴化する『アニマル大戦争』('77)などなど。ただ、『シャークジョーズ/人喰い鮫の逆襲』('76・旧テレビタイトル)と『オルカ』('77)、そしてイタリア産の巨大タコ映画『テンタクルズ』('78)の例外を除くと、『ジョーズ』の直接的な亜流に当たる水中生物系のパニック映画が量産されるようになるまでには少し時間がかかった。 そもそも、この『ピラニア』だって『ジョーズ』のヒットから3年も経って劇場公開されている。そのほか、鮫だけでなくワニやカマスや海洋モンスターなど、手を変え品を変えた一連の『ジョーズ』パクり映画群も、だいたい'78~'81年頃に集中して作られている。その理由の一つとして考えられるのは、陸上に比べると水中撮影は時間もコストもかかることであろう。また、『ジョーズ』のように撮影用の巨大な生物メカを製作するとなると、さらに費用がかかってしまう。懐に余裕のない独立系映画会社にとっては負担が大きい。しかし、多くのプロデューサーが『ジョーズ』の亜流映画製作に慎重となった最大の理由は、本家製作元のユニバーサルから訴えられることを恐れたためではないかと思われる。実際、あまりにもストーリーが『ジョーズ』と酷似したイタリア産の『ジョーズ・リターンズ』('81)は、案の定ユニバーサルから訴訟を起こされ、全米公開からたったの1か月で上映を差し止められている。それでも1800万ドルの興行収入を稼いだというのだから立派なものなのだが。 そういうわけで、巨大な鮫に対して小さいピラニアだったら、仮に訴えられても言い訳できるだろうと考えたロジャー・コーマン。ところが、当時『ジョーズ2』('78)を劇場公開したばかりだったユニバーサルは、著作権侵害を理由に『ピラニア』の公開差し止めを求めようと動いていた。うちの客を奪われちゃかなわん!ってことなのだろう。それを思いとどまらせたのが、なんとほかでもない本家『ジョーズ』の生みの親スピルバーグ監督だったと言われている。事前に『ピラニア』本編の完成版を見て気に入ったスピルバーグは、ジョー・ダンテ監督の腕前を高く評価していたらしいのだ。そのことをダンテ監督自身は、後にオムニバス映画『トワイライトゾーン/異次元の体験』('83)の監督の一人として、スピルバーグから声がかかるまで全く知らなかったらしい。その後、『グレムリン』('84)や『インナースペース』('87)などでもダンテと組むことになるスピルバーグだが、この頃から既に彼の才能に着目していたのである。 そんなスピルバーグをも認めさせた映画『ピラニア』の面白さとは、一言で言うなら「開き直りのパワー」であろうか。どうせ低予算のパクり映画なんだから、思い切って好きなことやって楽しんじゃおうぜ!という若いスタッフの情熱と意気込みが、スクリーンから溢れ出ているのである。先述したように、ロジャー・コーマンは徹底して予算を抑えた映画作りをしていたわけだが、その一方で経験が豊富とは言えない若いスタッフたちに積極的にチャンスを与え、クリエイティブ面でも彼らの意見を最大限に尊重し、その才能を後押しすることを惜しまなかった。まあ、それもまたコーマン流の人件費削減術(経験の浅いスタッフはギャラも安い)なのだが、結果的に多くの優秀な映画人が彼のもとから育ったわけだから全然オッケーでしょう。実際、ニューワールド作品からも、ロン・ハワードやジョナサン・デミ、ジョナサン・カプラン、ポール・バーテルなどの監督が巣立っていった。もちろん、『ピラニア』のジョー・ダンテもその一人だ。 もともと、ニューワールド作品の予告編編集マンとして腕を磨いてきたダンテ監督。『ハリウッド・ブルバード』('76)での共同監督を経て、初めて単独で演出を任されたのが『ピラニア』だった。当時のダンテ監督は31歳。脚本のジョン・セイルズは26歳だし、そのほか編集のマーク・ゴールドブラットやクリーチャー・デザインのフィル・ティペット、特殊効果担当のクリス・ウェイラスなど、後にオスカーを賑わせる豪華なスタッフたちも、みんな当時は20~30代のチャレンジ精神旺盛な若者だった。当初オファーされていたリック・ベイカーの推薦で、特殊メイク担当の代役に起用されたロブ・ボッティンなどは、まだ18歳の少年だったというのだから驚きだ。そんな彼らの、お金も経験もないけれどアイディアでは負けないぜ!という向上心と貪欲さが、本作の屋台骨をしっかり支えていると言えよう。 オープニングはテキサスの山奥の怪しげな施設。そこへ迷い込んだ10代男女のバックパッカーが、「あ!プールあるじゃん!まじラッキー!」とばかりに素っ裸になって飛び込み、案の定というかなんというか、水中に潜む正体不明の何かに殺されてしまう。で、そんな2人の行方を捜しにやって来た家出捜索人マギー(ヘザー・メンジーズ)は、飲んだくれの自然ガイド、ポール(ブラッドフォード・ディルマン)の案内で若者たちが足を延ばしたであろう例の施設へ。プールの水を抜けば何か分かるかもしれないと考えた2人は、彼らの様子を陰でうかがっていた科学者ホーク博士(ケヴィン・マッカーシー)が必死になって止めるのも聞かず…というか、なんかヤバいオッサンが出てきた!こんな××××は問答無用で倒すべし!とばかりに、博士を殴って気絶させてプールの排水蛇口をひねってしまう。近くの川へと流れ出るプールの水。しかし、そこには米軍がベトナム戦争の生物兵器として開発した獰猛なピラニアの大群が潜んでいたのだ…! というわけで、この映画、基本的に愚かでバカな連中が愚かでバカなことをやらかし続けた挙句、そのバカの連鎖によって大惨事が引き起こされるという痛快(?)なブラック・コメディなのである。冒頭のティーン男女然り、主人公のマギーとポール然り、ピラニアを遺伝子操作したホーク博士然り、さらには隠蔽工作をする米軍大佐(ブルース・ゴードン)やその片腕のメンジャーズ博士(バーバラ・スティール)、リゾート施設の悪徳経営者ガードナー(ディック・ミラー)といった憎まれ役に至るまで、みーんな後先のことなど深く考えずに間違った選択をしてしまう。しかも、誰一人として反省しない(笑)。その究極がクライマックスの無謀としか思えないピラニア撃退作戦ですよ。結局、人類にとって最大の害悪は人類そのもの。そんな大いなる皮肉をシニカルなユーモアで描いたジョン・セイルズの脚本は実に秀逸だ。 とはいえ、やはり最大の見どころはピラニアの大群が人間を襲う阿鼻叫喚のパニック・シーン。しかも、子供たちが楽しげに水遊びをするサマー・キャンプ、大勢の観光客で賑わう川べりのリゾート施設と、2か所でピラニアたちが派手に大暴れしてくれる。ここで才能を大いに発揮するのが、フィル・ティペットやクリス・ウェイラス、ロブ・ボッティンといった、'80年代以降のハリウッド映画を引っ張っていくことになる若き天才特撮マン&天才特殊メイクマンたちだ。人間を食い殺すピラニアたちは、いずれもゴム製のパペットに長い棒を通して、手元の引き金で口をパクパクさせるだけの単純な代物だが、絶妙なカメラアングルと細かな操作によってリアルに見せているし、後に『ターミネーター』シリーズで名を上げる編集者マーク・ゴールドプラットのスピーディで細かいカット割りがアナログ技術の粗を上手いこと隠している。子供だろうが女性だろうが容赦なく血祭りにあげていく大胆さも小気味いい。まさにやりたい放題。しかも、毎日上がってくる未編集フィルムをチェックしていたロジャー・コーマンが、唯一現場に要求したのは「もっと血糊を」だったというのだから、御大もよく分かっていらっしゃる(笑)。 水面に生首が浮かぶシーンには少々ギョッとさせられるが、実はこれ、ロブ・ボッティンが自分の頭部をモデルに製作したダミーヘッドだ。そういえば、前半の軍施設に登場するストップモーション・アニメのミニ・クリーチャーは、特撮映画の神様レイ・ハリーハウゼンの『地球へ2千万マイル』('57)に出てくる怪物イーマへのオマージュだし、劇中のテレビには『大怪獣出現』('57)のワンシーンも映し出される。そうした、ダンテ監督やスタッフの映画マニアっぷりを感じさせる小ネタを含め、そこかしこにお茶目な遊びが散りばめられているところも本作の大きな魅力だ。もしかすると、スピルバーグはそういったところに感じるものがあったのかもしれない。低予算のB級エンターテインメントとして良く出来ているのは勿論のこと、とにかく全編を通してすこぶる楽しいのだ。 かくして、興行収入1600万ドルのスマッシュ・ヒットを記録した『ピラニア』。3年後にはジェームズ・キャメロン監督による続編『殺人魚フライングキラー』('81)が作られ、さらにはオリジナルの特撮シーンを流用したテレビ版リメイク『ザ・ピラニア/殺戮生命体』('95)、フランスの鬼才アレクサンドル・アジャによる新たなリメイク『ピラニア3D』('10)とその続編『ピラニア リターンズ』('12)まで生まれるという、本家『ジョーズ』も顔負けのフランチャイズと化したことは、恐らくロジャー・コーマンもジョー・ダンテも想像していなかっただろう。これに関しては、もともとコーマンのもとへ企画を持ち込んだ元日活女優・筑波久子こと、チャコ・ヴァン・リューウェンの尽力によるものと言える。しかしそれにしても、本来『ジョーズ』のパクりである本作が、さらにイタリアで『キラーフィッシュ』('79)としてパクられたのだから、映画ビジネスの世界というのは面白い。 なお、本作を足掛かりにダンテ監督は人狼映画の傑作『ハウリング』('81)を成功させ、さらに先述した通りスピルバーグとのコラボレーションを経てハリウッドの売れっ子監督に。一方のコーマン御大率いるニューワールド・ピクチャーズは、太古の巨大魚が人間を襲う『ジュラシック・ジョーズ』('79)に海洋モンスター軍団が海辺の町を襲う『モンスター・パニック』('80)を製作。さらに、ニューワールド売却後にコーマンが新設した映画会社ニューホライズンズでも、トカゲ人間がハワイのリゾート地に現れる『彼女がトカゲに喰われたら』('87)なるポンコツ映画を作っている。◾️ © 1978 THE PACIFIC TRUST D.B.A. PIRANHA PRODUCTIONS. All Rights Reserved
-
PROGRAM/放送作品
カンサス・シティの爆弾娘【町山智浩撰】
町山智浩推薦。70年代に流行ったローラーゲームを描いたスポーツ映画。ラクエル・ウェルチが肉弾戦を熱演
町山智浩セレクトのレア映画を町山解説付きでお届け。70年代に大ブームを呼んだ肉弾ショースポーツ「ローラーゲーム」に人生賭ける女性のドラマを、当時最高のセクシー女優ラクエル・ウェルチが体当たりで演じる。
-
PROGRAM/放送作品
ピラニア(1978)
恐怖の生物兵器、凶暴なピラニアが人肉を食いつくす!!大ヒットを記録した動物パニック映画
『グレムリン』のジョー・ダンテ監督の出世作。70年代動物パニック映画の流れに名を連ねる作品。かつて日活の女優で、後に渡米した筑波久子がチャコ・ヴァン・リューウェンという名前で製作に携わっている。
-
PROGRAM/放送作品
ビッグ・アメリカン [PG-12]
[PG-12]西部開拓史に残る伝説のガンマンの真実とは?名匠ロバート・アルトマンの演出が光る西部劇
実在する西部開拓期のガンマン、バッファロー・ビルにまつわる伝説を、ロバート・アルトマン監督がシニカルな視点から見つめ直す。ポール・ニューマンが空虚な英雄ビルを熱演。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞。