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地中海殺人事件
ポワロが地中海を舞台に犯人のアリバイを崩していく! アガサ・クリスティの極上ミステリー!
アガサ・クリスティの『白昼の悪魔』が原作のミステリーで、『オリエント急行殺人事件』、『ナイル殺人事件』に続く名探偵ポワロの第3作。地中海の美しい島にあるリゾート・ホテルでポワロがアリバイを崩していく!
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COLUMN/コラム2024.03.01
ミステリー・ファンを魅了してきたアガサ・クリスティ映画の軌跡
ミステリーの女王は自作の映画化に後ろ向きだった? アカデミー賞で6部門にノミネートされた『オリエント急行殺人事件』(’74)の大ヒットをきっかけにブームとなったアガサ・クリスティ映画シリーズ。折しも、’50年代半ばから’60年代にかけて、スタジオシステムの崩壊やテレビの普及などの影響で低迷したハリウッド映画界が、ニューシネマの時代を経て往時の勢いと輝きを取り戻しつつあった当時、キラ星の如きオールスター・キャストに贅の限りを尽くした美術セットと衣装、セックスやバイオレンスよりも謎解きのトリックとメロドラマを楽しむ優雅なストーリーなど、まるで黄金期のハリウッド映画を彷彿とさせるようなグラマラスなゴージャス感が、世界中の映画ファンを虜にしたのである。3月のザ・シネマでは「ミステリーな春/アガサ・クリスティ特集」と銘打って、当時のシリーズ作品の中から『ナイル殺人事件』(’78)に『クリスタル殺人事件』(’80)、『地中海殺人事件』(’82)を放送。そこで、今回は同シリーズを中心としたアガサ・クリスティ映画の軌跡を振り返ってみたい。 「ミステリーの女王」として世界中の推理小説に多大な影響を与えたイギリスの推理作家アガサ・クリスティ。なにしろ知名度の高いスター作家ゆえ、その作品は古くから映画化されてきた。最も古い映画化作品は「謎のクイン氏」シリーズ第1弾「クイン氏登場」を原作とするイギリス映画『The Passing of Mr. Quin』(’28・日本未公開)とされているが、最初の重要な作品はフランスの巨匠ルネ・クレールがクリスティの同名小説をハリウッドで映画化した『そして誰もいなくなった』(’45)であろう。 とある島の豪邸に招かれた10名の客人と召使いが、童謡「10人のインディアン」の歌詞になぞらえて次々殺されていくという傑作ミステリー。そもそも原作小説がクリスティの代表作として名高い傑作ゆえ、その映画版も極めて完成度が高かった。その後、イギリスの有名なB級映画プロデューサー、ハリー・アラン・タワーズが原作の映画化権を入手し、『姿なき殺人者』(’65)に『そして誰もいなくなった』(’74)、『アガサ・クリスティ/サファリ殺人事件』(’89)と3度に渡って映画化。中でも、’74年版の『そして誰もいなくなった』は同年公開された『オリエント急行殺人事件』を強く意識し、オリヴァー・リードにリチャード・アッテンボロー、シャルル・アズナヴール、エルケ・ソマーなどヨーロッパ映画界のビッグネームをズラリと揃えたオールスター・キャスト映画だった。 また、『サンセット大通り』(’50)や『お熱いのがお好き』(’59)の巨匠ビリー・ワイルダーが、クリスティの「検察側の証人」を映画化した『情婦』(’57)も評判となり、アカデミー賞で6部門にノミネート。’60年代にはイギリスの名脇役女優マーガレット・ラザフォードが素人探偵ミス・マープルを演じた『ミス・マープル/夜行特急の殺人』(’61)が大ヒットし、以降も3本の続編が作られるほどの人気シリーズとなったものの、しかし「ABC殺人事件」を映画化した『The Alphabet Murders』(’65・日本未公開)を最後にアガサ・クリスティ作品の映画化がしばらく途絶えてしまう。というのも、同作は小説版をコメディへと大胆に改変したのだが、これを見た原作者のクリスティは大いに失望したのである。そもそも、それまでの映画化作品の多くも、彼女にはいろいろと不満ありだったらしい。これ以降、原作「終わりなき夜に生まれつく」をほぼ忠実に映画化した『エンドレス・ナイト』(’71)を唯一の例外として、クリスティは自作の映画化を許可しなくなってしまった。 シリーズは『オリエント急行殺人事件』から始まった 時は移って’70年代初頭。シェイクスピア映画『ロミオとジュリエット』(’68)で有名なプロデューサー・コンビ、ジョン・ブレイボーン卿とリチャード・グッドウィンは、英国ロイヤル・バレエ団が着ぐるみで動物を演じる異色のバレエ映画『ピーター・ラビットと仲間たち』(’71)を大ヒットさせる。同作は共産圏のソヴィエトでも評判となり、グッドウィンはモスクワへ招待されることになった。本人の記憶だと’73年頃のことだという。その際、彼は当時まだ小学生だった娘デイジーを同伴したのだが、モスクワ滞在中に彼女は持参した本をずっと夢中になって読んでいた。それがアガサ・クリスティの小説「オリエント急行の殺人」だったのである。特にこれといってクリスティのファンではなかったというグッドウィンだが、娘に誘発されて自分も読んでみたところハマってしまったのだそうだ。 これは絶対に映画化すべきだと考えたグッドウィンだが、しかしクリスティが自作の映画化をなかなか許可しないという情報も知っていた。そこで一肌脱いだのがビジネス・パートナーのブレイボーン卿である。実はブレイボーン卿の妻パトリシアはヴィクトリア女王の玄孫にしてエリザベス2世の三又従妹、義理の父親ルイス・マウントバッテン伯爵はインド総督も務めた伝説的な海軍元帥で、ブレイボーン卿本人も由緒正しい男爵家の次男坊。さらに、住まいもクリスティのご近所さんだった。その人脈をフル稼働してクリスティの自宅を訪ね、映画化の説得を試みたブレイボーン卿。すると、彼とグッドウィンが『ピーター・ラビットと仲間たち』のプロデューサーだと知ったクリスティは、あの映画と同じくらい原作へ敬意を払ってくれるのであれば…という条件のもとで映画化を許可してくれたのである。 イギリスのEMIとアメリカのパラマウントが予算を半分ずつ提供することになり、監督はハリウッドの名匠シドニー・ルメットに決定。当初、ブレイボーン卿もグッドウィンも英国映画らしい小規模でリアリスティックなミステリー映画を想定していたが、しかしルメットはグラマラスなオールスター映画に仕立てるつもりだった。なにしろ、物語の時代設定はハリウッド黄金期の’30年代半ば。トルコのイスタンブールとフランスのパリを結ぶ豪華絢爛な国際寝台列車・オリエント急行を舞台に、優雅な上流階級の人々が絡んだ殺人事件の謎を名探偵エルキュール・ポワロが解明する。古き良きハリウッド・スタイルを再現するには格好の題材だ。 そのうえ、当時は『大空港』(’69)や『ポセイドン・アドベンチャー』(’72)、『タワーリング・インフェルノ』(’74)など、オールスター・キャストのパニック映画がブームになっていた。なんといっても、スターが雲の上の存在だったハリウッド黄金期の伝説的スターや名バイプレイヤーたちが、まだまだ存命だった時代である。今や名前だけで客を呼べるような映画スターはトム・クルーズくらいになってしまったが、当時のハリウッドにはネームバリューのある新旧映画スターが大勢ひしめき合っていた。オールスター映画の人材には事欠かなかったのである。 ショーン・コネリーやジャクリーン・ビセットといった当時旬のトップスターから、ローレン・バコールにイングリッド・バーグマンなどハリウッド黄金期の大スター、ジョン・ギールグッドにウェンディ・ヒラーなど英国演劇界のレジェンドに、マーティン・バルサムやレイチェル・ロバーツなどの名バイプレイヤーと、総勢14名もの錚々たる役者たちが勢ぞろい。主人公である名探偵ポワロ役には、当時「ローレンス・オリヴィエの後継者」と目されていた天下の名優アルバート・フィニーが起用された。 かくして完成した『オリエント急行殺人事件』は全米の年間興行成績ランキングで11位という大ヒットを記録。先述したようにアカデミー賞で6部門にノミネートされ、イングリッド・バーグマンが助演女優賞に輝いた。原作者のクリスティも出来栄えに大満足。この成功に手応えを感じたブレイボーン卿とグッドウィンは、アガサ・クリスティ映画の第2弾を企画する。それが、’76年のクリスティ死去を挟んだことから完成までに時間のかかったジョン・ギラーミン監督の『ナイル殺人事件』(’78)である。 ロケ地エジプトの灼熱と不便さに悩まされた『ナイル殺人事件』 原作は「エルキュール・ポワロ」シリーズの「ナイルに死す」。今回はエジプトのナイル川を下る豪華客船で大富豪の令嬢リネット(ロイス・チャイルズ)が銃殺され、たまたま友人(デヴィッド・ニーヴン)と乗り合わせた名探偵エルキュール・ポワロ(ピーター・ユスティノフ)が犯人捜しに乗り出したところ、乗客たちの誰もがリネットに対して強い恨みを抱いていたことが判明する。リネットに婚約者(サイモン・マッコンキンデール)を奪われた元親友にミア・ファロー、リネットの宝石を狙うアメリカの大富豪夫人にベティ・デイヴィス、その付添人マギー・スミスは実家がリネットの両親のせいで破産し、自由奔放なロマンス作家アンジェラ・ランズベリーはリネットから誹謗中傷で訴えられ、その大人しい娘オリヴィア・ハッセーはリネットに嫉妬し、筋金入りの社会主義者ジョン・フィンチは特権階級のリネットを蔑み、メイドのジェーン・バーキンはリネットに結婚を反対され、ドイツ人の医師ジャック・ウォーデンはリネットにヤブ医者扱いされ、顧問弁護士ジョージ・ケネディはリネットの資産を使い込んでいた。要は、乗客の全員にリネットを殺す動機があったのだ。 名探偵ポワロ役は、前作のアルバート・フィニーからピーター・ユスティノフへ交代。役柄よりも実年齢がだいぶ若かったフィニーは、ポワロ役を演じるためのメイクが嫌で再登板を断ったとも伝えられるが、いずれにせよ原作のポワロに年齢も体型も近いユスティノフの起用は大正解だったと言えよう。おかげで、ポワロは彼の当たり役となり、以降も映画やドラマで繰り返し演じることになる。脇を固めるキャスト陣も、前作に負けず劣らず豪華!チョイ役にも、サム・ワナメイカーやハリー・アンドリュースなどの名優が顔を出している。 また、今回はエジプトのナイル川や古代遺跡で実際にロケをした観光映画としても見どころが盛りだくさん。豪華客船は1901年に製造された古い蒸気船をカイロで発見し、ボロボロだった床板などを撮影のために修復した。エジプトは気温が高いため、午後のロケ撮影は不可能。1日の撮影を午前中で終えなくてはならないことから、スタート時刻は早朝4時だったという。毎朝一番に現場へ現れ、誰よりも先に準備を終えていたのが、当時69歳だった大女優ベティ・デイヴィス。最年長の彼女がお手本を示したことで、共演者の誰もが遅刻することなく時間を守ったのだそうだ。なお、砂漠のど真ん中では夜間撮影用の照明をたく電源が確保できず、そのため夜間シーンはロンドン郊外のパインウッド・スタジオに豪華客船のセットを組んで撮影。そもそも、当時のエジプトはまだ発展途上国だったことから、例えばロンドンと連絡を取るにしても1日20分のテレックスしか通信手段がないなど、かなり不便なことが多かったようだ。 さらに、本作でアカデミー賞に輝いたアンソニー・パウエルのデザインによるお洒落な衣装も大きな見どころ。舞台が’30年代半ばということで、基本的には当時のファッション・トレンドを基調にしているものの、しかし中高年女性のキャラクターにはそれよりも古い時代のスタイルを採用したという。なぜなら、人間は往々にして人生で最も幸せだったり、最も元気だったりした若い頃の流行に執着してしまうものだから。なので、ベティ・デイヴィスの衣装は1910年代風、アンジェラ・ランズベリーの衣装は1920年代風に仕立てられている。 どれもエレガントで豪華で洗練されたコスチュームばかりだが、中でも特に印象的なのはミア・ファローがエジプトで着ているストライプ柄のノースリーブ・トップス。実はこれ、使い古しの布巾をリメイクしたものだったらしい。華奢な体型のミアに似合うような、’30年代風のゆったりしたパジャマ・トラウザーをデザインしたパウエルは、これに合うようなリゾートスタイルのノースリーブ・トップスを作ろうとするも、しっくりくる生地がどこを探しても見当たらなかったという。仕方なく作業場へ戻ってきたところ、ストーブにぶら下がっている汚れた布巾が目に入った。これはフランシス人アシスタントの母親が持ち込んだ私物で、衣装部スタッフのために作業場で料理を作る際に使っていたらしい。よく見ると、ストライプ柄がパジャマ・トラウザーにピッタリ。そこで、汚れを落とすために何度も何度も繰り返し煮沸したうえで、トップスの生地として使用したのだという。ただし、臭いまで落としきることは出来なかったらしく、何も知らないミアは「誰かニンニクでも食べた?」と首を傾げていたそうだ(笑)。 アメリカでは前作ほど客足が伸びなかったものの、ヨーロッパやアジアでは大ヒットした『ナイル殺人事件』。リチャード・グッドウィンによると、中でも日本の興行成績は良かったという。まあ、「ミステリー・ナイル」という日本独自の主題歌を宣伝に使ったり、地方では同時上映にアニメ『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(’78)をブッキングしたりと、配給会社の戦略が功を奏した面もあったろうが、その一方でちょうど70年代の日本で海外旅行ブームが盛り上がっていたことも、少なからず影響していたのではないかとも思う。依然として庶民にとっては高根の花だった海外旅行だが、しかしそれでも頑張れば手が届くかもしれない夢…くらいには身近になりつつあった時代。テレビドラマ『Gメン’75』の香港ロケやヨーロッパ・ロケが話題となったように、海外観光への興味や関心も高まっていたように記憶している。エジプトの観光映画を兼ねた本作が、そんな日本人の海外旅行熱を刺激したとしてもおかしくはなかろう。 毒のあるブラック・ユーモアも楽しい『クリスタル殺人事件』 この『ナイル殺人事件』のスマッシュヒットを受けて、矢継ぎ早に作られたのが「鏡は横にひび割れて」を映画化した『クリスタル殺人事件』だ。監督は前作のジョン・ギラーミンから007映画で名を上げたガイ・ハミルトンへバトンタッチ。もともと原作本は『オリエント急行殺人事件』のヒットに便乗しようとしたワーナーが映画化を発表していたものの、最終的にジョン・ブレイボーン卿とリチャード・グッドウィンが権利を手に入れたというわけだ。 今回は風光明媚なイギリスの片田舎が舞台。舞台は1953年である。住民の誰もがみんな顔見知りという小さな村で、ハリウッド映画のロケ撮影が行われることとなり、久しぶりに現役復帰する大女優マリーナ(エリザベス・テイラー)を囲んだレセプションパーティで殺人事件が起きる。マリーナの大ファンである地元女性が毒殺されたのだ。ところが、目撃者の証言から毒入りカクテルはもともとマリーナのものだったことが判明。つまり、被害者女性は誤って毒入りカクテルを飲んでしまっただけで、犯人の本来のターゲットはマリーナだった可能性が浮上したのだ。そこで、村でも有名なゴシップ好きで推理好きの老女ミス・マープル(アンジェラ・ランズベリー)が、甥っ子であるロンドン警察の主任警部ダーモット(エドワード・フォックス)と組んで真相の究明に乗り出す。 恐らく、オールスター・キャストの顔ぶれはシリーズ中で本作が最も豪華かもしれない。物語の時代設定が’50年代ということで、往年の大女優マリーナにエリザベス・テイラー、その夫で映画監督のジェイソンにロック・ハドソン、マリーナとは犬猿の仲のライバル女優ローラにキム・ノヴァク、そしてローラの夫でプロデューサーのマーティにトニー・カーティスと、’50年代のハリウッド映画を代表するトップスターが勢ぞろい。当時、テイラー自身もマリーナと同じくキャリアのスランプに陥っており、劇中のセリフでも揶揄される体重の増加や容姿の衰えをいたく気にしていたそうだが、しかしロック・ハドソンとは『ジャイアンツ』(’56)で共演して以来の大親友だし、ミス・マープル役のアンジェラ・ランズベリーとも『緑園の天使』(’44)で姉妹役を演じた仲だし、トニー・カーティスも古い友人。昔からの仲間が一緒ならば心強いということで、3年ぶりの本格的な映画出演となる本作のオファーを引き受けたのだそうだ。 主演のアンジェラ・ランズベリーはクリスティの原作で描かれるミス・マープルを忠実に再現。当初、ランズベリーは3本の映画でミス・マープルを演じる契約をEMIと結んでいたが、しかし残念ながら興行的に不入りだったため彼女のミス・マープルはこれっきりとなってしまった。ただ、後に主演して代表作となったテレビ・シリーズ『ジェシカおばさんの事件簿』(‘84~’96)の主人公ジェシカ・フレッチャーは、明らかに本作のミス・マープル役を下敷きにしており、そういう意味では彼女にとって重要な作品だったと言えよう。そのほか、ジェラルディン・チャップリンにエドワード・フォックスも登場。ガイ・ハミルトンが手掛けた『007/ダイヤモンドは永遠に』(’71)の悪役チャールズ・グレイがマリーナの執事役を演じているのも見逃せない。 そんな本作が過去2作品と決定的に違うのは、毒っ気たっぷりのブラック・ユーモアがふんだんに盛り込まれている点であろう。特にマリーナとローラによる女優同士の嫌味と悪口の応酬はなかなか過激(笑)。「顔の皴で線路が出来る」とか、「目の下のたるみよ、ドリス・デイに飛んでいけ」とか、ビッチ丸出しなセリフの数々に思わず大爆笑だ。ちなみに、ドリス・デイは’50年代にロック・ハドソンと数々のロマンティック・コメディで主演コンビを組んだトップ女優。もちろん、それを大前提としての辛辣な内輪ジョークである。これらのセリフを書いたのは『カンサス・シティの爆弾娘』(’72)や『面影』(’76)の脚本家バリー・サンドラー。本人はオープンリー・ゲイなのだそうだが、なるほど確かにクイアーなユーモアのセンスをしていますな。もともと本作の脚本はジョナサン・ヘイルズが単独で手掛けていたものの、しかし原作に忠実過ぎて面白みがないと感じた製作陣の依頼で、サンドラーがリライトを担当したのだそうだ。 シリーズに終止符を打った『地中海殺人事件』 そして、結果的にシリーズ最終作となったのが『地中海殺人事件』(’82)。やはり前作の不入りで予算が大幅に減ったのか、どうも全体的に出がらし感が否めない。監督はガイ・ハミルトンが続投。脚本は『ナイル殺人事件』のアンソニー・シャファーが再登板し、前作のバリー・サンドラーがノー・クレジットでリライトを手掛けている。前回のエリザベス・テイラーとキム・ノヴァク同様、本作でもダイアナ・リッグとマギー・スミスが女同士のいがみ合いで火花を散らせるが、その毒舌ユーモアたっぷりの際どいセリフを再びサンドラーが担当したのだそうだ。 で、そのマギー・スミスを筆頭に、ピーター・ユスティノフとジェーン・バーキン、コリン・ブレイクリーにデニス・クイリーが2度目のシリーズ出演。まあ、名探偵ポワロ役のユスティノフは仕方ないにせよ、メインキャスト10人中の半分が再登板というのはいかがなもんだろうかとは思う。その他のキャストも、映画界のレジェンドと呼べるのはジェームズ・メイソンくらいか。ダイアナ・リッグは確かに一世を風靡した女優だが基本的にはテレビ・スターだし、シルヴィア・マイルズはニューシネマで頭角を現したアングラ女優だし、ロディ・マクドウォールも名子役出身の性格俳優だしと、オールスター映画を謳うにはちょっとばかり顔ぶれが弱いことは否めない。 とはいえ、芸能界で敵ばかり作って来た大女優がバカンス先のリゾート・ホテルで殺されるというストーリーは、いかにもアガサ・クリスティらしいゴシップ紙感覚の愛憎劇で面白いし、最大の目玉である謎解きのトリックも当然ながら良く出来ているし、なおかつロケ地となったスペインのマヨルカ島の美しい景色も非常に魅力的。『ナイル殺人事件』以来となる、アンソニー・パウエルの手掛けた衣装も、’30年代のファッション・トレンドを鮮やかに再現したノスタルジックで優美なデザインが見目麗しい。筆者が最初に映画館で見たアガサ・クリスティ映画ということもあって、個人的には特に思い入れの強い映画でもある。 しかしながら、この『地中海殺人事件』が大幅な赤字を出してしまったことから、ジョン・ブレイボーン卿とリチャード・グッドウィンのコンビによるアガサ・クリスティ映画シリーズは終了。その後、「無実はさいなむ」をドナルド・サザーランド主演でノワール風に映画化した『ドーバー海峡殺人事件』(’84)、ポワロ役のピーター・ユスティノフを筆頭にオールスター・キャストを揃えた「死との約束」の映画化『死海殺人事件』(’88)、同名小説の三度目の映画化となった『アガサ・クリスティ/サファリ殺人事件』などが登場するも、残念ながらいずれも不発に終わった。『死海殺人事件』はキャストの顔ぶれといいクラシカルな雰囲気といい、いかにもブレイボーン卿&グッドウィンの作品みたいだったが、実際はキャノン・フィルムのメナハム・ゴーランとヨーラム・グローバスが製作した映画だ。 一方、テレビではピーター・ユスティノフが名探偵ポワロを、大女優ヘレン・ヘイズがミス・マープルを演じたテレビ映画シリーズがヒットしたほか、ジョーン・ヒックソン主演の『ミス・マープル』(‘84~’92)、グラナダ・テレビが製作した『アガサ・クリスティー ミス・マープル』(‘04~’13)、デヴィッド・スーシェ主演の『名探偵ポワロ』(‘89~’13)など、本場イギリスでは長年に渡ってアガサ・クリスティ原作のテレドラマが愛され続けている。そうした中、ケネス・ブラナーが名探偵ポワロ役を演じて監督も兼ねたリメイク映画版『オリエント急行殺人事件』(’17)が登場。続編として『ナイル殺人事件』(’22)に『名探偵ポワロ:ベネチアの亡霊』(’23)が作られるなど、好評を博しているのはご存知の通りだ。■ 『ナイル殺人事件(1978)』© 1978 STUDIOCANAL FILMS Ltd『クリスタル殺人事件』© 1980 / STUDIOCANAL Films Ltd『地中海殺人事件』© 1981 Titan Productions
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PROGRAM/放送作品
夜の訪問者
暗い過去から逃れられない男の運命は?チャールズ・ブロンソンの渋さが全開のサスペンス・アクション
『激突!』の原作者リチャード・マシスンの同名小説を名匠テレンス・ヤング監督が映画化。暗い過去を抱える男を好演するチャールズ・ブロンソンの渋み、そして中盤に繰り広げられる息詰まるカーチェイスは必見。
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COLUMN/コラム2020.07.28
セックスと残酷描写満載で南部の醜い現実を叩きつけようとした“呪われた映画”
今回は『マンディンゴ』(75年)という凄まじい映画を紹介します。マンディンゴとは、南北戦争前のアメリカ南部で、白人たちが最高の黒人奴隷としていた種族というか“血統”です。 これはアメリカ映画史上最も強烈に奴隷制度を描いた映画です。公開当時には大ヒットしたんですが、映画評論家やマスコミから徹底的に叩かれ、DVDも長い間、発売されませんでした。それほど呪われた映画です。 映画は南部ルイジアナ州の“人間牧場”が舞台です。アメリカはずっと黒人奴隷を外国から輸入してたんですが、それが禁止されてから、奴隷をアメリカ国内で取引・売買するようになりました。そこでマクスウェル家の当主ウォーレン(ジェームズ・メイソン) は、黒人奴隷たちを交配して繁殖させ、出来た子供を売ることで莫大な利益を得ています。 また、奴隷の持ち主たちは黒人女性を愛人にしていましたが、彼らの奥さんには隠してませんでした。しかも、 奴隷との間に生まれた子も平気で奴隷 として売っていたんです。 なぜなら、南部の白人たちは、黒人制度を正当化するために“黒人には魂 がない”と信じていました。そうしないと、「すべての人は平等である」と書かれた聖書に反してしまうからです。南部の人は黒人を人間と思っていなかったので、普通の医者ではなく獣医にみせていました。 しかしマックスウェル家の息子ハモンド(ペリー・キング)はそれが間違っていることに気づいていきます。きっかけは 奴隷の黒人女性エレン(ブレンダ・サイクス)を愛したこと。それに、マ ンディンゴの若者、ミード(ケン・ノートン)と友情を結んだからなんです。しかし、白人の妻(スーザン・ジョージ) がミードの子を妊娠して......。 原作はベストセラーでした。でもハリウッドではだれも映画化しようとせず、イタリアの大プロデューサー、デ ィノ・デ・ラウレンティスが製作しま した。彼は製作するときに“仮想敵” を掲げていました。『風と共に去りぬ』(39年)です。南部の奴隷農園をロマンチックに美化した名作映画に、醜い現実を叩きつけようとしたのです。 この番組では巨匠たちの“黒歴史” 映画を積極的に紹介してるんですが、本作もその1本。監督はリチャード・ フライシャー。『海底二万哩』(54年)、『ドリトル先生不思議な旅』(67年)、『トラ・トラ・トラ!』(70年) などを作ってきた天才職人です。彼は、「今までの南部映画はヌルすぎる。俺はこの映画で真実を全部ぶちまける」と考え、セックスと残酷描写満載の『マンディンゴ』を撮り、世界中で大当たりしました。 でも、「アメリカの恥部をさらした」 と言われ、『マンディンゴ』は長い間、「なかったこと」にされてきましたが、 90年代、あのクエンティン・タラン ティーノが「『マンディンゴ』は傑作 だ!」と言ったことでDVDが発売され、再評価されました。 そしてタランティーノが『マンディンゴ』へのオマージュとして撮ったのが『ジャンゴ繋がれざる者』です。 というわけで南部の真実を描きすぎて呪われた傑作『マンディンゴ』、御覧ください! (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作の『マンディンゴ』(1957年/河出書房)は、本国で450万部を超えるベストセラーで、1961年には舞台劇化もされている。農園から名前を取った原作の“ファルコンハースト”シリーズは全部で15作もある。●父ウォーレン役は最初チャールトン・ヘストンにオファーされたが断られ、英国人俳優ジェームズ・メイソンが演じた。彼は後年、「扶養手当を支払う ために映画に出ただけだ」とインタビューで語っている。●息子ハモンド役は、オファーされたボーとジェフのブリッジス兄弟、ティモシー・ボトムズ、ジャン・マイケル・ヴィンセントらに次々と断られ、ペリー・キングに。●シルヴェスター・スタローンがエキストラ出演している。●映画から15年後を描いた続編に『ドラム』(76年/監:スティーヴ・カーヴァー)がある。 (C) 1974 STUDIOCANAL
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PROGRAM/放送作品
マンディンゴ【町山智浩撰】
町山智浩推薦。米国の恥部・奴隷制を容赦なく暴き、タランティーノによる再評価まで長らく封印された問題作
町山智浩セレクトのレア映画を町山解説付きでお届け。『ジャンゴ』のタランティーノに影響を与え、「ここまでの酷さは自分には描けない、真実を知りたければ『マンディンゴ』を見ろ」と言わしめた、その真実とは!?
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COLUMN/コラム2019.08.30
50歳のオードリー主演作は、 “妖精”への鎮魂歌⁉︎ 『華麗なる相続人』
「永遠の妖精」と呼ばれ、世界中の映画ファンを魅了した女優、オードリー・ヘップバーン(1929~93)。日本での人気も非常に高く、彼女のフルネームをもじった、「驚きコッペパン」などというダジャレを、多くの人々が日常的に口にしていたほどだ。 彼女が絶大なる人気を集めていたのは、『ローマの休日』(53)から『暗くなるまで待って』(67)まで、次々と名作・話題作に出演していた50~60年代に限った話ではない。『暗くなるまで…』以降は映画出演が途切れ、70年代には2本の作品にしか出演していないにも拘わらず、洋画雑誌の人気投票では、その時どきの旬の若手女優などと、常にTOPの座を競っていた。 この頃が、TVの「洋画劇場」の全盛時だったことも、大きかったと思われる。70年代後半に中坊だった我々は、『ローマの休日』『尼僧物語』(59)『マイフェアレディ』(64)『おしゃれ泥棒』(66)等々、池田昌子さんの吹替えで、ゴールデンタイムに頻繁にオンエアされるオードリー主演作にブラウン管で触れ、彼女の可憐な容姿と立ち居振る舞いに釘付けとなったものだ。 新作の製作・公開がなくとも…、いや失礼な言い方になるが、逆に新作のリリースがない分、“妖精”の魅力全開の頃の若い彼女こそが、我々にとって「リアルタイム」のオードリーであった。これこそ正に、一旦フィルムに焼き付けられた姿は年を取らない、“映画女優”のアドバンテージとも言える。 とはいえ、もちろん現実のオードリーは、齢を重ねる。彼女が40代後半になって、9年振りに銀幕復帰した『ロビンとマリアン』(76)が公開された際は、「オードリーも老けた」という声が上がると同時に、「年齢相応の輝きを放っている」という評価もされた。題材が、かの義賊ロビン・フッドと恋人マリアンの、「その後」の物語であったことや、相手役が、ジェームズ・ボンドを降りて老け役に挑むようになったショーン・コネリーだったことなども、プラスに作用したのであろう。人気投票の順位も、相変わらず高止まりであった。 そしてそれから更に3年、オードリーが50歳の時に公開されたのが、本作『華麗なる相続人』である。1979年という製作年を鑑みると、彼女の主演作として、正に万全の布陣で製作された作品だった。 原作は、シドニー・シェルダンが77年に発表した小説「血族」。シェルダンは70年代中盤から90年代まで、発表する作品のほとんどが“ベストセラー”となった、当代の流行作家であった。 多彩な人物が登場する彼の小説世界は、話の展開が早く先が読めないことが、人気を呼んでいた。ハリウッドで映画化された作品は、本作と『真夜中の向う側』(77)ぐらいだったが、TVドラマとしてシリーズ化された作品は、数多い。余談になるが、吉田栄作主演の「もう誰も愛さない」(91)など、90年代初頭に日本でブームになった、フジテレビの“ジェットコースタードラマ”は、明らかにシェルダンの小説及びアメリカでのそのドラマ化作品から、影響を受けていたものと思われる。 本作の監督を務めたのは、テレンス・ヤング。初期『007』シリーズの立役者として知られるヤングだが、オードリーとは浅からぬ縁がある。 第2次世界大戦中の大半を、オードリーはオランダのアルンヘルムで過ごし、終戦後はその郊外に在る傷病兵や退役軍人のための施設「王立廃兵院」で、ボランティアとして働いた。一方ヤングは、イギリス軍戦車部隊長として、アルンヘルム近郊で砲撃の指揮を執っており、その「廃兵院」で手当てをしてもらったこともあったという。 同じ場所で戦争を生き延びたという事実が、2人を結び付けて友情を育てたと言われる。それに加えて大きかったのは、ヤングが監督し、オードリーが長いブランクに入る直前に主演した、『暗くなるまで待って』という作品の成果であろう。 ブロードウェイでヒットした戯曲を映画化したこの作品で、オードリーは、悪漢に狙われる盲目の人妻を演じた。その役作りは高く評価され、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。 ヤングも70年代前半に受けたインタビューで、「(自作の中で好きなのは)いま作っている仕事をのぞいては『暗くなるまで待って』でしょうか。あれは、大衆的に大ヒットした映画であると同時に、世界中の映画人たちから、ほめてもらえた作品でした…」と語っている。ウィリアム・ワイラー、アルフレッド・ヒッチコック、ジョン・フォード、デヴィッド・リーン、ジョン・フランケンハイマー、ジャン=ピエール・メルヴィル、フェデリコ・フェリーニ等々、錚々たる面々から絶賛され、ヤングにとっては、『007』の監督というイメージから脱け出すきっかけとなった作品だった。 そもそもオードリーが、そのフィルモグラフィーで複数の作品で組んだ監督は、4人しか居ない。ウィリアム・ワイラー、スタンリー・ドーネン、ビリー・ワイルダー、そしてテレンス・ヤング。彼女からヤングへの信頼が厚かったことが、『暗くなるまで…』から12年の歳月を経ての、『華麗なる相続人』での再タッグに繋がったわけである。 本作は実に国際色豊かな、オールスターキャストとなっている。イギリスからジェームズ・メイスン、フランスからモーリス・ロネとロミー・シュナイダー、ドイツからゲルト・フレーベ、ギリシャからイレーネ・パパス、エジプトからオマー・シャリフといった具合に。ある者はヤングのかつての監督作に出演した縁から、またある者は、オードリーと共演出来ることが決め手となって、この作品に参集した。 『華麗なる相続人』の物語は、大製薬会社の社長が登山中に、事故を装って殺害されたことから幕開けとなる。その巨額の財産を相続した、社長の一人娘エリザベスを演じるのが、オードリーである。 彼女にも殺人者の手が迫るわけだが、容疑者となるのが、件の国際的キャストが演じる、ヒロインの血縁者たち。それぞれが犯行の動機を持ち、そしてその内の誰かが、真犯人であるという趣向だ。 こうした物語が、まるで欧米デラックス・ツアーのようなロケ地を巡りながら展開する。アメリカ・ニューヨークから、ロンドン、パリ、ローマ、地中海のサルジニア島、スイスアルプスまで、世界各地で撮影が行われた。 加えて見ものなのが、オードリーが身に纏う、華麗なるジバンシィ・ファッション。『麗しのサブリナ』(54)『パリの恋人』(57)『ティファニーで朝食を』(61)などの作品で、オードリーとは切っても切り離せない関係であったファッションデザイナーのユベール・ド・ジバンシィが、この作品でも彼女のために8点のドレスを提供している。 さてこれだけお膳立てを揃えた、“妖精”オードリー待望の、3年振りの最新主演作。いざ公開の段になってみると、批評家、一般観客双方から、見事にそっぽを向かれる結果となった。 はっきり言えば、色々と“無理”があったのだ…。 先にも記したが、シドニー・シェルダンの小説は、そのほとんどが映画化はされていない。膨大なキャラクターが登場し入り組んだ人間関係を展開する、その作品世界は、TVの連続ドラマには適しても、2時間前後でまとめ上げなければならない映画には、基本的に不向きなのである。 それ故映画化に当たっては、脚本の段階で換骨奪胎を目指すぐらい、相当な割愛と整理、再構成が必要になる。しかし本作の場合、良く言えばシェルダン原作持ち前の“ジェットコースター”のような展開で見せるが、悪く言えば、かなり粗雑なダイジェストとなってしまっている。この辺りテレンス・ヤングの腕をもってしても、如何ともし難い脚本だったのだろうか? 何よりも一番の“無理”は、オードリー主演に合わせて改変された、ヒロインの年齢設定。劇中で、殺された父親の歳が、64歳だったことが示されるが、誰もがその時点で「!?」となる。実年齢50歳のオードリー演じるエリザベスは、一体何歳という設定なのか?そもそも原作では、ヒロインは20代半ばだったのに…。 当初はジャクリーン・ビセットなど、当時30代の人気女優を主演に想定して、進められていた企画だった。しかしオードリーの起用によって、ヒロインは「年齢不詳」になってしまったのだ。この辺り資料によっては、オードリーの主演を喜んだ原作者のシェルダンが、主人公の年齢を「35歳」に変えたとも記述されている。 「年齢不詳」にしても「35歳」にしても、何だかな~という思いは、否めない。今回本作を再見してみて、近年の吉永小百合主演作品を鑑賞する際に抱くものと、同じような感慨を抱いた。前作の『ロビンとマリアン』では、せっかく年齢相応の役どころで評価されたのに、このあたり“女優”の性(さが)とでも言うべきなのか? 因みに本作は、製作当時2度目の結婚生活が暗礁に乗り上げていたオードリーには、新たなロマンスをもたらしたとも言われている。劇中でオードリーの相手役を務めるベン・ギャザラとは、“不倫”の関係だったという。オードリーとギャザラは本作の後すぐに、ピーター・ボグダノヴィッチ監督の『ニューヨークの恋人たち』(81/日本未公開)で再共演している。 …というわけで、オードリーを主演に、当時の大ベストセラーを国際的オールスターキャストで映画化した、『華麗なる相続人』。その楽しみ方を最後に提示して、〆とした。 有名ロケ地や豪華キャストを捉えた、名手フレディ・フランシスの美しい撮影、ジバンシィがデザインした艶やかな衣装などを、エンニオ・モリコーネの流麗な音楽をBGMに、まずは堪能する。その上で作品の展開に関しては、家族や友人などと“ツッコミ”を入れながら観るのが、モアベターな鑑賞法と言えるだろう。 また何だかんだ言っても、世界の映画史に燦然と輝く、“妖精”の1979年の姿を目の当たりにするだけでも、上映時間の116分を割く価値は十分にあると、私は考える。■
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PROGRAM/放送作品
華麗なる相続人
[PG12相当]大企業の重役一族が権力争いを繰り広げる…オードリー・ヘプバーン主演の骨肉ミステリー
シドニー・シェルダンのミステリー小説「血族」を映画化。テレンス・ヤング監督が主人公の年齢設定を変更しオードリー・ヘプバーンを主役に迎え、ドロドロした骨肉のミステリーにエレガントな品格を添えている。
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COLUMN/コラム2014.09.22
【3ヶ月連続キューブリック特集その2】理想を果たせなかったキューブリックの“リターンマッチ”〜『ロリータ』『バリー・リンドン』
ひとつのジャンルにとどまらず、さまざまなジャンルの作品を手がける作家のことだ。クリスチャン・ベールが出演に際し、30キロ減量したことで話題となった映画『マシニスト』(04)のブラッド・アンダーソン監督にインタビューしたとき、次回作がサルサを扱ったダンスムービーになるという話題になった。『マシニスト』とはえらく方向性の違うジャンルを手がけるんですね、と筆者が問うと、アンダーソンは即座にこう答えたのだ。 「ジャンルホッパーだよ。キューブリックみたいなね」 巨匠と呼ばれる多くの映画監督は、良く言えば高尚な、悪く言えば通俗的なものに背を向け、世界観に飛躍のない、社会性や文学性の強い作品によって名声を得ている。 だがスタンリー・キューブリックはこうした歴史的名監督の一人でありながら、SF、コメディ、戦争、史劇、ホラー、エロスといったさまざまなテーマを手がけ、そのどれもが高い評価をもって支持されている。こうした作品展開は受け手の間口を広げ、多くの信奉者を生み出す。先に例を挙げたアンダーソン監督にとどまらず、スティーブン・スピルバーグやジェームズ・キャメロンといった、現代ハリウッドを代表する巨匠たちにその継承を見ることができるだろう。 そう、影響力という点において、キューブリックほどに大きな存在の映画監督はいないのである。 だが、こうしたジャンルにこだわらない映画製作は、監督自らに作品を自由に扱える権限がなくては果たせない。「映画はスタジオとプロデューサーのもの」というハリウッドの原則のなかで、キューブリックは自前のプロダクションをキャリアの早い段階から有し、MGMやワーナーといったメジャーの映画会社と良好関係を築きあげ、作品に関するイニシアチブ(主導権)を握ってきた。そして自分が創作に没頭できる題材に取り組むことで、その独自の映像、演出センスに磨きをかけてきたのである。 キューブリックがこうした取り組みにこだわったのには、強い理由がある。自身が32歳のときに監督した大作『スパルタカス』(60)でファイナルカット(最終編集)権を得られず、自分の意向を作品に反映できなかったからだ。主演のカーク・ダグラスから『突撃』(62)を認められてのオファーだったが、作品を更迭されたアンソニー・マン監督の代理であり、立場的には雇われの身にすぎなかったのである。 このときの苦い経験が、スタジオ側の作品干渉に対する、キューブリックの強いアレルギーとなった。そして『スパルタカス』を反骨のバネとし、スタジオが手がけないようなリスキーなテーマへと踏み込んでいくのだ。それが『ロリータ』なのである。 少女に隷属する中年男の堕落を描いた本作は、ロシア人作家ウラジミール・ナボコフによる文学史に残る名編だ。しかし性倒錯心理に迫った本著はたびたび発禁処分を受けるなど、当時としてはセンセーショナルな小説として世を賑わせた。 そんな『ロリータ』の映画化に、キューブリックは果敢にも着手したのである。おりしもヘイズ・コード(アメリカ映画の検閲制度)によって、公序良俗に反する表現は芽を摘まれる時代。スタジオが回避するようなテーマに敢えて挑むーー。とりもなおさずそれはキューブリックにとって、自分の意志のもとに作品を創造するという証でもあり、作り手としてスタジオやプロデューサーに魂は売らないという、意思表示の意味合いをもっていたのである。 しかしアメリカ映画倫理協会が警戒するような原作ゆえ、『ロリータ』を映画へと昇華させるために、キューブリックは苦心惨憺の手を尽くしている。原作者のナボコフ自身に脚本を執筆させ、合理的に原作を圧縮したり、あるいは検閲機関の干渉を避けるためにイギリスで撮影(キューブリックがイギリスに拠点を置くきっかけとなった)したりと、テーマの本質を損ねないようにした。また構成上、ラストの悲劇を冒頭に掲げてブックエンド形式にするなど、ロリータことドロレス(スー・リオン)に熱を上げるハンバート(ジェームズ・メイソン)の顛末を、どこか冷笑ぎみに捉えたアレンジがなされている。 そう、キューブリックの映画を観た人が、他の監督の作品と違いを覚えるのは、その超然とした語り口ではないだろうか。登場人物に観客が感情移入できる余幅のようなものが、およそ彼の作品からは感じられない。あるのは主人公の行く末を高台から眺望するような、視線の冷たさと客観性だ。『シャイニング』(80)で、オーバールックホテルにある迷路をさまようダニーとウェンディの姿を、俯瞰から覗き込むジャック・トランスのようである、演じるジャック・ニコルソンの様相が監督に似ているということもあって、かの名場面はじつに説得力を放つ。それは極端な例えにしても、『2001年宇宙の旅』(68)のボーマン船長や『時計じかけのオレンジ』(71)のアレックス、『シャイニング』のジャックに『フルメタル・ジャケット』(87)のパイルやジョーカーなど、暴力や性、恐怖や戦争と対峙した彼らの物語は、どれもそれを見つめるカメラのまなざしが一様に寒々しい。 『バリー・リンドン』は、こうした超然さが『ロリータ』以上に目立つ作品である。 レイモンド・バリー(ライアン・オニール)の栄光と没落の生涯を激動の時代に絡めながら、18世紀イギリス貴族の生態をディテール豊かに描いた本作は、キューブリックが自主的に手がけた初の歴史劇だ。 キューブリックはサッカレーの原作にある、バリー自身の一人称の語りを三人称に変更し、より対象から距離を置いた「観察記録」のように仕上げ、達観したような視点を強く印象づけている。キューブリックはこの変更について、一人称の読み手を煙に巻くようなあやふやさが、映画では成立しないことを理由としている。いわく、 「映画は小説と違い、いつも客観的な事実が目の前にある」 (ミシェル・シマン著「キューブリック」スタンリー・キューブリックとの対話『バリー・リンドン』より) 『バリー・リンドン』における「客観的な事実」とは、七年戦争に揺れた18世紀イギリスの時代模様であり、キューブリックはそれを徹底してリアルに再現することで、バリーの置かれた状況を明確にし、説明的な演出や芝居を極力少ないものにしている。スタジオ映画のようにまんべんなく照明のあたった世界ではなく、自然光をベースとした画作りを標榜。ロウソクの灯火を光源とするジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵画のような、そんな18世紀の景観をフォトリアルに描写するため、わずかな光で像を捉える50mm固定焦点の高感度円筒レンズを使い、時代の空気を見事なまでに創出している。この飽くなきビジュアルへの追求もまた、キューブリック作品の超然たる様式に拍車をかけているのだ。 この時代再現に対する執拗なまでのこだわりは『ナポレオン』という、果たせなかった企画が背後にある。 キューブリック幻の企画として名高い『ナポレオン』は、フランスの皇帝ナポレオン一世の生涯を俯瞰し、数々の伝説を視覚化しようとしたプロジェクトだ。そのため彼は500冊以上に及ぶ文献を読破し、世界じゅうの関連資料を収集。ナポレオン研究の権威に顧問を依頼し、徹底したリサーチを重ねた。キューブリックにとって、まさに執念の企画だったのだ。 しかし残念なことに、莫大な製作費が計上されたこの超大作に映画会社が尻込みし、クランクインには至らなかった。キューブリックは費やした労苦を闇に葬りさらないためにも『ナポレオン』の企画をスピンアウトさせ、同じ時代物の『バリー・リンドン』を撮りあげたのだ。 2009年、幻に終わった『ナポレオン』の資料や記録写真、脚本などを収録した“Stanley Kubrick's Napoleon: The Greatest Movie Never Made”が出版され、作品の全貌が明らかになった。それに目を通すと、衣装やセットなどのプロダクションデザイン、ロケーション案や演出プランなど多くの部分で『バリー・リンドン』への置換を実感することができる。なにより徹底した時代空間の再現によって、英雄ではなく人間としてのナポレオン像をあぶりだそうとした創作の姿勢は、そのまま『バリー・リンドン』における人間バリーの描き方に受け継がれているといっていい。 『ロリータ』そして『バリー・リンドン』ーー。どちらも時代設定や世界観、そして方向性がまったく異なる、広い振り幅の両極にある作品だ。ジャンルホッパーの巨匠の、まさに面目躍如だろう。 しかし、両作ともにキューブリックが果たし損ねた理想への「リターンマッチ」という側面を持ち、その関係は“執着”という濃い血を分けた、まるで兄弟のように近しい。■ TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
ブラジルから来た少年
ヒトラーを崇拝する医師がナチス復興を目論む。クローン人間の恐怖を描いたサスペンス巨編
ナチス復興を目論む恐るべき陰謀を、『猿の惑星』の名匠フランクリン・J・シャフナーが描くサスペンス。ナチ残党という悪役に徹したグレゴリー・ペックと残党狩りのプロ役、ローレンス・オリヴィエの対決が見もの。
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COLUMN/コラム2014.05.25
2014年6月のシネマ・ソムリエ
■6月1日『ロリータ』 ロリータ・コンプレックスの語源となったナボコフの小説を映画化。巨匠S・キューブリックが『スパルタカス』と『博士の異常な愛情?』の間に発表した異色恋愛劇だ。 中年の文学者が下宿先の未亡人の娘ロリータに心奪われ、人生を狂わされていく。物語は原作に忠実だが、ヒロインの年齢設定などが変更され、モノクロで撮影された。 規制が厳しかった時代の作品ゆえに性描写は一切なく、犯罪映画風の冒頭に続いて、人間のエゴをえぐる破滅的なドラマが展開。脇役P・セラーズの怪演も見逃せない。 ■6月8日『砂漠でサーモン・フィッシング』 中東イエメンの砂漠に川を造り、鮭釣りができるようにしたい。大富豪からそんな壮大なプロジェクトの実現を依頼された、英国人水産学者の奮闘を描くコメディである。 原作はポール・トーディの小説『イエメンで鮭釣りを』。イメージアップをもくろむ英国政府の思惑も絡む物語はシニカルなユーモア満載で、恋愛映画としても楽しめる。 堅物の学者に扮したE・マクレガーと、投資コンサルタント役のE・ブラントの機知に富んだ掛け合いが魅力的。夢や理想といったテーマを爽やかに謳い上げた珠玉作だ。 ■6月15日『スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団』 『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』の俊英E・ライトが放ったラブ・コメディ。理想の女の子と交際するため、彼女の元カレ7人と対決する青年の物語だ。 ポップカルチャーから多大な影響を受けた監督の漫画やロックへの偏愛が爆発。主人公が次々と出現する元カレとのバトルを突破していく展開は、まさにゲームのよう! 凝った視覚効果や編集テクを駆使し、ファミコンのチープな電子音まで導入。マニアックな小ネタとギャグも詰め込んだ映像世界は、これぞ究極のオタクワールドである。 ■6月22日『パーフェクト・センス』 人間の嗅覚や聴覚といった五感が順次失われていく奇病が世界中で蔓延。そのさなかに恋に落ちたシェフのマイケルと感染症学者スーザンの身体も異変に見舞われていく。 CGによるディザスター描写に依存せず、人類存亡の危機を描いた英国製の終末映画。五感の喪失という現象が一般市民の日常を混乱に陥れる過程をリアルに映し出す。 世界が静寂と暗闇に覆われていく悲劇的な物語が問いかけるのは、愛と希望というテーマ。他者を“感じる”ことの尊さを感動的に映像化したラブストーリーでもある。 『ロリータ』TM & © Warner Bros. Entertainment Inc. 『砂漠でサーモン・フィッシング』©2011 Yemen Distributions LTD. BBC and The British Film Institute All Rights Reserved. 『スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団』©2010 Universal Studios. All Rights Reserved. 『パーフェクト・センス』© Sigma Films Limited/Zentropa Entertainments5 ApS/Subotica Ltd/BBC 2010