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PROGRAM/放送作品
イージー・ライダー
[R15+]自由を求めるヒッピー2人組の放浪のバイク旅、その結末は…アメリカン・ニューシネマの代表作
ヒッピー2人組のオートバイ放浪旅に、ドラッグ・カルチャーや反体制など当時ならではのテーマを込めたニューシネマ代表作。ステッペンウルフの「BORN TO BE WILD」など楽曲も世界観にハマっている。
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COLUMN/コラム2024.02.07
“1969年”という時代が生んだ、“アメリカン・ニューシネマ”の傑作『イージー・ライダー』
俳優ヘンリー・フォンダの息子としてこの世に生を授かった、ピーター・フォンダ(1940~2019)。幼少期に母が自殺したことなどから、父に対して長くわだかまりがあったと言われる。しかし姉のジェーン・フォンダと共に、名優と謳われた父と同じ“演技”の道へと進んだ。 彼が人気を得たのは、“B級映画の帝王”ロジャー・コーマンが製作・監督した、『ワイルド・エンジェル』(1966)の主演による。実在するバイクの暴走グループ“ヘルズ・エンジェルス”を描いたこの作品で、若者のアイコンとなったのだ。 その翌年=67年に主演したのが、同じくコーマン作品の『白昼の幻想』。こちらは合成麻薬である、“LSD”によるトリップを描いた内容である。自身その愛好者で、「アイデンティティの危機がLSDによって救われた」と語っていたピーターは、この作品の脚本を初めて読んだ時、「こいつはアメリカでこれまでに作られたなかの最高の作品になる!」と、叫んだという。 その脚本を書いたのは、当時は「売れない」俳優だった、ジャック・二コルソン(1937~ )。いつまでも芽が出ない役者業に見切りをつけて、本格的に脚本家としての道を歩んでいくべきかと、悩んでいた頃だった。 ニコルソンが自らの豊富な“LSD”体験をベースに描いた脚本の出来に、ピーターは感激。それまでは特に親しくしていたわけではない、二コルソンの家へと車を飛ばし、感謝の気持ちを伝えたという。 しかし実際に撮影され完成した作品は、ピーターにとっても二コルソンにとっても、大きな不満が残るものとなった。いかに「安く」「早く」「儲かる」作品を作るかを優先するコーマンの製作・監督では、脚本に書かれた想像力溢れるトリップのシーンなどが、どうしてもチープな作りとなってしまう。その上配給元の「AIP」の手も入って、ピーターやニコルソンのイメージとは、まったくかけ離れたものとなってしまった。 ピーターにとって良かったのは、コーマンに頼み込んで、この作品に脇役で出演していた、親友のデニス・ホッパー(1936~2010)に、一部演出を任せられたことだ。絵画や写真にも通じていたホッパーが撮った映像は、コーマンとは明らかに異質な、美しく詩的なイメージに溢れていた。 ピーターは以前から、ホッパーと組んでの“映画作り”を目論んでおり、『白昼の幻想』が、その試金石となった。これなら彼に、“監督”を任せられる! そして67年9月。『白昼の幻想』プロモーションのために滞在した、カナダ・トロントのホテルで、運命の瞬間が訪れる。 酒を煽り、睡眠薬も飲んで、ひょっとしたらマリファナも吸っていたのかも知れない。そんな状態のピーターだったが、サインを頼まれていた、出世作『ワイルド・エンジェル』のスチール写真が目に入った。それは1台のバイクに、ピーターと共演者が跨っているものだった。 ピーターは、閃いた。1台のバイクに2人ではなく、2台のオートバイそれぞれに、1人の男が乗っていたら…。「はぐれ者ふたりが、バイクでアメリカを横断していく現代の西部劇」だ! 映画のアイディアが浮かんで、ピーターが電話を掛けた相手は、ホッパーだった。「それは凄いじゃないか!」と言ったホッパーは、続けて「それで一体どうしようっていうんだい?」と尋ねた。 ピーターは、自分がプロデューサーをやるから、ホッパーに監督をやって欲しいと伝えた。その方が、金の節約にもなる。 そこから2人は、随時集まってはとことん話し合った。そして決めたことをどんどんテープに吹き込んでいった。 アイディアを煮詰めていく最中、ピーターは1ヶ月ほど、『世にも怪奇な物語』(68)出演のため、ヨーロッパへと向かう。その間ホッパーとのやり取りは、手紙となった。 ある日ピーターの撮影現場に、脚本家のテリー・サザーン(1924~95)が、陣中見舞いに現れた。サザーンはピーターから、この企画の話を聞いて、協力を申し出た。 そしてサザーンの思い付きから、映画のタイトルが決まる。元は「売春婦とデキてて、ヒモじゃないけど女と一緒に暮らしてる奴」を意味するスラングだという。それが、『イージー・ライダー』だった。 ***** コカインの密輸で大金を得たワイアット(演:ピーター・フォンダ)とビリー(演:デニス・ホッパー)は、フル改造したハーレーダビッドソンを駆って、カリフォルニアから旅立つ。マリファナを吸いながら、向かう目的地は、“謝肉祭”の行われるルイジアナ州ニューオーリンズ…。 ***** トムとホッパーは、プロットを書いた8頁のメモしかない状態で、映画の資金を出してくれる、スポンサー探しを始める。ピーターが当初アテにした「AIP」は、これまでに撮影現場の内外で度々トラブルを起こしてきたホッパーに恐れをなして、出資を断わった。 結局スポンサーとなったのは、当時TVシリーズ「ザ・モンキーズ」(66~68)で大当たりを取っていたプロデューサーの、バート・シュナイダー。37万5,000㌦の資金を提供してくれることとなった。 そして『イージー・ライダー』は、68年2月23日にクランク・イン。この日は、ピーターの28歳の誕生日だった。 まだ脚本は完成しておらず、撮影機材も揃ってない状態だったが、まずは1週間のロケを敢行。“謝肉祭”で盛り上がるニューオーリンズの町中を、ピーターとホッパーが、娼婦2人を連れて練り歩くシーンと、その4人で墓地へと出掛けて、LSDによるバッドトリップを経験するシーンの撮影を行った。 撮影は初日から、“初監督”のプレッシャーを抱えたホッパーのドラッグ乱用によって、波乱含み。当初決まっていた撮影監督は、この1週間だけでホッパーとの仕事に嫌気が差して、現場を去った。 こうしたトラブルの一方でホッパーは、LSDトリップのシーンで、監督としての非凡な才を遺憾なく発揮。ピーター本人の内面に眠っていた、自殺した母への想いなどを、引き出してみせた。 最初の1週間を終えると、ピーターは脚本を仕上げるために、ニューヨークへ。ホッパーは、残りのシーンのロケハンへと向かった。ホッパーに言わせると、ピーターとテリー・サザーンが、結局1行たりとも脚本を書けなかったため、最終的に脚本は自分1人で仕上げたということなのだが、この辺りは証言者によって内容に食い違いがあるので、定かではない。 ***** ワイアットとビリーは、長髪に髭という風体もあって、安モーテルからも宿泊拒否され、行く先々で野宿を余儀なくされる。 旅先で心優しき人々と出会ったり、ヒッピーのコミューンで、安らぎの一時を送ることもあった。しかしちょっとしたことで、監獄にぶち込まれてしまう。 その監獄で、アル中の弁護士ジョージ・ハンセン(演:ジャック・ニコルソン)と出会う。彼の口利きで釈放された2人は、旅に同行したいというハンセンを乗せ、アメリカ南部の奥深い地域までやって来るが…。 ***** 最初の1週間で降りた撮影監督の代役には、当時B級映画の撮影を数多くこなしていた、ハンガリー出身のラズロ・コヴァックスが決まった。しかしもう1人、慌てて代役を見つけなければならない者がいた。 ジョージ・ハンセン役には、当初リップ・トーンが決まっていた。しかしギャラや脚本の手直しなどで折り合いがつかず、ホッパーと大喧嘩になって、降板。 その代役として、プロデューサーのバート・シュナイダーが推したのが、奇しくもピーター・フォンダと『白昼の幻想』で意気投合した、ジャック・ニコルソン。シュナイダーが製作総指揮を務めた、『ザ・モンキーズ 恋の合言葉HEAD!』(68)で、ニコルソンが脚本を書き、出演もしていた縁だった。『イージー・ライダー』の撮影中、ワイアットとビリーに遭遇する人々は、実際に各ロケ地で集めた人々を軸に、キャスティングされていた。その方が、おかしな出で立ちのよそ者に対する警戒心や嫌悪、敵意など、生の感情が引き出せるという、ホッパーの計算があった。 ジョージ・ハンセン役にしても、その流れなのか、ホッパーはトーンの代役には、テキサス訛りのできる田舎臭い人間を考えていたという。そのためニコルソンの起用には、猛反対。しかし渋々使ってみたところ、彼の演技はホッパーが、「最高」と認めざるを得ないものだった。 因みにワイアット、ビリー、ジョージの3人で焚き火を囲んで、マリファナを吸うシーンで、ニコルソン演じるジョージは、初体験のマリファナが、徐々にきいてくるという設定。ところが本物のマリファナを使っているこのシーンでは、何度もリテイクがあったため、ニコルソンは実際にはマリファナが相当きいていながら、しらふの状態を演じざるを得なくなったという。 ジョージは結局、3人で野営しているところを、彼らを敵視した近隣の住民に襲われて、いち早く命を落としてしまう。その直前に焚き火に当たりながら、彼がワイアットとビリーに話した内容は、本作の中で屈指の名セリフとなった。「連中はあんたが象徴する自由を怖がってるんだ」「自由について話すことと、自由であることは、まったく別のことだ。……みんなが個人の自由についてしゃべるけど、自由な個人を見ると、たちまち怖くなるのさ」 そして彼は、「怖くなった」者たちに、命を奪われてしまうわけである。残された2人も、ワイアットの「俺たちは負けたんだ」のセリフの後に、映画史に残る、衝撃的な最期を迎えることになるわけだが…。 2週間半の撮影が、終了。そして1年ほどの編集期間を経て、作品は完成に至った。 2台のバイクが疾走するシーンには、かの有名なステッペンウルフの「ワイルドでいこう!= Born to Be Wild」をはじめ、必ず既成のロック・ミュージックが掛かるが、これは当時としては斬新なスタイル。それぞれの曲の歌詞が、映画の中の主人公たちの行動と結びつけられており、またホッパーによって、音楽と画面が合うように編集されていた。 本作は69年5月、「カンヌ国際映画祭」に出品されると、「新人監督による作品賞」「国際エバンジェリ委員会映画賞」が贈られた。 そして7月14日。ニューヨークでの先行公開を皮切りに、大ヒットを記録。最終的に6,000万㌦以上の収益を上げた。これはそれまでのハリウッドの歴史上では、予算に対しての利益率が、他にないほど頭抜けた興行成績だった。 ヘンリー・フォンダはこの偉業に対して、「畏敬の念をおぼえる」と、プロデューサー兼主演を務めた、我が子を称賛。ピーター・フォンダは、長い間欲してやまなかったものを、遂に手にすることができたのだ。 デニス・ホッパーは、ハリウッド最注目の新人監督となって、本作以前に取り掛かろうとして頓挫していた、『ラストムービー』(71)の企画を本格的に動かすことに。これが彼のキャリアに長き低迷をもたらすことになるのだが、それはまた別の話。 一旦は俳優廃業も考えていたジャック・ニコルソンは、まさにこの作品を契機に、後にはアカデミー賞を3度受賞する、ハリウッド屈指の名優に育っていく。 作品自体は、いわゆる“アメリカン・ニューシネマ”の1本として、映画史にその名を刻み、1998年には、「アメリカ国立フィルム登録簿」に永久保存登録が決まった。 ピーターとホッパー、ニコルソンの3人が揃い踏みする“続編”的作品が、幾度か企画された。しかしその内2人が鬼籍に入り、1人が引退状態の今、もはやあり得ないお話である。 “リメイク”が進められているというニュースもあったが、1969年という時代にあの3人だったからこその“傑作”であった『イージー・ライダー』を、果してアップデートすることなど、可能なのだろうか?■ 『イージー・ライダー』© 1969, renewed 1997 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ウォーターワールド
ケヴィン・コスナー×デニス・ホッパー共演で贈る、史上空前のSFスペクタクル!
世界が海の底に沈んでしまった未来の地球。人々は皆、人工浮遊都市の上で生き延びていた。伝説の陸地を求め、海賊との壮絶な戦いに巻き込まれてゆく男の旅を描いた、近未来海上アクション・アドベンチャー。
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COLUMN/コラム2023.12.29
バイオレンス映画の巨匠ペキンパーが執念で撮りあげた遺作『バイオレント・サタデー』
キャリアのどん底だったペキンパー監督 ご存知、『ワイルド・バンチ』(’69)や『ゲッタウェイ』(’72)などの傑作アクションを大ヒットさせ、「バイオレンス映画の巨匠」として没後40年近くを経た今もなお、世界中で根強い人気を誇る映画監督サム・ペキンパー(1925~84)。その一方で、頑なに己の美学を追求するあまり映画会社やプロデューサーと度々衝突し、そのストレスもあってアルコールやドラッグに依存して問題行動を繰り返したため、扱いづらい監督として業界内に悪名を馳せたトラブルメーカーでもあった。 しかも『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』(’73)以降は興行的な失敗作が続き、そのうえ心臓にペースメーカーを入れるという健康問題も抱えていた。いくら才能があるとはいえ、商業映画を任せるにはリスクが高すぎるとして、映画会社やプロデューサーから敬遠されても仕方なかろう。実際、久しぶりに当たりを取った『コンボイ』(’78)が、自身のキャリアで最大の興行収入を稼ぎ出したにもかかわらず、それっきり仕事を干されてしまったペキンパー。そんな彼にとって、実に5年振りの監督復帰作となったのが、結果的に遺作ともなってしまったスパイ映画『バイオレント・サタデー』(’83)だ。 原作は「ジェイソン・ボーン」シリーズでもお馴染みのスリラー作家ロバート・ラドラムが、’72年に発表した小説「バイオレント・サタデー(旧邦題:オスターマンの週末)」。もともと映画化権はギミック映画の帝王ウィリアム・キャッスルが獲得し、主演にはチャールトン・ヘストンの名前も挙がっていたが実現しなかった。その後、ラリー・ジョーンズにマーク・W・ザヴィットというプロデューサー・コンビに権利が移ったものの、彼らもまた脚本の段階で手をこまねいていたらしい。要は原作小説を上手く映画用に翻案することが出来なかったのだ。 そんな折に知り合ったのが、若手プロデューサー・コンビのピーター・S・デイヴィスとウィリアム・N・パンザー。ジョーンズから「映画化権を手放そうと考えている」と聞いた2人は、ならば自分たちが買い取りたいと申し入れたのである。『ハイランダー 悪魔の戦士』(’86)に始まる「ハイランダー」シリーズをフランチャイズ展開したことで知られるデイヴィスとパンザーだが、しかし当時は『スタントマン殺人事件』(’77)や『超高層プロフェッショナル』(’79)などの低予算B級アクションが専門。2人はこれがAクラスのメジャー映画を作る絶好のチャンスだと考えたという。なにしろ、原作は人気ベストセラー作家の小説である。大手スタジオが企画に関心を示すだろうことは想像に難くなかった。 とりあえず、まずは脚本を準備せねばならない。そこでデイヴィスとパンザーは、小説の題材でもあるCIAやKGBなどスパイの世界に精通した専門家イアン・マスターズに脚本の土台を書かせ、そのうえでロバート・アルドリッチの『ワイルド・アパッチ』(’72)やアーサー・ペンの『ナイトムーブス』(’75)で知られる硬派な名脚本家アラン・シャープに仕上げを任せた。ただ、そのシャープ自身は脚本の出来に満足しておらず、まさか本当に映画化されるとは思わなかったそうだ。再び彼に声がかかったのは、それからおよそ2年後のこと。映画化にゴーサインが出たことをエージェントから知らされたシャープは、あのサム・ペキンパーが監督に抜擢されたと聞いて驚いたという。 実は当初から、企画会議でペキンパーの名前が挙がっていたらしい。確かに問題のある監督だが、しかし非情なスパイの世界を描いたハードなアクション映画という題材にはうってつけだし、なによりもB級映画製作者のイメージを払拭したいデイヴィスとパンザーにとっては、既に半ば伝説と化した巨匠ペキンパーのネームバリューは非常に魅力的だった。折しも、彼は恩師ドン・シーゲル監督のコメディ映画『ジンクス!あいつのツキをぶっとばせ!』(’81)の第二班監督として久々に現場復帰し、12日間という短いスケジュールではあったが問題なく撮影を完遂したばかり。少なくとも仕事は出来る状態だ。なおかつ、誰よりも本人が監督としてのカムバックを熱望していた。そこで一肌脱いだのがタレント・エージェントのマーティン・バーム。ペキンパーにとって最大の理解者であり協力者だったバームが、最後まで職務を全うさせるべくプロデューサーとの仲介役を務めることになったのである。 こうして現実となったサム・ペキンパーの監督復帰。その噂はすぐにハリウッド業界を駆け巡り、有名無名に関係なく大勢の俳優たちが出演を希望した。おかげでキャスティングは非常にスムース。ルトガー・ハウアーやジョン・ハートのような当時旬の役者から、バート・ランカスターのようなハリウッドのレジェンドまで、実に多彩な豪華キャストが揃うこととなった。しかも、彼らは普段より安いギャラでの出演契約に応じたという。「サムの健康状態はみんな知っていたから、これが遺作になるかもしれないと思った」と後に女優キャシー・イェーツが語っているが、恐らくペキンパー映画に出れるチャンスはこれが最後かもしれないと考えた人も多かったのだろう。そんなところからも、サム・ペキンパーというネームバリューの大きさが伺えよう。 ただその一方で、ペキンパーが監督に起用されたことでメジャー・スタジオからの資金提供は期待できなくなった。それゆえ、デイヴィスとパンザーは国外市場向けに配給権を先行販売するプリセールス、個人投資家からの投資などで製作費をかき集めなくてはならなかったという。これには良い面もあって、国外のディストリビューターは完成品を受け取るだけだし、投資家は最終的に利益さえ出ればオッケーなので、メジャー・スタジオのように作品内容について注文や横やりの入る心配がない。その代わり、予算とスケジュールは厳守せねばならず、その点においてペキンパーは不安要素が多かった。実際、本作でも脚本や編集を巡ってペキンパーとプロデューサー陣は対立することとなるのだが、それでも予算と納期だけはちゃんと守ったらしい。やはりペキンパーとしては、映画監督として健在であることを世に示す方が優先だったのだろう。 撮影は’82年11月~’83年1月にかけての約3カ月(実働54日間)、予算は前作『コンボイ』の1200万ドルを大きく下回る700万ドルと、実はそれほど大作映画というわけではなかったが、それでもアメリカ本国およびイギリス、日本ではメジャー・スタジオの20世紀フォックスが配給を担当。特にヨーロッパでの客入りは好調だったそうで、批評家からの評価はあまり芳しくなかったものの、しかし興行的には十分な成功を収めることが出来たのである。 トレードマークのスローモーションをフル稼働したバイオレンス描写 最愛の妻(メリート・ヴァン・カンプ)をソ連のKGBに殺されたCIA諜報員ローレンス・ファセット(ジョン・ハート)。実は、この暗殺事件は彼の上司であるダンフォース長官(バート・ランカスター)も関わっていたのだが、その事実を知らないファセットは復讐のため犯人捜しに乗り出し、その過程で米国内におけるソ連スパイの極秘ネットワーク「オメガ」の存在に気付く。彼が突き止めた「オメガ」のメンバーは3人。株式仲買人のジョセフ・カルドン(クリス・サランドン)、形成外科医のリチャード・トレメイン(デニス・ホッパー)、そしてTVプロデューサーのバーナード・オスターマン(クレイグ・T・ネルソン)である。彼らは大学時代からの親友で、いずれも金銭的な問題からKGBの協力者になったようだ。「オメガ」の全貌を解明し、米国内のソ連スパイ網を一網打尽にすべきだと主張するファセット。ダンフォース長官は何食わぬ顔でミッションを許可する。 ファセットの考えた計画はこうだ。3人の裏切り者を逮捕するだけでは、「オメガ」の全貌を暴くのは難しいだろう。それよりも、彼らの全員もしくは1人でも寝返らせ、本人の意思でCIAの捜査に協力させた方が得策だ。そこでファセットが白羽の矢を立てたのは、3人の共通の親友である有名なテレビ・ジャーナリスト、ジョン・タナー(ルトガー・ハウアー)だ。正義感の強い熱烈な愛国者のタナー。彼が司会を務めるトーク番組は、アメリカのタブーにズバズバと斬り込んで大変な人気を博している(「愛国=国家の健全化や国民の利益のために政府の悪事や不正を暴く」という姿勢は、昨今の某国の欺瞞に満ちた疑似愛国者様たちとは大違いですな!)。弁の立つ彼ならば、友人たちを説得することも出来るだろうと踏んだのだ。ファセットから詳しい事情を説明されても、まさか親友たちがソ連のスパイだとはにわかに信じられないタナー。しかし、動かぬ証拠となる監視カメラ映像を見せられ、CIAの作戦に力を貸すことにする。交換条件はダンフォース長官の独占TVインタビューだ。 タナーと親友たちは年に1回、誰かの自宅に夫婦で集まって、仲良く週末を過ごすという習慣がある。それを彼らは、発起人の名前にあやかって「オスターマンの週末」と呼んでいた。今年はL.A.郊外にあるタナーの大豪邸で開かれることに。そこで、CIAはタナー宅の各所に監視カメラを仕込んでゲストたちの行動を逐一監視し、裏山の中継車に隠れたファセットがそれを見ながらタナーに指示を出すことになる。家族に身の危険が及ぶことを恐れたタナーは、妻アリ(メグ・フォスター)と息子スティーヴ(クリストファー・スター)を旅行へ行かせようとするが、しかしかえってKGBの工作員に妻子が狙われる羽目となり、ファセットの助言に従って家族も一緒に週末を過ごすことにする。何も知らずに集まってくるゲストたち。トレメインとコカイン中毒の妻ヴァージニア(ヘレン・シェイヴァー)、カルドンと計算高い妻ベティ(キャシー・イェーツ)、そして唯ひとり独身のオスターマン。緊張しつつも友人たちを説得するチャンスを窺っていたタナーだが、しかし事態は全く予想しなかった方向へと展開していく…。 東西冷戦の時代を背景に、表向きは対立しているはずの米ソ諜報機関が実は裏で繋がっており、お互いの利益のために持ちつ持たれつの関係をキープしている。そうした中、有名ジャーナリストが東側陣営の協力者を西側へ寝返らせようというCIAの極秘作戦に関わったところ、この作戦自体が実は目くらまし的な茶番劇で、その仕掛人には全く別の思惑があった…というお話。切り抜かれた映像や断片的な情報を巧みに利用したプロパガンダや印象操作の危険性は、SNSが発達した21世紀の現在の方がより説得力を持つだろう。そういう意味で非常に興味深い映画ではあるのだが、惜しむらくは多重構造的で複雑なプロットの交通整理が上手く出来ていないこと。アラン・シャープ自身が指摘する通り、欠点の目立つ脚本と言わざるを得ないだろう。そこはペキンパーも同意見だったようで、脚本の出来に不満を漏らしていたとも伝えられる。しかし、それでも本作の演出を引き受けたのは、ひとえに「なんとしてでも現役復帰したい」という執念ゆえだったのかもしれない。 恐らく、だからなのだろう。スローモーションをたっぷり使って描かれる、銃撃戦やカーチェイスなどの派手なアクション・シーンの数々は、さながら「ザ・ベスト・オブ・ペキンパー」の赴き。おのずと『ワイルド・バンチ』や『ゲッタウェイ』といった代表作を思い浮かべるファンは少なくなかろう。脚本の欠点を得意のバイオレンス描写で補おうという狙いもあったに違いない。 巨匠のもとに集まって来た名優たち 主人公タナー役のルトガー・ハウアーは、これがハリウッドでの初主演作。母国オランダで主演したポール・ヴァーホーヴェン監督の『女王陛下の戦士』(’77)や『SPETTERS/スペッターズ』(’80)がアメリカでも評判となり、当時は『ナイトホークス』(’81)と『ブレードランナー』(’82)の悪役でハリウッド進出したばかりだった。本作はペキンパー監督直々のご指名。オーディションどころかカメラテストすらナシで出演が決まり、そのうえペキンパーからは「どれでも好きな役を演じていい」と言われたのだそうだ。よっぽど気に入られたのだろう。そこで彼が選んだのがタナー役。当時は悪役が続いていたため、「また悪役を演じても面白みがないだろう」ということで、あえてタイプキャストから外れたヒーロー役に挑んだのである。 ちなみに、冒頭でファセットの妻を演じているブロンド美女メリート・ヴァン・カンプは、ハウアーと同じくオランダ出身の元ファッションモデル。これが女優デビューだったそうで、本作の直後にはリンゼイ・ワグナーやステイシー・キーチ、クラウディア・カルディナーレなどの豪華スター陣と共演した、テレビの大型ミニシリーズ『プリンセス・デイジー』(’83)のヒロイン役に大抜擢されている。 一方、悪い奴ばかり出てくる本作の中でも最大の悪人がCIA長官ダンフォース。演じるバート・ランカスターは、反権力志向の強い筋金入りの左翼リベラルだ。そのため、『カサンドラ・クロス』(’76)のマッケンジー大佐や『狂える戦場』(’80)のクラーク将軍など、アメリカの欺瞞や矛盾を体現するような権力者を好んで演じていたが、本作のダンフォース長官もそのひとつと言えよう。そのほか、『ミッドナイト・エクスプレス』(’78)や『エレファント・マン』(’80)で高い評価を得たジョン・ハートに『狼たちの午後』(’75)でオスカー候補になったクリス・サランドン、『イージー・ライダー』(’69)のデニス・ホッパーと豪華名優陣が脇を固める中、ちょっと意外なのがクレイグ・T・ネルソンだ。 オカルト映画『ポルターガイスト』(’82)シリーズの父親役で知られるネルソンだが、しかし映画での代表作はそれくらい。後に大ヒット・シットコム『Coach』(‘89~’97・日本未放送)でエミー賞の主演男優賞に輝くものの、当時はほぼ無名に近い地味な脇役俳優だった。そんな彼は、当時ドキュメンタリーのナレーションを吹き込むため、L.A.市内のサンセット・ゴウワー・スタジオにいたのだが、そこで偶然にもサム・ペキンパーを見かけたのだという。というのも、同スタジオは本作の屋内シーンの撮影場所。ペキンパーはその下準備のために訪れていたのだ。憧れのペキンパー監督が目の前にいる。しかも新作を撮るらしいじゃないか。そこでネルソンは思い切ってペキンパーに自らを売り込み、おかげで見事にオスターマン役をゲットしたのである。とはいえ、周りを見回せば名のある俳優ばかり。やはり初めのうちは居心地の悪さを覚えたようだ。 女優陣で最も印象深いのはタナーの妻アリ役のメグ・フォスター。’70年代から低予算のインディーズ映画をメインに活躍していた彼女は、主演ドラマ『女刑事キャグニー&レイシー』(‘82~’88)のキャグニー役を、たったの6話で降ろされたばかりだった。そのフォスターの無名時代のパートナーは、ペキンパー監督の『昼下がりの決斗』(’62)で若者ヘックを演じた俳優ロン・スター。2人の間に出来た息子が、本作で彼女の息子役を演じているクリストファー・スターだった。そのことをオーディションでペキンパーに話したところ、親子揃って抜擢されたのだそうだ。なお、ベティ役のキャシー・イェーツは、ペキンパーの前作『コンボイ』に引き続いての登板である。 もともとペキンパー監督自身のディレクターズ・カットは2時間近くあったものの、しかし無駄なシーンや意味不明な映像処理が目立つとして、プロデューサー陣の判断で100分強に再編集されてしまった。『ダンディー少佐』(’65)や『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』でも同じような目に遭ったペキンパーは「またかよ!忌々しいプロデューサーどもめ!」と憤慨したそうだが、とにもかくにも映画監督復帰という目標は見事に果たしたのである。その後、ジュリアン・レノンのヒット曲「ヴァロッテ」と「トゥー・レイト・フォー・グッドバイ」でミュージック・ビデオの演出に初挑戦し、次回作『On The Rocks』の準備も進めていたというペキンパー監督だが、しかし惜しくも心不全のため’84年12月28日に帰らぬ人となってしまった。■ ◆『バイオレント・サタデー』撮影中のサム・ペキンパー監督 『バイオレント・サタデー』© 1983 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
地獄の黙示録【4Kレストア版】
[PG12]コッポラ監督のベトナム戦争映画の最高傑作。カンヌ国際映画祭では最高賞パルムドールを受賞
フランシス・フォード・コッポラ監督がベトナム戦争を舞台にその暴力性と狂気を描いた、映画史に残る戦争映画の金字塔。カンヌ国際映画祭パルムドール受賞。オリジナル劇場公開版の4Kレストア版。
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COLUMN/コラム2023.04.27
巨匠コッポラのパーソナルな想いが込められた青春映画の傑作『ランブルフィッシュ』
『アウトサイダー』に続くS・E・ヒントン原作の映画化 ‘80年代青春映画の金字塔『アウトサイダー』(’83)を大成功させたフランシス・フォード・コッポラ監督が、文字通り矢継ぎ早に送り出した青春映画『ランブルフィッシュ』(’83)。どちらも原作はS・E・ヒントンが書いたヤングアダルト小説で、マット・ディロンにダイアン・レインという主演キャストの顔合わせも同じ、オクラホマ州タルサに住む貧しい不良少年たちの青春模様を描いたストーリーも似ていたが、しかし両者の最終的な仕上がりはまるで対照的だった。 ハリウッド王道のメロドラマ的な青春映画である『アウトサイダー』に対し、『ランブルフィッシュ』はフランスのヌーヴェルヴァーグ作品を彷彿とさせるクールなアート映画。そもそも、前者は色鮮やかなカラー映画だが、後者はフィルムノワール・タッチのダークなモノクロ映画だ。『アウトサイダー』の記憶があまりに鮮烈だったこともあって、劇場公開時は全く毛色の違う本作に戸惑った観客は少なくなかった。筆者もそのひとりなのだが、しかしこのシュールかつマジカルで神話的な世界観には、なんとも心を捉えて離さない不思議な魅力がある。あれから既に40年近く。改めて両作品を見直すと、『アウトサイダー』はどこか時代に色褪せてしまった感が否めないものの、しかし『ランブルフィッシュ』は今なお圧倒的に新鮮で刺激的でカッコいい。コッポラが「自分の映画の中で最も好きな作品のひとつ」というのも頷けるだろう。 地方都市タルサの荒廃した下町。不良少年グループのリーダー、ラスティ・ジェームス(マット・ディロン)がプールバーでビリヤードに熱中していると、そこへ白いスーツに身を包んだ若者ミジェット(ローレンス・フィッシュバーン)が訪れ、敵対グループのリーダー、ビフ(グレン・ウィスロー)からのメッセージを伝える。今夜10時に例の橋のたもとに来い。さもなければぶっ殺す。要するに決闘の果たし状だ。待ってましたとばかりに挑戦を受けたラスティ・ジェームスは、幼馴染みのスティーヴ(ヴィンセント・スパーノ)や右腕のスモーキー(ニコラス・ケイジ)ら仲間たちに声をかける。 昔は不良グループ同士の喧嘩沙汰など日常茶飯事だった。久しぶりにかましてやるぜ!と鼻息を荒くするラスティ・ジェームスだが、しかし仲間たちはいまひとつ気乗りしない様子だ。そもそも、決闘はモーターサイクル・ボーイ(ミッキー・ローク)が禁止したはずだ。モーターサイクル・ボーイとはラスティ・ジェームスの兄貴で、かつて地元の不良たちの誰もが尊敬して恐れた伝説のリーダー。しかし、2カ月前に忽然と姿を消したまま音沙汰がなかった。今はこの俺がリーダーだ。幼い頃から兄貴を尊敬してやまないラスティ・ジェームスは、たとえモーターサイクル・ボーイの言いつけを破ってでも、自分が後継者として相応しいことをみんなに証明したかったのである。 集合する時間と場所を確認して仲間と別れたラスティ・ジェームスは、恋人パティ(ダイアン・レイン)の家を訪ねる。心優しくて気さくな普通の少年の顔を覗かせるラスティ・ジェームス。俺も兄貴みたいになりたいんだとこだわる彼に、パティはもっと自分の良さを大切にするよう諭すが、しかし頑ななラスティ・ジェームスは聞く耳を持たない。そしていよいよ決闘の時間。仲間たちが次々と集まる中、ビフの一味も現場へと到着し、たちまち不良少年同士の大乱闘が始まる。凄まじい気迫でビフをボコボコにするラスティ・ジェームス。すると、そこへ消息不明だったモーターサイクル・ボーイが突然現れ、呆気に取られて立ち尽くしたラスティ・ジェームスは、その隙を狙ったビフに腹を切りつけられて怪我を負う。 負傷したラスティ・ジェームスを介抱するモーターサイクル・ボーイとスティーヴ。意識を取り戻したラスティ・ジェームスは、以前とはまるで別人になってしまった兄貴に困惑する。色覚異常があって色を識別できず、さらに軽度の聴覚障害も患っているモーターサイクル・ボーイは、もともと一種独特の近寄りがたい雰囲気を持っていたが、今ではすっかり物静かで穏やかな人物になっていた。いったいどうしちまったんだ。戸惑いを隠せないラスティ・ジェームスに、飲んだくれの父親(デニス・ホッパー)が言う。みんなモーターサイクル・ボーイのことを誤解している。あいつは生まれてくる場所を間違えただけだと。その意味を理解できないラスティ・ジェームスは、兄貴が家出した母親の行方を探してロサンゼルスへ行っていたことを知る。カリフォルニアはいいぞ。そう呟くモーターサイクル・ボーイ。夢も希望もない地元のスラム街を初めて出て、外の広い世界を知ってしまった彼の中で、何かが大きく変化していたのだ…。 ヨーロッパの名匠たちに影響を受けたティーン向けのアート映画 生まれ育ったスラム街の劣悪な環境に縛られ、自分も兄貴と同じ道を歩む宿命にあると頑なに信じ込んでいた若者が、人生には様々な可能性と選択肢があること、自分らしい人生を自分の意思で選ぶ自由があることに気づくまでを描いた作品。そのことをひと足早く悟った兄貴モーターサイクル・ボーイは、しかしそれゆえに自分が人生の大切な時間を浪費してしまったという現実にもぶち当たる。もっと早く気づけばよかった。自分はもう手遅れかもしれないが、しかしまだ10代の弟ならきっと間に合うはずだ。彼はそのことをラスティ・ジェームスに伝えるため、わざわざ故郷へと戻ってきたのだ。 若いうちは時間なんていくらでもある。どれだけ無駄に過ごしたって平気のへっちゃら。大人になってようやく初めて、人生の時間には限りがあると気づくのさ。劇中でトム・ウェイツ演じるプールバーの店主ベニーが呟く独り言は、まさにそのまま本作のテーマだと言えよう。それゆえ、本作は全編を通して「時間」が重要なモチーフとなっている。足早に流れる空の雲、急速に伸びていく非常階段の影、画面のあちこちに登場する大小の時計、時を刻むようなリズムの実験的な音楽。それらの全てが、登場人物たちの知らぬ間に過ぎ去って行く時間の速さを象徴しているのである。 その実存主義的なテーマを孕んだストーリーには、コッポラ監督が青春時代に見て強い感銘を受けたという、ミケランジェロ・アントニオーニやイングマール・ベルイマンなどのヨーロッパ映画と相通ずるものを見出せるが、中でも主人公ラスティ・ジェームスが生まれて初めて海岸を目の当たりにするクライマックスが象徴するように、フランソワ・トリュフォーの名作『大人は分かってくれない』(’59)からの影響は見逃せないだろう。また、被写体を歪んだ角度から捉えたり、陰影を極端に強調したりしたスタイリッシュなモノクロ映像は、『カリガリ博士』(’20)を筆頭とするドイツ表現主義映画に倣っている。どうやらコッポラ監督は、こうしたヨーロッパの芸術映画群から自身が若い頃に受けた驚きや感動を、本作を通じて’80年代の若者たちにも伝えたいと考えたそうだ。彼が『ランブルフィッシュ』を「ティーンエイジャー向けのアート映画」と呼ぶ所以だ。 そのコッポラ監督がS・E・ヒントンの原作を初めて読んだのは、実は『アウトサイダー』の製作に着手してからのことだったという。そもそも『アウトサイダー』の企画自体が彼の発案ではなく、原作のファンである中学生たちから「コッポラ監督に映画化して欲しい」との署名を渡されたことがきっかけ。実は、それまでヒントンの小説を一冊も読んだことがなかったのである。『アウトサイダー』の製作準備を進める合間に本作の原作を読んだコッポラ監督は、『アウトサイダー』よりもこちらこそ自分が本当に映画化したい作品だと感じたという。その最大の理由は主人公兄弟の関係性だ。 頭が良くて人望のある兄モーターサイクル・ボーイに羨望の眼差しを向け、自分もああなりたいけれどなれない現実に焦りと葛藤を抱えたラスティ・ジェームス。それは、少年時代のコッポラ監督そのものだったらしい。コッポラ監督よりも5つ年上の兄オーガスト(ニコラス・ケイジの父親)は、ヘミングウェイの論文などで知られる研究者であり、カリフォルニア州立大学の理事やサンフランシスコ州立大学芸術学部の学部長も務めたインテリ知識人。少年時代のコッポラ監督にとって優秀な兄は憧れであると同時に、どう頑張っても乗り越えられない壁でもあったそうだ。コッポラ監督は原作を読んで、これは自分と兄の物語だと感じたという。本編のエンドロール後に「この映画を、私の最初にして最良の師である兄オーガスト・コッポラへ捧ぐ」と記されているのはそのためだ。 念願だった役柄を手に入れたマット・ディロンの好演 かくして、『アウトサイダー』の撮影と並行して、原作者S・E・ヒントンと共同で脚本を書き進め、クランクアップの2週間後には『ランブルフィッシュ』の製作に取り掛かっていたというコッポラ監督。半年に渡って取り組んできた『アウトサイダー』とはかけ離れた映画にしたい。そう考えた彼は、色覚異常というモーターサイクル・ボーイの設定に着目し、全編をモノクロで撮影することにした。そもそも、舞台となるスラム街も主人公ラスティ・ジェームスも、いわばモーターサイクル・ボーイの多大な影響下にあるわけだから、劇中の世界全体が彼の色=モノクロに染まっていることは理に適っているだろう。 その中にあって、タイトルにもなっている「ランブルフィッシュ(=闘魚)」だけは鮮やかな色がついている。狭い水槽の中に閉じ込められ、お互いに殺し合う魚たちは、いわばラスティ・ジェームスやモーターサイクル・ボーイの心理的なメタファーだ。そして、最終的にラスティ・ジェームスが兄の呪縛から解き放たれた時、映画の世界は一瞬だけだがフルカラーになる。すぐ元のモノクロの世界へ戻ってしまうのは、恐らくこれがラスティ・ジェームスの人生において、新たな一歩の始まりに過ぎないことを示唆しているのかもしれない。つまり、今度は彼自身が自分の色で自分の世界を染めていくのだ。 ちなみに、現在のようなデジタル加工技術が存在しなかった当時、どうやってランブルフィッシュだけに色を付けたのかというと、その仕組みは意外と簡単。例えば、ラスティ・ジェームスとモーターサイクル・ボーイが水槽の魚を眺めるシーンは、先にモノクロ撮影した俳優たちの映像を背景のスクリーンに投影し、カメラの手前に魚の入った水槽を設置してカラー撮影している。いわゆるバック・プロジェクションというやつだ。 劇中ではチンピラに頭を殴られたラスティ・ジェームスが気を失い、幽体離脱の臨死体験をするシーンも印象的だが、この撮影トリックも実は非常にシンプル。なるべくリアルな映像を撮りたいと考えたコッポラ監督は、フィルム合成やワイヤーの使用は避けたかったという。そこで、ラスティ・ジェームスを演じるマット・ディロンの胴体から型抜きした人体固定用の特製ボディスーツを制作し、それをクレーンや電動式伸縮ポールの先端にセッティング。撮影の際にはマット・ディロンの胴体をそこにはめて固定し、その上から衣装を着用して動かすことで、幽体離脱したラスティ・ジェームスの体が空中を浮遊する様を再現したのである。 そのラスティ・ジェームスを演じるマット・ディロンは、ティム・ハンター監督の『テックス』(’82)を含めると、S・E・ヒントン原作の映画に出演するのはこれが3作目。彼自身、高校時代に授業をさぼってヒントンの小説を読み漁ったほどの大ファンで、中でも『ランブルフィッシュ』の原作は一番のお気に入りだったという。そのため、『テックス』の出演が決まって原作者ヒントンと初めて面会した際には、もしも「ランブル・フィッシュ」が映画化されることになったらラスティ・ジェームスを自分にやらせて欲しいと願い出ていたのだとか。まさに念願の役柄だったわけだが、これが実によくハマっている。粗暴なワルを気取った繊細で優しい少年という設定こそ『アウトサイダー』で演じたダラスと似ているのだが、しかし不良少年グループの兄貴分だったダラスに対して、こちらのラスティ・ジェームスは大好きな兄貴を慕うピュアな弟。どこか愛情に飢えた孤独な子供のようなディロンの個性は、実はこのような弟キャラでこそ真価を発揮する。なお、ラスティ・ジェームスとは原作者ヒントンが飼っていた猫の名前から取られたのだそうだ。 モーターサイクル・ボーイ役のミッキー・ロークは、『アウトサイダー』でダラス役のオーディションを受けたものの年齢を理由に不合格となったのだが、その時のことを覚えていたコッポラ監督に声をかけられて本作への出演が決まった。そういえば、原作でも映画版でもモーターサイクル・ボーイの本名に言及されていないのだが、原作者ヒントンによれば、これは彼がある種の神話的な存在だからなのだという。地元の不良少年たちにとって伝説的なヒーローである彼は、いわばローカル神話における神様のようなもの。そして、神様に本名など必要ないのである。 そのモーターサイクル・ボーイにぞっこんな元恋人カサンドラ(ダイアナ・スカーウィッド)は、誰からも信じてもらえない呪いをかけられたギリシャ神話の預言者カサンドラがモデル。また、原作に出てこない黒人の若者ミジェットは、ギリシャ神話における夢と眠りの神であり、死へ旅立つ者の道先案内人ヘルメスの役割を果たしている。このキャラは『地獄の黙示録』(’79)でローレンス・フィッシュバーンを気に入ったコッポラ監督が、彼のためにアテ書きしたのだそうだが、同時にこの物語の本質が神話であることを監督自身もよく理解していたのだろう。 なお、『テックス』では学校教師役、『アウトサイダー』では病院の看護師役でカメオ出演していた原作者ヒントンだが、本作では黒人居住地区の繁華街でラスティ・ジェームスとスティーヴに声をかける売春婦役で顔を出している。 全米では『アウトサイダー』の劇場公開から約7ヶ月後の’83年10月に封切られた『ランブルフィッシュ』。先述したように「ティーンエイジャー向けのアート映画」を志したわけだが、しかしそのティーンエイジャーを集めた一般試写での反応は芳しくなかったという。観客からは「理解できない」との感想が多かったそうだが、なにしろ当時はスピルバーグ映画やスラッシャー映画の全盛期、恐らくアート映画とは無縁の平均的なアメリカの若者には、ちょっと前衛的過ぎたのかもしれない。それでも、数あるコッポラ監督作品の中でも本作は間違いなくベストの部類に入る。「自分の昔の映画を見直すとダメなところばかりに目が行くが、この映画は奇跡的にも殆どが思い通りに上手くいった」というコッポラの言葉が全てを物語っているだろう。■ 『ランブルフィッシュ』© 1993 Hot Weather Films. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
バイオレント・サタデー
[R15+相当]TVキャスターが巻き込まれた陰謀とは?サム・ペキンパー監督の遺作となったサスペンス
サム・ペキンパー監督がスパイ小説の大家ロバート・ラドラムのベストセラーを映画化した遺作。ルトガー・ハウアーら個性派俳優を集めてアクションも織り交ぜ、陰謀劇メインの原作にペキンパー流の味付けをしている。
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COLUMN/コラム2022.08.04
ハリウッドの反逆児デニス・ホッパーによるフィルム・ノワールへのオマージュ『ホット・スポット』
‘80年代半ばから静かに盛り上がったネオ・ノワール映画ブーム 名優デニス・ホッパーが監督を手掛けたネオ・ノワール映画である。かつて’40年代半ば~’50年代にかけて黄金時代を迎えた犯罪映画のサブジャンル、フィルム・ノワール。ローキー照明で明暗のコントラストを強調し、トリッキーなカメラアングルや悪夢的なイメージを多用するなど、ドイツ表現主義の影響を色濃く受けたスタイリッシュなモノクロ映像が特徴的な当時のノワール映画群は、犯罪の世界を通してアメリカ社会や人間心理のダークサイドをシニカルな視点で見つめ、『深夜の告白』(’44)や『ローラ殺人事件』(’44)、『ギルダ』(’46)、『裸の街』(’48)、『アスファルト・ジャングル』(’50)、『黒い罠』(’58)などの名作を生んだわけだが、しかし’60年代に入ると急速に衰退してしまう。これは恐らく、ケネディ大統領暗殺やベトナム戦争の激化によって、映画よりも実際のアメリカ社会の方が暗くなってしまったからかもしれない。 そんなフィルム・ノワールのジャンルが再び台頭したのは’70年代に入ってからのこと。やはりきっかけはロマン・ポランスキーの『チャイナタウン』(’74)であろう。これが大ヒットしたことによって、『さらば愛しき女よ』(’75)や『ザ・ドライバー』(’78)などのノワール映画が注目を集めたのである。こうした作品は古典的なノワール映画の重要なエッセンスを継承しつつ、時代に合わせたテーマやカラー映画の特性を生かした映像スタイルなどのアップデートが施されたことから、古き良きモノクロのノワール映画とは区別してネオ・ノワール映画と呼ばれる。 さらに『アメリカン・ジゴロ』(’80)や『白いドレスの女』(’81)、『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(’81)の相次ぐ大成功によって、ネオ・ノワール映画はハリウッドのメインストリームに。特に’80年代半ば~’90年代初頭は同ジャンルの全盛期だった。『白と黒のナイフ』(’85)に『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(’85)、『ブルーベルベット』(’86)、『エンゼル・ハート』(’87)、『ブラック・ウィドー』(’87)、『フランティック』(’88)、『ブラック・レイン』(’89)に『シー・オブ・ラブ』(’89)、『グリフターズ/詐欺師たち』(’90)、『氷の微笑』(’92)などのネオ・ノワール映画が商業的な成功を収め、『大時計』(’48)が元ネタの『追いつめられて』(’87)や『都会の牙』(’50)が元ネタの『D.O.A.』(’88)など、往年の古典的ノワール映画のリメイクもこの時期に相次いだ。『チャイナタウン』の続編『黄昏のチャイナタウン』(’90)が作られたのも象徴的であろう。 また、MTVブームによって火の付いたミュージック・ビデオには、ノワール映画のスタイリッシュなビジュアルに影響を受けたものが多かった。『特捜刑事マイアミ・バイス』(‘84~’89)や『ツイン・ピークス』(‘90~’91)といったテレビ・シリーズのヒットも、ネオ・ノワール映画人気の副産物だったように思う。その『特捜刑事マイアミ・バイス』でブレイクした俳優ドン・ジョンソンが主演を務め、『ブルーベルベット』でキャリア復活したデニス・ホッパーが監督した本作もまた、こうしたトレンドの申し子的な作品だったと言えるだろう。 観客を映画の世界へと引きずり込むミステリアスなムード それは、とある暑い夏の日のこと。南部テキサス州の田舎町にハリー・マドックス(ドン・ジョンソン)という謎めいた流れ者がやって来る。ジョージ・ハーショウ(ジェリー・ハーディン)の経営する中古車販売店のセールスマンとして雇われた彼は、同店で事務員として働く19歳の清楚な美女グロリア(ジェニファー・コネリー)に惹かれるのだが、その一方でハーショウの若く妖艶なトロフィー・ワイフ、ドリー(ヴァージニア・マドセン)の誘惑にも抗えず、いつしかドリーとの激しい情事に溺れていく。 そんな折、中古車販売店の近くで火事が発生し、ハリーは町の銀行に勤める職員が消防士を兼ねていることを知る。そこで彼は空きビルに時限発火装置を仕掛けて火災を起こし、職員が出払っている隙を狙って銀行強盗を決行。留守番をしている支店長ウォード(ジャック・ナンス)を縛り上げ、まんまと大金を強奪することに成功する。何食わぬ顔をして消火活動を手伝うハリーだったが、誰もいないはずのビルに人が残されていたことから救助に向かい、かえって警察から怪しまれてしまう。保安官(バリー・コービン)に逮捕されて尋問を受けるハリー。しかし、警察に入ったアリバイ証言の通報で釈放される。証言主はドリー。ハリーが銀行強盗犯であることに気付いていた彼女は、これをネタに夫殺しを持ち掛けて来るものの、さすがのハリーも殺人は躊躇するのだった。 一方、ハリーはグロリアが町はずれに住むチンピラ、フランク・サットン(ウィリアム・サンドラー)に脅迫されていることを知る。かつてグロリアにはアイリーン(デブラ・コール)という姉妹同然の親友がいたのだが、学校の女教師と同性愛の関係にあったことをネタにサットンから脅迫され自殺していた。そしてグロリア自身もまた、アイリーンと全裸で川遊びしている姿をサットンに盗撮され、その写真をネタに金銭を要求されていたのだ。グロリアと本気で愛し合うようになっていたハリーは、サットンのもとへ乗り込んで彼に暴行を加え、脅迫をやめさせようとしたところ、勢い余って殺害してしまう。そこでハリーは銀行から奪った金を彼の自宅に仕込み、サットンを犯人に仕立てて警察の目を欺き、愛するグロリアを連れてカリブへ高跳びしようと目論むのだったが…? まるで’50年代で時の止まったような古き良きアメリカの田舎町。その裏側で秘かに蠢く犯罪の影、曰くありげなヒーローに怪しげなファムファタール、掴み損ねた夢とほろ苦い結末。ホッパーが出演した『ブルーベルベット』ともどことなく相通じる、古典的なフィルム・ノワールの香りがプンプンと漂う。むせかえるように暑いアメリカ南部の気だるい昼下がりと、ブルーやピンクの鮮烈なカラー照明に彩られた夜間シーンの対比が、およそ非現実的でミステリアスなムードを醸し出し、見る者を否応なく映画の世界へと誘っていく。冒頭で砂漠の向こうから車で現れた主人公ハリーが、再び車に乗って蜃気楼の向こうへと去っていくラストも非常に寓話的だ。 監督としての前作『ハートに火をつけて』(’89)でもノワーリッシュな世界に挑んだホッパーだが、長回しを多用したスローなテンポやスタイルを重視した様式美的な演出を含め、本作はより本格的で洗練されたネオ・ノワール映画に仕上がっている。マイルス・デイヴィスやタジ・マハール、ジョン・リー・フッカーら豪華ミュージシャンを演奏に迎えた、ジャック・ニッチェのブルージーで激渋な音楽スコアも最高。若い頃に俳優として、ニコラス・レイやヘンリー・ハサウェイといったノワール映画の名匠たちとも仕事をしていたホッパーにとって、これはそうした偉大なる先人たちへのオマージュでもあったように思う。初監督作『イージー・ライダー』(’69)でニューシネマの時代の到来を決定づけたハリウッドの反逆児が、リアルタイムでは一部を除き低予算のB級映画として過小評価されがちだったフィルム・ノワールに敬意を表するのは、ある意味で必然だったと言えるかもしれない。 撮影の始まる3日前に脚本が丸ごと差し替え! ただし本作、実はもともとデニス・ホッパーの企画ではなかったという。原作はアメリカのハードボイルド作家チャールズ・ウィリアムズが、’53年に発表したパルプ小説「Hell Has No Fury」。’81年に再出版された際に「The Hot Spot」と改題されている。当初監督する予定だったのは、後に『リービング・ラスベガス』(’95)でオスカーを席巻するイギリス出身のマイク・フィギス。母国で撮ったネオ・ノワール映画『ストーミー・マンデー』(’88)で注目され、当時ハリウッド進出を準備していたフィギスだったが、何らかの理由で本作を降板することとなり、『背徳の囁き』(’90)でハリウッド・デビューしている。その後釜として起用されたのがホッパーだったというわけだ。主演のドン・ジョンソンによると、脚本もフィギスの書いたものが既に存在していたが、しかし撮影の3日前になって突然、ホッパーから新しい脚本がキャスト全員に配られたらしい。 その新しい脚本というのが、原作者のウィリアムズ自身がノラ・タイソンと共同で脚色を手掛けたもの。少なくとも’62年には完成しており、一度はロバート・ミッチャム主演で映画化も企画されたそうだが、結局お蔵入りになったまま長いこと放置されていた。それをホッパーが引っ張り出してきて、銀行強盗に焦点を当てたフィギスの脚色と丸ごと差し替えたのである。撮影直前に脚本の内容が加筆修正されるなどはよくある話だが、しかし同じ小説を基にしているとはいえ、全く新しい脚本に変更されるというのは恐らく稀なケースであろう。 キャストには『特捜刑事マイアミ・バイス』の最終シーズンを撮り終えたばかりのドン・ジョンソンに加え、ヴァージニア・マドセンにジェニファー・コネリーという当時売れっ子の若手スター女優を配役。中でも白眉なのは、美しくも堕落したファムファタール、ドリーを演じているヴァージニアであろう。ネオ・ノワール映画『スラム・ダンス』(’87)でも悪女役に挑んだヴァージニアだが、本作では何不自由のない田舎暮らしに退屈して刺激を求める裕福な若妻を、少々大袈裟とも思えるような芝居で演じている。この「過剰さ」こそが実はキモであり、ある種の非現実的で悪夢的な本作のトーンを、ドリーという背徳的なバービードールが体現しているのだ。この役を演じるにあたって、『深夜の告白』のバーバラ・スタンウィックをお手本にしたというヴァージニア。劇中で着用するアンクレットもスタンウィックを真似したのだそうだ。 一方のジェニファー・コネリーは、往年のノワール映画であればテレサ・ライトやアン・ブライスが演じたであろう清楚な隣のお嬢さんグロリア役。当初、ホッパーはユマ・サーマンを候補に挙げていたらしいが、しかし『ダルク家の三姉妹』(’88)を見て一目惚れしたジェニファーに白羽の矢を当てたという。そういえば、本作の撮影監督ウエリ・スタイガーも、『ダルク家の三姉妹』がきっかけで起用したのだそうだ。なお、本作はヴァージニアとジェニファーがヌード・シーンを披露したことでも話題になったが、2人とも後姿の全身ショットはボディダブルを使っている。 ちなみに、主なロケ地となったのはテキサス州の田舎町テイラー。ここは本作の撮影から30年以上を経た今でもまだ’50年代の面影を残しているそうで、古き良きアメリカの田舎を体現するにはうってつけの町だったようだ。また、一部のシーンは州都オースティンでも撮影。例えば、ストリップ・クラブの外観はテイラーで現在も営業するメキシコ料理店を使用しているが、その内部はオースティン近郊に当時実在した「レッドローズ・クラブ」というストリップ・クラブで撮影されている。また、ジェニファー演じるグロリアが暮らす閑静な住宅街もオースティン近郊。よく見ると、隣家の軒先に日本の旭日旗が掲げられているが、当時のオースティンには日系人住民が多かったらしい。■ 『ホット・スポット』© 1990 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
ランブルフィッシュ
[PG-12]伝説の不良だった兄と弟の葛藤が交錯する。コッポラが若手スターを集めて綴る青春ストーリー
S・E・ヒントンの傑作ヤングアダルト小説を、フランシス・フォード・コッポラ監督がモノクロ映像に魚のみ色を付けるなど実験的な演出で映画化。マット・ディロンら当時の人気若手スターたちの競演も必見。
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COLUMN/コラム2022.07.01
美しい表層の裏に隠された魑魅魍魎を炙り出すデヴィッド・リンチの悪夢的世界『ブルーベルベット』
※下記レビューには一部ネタバレが含まれます。 『砂の惑星』での苦い経験から学んだリンチ監督 1980年代の半ば、映画監督デヴィッド・リンチはキャリアのどん底を経験していた。前衛アーティストして絵画や短編映画を作っていたリンチは、4年の歳月をかけて自主製作した長編処女作『イレイザーヘッド』(’76)がカルト映画として評判となり、アカデミー賞で8部門にノミネートされた名作『エレファント・マン』(’80)にてメジャーデビュー。この成功を受けて、イタリア出身の世界的大物プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスが製作する超大作SF映画『砂の惑星』(’84)の監督に起用されるものの、しかし脚本の準備段階から様々な困難に見舞われる。そのうえ、最終的な編集権がスタジオ側にあったことから勝手な編集が施され、出来上がった映画はリンチ本人にとって不本意なものとなってしまい、結果として批評的にも興行的にも大惨敗を喫してしまったのである。 しかし、この失敗に全く懲りる様子のない人物がいた。金銭的に大損をしたはずのディノ・デ・ラウレンティスである。てっきり見限られたと思っていたリンチだが、そんな彼にデ・ラウレンティスは次回作の話を持ち掛けてきた。以前に見せてもらった脚本、あれは面白いから映画化しようと言われ、えっ?興味ないとか言ってなかったっけ?と驚いたというリンチ。その脚本というのが『ブルーベルベット』(’86)だった。 実は『イレイザーヘッド』を発表する以前から、リンチが温めていた企画だったという『ブルーベルベット』。といっても、最初は劇中でも流れるボビー・ヴィントンのヒット曲に由来するタイトルだけで、草むらに落ちている切断された人間の耳、クローゼットの隙間から覗き見る女性の部屋など、そのつど断片的に浮かび上がるイメージを、長い時間をかけながらひとつの脚本にまとめあげていったのだそうだ。 デ・ラウレンティスがプロデュースの実務を任せたのは、かつて彼の製作アシスタントだったフレッド・カルーソ。最初に算出された予算額は1000万ドルだったが、しかし当時のデ・ラウレンティスはアメリカに新会社を設立したばかりで、なおかつ自社スタジオの建設に着手していたため、それだけの資金を用立てている余裕がなかった。そこでリンチは自身のギャラをはじめとする製作コストを大幅に削減する代わり、編集権を含む全ての現場決定権を自分に与えるよう提案。これにデ・ラウレンティスが合意したことから、リンチは思い描いた通りの映画を自由に作るという権利を手に入れたのである。恐らく『砂の惑星』での苦い経験から学んだのであろう。ただし、同時期にデ・ラウレンティスが手掛けている他作品の監督たちに配慮して、あくまでも契約書には記載されない口約束だったらしい。それでもデ・ラウレンティスは最後まで現場に口出しをせず、リンチとの約束をしっかり守ったという。 リンチ監督の潜在意識を具現化したダークファンタジー 舞台はノースカロライナ州の風光明媚な田舎町ランバートン。大学進学のために町を出ていた若者ジェフリー(カイル・マクラクラン)は、父親が急病で倒れてしまったことから、家業である金物店の経営を手伝うため実家へ戻ってくる。病院へ父親を見舞った帰り道、家の近くの草むらで切断された人間の耳を発見するジェフリー。父親の友人であるウィリアムズ刑事(ジョージ・ディッカーソン)のもとへ耳を届けた彼は、「これ以上この事件には深入りしないように」と忠告を受けるのだが、しかしウィリアムズ刑事の娘サンディ(ローラ・ダーン)から「クラブ歌手のドロシー・ヴァレンズが事件に関係しているらしい」と聞いて好奇心を掻き立てられる。 ナイトクラブ「スロー・クラブ」で名曲「ブルーベルベット」を歌って評判の美人歌手ドロシー(イザベラ・ロッセリーニ)は、ジェフリーの実家のすぐ近所に住んでいるという。サンディの協力で合鍵を手に入れたジェフリーは、事件に繋がる手がかりを探すためドロシーの留守宅にこっそりと忍び込むのだが、そこへクラブでの仕事を終えた本人が帰ってきてしまう。慌ててクローゼットに身を隠すジェフリー。そこで彼が目にしたものは、狂暴なサイコパスのギャング、フランク・ブース(デニス・ホッパー)とドロシーの変態的な性行為だった。どうやらドロシーは夫と息子をフランクの一味に拉致され、強制的に愛人にされているらしい。警察に通報すべきなのかもしれないが、しかし現時点では盗み聞きした情報しかない。さらなる具体的な証拠を求め、ドロシーやフランクの周辺を探り始めたジェフリーは、次第にめくるめく暴力と倒錯の世界へ足を踏み入れていく…。 まるで1950年代辺りで時が止まってしまったようなアメリカの田舎町ランバートン。そこに住む人たちの服装や髪型は明らかに’80年代のものだが、しかし住宅街に並ぶ家々は’50年代のホームドラマ『パパは何でも知っている』や『うちのママは世界一』からそのまま抜け出てきたみたいだし、街角のダイナーや道路を走る車もレトロスタイルで、ヒロインのサンディの部屋には’50年代の映画スター、モンゴメリー・クリフトのポスターが貼ってある。さらに言えば、ナイトクラブのステージでドロシーが使うマイクは’20年代のヴィンテージだし、ドロシーの住むアパートメントは’30年代のアールデコ建築。さながら古き良きアメリカの集大成的な異次元空間、デヴィッド・リンチの創り出した完璧な理想郷である。これは、その美しい表層の裏に隠された醜い闇をじわじわと炙り出していく作品。何事にも表と裏があり、光と影がある。本作のオープニングで、綺麗に手入れされた庭の芝生にカメラが近づいていくと、草むらの暗い陰に無数の虫たちが蠢いている。これこそが本作のテーマと言えるだろう。 鮮やかな色彩やドラマチックな音楽の使い方などを含め、’50年代にダグラス・サーク監督が撮った一連のメロドラマ映画をも彷彿とさせる本作。もちろん、同時代のフィルム・ノワール映画からの影響も大きいだろう。しかし、筆者が真っ先に連想するのはラナ・ターナー主演の『青春物語』(’57)である。同じく風光明媚な古き良きアメリカの田舎町を舞台にした同作では、さすがに本作のように倒錯的なセックスや暴力こそ出てこないものの、まるで絵葉書のように美しい田舎町の裏側に隠された貧困や差別、不倫やレイプなどの醜い実態を次々と暴き、神に祝福された理想郷アメリカの歪んだ病理を描いて全米にセンセーションを巻き起こした。その『青春物語』で母親の再婚相手にレイプされて妊娠する貧困層の少女セレーナを演じ、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた名女優ホープ・ラングが、本作でサンディの母親役を演じているのは恐らく偶然ではないだろう。 実は自身も本作に出てくるような’50年代のサバービアで育ったリンチ監督。ある時彼は、桜の木から滲み出る樹液に無数の蟻が群がっている様子を発見し、美しい風景もよく目を凝らすとその下に必ず何かが隠れていることを悟ったという。恐らく彼は、物事の美しく取り繕われた表層に居心地の悪さを感じ、その裏側に隠された魑魅魍魎の世界に魅せられるのだろう。そういえば、純粋さと危うさが同居する主人公ジェフリーといい、厚化粧でクールを装ったドロシーといい、本作の登場人物は誰もが表の顔と裏の顔を併せ持つ。これは、そんなリンチ監督自身の潜在意識を具現化したシュールなダークファンタジーであり、ある意味で『ツイン・ピークス』の原型ともなった作品と言えよう。 見過ごせないディノ・デ・ラウレンティスの功績 また、本作はデヴィッド・リンチ作品に欠かせない作曲家アンジェロ・バダラメンティが初めて関わった作品でもある。当初は、クラブ歌手ドロシーを演じるイザベラ・ロッセリーニのサポートとして呼ばれたというバダラメンティ。というのも、プロの歌手ではないロッセリーニのレコーディングが難航し、困った製作者のフレッド・カルーソがボーカル指導に定評のある友人バダラメンティに助け舟を求めたのだ。これが上手くいったことから、カルーソはエンディング・テーマの作曲も彼に任せることに。リンチ監督自身はUKのドリームポップ・バンド、ディス・モータル・コイルのヒット曲「警告の歌(Song to the Siren)」を使いたがったのだが、著作権使用料が高すぎるという理由でディノ・デ・ラウレンティスが首を縦に振らず、ならば似たようなオリジナル曲を作ってしまおうということになったらしい。 それ自体は大して難題ではなかったものの、バダラメンティを悩ませたのはリンチ監督から渡された歌詞。韻文やリフレインなどの定型ルールを無視しているため、歌詞として全く成立していなかったのである。なんとか楽曲を完成させたバダラメンティに、リンチ監督は「天使のように囁く歌声」のボーカリストを希望。そこで彼は当時関わっていたステージの歌手ジュリー・クルーズに、誰か条件に合致する候補者はいないかと相談したという。そこで3~4人の歌手を紹介してもらったものの、どれもいまひとつだったらしい。すると、ジュリーが「私にトライさせて貰えない?」と言い出した。しかし、当時の彼女はエセル・マーマンのようにパワフルに歌いあげる熱唱型歌手。さすがにイメージと違い過ぎると考えたバダラメンティだったが、「天使のように囁く歌声」を徹底的に研究したジュリーは、見事に希望通りの歌唱を披露してくれたのである。 このテーマ曲「愛のミステリー(Mysteries of Love)」でリンチ監督の信頼を得たことから、バダラメンティは本編の音楽スコア全般も任されることとなり、これをきっかけにバダラメンティの音楽はリンチ作品に欠かせない要素となる。ジュリー・クルーズも引き続き『ツイン・ピークス』のテーマ曲に起用された。 そういえば、本作はリンチ監督と女優イザベラ・ロッセリーニが付き合うきっかけになった映画でもある。当初リンチはドロシー役にヘレン・ミレンを希望していたらしい。ある時、デ・ラウレンティスの経営するイタリアン・レストランへ行ったリンチは、そこでたまたま知人に遭遇したのだが、その知人の連れがロッセリーニだったという。ちょうど当時、彼女は映画『ホワイトナイツ/白夜』(’85)でヘレン・ミレンと共演したばかり。これは奇遇とばかりにヘレンを紹介してもらうことになったのだが、ロッセリーニ曰くその2日後にリンチ監督からドロシー役をオファーされたのだそうだ。当時『エレファント・マン』は見たことがあったものの、それ以外はあまりリンチ監督のことを知らなかった彼女は、前夫マーティン・スコセッシに相談したところ『イレイザーヘッド』を見るように勧められたという。それで彼の才能を確信して出演を決めたのだとか。で、これを機に私生活でも親密な関係になったというわけだ。 ちなみに、劇中でジェフリーが発見する切断された耳はシリコン製で、最初は特殊メイク担当ジェフ・グッドウィンが自分の耳で型取りしたものの、リンチ監督から「小さすぎる」と指摘されたことから、プロデューサーのフレッド・カルーソの耳をモデルにして製作したという。さらに、リンチ監督がトレーラーで散髪した際にその髪を集め、シリコン製の耳に貼り付けたとのこと。撮影では耳に蜂蜜を塗ったうえで草むらに置き、そこへ冷凍で仮死状態にした蟻をバラまき、気温で蟻が蘇生して動き出すまで待ってカメラを回したそうだ。また驚くべきは、クライマックスで銃殺されたフランクの頭から脳みそが飛び出すシーンで、本当に人間の脳みそを使用していること。リンチ監督の希望で西ドイツから取り寄せたらしい。 当初のオリジナルカットは3時間57分もあったらしいが、リンチ監督自身が再編集を施して2時間ちょうどに収まった本作。初号試写で「これを配給する会社はないだろう」と判断したディノ・デ・ラウレンティスは、本作のために新たな配給部門を立ち上げたという。さらに、ロサンゼルスのサンフェルナンド・ヴァレーで一般試写を行ったのだが、これが関係者も頭を抱えるほどの大不評で、アンケート用紙には監督への非難や罵詈雑言のコメントが並んだらしい。しかし、これに全くたじろがなかったのが、またもやディノ・デ・ラウレンティス。「彼らは何も分かっていない、これは素晴らしい映画だ、1フレームたりともカットするつもりはない」と作品を全面擁護し、「予定通りに公開する、批評家は絶対に気に入るだろうし、そうなれば観客だってついてくるさ」と予見したという。実際にその言葉通り、本作は最初こそ世間からブーイングを浴びたものの、やがて口コミで評判が広がって大ヒットを記録。リンチ監督はアカデミー賞監督賞にノミネートされ、現代ハリウッドを代表する鬼才とも評されることとなる。こうした『ブルーベルベット』の成功を振り返るにあたって、やはりディノ・デ・ラウレンティスの功績を忘れてはならないだろう。■ 『ブルーベルベット』© 1986 Orion Pictures Corporation. 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