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PROGRAM/放送作品
ハイランダー/悪魔の戦士
[PG-12]不老不死の戦士たちが時空を超えた戦いに挑む!クイーンの楽曲に乗せて描くSFアクション
首を切り落とされないと死なない不老不死の戦士の壮絶な運命と死闘を、スカイカムによる俯瞰撮影を多用してスケール満点に映し出す。クイーンが主題歌「A Kind Of Magic」など楽曲を提供している。
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COLUMN/コラム2024.04.10
ブライアン・デ・パルマ復活!ケヴィン・コスナーをスターに押し上げた“西部劇”『アンタッチャブル』
アメリカに禁酒法が敷かれていた、1920年代から30年代はじめ。悪名高きギャングのアル・カポネは、酒の密造と密輸で莫大な利益を上げ、シカゴで「影の市長」と呼ばれるほどの権勢を誇っていた。 警察や議会、裁判所までがカポネの影響下に置かれる中、孤独な戦いを始めた男が居た。財務省から派遣された若き捜査官、エリオット・ネスである。 ネスは意気盛んに、密造酒摘発に乗り出す。しかし配下の警官は買収されており、捜査情報の漏洩で、初陣は大失敗に終わる。 世間の失笑を買ったネスは、初老の警官マローンと偶然知り合う。彼が信頼に値する男だと見定めたネスは、カポネに対抗するためのチーム作りへの協力を依頼する。 躊躇するマローンだったが、ネスのまっすぐな正義感に打たれ、警官の本分を通すことを決意。 マローンの指導の下、新人警官のストーン、財務省から派遣された簿記係のウォレスという仲間を得たネスは、大掛かりな摘発を成功させる。早速カポネの側から買収や脅迫などが仕掛けられるが、ネスは断固はねのけるのだった。 賄賂や脅しに決して屈しない4人のチーム“アンタッチャブル”と、カポネの築いた帝国は、血で血を洗う戦いへと、突入していく…。 ***** 「アンタッチャブル」というタイトルは、元々は本のタイトル。その内容は、実在の財務省捜査官だったエリオット・ネスが、アル・カポネ逮捕までの顛末を語ったインタビューを元に、構成されたものである。 この本によると、ネスたち“アンタッチャブル”は、デスクワーク中心の捜査官。銃を撃ったなどという話は、登場しない。 ところがこれを原作にしたTVシリーズの「アンタッチャブル」(1959~63/全118話)では、事実を大幅に脚色。ロバート・スタック演じるネスは、FBIの捜査官とされ、彼とその部下が毎回のように銃撃戦に臨んでは、ギャングを射殺するシーンが登場した。このシリーズはアメリカだけではなく、日本でも大人気となり、70年代頃までは度々再放送が行われていた。 TVシリーズの制作から、時は流れて20年余。1980年代中盤になって、このTVシリーズの放映権を持っていたハリウッドメジャーのパラマウントが、自社の75周年を記念する企画として、「アンタッチャブル」の“映画化”に取り組むことを決めた。 担当となったのは、パラマウントの契約プロデューサーだった、アート・リンソン。しかし彼は、原作となったTVシリーズを見ていなかった。 そんな彼が脚本を依頼したのは、デヴィッド・マメット。映画の脚本は、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(81)『評決』(82)を担当。後者ではアカデミー賞にノミネートされている。それ以上に評価されていたのは、劇作家として。「アメリカン・バッファロー」(76)「グレンガリー・グレン・ロス」(84)などを手掛け、後者ではピューリッツァー賞やトニー賞を受賞している。「アンタッチャブル」のTVシリーズは、リアルタイムで見ていたというマメット。シカゴ育ちで故郷をこよなく愛し、また“禁酒法”の時代に関しては、「マニア」と自負するほど詳しかった。 マメットはリンソンと打ち合わせながら、脚本の執筆を始める。実在の“アンタッチャブル”のメンバーが10人だったのを、4人に絞るのは、TVシリーズに倣いながらも、2人は端から、TVの映画版にする気はなかった。「75周年作品」にも拘わらず、パラマウントは1,500万㌦という、当時としても“大作”とは言えない製作費しか提供しなかった。そんな状況でリンソンが監督として声を掛けたのは、スローモーションや長回し、360度回転カメラ等々、技巧を凝らした映像美で熱狂的なファンを持っていた、ブライアン・デ・パルマ。 サイコサスペンスの『キャリー』(76)『殺しのドレス』(80)、ギャング映画の『スカーフェイス』(83)などではヒットを飛ばしたデ・パルマだが、その頃はちょうどキャリアの曲がり角。敬愛するヒッチコックにオマージュを捧げた『ボディ・ダブル』(84)、初のコメディに挑戦した 『Wise Guys』(86/日本では劇場未公開)が続けて大コケしたため、メジャーヒットを欲していた。 そんなデ・パルマが本作『アンタッチャブル』(87)の監督を引き受ける決め手となったのは、マメットが8か月掛けて書いた、その時点では第3稿となる脚本。これまで自分が手掛けてきた作品と違って、例えばジョン・フォード作品のような「伝統的なアメリカ映画の流れ」を汲んでいると感じたのである。 デ・パルマはこの作品を、“ギャング映画”ではなく、『荒野の七人』のような“西部劇”だと捉えた。実際マメットは、「老いたガンファイターと若いガンファイターの物語」としてストーリーを組み立てたと語っている。「神話的なアメリカのヒーローにまつわるスケールの大きな話」。これがプロデューサーのリンソン、脚本のマメット、監督のデ・パルマの間で一致した、本作の方向性となった。 主役のエリオット・ネスは、かつてなら、ゲーリー・クーパー、ジェームズ・スチュアート、ヘンリー・フォンダが演じたような役柄。望まれるのは、理想主義と強さを合わせ持つ、良い意味でクラシックな個性だった。 まずメル・ギブソンの名前が挙がったが、『リーサル・ウェポン』(87)の撮影が重なっていた。続いてウィリアム・ハートやハリスン・フォードなど、当時の売れっ子俳優が候補となった。 しかし、予算が折り合わない。そこで浮上したのが、売り出し中ではあったが、かなり知名度が落ちる、ケヴィン・コスナーだった。 コスナーの起用に懐疑的だったデ・パルマは、監督仲間のローレンス・カスダンとスティーヴン・スピルバーグに相談したという。 カスダンは、『再会の時』(83)でコスナーを起用しながらも、上映時間の関係で彼の出番を全カット。その後西部劇『シルバラード』(85)で正義のガンマンの役を与えている。スピルバーグは、プロデュースしたTVシリーズ「世にも不思議なアメージングストーリー」(85~87)の中で、自分が監督した一編で、コスナーを主役にしている。「彼はクリーンかつ素直で将来性がある」2人の監督のコスナーに対する評価は、まったく同じもので、デ・パルマもコスナー抜擢の踏ん切りがついた。 ネスの仲間のキャスティングも、重要だった。カポネを脱税で摘発することを提案する経理のエキスパート、ウォレス役には、『アメリカン・グラフィティ』(73)で知られた、チャールズ・マーティン・スミス。彼はこの「真面目でおかしな男」を、「漫画チックにしてはならない」と、肝に銘じながら演じたという。 アンディ・ガルシアは当初、カポネの用心棒で殺し屋のフランク・二ティ役の候補だった。しかし本人の希望もあって、新人警官ストーンのセリフを読んだらハマったため、“正義”の側に身を置くこととなった。 さてベテラン警官のマローンである。何とか“大作”の装いにしたいと考えたデ・パルマは、かねてからファンだった、元祖ジェームズ・ボンド俳優のショーン・コネリーにオファーした。「初めて脚本を読んだ時は“まるで天の啓示”のように感じた…」という、当時50代後半のコネリー。コスナーとの組み合わせは、まさに「老いたガンファイターと若いガンファイター」であった。 コネリーに対して、「いつも遠くから彼の仕事は素晴らしいと思っていた」コスナーは、この共演について、「プロの俳優としての、そして個人としての彼のスタイルには影響されたし、そこから学ぶこともあった」と語っている。まさに役の上での、ネスとマローンの関係に重なる。コスナーにとってコネリーは「特別な人」となり、後に自らの主演作『ロビン・フッド』(91)に、特別出演してもらっている。 コスナーはメソッド式で、ネスの役作りを行ったという。カポネについて、あらゆる文献を読み漁り、財務省関係、FBIなどで実際にネスを知っていた人々から話を聞いた。その中には実際の“アンタッチャブル”の、その時点でただ一人の生存者も含まれている。 ただマメットが、ネスのタフガイのイメージを和らげようと、守るべき愛する家族を持つ男としたことに関しては、役作りは容易だった。コスナーには当時、3歳と1歳の子どもがいたからである。 本当はデスクワークが似合う男なのに、成り行きで深みにはまっていく。シカゴの暗黒街の現実を知るにつれ、段々とタフになっていく。コスナーの役作りで、そんなエリオット・ネス像が出来上がっていった。それはデ・パルマによるネスのイメージ、「下水に落ちた白い騎士」と、正に合致していた。 「白い騎士」に対抗して、“悪”を体現するアル・カポネ役に、デ・パルマが切望したのは、ロバート・デ・ニーロだった。1960年代末、無名時代の2人は何度も組んでいたが、それから15年以上。アカデミー賞を2度受賞して、すでに名優の誉れ高かったデ・ニーロを起用するには、僅か2週間の拘束で、製作費の1割に当たる150万㌦も払わなければならなかった。 デ・パルマは、渋る映画会社の重役たちに、己の降板まで仄めかして起用を承諾させた。しかしデ・ニーロ本人から、なかなか出演のOKが届かない。 宙ぶらりんの状態でデ・パルマが頼ったのが、ボブ・ホスキンス。『モナリザ』(86)の演技で、カンヌ国際映画祭やゴールデングローブ賞で俳優賞を受賞して波に乗っていた彼にデ・パルマは、「もしデ・ニーロがやらなかったら、やってくれるか?」と、失礼を承知でオファーを行ったのである。 結局デ・ニーロが出演に応じ、デ・パルマはホスキンスに謝罪の電話を入れることとなった。数週間後、ホスキンスには詫び料として、20万㌦の小切手が届いたという。 正式な契約の日に、デ・ニーロに初めて会ったアート・リンソンは、酷いショックを受けた。出演していたブロードウェイの舞台の出で立ちで現れたデ・ニーロが、「七十キロもなくて、ポニーテイルをしている上に、三十歳ぐらいにしか見えない」状態で、ろくに口をききもしなかったのだ。カポネは太っていて四十歳、騒々しい男なのに…。 リンソンはデ・パルマを罵った。「あんな奴のためにボブ・ホスキンスを断ったなんて!もうおしまいだ」 そんなリンソンをデ・パルマはなだめながら、太鼓判を押した。次に会う時のデ・ニーロは、別人のようになっていると。 それから5週間。現れたデ・ニーロは、すっかり変わっていた。彼は契約後、すぐにイタリアに飛び、そこでパスタやポテトやピザ、ビール、牛乳を詰め込んで11㌔増量。更にカポネの出身地、ナポリ風のアクセントを身に着けて帰ってきたのだ。いわゆる“デ・ニーロアプローチ”だ。 更には古いニュースを見て、本物のカポネそっくりの声と動作、癖を身に付けた。外見的にも、髪の生え際を剃ることで、カポネの月のように丸い顔を作り上げた上、撮影中はローマから来たメイクアップ・アーティストが毎日3時間掛けて、顔の左側にカポネの有名な古傷を再現。更にはボディ・スーツを着込むことで、万全を期した。 本作の衣裳は、ジョルジョ・アルマーニが担当したが、デ・ニーロはリトル・イタリーの洋服屋に頼み、もっと本物らしくリメイク。更には画面には映らないにも拘わらず、絹の下着を、カポネが注文していた店に発注。それに加えて、カポネ愛用ブランドの葉巻や靴も手に入れた。 リンソンは、これらの経費の請求書に肝を冷やしながらも、デ・ニーロの役作りに関しては、不安を抱くことはなくなっていった。 本作のクランクインは、1986年の8月上旬。13週間の撮影で、使用されたロケ地は25以上。その多くが30年代前半には、カポネ行きつけの場所だったという。 クライマックスで、カポネの脱税の証拠である、帳簿係を拘束するための銃撃戦が撮影されたのは、シカゴのユニオン駅。20人のスタッフが2週間掛けて準備を行い、照明のために、電力会社が一時的に駅への電気の供給を増やした。 ここでデ・パルマは、映画史に残る『戦艦ポチョムキン』(1925)の“オデッサの階段”を引用。赤ん坊の乗ったベビーカーが階段を滑り落ちていく中で、激しい銃撃戦をデ・パルマの十八番、スローモーションで捉える。 実はこのシーンは、本作が“大作”の装いながら、製作費が抑えられたための、“代案”だった。本来は、列車に乗った帳簿係を車で追った上に、列車に乗り移って銃撃戦が繰り広げられる筈だったのが、予算の都合で実現不可能。代わりに撮られたこのシーンが、結果的にデ・パルマらしさが横溢する、本作を代表する名シーンとなったのである。 新旧問わずデ・パルマ作品には、“映像美”に走る反面、ストーリーがおざなりになる傾向がある。しかし本作は、マメットのストレート且つ説得力のある脚本によって、そうした欠点を解消。更には、デ・パルマが以前から仕事をしたかったという、エンニオ・モリコーネ作曲のスコアも素晴らしい響きを見せ、1987年に作られた“西部劇”としては、これ以上にない仕上がりとなった。 当初予定されていた製作費1,500万㌦はオーバーして、2,400万㌦が費やされたが、87年6月に公開されると、北米だけで7,500万㌦を稼ぎ出した。その秋に公開された日本でも、配給収入が18億円に達する大ヒットとなった。 アカデミー賞では、ショーン・コネリーに助演男優賞が贈られた。そしてケヴィン・コスナーはこの後、『フィールド・オブ・ドリームス』(89)『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)『JFK』(91)『ボディガード』(92)等々、ヒット作・話題作への出演が続く。特にプロデューサーと監督を兼ねた『ダンス・ウィズ…』では、アカデミー賞作品賞と監督賞の獲得に至り、大スターの地位を手にした。 監督のデ・パルマは、本作のヒットでせっかく取り戻した“信用”を、続く『カジュアリティーズ』(89)『虚栄のかがり火』(90)両作の大コケで無化する。次に復活するのは、やはり人気TVドラマシリーズを、オリジンを軽視して映画化するという、本作のパターンを踏襲した、『ミッション:インポッシブル』(96)となる。■ 『アンタッチャブル』™ & Copyright © 2024 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
アンタッチャブル
[PG12]暗黒街の帝王に立ち向かった勇気ある男たち──正義の戦いを記録した人気TVシリーズの映画版
1960年代の人気TVシリーズを鬼才ブライアン・デ・パルマ監督が映画化。渾身の役作りでアル・カポネに成りきったロバート・デ・ニーロの演技が圧巻。ショーン・コネリーがアカデミー助演男優賞を受賞。
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COLUMN/コラム2021.08.11
2021年の今だからこそ観るべき“戦争巨篇”『遠すぎた橋』
1977年の夏休み、中1の私が公開を待ち望んでいた作品があった。それが本作『遠すぎた橋』である。 その年の春頃から、配給元が大々的にプロモーションを展開。ジョン・アディスンによる、いかにも戦争大作のテーマといった風情の勇壮なマーチも、ラジオ番組などで頻繁に耳にしていた。「史上空前の製作費90億円」「世界の14大スーパースターが結集」「すべてが超弩級。壮大な歴史を舞台にした戦争巨篇」 数々のきらびやかな惹句に、映画少年になりたての私の心はワシづかみにされた。また当時としては珍しく、B5判のチラシが3種類も作られて映画館などで配布されていたのも、本作の“超大作”感を際立たせた。 そうしたチラシなどに記された、本作で取り上げられるオペレーションの説明も、興奮を高めた。 ~〔マーケット・ガーデン作戦〕それは、連合軍、最大の、空陸大作戦。規模において、壮絶さにおいて、[ノルマンディ作戦]を遥かに凌ぐという。その厖大な史実が、いま白日のもとに~ [ノルマンディ作戦]と言えば、映画ファン的には、『史上最大の作戦』(62)である。あれを凌ぐとは、どれほどのものなのだろうか? 日本版のチラシやポスターでは、「14大スター」の中でも強く押し出されていたのが、ロバート・レッドフォード。『明日に向って撃て!』(69)でスターダムにのし上がって以降、70年代は『追憶』(73)『スティング』(73)『大統領の陰謀』(76)等々の話題作に次々と出演し、押しも押されぬ大スターとして、日本でも絶大な人気を誇っていた。 さて7月に公開されると、本作はその夏の映画興行では本命作品だった、『エクソシスト2』や『ザ・ディープ』などを上回る成績を上げた。配給収入にして、19億9000万円。興収に直せば40億円前後という辺りで、文句なしの大ヒットであった。 しかし私を含め、当時実際にスクリーンで本作に対峙した者たちは、一様に同じような違和感を抱いた。何か、思っていた戦争映画とは、違う…。 *** 第2次世界大戦のヨーロッパ戦線。ノルマンディ上陸作戦の成功で、連合軍の優勢へと、戦況は大きく傾いた。その3か月後の1944年9月、イギリスの最高司令官モントゴメリー元帥が中心になって、ドイツが占領するオランダを舞台にした、「マーケット・ガーデン作戦」の実行を決定する。 それは5,000機の戦闘機、爆撃機、輸送機、2,500機のグライダー、戦車はじめ2万の車輛、30個の部隊、12万の兵士を動員するという、史上空前の大作戦。ネーデル・ライン川にかかるアーンエム橋を突破して、一気にヒトラー率いるドイツの首都ベルリンまでの進撃路を切り開こうという目的だった。 モントゴメリーの命を受けた、イギリスのブラウニング中将から作戦の説明を受けた、連合軍の司令官たちは、戸惑いの表情を見せる。歴戦の勇士である彼らには、その作戦が無謀で危険なものであることが、わかったのである。 レジスタンスと連携して得た情報から、この作戦に疑義を示す声などももたらされた。しかしそれは無視され、作戦は決行される。 9月17日の日曜日、巨大な編成の輸送機が空を埋め尽くし、夥しい数の落下傘が、アーンエム近郊に降下。ベルギーからは無数の戦車が列をなして、アーンエムへと北上していく。「マーケット・ガーデン作戦」が、遂に始まったが…。 *** 先に記した通り本作は間違いなく、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線での、連合軍最大の空陸大作戦を描き、その厖大な史実を白日のもとに晒す内容であった。しかしそれは失敗した作戦、即ち連合軍の“負け戦”を描いたものだったのだ。 原題「A BRIDGE TOO FAR」をほぼ直訳した邦題である、『遠すぎた橋』。これは作戦が目標としたアーンエム橋が、連合軍にとっては「遠すぎた」という、かなりストレートに、本作の内容を表している。 勇猛果敢な兵士たちの活躍を描くような、スポーティなノリの戦争映画を期待していると、もろにハズされる。プロモーションにある意味騙されて映画館に足を運んだ我々は、完全にそんな感じだった 大々的に“主演”と謳われていた、レッドフォードにも吃驚させられた。175分という上映時間の中で、作戦を決行する見せ場ではあったものの、彼が実際に登場するのは、たった十数分間だけだったのだ。 レッドフォードのギャラが「6億円」であるのをはじめ、14大スターの高額ギャラも話題だった本作。製作費90億円で3時間近い長尺であることが、「高すぎた橋」「長すぎた橋」などと、やがて揶揄の対象にもなっていった。 中1の自分にとっては、「期待はずれの戦争大作」だった『遠すぎた橋』。しかしそれから44年経った今年=2021年の夏に、久々に鑑賞すると、別の感慨が湧き上がってきた。その詳しい内容は後に回して、先に本作の成り立ちについて、記したい。 「90億円」を調達して本作を実現したプロデューサーは、ジョゼフ・E・レヴィン。映画業界に於いて大々的な宣伝手法を確立した人物であり、『卒業』(67)や『冬のライオン』(68)などで知られる、アメリカ人プロデューサーである。 本作の監督リチャード・アッテンボローによると、彼の初監督作である『素晴らしき戦争』(69)を、レヴィンがわざわざロンドンまで観に来て激賞したことから、縁が出来た。そしてレヴィンは、「史上最大の作戦」の原作や「ヒトラー最後の戦闘」など、第2次世界大戦の戦史に関する作品で知られるジャーナリスト、コーネリアス・ライアンが1974年に上梓した「遥かなる橋」を映画化するに当たって、アッテンボローに白羽の矢を立てる。「マーケット・ガーデン作戦」について行った膨大な取材をまとめ、邦訳にして上下巻合わせて600頁近くに上る「遥かなる橋」を読んだアッテンボローは、そのスケールが大きすぎるため、まずこんな疑問を抱いたという。本当に映画化できるのか? 作戦の詳細が複雑すぎるのも、悩ましかった。上空から地上、東から西へと、作戦の舞台が頻繁に変わっていく。観客にわかるように作るには、どうすれば良いのか? そこで思い付いたのは、シーンと登場人物を結び付けることだった。例えば橋を陥落するための決死の渡河作戦のシーンの主人公は、レッドフォードが演じるクック少佐、敵弾に倒れた上官の命を救うために、ジープで敵陣を突破するシーンは、ジェームズ・カーンのドーハン軍曹といった具合に。そうすることで観客は、登場人物と共にその場面を即座に思い出すことが可能になり、話の展開を理解できるようになるというわけだ。 因みに本作の脚本は、ウィリアム・ゴールドマン。『明日に向って撃て!』と『大統領の陰謀』で、2度アカデミー賞を受賞している彼は、本作執筆に当たって、まずは原作のエピソードを、アメリカ、イギリス、ドイツと国別に分類して整理。小さな紙きれを用意して、関係各国の状況や出来事を、事細かに書き込んでいった。 そうした上で、ここはジーン・ハックマン演じる、ポーランドのソサボフスキー中将の出番だなとなったら、ポーランドの欄に目をやり、使う話を選ぶ。そうやって、史実に基づいた内容を盛り込んでいった。 ゴールドマンはこの作業を繰り返して、膨大な原作を解体・再構成。脚本を書き上げたのである。 因みにシーンと登場人物を結び付けて観客に理解させるためにも不可欠だった、大スターたちの出演交渉は、主にアッテンボローの担当だったという。大金を持って、何人ものスターの元を訪れた。脚本家のゴールドマン言うところの「爆撃」を以て、ショーン・コネリーやマイケル・ケイン、ダーク・ボガート等々を、次々と陥落した。 しかしアッテンボローは、俳優として『大脱走』(63)『砲艦サンパブロ』(66)で共演し、親しくしていたスティーヴ・マックィーンの出演交渉には、失敗。彼がギャラを「9億円」要求したため、折り合いがつかなかったと言われる。結局マックィーンの代わりに出演が決まったのは、「6億円」のレッドフォードだった…。 撮影現場にリアリティーをもたらすためには、アッテンボローは、演技ではない“本物”が必要と考えた。そこで彼は、100名のイギリス人若手俳優たちに、クランクイン前の数週間、訓練を施すことにした。 それは、お茶の飲み方から銃器の取り扱いまで、兵士らしい立ち居振る舞いができるようにする特訓。「アッテンボローの私有軍隊」と謳われた、この若手俳優たちが撮影現場に居ることで、スタッフから大スターたちまで、「ヘタなマネはできない」という、良い緊張感が生み出されたという。 実際に「マーケット・ガーデン作戦」に参加して、本作にも実名で登場する英米の司令官や指揮官を、テクニカル・アドバイザーとして現場に招いた。これもまた、戦場や軍のリアリティーを強めるのに、寄与した。 戦場を再現するための、CGなき時代の大物量作戦も凄まじい。ヨーロッパ各国の軍隊や博物館、美術館からコレクターまで協力を得て、大量の戦車や軍用機を調達。使用した火薬量は、19,250㎏にも及んだという。 圧巻なのは、オランダ陸軍空挺部隊の協力を得て撮影された、大規模な空挺降下のシーン。風の影響などもあって、想定通りには進まないこのシーンを撮るためには、19台のカメラが用意された。その際に活躍したのは、ドキュメンタリーのカメラマンたち。何が起こっても即応し、フィルムに収められる者を集めたのである。 光学合成などの後処理が行われた部分はあるものの、スピルバーグの『プライベート・ライアン』(98)で、戦争映画の描写が決定的に変わってしまうよりも、21年も前の作品。当時としては、考え得る限りのリアリティーを求める試みが、為されたと言える。 それだけの巨額と物量を投じて、アッテンボローは自覚的に「反戦映画」として、『遠すぎた橋』を作っている。ヒトラーの殲滅という大義はあろうとも、「戦争は、最低の最終手段」であり、「いかなる理由や目的があっても、武力行使は人間としての良識を欠いた、自尊心を否定する行為」という主張なのである。 そして本作はまた、アッテンボロー版の「失敗の本質」とも言える。本作に於いては、作戦の実行者であり責任者として描かれるのは、ダーク・ボガート演じるフレデリック・ブラウニング中将。彼は作戦を決行する上で、都合の悪いデータは見なかったことにして、その報告者は左遷してしまう。作戦の明らかな失敗を受けても、「われわれは遠すぎた橋に行っただけだ」と嘯くのみだ。 この辺りのブラウニング中将の描き方は、その家族や関係者から、抗議を受けたり、不快感を示されたりもしたという。しかしアッテンボローは、徹底したリサーチの上で、自分たちの判断を示したと、揺るがなかった。 実際のところで言えば、「マーケット・ガーデン作戦」の発案者且つ最高責任者は、先に記した通り、イギリスのモントゴメリー元帥。映画の製作中はまだ存命であったために、このような描写になったとも言われる。本作には俳優が演じるモントゴメリーは、登場しない。 因みにモントゴメリーはその著書で、「マーケット・ガーデン作戦」を次のように回顧している。「…オランダの大部分を開放し、それにつづくラインランドの戦闘で成功を収める飛び石の役割を果たしたのである。これらの戦果を収めることができなかったら、一九四五年三月に強力な軍をライン河を越えて進めることはできなかったであろう…」 その上で彼は作戦を、「90%は成功」と強弁したとされる。 中1で『遠すぎた橋』を鑑賞した時は、後に非暴力主義の偉人を描いた『ガンジー』(82)や、南アフリカでのアパルトヘイトを告発する『遠い夜明け』(87)を製作・監督することになるアッテンボローの本意を、読み取ることが出来なかった。しかし時を経て次第に、彼が描きたかったものに思いを致せるようになっていくと、本作を観る目も変わっていった。 そしてこの夏、新型コロナ禍の中で「TOKYO2020」なるイベントの強行を、私は目にすることとなった。『遠すぎた橋』に於ける、「都合の悪い情報は無視」「部下たちに忖度させる」「責任は決して取ろうとしない」指揮官の姿は、更に趣深く映るようになったのである。■
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PROGRAM/放送作品
(吹)アンタッチャブル【ゴールデン洋画劇場版】
[PG12]暗黒街の帝王に立ち向かった勇気ある男たち──正義の戦いを記録した人気TVシリーズの映画版
1960年代の人気TVシリーズを鬼才ブライアン・デ・パルマ監督が映画化。渾身の役作りでアル・カポネに成りきったロバート・デ・ニーロの演技が圧巻。ショーン・コネリーがアカデミー助演男優賞を受賞。
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COLUMN/コラム2014.03.30
2014年4月のシネマ・ソムリエ
■4月5日『ダウンタウン物語』 登場するすべてのキャラクターを、平均12歳の子役たちが演じたミュージカル風のギャング・コメディ。名匠A・パーカーの軽妙な語り口が光る劇場デビュー作である。 禁酒法時代のニューヨークの雰囲気を本格的なセットで再現。才人、ポール・ウィリアムズ作曲による歌とダンス、パイ弾を放つマシンガンなどの小道具も楽しい! キャストで圧倒的な存在感を放ったのは撮影時13歳のJ・フォスター。にぎやかな抗争劇のさなか、主人公バグジー・マローンが出入りする酒場の歌姫を妖艶に演じた。 ■4月12日『バンテッドQ』 鬼才テリー・ギリアムのイマジネーションが炸裂するファンタジー。孤独な11歳の英国人少年が自宅の寝室に突如現れた6人の小人に導かれ、時空を超えた冒険に旅立つ。 ナポレオン、海坊主、悪魔らのキャラクターが次々と登場し、奇想天外な逸話が脈絡なく展開。その理屈を超越した馬力とスラップスティックなギャグに引き込まれる。 英国流のブラックな味わいの作風は、ハリウッド製ファンタジーとは異質の面白さ!アガメムノン王ともうひと役を演じるS・コネリーの出演シーンもお見逃しなく。 ■4月19日『サン★ロレンツォの夜』 ドイツ軍占領下のトスカーナ地方を舞台にした戦争ドラマ。イタリアのタヴィアーニ兄弟が幼少期の体験を基に撮った、カンヌ国際映画祭・審査員特別賞受賞作である。 物語の背景となるのは、1944年にサン・ミニアートの大聖堂で起こった虐殺事件の史実。ドイツ軍が街を爆破して撤退を図るなか、危険を感じた市民の脱出劇が展開する。 幼い純真な少女の視点をとり入れた映像世界には、素朴なユーモアや魅惑的な詩情が漂う。戦時下の痛切な悲劇を寓話へと結実させ、胸に染み入る感動を呼ぶ一作だ。 ■4月26日『バーティ』 鳥をこよなく愛し、空を飛ぶことに憧れる風変わりな青年バーディとその親友アル。共にベトナム戦争で心身に傷を負って帰還した若者たちの友情を描く感動作である。 1970?80年代に量産された“ベトナム後遺症”ものの1本だが、青春映画としてのみずみずしさは絶品。デビュー間もない主演俳優2人のナイーブな演技も好感度高し! 多彩なジャンルの傑作を放ったA・パーカー監督が鮮烈なイメージを創出。裸のバーディを“籠の中の鳥”に重ねた場面や、鳥の眼差しを表現した空撮シーンが印象深い。 『ダウンタウン物語』© National Film Trustee Co Ltd 1976 『バンデットQ』© Handmade Film Partnership 1981 『サン★ロレンツォの夜』©1983 RAIUNO/Ager Cinematografica Srl. Licensed by SACIS-Rome-Itary.All Right Reserves 『バーディ』© 1984 TriStar Pictures, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ファミリービジネス
窃盗犯の血を受け継ぐ祖父、息子、孫──犯罪ファミリーが巻き起こす騒動を描くコメディドラマ
泥棒稼業を巡って織りなされる親子3代の対立と絆を、ショーン・コネリーら新旧演技派俳優の競演で描く。個性的な祖父・息子・孫による駆け引きをユーモアを交えて軽快に描く、シドニー・ルメット監督の手腕が光る。
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COLUMN/コラム2013.12.18
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2013年1月】にしこ
説明不要、オススメ不要かもしれませんが「アンタッチャブル」です!! 禁酒法時代のシカゴ。悪事の限りを尽くし、シカゴの帝王であったアル・カポネを財務省から肝いりでやって来た調査官エリオット・ネスはなんとかして捕まえようと息巻いていますが、警察内部までカポネの息がかかっているため、当然空回り。意気消沈のネスの前に現れたのはショーン・コネリー演じる巡回警官のマローン。マローン「この年でパトロール警官だ」ネス「どうしてだ?」マローン「この腐りきった街で唯一汚れてない警官だからさ」。 二人がスカウトする警察学校の生徒、若きアンディ・ガルシアのはにかみ笑顔もキュート。そしてそして、見所はたくさんありますが、ロバート・デ・ニーロ演じるアル・カポネの笑ってしまうほど絵に描いた様な悪役ぶりが、いろいろな意味ですごいです。ヒーローの前に立ちはだかる壁→尊敬する師との出会い→成長→悪との対決。シンプルだっていいじゃない。勧善懲悪だっていいじゃない。だって「アンタッチャブル」だもの。観終わった後の爽快感はピカ一!!そして!!この名作がザ・シネマではなんと元日1月1日に放送です!!新年の幕開けにこれほど相応しい作品があるでしょうか!!ザ・シネマでは12/28-1/5の9日間、年末年始の特別編成でヒット作から良作まで渾身のラインナップでお送りします。どうぞお楽しみ下さい!! TM & Copyright © 2013 Paramount Pictures. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
エントラップメント
ショーン・コネリー、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ共演、ロマンティックな駆け引きを描く犯罪サスペンス
渋さとユーモアを兼ね備えた大泥棒と、彼を追うセクシーで大胆果敢な女性調査員。魅力的なキャラクターをショーン・コネリー、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ共演で描いたロマンティック・サスペンス。
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COLUMN/コラム2012.08.14
吹き替え担当者よりご報告、『レイダース』ノーカットTV版吹き替えが無い!?の巻
春の放送時に、すでに字幕版だけでなくHD吹き替え版をあわせてお送りしており、その際に村井国夫のノーカットビデオ版をレイバックしてHDバージョンを作った、という顛末は、別記事にてすでにご報告しましたが、今回は、TV版の方のオンエアです。 TV版吹き替えは、ザ・シネマが大切にしてきた、特別なコンテンツの一つ。 いま改めて、むかしTVで見た吹き替え映画を見なおしてみれば、きっと懐かしい思いがすることでしょう。こみあげてくるノスタルジーがあるはずです。あの日あの頃の情景がフラッシュバックで蘇るかもしれません。字幕版ではそれがないとは言いませんが、より「懐かしさを楽しむ」ということができるのは、少なくとも水野晴郎や淀川長治が映画の原体験だという多くの人にとって、やはり、TV版吹き替えの方でしょう。 「懐かしさを楽しむ」、これは映画そのものが持っているオリジナル本来の価値や面白さとはまた違った魅力、それも、かなり大きな魅力ではないでしょうか。ザ・シネマが往年のTV版吹き替えを尊重する理由の一つです。そして、まさに、あの頃みんなが胸躍らせた『インディ・ジョーンズ』123作のような作品は、「懐かしさを楽しむ」を提案し続けてきた当チャンネルの立場として、TV版吹き替えの放送もマストなのです。 今回、TV版でも、すでにオンエアしているビデオ版同様、あえて村井国夫版(現在は村井國夫とご改名されています)をチョイスしています。ちなみにこのバージョンはDVD・ブルーレイには未収録(らしい)です。 もちろん村井さん以外のバージョンも、いろいろと存在はします。主立ったところでは、『ブレードランナー』新録の時に当チャンネルでも吹き替えをお願いした、ハリソン・フォードのもう一人のFIX声優・磯部勉さんバージョン。ハリソンと言えば磯部さん、という印象も定着してはいるのですが、磯部さんは『レイダース』を吹き替えられたことがどうやらないみたいだ、3本揃わなくなる、ということが今回はネックに。 また、ジャック・ライアンなどは磯部さんイメージでも、インディとハン・ソロに関しては村井さんの声のイメージを勝手に抱いている、という担当者の個人的感覚も、理由としてありました。 村井さんの軽妙な、あえて言えば良い意味でちょっと“チャラい”持ち味が、宇宙のチャラ男 ハン・ソロにはまさにハマり役だった気がします。インディも、80年代後半の金曜ロードショーでの村井版がインディ吹き替えの元祖なので、逆にその印象から、インディアナ・ジョーンズ博士というキャラクターに対してちょっと“チャラい”イメージを持ってしまっていた、という逆転現象も、私の中では起こっていました。 子供の頃、村井さんの声でシリーズを見てそういう印象を抱いていて、字幕で見られる歳になって原音で聞いてみたら、インディが渋くてダンディな男だったことにビックリ!という覚えがあります。個人的思い入れではありますが、しかしこれ、私だけの感覚ではないのではないでしょうか?オリジナルにイメージが近いのは磯部さんの方かもしれません。あちらも流石に素晴らしかった!しかし、オリジナルから若干ズレた印象を吹き替えが与えてしまったとしても、それもまたよしだった古き良き昭和の吹き替え。日本の吹き替え文化がかつて持っていた豊かさでしょう、これは。その価値観で言うなら、村井版もやっぱり素晴らしいのです! 人情味が数倍増しになる羽佐間道夫版のロッキー、朴訥なキャラがより強調される、ささきいさお版のランボー、どちらもスタローン本人の声とは似ていないけれど良い!ということと同じです。小池朝雄→石田太郎のコロンボ、山田康雄のダーティハリーも同様。オリジナルよりキャラが魅力的になってますけど、なにか?という域にまで達した吹き替えの傑作も、その昔には存在しえたのです。村井国夫版インディはその一つに数えていいのではないでしょうか。 ネット情報によると、『レイダース』は、金曜ロードショーの1985年10月4日、前身の水曜ロードショーから引っ越ししてきて最初の回の放送作品だったようです。 またも個人的な話で恐縮ですが、私が見たのは1987年12月25日の再放送でした。その夜は水曜ロードショーから通算して800回記念というメモリアルな回で、故・水野晴郎さんのトークも、過去取り上げてきた主な映画の懐古が話のメイン。『レイダース』の解説は少しだけという特別なスタイルをとっていたことを、今も鮮明に記憶しています。なぜなら、この回をビデオに録画した私は、全キャラの台詞を時系列順に完コピできほど、どのタイミングで何のCMが入るかまで覚えるほど、飽きずに何度も何度も繰り返し見たからです。軽く100回は見たのではないでしょうか。今、こういう仕事に就いている、それが一つの原点です。 今回、業務として久しぶりにこのTV版を視聴した途端、先ほど書いた通りの、泣けてくるようなノスタルジーがこみあげてきたことは、言うまでもありません。同様の感傷にひたっていただける方、懐かしさを共有いただける方が、一人でも多くいてくださることを、担当者として切に願っています。 金曜ロードショーでオンエアされたものは85年・87年どちらもノーカットの村井版でした。もちろんTVの場合はノーカットと言ってもエンドロールは大抵カットされますので、余韻を楽しむ、という訳にはいきませんが。それ以外にも、オリジナルとのちょっとした違いは存在します。例を2つ挙げましょう。 まず序盤ネパールの酒場、熱せられた「ラーの杖の冠」のメダルを握って手の平をヤケドしたゲシュタポのトートが、慌てて屋外に出て積雪の中に手を突っ込み、思わず「あ〜キモチい!」と漏らす、あの、ちょっとコメディっぽい台詞。TV版のトート役の内海賢二もビデオ版の樋浦勉もそう言っていますが、原語版では「ワオ」とか「ハウッ」とか、声にならない声を上げているだけ。気持ち良いなんてことは一言も言ってないのです。『レイダース』はTVとビデオで同一翻訳を使い回しているようなので、あの台詞は声優さんのアドリブではなく、翻訳家が台本に盛り込んだ、昭和のTV吹き替えならではの“サービス”なのでしょう。こうした小さなアレンジが塵も積もれば山となり、金曜ロードショー版はオリジナルよりちょっとだけコメディ寄りの印象に振れています(前述した村井さん一流の個性もありますし) もう一カ所、「魂の井戸」でインディとマリオンが生き埋めにされる場面。2人の頭上で入り口が閉ざされ、2人を見殺しにベロックやトートらナチス側がその場を立ち去るシーンですが、ここでTV版ではBGMが入ります(カイロの路地でマリオンを乗せたトラックが爆発する前半シーンの音楽の流用)。しかし本来ここにBGMは入りません。オリジナルはもちろん、同一翻訳使い回しのビデオ版でさえ音楽は無し。トートの不気味な高笑いと、石扉が「ドガシャーン」と閉められる音の反響だけしか入っていません。このシーン、金曜ロードショーではCMチャンスの直前でした。生き埋めにされた2人は果たして脱出できるのか!?というサスペンスが、BGMのおかげでCM前に倍増しています。これなどはTV的な必要性からの付け足しでしょう。 この“盛る”ということもまた、往年の吹き替えならではの魅力です。後でオリジナルを見ると案外こざっぱりした印象で、「何かが違う」と、むしろ物足りなく感じてしまうことが結構あります。 以上、紙幅の都合で『レイダース』だけしか触れられませんが、『魔宮の伝説』も『最後の聖戦』も、そのTV吹き替えには、TV洋画劇場黄金時代の吹き替えならではの魅力がたくさん詰まっているのです。 最後に、今回ちょっと残念だったのは(ちょっとどころか担当者としては痛恨だったのは)、『レイダース』と『最後の聖戦』が、カット版しか手に入らなかったこと。お終いに、その顛末をご報告します。 もちろんザ・シネマは、いかなる場合でも、可能であればまずはノーカットの素材を優先的にオンエアしようと努めておりますし、TV吹き替えであれノーカットの素材が存在するのであれば、当然そちらを優先してお届けしたいのは山々なのですが…。 『インディ・ジョーンズ』123の過去のTV日本語吹き替え版は、海外の権利者の方で放送用テープを保管しており、放送契約を交わした当チャンネルは、それを一時的に借り受けてオンエアします。金曜ロードショー版であっても日本テレビから借りてくる訳ではないのです。 そこで、まず海外に、村井国夫バージョンの金曜ロードショー版のテープを送ってほしい、と詳細なリクエストを出したのですが、さすがに海外相手に「村井国夫」とか「金曜ロードショー」などと言って通じる訳がないのは当然です。「日本語吹き替え版が何バージョンかあるので、送るからそちらで中身を見てくれ」との回答があってテープが送られてきて、当方にてそれら全てを見て確認することになりました。この展開は今回に限った話ではなく、海外でテープが保管されている場合には割とよくあるパターンです。 結果、『レイダース』と『最後の聖戦』はカット版しかなかった、ということです。オフィシャルなルートから「日本語吹き替え版はこれで全部だ」という形で渡されたもののうち村井TV版はカット版でしたので、ノーカット版はもう失われてしまった、ということなのでしょう。 なお、日本語吹き替え版を作った制作会社や、それをオンエアした放送局に、当時のコピーが残されている可能性もゼロではありません。しかし、放送用のマザーテープは、吹き替えを制作した会社や放送した局から、映画の権利者(テレビ放送権の配給会社など)に提出されます。そして多くの場合、権利保護の観点から、局や制作会社側は「コピーを滅却しなければならない」という契約を結んでいますので、彼らがコピーしたテープをいま持っていなくても、むしろ当然なのです。または契約で、彼らが保管を許可されている場合もありますが、その場合は権利者に照会すれば有るなら有るでテープの在処が分かるはずです。今回は、それも無いことが一応オフィシャルに確認されています。 なぜ、過去のテープが保管されていない、破棄されてしまった、ということが起こるのか? 今回の『レイダース』、『最後の聖戦』個別の話ではなく(今回の個別の事情までは当方も把握できていません)、以下、一般論として書きますが、まず第一に、日本側の問題が挙げられます。かつてはTV放送しかなく、その音声をDVDやブルーレイに収録するとか、CSの洋画専門チャンネルでオンエアするといった未来(つまり今日)の「二次使用」を前提には考えておらず、「二次使用」という概念そのものが存在すらしていませんでした。いま我々がもう一度見たい「昭和のお宝吹き替え」の時代には、皮肉なことに、それを保存しておかねばならない必要性が、今日ほど大きくはなかったのです。そのため、権利保護のための滅却という以前の問題で、不要になったから日本側で捨てちゃった、というケースもあったのです。 第二に、海外側の問題。「昭和のお宝吹き替えだ」「バージョン違いの日本語吹き替え版には、声優さんごとのそれぞれ違った趣がある」といった価値観を、海外の権利者に理解してもらうことは、さすがに難しそうです。特に、DVD日本語音声用などの用途で、吹き替えが近年になってノーカットで新録されたような場合、それが最新・最良の素材という扱いになるため、過去の、カットされた、古い旧式のテープで残されている日本語版を保存し続けていかねばならない必要性を、海外側では強く感じてくれない、ということがあります。これは仕方ないと言えば仕方ないことでしょう。 以上のいずれか、あるいは全く別の理由により、『レイダース』と『最後の聖戦』の金曜ロードショー村井国夫版ノーカットTVバージョンは、もう存在しない、ということが、現段階での暫定的な結論です。しかし、海外からの回答は「滅却したから残っていない」ではなく、「こちらの手もとにあるのはこれだけだ」という言い方でした。この世にノーカット版のコピーが1本も残っていないと断言できるほどの確定的な結論ではありません。望みは完全に絶たれた訳ではありません。いつの日にか、「実は捨てていなかった」「よく探してみたら見つかった」といった形で、ノーカット素材が発見されることを、87年ノーカット村井国夫版によって人生の進路が決まった1人の熱烈なファンとして、私も、心から祈っています。 『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』COPYRIGHT © 2012 PARAMOUNT PICTURES. 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