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PROGRAM/放送作品
キングスマン
[R15+]英国紳士のスパイ組織が世界を守るために戦う!『キック・アス』の監督が放つ痛快アクション
『キック・アス』の原作者マーク・ミラーとマシュー・ヴォーン監督が再び組んだスパイアクション。英国紳士のスパイ組織にスカウトされた青年の成長と激闘を、名作スパイ映画へのオマージュとユーモア満載に描く。
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COLUMN/コラム2022.09.05
平凡な兵士の勇気と戦場の悪夢を全編ノンストップで描いた戦争映画大作『1917 命をかけた伝令』
サム・メンデス監督の祖父の記憶をヒントに生まれたストーリー 処女作『アメリカン・ビューティ』(’99)がオスカーの作品賞や監督賞など主要5部門を独占し、以降も『ロード・トゥ・パーディション』(’02)や『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(’08)などで賞レースを賑わせた名匠サム・メンデス。さらに、『007 スカイフォール』(’12)に『007 スペクター』(’15)と、立て続けに2本のジェームズ・ボンド映画をメガヒットさせたわけだが、しかしそれっきり撮りたいと思うような作品がなくなったという。どの脚本を読んでも、いまひとつ気に入らなかったメンデス監督。そんな折、プロデューサーのピッパ・ハリスから「それなら自分で脚本を書いてみたら?」と勧められ、真っ先に思い浮かんだのが、子供の頃より祖父から聞いていた第一次世界大戦の思い出話だったという。 サム・メンデス監督の祖父とは、トリニダード・トバゴ出身の作家アルフレッド・ヒューバート・メンデス。15歳でイギリスへ渡って教育を受けた祖父アルフレッドは、1917年に19歳で第一次世界大戦へ出征し、キングス・ロイヤル・ライフル連隊の第1大隊に配属されている。その任務は各指揮所に指示を伝える伝令役。身長163センチと非常に小柄だったため、敵に見つかることなく無人地帯を駆け抜けることが出来たらしい。その当時の様々な思い出話を、祖父の膝の上で聞いて育ったというメンデス監督。いずれは映画化したいと考えていたそうだが、今まさにそのタイミングが訪れたというわけだ。 ただし、それまで映画の脚本を手掛けたことがなかった彼は、自身が製作総指揮を務めたテレビシリーズ『ペニー・ドレッドフル 〜ナイトメア 血塗られた秘密〜』(‘14~’16)のスタッフライターだったクリスティ・ウィルソン=ケアンズに執筆協力を依頼。早くから彼女の才能を高く買っていたメンデスは、それまでにも幾度となく共同プロジェクトを準備していたが、しかし実現にまで至ったのは本作が初めてだった。メンデスが祖父から聞いた逸話の断片と、クリスティが膨大な資料の中から選んだ複数のエピソードを繋ぎ合わせ、ひとつの脚本にまとめあげたという。それがアカデミー賞10部門にノミネートされ、撮影賞など3部門に輝いた戦争映画『1917 命をかけた伝令』だった。 仲間の命を救うため戦場を駆け抜けた若者たち 時は1917年4月6日。フランスの西部戦線ではドイツ軍が後退し、連合国軍はこの機に乗じて総攻撃を仕掛けるつもりだったが、しかしこれはドイツ軍による巧妙な罠だった。航空写真によって、敵が秘かに待ち伏せしていることを確認したイギリス陸軍。明朝に突撃する予定のデヴォンシャー連隊第2大隊に一刻も早く伝えねばならないが、しかし肝心の電話線がドイツ軍によって切断されていた。そこで指揮官のエリンモア将軍(コリン・ファース)は、14.5キロ先の第2大隊へ伝令役を派遣することを決める。 この大役を任せられたのが若き下士官のスコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)。実際に指名されたのは、兄ジョセフ(リチャード・マッデン)が第2大隊に所属するブレイクで、スコフィールドは彼の親友であることから同行することになった。第2大隊の指揮官マッケンジー中佐(ベネディクト・カンバーバッチ)に作戦中止の命令を伝え、兵士1600名の命を救わねばならない。タイムリミットは明朝。そこかしこに遺体の散らばった無人地帯を乗り越え、いつどこで敵兵と遭遇するか分からない戦場を突き進むスコフィールドとブレイク。だが、そんな彼らの前に次々と過酷な試練や困難が待ち受ける…。 味方の部隊に重大な指令を伝えるため、2人の若い兵士が命がけで戦場を駆け抜けるという極めてシンプルなプロット。そんな彼らが行く先々で目の当たりにする光景や、敵味方を含めた人々との遭遇を通じて、あまりにも不条理であまりにも残酷な戦争の現実が、まるで悪夢のように描かれていく。ストーリーそのものはフィクションだが、そこに散りばめられた逸話の数々は、メンデス監督の祖父をはじめとする当事者たちの実体験に基づいているのだ。 第二次世界大戦に比べると、映画の題材となることの少ない第一次世界大戦。その理由のひとつは恐らく、悪の権化たるナチスや大日本帝国を倒すという人類共通の大義名分があった第二次世界大戦に対して、第一次世界大戦にはそうした純然たる悪が存在しなかったからなのだろう。しかし見方を変えれば、だからこそ戦争の愚かさがよりハッキリと浮き彫りになる。要するに、未来ある若者を戦地へ送り込んだ各国リーダーの罪深さ、それこそが第一次世界大戦における本質的な悪だったとも言えるのだ。 それゆえ、本作では敵のドイツ軍兵士も残虐非道な悪人などではなく、放り込まれた戦場での殺し合いに右往左往し、直面する死に恐れおののく平凡な人間として描かれる。「自分がたまたまイギリス人だから主人公も英国兵だけれど、実際はどこの国の兵士が主人公でも通用する物語だ」というメンデス監督。きっとイギリスだけではなく、ドイツにもフランスにもロシアにも、彼らのように仲間を救うため命をかける兵士たちがいたに違いない。この時代も国境も越えた揺るぎない普遍性こそが、この映画に備わった真の強みなのであろう。 細部まで計算し尽くされた疑似ワンカット演出 劇場公開時には、全編ワンカットの臨場感あふれる映像が大きな話題となった本作。観客に戦争を追体験させることで、人類の負の歴史を次世代へ語り継ぎたいと考えたメンデス監督と製作陣。そのために最も有効な手法と考えられたのが、カメラが最初から最後まで切れ目なく主人公と一緒に戦場を疾走するワンカット演出だったのである。ただし、実際は複数の長回しショットをつなぎ目が分からないように編集した疑似ワンカット。例えば、ドイツ軍塹壕の室内はスタジオセットだが、実は出口の直前で屋外セットのロケ映像に切り替わっている。また、スコフィールドが川へ飛び込んでからの映像も、激流に呑み込まれるシーンはラフティング施設で撮影されているが、滝に落ちてから先はティーズ川でロケされている(ちなみにロケ地は全てイギリス国内)。 とはいえ、シークエンスによっては10分~20分もノンストップでカメラを回さねばならず、なおかつ被写体を後ろから追ったかと思えば前方に回ったり、クロースアップのため接近したかと思えば引きのロングショットで背景を捉えたりと、カメラワークも流動的で非常に複雑。そればかりか、クレーンショットにステディカムショット、ジープやバイクを使った移動ショットなど、ひとつのシークエンスで幾つものカメラ技法を駆使している。そのため、撮影に際しては一連のカメラや役者の動きを具体的に細かく指示した図面を作成。それを基に入念なリハーサルを繰り返したという。 さらに、リハーサルでは移動やセリフにかかる時間も細かく記録し、それに合わせてセットの寸法サイズなどを決定。例えば冒頭の塹壕シーン。まずは何もない平地で役者とカメラを動かして何度もリハーサルを行い、シークエンス全体に必要な通路の長さや避難壕の広さを計算している。その際、ハプニングが起きる場所ごとに立ち位置をマーキング。それらの記録をベースにして、塹壕セットを建設したのだそうだ。もちろん、果樹園と農家のセットなども同様の方法で建設。そう、まるで100年以上もそこに建っているかのような生活感の漂う農家も、実は本作の撮影のため更地に作られたセットだったのである。 このようにして、まるで観客自身がその場に居合わせているような、臨場感と没入感のある映像を作り上げていったサム・メンデスと撮影監督のロジャー・ディーキンス。ただ、この手法には大きな弊害もあった。照明を使えなかったのである。なにしろ、カメラは絶え間なく移動しているうえ、縦横無尽に向きを変えるため、現場に余計な機材を置くとカメラに映り込んでしまう。それでも屋外シーンでは自然光を使えるが、問題は室内シーンと夜間シーンである。そのため、ドイツ軍塹壕の室内では懐中電灯を照明代わりに使用。また、戦火に見舞われた町エクーストを舞台にした夜間シーンでは、燃え盛る教会の炎(実は巨大照明が仕込まれている)と照明弾が暗闇を明るく照らしている。 このエク―ストの巨大セットがまた素晴らしい出来栄え!もともとは破壊される前の街並みを丸ごとセットとして建設。それを撮影のためにわざわざ壊したのだそうだ。なんとも贅沢な話である。しかも、ただ照明弾を打ち上げてセットを照らすのではなく、俳優やカメラの動きと調和するようにタイミングを計算して発射。その甲斐あって、まるで夢とも現実ともつかぬ幻想的で神秘的なシーンに仕上がっている。 さらに本作は、主人公スコフィールドとブレイクのキャスティングも良かった。観客がすんなりと感情移入できるよう、メンデス監督はあえて一般的な知名度の低い若手俳優を起用。スコフィールド役のジョージ・マッケイにブレイク役のディーン=チャールズ・チャップマンと、どちらも子役時代から活躍している優れた役者だが、しかし本作以前は決してメジャーな存在とは言えなかった。中でも、古風な顔立ちと素朴な佇まいのマッケイは、100年前の若者を演じるにはピッタリ。繊細で内向的な個性と少年のように無垢な表情が、ナイーブで実直なスコフィールドの苦悩と哀しみと勇気を見事に体現している。一方のチャップマンも鬼気迫るような大熱演を披露。ブレイクがドイツ兵に腹を刺され、段々と血の気が引いて顔が青ざめていくシーンは、メイクでも加工でもなく純然たる演技だというのだから驚く。 かくして、全編ワンカットという映像的な技巧に甘んずることも頼ることもなく、悪夢のような戦争の記憶を未来へと語り継ぐ力強い反戦映画を作り上げたサム・メンデス監督。’22年12月に全米封切り予定の次回作『Empire of Light』(’22)は、’80年代を舞台にした恋愛映画とのことだが、初めて単独でオリジナル脚本を手掛けているのは、恐らくこの『1917 命をかけた伝令』で培った経験と自信あってこそなのだろう。■ 『1917 命をかけた伝令』© 2019 Storyteller Distribution Co., LLC and NR 1917 Film Holdings LLC. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
キングスマン:ゴールデン・サークル
[PG12]強くて粋な英国紳士スパイが新たな敵に挑む!ユーモアも過激さもアップした痛快アクション続編
『キック・アス』のマシュー・ヴォーン監督が手がけた大ヒットスパイアクションの続編。キングスマンと組む米国人スパイ役のチャニング・テイタムや敵役ジュリアン・ムーアが加わり、エルトン・ジョンも怪演を披露。
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COLUMN/コラム2021.07.06
ABBAのエバーグリーンな名曲に彩られた大ヒット・ミュージカル映画『マンマ・ミーア!』
世界中のファンを虜にした4人組ABBAとは? スウェーデン出身の世界的なポップ・グループ、ABBAの名曲に乗せて綴られる、悲喜こもごもの母親と娘の愛情物語。クイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」やエルトン・ジョンの「ロケットマン」、エルヴィス・プレスリーの「オール・シュック・アップ」などなど、有名アーティストのヒット曲を散りばめたジュークボックス・ミュージカルは、’00年代以降のロンドンやニューヨークで一躍トレンドとなり、今やミュージカル界の定番ジャンルとして市民権を得た感があるが、その火付け役となったのが1999年4月にロンドンのウエスト・エンドで開幕したABBAのミュージカル「マンマ・ミーア!」だった。 ご存知、1970~’80年代初頭にかけて、文字通り世界中で一世風靡した男女4人組ABBA。代表曲「ダンシング・クイーン」や「ザ・ウィナー」などを筆頭に、数多くのキャッチーなポップ・ナンバーを各国のヒットチャートへ送り込み、’60年代のビートルズと比較されるほどの社会現象を巻き起こした。ソビエト連邦やポーランドなど、冷戦時代に鉄のカーテンの向こう側でもブームを呼んだ西側のポップスターは、後にも先にもABBAだけだろう。メンバーは全ての作詞・作曲・プロデュースと演奏を担当する男性メンバー、ビョルン・ウルヴァースとベニー・アンデション、そして卓越した歌唱力でボーカルを担当する女性メンバー、アグネッタ(正確な発音はアンニェッタ)・ファルツコッグとアンニ=フリッド・リングスタッド(愛称フリーダ)。アグネッタとビョルン、ベニーとフリーダがそれぞれカップルで、4人の名前の頭文字を並べてABBAと名付けられた。 メンバーはいずれもABBA結成以前から地元スウェーデンでは有名なスター。ベニーは’60年代に「スウェーデンのビートルズ」と呼ばれたスーパー・ロックバンド、ヘップスターズの中核メンバーで、ビョルンは人気フォークバンド、フーテナニー・シンガーズのリードボーカリストだった。お互いのバンドのライブツアー中に公演先で知り合い意気投合した彼らは、ソングライター・コンビとして様々なアーティストに楽曲を提供するようになる。一方、アグネッタは’67年に17歳でデビューし、当時としては珍しい作詞・作曲もこなす女性歌手としてナンバーワン・ヒットを次々と放った美少女アイドル、フリーダもスウェーデンの音楽番組で活躍する本格的なジャズ・シンガーだった。つまり、どちらも今で言うところのセレブカップルだったのである。 ただし、もともと彼らにはグループとして活動するという意思はなかった。’70年頃からお互いのプロジェクトで協力し合うようになった彼らは、1回きりのつもりで’72年に4人揃ってレコーディングしたシングルを発表。これが予想以上の好評を博したことから、後にクインシー・ジョーンズをして「世界屈指の商売人」と言わしめた所属レコード会社社長スティッグ・アンダーソンが、彼らをABBAとして世界へ売り出すことにしたのである。’74年にシングル「恋のウォータールー」がユーロビジョン・ソングコンテストで優勝したことを契機に人気は爆発。ボルボと並ぶスウェーデン最大の輸出品とも呼ばれ、音源の著作権管理する音楽事務所ポーラー・ミュージックおよびユニバーサル・ミュージクの公式発表によると、これまでに全世界で3億8500万枚のレコード・セールスを記録。’82年に活動を休止して40年近くが経つものの、いまだに年間100万枚以上を売り上げているという。 「マンマ・ミーア!」への長い道のり そんなABBAとミュージカルの関係は意外と古い。どちらも幼い頃から伝統的なスウェディッシュ・フォークに慣れ親しんで育ち、10代後半でビートルズやフィル・スペクター、ビーチボーイズに多大な影響を受けたビョルンとベニー。若い頃の彼らにとってミュージカルは時代遅れの文化に過ぎなかったが、そんな2人の認識を変えたのが’72年にスウェーデンでも上演されたロック・ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」(奇しくもマグダラのマリア役を演じたのはアグネッタ)だった。僕らもいつかはああいうミュージカルを作ってみたい。そう考えた彼らは、’77年に発表した5枚目のアルバム「ジ・アルバム」に“黄金の髪の少女”というミニ・ミュージカルを収録。やがて音楽的な成熟期を迎えたABBAは、’80年代に入るとアルバム「スーパー・トゥルーパー」や「ザ・ヴィジターズ」でトレンディなポップスの枠に収まらないミュージカル的な楽曲にも取り組んでいく。 一方その頃、「ジーザス・クライスト・スーパースター」や「エビータ」などのミュージカルで知られる脚本家ティム・ライスは、’70年代から温めてきた冷戦をテーマにした新作の企画を実現するため、当時「キャッツ」にかかりきりだった盟友アンドリュー・ロイド・ウェッバーに代わる作曲パートナーを探していた。そこで知人の音楽プロモーターから紹介されたのが、ABBAの活動に一区切りをつけてミュージカル制作に意欲を燃やしていたビョルンとベニー。この出会いから誕生したのが、全英チャート1位に輝く「アイ・ノー・ヒム・ソー・ウェル」や「ワン・ナイト・イン・バンコック」などの大ヒット曲を生んだ名作ミュージカル「チェス」だった。’86年から始まったロンドン公演もロングラン・ヒットとなり、ミュージカル・コンポーザーとして幸先の良いスタートを切ったかに思えたビョルンとベニーだったが、しかし演出や曲目を変えた’88年のブロードウェイ版がコケてしまう。今なおミュージカル・ファンの間で愛されている「チェス」だが、ビョルンとベニーにとっては少なからず悔いの残る結果となった。 その後、ビョルンとベニーはスウェーデンの国民的作家ヴィルヘルム・ムーベリの大河小説「移民」シリーズを舞台化したミュージカル「Kristina from Duvemåla(ドゥヴェモーラ出身のクリスティーナ)」を’95年に発表。本格的なスウェディッシュ・フォークを下敷きにしたこの作品は、地元スウェーデンでは大絶賛され、4年間に渡って上演されたものの、ロンドンやニューヨークでは英語バージョンがコンサート形式で演奏されたのみ。ミュージカルの本場への正式な上陸には至っていない。 こうして、ビョルンとベニーがミュージカル作家として地道に経験を積み重ねている頃、ABBAのヒット曲を基にしてミュージカルを作ろうと考える人物が現れる。それが、ティム・ライスのアシスタントだった女性ジュディ・クレイマーだ。もともとパンクキッズだったジュディは、ティム・ライスのもとで「チェス」の制作に携わったことから、それまで食わず嫌いだったABBAの音楽を聴いてたちまち夢中になる。そこで彼女は、’83年にフランスで放送されたABBAのテレビ用ミュージカル映画「Abbacadabra」を英語リメイクしようと思い立つ。そう、「マンマ・ミーア!」以前にアバのヒット曲を基にしたジュークボックス・ミュージカルが既に存在したのである。フレンチ・ミュージカルの傑作「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」の脚本家で、フランスにおけるABBAの著作権管理者でもあったアラン・ブーブリルが企画し、ビョルンとベニーの2人はノータッチだった「Abbacadabra」は予想以上の好評を博し、その年のクリスマスにはロンドンでの舞台公演も実現。しかし、ブーブリルの許可が下りなかったため、英語版テレビ映画リメイクの企画は頓挫してしまう。 こうなったら自分で新たなABBAのミュージカルをプロデュースするしかない。そう考えたジュディは、「チェス」を介して親しくなったビョルンとベニーを根気よく説得し、ようやく「良い脚本があれば反対しない」とのお墨付きを得る。そこで彼女は新進気鋭の戯曲家キャサリン・ジョンソンに声をかけ、共同でミュージカルの制作に取り掛かった。最初にジュディが決めたルールは、ビョルンが書いた原曲の歌詞を変えないこと、共通のテーマを見つけて物語を構築していくこと、そして有名無名に関係なくストーリー重視で楽曲を選ぶこと。さらに、当時イギリス演劇界で高い評価を得ていたフィリダ・ロイドを監督に抜擢したジュディは、フィリダを伴ってストックホルムのビョルンとベニーのもとをプレゼンに訪れ、遂にミュージカル「マンマ・ミーア!」のゴーサインを正式に得ることに成功したのだ。 先述した通り、1999年4月にロンドンで開幕した「マンマ・ミーア!」は、ウエスト・エンド史上7番目となるロングラン記録を更新中。新型コロナ禍のため’20年3月に上演中止となったものの、’21年8月より再開される予定だ。また、ニューヨークのブロードウェイでは’01年10月から’15年9月まで14年間に渡って上演され、ブロードウェイ史上9番目のロングランヒットを達成した。そのほか、日本や韓国、ドイツ、フランス、ブラジルなど世界50か国以上で翻訳上演されている。’92年に発売されたベスト盤「ABBA Gold」の大ヒットに端を発する、’90年代のABBAリバイバル・ブームも追い風となったのだろう。筆者もホテル「マンダレイ・ベイ」で行われたラスベガス公演を見たが、ステージと客席が一体となってABBAのヒット曲を大合唱するフィナーレは感動ものだった。 一流の豪華キャストが揃った映画版シリーズ もはや、21世紀を代表する名作ミュージカルの仲間入りを果たしたといっても過言ではない「マンマ・ミーア!」。映画化の企画が立ち上がるのも時間の問題だったと言えよう。監督にフィリダ・ロイド、製作にジュディ・クレイマー、脚色にキャサリン・ジョンソンと、舞台版の立役者たちが勢揃いした映画版『マンマ・ミーア!』(’08)。もちろんミュージカル・ナンバーのプロデュースはビョルンとベニーの2人が担当し、演奏にはABBAのレコーディングに携わったスタジオ・ミュージシャンたちも参加している。 物語の舞台はギリシャの風光明媚な小さい島。ここでホテルを経営する女性ドナ(メリル・ストリープ)は、女手ひとつで育てた娘ソフィ(アマンダ・サイフリッド)の結婚式を控えて大忙し。ところが、その結婚式の前日、招いた覚えのないドナの元カレ3人が島へとやって来る。アメリカ人の建築家サム(ピアース・ブロスナン)にイギリス人の銀行家ハリー(コリン・ファース)、そしてスウェーデン人の紀行作家ビル(ステラン・スカルスガルド)。実は、彼らを結婚式に招待したのはソフィだった。母親の日記を読んで3人の存在を知ったソフィは、彼らの中の誰かが自分の父親ではないかと考えたのである。予期せぬ事態に大わらわのドナ。果たして、3人の男性の中にソフィの父親はいるのだろうか…? シンプルでセンチメンタルで明朗快活なストーリーは、基本的に舞台版そのまま。それゆえに映画としての広がりに欠ける印象は否めないものの、その弱点を補って余りあるのが豪華キャスト陣による素晴らしいパフォーマンスと、誰もが一度聞いただけで口ずさめるABBAの名曲の数々であろう。中でも、メリル・ストリープの堂々たるミュージカル演技は見事なもの。オペラを学んだ下地やブロードウェイでミュージカルの経験もあることは知っていたが、しかしここまで歌える人だとは失礼ながら思わなかった。名曲「ザ・ウィナー」では、オリジナルのアグネッタにも引けを取らない熱唱を披露。親友役ジュリー・ウォルターズやクリスティーン・バランスキーとの相性も抜群だ。劇中に使用される楽曲も、ABBAの代表曲をほぼ網羅。舞台設定に合わせたギリシャ民謡風のアレンジもお洒落だ。 ちなみに、実はこの『マンマ・ミーア!』によく似た設定のハリウッド映画が存在する。それが、大女優ジーナ・ロロブリジーダ主演のロマンティック・コメディ『想い出よ、今晩は!』(’68)。こちらの舞台は南イタリアの美しい村。女手ひとつで娘を育てた女性カルラは、終戦20周年を記念する村のイベントを控えて気が気じゃない。というのも、かつて村に駐留していた米軍兵たちが招待されているのだが、その中に娘の父親である可能性の高い男性が3人もいたのだ…というお話。『マンマ・ミーア』と違って、こちらはドタバタのセックス・コメディなのだが、しかし南欧に暮らす母娘の前に3人の父親候補が現れるという基本設定はソックリ。キャサリン・ジョンソンとジュディ・クレイマーが本作を参考にしたのかは定かでないものの、単なる偶然とはちょっと考えにくいだろう。 閑話休題。全世界で6億5000万ドル近くを売り上げ、年間興行収入ランキングでも5位というメガヒットを記録した映画版『マンマ・ミーア!』。この予想以上の大成功を受けて製作されたのが、映画版オリジナル・ストーリーの続編『マンマ・ミーア!ヒア・ウィ・ゴー』(‘18)である。物語は前作から数年後。既に他界した母親ドナ(メリル・ストリープ)の念願だったホテルの改修工事を終えたソフィ(アマンダ・サイフリッド)は、リニューアル・オープン式典の準備に追われているが、その一方で遠く離れたニューヨークで仕事をする夫スカイ(ドミニク・クーパー)との仲はすれ違い気味。そんなソフィの迷いや葛藤と並行しながら、若き日のドナ(リリー・ジェームズ)と3人の恋人たちの青春ロマンスが描かれていく。 舞台版ミュージカルの映画化という出自が少なからず足枷となった前作に対し、新たに脚本を書きおろした本作は時間や空間の制約から解き放たれたこともあり、前作以上にミュージカル映画としての魅力を発揮している。しかも、今回はABBAファンに人気の高い隠れた名曲を中心にセレクトされており、これが驚くほどエモーショナルにストーリーの感動を高めてくれるのだ。どれをカットしてもシングルとして通用するようなアルバム作りをモットーとしていたABBA時代のビョルンとベニー。熱心なファンであればご存じの通り、ABBAはアルバム曲やB面ソングも珠玉の名曲がズラリと揃っている。さしずめ本作などはその証拠と言えるだろう。中でも、子供を出産したソフィと亡き母親ドナの精霊の想いが交差する「マイ・ラヴ、マイ・ライフ」は大号泣すること必至!改めてABBAの偉大さを実感させられる一本に仕上がっている。 なお、プロデューサーのジュディ・クレイマーによると、シリーズ3作目の企画が進行中とのこと。’21年内に発表される予定のABBAの39年振りとなる新曲も使用されるという。公開時期などまだ未定だが、期待して完成を待ちたい。■ 『マンマ・ミーア!』© 2008 Universal Studios. All Rights Reserved.『マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー』© 2018 Universal Studios. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ラブ・アクチュアリー
[PG-12]英国スターが夢の集結!クリスマス目前のロンドンを舞台に、9つの“愛”を描く群像ロマンス
『ブリジット・ジョーンズの日記』の脚本家リチャード・カーティスが初監督を務めた群像ラブロマンス。ヒュー・グラントら英国を代表するスターが勢揃いし、同時進行する9つの“愛”にまつわるエピソードを紡ぐ。
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COLUMN/コラム2014.06.03
映画の中のリゾートガイド
■『マンマ・ミーア!』 『マンマ・ミーア!』は、伝説のポップグループABBAの大ヒットナンバーでつづられた、最高にハートフルなミュージカル映画!結婚式を目前に控えた20歳の娘・ソフィと、メリル・ストリープ演じる母親のドナ、そして父親を名乗る3人の男性が繰り広げる騒動を描いた作品です。 舞台は、ギリシャの架空の小島・カロカイリ島。撮影の多くはエーゲ海に浮かぶ美しいリゾート地・スコペロス島で行われました。澄み切った海と白い砂、松やオリーブの木にいだかれたこの美しい島は、隠れ家的なリゾートとして、世界中の人々に愛されている場所。ソフィや婚約者のスカイたちが砂浜で激しく踊るシーン、ドナの親友・ターニャと島の若者のダンスシーンなど、美しい海辺の場面が撮られたのは、島の西側にあるカスタニビーチ。透明な海に浮かぶ印象的な桟橋は、撮影時に特別に作られたということです。ギリシャの青い空と海、そしてさんさんと降り注ぐ明るい太陽の下で繰り広げられる名シーンの数々は、見ているだけでハッピーな気分になれること請け合いです! ※『マンマ・ミーア!』桟橋シーン ※スコペロス島の風景 ▼「スコペロス島」プチ情報スコペロス島は、エーゲ海北西部のスポラデス諸島にあるギリシャの島。スコペロスはギリシャ語で「岩」の意味だが、肥沃な土地で緑も多く、アーモンドの産地として知られている。島内には350もの教会が点在している。 ▼アクセス方法日本からは、ヨーロッパの都市を経由してアテネへ向かい、国内線でスキアトス島へ。スキアトス島からスコペロス島へは船で1時間。(ほかに、ヨーロッパの都市からスキアトス島への直行便もある)ギリシャ中央に位置する港町・ヴォロスからスコペロス島へは船で2時間ほど。 ■『食べて、祈って、恋をして』 『食べて、祈って、恋をして』は、ジャーナリストとして活躍するヒロインが、離婚と失恋の後に、自分を見つめ直すために出かけた旅の日々を描いた作品です。 おいしい料理を堪能したイタリア、ヨガと瞑想に励んだインド…そしてジュリア・ロバーツ演じる主人公のリズが旅の最後に訪れたのが、「神々の島」と呼ばれるインドネシアのバリ島。彼女が過ごしたのが、バリ島の文化の中心地でもある山あいのリゾート地・ウブドです。ウブドでは稲作が盛んで、あちこちで青々とした美しいライステラス(棚田)を見ることができます。さらにはジュリアが颯爽と自転車で通り抜けるヤシの林、野生の猿が200匹も生息するという自然保護区「モンキーフォレスト」など、あふれる豊かな自然が人々を癒してくれるんです。パワフルなウブドの生活を肌で感じたければ、村のランドマーク、お土産や雑貨が揃う「パサール・ウブド」もはずせません! 見ているだけでリゾート地・バリ島の空気を満喫出来る、オススメの一本です! ※『食べて、祈って、恋をして』美しいライステラスシーン ※バリ島 ▼「ウブド」プチ情報ウブドは、バリ島中部にある古くからのリゾート地であり、バリ文化の中心地。ガムラン、バリ舞踊、バリ絵画、木彫り、石彫り、銀細工など、あらゆるバリの芸能・芸術を堪能出来る。豊かな自然でも知られ、素朴な田園風景や渓谷も大きな魅力。 ▼アクセス方法日本からはバリ島・デンパサール国際空港へ。空港から車で1時間。南部のリゾートエリアのクタまで車で1時間。さらにヌサドゥアから車で1時間半。 ■『黒いオルフェ』 『黒いオルフェ』は、ギリシャ神話の悲劇「オルフェウス伝説」を、現代のブラジルによみがえらせ、カンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた名作です。舞台は、今年2014年、サッカーワールドカップが開催される情熱の街・ブラジルのリオデジャネイロ。作品では、この地で行われる世界最大の真夏の祭典・リオのカーニバルを軸での出来事が描かれています。 カーニバルは世界各地で行われていますが、その中でリオのカーニバルはもっとも熱狂的といわれています。年に一回、2月から3月上旬、土曜日から火曜日にかけての4日間にわたって繰り広げられるこのカーニバルには、世界中から観光客が押し寄せます。お目当ては、ほかでは体験できないダイナミックな音楽とリズム、そして華やかな衣装であふれるパレード!この作品では、随所に実際のカーニバルの映像が使われ、サンバのリズムに合わせて歌い、踊る人々の熱気がスクリーンから伝わってきます。地球の裏側で行われる華麗なカーニバルの気分を楽しむにはもってこいの映画です。 ※『黒いオルフェ』リオのカーニバルシーン ※リオのカーニバル ▼「リオデジャネイロ」プチ情報リオ・デ・ジャネイロは、サン・パウロに次ぐブラジル第二の都市。華やかなカーニバル、ビーチリゾート、世界三大美港のひとつと言われるグアナバラ湾の景観などで知られる観光地。2014年のサッカーワールドカップ、2016年の夏季オリンピックの開催地にも選ばれた。 ▼アクセス方法日本からはアメリカやカナダ、ヨーロッパの都市を経由してリオデジャネイロ国際空港へ。所要時間は25〜30時間ほど。 ■『マレーナ』 『マレーナ』は、第二次大戦中のシチリア島を舞台に、悲劇的な運命をたどる女性・マレーナの生き様を、彼女に恋する少年の目を通して描いた人間ドラマです。撮影の多くが行われたのは、地中海のリゾート・シチリア島にあるシラクーサ。美しいリゾート地として知られると同時に、3000年以上の歴史を持つ古都の魅力も持ち合わせています。随所に見られるギリシャ・ローマ時代の遺跡の多くは、2005年、世界遺産にも登録されました。シラクーサは、大きな橋をはさんで、新市街と旧市街のオルティージャに分かれています。オルティージャは、町の発祥の地といわれ、石造りの建物が立ち並ぶ風情あふれる場所です。オルティージャの中心にあるのが、街のシンボル・ドゥオーモ広場です。バロック様式の荘厳なドゥオーモが見下ろすこの広場は、少年がモニカ・ベルッチ演じるマレーナの思い出を心に刻み付ける印象的な場所として登場します。ゆったりとした時間が流れるロマンチックなリゾート・シラクーサを、作品を通じて味わってみては? ※『マレーナ』のワンシーン ※シラクーサ ドゥオーモ広場 ▼「シラクーサ」プチ情報シラクーサは、イタリアのシチリア島南東部に位置する都市。古代ギリシャ時代にアテネと共に繁栄を誇ったと言われ、数学者アルキメデスの生地でもある。太宰治の『走れメロス』の舞台としても知られる。ギリシャ・ローマ時代の遺跡が数多く残り、世界遺産にも認定された。 ▼アクセス方法日本からはローマ、ミラノ経由でシチリア島のカターニャ空港へ。空港からシラクーサへはバスで1時間20分ほど。 ■『フレンチ・キス(1995)』 『フレンチ・キス(1995)』は、旅先で恋に落ちた婚約者を追いかけて、フランスをめぐるアメリカ人女性を描いたロマンチック・コメディです。メグ・ライアン演じる主人公・ケイトが、詐欺師のリュックと一緒に婚約者を追いかけた先は、南仏のカンヌ。国際映画祭が開催される街としても世界的に知られています。カンヌをふくむ地中海に面した一帯は「コート・ダジュール」=「紺碧海岸」と呼ばれ、その名の通り、紺碧の海に明るい太陽がふりそそぐ、ヨーロッパ随一のリゾート地!ケイトが大騒動を巻き起こすのが、カンヌの中心にそびえ立つセレブ御用達の豪華なリゾートホテル、インターコンチネンタル・カールトン・カンヌ。映画祭の開催期間中は著名な映画人がこぞって宿泊するとか。美しい建物とビーチ。その明るく開放的な空間が、ケイトとリュックの距離を急速に縮める大きな役割を果たしていると言えそうです。恋も実る憧れのリゾート、コート・ダジュール。あなたもぜひ一度、映画で体験してください。 ※『フレンチ・キス(1995)』様子を伺うメグ・ライアン ※コート・ダジュール ▼「カンヌ」プチ情報カンヌは、フランス南東部の地中海に面する都市のひとつ。もともとは小さな漁港だったが、今ではヨーロッパ有数のリゾート地として知られる。毎年5月のカンヌ国際映画祭の開催地として世界的に有名。 ▼アクセス方法日本からは、ヨーロッパの都市を経由してニース・コート・ダジュール国際空港へ。空港からカンヌへは車で1時間程度。 ■『太陽がいっぱい』 『太陽がいっぱい』は、アラン・ドロン演じる貧しい青年・トムが大富豪の放蕩息子・フィリップをねたんで犯罪を計画、彼になりすまして財産を奪おうと画策するサスペンス映画です。フィリップが住むというモンジベロは架空の町。撮影の多くは、ナポリ湾に浮かぶイスキア島で行われました。イスキア島は、青い海と輝く太陽、そしてリラックスを求める人々でにぎわう大人気のリゾート地です。この島に来たらはずせないのが、地中海の豊かな自然を満喫できるクルージング!トムとフィリップもヨットで美しい海へと繰り出しますが、眩しく明るい陽光と、その下で行われる恐ろしい犯罪が、見事な対比を生み出しています。魚市場の場面は、「ナポリを見て死ね」と言われるほど風光明媚な港町・ナポリで撮影されています。人々の活気と彩りに満ちた市場で、アラン・ドロンの持つ影と、憂いを帯びた美しさが際立つ名シーンが生まれました。スリリングな犯罪と一緒に味わう地中海の明るい大自然、いつもとひと味違うリゾート体験ができるのでは? ※『太陽がいっぱい』ヨットのワンシーン ※イスキア島 ▼「イスキア島」プチ情報イスキア島は、イタリア・ナポリ湾内で一番大きな島。火山活動で出来た島で、別名「緑の島」と呼ばれるほど自然が豊か。至る所にわく温泉でのんびりできるほか、ビーチも楽しめる人気のリゾート地。 ▼アクセス方法日本からは、ローマやミラノ経由でナポリ・カポディキーノ空港へ。ナポリ港からイスキア島へは高速船で50分ほど。 『マンマ・ミーア!』© 2008 Universal Studios. All Rights Reserved.『食べて、祈って、恋をして』© 2010 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.『黒いオルフェ』ORFEU NEGRO ©1959 Dispat Film. All Rights Reserved.『マレーナ』© 2000 Medusa Film spa—Roma『フレンチ・キス(1995)』FRENCH KISS ©1995 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved『太陽がいっぱい』© ROBERT ET RAYMOND HAKIM PRO. / Plaza Production International / Comstock Group
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PROGRAM/放送作品
オペレーション・ミンスミート ―ナチを欺いた死体―
ヒトラーを欺いた嘘のような実話!第二次世界大戦下で行われた奇想天外な作戦を描く頭脳派サスペンス 放送日:31
『恋におちたシェイクスピア』のジョン・マッデン監督が、ヒトラーを欺くために英国諜報部が実行した奇想天外な作戦の全貌を、熾烈な情報戦を交えて描き出す。コリン・ファースら英国実力派俳優の競演にも注目。
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COLUMN/コラム2013.11.29
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年12月】にしこ
クリスマスといえばこの映画。2003年の映画ですが既に「定番」と言えなくもない、そんなかわいらしい1本です。舞台はもうすぐクリスマスを迎えるロンドン。世代、立場が違う様々な人物が登場しますが、皆一様に小さくて大きな悩みを抱えています。夫の浮気に心を痛める妻、長年職場の同僚に片思いしている女性。妻を亡くし義理の息子の元気の無さにあたふたする父。そして恋と職務の間で悶々とする英国首相まで!!多彩な登場人物だれかしらに、観る人は感情移入できるはずです。観終わった後、自分の周りにある、ささやかな「LOVE」に気づかされる1本。外は寒くても心はホカホカに。ザ・シネマでは「ちょっといい映画を見るクリスマス」題し珠玉のクリスマス映画5本をお届けします。こちらも併せてお楽しみ下さい!! © 2003 Universal Studios. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
(吹)オペレーション・ミンスミート ―ナチを欺いた死体―
ヒトラーを欺いた嘘のような実話!第二次世界大戦下で行われた奇想天外な作戦を描く頭脳派サスペンス
『恋におちたシェイクスピア』のジョン・マッデン監督が、ヒトラーを欺くために英国諜報部が実行した奇想天外な作戦の全貌を、熾烈な情報戦を交えて描き出す。コリン・ファースら英国実力派俳優の競演にも注目。
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COLUMN/コラム2013.10.30
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年11月】招きネコ
スパイ小説の英国の巨匠、ジョン・ル・カレの傑作「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」の映画化作品。小説と映画原題は、スパイのコードネームです。 映画邦題の「裏切りのサーカス」の”サーカス”は、英国情報部(通称MI6)の隠語。東西冷戦下の苛烈なスパイ合戦を背景に組織に潜り込んだソ連の二重スパイをあぶり出す丁々発止の作戦が繰り広げられる。まあ、「裏切り者は誰だ!?」という話なのですが、よくあるドンパチ・エンターテイメント作品とは違い、二重三重に張り巡らせた伏線が次々に出現し、全神経を集中させる映画鑑賞の醍醐味を味わえます。この感覚、しばらく忘れていました。そして、キャストがまたすごい。クセ者、悪役をやらせたら最強のゲイリー・オールドマン、アカデミー賞俳優コリン・ファース、そして、今、大ブレイク中の「スタートレック イントゥ・ダークネス」のベネディクト・カンバーバッチ、他にも、トム・ハーディ、ジョン・ハートなど、英国の「味のある顔」見本市のような渋い演技派俳優が勢揃い。ものすごく画面密度が濃いです。私は見るたびに新しい発見がある映画が好きなので、二度三度見る価値のあるこの作品をオススメします。でも、とにかく集中第一なので、疲れた時は見ないでね。。 ©2011 KARLA FILMS LTD, PARADIS FILMS S.A.R.L. AND KINOWELT FILMPRODUKTION GMBH. ALL RIGHTS RESERVED.