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PROGRAM/放送作品
続エマニエル夫人【HDデジタルリマスター版】
[R15+相当]自由な性に目覚めたエマニエルが香港に。よりエキゾチックで甘美な官能シリーズ第2弾
官能の喜びに目覚めたエマニエルが、香港を舞台に自由奔放な性体験を重ねるシリーズ第2作。前作でも評判を得たソフト・フォーカス、フランシス・レイの甘美なテーマ曲に彩られ、過激な性描写が美しく展開する。
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COLUMN/コラム2023.10.10
ブラピとベネット・ミラー。野球好きでない製作者と監督が生み出した、21世紀型野球映画『マネーボール』
“ブラピ”ことブラッド・ピット(1963~ )が、『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)で、一躍注目の存在となった時、その作品を監督した稀代の二枚目スターに因んで、「第2のロバート・レッドフォード」と謳われた。それからもう、30年余。 ブラピはその間、ハリウッドのTOPランナーの1人として、主演・助演交えて数多くのヒット作・話題作に出演してきた。アカデミー賞は、4度目のノミネートとなった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)で、助演男優賞を遂に掌中に収めた。 俳優として以上に評価が高く、辣腕振りを見せているのは、プロデューサー業である。2001年に映画製作会社「プランBエンターテインメント」を設立すると、製作を務めた『ディパーテッド』(06)と『それでも夜は明ける』(14)、製作総指揮とクレジットされている『ムーンライト』(16)の3作品で、アカデミー賞作品賞を受賞。また、製作・主演を務めた、テレンス・マリック監督作『ツリー・オブ・ライフ』(11)は、カンヌ国際映画祭の最高賞=パルム・ドールに輝いている。 そんな彼が2000年代後半、“映画化”に執心。4年の準備期間で幾多もの障害を乗り越え、2011年にリリースしたのが、実在の人物ビリー・ビーンを自ら演じた、本作『マネーボール』である。 ***** 2001年のメジャーリーグベースボール。アメリカン・リーグのオークランド・アスレティックスは、地区シリーズ優勝目前で、ニューヨーク・ヤンキースに敗退。そのシーズンオフには、チームの主力選手3人が、フリーエージェントにより、大金を積んだ他チームへ移籍することが決まった。 チームの編成を担当するのは、GM=ジェネラル・マネージャーのビリー・ビーン。選手の年棒総額が1億~2億にも達する、ヤンキースのような金満球団と違って、アスレチックスが割けるのは、4,000万㌦程度。抜けた選手たちの穴を、金ずくで埋めるなど、不可能だった。 補強に当たってビリーは、球団の古参スカウトらが上げてくる、「主観的」な選手情報に、不信を感じていた。彼自身が高校卒業と同時に、スカウトの「主観的」な高評価と、多額の契約金に目が眩んで、大学進学を取りやめ、メジャーリーグへと進んだ。その結果として、プロの“適性”がなく、惨憺たる現役生活を送った経験があったのである。 ビリーは、トレード交渉でインディアンス球団を訪ねた際、イエール大卒の若きフロントスタッフ、ピーター・ブランドに出会う。ビリーはピーターが、データに基づいて選手たちを「客観的」に評価する「セイバーメトリクス」理論を駆使していることを知り、自分のアシスタントに引き抜く。 二人三脚で、データ分析に基づいたチームの補強に乗り出した、ビリーとピーター。彼らが欲した選手の多くは、元の所属球団からの評価が低いため、「安く」入手できた。 ビリーたちのそんな常識外れのやり方に、監督も含む周囲との軋轢が生まれていく。そのままシーズンへと突入するも、勝利にはなかなか、結びつかない。 それまでのメジャーの常識を打ち破らんとする、ビリーたちの挑戦の行方は果して!? ***** 原作は、マイケル・ルイスが2003年に出版した、ノンフィクションのベストセラー。ここで紹介される「セイバーメトリクス」とは、1970年代にビル・ジェイムズなる人物が生み出した、データを駆使した野球理論である。 その内容から、主なものをごく簡単に紹介する。打者を評価するに当たっては、つい目が惹かれてしまう、ホームランの本数や打点、打率などよりも、四球なども含んだ出塁率や長打率を重視する。実はその方が、「相手チームより多く得点を記録する」ことに結びつく。即ち“勝利”のためには、有効であるというのだ。 投手の評価に関しては、「ホームラン以外のフェア打球は、それが安打になろうとなるまいと投手の力量とは関係ない」と、割り切る。 送りバントや盗塁といった伝統的な戦略については、「アウト数を増やす可能性が高い攻撃はどれも、賢明ではない」と酷評し、斬って捨てている。このように、「セイバーメトリクス」は、それまでの球界の常識をことごとく覆すものだった。 この理論は、野球ファンの一部から注目されながらも、メジャー球団の関係者からは、長らく無視された。そして、ドラフトやトレードでの補強や、実際の試合に於ける選手起用などでは、データに基づいた「客観」よりも、スカウトや監督などの「主観」が優先され続けたのである。 そうした旧弊を打ち破ったのが、アスレチックス球団だった。映画ではその辺りの流れは割愛・改変されているが、まずは90年代前半、当時のGMだったサンディ・アルダーソンが、「セイバーメトリクス」をチーム作りに応用し始めた。そしてその後任となったビリー・ビーンが、本格的な実践に踏み切ったのである。 その絶大な成果、「セイバーメトリクス」がいかに球界を変えたかについては、本編で是非ご覧いただくとして、実はプロデューサー兼主演俳優のブラピは、野球自体は「あまり観ない」上、本作に関わるまでは、知識もそれほどなかったという。それは彼が子どもの頃に出場した、野球の試合での経験に起因する。 フライを捕ろうとしたら、太陽に目が眩んで、ボールが顔を直撃。病院送りとなって、18針も縫ったのである。 それ以来野球に関わらなかったブラピが、本作の原作に惹かれたのは、「負け犬が返り咲いて自分の持ってるすべてを、あるいはそれ以上のものを発揮する部分」だったという。更に主人公であるビリー・ビーンの、「長いものにまかれない…」「人がノーマルだと思うことに疑問を持つ…」「何年も継続されているからとそれを受け入れてしまわない…」そういった“精神”に魅了されたのである。 しかしながら先にも記した通り、“映画化”が実現するまでの道のりは平坦ではなかった。とりわけ大きかったのは、2度に渡る監督の交代劇。 最初に決まっていたデイヴィッド・フランケルが降板すると、スティーヴン・ソダーバーグが後任の監督に。ところが、準備が進んで、いよいよ撮影開始数日前というタイミングで、スタジオ側から製作中止を申し渡される。 それでもブラピの心は、「このストーリーに取り憑かれてしまっていて」、本作の企画を「手放すなんてとてもできなかった」のだという。何としてでも、ビリー・ビーンを演じたかったのだ。 最終的に監督は、前作『カポーティ』(05)でアカデミー賞監督賞にノミネートされた、ベネット・ミラーに決まる。実はミラーも、野球自体はまったく好きではなかった。原作本に関しても、「スポーツビジネスの専門書みたいな本で、はじめはあまり読むのに気が進まなかった…」という。 ところが読み進む内に、「この物語にとって、野球はとっかかりでしかない」と気付く。そしてブラピと同様に、ビリー・ビーンの生き様に心惹かれ、「ぜひ掘り下げてみたい」という気持ちになったのだ。 脚本は、監督がソダーバーグだった時点では、スティーヴン・ザイリアンが執筆。その後ミラーが監督になってから、アーロン・ソーキンによるリライトが行われた。 ザイリアンは『レナードの朝』(90) 『シンドラーのリスト』(93)など、ソーキンは『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』(07)『ソーシャル・ネットワーク』(10)など、それぞれ実話をベースとした脚色に定評があり、そうした作品でオスカー受賞経験のある2人。それをドキュメンタリー出身のミラー監督が演出することで、ビリー・ビーンの裏舞台での戦いが、リアルに浮き彫りになる。 同時に、チームが勝利に向かって邁進するという、ある意味王道が描かれる。こうして本作は、それまでの“野球映画”では見たことがなかったような、何とも絶妙なバランスの作品に仕上がったのである。 原作者のマイケル・ルイスは、「一本の筋あるいはドラマチックな展開があるとは必ずしも言えない」自作を、「きちんと映画化するのは非常に困難」と認識。「本と全然違う映画にするのか、あるいは本のとおり映画にしてひどい映画になるのか」どちらかだろうと考えていた。しかし完成作を観てミラー監督に、「この映画は(とても良いのに)本のとおりでした」と、大満足の評価を伝えている。 実在のビリー・ビーンは、ブラピが自分の役を演じると聞いて、少し意外な気がしたという。しかし実際に彼と接して、その役作りへの努力を目の当たりにする中で、ブラピが明確なヴィジョンを持ち、この上なく礼儀正しい人物だったことに、感銘を受けた。 一方で、この映画化に最も不満を覚えたのは、本作でのビリー・ビーンの片腕、ピーターのモデルとなった、ポール・デポデスタであった。デポデスタは己の役を、自分とは似てもにつかない太っちょのコメディアン、ジョナ・ヒルが演じることに、納得がいかなかった。またそのキャラが、オタクのように描かれることにも、我慢ならなかったようだ。 結果としてデポデスタは、実名を使うことの許可を出さなかった。そのため彼に当たるキャラは、ピーター・ブランドと、改名されたのである。 そのピーターを演じたジョナ・ヒルは、シリアスな演技が出来ることも披露した本作で、アカデミー賞助演男優賞にノミネート。高評価を得て、その後役の幅を広げていく。 因みに“野球映画”としてのクオリティを高めるのに効果的だったのは、メジャーリーグやマイナーリーグなどの元プロや大学野球の経験者などを、選手役にキャスティングしたこと。そんな本物の元野球選手たちの中で、一塁手スコット・ハッテバーグを演じたクリス・プラットは、唯一人野球経験のない俳優だった。 そのためプラットは、かなりハードなトレーニングに積んだ上で、実在のハッテバーグの特徴をよく捉えた役作りを行った。結果として本作のベースボール・コーディネーターからは、「野球選手としての成長ぶりには目覚ましいものがあった」と、高評価を勝ち取った。 この時のプラットは、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ(14~ )や『ジュラシック・ワールド』シリーズ(15~ )で、主演スターにのし上がる前夜。そんなプラットの野球選手ぶりをウォッチするのも、本作を今日観る上での、楽しみ方の一つと言えるだろう。 ブラッド・ピットは本作で、「21世紀型」とも言える、それまでになかった、新たな“野球映画”をクリエイトした。アカデミー賞では作品賞や主演男優賞など6部門にノミネートされながら、残念ながら受賞は逃したものの、ブラピにとって『マネーボール』が、俳優としてもプロデューサーとしても、代表作の1本となったことは、間違いあるまい。■ 『マネーボール』© 2011 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
反則王
昼は情けない銀行員が、夜は悪役レスラーに!韓国の名優ソン・ガンホの個性と演技力が光る異色コメディ
今や韓国を代表する名優となったソン・ガンホの初主演作。実在の人物をモデルにした銀行員兼プロレスラーの主人公を哀愁とユーモアたっぷりに魅せつつ、臨場感あふれるプロレスシーンにも体当たりで挑んでいる。
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COLUMN/コラム2022.05.09
ヒッチコックが嫉妬!世界中の度肝を抜いた、フランス製スリラー映画のマスターピース『悪魔のような女』
年配の方にはお馴染みだった、テレビ時代劇の「必殺シリーズ」。その顔である藤田まことが主演した中に、「江戸プロフェッショナル 必殺商売人」(1978年/全26話)というシリーズがある。凝った構成や展開が多い作劇だったが、その内の一編「殺して怯えた三人の女」というエピソードが、当時10代の私に、強烈な印象を残した。 呉服問屋の後家と義理の娘、女中の3人が、色悪な番頭に弄ばれる。そこで女たちは共謀して、番頭を殺害。池に沈めるも、その後まるで番頭が生きてるかのような奇怪な出来事が次々と起こり、3人は次第に追い詰められていく…。 初見時、ただただ感心して視聴したのだが、後年に本作『悪魔のような女』(1955)を観て、気付いた。ああ、これだったか! TV時代劇の黄金期は、過去の名作洋画を良く言えばインスパイア、悪く言えばパクった内容の作品が数多くあった。私が至極感心した、「必殺」の1エピソードは、明らかに本作の影響を受けたものだったのだ。 ***** 舞台は、パリ郊外に在る全寮制の寄宿学校。校長のミシェル(演:ポール・ムーリス)は、妻で教師のクリスティーナ(演:ヴェラ・クルーゾー)の資産を利用して、現在の地位を得た男だった。それにも拘らず、吝嗇で勝手し放題。心臓が弱い妻を、日々いたぶっていた。 教師の1人ニコール(演:シモーヌ・シニョレ)は、ミシェルの公然の愛人。やはりクリスティーナ同様、彼の暴君のような振舞いに嫌気がさしていた。 奇妙な連帯感で結ばれた妻と愛人は、共謀。寄宿学校から遠く離れたニコールの自宅にミシェルを秘かに呼び出して、強い睡眠薬を盛り、そのまま浴槽に沈めて殺害した。 車で死体を運んだ2人は、季節外れで使われていない、寄宿学校のプールに死体を投げ入れる。酔った挙句に、足を滑らせて溺死したように見せかける計画だった。 ところが、何日か過ぎても死体は発見されない。そこで2人は図って、プールの水を、用務員が抜くように仕向ける。 しかし、空になったプールからは、何も出てこなかった。ミシェルの死体は、忽然と消えてしまったのだ。 その後まるで、ミシェルが生きているかのような、奇怪な出来事が次々と続く。更には、セーヌ川に浮かんだ身元不明の死体を、もしやと思ってクリスティーナが確認しに行ったことがきっかけで、退職した警察官のフィシェ(演:シャルル・ヴァネル)に目を付けられ、纏わりつかれるようになる。 2人の女は、徐々に追い詰められていく。特に心臓に病を抱える、クリスティーナの疲弊はひどく…。 ***** 本作『悪魔のような女』には、原作がある。フランスのミステリー界の重鎮だったピエール・ポワローとトマ・ナルスジャック初めての共作で1952年に出版された、「CELLE QUI N'EAIT PLUS=その女の正体」(日本では現在「悪魔のような女」というタイトルで出版されている)だ。 こちらは、平凡なセールスマンの男と、その愛人の女医が共謀。男の妻を殺して、保険金をせしめようとする話である。 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督はここから、殺害とアリバイ作りのトリックや、死体が消えて、まるで生きているかのような痕跡を残していく中で、犯人たちが徐々に追い詰められていく展開等を抽出。先に紹介したように、寄宿学校をメインの舞台に、横暴な男をその妻と愛人が葬ろうとする話へと設定を変えて、脚色を行った。 1955年の公開時、大いに話題になったのは、オープニングのスーパー。 「これからこの映画を御覧になるお友達の興味を殺がないように―どうぞこの映画の筋はお話にならないで下さい」 本国フランスの首都パリでは、公開時にストーリー自体を発表しなかった。日本では、結末だけを伏せておく“宣伝戦略”が取られた。それは物語の〆に、衝撃的などんでん返しが待ち構えているからである。 映画史的にあまりにも有名な作品なので、ご存じの方も多いとは思う。しかし本稿では初公開時に倣って、未見の方のために、ショッキングなラストは、「観てのお楽しみ」としておく。 フランスをはじめ、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本でも大いに話題になった本作。谷崎潤一郎は随筆「過酸化マンガン水の夢」の中で、本作について記している。 谷崎は、「要するにこれは見物人を一時脅かすだけの映画にて、おどかしの種が分ってしまへば浅はかな拵へ物であるに過ぎない」と指摘。本作を貶めているのかと思いきや、「しかしこの絵が評判になり多くの映画ファンの好評を博したのは、しまひには一杯食はされることになるけれども、観客をそこまで引き擦って行く手順の巧妙さと俳優の演技に依る」と、娯楽作として実は高く評価をしている。 特に気になったのは、ニコール役のシモーヌ・シニョレだったようで、「-あゝ云ふタイプを主役に持って来なければあの絵が狙う凄味は出せない。あの女なら情夫の頭を両手で摑んで水槽に押し込むことくらゐ出来さうに思へる」と、記述。またクリスティーナ役のヴェラ・クルーゾーに関しても、適役と評している。 文豪谷崎が、本作を大いに楽しんだのは間違いないようで、映画のストーリーを微に入り細に入り、かなり詳しく書き記している。ラストのネタばらしまで行っているのは、まあルール違反であるが…。 世界的に評判になった本作だが、実はその原作は、“サスペンスの神様”アルフレッド・ヒッチコックも、映画化を熱望。権利を買おうとしたものの、クルーゾー監督に先を越されたと言われている。 そうした経緯から、本作の大成功を見て、ヒッチコックは相当に悔しかったらしく、原作者のポワロー&ナルスジャックが次に書いた小説の映画化権を、早々に取得。これがヒッチコックのフィルモグラフィーの中でも、現在では名作の誉れが高い、『めまい』(58)となった。 更に『サイコ』(60)を製作・監督した際には、『悪魔のような女』を徹底的に研究。本作と同じモノクロ画像の陰鬱なムードの中で、浴室で恐るべき犯罪が行われる展開に挑戦した。また公開時のプロモーションでは、「途中入場禁止」のキャンペーンを行って、衝撃のラストへの期待感を、大いに煽ったのである。 さて『悪魔のような女』は、その後アメリカで2度ほどTVムービーとしてリメイク。本作から40年余後の1996年には、再び劇場用作品が、製作された。 こちらはポワロー&ナルスジャックの小説ではなく、クルーゾー監督・脚本による本作を原作とするもの。寄宿学校を舞台に、シニョレがやった役をシャロン・スートン、ヴェラ・クルーゾーの役をイザベル・アジャーニが演じている。 オリジナルでは、男性のシャルル・ヴァネルが演じた元刑事を、女性に変えて、キャシー・ベイツをキャスティングするなどの変更はあれど、リメイク版の構成や展開は、本作とさほど変わらない。大きく違うのは、オリジナルのどんでん返しに加えて、更にもう1回どんでん返しを重ねるところである。 それが成功しているか否かは、本稿では触れない。いずれにしてもリメイク版は、今日ではほぼ忘れられた存在となっている。 実は日本でも、最初に挙げた「必殺」のようなインスパイアものではなく、原作小説の映像化権を正式に得て、製作された作品が存在する。元祖2時間サスペンスの「土曜ワイド劇場」で、2005年に放送された、「悪魔のような女」である。 ヒロインは菅野美穂が演じる、心臓に疾患を抱えたガラス工芸作家。その親友の女医が浅野ゆう子、夫が仲村トオル、元刑事が串田和美というキャスティングで、テレビの「世にも奇妙な物語」や映画『パラサイト・イブ』(97)『催眠』(99)などの落合正幸が、監督を務めた。 最初は優しげな振舞いをしていた夫が、結婚後に本性を現し、ヒロインが亡き親から継いだ大邸宅を狙う。そこでヒロインは、夫の愛人でもあった女医の力を借りて…という筋立て。 原作小説及び映画化作品から、様々な趣向を選りすぐりながら、なかなか巧みにアレンジした一編となっている。しかしながらラストで、殺された者の幽霊が登場して犯人を呪い殺すという、Jホラーさながらの展開となるのには、仰天。オリジナルと違った意味で、吃驚させられた。「呪い」つながりで言えば、オリジナルの『悪魔のような女』自体が、呪われているのでは?と騒がれたことがある。 ヒロインのクリスティーナを演じたヴェラ・クルーゾーには、実際に心臓疾患があったのだが、本作の5年後、パリのホテルの浴室で、変死しているのを発見される。折しも、彼女の夫だったアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督と、女優のブリジット・バルドーの不倫による、三角関係がスキャンダルになっている渦中であった…。■ 『悪魔のような女』© 1954 - TF1 DROITS AUDIOVISUELS - VERA FILMS
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PROGRAM/放送作品
箪笥<たんす>
[PG-12]呪われた屋敷で起こる怪現象の原因は?古典怪談をスタイリッシュに映像化した韓流ホラー
『甘い人生』のキム・ジウン監督が、韓国の古典怪談「薔花紅蓮伝」を下敷きに描いたホラー。不安と恐怖をかきたてる演出の妙が話題を集めて大ヒット。2009年にハリウッドで『ゲスト』としてリメイクされた。
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COLUMN/コラム2020.07.03
韓国発!テン年代“初恋映画”の決定版!! 『建築学概論』
2012年3月、韓国で1本の映画が公開され、“恋愛映画”としては当時の歴代№1ヒットとなった。410万人もの観客動員を記録した、それが本作『建築学概論』である。 日本では、翌13年5月に公開。韓国のような、特大ヒットとまではいかなかったが、数多の熱烈なファンを生み出した。 ソウルの建築事務所に勤める、30代中盤の建築士スンミン(演:オム・テウン)。そこにある日突然、大学で同級だったソヨン(演:ハン・ガイン)という女性が訪れる。15年ぶりの再会であった。 ソヨンは、「郷里の済州島に、家を建ててほしい」と、スンミンにオーダーした。彼女の父は病床にあり、余命いくばくもない。そんな父と暮らすための、家である。 スンミンは、設計図を引き建築を進めていく中で、1990年代前半=大学1年の時の記憶が甦っていく。それは甘酸っぱくもほろ苦い、“初恋”の想い出だった。 建築学科のスンミン(ダブルキャスト=イ・ジェフン)と音楽学科のソヨン(ダブルキャスト=スジ)の出会いは、「建築学概論」という講義。教室に飛び込んできたソヨンに、スンミンは一目で惹かれる。 スンミンの実家とソヨンの下宿先が、偶然近所だったことから、2人は仲良くなる。そして楽しい時を、共に過ごすようになっていく。 CDウォークマンのヘッドフォンを片チャンネルずつ分けて、ヒット曲を聴いたり、近所の廃屋を、2人だけの秘密の城に改装したり。ソヨンの誕生日、ピクニックに出掛けた帰り、スンミンは眠っているソヨンの唇に、そっと口づけをしてしまう。 「初雪の日に会おう」と、指切りまでして交わした約束。しかしそれは、果されることがなかった。不幸な行き違いと幼さ故の臆病から、ある時2人の距離は、決定的に遠ざかってしまうのだった…。 こうした、大学1年時の思い出の描写と、30代中盤に差し掛かってからの再会の物語が、交互に進んでいく。 ヨーロッパなどで上映された際は、大学時代のスンミンに対して、「彼は変態か!?」という疑問の声が上がったという。どう見たって、ソヨンの気持ちが自分にあるのはわかるだろうに、手出しできずにうじうじくよくよする姿が、理解不能だったらしい。 “恋愛”に関しての、彼我の差という他はないだろう。それに対して、韓国や日本の観客の多くにとっては、『建築学概論』の“初恋”の描写は、「あるある」「わかるわかる」というものだった。 私は本作を観た直後、自分が大学1年の時に好きだった女の子のことが、頭に浮かんだ。2人で映画を観に行ったり、公園を裸足で散歩したりといった、想い出と共に。 もう、35年も前のことである。それなのに、彼女の一挙手一投足にドギマギしたことを、今でも鮮明に想い出せる。そして私もこの恋に対しては、うじうじくよくよして、甚だふがいなかった。本作の公開時の惹句、「みんな 誰かの初恋だった―。」が、ただただ胸に染み入る…。 余談はさて置き、本作で描かれる“初恋”や“青春時代”が、かくもキラキラと輝いて映るのには、韓国という国の風土や歴史も、無視できない。本作の監督・脚本を手掛けたイ・ヨンジュ曰く、「韓国では大学1年生は最も輝いている瞬間」「大学1年生の頃の思い出は、いつも夏の日のよう。すべて美化される」。 監督は主人公と同じく、90年代前半に大学に通い、「建築学」を専攻している。自らの経験に基づく、実感が籠った言である。 日本以上に厳しい受験戦争を経て、勝ち取った解放感と共に、韓国では大学生になると、高校までは地元中心だった交友関係や活動範囲が、劇的に広がるという。またこの時期は、男性に義務付けられている徴兵まで、幾ばくかの猶予があることも、大きいのであろう。 「90年代前半」という時代背景も、ポイントである。韓国では、軍事独裁政権が長く続いた後、「ソウル五輪」の前年=87年になって漸く、「民主化宣言」が行われた。その後97年12月に、深刻な「IMF危機」に襲われるまでの10年ほどは、多くの若者たちにとって、“青空”が果てしなく広がっていた時代と言える。 もちろん、その時代に“青春”を過ごした者たちの中にも、個人差はある。しかし韓国と同様、長きに渡る“戒厳令”が終わった後、“民主化”された台湾の、90年代の高校生の姿を描いた、『あの頃、君を追いかけた』(11)や、バブル経済の頃の日本の大学生が主人公である、『横道世之介』(13)等々を思い浮かべてみよう。アジアのそれぞれの国で、多くの若者たちにとって“青空”が広がる、希望に満ち溢れた時代を舞台にした青春映画に「傑作」が多いのは、決して偶然ではあるまい。 本作『建築学概論』では、主人公2人がそれぞれ「二人一役」によって演じられる。これもまた、成功の要因となった。 大学時代のスンミンとソヨンを演じた、イ・ジェフンとスジのフレッシュさといったら!製作当時、K-POP女性グループの「miss A」メンバーとして人気を博していたスジだが、この作品の成功によって、「国民の初恋」と言われる存在にまでなった。 一方30代を演じるのは、オム・テウンとハン・ガイン。大学時代のスンミンとソヨンのキャラは引き継ぎつつも、「汚れちまった悲しみに」といったニュアンスも漂わせる、“オトナ”の2人である。 そんな30代の2人が新居の建築を進めていく中で、かつて実らなかった大学1年時の“初恋”を、どう完成させるのか?それが、物語の焦点となっていく。 監督言うところの、「未完の過去を復元する話」というわけだが、大学1年時と30代を演じる俳優同士は、容貌などは必ずしも似てはいない。しかし「二人一役」にしたことによって、結果的には主人公たちの15年という歳月の隔たりが、効果的に表現されたのである。 イ・ヨンジュ監督本人も、大学卒業後に建築士となった。そして10年間働いた後に、映画界入り。スタッフとして、ポン・ジュノ監督に就いた。 監督が、『殺人の追憶』(03)の現場スタッフを務めていた頃には、すでに本作の脚本は書き上がっていたという。本来はこれを初監督作としたかったのだが、様々な映画会社に企画を持ち込む度に、物語の結末を、はっきりとした「ハッピーエンド」に改変することや、内容をもっと「説明的」にすることを要求され続けた。 そのため、映画化の実現までは時間が掛かり、2009年には、別の企画で監督デビューとなった。最初に書いた通りのエンディングを支持してくれる会社に出会い、『建築学概論』が完成に至るまでには、実に10年もの歳月が流れたのである。 本作について監督が、「未完の過去を復元する話」と言っていることは、先に記した。監督のプロフィールや製作の紆余曲折を見ると、本作を作り上げることは、監督本人にとっても正に、「未完の過去を復元する話」だったのであろう。 念願かなって、望んだ形での映画化が実現し大成功を収めた後、暫しの沈黙が続いたイ・ヨンジュ監督。今年=2020年に、8年振りの新作として、パク・ボゴムとコン・ユが主演した『徐福』が、韓国で公開される予定となっている。 『徐福』は、人類初のクローン人間を追って、彼を掌中に収めようとする、幾つかの勢力が争う内容と伝えられている。きっと『建築学概論』とはまったく違った、新たなステージを見せてくれるであろう。 それはそれで大いに期待しながらも、いま改めて、『建築学概論』という作品を作ってくれたことに対して、イ・ヨンジュ監督に大きな感謝を示したい。過ぎ去った青春期の、燦然と輝く多幸感と、あの頃に残してきた、傷ましくも眩い、後悔の念。本作を観る度に、それらがセンチメンタルに蘇ってくる。 懐古主義と、笑うなかれ。ひとは振り返れる過去があるからこそ、前に向かって歩んでいけるのだ。■ 『建築学概論』(C) 2012 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
私の頭の中の消しゴム
愛する人のことを忘れたくない…若年性アルツハイマーを患った女性の切ない純愛を描く号泣ラブストーリー
若年性アルツハイマー病に冒された女性と彼女を支える夫の強い絆を『デイジー』のチョン・ウソンと『四月の雪』のソン・イェジンが好演。自分のことを忘れられる苦悩に耐えながら妻に寄り添う夫の男気が感動を誘う。
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COLUMN/コラム2019.12.26
なぜハル・ハートリーはクラウドファンディングをするのか? ~新作プロジェクト『WHERE TO LAND』に寄せて~
ハル・ハートリーが現在、2014年の『ネッド・ライフル』以来となる新作長編プロジェクト『WHERE TO LAND』を立ち上げて、クラウドファンディングを募っている。『ネッド・ライフル』もクラファンで製作費を集めた作品であり、つまりハートリーは2作続けて、映画ファン個人の出資によって新作を届けようとしているのだ。まさに“インディペンデントの権化”の通り名(勝手に付けた)に偽りなしである。 今年でデビュー30周年、還暦も迎えたハートリーだが、大手スタジオにファイナルカット(最終編集権)を明け渡す気がさらさらないのは1989年のデビュー作『アンビリーバブル・トゥルース』の時から変わっていない。『アンビリーバブル~』はミラマックス社が全米配給し、悪名高きハーヴェイ・ワインスタインから「お色気シーンを増やせ」と要求されたが、ハートリーは断って皿を投げつけられたらしい。 実は2000年頃、ハートリーが最も大手スタジオと接近したことがある。ユナイテッド・アーティスツの製作で『No Such Thing』(01、日本未公開)を監督したのだ。主演は当時注目の若手だったサラ・ポーリー。ジュリー・クリスティやヘレン・ミレンのような大女優も参加し、ハートリーにとって間違いなく大きな飛躍のチャンスだった。 しかしユナイテッド・アーティスツ側はもっとキャッチーな作品に手直しするようにと再編集を要求し、ハートリーはまたもはねつけた。結果、映画は一年間お蔵入りにされた後、ろくに宣伝もされず申し訳程度に限定上映されて、実質的に葬られた。ハートリー自身は「でも監督料はちゃんともらえたよ」と冗談めかして語っているが。 ハートリーが『No Such Thing』の顛末についてはらわたが煮えくり返るような怒りを表明したりはしていない。しかし以降のハートリーは、ファイナンスも含めて自分自身でコントロールできる範囲で活動するようになる(例外的に、旧知の仲であるグレゴリー・ジェイコブズがクリエイターを務めた青春ドラマ「レッド・オークス」ではエピソード監督は引き受けている)。 もちろん、自分が書きたいように脚本を書き、撮りたいように撮り、自分が望む形に仕上げるというフィルムメイカーにとっては夢のような状況は簡単に実現したりはしない。ハートリーはあくまでもそれが実現可能な規模で映画作りができればいいと腹をくくり、直接ひとりひとりの観客と繋がるクラウドファンディングを始めたのだ。 インディーズ映画というカテゴリーの中でも非常に小さな商いだが、少なくとも創作の自由は確保できる。今回『WHERE TO LAND』のために集めようとしている目標額3300万円についても、「予算は多いに超したことはないけれど、“いい映画”を作るには十分な額だよ」と語っている。いじらしい理想主義者と取るべきか、頑固な偏屈者と取るべきか。 “理想主義を掲げる偏屈者”は、ハートリーの映画にしばしば登場するおなじみの人物像でもある。ハートリーの作品も、どれも理想と現実との軋轢を描いていると言える。そしてハートリーは、年齢を重ねて現実と折り合いをつけながらも、決して理想を手放すまいとしているように見えるのだ。 前置きが長くなったが、新作プロジェクトの『WHERE TO LAND』は、理想と現実に間で揺れながら、魂は売り渡すまいと踏ん張ってきたハートリーのキャリアの総括のような作品になる。断言できるのは、いち早く脚本を読む機会を得たからなのだが、ハートリーがいかに成熟を遂げ、それでいて30年前と同じ純粋さを失っていないことを、軽やかなコメディとして伝えてくれる120%ハートリー印の作品ができるはずだ。 すでに出演を表明しているのは『シンプルメン』のビル・セイジ、ロバート・ジョン・バーク、エリナ・レーヴェンソン、《ヘンリー・フール・トリロジー》のパーカー・ポージーらで、ファンには旧知の顔ぶれが再結集することになる。ただし最大の難関は、低予算のインディーズ映画とはいえ一般人の有志だけで3300万円を集めるのは容易ではないこと。正直、この原稿を書いている時点で募集金額の達成にはまだ遠い。 しかし「ハル・ハートリーの新作」が実現することは、ただファンのためだけでなく、インディペンデントムービー全体にとっても大きな勝利であるはずだ。なにせハートリーは“インディペンデントの権化”なのだから。■ 主演のビル・セイジ 2019年11月撮影/Bill Sage at Possible Films, Nov. 2019 ©POSSIBLE FILMS, LLC
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PROGRAM/放送作品
タイム・トゥ・ラン
愛する娘の命を救うためカジノ強盗に手を染める!三つ巴による壮絶な逃走劇を描いたクライムアクション
強盗団・マフィア・SWATによる大金争奪戦を、ロバート・デ・ニーロら名優たちとデイヴ・バウティスタら肉体派スターの競演で織りなす。バスジャックした強盗団が繰り広げるアクション満載の逃走劇がスリリング。
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COLUMN/コラム2018.10.19
男たちのシネマ愛『モリー』2018年11月放送
映画ライターなかざわひでゆき×ザ・シネマ飯森盛良の対談シリーズ「男たちのシネマ愛」が今、初の音声ファイルとなって帰ってきた!今回熱く語るのは、名物特集「激レア映画、買い付けてきました」として調達してきた2018年11月の3作品。3本目は、ハートウォーミングな兄妹のドラマを、90年代末の美しすぎるLAを舞台に綴る感動作『モリー』。90'sリバイバルの今、このキラっキラ感にヤラれろ!うおっまぶしっ!!