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PROGRAM/放送作品
ロスト・イン・トランスレーション
アカデミー賞オリジナル脚本賞受賞。ソフィア・コッポラ監督・脚本による、ラブ・ストーリー一歩手前の物語
ソフィア・コッポラ監督が自身の東京での滞在経験をもとに脚本を書きメガホンもとった、ラブ・ストーリー一歩手前、年の差男女の心理的つながりの物語。すべて東京ロケ、90%が日本人スタッフというこだわりよう。
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COLUMN/コラム2016.04.18
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年5月】おふとん
ソフィア・コッポラ監督・脚本のアカデミー脚本賞受賞作。 ともに孤独と不安を抱えるハリウッド・スターのボブ(ビル・マーレイ)と若妻シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)の出会いと別れを描く。舞台はトーキョー。 監督の実体験が元になった本作。音楽・場所・服・とき、全部の要素がソフィアのスノビズムの名の元で、綺麗な丸に収まっています。セバスチャン・テリエからはっぴいえんどまで、サイバーパンクシティから神社まで、スカヨハのおしりからツーリストの滑稽さまで、と何とも贅沢&繊細に描かれるニッポン。 日本人にはメタ視点の日本を、旅行者にはロンリープラネットよりリアルなニッポンを。食わず嫌いしていた人にも、是非観ていただきたい作品です。 ザ・シネマでは5月ソフィア・コッポラ監督全5作を再放送。お見逃しなく! ©2003, Focus Features all rights reserved
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PROGRAM/放送作品
SOMEWHERE
ソフィア・コッポラが描く、だらしない父親が別居中の娘と一緒に過ごすことになった日々に見る、世界の輝き
ホテル暮らしの自堕落な映画スターの目に、11歳の娘をあずかっている間だけ映る、キラキラまぶしい世界の美しさを、フランシス・フォード・コッポラの娘ソフィア・コッポラが描く。ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞。
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COLUMN/コラム2016.03.03
ソフィア・コッポラ、彼女の瞳にうつるもの〜『ヴァージン・スーサイズ』、『ロスト・イン・トランスレーション』、『マリー・アントワネット』、『SOMEWHERE』、『ブリングリング』
パーソナルな魅力が溢れ出した知的で美しい容姿。決して派手ではないけれどシンプル&エレガンスな、1点1点上質なアイテムをさらりと着こなすファッションセンス。 さらにはアートや音楽の洗練された感性さえを持ち合わせ、世界を代表する映画監督フランシス・フォード・コッポラを父に持つという恵まれた家柄で育った。女の人生を生きる上で、欲しいものをすべて手に入れた女性である。 映画監督としてだけでなく、新進気鋭のカメラマンとしての実績や、ファッションデザイナーとして「ミルクフェド」を設立し、最近ではその活動は映画の域を越え、ハイブランドのCM監督もこなす。 クリスチャンディオールのキャンペーンではナタリー・ポートマンを起用した「MissDior」のCM(2013年)を手がけ、オシャレ女子から圧倒的な支持をうける「Marc Jacobs」の人気フレグランス「デイジー」シリーズなどのCMも監督し、まるで映画の1シーンのようなショートトリップに世の女性達をいざなってくれたのも記憶に新しい。 更に、今年2016年には「椿姫」の後援者でイタリアのデザイナーのヴァレンティノ・ガラヴァーニがソフィアの『マリー・アントワネット』に感激したことから、イタリアのローマ歌劇場でのオペラ「椿姫」の舞台監督に抜擢された。ソフィアは、今まさに、初の「オペラ監督」としての挑戦に奮闘中なのである(公園期間は5月24日〜6月30日)。 自分の可能性を花開かせ続けるその姿から勇気をもらうと同時に、1度は彼女のような人生歩んでみたいとソフィアに強い憧れを抱く女性は少なくないはずだ。 生まれもって宝くじを引き当てたかのような特権を持つ存在でありながらも、決して家柄におごることなく自分を貫き、夢を叶える。 20世紀の「与えてもらう」ような受け身のお姫様ではなく、自分の夢を自分でつかみ取る彼女こそ21世紀の女性の憧れの的なのである。 そんな彼女が「映画」という手段を選び、発信しようとしているメッセージとは何なのであろうか。作品に共通して描かれているものがあるとすれば、それは、誰しもの心にひっそりと潜むガラス細工のような「孤独」ではないだろうか。 ソフィアと言えば、作品に合わせた色彩を効果的に使った美しい色味で描かれる世界観も特徴の1つであるが、彼女は誰よりも知っていたのではなかろうか。孤独は、色のないからっぽの感情ではなく、カラフルな世界に身を置いたときによりいっそう滲み出るものだということを。 たくさんの色や光に囲まれた瞬間にこそ、自分のむなしさや寂しさがよりいっそう際立つことを。 だからいつだって彼女の作品は美しいのかもしれない。 ソフィアが描いてきたいくつかの孤独の表現について追ってみようと思う。 彼女の長編映画デビュー作でありながらも、彼女の作品の世界観を確立させたミシガン州に住む美しい5人姉妹の自殺を描いた『ヴァージン・スーサイズ(1999)』では、一緒に過ごしていても心は離れている姉妹達の孤独感。家族という間柄であっても、満たせない見えない人と人との間の距離感を垣間みた。 次にアカデミー脚本賞を受賞した『ロスト・イン・トランスレーション(2003)』では、言葉の通じない海外に行った時に味わう異邦人としての哀愁や異文化の中での孤独の感情に寄り添った。監督自身の東京での経験を下敷きにして、海外版でも日本語の字幕は一切つけず、観る者に孤独を疑似体験させた。 世界中で注目されてきたフランス王妃を描いた『マリー・アントワネット(2006)』では、下着すら自分でつけることを許されない生活の中で、仮面を付けるかのように洋服を何着も何着も着替えることで、不安、不満をモノで満たしていく孤独な女心をこれ以上ないほど愛らしい世界観の中、表現した。 続いて、父と娘のつかの間の休暇を描いた『SOMEWHERE(2010)』では 、ハリウッドスターを主人公とし、端から見たら人気者で多くの人に囲まれるうらやましがられる生活をしていても、充実感とは裏腹に空虚な気持ちを拭えない中年男性の孤独を映し出した。 また最新作『ブリングリング(2013)』では、全米を震撼させた実際の高校生窃盗団の事件を描き、犯罪が露見する可能性がゼロではないにも関わらず、誰かに認めてもらいたいという想いも消しきれないSNSの普及した現代社会に起こりうる、承認欲求という新しいタイプの孤独を描いた。 ちなみに、彼女がはじめて監督・脚本を務めたモノクロの16mmフィルムで撮影した14分の『Lick the Star(1998年)』もスクールカースト(階級社会)の中で生まれる思春期の「孤立感」がコンセプトだ。「ヴァージン・スーサイズ」を彷彿とさせる独特の芝生の使われ方など随所に彼女の才能を感じることが出来る作品で、白黒なものの登場人物達は活き活きと描かれている。字幕付きのものが日本では観られないのが残念だが、ネットに何件かアップされている動画を映画ができる友人と観るのがおすすめだ。 彼女のこれまでの作品の中で、私は特に「リック・ザ・スター」「ヴァージン・スーサイズ」「ブリングリング」といった10代の思春期の頃に抱える抑え切れない程の強いエネルギーや、集団心理を描いた作品に興味を持っている。 特に「ヴァージン・スーサイズ」には、女性が避けることができない人生の悲哀もひっそりと閉じ込められているように感じる。 女は他人から比較されずに生きていくことができないし、同時に自分も人と比較することをやめられない生き物である。 「私は私」と思うタイプの人でさえ、年を重ねれば若い頃の自分と「あの子も昔はかわいかった」なんて比較されていく。 一生続く、毒をもった甘い戦いが女の世界には存在しているのだ。 自分の部屋がまるで世界の中心のように思うことさえある思春期。1つの空間に閉じ込められた1歳ずつしか年齢の違わない姉妹達、そこにはまるで満開のバラが咲き乱れたような、異常なエネルギーが漂っていたのではなかろうか。 男性からすると一種の連帯感かもしれないが、まるで1つの花のように見えた彼女達は、それぞれ別の花びらの集合体だったのではないか。 だからこそ一致団結していたように見えた姉妹達も最期の瞬間は、バラバラの場所、それぞれの方法で死を選んだのかもしれない。 同時に、彼女達は、自分たちが1番美しい瞬間を永遠に閉じ込めようとしたのではないだろうか。「死」という選択肢を使って。彼女達にとって「死」とは、美しいままでいるための1つの手段だったようにも思えて仕方がないのである。 また、場所も時代もおかれている状況も違うけれど「ブリングリング」にも思春期の抑えられない強いエネルギーが描かれていると同時に、「自分は自分」でいることの難しさを伝えている。 10代の頃からSNSの普及によって、幸せの基準がわからなくなってしまったブリングリングのメンバー達は、罪の意識を抱くよりも、Facebookに窃盗したセレブの持ち物をアップし続け、周囲に注目される存在であることを望んだ。 被害者の1人でありながらも自宅を撮影場所として提供したパリス・ヒルトンが被害状況を語った際、「普通の泥棒はお金や宝石を盗むけど、彼らはお金ではなく、雑誌に出ているものを欲した」と語った。 そこに理屈は存在していない。「承認されたい」という欲望を抑えることができなくなった若者達の感情は、こんがらがってしまった電線のようだ。 他人の生活が必要以上に見えるようになってしまった現代を生きる上で、人に流されず自分らしくいることが難しくなっていることについて、小さな警鐘を鳴らしたのではないか。 それにしてもなぜ、彼女は性別年代問わず、人の感情を繊細にすくいとることができるのであろうか? 世界的な巨匠を父に持ち、1歳で乳児役として「ゴッドファーザー」に出演し、小さい頃から大人の目にさらされてきたソフィア。 人の顔色に敏感にならざるを得なかったであろうし、時に誰よりも比較されてきたのは、他でもなく、彼女自身だったからのかもしれない。 余談になるが、コッポラ一族の勢いはとどまることを知らない。 2013年、フランシス・フォード・コッポラの孫ジア・コッポラは、「パロアルト・ストーリー」で映画監督デビューを果たす。原作はハリウッドの若き開拓者的存在であるジェームズ・フランコが書いた短編小説。ジェームズ・フランコ自ら、ジアに監督を依頼し、ジュリア・ロバーツの姪であるエマ・ロバーツやヴァル・キルマーの息子のジャック・キルマーが起用され、青春の不安定さから来る思春期の若者達の繊細な気持ちを描いた。 インテリアやレースのカーテンといった小物等からもソフィアの感性を受け継いだことが肌で感じられる作品である。 甘くけだるく、耳に残る音楽は「ヴァージン・スーサイズ」の音楽でもおなじみのソフィアの従兄弟であり、フランシス・フォード・コッポラを叔父に持つシュワルツマンが担当。改めて、溢れんばかりの才能に恵まれた一族である。 「アメリカン・グラフィティ」「ラスト・ショー」「ヴァージン・スーサイズ」のようなタイプの10代の繊細な感情の機微を描いた青春映画を欲している人は、こちらの作品も観ても良いかもしれない。■ ©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
マリー・アントワネット(2006)
ガーリーでポップでキュート!これがソフィア・コッポラ流のマリー・アントワネット
贅沢で国を傾けたマリー・アントワネット。パーティー三昧のキラキラした毎日の楽しさから抜け出せなくなった彼女は、そこまで悪女か?彼女が見ていた世界をそのまま鮮やかに描く、流石のソフィア・コッポラ監督作!
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COLUMN/コラム2016.02.29
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2016年3月】
28歳にして監督デビューを果たしたソフィア・コッポラの衝撃のデビュー作!父上はもちろんご存じのフランシス・フォード・コッポラ。本作でも製作に関わってます。主人公の姉妹5人が全員美人という奇跡から始まりますが、特に自由奔放な四女ラックス役のキルステン・ダンストは、17歳で色っぽすぎるだろ!と叫びたくなります。のちに彼女は、ソフィアの監督3作目『マリー・アントワネット(2006)』で主演を務め、ガーリーでキュートなマリー・アントワネットを好演!(もちろんこちらもザ・シネマで3月に放送します!)。 物語ですが、5人姉妹が全員自殺を図るというショッキングな事実から始まります。姉妹たちの繊細で瑞々しい世界をソフィアの独特のタッチで描き、自由への憧れ、異性への意識…大人になりきれない10代の揺れ動く心を美しく映し出していきます。これを見れば、みなさんもきっと青春時代のあの純粋な気持ちを思い出せるはず! ザ・シネマでは、ザ・シネマ10周年にちなんだ特集企画として、ソフィア・コッポラを大特集!【ソフィア・コッポラ全部やります!】と題して、デビュー作から最新作まで全5作品を放送! ©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
(吹)ロスト・イン・トランスレーション
アカデミー賞オリジナル脚本賞受賞。ソフィア・コッポラ監督・脚本による、ラブ・ストーリー一歩手前の物語
ソフィア・コッポラ監督が自身の東京での滞在経験をもとに脚本を書きメガホンもとった、ラブ・ストーリー一歩手前、年の差男女の心理的つながりの物語。すべて東京ロケ、90%が日本人スタッフというこだわりよう。
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(6)
飯森:最後に語っておきたいのが、ザ・シネマ社内で勃発した“「ブリングリング」ゲイ論争”です。 なかざわ:へ? どういうことです? 飯森:いや、あの作品が公開された時に、いつもの調子でうちのスタッフと感想や解釈について雑談していたんですけれど、僕は主人公の男の子がゲイだとは全く気付かなかったんです。本国のティーザー【注73】版ポスターには、主人公たちが格好つけてかけるサングラスだけが縦に並んでいて、そこに各キャラクターそれぞれの肩書きが書いてあるんですね。こいつが「首謀者」、こいつは「スター」みたいな感じに。で、この男の子のサングラスにはThe Right-Hand Manと書かれているんです。直訳すると「右手男」。これはどういう意味だろうと。日本では頼りにしている手下のことなどを「ボスの右腕」なんて呼んだりしますが、果たして英語の慣用表現でもそう言うのか?まあ、辞書で調べれば一発で分かったものを、調べるまでもなく、僕はマスタベーションのことだろうと即・思ったわけです(笑)。「右手が恋人」って表現が日本語にはあるじゃないですか。 なかざわ:はいはい、だったら左利きの人はどうするんだって話ですけどね(笑)。 飯森:左手だと他人に手コキされてるみたいでもっと気持ちいいという真面目な学説もありますが(笑)。まあ、それはいいとして、僕はThe Right-Hand Manというのを、オナニーしまくっている童貞野郎という意味に曲解したんです。 なかざわ:いやいや、英語でも「右腕」で正解ですよ(笑)。 飯森:首謀者である中国系の娘の右腕ってことが正解だったんですけどね。僕は、転校生で友達のいない主人公が、たまたま仲良くなった女の子とつるんで女子グループに入れてもらい、あわよくば誰でもいいから一発やらせてくれ!一番気が合う中国娘だったら最高だけれど、ハーマイオニー【注74】でも相手にとって不足はない、他の名も無き脇役みたいな娘たちでも一手ご指南願えるんだったら選り好みはしないんで是非とも!というわけで、彼女たちに気に入られようとワンチャン狙いでパシリとして仕える“童貞残酷物語”だと勘違いしちゃったんですよ。これがね、うちの女性スタッフによると「違う!彼はもともと男子グループよりむしろ女子グループにこそ入りたいようなメンタルの持ち主なんだ」と。男同士つるんでマッチョにスポーツなんかするよりは、女子に混じってファッションの話をしたいゲイの男の子なんだと言うんですが、悔しいことに僕には1ミリたりともゲイの要素がないので、当時はその解釈に納得いかなくて大論争にハッテン、もとい発展したんですよ。僕はゲイの考えは分からないけど、童貞の考え方なら理解できる。っていうか残念ながらそれしか理解できない。なので、主人公と主犯格の中国系の女子とは波長の合う親友、という描き方をソフィアたんはしていただけだったんですが、僕には主人公が彼女に惚れていて、やりたがっているようにしか見えなかった。そして、最後には捕まって刑務所送りになる。刑務所行きの護送車で、ダニー・トレホ顔【注75】とかアイス・キューブ顔【注76】が並ぶ囚人の中、ツルンとした顔の紅顔の美少年がただ1人。これはもう… なかざわ:完全にやられちゃうなと(笑)。 飯森:女子とやりたい一心で犯罪にまで手を染めちゃった童貞小僧が最後はダニー・トレホにやられちゃうという、まことに皮肉な、因果応報なお話でしたとさ!と綺麗にオチがつく解釈のはずだったんですけれど、うちの女性スタッフからは「どこをどう見たらそんな話になるんだ!ソフィアを汚すな!!」って憤慨されましてね(笑)。その後で、いろんな人の話を聞いても、僕以外は全員、あの子はどう見てもゲイじゃん?って言うんですよね。 なかざわ:まあ、確かに彼の立ち位置は微妙ですけれどね。明確に彼はゲイです、っていう直接的な描写もありませんし。 飯森:でも、彼がパリス・ヒルトンの家から盗んだ靴を、下着姿になって履くシーンがありますよね。 なかざわ:とはいえ、世の中にはノンケでも女装が好きな人は結構いますし、なにしろ、パリス・ヒルトンの靴ですから、思わず履いてみるっていうのも有り得ますよね。シャンパンを注いで飲む奴もいそうですけど(笑)。 飯森:それじゃ元彼のタランティーノじゃないですか(笑)。でも、ですよねえ!僕だって絶対に履いちゃいます。綺麗な女性芸能人の靴が手元にあったら、そりゃノンケだって普通は履いてみるでしょう。でもね、今となっては、この論争は勝負アリなんですよ。僕の完敗です。まず過去の監督やキャストのインタビューを見ると、「彼はゲイ」と明言していたんですよ。もちろん、映画は作り手のものではなく我々観客のものなので、受け手によって解釈は自由です。見る方がノンケだと感じたのならそれがその人にとっては唯一絶対の正しい解釈なんですけど、ただしこの論争に関しては、僕が全面的に間違っていたと負けを認めざるをえない。というのも、もしこいつがノンケだとしたら、今まで述べてきたソフィアたんの作家性と合致しなくなってしまうから。 最後に刑務所へ護送車で送られていく彼の表情がその決定的証拠です。罪の意識や後悔の念を感じているようには見えない。女子たちの誰かに童貞を捧げられなかった無念さも無論ありません。彼が脱童貞のために女子のパシリをしていたノンケなんだったら、ここで「女とやりたくて犯罪にまで手を染めたのに、結局やれず終いで、逆に男にやられちゃうのかよ、チキショー!」という顔をしていなければならない。でも、 それどころか、満足気な達成感すら見て取れるんです。微妙に眩しそうに微笑んでいるように見える。たまたま異性だった、恋愛には発展しえない親友の女子と、思いっきりやりたい放題を楽しんだ、そのキラキラした瞬間の数々、“10代キラキラ”と“ラブストーリー一歩手前キラキラ”を思い返して眩しそうに目を細めている。そう解釈したほうがよほどソフィアたんらしい。 なかざわ:そう考えると、彼女はセックスというものを、結構どうでもいいものに分類しているように思えますね。 飯森:だから、前月のヴァレリアン・ボロフチック特集の次にソフィア・コッポラを特集できるというのは、本当に良かったと思うんです。セックスというものが人間にとって欠くべからざる重要なファクターだというボロフチックに対して、セックス?恋愛?どーでもいいわ!というのがソフィアたん。彼女はそういう白か黒かみたいなことには興味がなくて、その中庸にこそホンワカとした機微のようなものを見出している。ここはぜひ、オジサンたちもボロフチックは見るでしょうから、今回ソフィアたんの作品にも触れていただいて、十代の頃に戻ってもう一度“キラキラ感”を体感して欲しいと思いますね。うおっまぶしっ! (終) <注73>一般的には本格的な広告展開を行う前の段階として、商品などの詳細を明かさないことで消費者の注意を喚起する宣伝手法のこと。映画やテレビドラマなどにおいても、作品のタイトルやイメージ画像のみを使用したポスターや予告編を流布し、その次に展開する正式なポスターや予告編へと繋げていく。 <注74>「ハリー・ポッター」シリーズのキャラクター。演じるのはエマ・ワトソン。1990年生まれ。イギリスの女優。「ブリングリング」では、空き巣に積極的に加わりながら家庭では良い子を演じ、事件発覚後は巻き込まれただけと主張する悪役を好演している。<注75>1944年生まれ。アメリカ出身の俳優。元ギャング。コワモテの悪役俳優として活躍し、「マチェーテ」シリーズ(’10、’13)で主演し注目される。<注76>1969年生まれ。アメリカ出身のラッパー、俳優。伝説のヒップホップグループN.W.A.の元メンバーで、映画に進出してからは出演だけでなく、製作、脚本、監督までこなす。 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
ヴァージン・スーサイズ
少女たちの危うく繊細な世界を美しく描いた、ガーリー映画作家ソフィア・コッポラの監督デビュー作!
『ロスト・イン・トランスレーション』のソフィア・コッポラ監督が、美人姉妹が自殺に到る顛末を描く。「少女の目には世界はこう映るのか?」と思わせる繊細な映像など、監督の才気があふれるガーリー映画の傑作。
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COLUMN/コラム2016.02.15
男たちのシネマ愛④愛すべき、キラキラ★ソフィアたん(5)
なかざわ:そろそろ「マリー・アントワネット」に行きましょうか。 飯森:これまでに説明したソフィアたんの良いところが全部詰まっていて、製作費的にも一番お金がかけられていて、しかもマリー・アントワネットという日本人にも馴染みのある題材を取り上げている、個人的なイチオシです。と同時に、実は僕が一時的にソフィアたんを嫌いになる決定的要因となった作品でもあるんですよ。というのも、司馬遼太郎【注46】なんかを好んで読んでいる僕みたいなオジサンが、マリー・アントワネットの映画を見に行くということは、当然のことながらドラマチックな歴史大作を期待していたわけです。ところが、お話は確かにみんなが知っているマリー・アントワネットの伝記なんですけれど、この映画にはドラマチックな要素が全くない。なので、歴史にロマンを求めるオジサンとしては、これにはカチンときちゃいましてね。「いいとこのお嬢ちゃんが俺の領分にまでチャラチャラ入ってきたな!あんたに歴史が分かるの!?」と。 なかざわ:実際、当時はそういった批判もありましたよね。 飯森:しかし、今となってはそんな自分の見る目の無さを恥じ入るばかりです。ソフィアたん、ごめんね…。彼女の作家性の核となるのが“キラキラ感”であることは申してきましたが、「マリー・アントワネット」も同じだったんですよ。歴史のロマンを描こうとしていなくて、見どころは“キラキラ感”なんです。特にこの作品は、彼女の作品群の中でもダントツに眩しい。見た目的にはキャンディ・ポップ【注47】で、サーティワン・アイスクリーム【注48】みたいなというか、マカロン【注49】みたいなというか、そういう色彩に溢れている。 なかざわ:実際にマカロンも出てきますしね。 飯森:衣装の色彩設計も本当にマカロンを参考にしたらしいです。でも、そんなドレスは当時存在しない。 なかざわ:時代考証的には完全に間違っていますよね。靴だってマノロ・ブラニク【注50】だし。 飯森:だから、公開当時は「こんなものけしからん!キューブリックの『バリー・リンドン』【注51】を見習え!」って無茶なキレ方をしていたんですが、でも見習わなくて本当によかった!だって、忠実な時代考証に基づいたドラマチックな歴史映画を見たければ、まさに「バリー・リンドン」を見ればいいんだから。ソフィアたんは確信犯で「従来のような歴史映画には絶対したくない」とはっきり宣言している。つまり、司馬遼好きの歴史オジサンなんて、はなっから相手にしていないんですよ。だから、本作で衣装を担当したのは「バリー・リンドン」でオスカーを獲ったミレーナ・カノネロ【注52】なんです。ミレーナ・カノネロ本人が、その、時代考証的には間違っているマカロン色の衣装も本作では手がけている。で、またアカデミー衣装デザイン賞を獲った。人と同じことを真似してやっても無価値ってことなんです。その当たり前のことに今回僕は初めて気づいた。 なかざわ:音楽だって’80年代のニューロマ系【注53】が中心ですし。バウ・ワウ・ワウ【注54】とかアダム・アント【注55】とかですよね。 飯森:そのバウ・ワウ・ワウのヒット曲「アイ・ウォント・キャンディ」【注56】が流れるシーンが、“キラキラ感MAX”なんです。フランス宮廷での生活に慣れてきて、楽しくて楽しくて仕方ないマリーは、めいっぱい浪費をするわけです。高いものや綺麗なものが大好き。どんどんお買い物をして、靴やらマカロンやらが堆く積み上がっていく。パーティーやって夜遊びもやる。そういう映像をパッパとつないでいくミュージックビデオのようなイメージシーンでその「アイ・ウォント・キャンディ」が流れる。あと、「ブリングリング」でパリス・ヒルトンの豪華なクローゼットを披露したように、本作でもありとあらゆるお洒落アイテムを収蔵したマリー・アントワネットのウォークイン・クローゼットが出てくる。 なかざわ:ファッション好きな人が見たら興奮が止まらないでしょうね! 飯森:“クローゼット・パラダイス”って言葉もまた作ってみたんですが、そろそろ作りすぎですかね(笑)。“クローゼット・パラダイス”は着道楽の人には堪らない、いつまででも見ていたいシーンですよ。あんなクローゼットがあったら、もうどれを着ていこうか悩まなくて済む。あらゆる色、素材の衣類やアクセサリーが自宅にある。「これと合う色がない」とか「素材感がチグハグ」とかいった朝の悩みから永久に解消される!どんなコーディネートも自由自在で、思いついたことが即・形にできる。パラダイスは天上になくてもよくて、自宅のあの程度の空間で十分なんだ、それを眺めているだけで観客は多幸感に満たされるんだ、って演出を最初に発明したのは「SATC」【注57】の方が先かもしれませんけど、ソフィアたんはこの「クローゼット・パラダイス」表現をさらに一歩進めてみせた。 あと、マリー・アントワネットは夜遊びにもはまって、夜な夜な無断外泊をしてパリの舞踏会で踊りまくるんですけれど、この朝帰りのシーンにも注目して欲しい。馬車に揺られたマリーが、徹夜明けでちょっとグッタリし、ガラス窓にもたれかかって朝焼けを眺めながら、パリの盛り場から自宅であるベルサイユ宮殿【注58】へと戻っていく。この感覚がね、渋谷で夜遊びをした若い子が始発の山手線に乗って、電車に揺られながら、東から昇る朝日の暖かさを頬に受けて自宅へと帰っていく、あの二十歳前後にしかない達成感と虚脱感の入り混じった感覚そのものなんですよ。オジサンになった今となっては遊びで徹夜なんて楽しくもなんともないから極力御免被りたい。体力的にあとを引くし仕事にも支障が出るし。でも若い頃は楽しかったでしょ?世界に対する征服感というか、つい数年前まで許されなかった夜遊びをして、見たことのなかった朝焼けを見るわけです。あの朝焼けは間違いなくキラキラしていたでしょ?その“キラキラ感”を、18世紀のフランスを舞台にした映画で再現しちゃっている。凄いことですよ! しかも、それが重要な意味を持つことを示すかのように、同じようなシーンは二度出てきます。同性・異性の友人たちグループと夜っぴて遊び疲れ、一緒に昇る朝日を見に屋外に行く時、疲れ切ってて会話もろくに無い状態で、朝焼けに刻々かわる空をグッタリ虚脱しつつウットリ陶然としながら、惚けたようにみんなで見つめる。その、彼ら込みの風景の、なんとキラキラしていることか! あと、オールナイトの夜会で旦那のルイ16世【注59】がベルサイユ宮殿へ帰りたがるくだりが出てくるんですよ。眠いし疲れたと。でも、マリーにとって夜はこれから。そこで彼女はこう言うわけです。「あなた、朝日の昇るところ見たことないでしょ?」と。朝日童貞だと。すると、旦那は「朝日くらい見たことあるさ!」と切り返す。「夜も明けきらないうちから公務で狩りに行くから、朝日なんて何度でも見たことがある」と言い返すわけです。野暮天としか言い様がないんですよ!するとマリーは「その朝日じゃないのよね…」という呆れ顔をしてみせる。つまり彼女が言っているのは、午前4時台の山手線の車窓から見える朝日、冒険の成果として獲得した朝日のことなんだけれど、ルイ16世にはその違いが分からない。 なかざわ:それもまた、ある年齢の若者だけが見ることのできる“キラキラ感”ですね。 飯森:ルイ16世が言っているのは、「部活の朝練で俺はいつも夜明け前に起きてる」とか「新聞配達のバイトで夜明け前に起きてる」とかですよね。どんだけ野暮天なんだよ陛下は!まぁ、遊び好きの女の子にとっては、あんまり一緒にいて楽しい奴じゃないだろうとは思いますね。 だから、ということでもないんですけど、先ほども言ったように、本作では「ベルばら」でもお馴染みのスウェーデン貴族フェルゼンが出てきます。マリー・アントワネットと運命の大恋愛を繰り広げた人物ですね。ところが、アンチ恋愛主義者と思われるソフィアたんは、まるっきりと言っていいほど彼との恋愛を描かない。ちょっとした恋の駆け引き的なセリフこそあれど、特にそこ広げるでもなくフェルゼンはフェードアウトしていきます。「ベルばら」だと例の野沢那智さん【注60】が声をやっていて、止め絵【注61】とか3回パン【注62】とかの出崎演出【注63】が大げさに炸裂して、一世一代、運命の恋が劇的に描かれているんですけどね。 なかざわ:ソフィアのロマンスに対する無関心って、清々しいくらいに一貫していますね。 飯森:そして、最後はフランス革命【注64】が起こるわけですが、そこは異常にアッサリ。これに僕なんかは公開時に噛み付いたんですが、ソフィアたんはそこを描きたいわけじゃないからアッサリだったんです。民衆がベルサイユ宮殿になだれ込んできて、マリー・アントワネットは彼らに対して深々と頭を下げる。それでも許されずにベルサイユを追放されてパリで幽閉されることになる。その際、馬車に乗せられて連れて行かれるのだけれど、同じ馬車に子供たちと野暮天の旦那もいる。その旦那さんとマリーは優しく見つめ合ってね、「酷いことになっちゃったけど、一人で連れて行かれるわけじゃないからお互いに良かったわよね、貴方もいるし子供たちもいるし…」みたいなことを、ふっと苦笑いみたいな微笑みで表現する。ルイ16世も同じように微笑み返す。幼いうちに政略結婚させられた上、ルイ16世は性的不能者だったらしいので、マリーは結婚後も7年くらいに渡って処女だったと言われています。つまり、好きで結ばれたわけではないし、二人の間に恋愛要素はなかった、一人は派手好きの遊び好きで一人は野暮天。だけど、それでも一応はいたわりあいながら共に生きてきた異性のパートナーとして描かれている。ラブストーリー一歩手前の男女を描いてきたソフィアたんの面目躍如たるところだと思います。ここにも“ラブストーリー一歩手前キラキラ”の眩しさがちょっとあったように記憶してます。この眩しさが描きたかったんでしょうね。どぎつい革命の流血沙汰なんか描きたくなかったんだろうと今なら分かります。 なかざわ:そう言われると確かにそうです。 飯森:ちなみに、マリー・アントワネットの夜遊び仲間として、ポリニャック夫人【注65】とランバル公妃【注66】が出てきます。ポリニャック夫人は仲間の中でも一番賑やかで騒々しくて、ランバル公妃はいつもニコニコしながら黙っている控えめな女性。そんな彼女たちが、その後どうなったのか。この映画では描かれていませんが、うるさい女ポリニャック夫人は真っ先にマリーを見捨てて亡命します。一方の大人しいランバル公妃はマリーのことをかばい、最期までともに行動をしたせいで暴徒に惨殺されてしまった。民衆はその首を棒に突き刺して、マリーのいる監獄の窓へ向かって掲げて見せたと言われています。お前もこうしてやるから覚悟しろ、ってことですね。フランス革命というのは、ある面では今のIS【注67】みたいな状態になっていたわけですよ。「余談ながら」とこういうエピソードをどうしても付け足したくなるのが、司馬遼オジサンの悪い盛り癖なんですけれど(笑)。 なかざわ:ポリニャック夫人を演じているのはローズ・バーン【注68】ですね。彼女はドラマ「ダメージ」【注69】の真面目な若手弁護士とか、映画「インシディアス」【注70】シリーズのお母さんの印象が強いので、しとやかで清楚なイメージだったのですが、そういう意味では異色のキャスティングでしたね。まあ、「ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン」【注71】ではビッチな役どころでしたけど。 飯森:ランバル公妃役はメアリー・ナイって女優さんで、「誰だお前!?」って感じですけど、なんとビル・ナイ【注72】の娘さんということで、ソフィアたんとは七光りつながりのお友達なのかな?ふくよかで温厚そうで、セリフも大してない割にはすごく印象的で美味しい役でしたね。こんな女性が生首を串刺しにされたとはねぇ…劇中では出てきませんけど。 とにかく、フランス王国の国家財政を遊興で破綻させたという悪名高い歴史上の人物マリー・アントワネットを、ソフィアたんは“10代キラキラ”の次元まで引き戻してくることで、ちょっとはヤンチャもした全ての元10代が共感できる少女として見せているんです。買い物しまくって夜遊びして朝帰りしただけの女の子のお話。誰でも身に覚えのある若さゆえの放逸。「それって首まで斬られなくちゃいけないほどの悪かよ!?」と見終わった後で思わずにはいられない。今“お馬鹿セレブ”なんて呼ばれて叩かれている、パリス・ヒルトンとかそれに続く向こうの若い有名人の派手で無軌道なライフスタイルにしたって、彼らはマリー・アントワネット同様、我々庶民と違いカネを持ってるから乱痴気騒ぎのスケールがおのずと大きくなってしまうだけで、カネの無い我々にしても無いなりのスケールで若い頃は乱痴気騒ぎをしてたじゃないか。カネに比例したスケールの大小こそあれ、やってることの性質は同じ。誉められたものではないにしても、そこまで叩かれるべき悪なのか?大人ぶって常識ぶって叩けるほど我々元10代のオジサンは潔白だったっけ?なんてことまで思います。 いずれにしても、ソフィアたんの作品を振り返ってみると、彼女は単なる親の七光りでもなければ、ガーリーという言葉で片付けられる監督でもない。10代後半のキラキラをもう一度追体験してみたいという、全ての老若男女が見る価値のある映画を作り続けている、唯一無二の映像作家です。 なかざわ:それが彼女の作家性というものですね。 <注46>1923年生まれ。日本の小説家。「梟の城」で直木賞を受賞。歴史を題材にした小説で知られる。その他の代表作に「龍馬がゆく」「国盗り物語」など。1996年死去。 <注47>キャンディのようにカラフルでポップなアイテムなどのことを指す俗称。<注48>アメリカ発祥のアイスクリームのチェーン店。<注49>フランスを代表する焼き菓子。メレンゲに砂糖とアーモンドパウダーを加えたもの。カラフルな色合いと風味が人気。<注50>イギリスの高級靴ブランド。故ダイアナ妃やマドンナなどのセレブも愛用。 <注51>1975年制作、イギリス映画。全編をロウソクの光や自然光のみで撮影するなどし、18世紀ヨーロッパの雰囲気を忠実に再現した。アカデミー賞で4部門を獲得。スタンリー・キューブリック監督。 <注52>1946年生まれ、イタリアの映画衣装デザイナー。「バリー・リンドン」(’75)、「炎のランナー」(’81)、「マリー・アントワネット」(’01)、「グランド・ブダペスト・ホテル」(’14)で4たびアカデミー衣裳デザイン賞に輝く。<注53>正式名称はニューロマンティック。’70年代末から’80年代にかけて、イギリスから生まれたロック音楽のジャンル。代表的なアーティストはカルチャー・クラブやデュラン・デュランなど。 <注54>1980年に結成されたイギリスのロックバンド。日本でもTVCMに出演するなど大ブレイクした。 <注55>1954年生まれ。イギリスのロック歌手。’77年に結成したバンド、アダム&ジ・アンツでブレイクし、’82年の解散後はソロとしても活躍。 <注56>1982年に全英チャート9位をマークしたヒット曲。 <注57>1998〜2004年制作。アメリカのテレビドラマと、それをもとにした2008年と2010年の映画。NYに暮らすキャリア女性4人組の、奔放、かつ、お買い物中毒・ファッション・アディクトともいえる派手な暮らしぶりが話題となりヒット。<注58>1682年に建築されたフランスの宮殿。王族らが住んでいた。現在は世界遺産に指定されている。 <注59>1754年生まれ。フランスの国王。フランス革命で捕らえられて処刑された。1792年死去。 <注60>1938年生まれ。声優。2010年没。その代表作でありながらDVD/BD未収録だった『ゴッドファーザー』吹き替え特集をザ・シネマ10周年特集として放送し話題を集めた。前々回の対談のトークテーマ。 <注61>出崎演出の特徴の一つで、劇的なシーンでアニメの動きを止め、セル画調のベタ塗りではなく水彩画のような濃淡のムラのある一枚絵で印象を強調する手法。 <注62>出崎演出の特徴の一つで、映像で、キャメラを横に振ることが「パン」。それを同じ短い絵で3回リフレインして、印象を強調する手法。 <注63>止め絵や3回パン、透過光による逆光表現などを用いて、アニメにドラマチックな効果をもたらす演出術。出崎統は1943年生まれのアニメ監督。代表作は「あしたのジョー」(’70)や『エースをねらえ!』(’73)、「ベルサイユのばら」(’79)など。2011年死去。 <注64>18世紀後半に起きたフランスの市民革命。それまでの絶対王政から共和制へと移行した。 <注65>1749年生まれ。マリー・アントワネットの取り巻きとして、その優位な立場を私利私欲に使ったことで悪名高い。1793年、亡命先のウィーンで死去。<注66>1749年生まれ。マリー・アントワネットの女官。フランス革命時には国王一家を救うために奔走し、そのせいで1792年、暴徒に首を切り落とされた。 <注67>イスラミック・ステートの略。イラクやシリアの一部を支配しているイスラム過激派組織。 <注68>1979年生まれ。オーストラリア出身の女優。「トロイ」(’04)でブラッド・ピットの相手役を演じて注目される。 <注69>2007年から2012年まで放送されたアメリカのテレビドラマ。冷酷非情なベテラン弁護士パティと真面目な若手弁護士エレンの女同士の対決を描く。 <注70>2010年制作、アメリカ映画。怪奇現象に見舞われた一家の恐怖を描く。<注71>2011年制作、アメリカ映画。親友の花嫁介添え人に選ばれた女性を描くコメディ。アカデミー賞2部門ノミネート。 <注72>1949年生まれ、イギリスの俳優。「ラブ・アクチュアリー」(’03)の高齢者ロックシンガー役で英国アカデミー助演男優賞を受賞。代表作に「パイレーツ・ロック」(’09)、「マリーゴールド・ホテル」シリーズ(’12、’15)など。 次ページ>> ザ・シネマ社内で勃発!“「ブリングリング」ゲイ論争”の顛末 『ヴァージン・スーサイズ』©1999 by Paramount Classics, a division of Paramount Pictures, All Rights Reserved『ロスト・イン・トランスレーション』©2003, Focus Features all rights reserved『マリー・アントワネット(2006)』©2005 I Want Candy LLC.『SOMEWHERE』© 2010 - Somewhere LLC『ブリングリング』© 2013 Somewhere Else, LLC. 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