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PROGRAM/放送作品
星の王子ニューヨークへ行く
アフリカの王子がニューヨークで花嫁探しに奔走!絶頂期エディ・マーフィの芸達者ぶりが楽しめるコメディ
マシンガン・トークや特殊メイクによる1人何役もの演じ分けなど、エディ・マーフィのコメディ特有の魅力が満載、彼の代表作の1本。監督は、『大逆転』でエディ・マーフィと組んだジョン・ランディス。
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COLUMN/コラム2022.09.30
コメディミュージカルの古典『ブルース・ブラザース』は、なぜ狂騒的なまでに巨大化したのか?
◆汝、光を見たか——音楽バラエティの人気キャラ、劇場映画化への過程 たとえ原点となる番組や映画を知らずとも、サングラスに黒帽子、黒服に身を包んだノッポとデブのコンビは、多くの人にカルチャーアイコンとして周知されているだろう。1980年に公開されたアメリカ映画『ブルース・ブラザース』は、そんな異貌をきわめた連中が、歌って逃げて大騒動を巻き起こすコメディミュージカルである。 ミュージカル、というのは、彼らの出自に由来するものだ。作品のメインキャラクターであるジェイク(ジョン・べルーシ)とエルウッド(ダン・エイクロイド)の義兄弟は、タイトルと同名のR&Bシンガー。パフォーマンスは抜群だが素行に難があり、刑務所でくさい飯を食ってきた問題児だ。 そんなジェイクの仮出所後、二人はかつて世話になった孤児院を訪れると、税金の滞納で存続の危機に直面していることを知る。 更生の証に、自分たちの心のふるさとを救いたい。はたしてどうすれば……? 彼らは打開策を得ようと訪れた教会で、神父の啓示から思わぬヒントを得る。「バンドだ!!」 汝、光を見たか——。ブルース・ブラザース(以下:BB)は滞納金を肩代わりすべく、バンドを再集結させて金を稼ごうと思い立ったのだ。だがしかし、仮出所の身でありながら、ジェイクたちはバンドメンバーを半ば強制的にショービジネスの世界へと誘導し、さらには誘拐、そして破壊に次ぐ破壊と、実行の過程で無自覚に犯罪をおかしまくるのである。そしてクライマックス、映画は州兵や警察、SWATを総動員しての、シカゴ市街を制圧する大スペクタクルを展開させ、コメディを越境したパニック映画の様相を呈していくのである。 トラブルメーカーとして物語を牽引するBBは、もともと米TVバラエティ『サタデー・ナイト・ライブ』(以下『SNL』)の音楽スケッチに登場する名物キャラクターだった。同番組の出演者であるコメディアンのジョン・べルーシとダン・エイクロイドによって結成され、エイクロイドが経営するバーで週末ライブをおこなったり、同時にスタジオを盛り上げるための前座として番組に登場。そこから徐々に知名度を上げ、インパクトの強い存在感を示していく。ちなみにブルース・ブラザースというコンビ名は、後に同番組の音楽プロデューサーとなり、さらには映画作曲家として名を馳せるハワード・ショアの即興アナウンスにちなむものだ。 かくしてBBは『SNL』が生んだ気鋭のシンガーとして注目を集め、1978年11月にデビューアルバム「ブルースは絆/ブルース・ブラザーズ・ライヴ・デビュー」をリリースする。このアルバムは同年9月にロサンゼルスのユニバーサル・アンフィシアターで、同じくコメディアンであるスティーブ・マーティンのショーに出演したさいの演奏が音源となっている。このショーのゲスト司会を務めていた一人が『スター・ウォーズ』(77)のレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーで、彼女が『BB』にジェイクを付け狙う謎の刺客として登場するのは、これがパイプとなっている。 「ブルースは絆」はビルボードのヒットチャート1位を獲得して350万枚を売り上げ、史上もっとも売れたブルースアルバムになった。こうした高波はコメディ俳優ジョン・べルーシの知名度を押し上げることとなり、その勢いは『SNL』での人気に加え、初の主演映画『アニマル・ハウス』(79)を興行的成功へと導いた。そして『BB』映画化の気運を上げていったのである。 なにより重要なのは、このファーストアルバムのライナーノーツに、ジェイクとエルウッドのフィクショナルな経歴が記載され、それが映画への決定的な導きとなったことだろう。そこに光を見たアイクロイドは、これを叩き台にBBのバックストーリーにまつわる脚本を執筆。『アニマル・ハウス』を成功させたユニバーサルが入札して映画化権を取得し、監督も同作を手がけたジョン・ランディスが拝命することとなったのである。 ◆大きく影響を及ぼした、スピルバーグの戦争コメディ このチャプターは映画を観た後の追補的なものとなるが、それにしてもなぜ『ブルース・ブラザース』は、はみ出し者のささやかな慈善物語のはずが、上映時間133分に及び、そして狂騒的なまでにスペクタキュラーな作品へと変貌してしまったのだろう? 前者は脚本執筆経験のなかったエイクロイドが、セオリーを念頭に置かず、書きたい要素をすべて脚本に綴ったことが起因している。そのため初稿は従来の倍はある300ページの大冊となり、エイクロイドは自省と皮肉を込め、この脚本の表紙をイエローページ仕様にしている。 ランディスはそんな膨大な脚本を大幅に加工し、劇場映画として成立するよう調整したが、それでも縮小しきれず作品は148分に及び、プレビューを経て最終的に133分へと刈り込んだ。このリカット前のロングバージョンが、DVDで発表された「コレクターズ・エディション版」の正体だ(ザ・シネマでは133分の劇場オリジナル公開版を放送)。 加えて映画はジェームズ・ブラウンやアレサ・フランクリン、レイ・チャールズにジョン・リー・フッカー、そしてキャブ・キャロウェイといった音楽界の大物アーティストが出演し、劇中における彼らのパフォーマンスを均等に、そして余すところなく入れようとしたことで、本作の長編化は必然になったとも言われている。 そして後者だが、ランディスはもともと「グロスアウト」と呼ばれるバカげた笑いを信条に、それらがアクションと緊密に接合され、物語がスペクタクルへと変質していく傾向をスタイルとしている。前作『アニマル・ハウス』も、狼男伝説をコメディに置換した『狼男アメリカン』(81)も、こうした作家的特性のもとにあり、監督はそれを『BB』にも適合させ、そして極めようとしたのだ。 ランディスのこうした企図を焚きつけた要因のひとつに、同時期にスティーブン・スピルバーグ監督が手がけた戦争コメディ『1941』(79)の存在が挙げられる。当作はジョン・べルーシの主演映画として『BB』に先行し、ある種の指標となった。また同じユニバーサルの製作・配給映画だったために台所事情は筒抜けで、『1941』が最終予算として2,600万ドル(公称)を調達し、クライマックスの大騒動を可能としたことをランディスは知るのだ。 幸か不幸か『BB』は脚本の大幅なリライトによって予算の見通しが立たず、撮影開始後からかなり経っても具体的な製作費が決まらなかった。そのため撮影進行に応じてバジェットが上乗せさせ、最終的には『BB』は3.300万ドルの超大作となった。その背後には、『1941』の存在が妙々に関わっているのである。 この予算に関する余話として、ランディスは皮肉と友情を込めてスピルバーグに税査定職員としてカメオ出演を依頼した。もともとはランディスが『1941』で『ダンボ』(41)を上映中の映画館に、バイクで乗り付ける兵士の役で出演し、その返礼というべきものだが、スピルバーグも彼の勇気とチャレンジを賞賛し、これを快諾。さらには返す刀で人気SF TVドラマの名作『ミステリー・ゾーン』(59〜64)の劇場版アンソロジー『トワイライトゾーン/超次元の体験』(83)の監督の一人としてランディスを任命する(映画の冒頭、深夜のドライブでダン・エイクロイドがアルバート・ブルックスを相手に、テレビ番組のイントロ当てをするスケッチは、昔のランディスとスピルバーグにまつわる逸話を脚色したものだ)。 後に同作における不幸な撮影事故で、ランディスとスピルバーグとは袂を分つことになるが、80年代ハリウッドを牽引した二人の関係性もまた、別種のジェイクとエルウッドといえる。そしてそれは、『ブルース・ブラザース』を語るうえで欠くことのできない要素なのだ。■ 『ブルース・ブラザース』© 1980 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
サボテン・ブラザース
西部劇映画スターと本物の無法者の対決に爆笑! アメリカ産おバカ・コメディ史上屈指の傑作
『サタデー・ナイト・ライブ』出身のS・マーティンとC・チェイスが、ナンセンス・ギャグの帝王J・ランディスと組んで『荒野の七人』をパロった西部劇コメディ。あまりに可笑しすぎて気づかないが、感動のヒーローものとしても完成度は高く、スティーヴ・マーティンの才能に感服させられる。
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COLUMN/コラム2021.03.09
『サボテン・ブラザース』が愛される理由
日本の映画市場で長らく鬼門と言われ続けてきたジャンルの一つが、“アメリカン・コメディ”だ。たとえ本国でNo.1ヒットを飛ばした作品でも、日本公開では一部の例外を除いて、その多くが爆死を遂げてきた。公開されるのはまだマシな方で、日本のスクリーンには掛からずじまいだった作品も、少なくない。 その原因として繰り返し言及されたのが、文化的な差異による“笑い”の違い。その説明には、日本を代表する喜劇映画シリーズ『男はつらいよ』が、例として挙げられるパターンが多かった。いわく、日本的な人情風味が満載の寅さん映画を、仮に欧米で字幕付きで上映しても、ウケはしないだろうと。“アメリカン・コメディ”が日本でウケないのも、それと同じようなことだと。 何はともかく死屍累々の中、劇場公開時にヒットしたという話はきかないながらも、『¡Three Amigos!』を、「好きな作品」として挙げるケースには、よく遭遇してきた。邦題は、日本での“アメリカン・コメディ”の例外的なヒット作である『ブルース・ブラザース』(80)に因んで付けられたと思われる、『サボテン・ブラザース』(86)のことである。 監督が『ブルース…』と同じ、ジョン・ランディスなのはともかく、プロデューサーのローン・マイケルズと3人の主演陣は、アメリカのTV界を代表するコメディバラエティ番組「サタデー・ナイト・ライブ」ゆかりの面々。チェビー・チェイスとマーティン・ショートは、「サタデー…」にレギュラー出演して人気を博した時期があり、スティーヴ・マーティンは、ホストとして度々ゲスト出演して、評判になった。そうした意味で、正に“アメリカン・コメディ”の王道的なメンバーが集結している。 こうなると、これはホントに危うい。日本では、最もウケないパターンである。例えばランディス監督の前作で、チェビー・チェイスと、やはり「サタデー…」組のダン・アイクロイドが共演した『スパイ・ライク・アス』(85)のように。 ところが先に書いた通り、本作は日本でも「愛される」1本となった。それは劇場公開時よりも、むしろその後のレンタルビデオやTV放送を通じてとは思われるが。 本作の人気が高かった理由のまず一つは、物語の構造であろう。悪党に蹂躙される村人の声に応えて、勇者たちが心意気で助けに向かうというのは、『七人の侍』(54)や、そのリメイクである西部劇『荒野の七人』(60)などでお馴染みのパターンであるが、コメディとして、そこからの捻り方が絶妙である。 主人公たちが演じる勇者を見て、「本物」と“勘違い”した村人からの願い。それを「俳優の仕事」としての依頼と“勘違い”して受けた主人公たち。真実に気付いた時は、一旦逃げ出しかかるが、最終的には勇気を振り絞って、村人たちのために戦う。 この構図は後に、『スタートレック』シリーズへのオマージュが満載の『ギャラクシー・クエスト』(99)にも、転用される。こちらでは、宇宙船のクルー役を演じた俳優たちを、「本物」と宇宙人が勘違い。助けを求められた俳優たちは、“宇宙戦争”を戦うことになる。 他に、ピクサーのCGアニメ『バグズ・ライフ』(98)など、『サボテン・ブラザース』の影響下にあると思われる作品は、少なくない。 先に挙げた、本作の熱心なファンである三谷幸喜も、このパターンを自作に取り込んでいる。役所広司主演のTVドラマ「合い言葉は勇気」(00)は、本物の弁護士と勘違いされた俳優が、不法投棄を行う産廃業者を相手取った住民訴訟を戦う。また監督作である映画『ザ・マジックアワー』(08)も、ヤクザの組織が、佐藤浩市が演じる売れない俳優をプロの殺し屋と勘違いする話であり、このバリエーションと言える。三谷の作風として、登場人物たちの勘違いに勘違いが重なって、物語があらぬ方向に暴走していく展開があるのだが、本作の骨組みは正に、「ズバリ」だったのであろう。 こうした構成の下、繰り広げられるのが、本作の主演にして、製作総指揮・脚本も兼ねたスティーヴ・マーティンが言うところの、「セックスもドラッグも4文字言葉も出ていない」コメディである。日本の観客が一番お手上げになる、英語での言葉遊びのギャグなどよりも、体を張ったギャグの方が、際立つ仕掛けである。 『サボテン・ブラザース』© 1986 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
ブルース・ブラザース
伝説のミュージシャンたちが豪華集結!全身黒ずくめの悪ノリコンビが大暴走する破壊力満点コメディ
米国のコメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」の人気キャラクター“ブルース・ブラザース”が歌って踊って大暴れ。レイ・チャールズら有名歌手のゲスト出演や、破天荒なカー・アクションなど見せ場が満載。
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COLUMN/コラム2019.08.30
ドラゴン・クリーチャー映画の技術史『ドラゴンハート』
■フルスケールモデルが主流だったドラゴンの創造 本稿では1996年にロブ・コーエン監督が手がけたファンタジー映画『ドラゴンハート』にちなみ、西洋を代表する空想の怪物「ドラゴン」が実写作品の中でどのように可視化されてきたのかを振り返り、その技術的手法と本作とを文脈づけていく。 映画におけるドラゴンの初登場は諸説あるが、代表的なものとして名匠フリッツ・ラングが手がけた独サイレント映画『ニーベルンゲン』(24)が挙げられるだろう。北欧神話とゲルマン民族説話をブレンドさせ、二部構成で映画化した本作において、英雄ジークフリートとドラゴンとの戦いが描写されている。その表現はフルスケールの着ぐるみに複数の役者が入り、可動部を内部で操作していくスタイルだが、ドイツの一大製作会社ウーファの当時の資本力を象徴する、大がかりでスペクタキュラーな画作りには誰もが瞠目させられるだろう。またロシアの英雄イリア・ムウロメツの活躍を描いた同国作品『豪勇イリヤ 巨竜と魔王征服』(56)に出てくる三つ首のドラゴンもフルスケールモデルで作られ、火炎放射器で火を吐くギミックが仕込まれている。他にもB級モンスター映画を量産したバート・I・ゴードンの『魔法の剣』(61)にもフルスケールのドラゴンが登場。あまり満足とはいえない動きを見せるが、本作のドラゴンも大型クリーチャーならではの醍醐味を堪能させてくれる。 こうしたフルスケールモデルはドラゴン描写の常道であるかのように受け継がれ、『未来世紀ブラジル』(85)『12モンキーズ』(96)の鬼才テリー・ギリアムが監督した中世コメディ『ジャバーウォッキー』(77)のドラゴンや、ミヒャエル・エンデ原作の児童ファンタジー『ネバーエンディング・ストーリー』(84)の白毛におおわれたファルコンなど、80年代初頭くらいまで比較的多く見ることができた。その後こうしたフルスケール効果は、体の一部をメカニカルパペットとして造形するなどパーツ的な活用へと縮小され、徐々に主流を外れていく。 またフルスケールモデルと並行してドラゴン描写を支えたのが、人形を一コマずつ動かして撮影するストップモーション・アニメーションである。同手法の第一人者であるレイ・ハリーハウゼンが手がけた『シンバッド七回目の航海』(58)に登場する無翼のドラゴンや、3台のカメラで撮影した映像を三面スクリーンに投影する「シネラマ」方式の劇映画『不思議な世界の物語』(62)においても、特撮の神様と謳われたジョージ・パル製作・監督のもと、ジム・ダンフォースら優れたモデルアニメーション作家たちが個性的なドラゴンをクリエイトしている。 ストップモーション・アニメーションはフルスケールでは難しい飛行描写や四足歩行の人間型でない動きを表現できるなど、この手法ならではの利点もある。しかし生物的リアリティという観点からは、どちらもやや画竜点睛を欠く印象は否めなかった。だが1981年、このストップモーション・アニメの手法を拡張させ、ドラゴンの描写に革命をおよぼす作品が登場する。それが『ドラゴンスレイヤー』である。 生贄の悪習を終わらせるべく、魔法使いとその弟子がドラゴン討伐をするこの映画には、生物学的な法則にのっとったリアルな動きのドラゴン「ヴァーミスラックス」が登場する。可動のミニチュアモデルを使用するところまでは従来どおりだが、モデルにロッド(支持棒)を取り付け、コマ撮りではなくモーション・コントロール・システムで動かすことで、モーションブラー(動きのぶれ)を発現させて動きを自然にしているのである。ストップモーション特有のカクカクした視覚現象を取り払ったその技法は「ゴーモーション」と名付けられ、架空の怪物に恐ろしいまでの現実感を付与させたのである。 本作以降、ドラゴンの基本的な容姿や動きの法則は、本作のヴァーミスラックスに準じたものと言っても大げさではない。例えばピーター・ジャクソン監督が手がけた『ホビット』三部作(12〜14)において、原作では細身の四つ足だった巨竜スマウグが二足型に改変されたのも、また最近の例として『ゴジラ/キング・オブ・モンスターズ』(19)に登場するキングギドラのクロールスタイルの動きも、全てが『ドラゴンスレイヤー』にその影響を感じることができる。 ■映画初となるCGドラゴンの登場 『ドラゴンハート』に登場するドラゴン「ドレイコ」は、そんな『ドラゴンスレイヤー』のクリエイターたちが生み出したドラゴンの進化系だ。先の『ドラゴンスレイヤー』でヴァーミスラックスの原型制作を担当したモデルアニメーターのフィル・ティペットがプロジェクトへと招かれ、よりリアリティを突き詰めるべく制作に乗り出したのである。 なによりドレイコは、CGによって創造された初のドラゴンとして特筆に値する。恐竜映画『ジュラシック・パーク』(93)が無機的な表現にとどまっていったCGアニメーションを生物表現へと発展させ、約6分間におよぶデジタル恐竜のショット群を作り出した。しかし『ドラゴンハート』はその4倍となる182ショット、約23分間に及ぶ登場場面を生み出し、しかもその製作費用だけで2200万ドルが費やされ、その額はドレイコの声を担当したショーン・コネリーの出演料をも凌駕する。 この『ドラゴンハート』の誕生によって、映画に登場するドラゴン映画は技術的な死角を克服し、神話的なモンスターがリアリティを伴って観客の眼前に迫るのを難しいものとはしなくなった。そして本作以降、ドラゴン・クリーチャー映画はその製作本数を大幅に増やすこととなる。しかもただ出てくるだけでなく、劇中における役割にも変化をもたらし、今となってはドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』(11〜19)のような、作品テーマの根幹に関わってくるような扱いにまで発展しているのだ。 ■技術の劣化を感じさせない物語 とはいえ、今の成熟したデジタル技術に目慣れた視点から見れば、ドレイコはテクスチャー(質感)の甘さや カメラムーブにマッチしきれていない合成処理におぼつかなさを覚えるだろう。全体的なルックは実写とアニメーションの中点に留まっており、現実にそこに存在するというリアリティはまだ完全には追いきれていない。 しかし『ドラゴンハート』は、CGキャラクターの生成に飛躍的な成果をもたらした作品として、ドラゴンという枠のみならず映画の歴史にそのタイトルを刻んでいる。技術の画期性は経年とともに薄れてきているが、それを1990年代に創り出すのは容易なことでなかったし、現在の観点や価値基準に照らし合わせて当時の技術や演出スタイルを批判するのはフェアではない。このコラムの冒頭で詳述した『ニーベルンゲン』のように、ベーシックではあるが表現の歩み出しとして圧倒的なインパクトを放っている。 なにより本作は、こうした経年とは関係なく、観る者を魅了するドラマがある。人間の王子を蘇らせるために、自らの心臓(ドラゴンハート)を与えたドレイコ。だが彼の心を共有した王子は残酷な暴君へと変貌し、ドレイコは人間への不信をつのらせていく。映画は彼がデニス・クエイド演じるドラゴンスレイヤーとの接触を経て、人間との関係を修復させ、そして未来に希望を託すのである。ドラゴンが人語を解し、会話するというユニークな設定。そしてその設定を活かしたドラマの妙。誰もその魅力を否定することはできない。 ちなみに監督のロブ・コーエンと、筆者は『ステルス』(05)の取材で会っている。そのとき彼に自分が『ドラゴンハート』のファンだと伝えると、 「あの映画のドレイコの飛翔シーンや、彼が吐く火球がもたらす爆発効果は、本作や『デイライト』そして『トリプルX』などに活かされている。なによりも自分がVFXを多用する作品のきっかけとなった映画だから、とても嬉しいよ」 と、取材時間がつきそうになるとメールアドレスを筆者に渡し「聞き足りないことがあればメールくれ」とまで言ってフォローしてくれた。そんな監督の思慮深さが、この作品を観ると併せて思い出されるのだ。■
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PROGRAM/放送作品
(吹)ブルース・ブラザース
伝説のミュージシャンたちが豪華集結!全身黒づくめの悪ノリコンビが大暴走する破壊力満点コメディ
米国のコメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」の人気キャラクター“ブルース・ブラザース”が歌って踊って大暴れ。レイ・チャールズら有名歌手のゲスト出演や、破天荒なカー・アクションなど見せ場が満載。
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COLUMN/コラム2018.09.21
A級スターたちが集まって、ものすごく 馬鹿げたコントを見せる傑作コメディ『アメリカン・パロディ・シアター』
『アメリカン・パロディ・シアター』、1987年の映画です。 日本では劇場公開されずに、ビデオで発売されました。レンタルビデオブームの最盛期でしたね。50歳以上の人じゃないと覚えていないと思うんですけど、日本中、どこに行ってもレンタルビデオ屋さんがあった時代です。1985年から90年くらいにかけてなんですけど。 この映画にもレンタルビデオ屋さんが出てきます。“カウチポテト”といわれる、ソファに座ってビデオを観るのが流行った時代で、この映画はまさにカウチポテト族を対象にして作られた“レンタルビデオ用映画”なんです。監督はジョン・ランディス。『ブルース・ブラザーズ』(80年)や『アニマル・ハウス』(78年)という傑作を作ってきた、コメディの巨匠なんですけど、この人の出世作『ケンタッキー・フライド・ムービー』(77年)は、短いコントが脈絡なくつながっていく映画で、この『アメリカン・パロディ・シアター』も同じ形式のコント集です。 で、コント集ですから、何人かの監督が手分けをしています。たとえばジョー・ダンテ。『グレムリン』(84年)で世界的な大ヒットを飛ばした監督ですね。この人のいちばん最初の作品『ムービー・オージー』(68年・未)は、TVをずっと録画してて、それを編集して、コマーシャルや歌番組やドラマや映画をぐちゃぐちゃにつないで笑えるものに組み替えた、6時間もある自主映画でした。もちろん著作権を無視しているので、観ることはできないんですが、要するに当時の言葉でチャンネル・サーフィン、今でいうザッピングをそのまま映画にしたようなものらしいです。で、この『アメリカン・パロディ・シアター』という映画自体が、その『ムービー・オージー』と同じ構成なんですね。 深夜に何もやることがない人が、TVのチャンネルをカチャカチャ替えるのをそのまま映画にしたような。この、チャンネルをカチャカチャ替える感じというのも、若い人にはわからないかもしれないですけど(笑)。つまり、ジョン・ランディスとジョー・ダンテという2人のコメディ監督が、原点に戻って撮ったのが、この『アメリカン・パロディ・シアター』です。 まあ、バカバカしい映画ですけど、今でもまったく古びてない秀逸なギャグも多いです。ランディスが演出した「ソウルのない黒人」とか、ダンテの「人生批評」は傑作です。あと、あっと驚くような当時の大スターが特別出演してるのもポイントです!■ (談/町山智浩) MORE★INFO. 本作は85年に撮影され、86年には完成していたが、ランディス監督の『トワイライトゾーン/超次元の体験』訴訟(ヴィク・モローが撮影中に事故死した事件)が長引いたため、アメリカ公開は87年になった。冒頭のパニック映画風なメイン・テーマは巨匠ジェリー・ゴールドスミス。「病院」スケッチの患者ミシェル・ファイファーと夫役ピーター・ホートンは、実生活でも結婚したばかりだった。ランディス監督のトレードマーク「See You Next Wednesday」、今回は「ビデオ・パイレーツ」の挿話の中に出てくる。コンドームを買いに行く「Titan Man」挿話は、名作『素晴らしき哉、人生!』(46年)のパロディ。ヘンリー・シルヴァがホストを務める、ネッシーが切り裂きジャックだったという挿話「Bullshit or Not」は、漫画家ロバート・L・リプリーの『Ripley's Believe It or Not(ウソかマコトか)』のパロディ。
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(吹)星の王子ニューヨークへ行く 【ゴールデン洋画劇場版】
アフリカの王子がニューヨークで花嫁探しに奔走!絶頂期エディ・マーフィの芸達者ぶりが楽しめるコメディ
マシンガン・トークや特殊メイクによる1人何役もの演じ分けなど、エディ・マーフィのコメディ特有の魅力が満載、彼の代表作の1本。監督は、『大逆転』でエディ・マーフィと組んだジョン・ランディス。
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COLUMN/コラム2018.09.11
『アニマル・ハウス』で輝いた、2人の“ジョン”の顛末
1962年のアメリカを舞台にした作品として有名なのは、“青春群像劇”の『アメリカン・グラフィティ』(1973)。若きジョージ・ルーカスが監督・脚本を手掛け、このジャンルの金字塔となった名作である。 しかし62年が舞台と言えばもう1本、忘れてはならない“青春群像劇”がある。それがこの、『アニマル・ハウス』だ。 本作の主な舞台は、アメリカ北東部に在る、「フェーバー大学」。主役は、学内でサイテー最悪の社交クラブ、「デルタハウス」のメンバーである。飲んだくれや女たらし、暴走バイカー等々、トラブルメーカーだらけ。彼らを憎悪する大学当局は、学内最高のエリート集団「オメガハウス」を焚き付け、「デルタ」追放に乗り出す。 それにも拘わらず、飽きることなく乱痴気騒ぎを繰り返す「デルタ」の面々。遂には全員退学となるが、一矢報いることを決意し、大学の在る町の祭典で行われるパレードを標的に、大逆襲作戦を展開する。 そんな内容の『アニマル・ハウス』は、まだ無名の若手俳優を大挙出演させる、低予算コメディという方法論を確立した作品である。同様なパターンで製作された、『ポーキーズ』(1982~85)や『ポリスアカデミー』(1984~94)などの、“おバカコメディ”シリーズの先駆け的存在と言える。「デルタ」の面々が、「オメガ」のような、エリートや差別主義者たちへの“反骨心”をベースに大破壊を行う辺り、凡百の“おバカコメディ”とは、一線を画すのだが。 「デルタ」の面々がパレードを壮大にぶっ壊した後に訪れる終幕は、『アメリカン・グラフィティ』のパロディ。『アメリカン・グラフィティ』では、主要登場人物4人のその後の人生が、「作家となって現在はカナダに住む」「ベトナム戦争で行方不明」といったように、顔写真と字幕で紹介される。『アニマル・ハウス』では、「デルタ」「オメガ」の主要キャラ12人の行く末が、ストップモーションと字幕で語られる。具体的な内容は、是非本編で確認して欲しい。 では、当時無名の若手俳優だった出演者たちの、リアルな“その後”は? 『アマデウス』(1984)のモーツァルト役でアカデミー賞候補になったトム・ハルス、TVドラマの監督・出演者として活動を続けるティム・マシソン、『インディ・ジョーンズ』シリーズ(1981~2008)で2度ヒロインを務めたカレン・アレン等々がいるが、出世頭と言えるのは、個性的な悪役などで現在も活躍する、ケヴィン・ベーコンか。因みにスクリーンデビューだった本作でも、ベーコンは仇役「オメガ」の一員である。 こうした俳優陣の“その後”を思いながらの鑑賞も、40年前に製作された本作の楽しみ方の一つである。しかしその一方で改めて注目したいのは、本作を輝かせた2人の“ジョン”の、大いなる“才能”である。 当時はまだ20代だった、主演のジョン・ベルーシ、そして監督のジョン・ランディス。進む道次第では、80年代以降のアメリカ映画シーンをリードし、「ハリウッドの王」になる可能性さえ感じさせた2人である。 ジョン・べルーシは本作出演時、すでにTVバラエティ「サタデー・ナイト・ライブ」(1975~)の人気者だったが、スクリーンで最初にその才を発揮したと言えるのは、この『アニマル・ハウス』。「デルタ」の古参メンバー、ブルタスキ―役で“主演”にクレジットされているものの、実際はストーリー展開とは直接関係のないところで、身勝手なまでに単独で暴れまわっている。 眉毛ピクピクに代表される顔芸、下品且つ豪快な喰いっぷり飲みっぷり、そして突発的に爆発させる破壊衝動の凄まじさ。本作の作品世界の中でベルーシの個性を生かす最良の方法を採った、ジョン・ランディスの演出もまた、冴え渡っている。 そんなベルーシの個性を、やはり『アニマル・ハウス』のような形で活かそうとした監督が、もう1人。ベルーシの次なる出演作『1941』(1979)の、スティーヴン・スピルバーグである。戦争スペクタクルコメディの『1941』でベルーシが演じた戦闘機パイロットは、ブルタスキ―と同じく、独り暴れては、壮絶な破壊を繰り広げる。 しかしながら『1941』は、稀代のヒットメーカーであるスピルバーグのフィルモグラフィーでは、TOPランクの失敗作。天才スピルバーグも、本格的なコメディは不得手だったようで、全編でギャグが滑りまくり。ベルーシも、空回りの感が強い。 それに比べ、べルーシの個性を最高に輝かせるのは、やはりジョン・ランディスだった。『アニマル・ハウス』の2年後、ランディス×べルーシの再タッグ作となったのが、かの『ブルース・ブラザース』(1980)。この作品では、タイトルロールのミュージシャン兄弟を演じるベルーシとダン・エイクロイドの、抜群のコンビネーションをベースにしながら、ベルーシの突発的な爆発力・破壊力を、十二分に活用している。 結果として、『ブルース・ブラザース』も大ヒット。ランディス×ベルーシ、2人の未来は、ただただ明るいものと思われた。 ところが、運命は暗転する。ベルーシはその後、『ネイバーズ』(1981)『Oh!べルーシ 絶体絶命』(1981)という、共に評判の芳しくない2本の作品に出演後、1982年3月に、薬物の過剰摂取で、33歳の生涯を閉じる。遺作『Oh!べルーシ 絶体絶命』の製作総指揮は、スピルバーグだった。 では、もう1人の“ジョン”の“その後”は!? 30代最初の作品であるホラーコメディ『狼男アメリカン』(1981)も好評を博したランディス。名実共に、ハリウッドのTOPランナーの1人に躍り出た。 そんなタイミングで取り組んだのが、『トワイライトゾーン/超次元の体験』(1983)。スピルバーグが呼びかけ、ランディス、ジョー・ダンテ、ジョージ・ミラーが参加。当時最注目の若手監督4人によって、オムニバス作品を製作するというプロジェクトだった。そしてこの作品が、ランディスの“その後”を大きく変えてしまう。 ランディス監督篇の撮影中に、アクシデントが発生。劇中に登場するヘリコプターが落下し、主役のヴィック・モローと子役2人が巻き込まれて死ぬという、大惨事となる。 『トワイライトゾーン』は、その後一部内容を変えて完成し、公開に至ったものの、ランディスの受けた精神的打撃は甚大なもので、その後の作品作りに大きく影を落とす。80年代中盤=30代半ばから、ランディスは長き低迷に入る。そして60代も終盤に差し掛かった現在まで、復活の兆しはない。 『アニマル・ハウス』で羽ばたき、「ハリウッドの王」になるかも知れなかった、2人の“ジョン”。そのキャリアの曲がり角には、なぜかスピルバーグが介在する。 もちろんスピルバーグに、悪意はあるまい。だが2人の“ジョン”が放った一瞬の光芒は、40年以上に渡ってTOPを走る “大王”スピルバーグが輝き続けるために、吸い込まれてしまったのかも知れない。いま『アニマル・ハウス』に触れると、ついついそんなことまで、考えてしまう…。◾️ © 1977 Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved. 保存保存 保存保存 保存保存