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PROGRAM/放送作品
ミズーリ大平原
実在した西部の男たちの生き様を描いた、チャールトン・ヘストン主演の西部劇
『十戒』『ベン・ハー』などに出演し、ハリウッド黄金期の大スターとなるチャールトン・ヘストン主演作。郵便配達会社が馬を乗り継いで西部まで速達を運ぶ交通路を開拓した実話に基づく西部劇。
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COLUMN/コラム2023.05.31
‘70年代アメリカの殺伐とした世相を映し出すパニック・サスペンス巨編『パニック・イン・スタジアム』
ディザスター映画ブームの最盛期に誕生した異色作 ‘70年代のハリウッドで大流行したディザスター映画。日本ではパニック映画とも呼ばれた同ジャンルは、地震や洪水のような自然災害からテロやハイジャックのような犯罪事件に至るまで、様々な危機的状況に巻き込まれた人々による決死のサバイバルを描き、’50年代半ばにスタジオシステムが崩壊して以降、斜陽の一途を辿っていたハリウッド映画の復興に一役買った。 トレンドの口火を切ったのは「エアポート」シリーズの第1弾『大空港』(’70)。これを皮切りに『ポセイドン・アドベンチャー』(’72)や『タワーリング・インフェルノ』(’74)、『大地震』(’74)に『カサンドラ・クロス』(’76)、さらには『大空港』の続編に当たる『エアポート’75』(’74)や『エアポート’77』(’77)などのディザスター映画が次々と大ヒットする。いずれも大掛かりな特撮やスタントを駆使した派手なスペクタクル描写と、新旧の有名スターを総動員した煌びやかなオールスターキャストの顔ぶれが人気の秘密。ブームの最盛期に登場した本作『パニック・イン・スタジアム』(’76)も同様だが、しかしこの作品がその他大勢のディザスター映画群と一線を画したのは、あくまでもスペクタクル描写はオマケに付いてくる豪華特典であり、基本的にはリアリズムを重視した社会派の犯罪サスペンスだったことだ。 舞台は現代のロサンゼルス。日曜日の早朝、市内のホテルに宿泊する正体不明の男が、おもむろに取り出したライフルでランニング中の中年夫婦を銃撃する。すぐにホテルをチェックアウトした男が向かったのは、アメフトの試合が行われるロサンゼルス・メモリアル・コロシアム。地元のロサンゼルス・ラムズ対ボルチモア・コルツの対戦だ。続々と入場する大勢の観客に紛れてコロシアムへ侵入した男は、会場全体を一望できる時計台の屋上に陣取り、試合の開始を待って静かに息をひそめる。 一方、会場には様々な事情を抱えつつも試合を心待ちにするアメフト・ファンたちが集まってくる。ワケアリな中年カップルのスティーヴ(デヴィッド・ジャンセン)とジャネット(ジーナ・ローランズ)、ギャンブル中毒で多額の借金を抱えた中年男スチュー(ジャック・クラグマン)、幼い子供が2人もいるのに失業した若い父親マイク(ボー・ブリッジス)と妻ペギー(パメラ・ベルウッド)、彼氏に誘われただけでアメフトには興味のない美女ルーシー(マリリン・ハセット)、そんな彼女に一目惚れして口説き始める男性アル(デヴィッド・グロー)、友人のスター選手チャーリー(ジョー・キャップ)を応援しに来た教会の牧師(ミッチェル・ライアン)、そして浮かれた観客のポケットから財布を盗むスリの老人(ウォルター・ピジョン)などなど。誰一人として会場に狙撃犯が潜んでいることなど気付かず、やがて大歓声に包まれて試合がスタートする。 ライフルの照射眼鏡を覗きながら客席の様子をじっと観察しつつ、しかし一向に行動を起こす様子のない狙撃犯。ほどなくしてテレビ中継カメラのひとつが彼の姿を捉え、不審に思ったスタッフが警備担当者サム(マーティン・バルサム)に報告する。ライフルを構えた狙撃犯の姿を見て戦慄し、慌ててロス市警の分署長ピーター・ホリー(チャールトン・ヘストン)に連絡するサム。通報を受けて現場へ到着したホリー署長と警官隊は、人目を引かぬよう注意深く時計台の男を観察する。 果たして彼は本気で凶行に及ぶつもりなのか。だとすれば単独犯なのか、それとも仲間がいるのか。会場には市長や議員も訪れているが、いったいターゲットは誰なのか。すると、事態を知った管理責任者ポール(ブロック・ピータース)が、時計台へ上がろうとして男に突き落とされ死亡する。すぐさまホリー署長はSWAT(特殊部隊)チームを招集。観客の安全を最優先に考えつつ、会場の各所に隊員を待機させて犯人確保のタイミングを狙うSWATのバトン隊長(ジョン・カサヴェテス)。やがてアメフトの試合はクライマックスへと差し掛かり、終了2分前のタイムアウト(ツー・ミニッツ・ウォーミング)が訪れる…。 ラリー・ピアース監督の代表作『ある戦慄』との類似性とは? 肝心の見せ場であるパニック・シーンは終盤の20分ほど。コロシアムに集まった9万1000人の観客が、次々と狙撃犯の凶弾に倒れる犠牲者や会場に響き渡る銃声に青ざめ、大混乱を起こして一斉にコロシアムの外へ向かって逃げ出す。もちろん、実際に9万人以上のエキストラを逃げ惑わせることなど不可能であるため、撮影はシーンやカットごとに何週間もかけて行われたのだが、それでもなお最大で1日3000人近くのエキストラを動員したという群衆パニックは圧倒的な迫力だ。これぞディザスター映画の醍醐味。しかも、ただスケールが大きいだけではなく、危機的状況に陥って冷静な判断力を失った人々の行動をつぶさに捉え、いざという時の群集心理の恐ろしさと危うさをこれでもかと見せつける。 とはいえ、本作のキモはそこへ至るまでの生々しいサスペンス描写にあると言えよう。狙撃犯の素性も動機も目的も劇中では一切明かされず、クライマックスへ至るまで顔すら殆んど映し出されず、辛うじて最後に所持品から名前が判明するだけ。その得体の知れなさが漠然とした不安と恐怖を徐々に煽り、ケネディ大統領暗殺事件やテキサスタワー乱射事件より以降の、アメリカ社会を包み込む殺伐とした空気をリアルに浮かび上がらせていく。’60年代末から顕著になったアメリカの治安悪化は、’70年代に入ってますます深刻となり、犯罪発生件数は増加の一途を辿っていた。もはやこの国に安全な場所など残されていない。平和な日常のどこに犯罪者が潜んでいるか分からないし、いつ凶悪犯罪に巻き込まれたっておかしくない。それこそが本作の核心的なテーマであり、あえて犯人像を透明化した理由であろう。 監督はテレビ出身のラリー・ピアース。黒人男性と再婚した白人女性に立ちはだかる困難に人種問題の根深さを投影した『わかれ道』(’64)や、富裕層のお嬢さまと平凡な若者の格差恋愛を通して階級間や世代間のギャップを描いた『さよならコロンバス』(’69)など、アメリカ社会の「今」を鮮やかに捉えた人間ドラマで定評のある名匠だが、中でも最高傑作との呼び声も高い『ある戦慄』(’67)と本作の類似性は見逃せない。 ニューヨークの地下鉄にたまたま乗り合わせた平凡な人々が、傍若無人なチンピラに絡まれるという理不尽な恐怖体験を描いた『ある戦慄』。『パニック・イン・スタジアム』でアメフトの試合会場に集まってくる観客たちと同様、『ある戦慄』の地下鉄乗客たちもそれぞれに複雑な事情を抱えており、そのひとつひとつに貧困や格差や差別などの社会問題が映し出される。そのうえで、まるで自然災害のごとく理屈の通用しない凶暴なチンピラたちの脅威に晒されることによって、善良な市民の赤裸々な醜い本性が暴かれていくことになるのだ。 日常空間に突如として現れる得体の知れない暴力、極限状態に置かれた人間のパニック心理、そこから浮かび上がるアメリカ社会の殺伐とした暗い世相。クライマックスの衝撃へ向けて、少しずつ不安と恐怖を煽っていくヒリヒリとした演出も含め、犯罪の増加やベトナム戦争の泥沼化などに揺れる’60年代末アメリカのリアルな実像に迫る『ある戦慄』は、それゆえに『パニック・イン・スタジアム』と符合する点が少なくない。前作『あの空に太陽が』(’75)をきっかけに、本作を含めて4本の映画で組んだ製作者エドワード・S・フェルドマンが、『ある戦慄』を念頭に置いてオファーしたのかどうかは定かでないものの、しかしピアース監督が本作を演出するに最適な人物であったことは間違いないだろう。 主演のチャールトン・ヘストンを筆頭に、ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズの夫婦、『十二人の怒れる男』(’57)でも共演したマーティン・バルサムにジャック・クラグマン、ハリウッド黄金時代を代表する二枚目スターのひとりウォルター・ピジョン、テレビ界の人気者だったデヴィッド・ジャンセンにデヴィッド・グローなどの名優たちを起用した豪華キャストも魅力。後にピアース監督夫人になったマリリン・ハセット、『ある戦慄』でも共演したボー・ブリッジスにブロック・ピータースなど、ピアース作品の常連組も揃う。ヘストンはピアース監督の仕事ぶりを気に入り、『原子力潜水艦浮上せず』(’78)の演出をオファーしたそうだが、しかし監督は好みのジャンルでないことを理由に断ったという。 当時まだ新人だったパメラ・ベルウッドは、その後一世を風靡したドラマ『ダイナスティ』(‘81~’89)でテレビ界のトップスターとなる。また、ウォルター・ピジョン扮するスリの相方を演じている女優ジュリー・ブリッジスは、当時すでに離婚していたボー・ブリッジスの元奥さんである。当時まだ無名だった『エクスタミネーター』(’80)のB級アクション俳優ロバート・ギンティが、売店のお兄ちゃん役で顔を出すのも見逃せない。それにしても、群衆に巻き込まれながらのメインキャストの芝居など、さぞかし大変だったろうと思うのだが、実は周囲に10~15名のスタントマンを配置してスペースを確保したり誘導したりしていたのだそうだ。 なお、劇中で展開するアメフトの試合は学生リーグで、ユニフォームを見れば一目瞭然だが、実はスタンフォード大学と南カリフォルニア大学の対戦。テレビ中継のディレクターとして登場するのは、当時実際にスポーツ中継ディレクターの第一人者だったアンディ・シダリス。そう、後に『グラマー・エンジェル危機一発』(’88)や『ピカソ・トリガー/殺しのコード・ネーム』(’88)など、一連のB級ビキニ・アクション映画を手掛けるアンディ・シダリス監督その人である。 幻のテレビ放送版も徹底検証! ちなみに、本作は1979年2月6日に米ネットワーク局NBCにて、3時間の特別枠でテレビ放送されたのだが、その際に大幅な追加撮影と再編集が行われている。かつてのアメリカでは劇場でヒットした話題作映画をテレビ放送する際、様々な理由から追加撮影や再編集を施したテレビ向けのロング・バージョンを作ることが少なくなかった。『大地震』や『キングコング』(’76)、『スーパーマン』(’78)などが有名であろう。この『パニック・イン・スタジアム』の場合は、理由なき無差別殺人という題材や血生臭い暴力描写が子供や老人も見るテレビには不向きと見做され、ゴールデンタイムの特別枠を欲しかった権利元ユニバーサルが独断で追加撮影と再編集に合意したらしい。 準備された予算は50万ドル。当時は低予算のインディーズ映画を1本撮れる金額だ。おのずと劇場版の監督であるラリー・ピアースに追加撮影の依頼があったそうだが、しかし『大地震』のテレビ放送版にも携わったフランチェスカ・ターナーの脚本が酷かったため断ったという。最終的に誰が追加撮影分の演出を担当したのか分かっていないが、完成版ではジーン・パーカーという匿名でクレジットされている。 このテレビ放送版と劇場公開版の最大の違いは、狙撃犯の正体が美術品強盗グループの一味と設定されていることだ。どういうことかというと、テレビ放送版には美術品強盗作戦というサブプロットが存在するのである。実はロサンゼルス・メモリアル・コロシアムの向かいに美術館があり、そこに展示されている国宝級の美術品を盗もうと画策する強盗グループが、目眩ましとして狙撃犯を試合会場に送り込んだというのだ。あくまでも目的は警察の注意をコロシアム側に引いて、その隙に仲間が美術品を盗み出すこと。人は殺さないというのが大前提だ。なので、狙撃犯のターゲットは会場の照明器具や誰も座っていない空席。その銃声で観客はパニックに陥るのだが、最後までメインの登場人物は誰一人として死なない。たまたま照明の陰に隠れていたSWAT隊員が1人、運悪く銃弾に当たって殺されるだけだ。 さらに、劇場公開版では最後に名前が判明するだけで、その素性も動機も目的も分からず、顔も殆んど見せなかった狙撃犯だが、テレビ放送版では最初から顔も名前も堂々と明らかにされ、美術品強盗グループの仲間であることはもちろん、実はベトナム帰還兵だったという設定まで加わっている。なるほど、ラリー・ピアース監督が関わり合いになることを拒否したのも納得。これじゃ映画本来の意図が台無しである。しかも、恐らく相当急ピッチで撮影された様子で、例えば車のリアウィンドウに映る景色がグリーンバックのままになっていたりする。これはさすがに不味いだろう(笑)。 こうした追加撮影分のサブプロットが本編に混ぜ込まれる一方、劇場公開版に存在するシーンの多くがテレビ放送版ではカットされている。例えば、ランニング中の夫婦が銃撃されるオープニングのホテル・シーンは丸ごと全て消えているし、狙撃犯が会場へ向かうドライブ・シーンや観客たちの背景を描く人間ドラマも大幅に短縮。バトン隊長の家族も一切出てこないし、狙撃犯の仲間と疑われた迷惑客を手荒に尋問するシーンも存在しない。その結果、最終的にCMを含む3時間の放送枠に収まるよう再編集された、合計で約2時間半のテレビ向けロング・バージョンが出来上がったのである。 追加撮影分に登場する主なキャストは以下の通り。美術品強盗グループのリーダー、リチャード役には『コマンドー』(’85)のカービー将軍役でお馴染みのジェームズ・オルソン。本作でもベトナム帰りの元陸軍将校という設定だ。同じく強盗グループのブレーンである美大教授には、ハリウッド・ミュージカル『南太平洋』(’58)でも有名なイタリアの名優ロッサノ・ブラッツィ。狙われる美術品のオーナーである大富豪アダムス氏は、『カーネギー・ホール』(’47)や『ガントレット』(’77)のウィリアム・プリンス。その恋人で実は強盗グループの仲間である美女パトリシアには、『007/カジノ・ロワイヤル』(’67)のマタ・ボンド役で知られるジョアンナ・ペティット。後に『スカーフェイス』(’83)で南米カルテルのボスを演じるポール・シェナーも強盗グループの一員、トニー役を演じている。なかなか豪華な顔ぶれだ。 さらに、主演のチャールトン・ヘストンも追加撮影に参加。強盗計画のタレこみ情報を受けた美術館の警備担当者からホリー署長が電話連絡を受けるシーンと、終盤でホリー署長が警官隊を美術館へ向かわせるシーンに登場するのだが、よく見ると劇場公開版の映像に比べて髪型が微妙に違う。そういえば、『大地震』のテレビ放送版でも、追加撮影シーンに出てくるヴィクトリア・プリンシパルのアフロ・ウィッグが明らかに別物だったっけ(笑)。また、追加撮影では狙撃犯役のウォーレン・ミラーも再登板。劇場公開版と同じ衣装を着用している。残念(?)ながら、日本では見ることのできない『パニック・イン・スタジアム』テレビ放送版だが、米盤ブルーレイの映像特典として収録されている。好事家の映画マニアであれば一見の価値くらいはアリだろう。■ ◆本作撮影中のラリー・ピアース監督 『パニック・イン・スタジアム』© 1976 Universal Pictures, Ltd. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
パニック・イン・スタジアム
[PG12相当]謎の狙撃者とSWATとの息詰まる対決を描いたサスペンス・パニック超大作!
70年代パニック映画ブームが生み出した傑作。主演は同ジャンルを代表するスター、チャールトン・ヘストン。米国の国民的スポーツ行事“スーパーボウル”を狙う銃乱射犯vsSWATの手に汗握る攻防が描かれる。
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COLUMN/コラム2021.09.08
非暴力主義と平和主義を謳った巨匠ウィリアム・ワイラーの西部劇大作『大いなる西部』
西部劇はワイラー監督の原点 巨匠ウィリアム・ワイラーが手掛けた壮大な西部劇叙事詩である。およそ45年のキャリアでアカデミー賞の監督賞に輝くこと3回。『嵐が丘』(’39)や『女相続人』(’49)のような文芸映画から『我等の生涯の最良の年』(’46)のような社会派ドラマ、『ローマの休日』(’53)のようなラブロマンスから『ベン・ハー』(’59)のようなスペクタクル史劇まで、特定のジャンルやスタイルに縛られることなく多種多彩な映画を撮り続けたワイラーは、それゆえにDirector with No Signature=署名サインがない監督、つまり「ひと目で彼の映画と分かるような特徴のない監督」と揶揄されることも少なくなかったのだが、しかしそんな彼のキャリアを語るうえで欠かすことの出来ないジャンルがある。それが西部劇だ。 1902年にユダヤ系スイス人の息子としてドイツに生を受けたワイラー。少年時代から人一倍反骨精神の旺盛な問題児だった彼は、家業の服飾品店を継ぐ気もなく職を転々としていたところ、母親の遠縁の従兄弟に当たる親戚カール・レムリからアメリカへ来ないかと誘われる。そう、あのユニバーサル映画の創業社長カール・レムリである。’20年に渡米したワイラーはユニバーサルのニューヨーク本社に勤務するものの、しかし映画監督を志して撮影所のあるハリウッドへと異動することに。現場の雑用係から徐々に経験を積んでゆき、’25年には当時のユニバーサルで最年少の映画監督へと昇進する。そんな新人監督ワイラーに与えられた仕事が、サイレント期のユニバーサルが最も力を入れていたジャンル「西部劇」だった。 ‘25年から’28年までのおよそ3年間で、実に30本近くもの西部劇映画を演出したワイラー。当時アメリカの映画館では、まずニュース映像に近日公開作品の予告編、5分以内の短編アニメに30分以内の短編映画、さらに1時間以内の中編映画を経てようやくメインの長編映画を上映するというパッケージ形式が一般的だった。まだ経験の浅い新人ワイラーの手掛けた西部劇も、そうした併映用の短編・中編映画だったのである。各作品の予算は上限2000ドル。金曜日に脚本を渡されて土曜日にキャスティングや打ち合わせを行い、翌週の月曜日から水曜日までの3日間で撮影完了。追加撮影などが必要な場合は予備の木曜日を使い、金曜日にはまた新たな脚本を渡される。当時の家内工業的なスタジオシステムだからこそ可能だったスケジュールだが、こうした時間にも予算にも厳しい制約がある中での西部劇製作は、ワイラーにとって映画監督としての技術を磨く格好の修行現場でもあった。要するに、西部劇は映画監督ウィリアム・ワイラーの礎を築いた重要なジャンルだったのである。そして、巨額の予算を投じた3時間近くにも及ぶ超大作『大いなる西部』(’58)は、まさしくその集大成的な映画だったと言えるだろう。 開拓時代と近代化の狭間で揺れ動く大西部の物語 舞台は西部開拓時代も終わりに差し掛かった19世紀末、南北戦争後のアメリカ。東海岸の大都会ニューヨークから、テキサスの田舎町へとひとりの青年紳士がやって来る。海運業を営む裕福な家系の御曹司ジム・マッケイ(グレゴリー・ペック)だ。そんな彼を出迎えたのは、地元の大地主ヘンリー・テリル少佐(チャールズ・ビックフォード)の愛娘パトリシア(キャロル・ベイカー)。数か月前にニューヨークで知り合い恋に落ちた2人は、パトリシアの実家で結婚式を挙げることになったのだ。いかにも都会的な洗練された身なりのジムに好奇の眼差しを向ける住民たち。ジムもまたジムで、西部開拓時代そのままの地元住民の好戦的な価値観に戸惑いを覚える。中でも、平和を愛する非暴力主義者のインテリ青年ジムにとって受け入れ難いのは、これから義父となるテリル少佐とその宿敵ルーファス・ヘネシー(バール・アイヴス)の血で血を洗うような激しい対立だった。 豊かな牧草地帯に大豪邸を構えるテリル家と、荒涼とした山岳地帯のあばら家に暮らすヘネシー家。どちらも広大な土地と大勢の牧童を擁する地元の2大勢力なのだが、それゆえ当主であるテリル少佐とルーファスは昔から犬猿の仲で、両家はなにかにつけていがみ合っていた。ジムも到着早々にヘネシー家の長男バック(チャック・コナーズ)とその子分たちから嫌がらせを受けるのだが、一切抵抗することなくやり過ごす。余計な争いごとは起こしたくなかったからだ。しかし、それを知ったテリル少佐はジムに忠告する。この土地では力を持つ男だけが尊敬され勝ち残ることが出来る。反対に優しさは弱さと受け取られ、弱みを見せた者は引きずりおろされるのだと。この嫌がらせ事件を機にテリル家とヘネシー家の争いは本格化。安易な暴力的手段に訴える両家を強く非難するジムだったが、そんな彼の主張を婚約者パトリシアは理解できず恥だと感じ、彼女を秘かに愛する牧童頭スティーヴ・リーチ(チャールトン・ヘストン)もジムのことを女々しい腰抜けだと蔑む。 この無益な争いを終わらせるにはどうすればいいのか。思い悩むジムが着目したのは、パトリシアの親友である女教師ジュリー(ジーン・シモンズ)が所有する土地だった。亡き祖父からジュリーが相続した土地には近隣で最大の水源ビッグ・マディがあり、これがテリル家とヘネシー家が対立する大きな理由のひとつだった。テリル少佐もルーファスもビッグ・マディを自分のものにしようと狙っていたのだ。そこでジムは、自分がビッグ・マディを買い取ることを思いつく。テリル少佐でもルーファスでもない第三者の自分が水源を所有し、テリル家だろうかヘネシー家だろうが分け隔てなく平等に開放することで、争いごとの根源を絶つことが出来るのではないかと考えたのだ。ジムと同じく平和主義者のジュリーも賛成し、彼に土地を売り渡すことにするのだが、しかしこれが思いがけない波乱を招くこととなってしまう…。 トラブル続きだった撮影の舞台裏 先住民の襲来や大自然の脅威などに武器を持って立ち向かい、障害を取り除いて自分の所有地を切り拓いていく。これは、そんな暴力と略奪に根差した西部開拓時代のフロンティア精神を真っ向から否定する野心的な西部劇だと言えよう。米陸軍航空隊中佐として第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に参加したワイラーは、戦後になると復員兵の苦悩を通して平和な日常の尊さを描いた『我等の生涯の最良の年』や、独立戦争に巻き込まれたクエーカー教徒の葛藤を描く『友情ある説得』(’56)など、たびたび反戦や非暴力主義をテーマにするようになったのだが、本作などはまさにその真骨頂と言えるだろう。本当の強さとは腕力や勇気を誇示することでもなければ、ましてや喧嘩に勝つことでもない。どこまでも己の理想と信念を貫き通すことであり、自分だけではなくみんなの幸福のため、忍耐強く粘ってでも平和と共存を目指すことである。ジムが暴れ馬を根気よく手懐けて乗りこなすようになる様子を描いたシーンなどは、まさにその象徴と言えよう。そのうえで、ジムとスティーヴの殴り合いをロングショットのカメラで淡々と描くことによって、ワイラーは厳かな眼差しで暴力の無意味さを浮き彫りにしていく。 と同時に、本作は無益な争いの本質をも炙り出した映画でもある。敵対するテリル少佐もルーファスも、我の側にこそ正義があると思い込んでいるが、しかし彼らの考える正義とは単なる己の利益とか欲とかプライドに過ぎず、そもそも初めから正義などと呼べるような代物ではない。「正義の反対は別の正義」などというのはただの幼稚な詭弁だ。本当の正義とは立場や考え方の違いに関係なく他者の権利を尊重し、困っている者があれば手を差し伸べ、争うことなく利益や恵みを分かち合い、多様な人々が共存共生していくことなのではないか。現代にも通じるこのメッセージには、恐らく本作の直前にハリウッドを吹き荒れたマッカーシズムに対する強い批判が込められているのだろう。なにしろ、ワイラーはジョン・ヒューストン監督や女優マーナ・ロイと並んで、赤狩りに抗議するリベラル映画人組織「アメリカ合衆国憲法修正第1条委員会」を立ち上げた発起人のひとりである。しかも、本作の企画を彼のもとへ持ち込んだのは、ハリウッドきっての平和主義者で人道主義者でもあった主演俳優グレゴリー・ペック。マッカーシズム的な保守主義や利己主義に対するアンチテーゼが、ストーリーの根底に流れていても何ら不思議はない。むしろ、そう考えるのが自然だ。 いわば、ハリウッドを代表するリベラルの監督と俳優がタッグを組んだ本作。ペックはプロデューサーも兼任し、まさしく二人三脚の共同プロジェクトとなったのだが、しかしその舞台裏はトラブル続きだったという。最大の問題は脚本。ドナルド・ハミルトンの原作小説に惚れ込んだワイラーとペックだったが、しかし合計で5人の脚本家が携わった脚本は満足のいくものではなく、撮影に入ってからもワイラーとペックの2人が現場で書き直しを続けたため、俳優陣は大いに混乱することとなってしまう。なにしろ、せっかく覚えたセリフも撮影時に変えられてしまうのだから。しかも、納得がいくまで何度でもリテイクを重ね、俳優には一切演技指導をしないことで有名なワイラー監督。「撮影現場は演技学校じゃない」という考え方のワイラーは、俳優が自分の頭で考えて軌道修正することを求めていたのだが、それゆえにスターと軋轢が生じることも多かった。本作の場合も、度重なる脚本の変更とリテイクで女優ジーン・シモンズがノイローゼになってしまい、ベテラン俳優チャールズ・ビックフォードも強く反発したという。さらに、キャロル・ベイカーが妊娠を理由に終盤で撮影から降板するという事態まで起きてしまった。 しかし、それらの問題以上に深刻だったのがワイラー監督とペックの不和である。その最初のきっかけは、劇中で使用する牛をプロデューサーであるペックが4000頭オーダーしたのに対し、共同プロデューサーを兼ねるワイラーが「予算の無駄遣いだ」として400頭に減らしたこと。ここから2人の意見の違いが少しずつ表面化し、主人公ジムがヘネシー家の長男バックらに嫌がらせを受けるシーンを巡って決定的となってしまった。自分の演技に不満のあったペックは撮り直しを要求したのだが、ワイラーは理由も言わず無視を決め込んだため、怒ったペックは撮影を放棄してロスの自宅へ戻ってしまったのだ。結局、残りの出番をこなすため現場復帰したペックだったが、しかしワイラー監督とは一言も喋らず、『ローマの休日』で意気投合して大親友となった2人は、本作を最後に絶縁してしまう。その後、’76年にワイラー監督がアメリカ映画協会(AFI)から生涯功労賞を授与された際、その授賞式にペックが出席したことで、ようやく拗れた関係を修復することが出来たという。 それとは反対に、本作を機にワイラーと親交を深めたのがスティーヴ・リーチ役のチャールトン・ヘストン。ちょうど『十戒』(’56)でスターダムを駆け上がったばかりのヘストンは、キャストクレジットが4番目の脇役であることを不満に思い、当初は本作のオファーを断っていた。ところが、それでもワイラー監督が「この役は君じゃないとダメだ」と諦めないことから、言うなれば根負けしてスティーヴ役を引き受けたのだという。そんな監督の期待に応えて、フロンティア精神の塊だった好戦的な男スティーヴが、反発しながらもジムの平和主義に少しずつ感化され、やがて暴力の虚しさに気付いていく姿をパワフルに演じるヘストンが素晴らしい。この演技に強い感銘を受けたワイラーが、次作『ベン・ハー』の主演に彼を起用したのも大いに納得である。そういう点でも、本作はワイラーとヘストンのキャリアにおいて重要な位置を占める作品と言えるだろう。■ 『大いなる西部』© 1958 Estate of Gregory Peck and The Estate of William Wyler. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ダンディー少佐
南北戦争中、内部対立を抱えつつ共通の敵を追う、にわか仕立て南北混成部隊の追跡行を描いたペキンパー西部劇
チャールトン・ヘストンとリチャード・ハリスが、北軍・南軍の将校に扮し、激しく対立しながらもやがて男同士の信頼関係で結ばれていく様を演じる。いかにもペキンパー監督らしい男臭さ満点の戦争ウエスタン。
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COLUMN/コラム2019.05.13
吸血鬼を恐れぬ現代に、どんな恐怖を暗示させるのか—? 『地球最後の男 オメガマン』
■チャールトン・ヘストンのディストピア三部作 『地球最後の男 オメガマン』(71)は、TVシリーズ『ミステリーゾーン』(58〜64)における数多くのエピソードや、スティーブン・スピルバーグの出世作『激突!』(71)の原作を手がけた作家リチャード・マシスンが、1954年に発表した同名長編小説の映画化だ。日本で翻訳が出版されたときの邦題が「吸血鬼」で、そのタイトルどおり、ウイルスの蔓延によって人類は夜行性の吸血鬼と化し、抗体として人間のまま生き残った主人公ロバート・ネビルが、孤独に耐えながら彼らと戦う物語だ。 もっとも「吸血鬼」は過去に3度映画化されており、『オメガマン』はその2本目にあたる。1本目は怪奇俳優として名高いヴィンセント・プライスが主演した『地球最後の男』(64)。マシスンが偽名で脚本執筆に加わっただけあって、物語は原作にきわめて忠実だ。またタイトルからもわかるように、『オメガマン』はギリシャ語アルファベットの最後となる文字「Ω(オメガ)」を用い、『地球最後の男』を婉曲的に踏襲している(ちなみに3本目の『アイ・アム・レジェンド』(07)はこちらを参照) この『オメガマン』はネビルを演じたチャールトン・ヘストンがワーナー・ブラザースに売り込んだ企画で、その頃の彼の立ち位置を知ると動機がわかりやすい。『十戒』(56)や『ベン・ハー』(59)など、宗教啓蒙的な性質を持つ史劇大作で世界に名を広めたヘストンだが、60年代後期は俳優としての変革期にあった。そこで先述の作品で得たパブリックイメージを保たせながら、自身のキャリアに柔軟性をもたせるための、既成でない対勢力にあらがう新たなヒーロー像を模索したのだ。中でも際立ったのが、人類が猿に支配される『猿の惑星』(68)や、人間を食料加工品にする『ソイレント・グリーン』(73)といった、時代の機微に応じて製作されたディストピア(暗黒郷)SFへのアクセスである。 当時、アメリカはインフレが加速して石油価格が上昇し、景気が後退。ベトナム戦争の長期化によってNASAの宇宙開発は凍結され、社会を暗く揺れ動かしていた。これらの事象に対する動揺を反映するかのように、アメリカ映画界にはダークで終末感に満ちた作品が群発したのである。ヘストンはそんなムーブメントに対し、自らディストピアSFに活路を見出し、マシスンの原作の現代的アレンジに強い関心を示していたのだ。 ヘストンは「吸血鬼」を主演作『黒い罠』(58)の撮影時、監督のオーソン・ウェルズから勧められて手にとっている。そして原作に惹き込まれた彼は1969年11月、プロデューサーのウォルター・M・ミリッシュ(『荒野の七人』(60)『夜の大捜査線』(67))と話し合い、ワーナーと接触。翌1970年1月には『地球最後の男』にあたってアウトライン研究を始め、同年2月8日に脚本担当のジョン・ウィリアム・コリントンと、彼の妻ジョイスらと共に脚本開発に移行している。 ■作品の背後にあるゼノフォビア コリントン夫妻は『地球最後の男』と同様、ネビルが科学者である設定を引き継ぎ、また異なるポイントとして、ウイルスの影響によって変貌した人間の描写を更新させた。『オメガマン』において彼らは黒衣をまとい、自分たちの共同体を「ファミリー」と呼び、生存権を主張する“ミュータント”に変えたのである。 映画はこうした形で、人種のカテゴリーが崩壊し、社会的優位をが脅かされていくことへの警戒心を内在させ、そこには当時すさまじい勢いでアメリカを席巻していた公民権運動(黒人が自由と平等を獲得するためにおこした運動)や、ベトナム戦争への不審が生んだカウンターカルチャー(対抗文化)の存在がうかがえる(ヘストン自身は公民権運動の支持者であり、ベトナム戦争に反対の立場をとっていた)。あるいは若い信徒を「ファミリー」と称して引き連れ、映画女優シャロン・テートの殺害に及んだチャールズ・マンソンのような、カウンターカルチャーが誘引した反社会勢力を連想させるものとなっているのだ。またウイルス感染の起因が「中ソ戦争による科学兵器の使用」と設定づけられたのも、1969年3月2日に起こった中ソ国境紛争(中国人民解放軍がダマンスキー島のソ連国境警備隊55人を攻撃した紛争)が背景にあり、そこに当時の共産主義に対するアレルギーが見え隠れしている。 他にも物語の要となるヒロインにロザリンド・キャッシュを起用し、当時のハリウッドメジャー作品としては異例の異人種間のロマンスを展開させたことで、そこに公民権運動を牽引するブラックパワーや、ウーマンリブ(女性解放運動)の影響を指摘することもできる。つまり『オメガマン』は、総じてアメリカが同時代に抱えていた「ゼノフォビア(外来恐怖症)」を反映したものになっているのである。 もっとも、こうしたゼノフォビアは原作が生まれた段階から宿命のようにつきまとっている。マシスンの「吸血鬼」が世に出た1950年代、アメリカは米ソ冷戦や共産主義への深刻な脅威にさらされ、ゼノフォビアは侵略SFという形を借りて描かれてきた。それを象徴するようにジャック・フィニィの「盗まれた街」や、ロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」など侵略SFのマスターピースが発表され、また映画においては数多くのエクスプロイテーションな侵略SFものが量産されている。 マシスンは幼い頃、ベラ・ルゴシ主演のモンスター映画『魔人ドラキュラ』(31)を観たとき「個体でさえ恐ろしい吸血鬼が集団化したらどうなるのか?」という思いに駆られ、それが「吸血鬼」を手がける発端だったと語っている(*1)。多数派によるカテゴリーの侵食や崩壊がイメージの根にある本作が、映画化によってその時々のゼノフォビアに感応するのは自明の理といえるだろう。 ■原作者マシスンの『オメガマン』に対する反応 そんな『オメガマン』を、原作者であるリチャード・マシスン自身はどう思ったのか? マシスンは後年のインタビュー(*2)において、「チャールトン・ヘストンはいい俳優だし、マンソンファミリーのようなカルトを皮肉るなど、映画は時代性をよくあらわしている。だが個人的には好ましくない映画化だ」 と述べている。製作当時、ワーナーは改変のためにマシスン本人からの権利譲渡を避けたようで、こうした先方の態度に思うところがあったのだろう。ちなみにマシスンが「吸血鬼」の映画化作品で認める姿勢を示したのは、意外なことに傍流というべき食人ゾンビ映画の嚆矢『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68)だ。同作は「吸血鬼」をイメージソースとしており、監督のジョージ・A・ロメロは『ナイト〜』の商標権を取り戻すために動いていたときにマシスンと会い、アイディアを拝借したことを彼に白状している。そこで商標権の登録ミスにより、自分がこの映画で儲けていないことを告げると「あなたがお金持ちになっていないなら、それ(アイディアの流用)は無問題さ」とロメロに同情を寄せたという(*3)。 さいわいにも2007年の映画化『アイ・アム・レジェンド』のときは、マーク・プロトセヴィッチの手による脚色がよく出来ていると賞賛。プロモーションにも協力するなど、ワーナーとの関係を回復させて彼はこの世を去っている。 とはいえ、こうした原作者の感情がどうであれ、『地球最後の男 オメガマン』はカルト映画として支持され、恒久的にファンを獲得し続けている。それは本作が、1970年代ディストピアものとして他にはない独特の雰囲気を放ち、また前述のようなメッセージ性をはらむ作品構造が、いつの時代の社会問題にも置き換え可能だからだろう。欧州の難民問題、トランプ政権下の移民政策etc.はたして我々はいま、この映画に何を見るのだろう?■
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PROGRAM/放送作品
大いなる西部
『ベン・ハー』の名匠ウィリアム・ワイラー監督が広大な西部を舞台に描く詩情豊かな大人の大型西部劇!
『ベン・ハー』の名匠ウィリアム・ワイラーが監督・製作の西部劇の傑作!主演は『ローマの休日』のグレゴリー・ペック、『ベン・ハー』や『猿の惑星』のチャールトン・ヘストン、『ハムレット』のジーン・シモンズ。
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COLUMN/コラム2019.05.13
マシスン原作の核に迫る映像化、そして幻となったシュワルツェネッガー版とは? ——『アイ・アム・レジェンド』——
■前映画化作品に勝る、地上に一人残された主人公の“孤独感” 2007年に公開された『アイ・アム・レジェンド』は、リチャード・マシスンによる終末パニックホラー小説「吸血鬼」(54)の3度目となる長編劇映画化だ。前回の映画化作品『地球最後の男/オメガマン』(71)のリメイクとして、ワーナーはこの企画を世紀をまたぎ息づかせてきた。 しかし本作はマシスンの小説に立ち返ることで、単なるリメイクではなく、原作と『オメガマン』両方の性質を持つ内容となっている。ウィル・スミス演じる主人公ネビルは『オメガマン』と同じく科学者に設定されており(原作のネビルは工場労働者)、ただ事態に翻弄されるのではない、原因究明の使命を帯びたキャラクターを受け継いでいる。また過去回想のインサートによって、ネビルの背景と感染パニックの起点が明らかになる構成は原作に準拠したものだ。 いっぽう『オメガマン』からの変更点は時代設定のほか、人類がウイルス感染し、吸血鬼症を引き起こす原因が同作とは異なっている。前者は製作年度よりもやや先の2012年が舞台となり(『オメガマン』の時代設定は1977年)、そして後者は癌の治療薬として有効視されていた新型ウイルスが、抑制不能の伝染性ウイルスに変化したため引き起こされたものと改められた(『オメガマン』では中ソ戦争での生物兵器使用が原因)。 それにともない感染者の容姿や症状にも、著しい変化がもたらされている。『オメガマン』では感染者は肌の色素を失い、視力の退化した新種のミュータントと化し、自分たちの生存権を主張していた。しかし『アイ・アム・レジェンド』の感染者は「ダーク・シーカー」と呼ばれ、本能的に人を襲う凶暴な夜行性肉食生物として描かれている。その変化は「コミュニケーションのとれない外敵」という性質をおのずと強いものにし、9.11同時多発テロ以降のハリウッド映画らしい、姿なきテロリズムを暗喩したものになっている。 そして過去の映画化作にはない『アイ・アム・レジェンド』固有の特徴として、主人公ネビルの「孤独」を強調する演出が挙げられる。怪物化した感染症者との戦いもさることながら、地上から自分以外の人間が消え、ネビルは自律によって理性を保ち、近代文明から切り離された極限状態での生存を余儀なくされていく。マシスンの原作は、こうした孤独との葛藤を緻密に綴ることで、シチェーションそのものが持つ恐怖をとことんまで追求し、そして後半部の驚くべき展開への布石として機能させている。こうした原作に対する細心の配慮が、原作の根強い支持者だけでなく『オメガマン』に批判的だったマシスンの信頼をも取り戻していくのである。 ■徹底した封鎖措置と、デジタルの駆使によるニューヨークの廃墟化 そんなネビルの孤独を引き立たせるため、本作は無人となって廃墟化した市街地のシーンに創造の力点が置かれている。『オメガマン』では、この都市が無人化するインパクトのある場面を、舞台となるロサンゼルスで撮影。歩行者の少ない休日のビジネス街を中心にゲリラ撮影をおこない、効果的なショットの数々を生み出した。『アイ・アム・レジェンド』もこのアプローチにならい、作品の舞台であるニューヨーク市で実際にロケ撮影が行なわれている。ただ異なるのはその規模と方法で、こちらは南北は五番街を挟んだマディソン街と六番街の間、そして東西は49丁目から57丁目の間で歩行者と車の交通を完全に遮断し、人が一人として存在しない同シチェーションを見事に視覚化したのだ。ネビルを演じたウィル・スミスは、当時の撮影状況を以下のように振り返っている。「一生かけても無人のニューヨークなんて目にすることは絶対にないからね。あれはパワフルな光景だった。五番街の一角を無人にしたとき、僕たちは前例のないことをやっているんだということを痛感したよ」(*1) このようにして得た廃墟のショットを、本作はさらにデジタルで修正し加工することで、映画は無人となった都市の景観が、経年によってどのように変貌していくのかをシミュレートしたものにもなっている。本作のプロデュースと脚本を兼任したアキヴァ・ゴールズマンは、なによりそのモチベーションが『オメガマン』にあったのだと、同作への対抗意識をあらわにしている。「ロサンゼルスと違って、ニューヨークは24時間ひっきりなしに人が動いている。そんな場所で無人のゴーストタウンを作り出すなんて、それだけで挑戦的な価値があるといえるね」(*2) リメイクの話が幾度となく出ては消える、そんなサイクルが常態化していた『アイ・アム・レジェンド』の映画化は、まさに作り手の企画に対する情熱的な思いと、映画技術の熟成こそが突破口を開けたのだ。 ■リドリー・スコット×シュワルツェネッガー版『アイ・アム・レジェンド』の幻影 そもそも『アイ・アム・レジェンド』は、本来ならば1990年代の中頃には完成が予定されていたものだ。当時アクション映画のトップスターだったアーノルド・シュワルツェネッガーが主演し、『エイリアン』(79)『テルマ&ルイーズ』(91)の巨匠リドリー・スコットが監督する形でプロジェクトが進んでいたのである。 リドリーはこの『アイ・アム・レジェンド』を『G.I.ジェーン』(97)の直後に手がけるつもりで、ワーナーとシュワルツェネッガー側からマーク・プロトセヴィッチ(『ザ・セル』(00))による脚本と、ジョン・ローガン(『ラストサムライ』(03)『007 スカイフォール』(12))による改訂稿を受け取っていた。リドリーは監督のオファーを承諾。その理由は意外なことに「アーノルドと一度仕事をしてみたかった」からだったという。 リドリーはローガンの改訂稿をもとにプロジェクトに着手。同稿はストーリーの流れがプロトセヴィッチの脚本(実際に映画化されたものはアキヴァ・ゴールズマンがこれを改訂)にほぼ近いが、ネビルの職業は科学者ではなく建築家で、また物語の後半、ネビルと、そして“カシーク”と名付けられた感染症者のリーダーとの壮絶な戦いが中心になっている。これは奇しくもリドリーの代表作『ブレードランナー』(82)における、デッカードとレプリカント・ロイとの異種同士の戦いを彷彿とさせ、図らずも同作を反復する刺激的な内容になっている。それでなくとも『アイ・アム・レジェンド』はリドリーの『ブレードランナー』以来のSF映画として、ファンの期待も相当に大きかったのだ。 しかし、予算計上が1億ドルを超えたあたりでワーナーは企画の進行に難色を示し、プロジェクトは暗礁に乗り上げた。シュワルツェネッガーの高額のギャラに加え、ロサンゼルス(企画時点での舞台設定)を封鎖して撮影をするという計画は、費用対効果の面で懸念の対象となったのだ。加えて当時はデジタル技術も過渡期にあり、物理的に廃墟を作り出すことを中心にする以外にない。同様の理由で吸血鬼症の感染者の表現も課題として、シュワルツェネッガー版の障害として立ちはだかった。リドリーの演出プランでは感染者は常時、皮膚を紫外線から隠すためにベドウィン(アラブの遊牧民族)のような外装をしていたが、実際に映画化されたクリーチャーに近いプロダクションデザインがなされ、その映像化にも多くの予算が費やされるであろうことが予測されたのだ。 とはいえ、このシュワルツェネッガー版、かなり長期にわたりプリプロダクション(撮影前の準備)がおこなわれていたようで、筆者(尾崎)が2000年代のリドリー・スコット作品の編集にたずさわった横山智佐子さんに取材したさい、編集室にひょっこりシュワルツェネッガーが顔を出すことがあったと語っていた。そのさいシュワは守秘義務などどこ吹く風で「今度リドリーと『アイ・アム・レジェンド』をやるんだよ、ガハハハハ!」と自慢げに話していたというから、本人もさぞや乗り気だったのだろう。ちなみに改訂稿にはネビルが葉巻を好むなど、実際のシュワルツェネッガーを想定して執筆したような痕跡が見られる。それだけシュワ自身としても肝煎りの企画だっただけに、個人的心情としては彼のバージョンも観てみたかった気がする。 ■シュワルツェネッガー版に異を唱えたギレルモ・デル・トロ ところが、もう一人『アイ・アム・レジェンド』の監督に名乗りをあげた人物は、こうしたシュワルツェネッガーのキャスティングに異を唱えている。人間と半魚人との恋を描いた『シェイプ・オブ・ウォーター』(17)で、後にアカデミー賞を手中にするギレルモ・デル・トロだ。 ギレルモは当時、長編デビュー作『クロノス』(93)を完成させ、ジェームズ・キャメロン(『タイタニック』(97)『アバター』(09)監督)の米国での支援を受けながら、メジャーデビューへの糸口を探っていた。そして同作のために収集した吸血鬼の研究素材を『アイ・アム・レジェンド』に活かし、同作を企画中のワーナーに自ら監督の売り込みをかけたのだ。しかし既にシュワルツェネッガー主演で企画が検討されていることを知ったギレルモは、そのキャスティング案に違和感を覚え、マシスンの原作の精神に反するとワーナーの担当者に説いたという。彼は言う。「マシスンの原作は、普通の男が感染者たちから伝説として恐れられるところに意味を持たせている。シュワルツェネッガーの超人的なイメージは、それに合致するものとは思えないよ」(*3) これらのリジェクト(却下された)企画に対し、実際に完成した『アイ・アム・レジェンド』以上に解説を費やした気もするが、その存在の正当性を示すには、背後に消えたものが何よりも強く声を放つことがある。とはいえジョン・ローガンの改訂稿にあった鹿の群れと遭遇する場面や、ネビルが罠に足をとられてしまう展開などは完成版でも引き継がれているし、リドリー・スコットはローガンと共に、SFに向けていた創作の熱意を古代ローマへと舵修正し、英雄史劇『グラディエーター』(00)という一大成果を生んだ。そしてギレルモ・デル・トロは、温めていた『アイ・アム・レジェンド』のアイディアを『ブレイド2』(02)に活かし、型破りで新しいヴァンパイアヒーローのさらなる洗練に成功している。そしてギレルモの危惧したネビル像は、アクションスターではあるが自然な演技感覚を持つウィル・スミスにより、理想的な形で具体化されたといっていい。 当人たちにはたまったものではないだろうが、こうしてリジェクト企画を振り返るのも、作品を知るうえで決して後ろ向きな行為ではないのだ。■
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PROGRAM/放送作品
黒い絨氈
名優チャールトン・ヘストンが、地を埋め尽くす人喰い蟻の大群と死闘する、元祖アニマル・パニック映画
監督バイロン・ハスキンと製作ジョージ・パルは、53年版『宇宙戦争』を作った名コンビ。本作は、彼らが再び組んで放ったアニマル・パニックだ。チャールトン・ヘストンとエリノア・パーカーの美しいドラマにも注目。
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PROGRAM/放送作品
エル・シド
ハリウッド史劇のスター、チャールトン・ヘストン主演、スペイン救国の英雄の一代記
大航海時代「太陽の沈まぬ帝国」を築いたスペイン人。だがその数世紀前までは、国土をイスラム教徒に奪われた亡国の民だった。本作はスペインの国土回復運動の指導者の生涯を描く一大歴史スペクタクルだ。