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PROGRAM/放送作品
勝手にしやがれ
演技も台詞も即興!巨匠ジャン=リュック・ゴダールの感性が光る、ヌーヴェル・ヴァーグの代表作
1950年代末からフランスで起きた映画運動“ヌーヴェル・ヴァーグ”の評価を確立した、ジャン=リュック・ゴダールの長編デビュー作。主役の若きカップルに漂う虚無感を、粋なライフスタイルを通じ鮮烈に描く。
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COLUMN/コラム2022.10.11
カトリック牧師のストイックな信念にレジスタンス精神を投影したメルヴィルの異色作『モラン神父』
若き牧師の道義心に共鳴し、やがて惹かれていく未亡人の葛藤 フレンチ・ノワールの巨匠ジャン=ピエール・メルヴィル。マフィアや殺し屋、詐欺師など裏社会で生きる男たちの友情と裏切りと道義心をテーマに、『いぬ』(’63)や『ギャング』(’66)、『サムライ』(’67)、『仁義』(’70)といったノワール映画の名作を世に送り出したわけだが、そんなメルヴィルが第二次世界大戦下のフランスの田舎を舞台に、若い牧師に恋をした女性の戸惑いと葛藤を描いた異色作が、ジャン=ポール・ベルモンドとの初コンビ作ともなった『モラン牧師』(’61)である。 ナチス・ドイツ占領下のフランス。アルプスの麓の小さな田舎町に住む女性バルニー(エマニュエル・リヴァ)は、ユダヤ人の夫を戦場で亡くして幼い娘をひとりで育てる未亡人だ。町に駐留しているイタリア兵は住民に対して友好的ではあるものの、しかし戦時下の日常には様々な不安がつきまとう。女性ばかりの職場で働いている彼女は、美人でやり手の女性上司サビーヌ(ミコル・ミレル)に淡い恋心を寄せることで、日々のストレスを紛らわせていた。 やがて町にドイツ軍がやって来る。最愛の娘にはユダヤ人の血が流れているし、自身も共産主義者であるバルニーは、同じように子供を持つ同志の女性たちと相談し、万が一のことを考えて子供たちにカトリック教会の洗礼を受けさせる。もちろん、あくまでもドイツ軍から我が子を守るためであり、バルニー自身は神の存在など信じていない。自分でも牧師の告解を受けようと考えた彼女は、そこで同世代の若い牧師レオン・モラン(ジャン=ポール・ベルモンド)と知り合う。無神論者であることを隠すことなく、神の存在やカトリック教会への疑問を問いただすバルニー。反発や批判を受けると思った彼女だが、しかしモラン神父はバルニーの疑問のひとつひとつを真摯に受け止め、参考になる本を貸しましょうと彼女を司祭館へと招待する。 振り返って、カトリックの司祭でありながら「宗教はブルジョワの利益のために歪められている」と本音を吐露し、常に弱者の側に立って自らの道義心に従い行動する本作のモラン神父もまた、紛れもないレジスタンス精神の持ち主であると言えよう。それを強く浮き彫りにするのが、ヒロインであるバルニーの存在だ。神の存在を否定する共産主義者であり、娘の安全を守ることが常に最優先だった彼女だが、しかしモラン神父との対話と交流を通じて宗教への理解を深め、我が身の危険も顧みず他者へ手を差し伸べていく。それは恐らく、モラン神父がその言葉と行動で示す「人としての正しさ」、すなわち彼の道義心に強く感化されたのだろう。 さらにモラン神父は自らの美しい容姿や知性によって、バルニーら様々な問題を抱えた女性たちを性的に惹きつける。メルヴィル監督曰く、「レオン・モランはドン・ファン」である。劇中でバルニーやクリスティーヌが察したように、彼は自らが男性として魅力的であることを自覚しており、それを用いて女性たちを夢中にさせるのだが、しかし決して彼女らの期待には応えない。それは聖職者としての節度をわきまえているからというよりも、まるで女性たちへ「誘惑に抵抗して克服する」ための試練を与えているかのようだ。そう考えると、バルニーを特別扱いしているように思えたモラン神父が、いきなり理由もなく彼女を突き放してみせる行動の不可解さも理解できよう。恐らく、他の女性にも同様のことをしているはずだ。これは、政治や思想に左右されることのない道義心を持つ聖職者が、その揺るぎなきレジスタンス精神をもって迷える子羊たちを教え導いていく物語。そういう意味で、やはりメルヴィル監督らしい映画と言えるだろう。 フランス文学界の権威ゴンクール賞に輝くベアトリス・ベックスの原作本に感銘を受け、当時ヨーロッパで最も影響力のある映画製作者のひとりだったカルロ・ポンティに映画化企画を持ち込んだメルヴィル監督。そこでポンティからモラン神父役に勧められたのがジャン=ポール・ベルモンドだった。ご存知の通り、ベルモンドとメルヴィルはジャン=リュック・ゴダール監督の出世作『勝手にしやがれ』(’60)で共演したことのある仲だ。当時、イタリアでポンティが製作するヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ふたりの女』(’60)を撮影中だったベルモンドは、現場へ足を運んだメルヴィル監督から直接オファーを受けたものの、当初は出演に後ろ向きだったという。やはり、自分のイメージが聖職者役に合うかどうか懐疑的だったようだ。 『モラン神父』© 1961 STUDIOCANAL - Concordia Compagnia Cinematografica S.P.A. - Tous Droits Reserves
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PROGRAM/放送作品
気狂いピエロ
ゴダールが到達したヌーヴェル・ヴァーグの頂点。詩と色彩と刹那が奇跡的なまでに美しく溶け合う映像詩
意表を突いたショットを次々繰り出し、ジャン=リュック・ゴダールが才気を余すところなく発揮した集大成作。ゴダール作品の常連ジャン=ポール・ベルモンドが自由奔放な主人公に扮し、アナーキーな存在感を魅せる。
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COLUMN/コラム2021.12.13
ゴダール「アンナ・カリーナ時代」のクライマックス!『気狂いピエロ』
1950年代末にフランスで興った映画運動、“ヌーヴェル・ヴァーグ”。撮影所における助監督等の下積み経験のない若い監督たちが、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法で撮り上げた諸作は、世界の映画史に革命的な影響を及ぼした。 その中でも、1930年生まれのジャン=リュック・ゴダールの長編第1作『勝手にしやがれ』(1959)は、センセーショナルな話題を巻き起こした。以降ゴダールは、フランソワ・トリュフォーやクロード・シャブロルらと共に、“ヌーヴェル・ヴァーグ”の中心的な存在となる。 60年代後半に“ヌーヴェル・ヴァーグ”が終焉した後も、精力的に続けられた彼の映画活動を、その変貌に於いて大別すると、次のように分けられるという。「カイエ・デュ・シネマ時代」(1950~59)「アンナ・カリーナ時代」(60~67)「毛沢東時代」(68~73)「ビデオ時代」(74~80)「1980年代」(80~85)「天と地の間の時代」(80~88)「回想の時代」(88~98)。 この時代分けは、一部時期が重なるところもあるし、ゴダールが“ヌーヴェル・ヴァーグ”の母体となる同人誌に関わるようになった二十歳の頃から、20世紀の終わり頃までのほぼ半世紀の間の区分けに限られる。ゴダールは、21世紀になって齢70を越え80代を迎えても映画を撮り続けたわけだから、その時期は何と言うのかといった疑問は残れど、今回はそういったことを掘り下げるのが、本旨ではない。 この時代分けを記した理由、それは“アンナ・カリーナ”である。何はともかくゴダール本人が―なぜアンナ・カリーナなのか? なぜならアンナ・カリーナなのだから!-などと言うほどに、女優のアンナ・カリーナとのコラボ抜きでは語れない、映画活動の時期「アンナ・カリーナ時代」があった。 ゴダールより10歳下の、1940年生まれのデンマーク人女性、ハンネ・カリン・バイヤーがパリに出てきたのは、18歳の時。フランス語が全然喋れず、飲まず食わずの生活が続いたが、ある時カフェの椅子に座っていると、モデルにスカウトされた。 モデルとしての活動が段々と評判になって、高級ファッション誌の「エル」からも声が掛かるように。その撮影現場で出会い、ハンネに“アンナ・カリーナ”の名を与えたのは、かのココ・シャネルであったという。 ゴダールとの出会いは、彼の処女長編『勝手にしやがれ』への出演交渉をされた時。出番が僅かながら、乳房を見せることを要求される役をオファーされたため、にべもなく断っている。 その後『勝手にしやがれ』を撮り終えたゴダールは改めて、長編第2作となる『小さな兵隊』(61)の主演をオファー。その撮影中にゴダールはカリーナに求愛し、間もなくして結婚に至った。 60~67年の8年間に渡る「アンナ・カリーナ時代」に、ゴダールは長編を15本監督しているが、カリーナはその内の7本、更に短編1本に主演している。その中で本作『気狂いピエロ』(65)は、最高傑作と評される。「アンナ・カリーナ時代」、延いてはゴダールの60年以上に及ぶ映画監督としてのキャリア、更には“ヌーヴェル・ヴァーグ”という映画運動全般を俯瞰しても、最高峰に位置するとの声が高い作品なのである。 『気狂いピエロ』に、カリーナと共に主演するのは、ジャン=ポール・ベルモンド。ゴダールとは、1958年の短篇『シャルロットと彼女のジュール』に出演したことから付き合いが始まり、『勝手にしやがれ』の主演で、スターダムへとのし上がった。 ゴダール作品への出演は、『女は女である』(61)、そしてこの『気狂いピエロ』まで続くが、ベルモンドはその後、ゴダール作品及びゴダール本人とも訣別。60年代後半以降はアクション映画を中心に出演し、フランスの国民的大スターになっていったのは、多くの方がご存知の通りである。 そんなベルモンドは、1975年の山田宏一氏によるインタビューで、本作『気狂いピエロ』を大好きな作品としつつも、「…いまのゴダールは別人になったようで、お手上げだけどね(笑)。『気狂いピエロ』のロマンチックなゴダールはどこかへ行っちまった」などと語っている。 ***** 金持ちのイタリア人女性と結婚したフェルディナン(演: ジャン=ポール・ベルモンド)は、失業中で怠惰な日々を送っている。そんな時に、かつての恋人マリアンヌ(演:アンナ・カリーナ)と、5年半振りに再会する。 マリアンヌはフェルディナンのことを、“ピエロ”と呼ぶ。そんな彼女と一夜を共にすると、朝になってその部屋の一角に、頸にハサミを突き立てられた見知らぬ男の死体が転がっていた。事情がわからぬまま、フェルディナンはマリアンヌと、逃避行を始める。 フェルディナンは活劇マンガ「ピエ・ニクレ」を持ち、マリアンヌは銃を持って、彼女の兄がいるという南仏へと向かう。強盗を行ったり、警察の追跡を躱すために死んだと見せかける偽装工作を行ったり、車を乗り捨てたり…。逃亡の旅が続く内に、やがて2人は、ロビンソン・クルーソーのような生活を送るようになっていった。 ところがある時、またもや頸にハサミを突き立てた男の死体を残して、マリアンヌは消える。フェルディナンは、死んだ男の仲間と思われるギャングたちに捕まり、拷問を受ける。マリアンヌは殺人を犯して、5万㌦を持ち逃げしていたのだ。彼女が“兄”と言っていたのは、ギャングたちと敵対する組織のボスで、彼女の情夫であった。 フェルディナンがマリアンヌを見つけると、彼女は再び彼を犯罪に巻き込んでから、またも行方をくらます。フェルディナンは銃とダイナマイトを持って、マリアンヌが逃げた島へと追っていくのだったが…。 ***** 元はゴダールが映画化権を買った、アメリカの犯罪小説を、シルヴィー・ヴァルタン主演で映画化しようとしたところから、本作の企画は始まった。しかしヴァルタンには出演を断られ、その後アンナ・カリーナとリチャード・バートン主演で撮ろうと試みる。この組み合わせは、バートンが「あまりにハリウッド化されてしまっていた」ために流れ、結局カリーナとベルモンドという組み合わせでの製作となった。 実はゴダールとカリーナの結婚生活は、1964年の終わり頃には破綻していた。『気狂いピエロ』は2人が離婚後にも組んで撮った3本の長編の2本目であった。 筋立てとしては、ファム・ファタール~運命の女、魔性の女~を愛してしまったが故に、自滅していく男の物語で、典型的な“フィルム・ノアール”。しかしゴダールの作品だけに、そんな一筋縄にはいかない。物語は逸脱に逸脱を重ね、あらゆる場面が、多彩な映画的・文学的・芸術的引用に彩られている。 “ヌーヴァル・ヴァーグ”に於いてゴダールの盟友だったフランソワ・トリュフォーは、まだお互い10代で出会った頃に驚きを覚えた思い出として、ゴダールの読書の仕方や映画の鑑賞方法を挙げている。曰く、本棚から40冊もの本を引っ張り出して、一冊一冊、最初と最後のページだけを読んでいく。午後から夜までに5本の映画を、それぞれ15分ずつ見ていく。大好きな映画でも、20分ずつちょん切って見ては、何度も映画館に足を運ぶ…。 ゴダールはそんな風にして得た膨大な知識を、映画の中に次々と引用していく。それがゴダール作品の、独特な文体のベースとなっていったわけだ。『気狂いピエロ』で、サードの助監督に就いていた俳優のジャン=ピエール・レオによると、本作の台本は、27のシーンから成るストーリーを大雑把に要約した30頁ほどのものしかなかったとのこと。その台本には、カメラの位置やアングルの指定どころか、セリフも全く書かれていなかった。 セリフは撮影の前の晩か当日の朝、ゴダールが即興で書き、俳優にはカットごとに口伝てで教えられるだけ。ちょっと長いセリフの場合だけ、撮影の1~2時間前に、ゴダールが学生ノートに青のボールペンで書いたものが、俳優に渡されたという。 そして本番では、カメラの位置が決まると、リハーサルは簡単に行われ、ほとんどすぐに撮影になった。同じセリフを何度も言うのが嫌いだったというベルモンドは、1回か2回のテイクで、演技を見事に決めたという。 因みにスタッフに配られる台本にも、余計なことは全く書かれていなかった。しかし、本作のストーリーは「敬愛するジャン・ルノワール監督の『牝犬』(1931)にヒントを得ている」とか「フェルディナンとマリアンヌの道中はチャップリンの『モダンタイムス』(36)のラストで恋人たちが仲よく道を歩き去っていくように」など、引用の出典は具体的に書き込まれていたという。 さてこうして作り上げられた『気狂いピエロ』は、1965年8月に世界三大映画祭のひとつ、イタリアの「ヴェネチア国際映画祭」に出品。しかし会場ではブーイングの嵐が沸き起こり、賞の対象にはならなかった。 これに対し、擁護の論陣を張って、逆にゴダールの芸術的な評価を決定づけたのが、フランスの小説家であり、文芸評論家でもあった、ルイ・アラゴンだった。ダダイズムやシュールレアリズムを牽引し、ナチス・ドイツの占領下では、文筆活動によって抵抗を行った、レジスタンスの詩人として知られるアラゴンは、「今日の芸術とはジャン=リュック・ゴダールにほかならない」とまで書いて、『気狂いピエロ』を激賞した。 アラゴンはゴダール作品の特徴である「引用」を、絵画の「コラージュ」と比較した。「コラージュ」とは、画面に印刷物、布、針金、木片、砂、木の葉などさまざまなものを貼り付けて構成する絵画技法を指す。ピカソやブラックなどのキュビストが用い、ダダイストやシュールレアリストの芸術家によって発展を遂げた。こうした技法を映画に持ち込んだゴダール作品は、「最も現代的な」芸術だと、アラゴンは、擁護と共に褒め称えたのである。 このような経緯があって、本作でゴダールの“芸術家”としての声価は決定的となる。そしてそれから暫しの時を経て、「アンナ・カリーナ時代」は終わりを告げる。 1967年8月、ゴダールは商業映画との決別宣言文を発表。その作品や発言などが、政治性を強めていく。その翌年=68年5月、フランスでは学生の反乱がゼネストへと発展し、時のドゴール政権を揺るがす“5月革命”が起こった。その最中に開かれた「カンヌ国際映画祭」に、ゴダールはトリュフォーやクロード・ルルーシュ、ルイ・マルらと共に乗り込んで、中止へと追いこむ。 いわゆる「毛沢東時代」(68~73)へと突入していったわけだが、この時代のゴダール作品のミューズは、アンナ・カリーナからアンヌ・ヴィアゼムスキーへと変わるのであった…。 さて、『気狂いピエロ』の公開から56年。ヒロインのアンナ・カリーナに続いて、今年はベルモンドまでが、鬼籍に入ってしまった。 既存の映画文法を破壊した『気狂いピエロ』を観て、今から56年前=1965年に映画史に放たれた閃光を追体験し、カリーナとベルモンドを悼んで欲しい。これもまた映画を観続けていく、醍醐味なのかも知れない。■ 『気狂いピエロ』© 1962 STUDIOCANAL / SOCIETE NOUVELLE DE CINEMATOGRAPHIE / DINO DE LAURENTIS CINEMATOGRAPHICA, S.P.A. (ROME). ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
女は女である
アンナ・カリーナのコケティッシュな魅力満載で送る、ジャン=リュック・ゴダール監督流コメディ
ともすると難解と敬遠されがちなゴダール監督の単純明快なコメディ作。ベルリン国際映画祭銀熊賞、主演女優賞を受賞するなど世評も非常に高い作品。数々の名作を手掛けた、ミシェル・ルグランが音楽を担当した。
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COLUMN/コラム2020.03.04
メルヴィルのノワール美学を最初に確立した傑作ギャング映画。『いぬ』
裏社会に生きる男たちの友情と裏切りと哀しい宿命 フレンチ・ノワールの巨匠ジャン=ピエール・メルヴィルが生んだ“最初の傑作”とも呼ばれる映画である。メルヴィルといえば、マイケル・マンにウォルター・ヒル、ウィリアム・フリードキン、ジョン・ウー、リンゴ・ラム、キム・ジウン、パク・チャヌク、そして北野武に至るまで、世界中の映画監督に多大な影響を与えたウルトラ・スタイリッシュな演出とダークな映像美で知られているが、その「メルヴィル・スタイル」を最初に確立した作品が、裏社会に生きる男たちの友情と裏切りと哀しき宿命を描いたギャング映画『いぬ』(’63)だった。 原題の「Le doulos」とはフランス語で「帽子」を意味するスラングだが、同時に裏社会では「密告屋」の意味も兼ねるという。日本語タイトルの「いぬ」はそこから来ている。舞台はパリのモンマルトル。6年の刑期を終えて出所した強盗犯モーリス(セルジュ・レジアニ)が、かつての仲間ジルベール(ルネ・ルフェーヴル)のもとを訪ねるところから物語は始まる。服役中も支えてくれたジルベールを躊躇することなく射殺し、彼が直近の強盗仕事で稼いだ宝石類や現金を奪って、拳銃と一緒に街灯の下へ埋めるモーリス。そこへ、ジルベールのボスであるアルマン(ジャック・デ・レオン)とヌテッチオ(ミシェル・ピッコリ)が宝石を回収するため現れるが、モーリスはうまいこと逃げおおせる。 モーリスがジルベールを殺した理由は、服役中に妻アルレットを口封じのため殺害した犯人が彼だったから。友情に厚く裏社会の仁義を重んじるモーリスだが、それゆえ裏切り者に対しては容赦なく、復讐は必ず成し遂げる執念深い男だ。愛人テレーズ(モニーク・エネシー)のアパートに居候している彼は、新たな強盗計画を準備している。協力者は親友シリアン(ジャン=ポール・ベルモンド)とジャン(フィリップ・マルシュ)、レミー(フィリップ・ナオン)の3人だ。シリアンとジャンが手はずを整え、モーリスとレミーが実行に移す。ところが、計画通りに大豪邸へ押し入ったモーリスとレミーだったが、気付くとなぜか警官隊によって包囲されており、慌てて逃亡を図るもののレミーが射殺され、モーリスもサリニャーリ警部と相撃ちで重傷を負ってしまう。その頃、シリアンはテレーズの部屋へ押し入って犯行先の住所を聞き出していた。 ジャンの自宅で目を覚ましたモーリス。ジャンの妻アニタ(ポーレット・ブレイル)に介抱してもらうが、しかしどうやって彼が犯行現場からここまで運ばれたのか彼女は知らず、モーリス本人も意識を失っていたため記憶にない。それよりも誰が警察に密告したのか。レミーはサリニャーリ警部に殺されたし、ジャンは妻に頼んで自分を匿ってくれている。シリアンが警察の「いぬ」だという噂を耳にしたことはあったものの、無二の親友ゆえ頑なに信じようとしなかったモーリスだが、しかしこうなっては彼が密告屋だと考えざるを得ない。しかも新聞報道によると、テレーズが崖から車ごと転落して死んだという。これもシリアンの犯行かもしれない。猛烈な怒りと復讐心に駆られたモーリスは、自分の身に何か起きた時のため宝石を埋めた場所をアニタに伝え、シリアンの行方を探し始めるのだが、しかし警察のクラン警部(ジャン・ドザイー)によって逮捕されてしまう。 一方、シリアンはモーリスがジルベールから奪って埋めた宝石と現金、拳銃を秘かに掘り起こし、そのうえでかつての恋人ファビエンヌ(ファビエンヌ・ダリ)に接触する。今はヌテッチオの愛人となっているファビエンヌに、ジルベール殺しの犯人はアルマンとヌテッチオの2人だと吹き込むシリアン。「お前も今みたいな愛人暮らしなんて嫌だろう」「やつらを始末して俺と一緒にならないか」とファビエンヌに持ち掛けた彼は、アルマンとヌテッチオを罠にはめようと画策する。果たしてその意図とは一体何なのか、そもそもシリアンは本当に警察の「いぬ」なのか…? 偶然の積み重ねから実現した企画 極端なくらいにモノクロの陰影を強調した撮影監督ニコラ・エイエの端正なカメラワークと、厳格なまでにハードボイルドでストイックなメルヴィルの語り口にしびれまくる正真正銘のフレンチ・ノワール。セリフの多さが今となってはメルヴィルらしからぬと感じる点だが、しかしシーンの細部まで時間をかけて描いていくところや、日本の侘び寂びの概念にも通じる空間の取り方などは、まさしくメルヴィル映画の醍醐味。それまでにも『賭博師ボブ』(’56)や『マンハッタンの二人の男』(’59)でノワーリッシュな題材に挑んでいたメルヴィルだが、しかしその後の『ギャング』(’66)や『サムライ』(’67)、『仁義』(’70)、『リスボン特急』(’72)といった代表作に共通する、トレードマーク的な演出スタイルを初めて総合的に完成させた映画は本作だったと考えて間違いないだろう。 原作はフランスの大手出版社ガリマール傘下の犯罪小説専門レーベル、セリエ・ノワールから’57年に出版された作家ピエール・ルズーの同名小説。その校正刷りを手に入れて読んだメルヴィルはたちまち魅了され、自らの手で映画化することを望んでいたが、しかし密告屋と疑われる主人公シリアンに適した役者に心当たりがなく、これぞと思える人材と出会うまで企画を温存しておこうと考えたそうだ。それから3年後、メルヴィルは彼を心の師と仰ぐジャン=リュック・ゴダールの出世作『勝手にしやがれ』(’60)に俳優として出演し、そこで2人の人物と知り合って意気投合する。それが、同作のプロデュースを手掛けた新進気鋭の製作者ジョルジュ・ドゥ・ボールガールと主演俳優ジャン=ポール・ベルモンドだ。 ゴダールやジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダらの名作を次々と手がけ、ヌーヴェルヴァーグの陰の立役者となったボールガールは、当時イタリアの大物製作者カルロ・ポンティと組んでオーム・パリ・フィルムという制作会社を経営していた。『勝手にしやがれ』でメルヴィルと知遇を得た彼は、第二次世界大戦下のフランスを舞台に若き神父とレジスタンス女性の愛を描いたメルヴィル監督作『モラン神父』(’61)をジャン=ポール・ベルモンドの主演でプロデュース。続いてクロード・シャブロルの『青髭』(’63)を準備していたボールガールだったが、撮影に入る直前に共同製作者が突然降板したため予算不足に陥ってしまう。そこで彼は、手元にある資金で確実に当たる低予算の娯楽映画を急ピッチで製作し、そこから得た利益を『青髭』の予算に充てることを思いつき、その大役をメルヴィルに任せることにしたのだ。 ボールガールからメルヴィルに提示された条件は、当時すでにフランス映画界の若手トップスターとなっていたジャン=ポール・ベルモンドを主演に起用すること、そしてフランス庶民に絶大な人気を誇るセリエ・ノワールの犯罪小説シリーズから原作を選んで映画化することだった。当然、メルヴィルが選んだのは以前から目星をつけていた『いぬ』である。しかも、前作『モラン神父』で組んだベルモンドは主人公シリアンのイメージにピッタリだった。彼にとってはまさしく千載一遇のチャンス到来である。すぐさま脚本の執筆に取り掛かったメルヴィルは、’62年の晩秋から冬にかけて撮影を行い、翌年2月の劇場公開に間に合わせるという超速スケジュールを敢行。結果的に当時のメルヴィルのキャリアで最大のヒットを記録し、一か八かの賭けに出たボールガールも無事に『青髭』の製作費を確保することが出来たのである。 メルヴィル映画のアンチヒーロー像を体現したベルモンド 小説版の基本的なプロットだけを残し、それ以外は自由自在に脚色したというメルヴィル。先述したような洗練されたビジュアルの美しさもさることながら、誰が密告者で誰が嘘をついているのか、友情と裏切りと疑心暗鬼の渦巻く一連のストーリーの流れを、警察の「いぬ」と疑われたシリアンと彼への復讐に燃えるモーリス、それぞれの視点から交互に描きつつ、やがて予想外の真相へと導いていく脚本の構成が実に見事だ。蓋を開けてみれば「なるほど、そういうことか」と思えるものの、しかしそこへ辿り着くまでに観客の目を欺き翻弄していくメルヴィルの手練手管には舌を巻く。また、シリアンが警察署で尋問を受けるシーンも、実はおよそ10分近くにも及ぶワンカット撮影なのだが、あえてそうと観客に気付かせない巧みな演出に感銘を受ける。 常にクールで無表情、何を考えているか分からない謎めいた男シリアンを演じるジャン=ポール・ベルモンドも、ゴダールのヌーヴェルヴァーグ映画やフィリップ・ド・ブロカのアクション映画などで見せるエネルギッシュな個性とは全く異なる、メルヴィル映画らしいダンディなアンチヒーロー像を体現していてカッコいい。興味深いのは、トレンチコートに中折れ帽を被ったそのいで立ちが、長年のライバルと目されていた『サムライ』のアラン・ドロンと酷似している点であろう。そもそも、シリアンとモーリスの2人の主人公が鏡に向かって帽子を整えるシーンを含め、本作には後の『サムライ』を彷彿とさせるムードが色濃い。そういう意味でも、メルヴィル・ファンであれば見逃せない作品だ。 しかし、恐らく本作で最も印象深いのはモーリス役を演じるセルジュ・レジアニであろう。冷酷非情な犯罪者でありながら、その一方で暗黒街の掟や仁義を何よりも尊重する、まるで日本の任侠映画に出てくるヒーローのような男。アメリカの古い犯罪映画だけでなく、黒澤明や溝口健二などの日本映画も熱愛したメルヴィルならではのキャラクターだ。ジャック・ベッケルの『肉体の冠』(’51)でレジアニを見て以来、いつか一緒に仕事をしたいと熱望していたメルヴィルは、決して感情を表に出すことなく抑制を効かせた彼の芝居を高く評価していたという。ベルモンドが役作りをする際にも、メルヴィルはレジアニをお手本にするよう指導したとされる。しかし、あまりにもメルヴィルがレジアニばかりを褒めるものだから、すっかりベルモンドはへそを曲げてしまったらしく、直後に撮影された次回作『フェルショー家の長男』(’63・日本未公開)を最後に2人は袂を分かつこととなる。 なお、メルヴィルは『ギャング』の主人公役にもレジアニを起用しようと考えたが、紆余曲折あってリノ・ヴァンチュラを代役として立てることに。やはり、ビッグネームとは言えないレジアニに、映画の看板を背負わせるのは難しかったのだろう。その後、レジスタンス映画『影の軍隊』(’69)の脇役としてレジアニを使ったメルヴィルだが、彼らのコラボレーションもそれっきりとなってしまった。■ 『いぬ』© 1962 STUDIOCANAL - Compagnia Cinematografica Champion S.P.A.
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PROGRAM/放送作品
モラン神父【4Kレストア版】
神父と未亡人の“愛”が絶望的にすれ違う…巨匠ジャン=ピエール・メルヴィルが贈る文芸ドラマ
犯罪映画の巨匠ジャン=ピエール・メルヴィル監督が描く文芸ドラマ。神への愛に生きる神父と彼に惹かれた未亡人の想いとの対比を、監督の盟友アンリ・ドカエが撮影した陰影を強調した映像で美しくも切なく綴る。
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COLUMN/コラム2016.08.06
【未DVD化】タイトルに「大」が付くジェラール・ウーリー監督作はフレンンチ・コメディのなかでもとびきりの面白さの証し〜『大頭脳』〜
1969年8月9日日本公開なので、おそらく1961年生まれの僕は8歳だった。育った岩手県盛岡市には映画館が密集する映画館通りというのがあり、きっとそこのど真ん中にあった盛岡中劇で観たと思う。1968年4月日本公開の、フランクリン・J・シャフナー監督の『猿の惑星』はのちにテレビの洋画劇場で観たので、ラストに自由の女神像を初めて観たのも(『猿の惑星』のラストで驚愕させるのも自由の女神像だった)、この映画だったはずだ。いまでも鮮明に記憶している。 ともかく、デヴィッド・ニーヴン演じるブレインが、脳みそが詰まっていると見えて、事あるごとにカックンと首を傾けるのがおかしかった! ジェラール・ウーリー監督作品には、『大追跡』(1965) 『大進撃』(1966) 『大頭脳』(1969) 『大乱戦』(1971) 『大迷惑』(1987) と「大」が付くタイトルが多かったが、フランス映画のコメディのなかでもそれは、とびきりの面白さの証しだった。 脚本チーム、ジェラール・ウーリー監督と、『大追跡』『大進撃』のマルセル・ジュリアンと、『ラ・ブーム』(1980) のダニエル・トンプソンが紡いだ物語は、イギリスで実際に起こった大列車強盗事件を背景にした、軽いタッチのコメディ・サスペンス。NATOの軍資金、14か国の紙幣で1,200万ドルを、「悪党」と「野郎」と「奴ら」が三つ巴で同じ日、同じ時刻、同じ場所で狙うというものだった。 その「悪党」とはイギリスの紳士らしい列車強盗事件の首謀者で、その名も「ブレイン(頭脳)」というすこぶる付きの切れ者、イギリスのデヴィッド・ニーヴンが演じている。 その「野郎」とはかつてのブレインの共犯者で、相変わらずの汚い野郎ぶりで笑わせてくれる、美しい妹ソフィアと病的に溺愛するシシリーのマフィアのボス、スキャナピエコ。アメリカのイーライ・ウォラックが演じている。 その「奴ら」とはアナトールとアルトゥールのコンビ。アナトールは今はタクシー運転手だが、その秘密軍資金をいただこうと刑期満了の4日前にかつての相棒アルトゥールを脱獄させるのだ。フランスのジャン=ポール・ベルモンドとブールヴィル(『大追跡』『大進撃』といったウーリー監督作品常連のコメディアン) が演じている。 かくして大金は、パリからブリュッセルへ、ロンドンからシシリーを通ってニューヨークまで行ってしまう。大西洋上の豪華客船の船上に札束は舞い、三つ巴の戦いは引分けに終わる。ブレインは、敵ながら天晴れとばかりに、次の大仕事でアナトールとアルトゥールと手を組もうとする。で、ちゃんちゃんと終わる。 素晴らしいドタバタコメディだ。『八十日間世界一周』(1956) のデヴィッド・ニーヴンも、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966) のイーライ・ウォラックも最高だが、『リオの男』(1963) のジャン=ポール・ベルモンドと『大進撃』(1966) のブールヴィルのコンビがとぼけた味で、抱腹絶倒なのだ。 この英米仏の素晴らしい配役が、傑作のカギとなった。また、紅一点で活躍するスキャナピエコの妹ソフィアを演じるのはイタリア人女優シルヴィア・モンティ。黒いビキニ姿が艶かしい。その彼女がブレインに恋しちゃうので、面白いことに、マフィアのボスの嫉妬の炎は燃え盛る。彼女の存在そのものはもしかしたら、ハワード・ホークス監督作品『暗黒街の顔役』(1932) のトニー・カモンテ(ポール・ムニ) が溺愛した妹チェスカー(アン・ドヴォラーク) を狙ったのかもしれない。 そして面白いのは、冒頭にブレインが現金強奪の計画を仲間に説明するシークエンス。なんと、その説明にはカタカタ鳴る映写機を使うのだ。そこで上映されるのは計画の進行を表すアニメーション。軽快なコーラス(音楽がいい) 入りで流れるそのアニメのデヴィッド・ニーヴンは、走る列車の屋根をかっこよく駆け抜けたりする。ところが実際の本番ではアニメとは大違いで、ニーヴンときたら列車の屋根をよろよろと歩く始末。このギャップが大笑いだった。 音楽を担当したのはフランス人作曲家ジョルジュ・ドルリュー。『ピアニストを撃て』(1960) 『突然炎のごとく』(1962) 『柔らかい肌』(1963) 『恋のエチュード』(1971) 『私のように美しい娘』(1972) 『映画に愛をこめて アメリカの夜』(1973) 『逃げ去る恋』(1978) 『終電車』(1980) 『隣の女』(1981) 『日曜日が待ち遠しい』(1982) といったフランソワ・トリュフォー監督作品の音楽はどれも珠玉の名作で、とんでもなく好き。エンニオ・モリコーネを別格としてジョン・バリーらと並んで最も好きな映画音楽の作曲家のひとり。トリュフォー以外にも、ジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』(1963)、ケン・ラッセルの『恋する女たち』(1969)、ベルナルド・ベルトルッチの『暗殺の森』(1970)、フレッド・ジンネマンの『ジュリア』(1977)、ジョージ・ロイ・ヒルの『リトル・ロマンス』(1979)、オリヴァー・ストーンの『プラトーン』(1986) といった傑作揃いの音楽を手がけている。ジェラール・ウーリーの『大追跡』(1965) も手がけているが、フィリップ・ド・ブロカとも『リオの男』(1963) 『カトマンズの男』(1965) 『まぼろしの市街戦』(1967) 『ベルモンドの怪人二十面相』(1975) などを手がけており、フランスのコメディにはなくてはならない人だった。 この『大頭脳』は1970年半ばにはテレビの洋画劇場などでかかったものだった。DVD化を望みたい。■ © 1969 Gaumont (France) / Dino de Laurentiis Cinematografica (Italie)
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PROGRAM/放送作品
パリは燃えているか
ナチス占領下のパリを解放するためレジスタンスが立ち上がる!仏米オールスターキャストで描く戦争大作
巨匠ルネ・クレマン監督がアラン・ドロンら豪華キャストを集めて描いた戦争大作。当時のニュース映像を用いたリアルなドキュメンタリー・タッチも秀逸。若きフランシス・フォード・コッポラが脚本に参加している。
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PROGRAM/放送作品
ボルサリーノ
フランス映画界きっての人気スターが夢の競演!暗黒街をのし上がる男たちの友情を描くギャング映画
どこか陰を帯びたアラン・ドロンと飄々としたジャン=ポール・ベルモンドの魅力が共演作で絶妙にマッチ。2人が織りなす友情はもちろん、タイトルにもなった高級帽子ボルサリーノなど粋なファッションも必見。