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狼たちの午後
人質を取った銀行強盗犯と警察との攻防が思わぬ方向へ!アル・パチーノ主演の実話サスペンス
1972年にニューヨークで起きた劇場型犯罪事件の全貌を、巨匠シドニー・ルメットが社会背景もリアルに映しながら再現。ヒーロー扱いされる銀行強盗役アル・パチーノの迫真の演技が圧巻。アカデミー脚本賞受賞。
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COLUMN/コラム2023.07.12
社会派の巨匠ルメットが、アル・パチーノと生み出した、実話ベースの傑作悲喜劇。『狼たちの午後』
1972年8月22日のニューヨーク。ブルックリンのチェース・マンハッタン銀行支店に、武装した3人組の強盗が押し入るという事件が、発生した。 計画したのはベトナム帰還兵で、27歳のジョン・ウォトヴィッツ。彼は60年代に、銀行で働いた経験があった。 一緒に押し入ったのは、18歳のサルバトーレ・ナチュラーレと、20歳のロバート・ウェステンバーグ。しかしウェステンバーグは、ビビって現場からすぐに逃走したため、ウォトヴィッツはナチュラーレと2人で、男性の支店長と女性従業員たち合わせて8名を人質に、14時間銀行に立て籠もることとなった…。「ライフ」誌に載った、この事件のあらましをまとめた「The Boys in the Bank」という記事に目を付けたのは、プロデューサーのマーティン・ブレグマンとマーティン・エルファンド。彼らの興味をまず惹いたのは、ウォトヴィッツのプロフィールとキャラクターにあったものと思われる。 ウォトヴィッツは妻との間に2人の子どもをもうけながら、69年に別居。71年に男性と結婚式を挙げていた。銀行強盗を企てたのは、そのパートナーが女性になるための性別適合、当時の言い方ならば、性転換の手術費用を稼ぐのが、目的の一つにあった。 籠城を続ける中で、ウォトヴィッツの振舞いや言動に、人質たちが共感を寄せたり、銀行を囲んだ野次馬たちが、熱烈な支持を表明するなどの現象が起こった。 事件当時そんな言葉はなかったが、ウォトヴィッツに起因するところの、“LGBTQ”や“ストックホルム症候群”等々といった事象に、プロデューサー陣はピンと来たのであろう。もっと下世話な言い方をすれば、「これは見世物になる」「商売になる」という直感が働いたわけだ。 世間の規範に対しての、叛逆やドロップアウトがテーマとなる、“アメリカン・ニューシネマ”の時代。この事件は映画化するには、格好の題材と言えた。「ライフ」の記事には、ウォトヴィッツの容姿について、アル・パチーノやダスティン・ホフマンに似ているという一文があった。プロデューサーのブレグマンは、実際にウォトヴィッツの写真を見て、主役をパチーノに依頼。ブレグマンとパチーノは、エージェントと俳優として、長い付き合いだった。 パチーノは題材に興味を持ちながらも、オファーを断った。前の出演作『ゴッドファーザーPARTⅡ』(1974)の撮影で疲れ切っており、しばらく映画には出たくないという気持ちと、舞台こそ自分の本分だという想いが強くなっていたのである。 パチーノの後には、元記事の表記通りに、ダスティン・ホフマンに出演交渉が行われた。しかしホフマンにも断られ、パチーノへと、オファーが戻る。 この再オファーを、パチーノは受けることにした。決め手になったのは、フランク・ピアソンが書いた脚本が、「すごい傑作」だったからだという。 ピアソンは執筆に当たって、重点を置いてまず考えたのは、視点をどこに持たせるかということ。警察なのか?人質なのか?野次馬なのか?はたまた犯人の家族なのか? 絞り込んでいって、最も興味深いのは、やはり強盗側の視点というところに行き着いた。それによって、立て籠もった銀行内が、主な舞台に決まった。 ピアソンを悩ませたのは、ウォトヴィッツから、直に話を聞けなかったこと。本人が、映画化の権料で製作陣と揉めてしまってため、刑務所での面会を拒絶されたからだ。 それならばと、彼と関わった家族や恋人、友人、事件の人質や警察等々にリサーチを敢行。しかしそれぞれの目には、ウォトヴィッツの人物像はまったく違って映っていた。 どこかに共通点はないか?探しに探して浮かび上がったのが、彼が「面倒見の良い男」であるということだった。 ピアソンは、その「面倒見の良い男」を突破口にして、『狼たちの午後』のストーリーを作り上げた。監督のシドニー・ルメットに脚本を渡す際には、「自分が皆を幸せにする魔術師と勘違いしている男の話」と伝えたという。 そして、この脚本があったからこそ、ルメットも、『狼たちの午後』の監督を引き受けたのである。 『セルピコ』(73)に続いて、ルメットと2回目の組合せになったパチーノ曰く、ルメットは「俳優を動かす天才」。子役として5歳の時からブロードウエイの舞台に立っていた経験もあって、俳優の気持ちがわかり、俳優の視点から演技を理解できる、「actor's director=俳優の監督=」と言われた。 ルメット曰く、「私自身、俳優だったから、自分の心の中を探らねばならないのは辛いということは解っている。良い演技は自分の本心を知ることで生まれる。俳優たちはそれが解っているし、私もそれが解っている」「俳優の監督」であると同時に、ルメットと言えば、“社会派”。しかも、社会派とエンタメを同時に成立させる、希有な監督としての評価が高かった。陪審員制度を描いた映画監督デビュー作『十二人の怒れる男』(57)から、ナチスの強制収容所で家族を失った男が主人公の『質屋』(64)、冷戦時代の核戦争の恐怖を描いた『未知への飛行』(64)、軍刑務所内の非人道な在り方を訴える『丘』(65)等々。 そして、『狼たちの午後』を手掛けた頃には、まさにキャリアのピーク!70年代は本作の前に、『セルピコ』(73)『オリエント急行殺人事件』(74)、本作の後に『ネットワーク』(76)といった作品を放って、社会派エンタメ監督且つ、ヒットメーカーとして異彩を放っていたのである。「俳優の監督」であるルメットが重視するのは、“リハーサル”。曰く、「自分の感じられるところまで進め、自分が望むだけやれ。望まないことはできるだけやるな。心に感じるものがあるなら、それを外に高く飛ばせ。その勘定が正しいか誤っているかは気にするな。じきにわかる。それがリハーサルのねらいだ」 ルメットは映画界に入る前、TVで生放送のドラマを、5年間で500本手掛けた。その経験もあって、入念なリハーサルを行い、いわば舞台的な演出を行った。 彼の遺作となった『その土曜日、7時58分』(2007)の出演者イーサン・ホークは、こんなことを言っている。「2週間ほどかけて入念にリハーサルした。僕らのクリエイティブな仕事の大半は、撮影開始以前に終わっていた。結論は既に出ているから、あとはそれを実行するだけ」 ルメットの初監督作『十二人の怒れる男』(1957)で、リー・J・コッブがヘンリー・フォンダと言い争そうシーンがあった。この作品は順撮りではなく、シーンの途中で撮影を終えた後、1週間ほど経ってから続きを撮ることとなった。 これだけ間が空いてしまうと、前に撮った時の感情を保つのは、困難である。しかし撮影前に、2週間に及ぶリハーサルでシーンを作り上げていたため、どういった感情で演じれば良いか、ルメットも俳優たちも、はっきりと認識できていた。 入念なリハーサルをベースに、舞台的な演出を行いながらも、映像は映画的なのも、ルメットの特徴。作品に合わせて撮影のスタイルを変えるなど、融通無碍でもあった。『狼たちの午後』は、ルメットのそうした特性が、最も有機的に作用した作品とも言える。もちろん本作も御多分に漏れず、撮影前に3週間のリハーサルが行われた。しかし本作のリハーサルに関しては、即興の演技を引き出すためのものという位置づけだった。 具体的には、リハーサルの際に脚本のセリフを言わせるのではなく、その状況の中で俳優たちにアドリブを言わせる方式を取った。そして毎晩リハーサルの後、録音してあった即興のセリフを、タイプで清書したのである。こうして練りだされたセリフが、映画で使われることになった。因みに脚本の構成は、全く変わってはいない。 本作に、実際の事件を捉えているような、ドキュメンタリーな臨場感が出たのは、こうした演出法も明らかに作用している。 ルメットがデビュー以来お得意の密室劇でもある本作で、メインの舞台となるのは、銀行。ブルックリンの、実際の事件現場からほど近い場所に空き倉庫を見つけて、外観も内装も、銀行に作り変えた。ルメットは本作に関して、スタジオで撮ることは、まったく考えなかったという。 ルメットの監督作品は、全部で43本。その内で実に29本が、己が生まれ育ったニューヨークでロケを行なっている。ルメットが生粋のニューヨーカー監督であったことも、本作にはうってつけだったと言えよう。 撮影は7週間。通常の照明ではなく、例えば銀行内は蛍光灯を軸にするなどして、リアルなルックを狙った。 因みにキャスティングには、主演のパチーノの意向が大きく働いた。舞台の共演がきっかけで信頼関係を築いた、ジョン・カザール、チャールズ・ダーニング、ランス・ヘンリセンなどが起用されることになった。『ゴッドファーザー』シリーズではパチーノの兄を演じたジョン・カザールは、本作では、強盗の共犯者役。実は脚本では、15~16歳の少年という設定だった。 それなのに、40歳に近いカザールを推してくるパチーノに、ルメットは怪訝な思いを抱いた。実際にカザールに会ってみても、30代にしか見えず、失望しかなかったという。 しかし彼の演技を目の当たりにして、考えが変わり、役の設定を変えた。結果的にパチーノは、間違ってなかったのだ。 主人公と“同性結婚”をした、トランスジェンダーの役には、クリス・サランドンが選ばれた。サランドンはそれまで、舞台が専門で、映画は初出演。彼をオーディションで選んだのは、ルメット。そしてその場に立ち合った、パチーノだった。 パチーノはクランクイン前、リハーサルも含めて、ルメットやピアソンと、役作りに関して、十分に詰めたつもりだった。しかしいざ撮影が始まって主人公を演じてみると、なぜか違和感が拭えなかった。何かが違う…。 銀行に押し入るシーンのラッシュを見たパチーノは、「ここには誰も写っていない」と主張し撮り直しを要求。その日は家に帰ると、一晩掛けてどうすれば良いかを考えた。「…おれはサングラスをかけて銀行へ入ってゆく。で、思った。ちがう。あいつはサングラスはしない。サングラスは決行の日に家に忘れてくるんだ。なぜなら、本心ではつかまりたいと思っているんだ」 そう思い至ったパチーノは、サングラスを掛けずに撮り直しを行った。そして、そこからは順調に、撮影が進んだ。 本作では様々な形で、アドリブが生かされた。代表的と言えるのが、銀行から出てきたパチーノが、野次馬たちに「アッティカ!アッティカ!」と連呼して、歓声を浴びるシーン。 アッティカとは、ニューヨーク州に在る刑務所で、71年9月、囚人たちが所内の劣悪な環境の改善を訴えて暴動を起こすという事件が起こった。本作の主人公は公権力の横暴を批判するために、この一件を引き合いに出して群衆にアピールしたわけだが、実はこのセリフは、助監督のアイディアを、パチーノが採り入れたものだった。 この「アッティカ! アッティカ!」は、本作製作後30年経った2005年に、「アメリカン・フィルム・インスティチュート」によって、名台詞ベスト100中第86位に選ばれている。 本作終盤近く、パチーノが同性の妻であるクリス・サランドンと電話で話すシーンは、リハーサルの時の即興を元に演じられた。パチーノは続けて、今度は子をなした妻の方と電話で話す。ここはパチーノの部分は即興だが、妻役のスーザン・ペレスは、脚本で書かれているオリジナルのセリフを喋っている。 この2人の妻とのやり取りは、カメラを止めず、続けて撮影された。気合い十分のパチーノは素晴らしい演技を見せたが、実はルメットは1テイク目の出来がどうであれ、2テイク目に行くことを決めていた。 1テイク目で全力を出して、すでにグッタリしていたパチーノ。そのため、本人は予想していなかった2テイク目は、気負いや虚飾が一切剥ぎ取られ、反射的に対応するようになる。 その結果はルメット曰く、「あの十四分間は、それまでわたしが見たこともないほどすばらしいシーンのひとつだった」 こんな調子で、本物の怒りや焦燥を引き出されたパチーノは、撮影終了後に過労で入院。今度こそ本当に、一時映画を離れて舞台を優先することとなる…。 完成に至った本作は、マスコミからも観客からも、熱狂的に迎えられた。アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞など6部門でノミネート。しかし受賞は、ピアソンの脚本賞だけに止まった。 この年の作品賞のライバルは、スタンリー・キューブリック監督の『バリー・リンドン』、ロバート・アルトマン監督の『ナッシュビル』、スティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』、ミロス・フォアマン監督の『カッコーの巣の上で』と、強敵揃い。その中でも『カッコー…』が圧倒的な強さを見せ、作品賞はじめ主要部門を掻っ攫っていった。 ルメットがノミネートされた監督賞は、フォアマンに、パチーノの主演男優賞は、やはり『カッコー…』のジャック・ニコルソンの手へと渡った。この時が主演・助演合わせて4度目のノミネートだったパチーノが、オスカーを実際に手にするには、17年後の『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』(92)まで待たねばならなかった。 一方ルメットは、生涯で4度候補になった監督賞のオスカーを手にすることは、結局なかった。彼に贈られたオスカーは、2004年度アカデミー賞の名誉賞のみ。 ルメットほどの名匠にとっては、ただただ巡り合わせが悪かったという他はない。しかし2011年に86歳で没したルメットのフィルモグラフィーの内、少なくない数の作品が、映画史の中で語り続けられ、今でも燦然と輝いている。 本作『狼たちの午後』も、明らかにそんな1本。2009年にはアメリカ議会図書館が、「文化的・歴史的・美的価値がきわめて高い」作品と見なし、アメリカ国立フィルム登録簿に保存する作品に選んでいる。 最後に余談になるが、撮影前の取材を断ったウォトヴィッツにも、大ヒットした本作の収益の一部が支払われた。彼はその金の一部を、男性妻の性転換手術に使ったという。■ 『狼たちの午後』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
未来は今
無能な新入社員がいきなり社長に?古き良き人間喜劇をコーエン兄弟が独自のテイストで味つけしたドラマ
コーエン兄弟がフランク・キャプラ監督作品を彷彿とさせるウェルメイドな人間喜劇をベースに、ファンタジックなサクセスストーリーを創造。悪徳重役を怪演するポール・ニューマンら実力派俳優たちの競演にも注目。
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COLUMN/コラム2022.11.02
あなたもまんまと騙される!? 詐欺師たちの逆転リベンジを描いた痛快な傑作コメディ『スティング』
詐欺師コンビによる大胆不敵なハッタリ計画とは? 創業から110年の歴史を誇るハリウッドで最古のメジャー映画スタジオ、ユニバーサル。主に低予算のB級映画を量産していた同社は、それまでに幾度となく浮き沈みを経験してきたわけだが、’50年代に入ってスタジオシステムが崩壊すると倒産寸前の経営危機に陥り、大手タレント・エージェントから総合エンタメ企業へと成長したMCAに買収される。このMCAによるテコ入れで事業を拡大したユニバーサルだが、しかし本業の映画部門は20世紀フォックスやパラマウントなどの他社に後れを取ってしまい、主に『ヒッチコック劇場』や『ララミー牧場』、『刑事コロンボ』といったテレビ・ドラマで稼ぐようになる。 そんな老舗ユニバーサルに『西部戦線異状なし』(’30)以来の43年ぶりとなるアカデミー作品賞(合計7部門獲得)をもたらし、同年に公開されたジョージ・ルーカスの『アメリカン・グラフィティ』(’73)と共に興行的にも大ヒットを記録。ユニバーサル映画部門の本格的な復興に一役買うことになった名作が、痛快軽妙に詐欺師の世界を描いた傑作コメディ『スティング』(’73)だった。 舞台は1936年9月、米国民が未曽有の経済不況に喘いだ大恐慌下のシカゴ。詐欺で日銭を稼ぐ貧しい若者ジョニー・フッカー(ロバート・レッドフォード)は、師匠であるベテラン詐欺師のルーサー(ロバート・アール・ジョーンズ)と組んで、違法賭博の売上金をまんまと騙し取ることに成功する。これまで見たことのない大金を手にして浮かれるフッカー。恋人のストリッパー、クリスタル(サリー・カークランド)を誘って意気揚々と夜遊びに出かけたフッカーだが、しかし欲を出して場末のカジノでひと儲けようとしたところ、騙されて有り金を全てスってしまう。 その帰り道、天敵である悪徳刑事スナイダー(チャールズ・ダーニング)から、違法賭博の元締めがドイル・ロネガン(ロバート・ショー)だと知らされる。表向きは裕福な銀行家のロネガンだが、その裏の顔は裏社会を牛耳る冷酷非情な大物ギャング。これはヤバイ!と慌てるも時すでに遅く、師匠ルーサーはロネガンの差し向けた殺し屋に殺害され、自らも命を狙われるフッカーは逃亡せねばならなくなる。 そんなフッカーが転がり込んだのは、ルーサーの古い仲間ヘンリー・ゴンドーフ(ポール・ニューマン)。その世界では名の知られた伝説的な凄腕詐欺師だったが、ある事件でヘマをしたことから一線を退き、今は遊園地や酒場を経営する女性ビリー(アイリーン・ブレナン)のヒモをしていた。なんとしてでもロネガンに復讐し、ルーサーの仇を取りたいと鼻息を荒くするフッカー。その心意気を買ったゴンドーフは、ロネガンを騙して大金を巻き上げるべくひと肌脱ぐことにする。 すぐさま詐欺計画のブレインを招集したゴンドーフ。業界に顔の広い策略家キッド・ツイスト(ハロルド・グールド)に裏社会の情報収集に長けたJ.J.(レイ・ウォルストン)、普段は銀行員として働くエディ(ジョン・ヘフマン)が集まり、大勢の詐欺師仲間を動員した大規模な劇場型のイカサマを計画することとなる。その一方、事件の匂いを嗅ぎつけたFBI捜査官ポーク(ダナ・エルカー)がスナイダー刑事と組んで、ゴンドーフとフッカーの周辺を探り始める。果たして、一世一代の詐欺計画は成功するのだろうか…!? 実在した詐欺師たちからヒントを得たストーリー 才能はずば抜けているものの人間的に未熟な駆け出しの詐欺師と、頭脳明晰で手練手管に長けたベテラン詐欺師がコンビを組み、悪事の限りを尽くす強欲な大物ギャングから大金を巻き上げてギャフンと言わせるというお話。軽妙洒脱でユーモラスなジョージ・ロイ・ヒル監督の職人技的な演出も然ることながら、細部まで入念に計算されたデヴィッド・S・ウォードの脚本が文句なしに素晴らしく、悪漢ロネガンばかりか観客までもがまんまと騙されてしまう。社会のはみ出し者である詐欺師たちが力を合わせ、大物ギャングや警察など権力者たちの鼻を明かすという筋書きもスッキリ爽快。この負け犬の意地を賭けた逆転勝負というのは、監督・脚本を兼ねた『メジャーリーグ』(’89)にも通じるウォードの持ち味だが、中でも本作はアカデミー脚本賞に輝いたのも大いに納得の見事な出来栄えである。 そのウォードが本作のアイディアを思いついたのは、処女作『Steelyard Blues』(’73)の脚本を書くためのリサーチをしていた時のこと。同作で描かれるスリ犯罪について調べていた彼は、資料の中に出てくる実在した往年の詐欺師たちに魅了されたという。暴力もせず盗みを働くわけでもない詐欺師は、カモ自身の金銭欲を逆手に取って金をかすめ取る。彼らの多くは貧困層の出身で、騙す相手は基本的に金持ちばかりだ。まるでロビン・フッドみたいじゃないか!とウォードは考えた。 中でも、’30~’40年代に活躍した詐欺師たちは、大金を騙すために偽の証券取引所や賭博場などを実際に作ってしまい、綿密に練られたシナリオのもとで組織的に役割分担をしてターゲットを信用させ、相手が騙されたことにすら気付かないうちに大金を巻き上げるという、なんとも大掛かりで大胆な手段を用いていた。これを映画にすれば絶対に面白いはず!そう確信したウォードは、およそ1年がかりで書き上げた脚本を、俳優からプロデューサーに転身したばかりの友人トニー・ビルのもとに持ち込み、そのビルがマイケルとジュリアのフィリップス夫妻に声をかける。 本作のオスカー受賞でプロデューサーとしての地位を築き、マーティン・スコセッシの『タクシー・ドライバー』(’76)やスティーブン・スピルバーグの『未知との遭遇』(’77)を世に送り出すフィリップス夫妻。当時まだ無名の映画製作者だった2人は、ロサンゼルス西部マリブのビーチハウスに居を構えていたのだが、そこでたまたま隣人だった女優マーゴット・キダーとジェニファー・ソルトの2人と意気投合し、やがて彼らの周囲にはスコセッシやスピルバーグ、フランシス・フォード・コッポラ、ブライアン・デ・パルマ、ロバート・デ・ニーロ、ハーヴェイ・カイテルといった当時の若い才能が集まり、ハリウッドで燻っている無名や駆け出しの映画人たちの社交場と化していく。トニー・ビルやデヴィッド・S・ウォードもそこに出入りしていたのである。 そのビルから紹介された『スティング』の脚本を気に入ったフィリップス夫妻は、彼と3人で本作のプロデュースを手掛けることに同意。エージェント事務所に送られたウォードの脚本は、当時の事務所スタッフで後に映画監督となるロブ・コーエン(『ワイルド・スピード』)の目に留まり、大手スタジオのユニバーサルに売り込まれたというわけだ。 ニューマン演じるゴンドーフは「くたびれた大柄の中年男」だった!? ポール・ニューマンにロバート・レッドフォードが主演、監督はジョージ・ロイ・ヒルという『明日に向って撃て』の黄金トリオが再集結したことでも話題となった本作だが、当初はもっと小規模な映画になるはずだったという。製作陣が最初に声をかけたのはレッドフォード。というのも、ウォードは彼を念頭に置いて主人公フッカーのキャラを描いていたからだ。脚本の面白さに興味を惹かれたレッドフォードだったが、しかし脚本家のウォードが監督を兼ねる予定だと聞いて躊躇する。これだけ込み入った内容の脚本を映像化するには、ベテラン監督の職人技が求められるからだ。すると、それからほどなくしてレッドフォードはジョージ・ロイ・ヒル監督から連絡を受ける。当時、ユニバーサルで『スローターハウス5』(’72)を撮っていたヒル監督は、たまたま見かけて読んだ『スティング』の脚本を気に入り、次回作としてレッドフォード主演で監督したいという。こうして、本作の企画が本格始動することになったのだが、しかしこの時点ではまだニューマンは関わっていなかった。 かつて『明日に向って撃て』の撮影中、ニューマンがビバリーヒルズに所有する邸宅に滞在していたヒル監督。『スティング』の制作に取り掛かるにあたって、またあの屋敷を貸してもらおうと考えたヒル監督は、その交渉のためにニューマンへ連絡したところ、反対に「自分に出来るような役はないのか?」と尋ねられたという。そこで彼のもとへ脚本を送ったところ、若干の紆余曲折を経ながらもベテラン詐欺師ゴンドーフを演じることに。ただし、当初の脚本におけるゴンドーフは「くたびれた大柄の中年男」という設定で、なおかつ脇役のひとりに過ぎなかった。そのため、ヒル監督とウォードはニューマンの個性に合わせてキャラ設定を変更し、なおかつレッドフォードとの二枚看板となるよう役割も大きくしたのである。 それだけでなく、当初は全体的にシリアスなトーンだったストーリーのタッチも、一転して明るくてユーモラスなものへと変更。ロネガン役にはニューマンの推薦でロバート・ショーが起用され、レイ・ウォルストンやチャールズ・ダーニング、アイリーン・ブレナン、ハロルド・グールドといった名脇役俳優たちがキャスティングされた。フッカーといい仲になるダイナーのウェイトレス、ロレッタ役には、当時まだ無名だったディミトラ・アーリスを抜擢。ある重大な秘密を隠したロレッタを演じる女優が、顔や名前の知れた有名人だと観客が先入観を持ってしまうからという理由だったそうだ。スタジオ側は「もっと綺麗な女優を」と難色を示したそうだが、ヒル監督は頑として譲らなかったという。なぜなら、そんな目立つ美人が場末のダイナーなんかで働いているはずがないから。これは確かに正しい。そういえば、アイリーン・ブレナンにしろ、サリー・カークランドにしろ、本作に登場する女優たちは、いずれも色っぽいけど美人過ぎない。いかにも、いかがわしい酒場やストリップ小屋にいそうな、それらしいリアルな存在感を醸し出しているのがいい。 さらに、’30年代のシカゴを舞台にした本作を映像化するにあたって、ヒル監督は当時の街並みや風俗を忠実に再現するだけでなく、作品そのものの演出にも’30年代の犯罪映画のスタイルを取り入れることに。オープニングに出てくるユニバーサルの社名ロゴからして、’30年代当時の古いものを使用している。撮影監督のロバート・サーティーズと美術監督のヘンリー・バムステッドは、作品全体のカラー・トーンや照明を工夫することで、’30年代のモノクロ映画に近いような雰囲気を再現。’30年代当時から活躍するイーディス・ヘッドが衣装デザインを手掛け、イラストレーターのヤロスラフ・ゲブルが’30年代に人気だった雑誌「サタデー・イヴニング・ポスト」の表紙を真似たタイトルカードのイラストを描いた。そのスタイリッシュなビジュアルがまた大変魅力的だ。 また、本作はかつてアメリカの大衆に愛された音楽ジャンル、ラグタイムを’70年代に復活させたことでも話題を呼んだ。実際にラグタイムが流行ったのは20世紀初頭であるため、’30年代を舞台にした本作で使うのは時代考証的に間違いなのだが、ヒル監督は「そんなことに気付く観客なんていない」と一笑に付したという。使用されている楽曲の数々は、「ラグタイムの王様」として活躍した黒人作曲家スコット・ジョプリンのもの。息子とその従兄弟が自宅のピアノで演奏していたジョプリンの楽曲を聞いたヒル監督は、その軽快で陽気なタッチが『スティング』の雰囲気にピッタリだと考えたらしい。友人でもある作曲家マーヴィン・ハムリッシュに映画用のアレンジを依頼。テーマ曲となった「ジ・エンターテイナー」はビルボードの全米シングル・チャートで4位をマークし、サントラ・アルバムも全米ナンバー・ワンに輝いた。’17年に48歳の若さで死去したジョプリンは、ラグタイムの衰退と共に忘れ去られていたものの、本作をきっかけに再評価の気運が高まり、’76年にはその功績に対してピューリッツァー賞を授与されている。■ 『スティング』© 1973 Universal Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
スティング
『明日に向って撃て!』の名トリオが再び結集。小粋な詐欺師コンビがあっと驚かせる犯罪コメディ
『明日に向って撃て!』のジョージ・ロイ・ヒル監督が、ロバート・レッドフォード&ポール・ニューマンと再び組んだ犯罪コメディ。ラストのどんでん返しと伏線の妙にうなる。作品賞ほかアカデミー賞7部門受賞。
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PROGRAM/放送作品
フェイタル・スカイ
ノルウェーの大空で発生した謎のUFO事件。そこから巻き起こる、怒濤のスカイ・アクション
謎の閃光を機に続発する怪現象の調査に挑むジャーナリストを描くスカイ・アクション。SFタッチのサスペンスと、ノルウェー上空で繰り広げられるヘリ対戦闘機の迫力バトルが融合した緊迫感に、思わず息を呑む。
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PROGRAM/放送作品
私がウォシャウスキー
ハイヒールとドレスでシカゴを猛走! 合気道が特技のキャスリーン・ターナー版女探偵
小説家サラ・パレツキーが生み出した名探偵ヴィクトリア・エ・ウォシャウスキー。彼女を主人公に、オリジナル・シナリオで映画化した探偵アクション。ターナーの男顔負けのアクションと、セクシーな容貌に注目。