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PROGRAM/放送作品
Dr.パルナサスの鏡
[PG12]鏡の向こうに摩訶不思議な世界が…急死したヒース・レジャーの役を個性派スター3人が受け継ぐ
テリー・ギリアム監督ならではのイマジネーション豊かな世界が鏡の中に広がるファンタジー。撮影中に急死したヒース・レジャーの役を“4人1役”としてジョニー・デップら3人が引き継ぎ、作品を完成へと導いた。
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COLUMN/コラム2024.03.13
オリジンに固執しないギリアム流ディストピア『12モンキーズ』
◆戦う監督テリー・ギリアム 1995年に公開された映画『12モンキーズ』は、ブルース・ウィリス演じる主人公が過去に時間移動し、ウイルスによる人類滅亡の起因となるバイオテロを未然に防ごうとするタイムSFだ。印象的なタイトルは動物愛護団体を隠れ蓑にするテロ組織の呼称で、監督はアニメーション作家から劇映画監督へと転身し、『バンデットQ』(1981)『未来世紀ブラジル』(1985)そして『バロン』(1988)などを手がけてきた鬼才テリー・ギリアムが担当。想像力豊かな主人公による体制との格闘をテーマとし、「夢」と「現実」の舞台を行き交うファンタジーを展開してきたギリアムには、まさにうってつけの題材といえる。 だがギリアムは作品そのものの魅力にとどまらず、公開をめぐる映画会社との闘争が、彼を語るうえで欠かせない要素となってきた。『未来世紀ブラジル』は上映時間の長さとブラックな幕切れに対し、配給元であるMCA=ユニバーサルの社長シド・シャインバーグが難色を示して再編集を要求。対してギリアムは上映時間の短縮にこそ応じたものの、結末をハッピーエンドにすることには首を縦に振らず、どちらも引かず譲らずの徹底抗戦が続いた。結局ギリアムが結末を変えずに全米一般公開を勝ち得たが、この一件によって彼は「戦う映画監督」というイメージを強固なものにしていく。 そして続く『バロン』も、ミュンヒハウゼン男爵の奇異極まる冒険の数々を描いた小説「ほら吹き男爵の冒険」を壮大なスケールと巨額の予算で実写化したが、チネチッタ(ローマの映画スタジオ)で撮影したことから従来とは異なる混乱が生じ、衣装や小道具の調達、セットの建設が遅れるなどのトラブルに見舞われた。製作費は増大し、たび重なる撮影の遅れによってつど撮影中止が検討された。こうした諸問題にギリアムは消耗戦を強いられたが、自分のイメージを具現化させることに全力を注ぎ、あたかも夢想で障害を乗り越えるバロンのように完成へとこぎつけたのである。 これら『未来世紀ブラジル』『バロン』における闘争は、ギリアムをハリウッドの完成保証人がブラックリストに載せるに充分なものだった。そのため彼は職人に徹し、真っ当な企画を手がけることで信頼回復を図ったのである。それが1991年に発表した『フィッシャー・キング』で、ホームレスと堕ちたDJスターとの奇妙な友情に迫る本作は、他者の脚本によるスター俳優主導型の現代劇であり、これまでのギリアム作品の創作基準からは大きく外れるものだった。しかし主人公を苛む魔物の幻覚や、群衆の動きがピタッと止まったユニオン駅でのダンスシーンなど、ファンタジックなイメージを忍ばせてギリアムらしさを堅持し、作品は好評を獲得した。そしてなにより、アメリカでの興行収入4,200万ドルを記録し、ギリアムに『12モンキーズ』への展開を与えたのだ。 ◆『ラ・ジュテ』とのドライな関係性 『12モンキーズ』もまた、他人の脚本によるスター俳優主導型の作品だが、その発生はユニークを極める。本作の脚本にはベースとなる既存作が存在し、オリジンは1969年に発表された『ラ・ジュテ』というフランスの中編映画で、ワンシーンを除く全編をモノクロのフォトモンタージュで構成した実験的な古典である。その独自性と完成度は作家のJ.G.バラードをして「独自の慣例をゼロから創造し、SFが必ず失敗するところを、この映画は意気揚々と成功する」と高く評価している。 舞台は第三次世界大戦による地表汚染によって、生存者が地下室で生きるパリ。地下収容所に囚われている主人公は、過去と未来に救いを求め、食料やエネルギー源を輸送できる時間のルートを確立する計画の実験台となる。選ばれた理由は、過去に鮮明なイメージを持っていること。彼は子どもの頃、両親と一緒に訪れたオルリ空港で男の死を目撃するという、鮮烈なイメージを抱いていたのだ。 時間移動による人類滅亡の回避と、その結果あきらかとなる主人公の鮮烈な過去イメージの正体など、『12モンキーズ』はプロットにおいて『ラ・ジュテ』を換骨奪胎させている。起点は同作に心酔する製作総指揮のロバート・コスバーグが、監督であるクリス・マルケルを説得し、ユニバーサルに権利を買わせて長編作品へとアダプトしたのだ。当初はマルケルも関わっていたが、乗り気でなかったことから企画の初期段階で降りている。しかし脚本を担当したデイヴィッド&ジャネット・ピープルズの手腕もあって、完成した『12モンキーズ』は『ラ・ジュテ』の良質なエッセンスに満ち、原点に対するリスペクトを具に感じることができるものとなった。 しかしギリアムはこの『ラ・ジュテ』を撮影時に観てはおらず、自身の作家性をまたぎ、批評家からオリジナルに言及されることに困惑したという。ただ同作を構成したフォトスチールをプリントし、ナレーションテキストを採録した写真集“La Jetee : ciné-roman“は目にしていた。そこでギリアムは、あえて似たようなイメージを回避し、『ラ・ジュテ』の成分はあくまでデイヴィッドとジャネットがオリジンより抽出したものと割り切り、自身は意識的に同作との差別化を図っている。 筆者(尾崎)はこれまでに2度、ギリアムにインタビューしたことがあるが、コンピュータに支配された世界で、複雑なゼロ定理解析を強いられるプログラマーの悲劇を描いた『ゼロの未来』(13)の取材では、「どうせお前らは本作を『未来世紀ブラジル』と比較するつもりだったんだろ? だからあえて違うものを撮ったんだ。私がやっている作品は、どれも総じて自分が見えている世界を、ひたすら歪めて表現しているんだよ」 と、既存のイメージに縛られることを嫌い、それを強調する姿勢を示していた。笑いの絶えないインタビューだったが、ささやかながらも筆者はそこに「戦う映画監督」の気性を垣間見たのである。このことからもギリアムは『12モンキーズ』が己れのイマジネーションを飛び超え『ラ・ジュテ』に誘引されることを好まなかったのは容易に想像できる。たとえそれが雇われ仕事であっても、自身の持つアート性を封じたくはなかったのだろう。 ちなみにギリアムが『ラ・ジュテ』に接したのは、『12モンキーズ』製作後のパリでのプレミアで併映されたものだったという。作品自体は素直に称賛しており、編集の技と、博物館の剥製が次々と映し出されるイメージが傑出していると答えている。 テリー・ギリアムが『12モンキーズ』撮影以前に読んだとされる『ラ・ジュテ』のフォトブック“La Jetée : ciné-roman“。映画本編のショットとは仕様テイクや配置が一部異なっており、本書は今でも独立した価値を持つ。(筆者所有) ◆ギリアムとブルース・ウィリス ところで今回のザ・シネマにおける『12モンキーズ』の放送は、俳優ブルース・ウィリスの特集に連動したものだ。そこでおあつらえ向きに、テリー・ギリアムが彼についての称賛を2015年に出版した自伝“Gilliamesque: A Pre-posthumous Memoir”(日本未刊行)の文中にて触れているので採り上げたい。ウィリスの起用は彼がギリアムと仕事をしたがっていたことに端を発するが、ギリアムはギリアムで『ダイ・ハード』(1990)で彼が演じるマクレーン刑事が、妻に電話をしながら足の裏に刺さったガラスを抜く、タフガイが弱さを見せるシーンがお気に入りだったという。それが実際にウィリス会い、彼自身のアイディアによるものだと知ったことで、がぜん自作に出て欲しいとなったのだ。ギリアムはこう綴っている、 「私は“ブルースにはスーパースター性は必要ない”と提唱していた。彼には何も持たずに撮影に来てほしい俳優なのだ。そして『12モンキーズ』では、ジムを備えたトレーラーハウスをセットに持ち込むことで、かろうじてそれに応えてくれた。実際のパフォーマンスに関しては、彼は確かに見事な成果をあげてくれた。そしてコンドームのようなスーツを着させられることに、自身が何らかの抵抗を感じていたとしても、彼はそれを私に決して話すことはなかったんだ」 相変わらず人をおちょくったような書き振りだが、ウィリスが現役を退いた今となっては、ギリアムなりの愛に満ちた称揚が胸に沁みるのである。■ 皮肉と自虐と攻撃性に満ちた内容で、読み手をグイグイと惹きつけるテリー・ギリアムの回想録“Gilliamesque: A Pre-posthumous Memoir”。日本でもこのパンチの効いた装丁のまま、翻訳出版されると嬉しい。(筆者所有) 『12モンキーズ』© 1995 UNIVERSAL CITY STUDIOS, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
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PROGRAM/放送作品
(吹)12モンキーズ【ゴールデン洋画劇場版】
[PG12相当]B・ピットが狂気の怪演!イマジネーションの奇才テリー・ギリアムが描く衝撃の時空SF
幻想的な映像世界の創造主テリー・ギリアム監督が、時空を自在に行き交いながら緻密な伏線を散りばめていく。物語の重要な鍵を握る精神病患者をブラッド・ピットが怪演し、ゴールデングローブ助演男優賞を受賞。
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COLUMN/コラム2021.06.04
夢は、悪夢のような現実から逃れるために…。『未来世紀ブラジル』
テリー・ギリアム監督が、本作『未来世紀ブラジル』(1985)の着想を得たのは、初の単独監督作品『ジャバ―ウォッキー』(77)を撮っていた頃、イギリスはサウス・ウェールズのある浜辺でのことだった。そこは大きな鉄工所に隣接し、砂浜は薄い膜のような煤に覆われていた。「誰かが石炭がらで真っ黒になった裸の浜辺に腰かけていると、コンベア・ベルトや醜い鉄の塔のむこうに緑あふれる素晴らしい世界がきっとどこかにあるって、現実から逃避するようなラジオからのロマンティックな歌がどこからともなく聞こえてくる―」 ギリアムの頭に浮かんだ、そんなイメージから、本作はスタートしたのだった。 *** 20世紀のどこかの国。個人のプライバシーはすべて政府のコンピューターに管理され、情報省が人々を支配していた。その一方で、反体制派による爆弾テロも相次ぐ。 クリスマスの日、情報省のコンピュータートラブルで、当局がテロリストと目すタトルと、一般人のバトルが取り違えられる。バトルは何の罪もないのに、情報剝奪局に急襲され、家族の前で連行されてしまう。 情報省の記録局に働くサム・ラウリーは、出世などには興味がない男。近頃は羽の生えた騎士の格好で空を舞い、囚われの身の美女を救い出す夢を、毎夜のように見ていた。 上司に頼まれ、バトルの件の責任回避に取り組むサムだったが、ある時夢に登場する美女と瓜二つの女性に出会う。サムは彼女を探し求めるが、その姿を見失う。 そんなある時、サムの部屋の暖房装置が故障。正規の修理サービスに連絡が取れないで困っていると、もぐりの鉛管修理工が現れる。その男こそ、当局がテロリストとして追っている、タトルだった。 夢の美女とそっくりの女性が、バトル家の階上に住む、トラック運転手のジルであることがわかる。サムはジルの情報を職場で詳しく調べようとするが、彼女は、バトルの誤認逮捕について抗議を行っていたことから、当局に“要注意人物”とマークされ、その情報は機密扱いとなっていた。 サムは彼女を見付けるため、断っていた栄転を受け入れることにする。異動先となる情報剥奪局ならば、ジルの情報にアクセス出来るからだ。 情報剥奪局で、逮捕者を尋問に掛ける役割を担っているのは、サムの親友であるジャック・リント。誤認逮捕されたバトルも、彼の拷問によって、すでに命を奪われていた。 そんなジャックから、ジルが逮捕される手筈となっていることを聞かされたサムは、彼女を救うために奔走。ジルもサムに、心を許すようになる。 しかし、そのために様々な規約を破ってしまったサムにも、魔の手が迫ってくる…。 *** 目の前の現実の方が悪夢のようで、そこから逃れるために、ひとは美しい夢を見る…。当初ギリアムがイメージした、煤に塗れた浜辺からはだいぶかけ離れたものになってしまったが、そんなコンセプトを発展させて、本作のストーリーは編まれた。 当初構想した美しい音楽は、ライ・クーダーの「マリー・エレナ」。それはやがて、アリ・バローソによる「Aquarela do Brasil=ブラジルの水彩画」という、1939年に生まれたラブソングへと変わる。 心はずむ六月を過ごしこはく色の月の下ふたりで「きっといつか」とささやいたブラジルぼくたちはここでキスしからみあったでもそれは一晩のこと朝がくると君は何マイルも離れぼくに言いたいことが山ほどいっぱい今、空は暮れなずみふたりの愛のときめきが甦るたしかなことは一つだけ…戻るよ、ぼくは想い出のブラジルに…(「Aquarela do Brasil」訳詞 『未来世紀ブラジル』劇場用プログラムより) 1940年にアメリカで生まれたギリアムにとって、南米のブラジルに逃げるというのは、最もロマンティックなことという感覚があった。そのためこの歌に惹かれ、遂には映画のタイトルまで、『Brazil』(原題)にしてしまった。舞台はブラジルとは、まったく関係ないのに。 本作が、全体主義国家によって統治された近未来世界の恐怖を描いた、ジョージ・オーウェルの「1984年」の影響を受けているのは、明らかと言える。しかしギリアムは、「1984年」を読んではいないという。未読でもわかってしまう、それぐらい自明なイメージに惹かれたと述懐している。 その上で、本作についてギリアムは、当初こんな表現をしていた。“虹を摑む男ウォルター・ミティがカフカと出会った映画”。 ダニー・ケイ主演の『虹を摑む男』(47)と、その原作「ウォルター・ミティの秘密の生活」で、主人公のウォルター・ミティは、空想に耽って自分を英雄に仕立てる。そんなミティのような男≒サムが、フランツ・カフカが書くような不条理の世界に紛れ込んでしまったというわけだ。 そうした本作のイメージが形作られた背景には、ギリアム自身の体験もある。20代後半、アメリカで雑誌編集者やアニメーターとして活動していたギリアムだったが、1967年にロサンゼルスで、警官隊の暴行事件に遭遇。アメリカ政府のベトナム政策に抗議して集まった群衆が、警官隊によって滅多打ちにされるのを、目の当たりにしたのだ。 これはギリアムにとって、「現実で初めて経験した悪夢」。罪なき人々が無差別に、官憲から残忍な仕打ちを受けるという、正に「カフカ的イメージ」が具現化されたものだった。 付記すればギリアムは、この体験がきっかけで母国に見切りをつけて、イギリスへと渡る。そしてコメディグループ「モンティ・パイソン」の唯一のアメリカ人メンバーとなり、やがて世界的な人気を得ることとなる。 因みに「モンティ・パイソン」の仲間である、テリー・ジョーンズから借りた、魔女狩り関係の書物も、本作を構成する重要な要素となった。例えば本作で情報剥奪局は、逮捕者を連行し処罰する費用を、逮捕された本人に請求する。これは中世の魔女狩りに於いて、実際に行われていたことである。魔女として告発された者は、裁判や留置場の費用、拷問、そして焼き殺されるための薪代まで、負担しなければならなかったという。 さて1970年代後半からギリアムが構想していた本作が、実際に製作に向かって大きく動き出したのは、彼の前作『バンデッドQ』(81)が、製作費500万ドルに対し、アメリカだけで4,200万ドルを売り上げるという、大ヒットを記録してから。 82年3月、ギリアムは知人の紹介で出会った、イスラエル出身のプロデューサー、アーノン・ミルチャンと意気投合。彼が本作の製作を行うこととなる。 脚本は、元々はギリアムが、『ジャバ―ウォッキー』の共同脚本を手掛けた友人チャールズ・アルヴァーソンと書いていたが、まとまりに欠けるものだった。そこでギリアムは、「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」などの戯曲で知られる、世界的な劇作家トム・ストッパードに、脚本化を依頼することにした。 ストッパードはいつでも、「ひとりで書く」という仕事の仕方だったため、共同作業を望むギリアムにとっては、不満が募る結果となった。しかし第4稿まで書いたストッパードの脚本で、本作の骨組みは固まった。 例えば開巻間もなく、低級官僚が書類を丸めて、ピシャリと叩いたハエが、コンピューターの中に落ちたことで、TUTTLEの文字がBUTTLEとミスプリントされてしまうシーンがある。すべての発端であるこのくだりは、正にストッパードのアイディアだった。 最終的にギリアムは、チャールズ・マッキオンとの共同作業で、脚本を仕上げた。 一方ミルチャンは、1,500万ドルという製作費を捻出するため、各映画会社と交渉。ユニヴァーサルと20世紀フォックスの競り合いになり、最終的には、フォックスが600万ドルの出資で海外市場、ユニヴァーサルが900万ドルでアメリカ、カナダの北米市場の公開を展開するという契約で、まとまる。 ここでキャスティングについて、触れよう。主演のジョナサン・プライスは、本作の構想が始まって間もない頃に、ギリアムと邂逅。ギリアムはプライスのことが気に入り、サム・ラウリーの役を、彼への当て書きのようにして、原案を書いたという。 しかしいざ製作が本格化した段階では、サムの設定は、22~23歳の青年に。当時の若手スターだった、アイダン・クイン、ピーター・スコラーリ、ルパート・エヴァレットなどが候補になった。特にサム役を熱望したのは、あのトム・クルーズだったという。 その頃プライスは、すでに30代後半。しかし脚本を読んでみると、サムの役は33歳という設定にしても無理がないと感じて、そのままギリアムに提案した。それを受けてスクリーンテストを行った結果、彼が本決まりとなったのである。 サムの夢の美女≒ジル役の候補となったのは、ケリー・マクギリス、ジャミ―・リー・カーティス、レベッカ・デモーネイ、ロザンナ・アークエット、そしてまだメジャーになる以前のマドンナなど。一旦はエレン・バーキンに決まったものの、最後の最後で、キム・グライストがジル役となった。 ギリアム曰く、「スクリーン・テストの彼女は最高だった。でも撮影が始まるとそうはいかなかった」。元々の脚本では、ジルの役割はもっと大きいものだったが、撮影が進行する内に、どんどん削られていった。 ミルチャンの提案で作品の箔付けとして、大スターのロバート・デ・ニーロの出演が決まった。ミルチャンが本作の前に製作した、マーティン・スコセッシ監督の『キング・オブ・コメディ』(82)、セルジオ・レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)の2作の主演を務めた縁である。 デ・ニーロは当初、サムの親友で拷問者であるジャック・リントの役を希望した。しかしその役はすでに、「モンティ・パイソン」の仲間マイケル・ペリンに決まっていた。 デ・ニーロはギリアムの説得により、配管工にして当局にテロリストとして追われるタトルの役を演じることとなった。当時のデ・ニーロが、このような脇役で出演するなど、異例中の異例。彼は、脇役であっても手を抜くことはなく、いわゆる“デ・ニーロアプローチ”で、完璧な役作りをやってのけた。 本作は1983年11月にクランク・イン。パリの巨大なポスト・モダン様式のアパート地区マルヌ・ラ・ヴァレで、サムのアパートなどのシーン、当時再開発前だったイギリス・ロンドン港湾地区の廃棄された発電所の冷却塔で、ジャックの拷問室のシーンといったように、ギリアムのセンスが遺憾なく発揮されたロケ撮影を行った。 因みに『未来世紀ブラジル』という邦題は、作品の雰囲気を表すのに悪くはないと思うが、実はミスリード。先にも記したが、これは「未来」の話ではない。“20世紀のどこか”が舞台なのである。登場人物の服装は1940~50年代。サムが運転している車も、ドイツのメッサーシュミットのその頃のモデルである。ギリアムの言を借りれば、“過去に根ざしたありうべき未来の様相”あるいは“現在のB面”を描いているのである。 さて本作は撮影途中で、このままでは撮り切れないとの判断から、2週間休止して、脚本を切り詰める作業を行ったり、ギリアムがストレスから1週間近く起き上がれなくなるというアクシデントが発生。サムの飛翔シーンの特撮に時間が掛かったこともあって、84年2月のクランクアップ予定は、半年延びて、8月になってしまった。 しかし1,500万ドルの予算を超過することはなく、作品は完成。85年2月には、20世紀フォックスの配給で、ヨーロッパで142分のバージョンが無事公開された。 ところがアメリカでは、製作スタート時にはそのポストには居なかった、ユニヴァーサルの責任者シドニー・J・シャインバーグが、ギリアムの前に立ちはだかることとなる。その顛末は、有名な「バトル・オブ・ブラジル」という1冊の書籍にまとめられたほどのボリュームなので、本稿では細かくは言及はしない。 何はともかくシャインバーグは、ギリアムによって11分のカットを行った、アメリカ公開用の131分版に同意せず。別に編集チームを編成。映画の3分の1をカットした上で、ロマンス要素を増強し、ハッピーエンドに終わらせるという、“暴挙”に出たのである。 結果的にはギリアムvsシャインバーグのバトルは、マスコミや批評家などを巻き込んだギリアムの勝利と言える形に終わった。85年12月のアメリカ公開はギリアムの131分版となり、シャインバーグのハッピーエンド版は、後にTV放送されるに止まった。 しかしながらこのゴタゴタの結果、きちんとプロモーションが行き届かず、アメリカ公開ではヒットという果実を得ることはできなかった…。 因みに日本初公開は、86年10月。インターネットなき時代、そのようなトラブルがあったことなど、ほとんどの観客が知らなかった。日本ではユニヴァーサルではなく、20世紀フォックスの配給だったこともあって、ヨーロッパで公開された142分版が観られた。また劇場用プログラムの内容にも、トラブルのトの字もない。 皮肉なものだと思う。テリー・ギリアムの前作『バンデッドQ』が83年に日本公開された際は、子ども向けの作品として売りたかった配給会社の東宝東和によって、悪名高き改竄が行われたからだ。 オリジナルから残酷な要素を取り除いて13分もカットし、ラストまで改変してしまった。ビデオソフトでオリジナル版を観て、劇場で観たのと全く違っているのに、吃驚した映画ファンが続出したものだ。 さて余談はここまでにして、ギリアムはこの後「ほら吹き男爵の冒険」の映画化『バロン』(88)に取り組む。そこでは本作を超えた災厄が待ち受けているのだが、それはまた別の話…。■ 『未来世紀ブラジル』© 1984 Embassy International Pictures, N.V. © 2002 Monarchy Enterprises S.a.r.l. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
12モンキーズ
[PG12相当]B・ピットが狂気の怪演!イマジネーションの奇才テリー・ギリアムが描く衝撃の時空SF
幻想的な映像世界の創造主テリー・ギリアム監督が、時空を自在に行き交いながら緻密な伏線を散りばめていく。物語の重要な鍵を握る精神病患者をブラッド・ピットが怪演し、ゴールデングローブ助演男優賞を受賞。
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COLUMN/コラム2014.03.30
2014年4月のシネマ・ソムリエ
■4月5日『ダウンタウン物語』 登場するすべてのキャラクターを、平均12歳の子役たちが演じたミュージカル風のギャング・コメディ。名匠A・パーカーの軽妙な語り口が光る劇場デビュー作である。 禁酒法時代のニューヨークの雰囲気を本格的なセットで再現。才人、ポール・ウィリアムズ作曲による歌とダンス、パイ弾を放つマシンガンなどの小道具も楽しい! キャストで圧倒的な存在感を放ったのは撮影時13歳のJ・フォスター。にぎやかな抗争劇のさなか、主人公バグジー・マローンが出入りする酒場の歌姫を妖艶に演じた。 ■4月12日『バンテッドQ』 鬼才テリー・ギリアムのイマジネーションが炸裂するファンタジー。孤独な11歳の英国人少年が自宅の寝室に突如現れた6人の小人に導かれ、時空を超えた冒険に旅立つ。 ナポレオン、海坊主、悪魔らのキャラクターが次々と登場し、奇想天外な逸話が脈絡なく展開。その理屈を超越した馬力とスラップスティックなギャグに引き込まれる。 英国流のブラックな味わいの作風は、ハリウッド製ファンタジーとは異質の面白さ!アガメムノン王ともうひと役を演じるS・コネリーの出演シーンもお見逃しなく。 ■4月19日『サン★ロレンツォの夜』 ドイツ軍占領下のトスカーナ地方を舞台にした戦争ドラマ。イタリアのタヴィアーニ兄弟が幼少期の体験を基に撮った、カンヌ国際映画祭・審査員特別賞受賞作である。 物語の背景となるのは、1944年にサン・ミニアートの大聖堂で起こった虐殺事件の史実。ドイツ軍が街を爆破して撤退を図るなか、危険を感じた市民の脱出劇が展開する。 幼い純真な少女の視点をとり入れた映像世界には、素朴なユーモアや魅惑的な詩情が漂う。戦時下の痛切な悲劇を寓話へと結実させ、胸に染み入る感動を呼ぶ一作だ。 ■4月26日『バーティ』 鳥をこよなく愛し、空を飛ぶことに憧れる風変わりな青年バーディとその親友アル。共にベトナム戦争で心身に傷を負って帰還した若者たちの友情を描く感動作である。 1970?80年代に量産された“ベトナム後遺症”ものの1本だが、青春映画としてのみずみずしさは絶品。デビュー間もない主演俳優2人のナイーブな演技も好感度高し! 多彩なジャンルの傑作を放ったA・パーカー監督が鮮烈なイメージを創出。裸のバーディを“籠の中の鳥”に重ねた場面や、鳥の眼差しを表現した空撮シーンが印象深い。 『ダウンタウン物語』© National Film Trustee Co Ltd 1976 『バンデットQ』© Handmade Film Partnership 1981 『サン★ロレンツォの夜』©1983 RAIUNO/Ager Cinematografica Srl. Licensed by SACIS-Rome-Itary.All Right Reserves 『バーディ』© 1984 TriStar Pictures, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
デリカテッセン
不気味で悪趣味、そしてブラックユーモアが満載!鬼才コンビの名を世界に知らしめた衝撃デビュー作
ジャン=ピエール・ジュネ監督が友人のマルク・キャロ監督と組んで手がけた初長編作。グロテスクさとブラックユーモアが入り混じったダークで摩訶不思議な近未来空間は、まさに“フランスのテリー・ギリアム”。
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COLUMN/コラム2012.10.29
2012年11月のシネマ・ソムリエ
■11月3日『パリ、テキサス』 カンヌ国際映画祭パルムドールに輝くヴィム・ヴェンダース監督のロードムービー。記憶を失い、アメリカ西部をさまよう男を主人公にした家族の断絶と再生の物語だ。放浪の主人公が目ざしていたのは、劇中には登場しないテキサス州パリという実在の町。主人公の孤独を表す荒野の風景、ライ・クーダーの哀愁のギター音楽が心に残る。主人公と息子の微笑ましい交流シーンに加え、観る者の目を奪うのは妻役のナスターシャ・キンスキー。マジックミラーを用いたクライマックスは忘れえぬ名場面である。 ■11月10日『ベルリン・天使の詩』 『パリ、テキサス』と並ぶ名匠ヴィム・ヴェンダースの代表作。東西冷戦末期のベルリンを舞台に、下界の営みを見つめる天使たちの姿を描いたファンタジーである。人間界への憧れを抱く天使ダミエルの心の移り変わりに沿って、白黒からカラーへ移行していく夢幻的な映像美。フランスの名手アンリ・アルカンによる撮影が絶品だ。天使とサーカスの舞姫との愛のドラマに宿ったロマンティシズムも本作の魅力。『刑事コロンボ』でおなじみのピーター・フォークの味わい深い助演もお見逃しなく! ■11月17日『マリリンとアインシュタイン』 マリリン・モンローなど1950年代のアメリカを象徴する4人の歴史的な有名人を模したキャラクターが登場。彼女らの人生が交錯する架空の一夜を映画化した異色作だ。ホテルの一室を舞台にしたシュールなディスカッション劇。『赤い影』などの映像派の鬼才ニコラス・ローグらしい視覚的ギミックやファンタジーがアクセントを添える。アインシュタイン博士を翻弄するモンロー役はローグ監督の夫人テレサ・ラッセル。“無意味”という原題にふさわしいラスト・シーンの大爆発スペクタクルに息をのむ。 ■11月24日『ローズ・イン・タイランド』 テリー・ギリアム版「不思議の国のアリス」というべきファンタジー。ジャンキーの父親の突然死によって、草原の一軒家に取り残された少女の悪夢的な冒険を映し出す。頭だけのバービー人形、草原の下に出現する海など、ギリアム監督ならではの美しくもグロテスクなイメージが噴出。少女の空想が現実をのみ込んでいく、そのスリル!ギリアムの少女愛を感じさせる小さなヒロイン役は「サイレントヒル」のジョデル・フェルランド。朽ち果てゆく死体に扮したジェフ・ブリッジスの怪演も見逃せない。 『パリ、テキサス』© 1984 REVERSE ANGLE LIBRARY GMBH, ARGOS FILMS S.A. and CHRIS SIEVERNICH, PRO-JECT FILMPRODUKTION IM FILMVERLAG DER AUTOREN GMBH & CO. KG 『ベルリン・天使の詩』© 1987 REVERSE ANGLE LIBRARY GMBH and ARGOS FILMS S.A. 『マリリンとアインシュタイン』COPYRIGHT © MCML XXX? ZENITH PRODUCTIONS LIMITED ALL RIGHTS RESERVED 『ローズ・イン・タイドランド』©2005 Recorded Picture Company and Capri Tideland Inc.
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PROGRAM/放送作品
フィッシャー・キング
『未来世紀ブラジル』、『12モンキーズ』の鬼才、テリー・ギリアムが描くファンタジー・ヒューマンドラマ
ニューヨークを舞台に、数奇な運命の2人の男が出会うファンタジー・ヒューマンドラマ。監督は『未来世紀ブラジル』、『12モンキーズ』などを手がける鬼才テリー・ギリアム。
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COLUMN/コラム2012.10.29
2012年11月のシネマ・ソムリエ
■11月3日『パリ、テキサス』 カンヌ国際映画祭パルムドールに輝くヴィム・ヴェンダース監督のロードムービー。記憶を失い、アメリカ西部をさまよう男を主人公にした家族の断絶と再生の物語だ。放浪の主人公が目ざしていたのは、劇中には登場しないテキサス州パリという実在の町。主人公の孤独を表す荒野の風景、ライ・クーダーの哀愁のギター音楽が心に残る。主人公と息子の微笑ましい交流シーンに加え、観る者の目を奪うのは妻役のナスターシャ・キンスキー。マジックミラーを用いたクライマックスは忘れえぬ名場面である。 ■11月10日『ベルリン・天使の詩』