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PROGRAM/放送作品
未知との遭遇 【ファイナル・カット版】
巨匠スティーヴン・スピルバーグによるSFの金字塔!宇宙人との接触を描くクライマックスは必見
『E.T.』同様、異星人との友好的なコンタクトを描いた本作は同年公開の『スター・ウォーズ』と並び、以降のSF映画人気に火をつけた。宇宙人との接触を音と光で描いた圧巻のクライマックスは必見!
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COLUMN/コラム2023.06.19
“愛のシネアスト”のはじまり。トリュフォーが描いた「純愛の三角関係」『突然炎のごとく』
フランソワ・トリュフォー(1932~84)が、批評家から監督へと転じて撮った、初の長編作品は、『大人は判ってくれない』(1959)。主人公のアントワール・ドワネルに、自らの子ども時代を投影したこの作品で、トリュフォーは「カンヌ国際映画祭」の監督賞を受賞し、ゴダールらと共に、一躍“ヌーヴェル・ヴァーグ”の旗手の1人となった。 後に「愛もしくは女、子供、そして書物が、わたしの人生の三大テーマだ」と語ったトリュフォー。実は処女長編として最初に考えていたのは、「子供」ではなく、「愛もしくは女」を題材にした作品だった。 1953年、トリュフォー21歳の時。出版されたばかりの1冊の小説を読んで、「雷の一撃」を喰らった。そして「いつか映画をつくることができたら、この小説を映画にしたい」と思ったという。 トリュフォー曰く「映画人生を決定的にした」その小説のタイトルは、「ジュールとジム」。それは芸術家であるアンリ=ピエール・ロシェが、74歳にして初めて書いた小説だった。その内容は、20世紀初頭のミュンヘン、パリ、ベルリンを舞台に、現代芸術の周縁でロシェ自身が繰り広げた、若き日の冒険、愛と友情を書き綴ったものだった。 トリュフォーはある批評の中で、この小説について、こんな風に紹介した。「…ひとりの女性が、美意識と一体になった新しいモラルのおかげで、しかしたえずそのモラルを問うという形で、ほとんど一生のあいだ、ふたりの男性を同じように愛しつづけるという物語…」 この文を目にしたロシェは感激し、トリュフォーに手紙を書いた。そしてそこから、2人の交流が始まった。 トリュフォーはロシェに会って、映画にしたいという希望を述べた。それから2人は随時手紙をやり取りし、映画化についてのアイディアを交換し合ったという。 しかし先に書いた通り、トリュフォーが短編を何本か手掛けた後に、初めての長編監督作に選んだのは、「ジュールとジム」ではなく、『大人は判ってくれない』だった。それは、ロシェのような「愛の人生のベテラン」の筆による小説を映画にするのは、若い自分には「…むずかしく野心的すぎる…」と感じたからだという。後に“愛のシネアスト”と呼ばれるようになるトリュフォーだが、まだその時は訪れていなかったのだ。 機が熟して、「ジュールとジム」を映画化する夢が実現したのは、『大人は判ってくれない』が評判となり、続いて『ピアニストを撃て』(60)を発表した後のこと。それがトリュフォーの長編3本目となる本作、日本での公開タイトル『突然炎のごとく』(62)である。 ***** オーストリア人の青年ジュール(演:オスカー・ヴェルナー)が、フランス人の青年ジム(演:アンリ・セール)と、1912年のパリで出会う。2人は意気投合。親友となった。 ある時知人に見せられたスライドに、2人は心を奪われた。それは、アドリア海の島にある、女神を象った石の彫像の写真。2人はわざわざ現地まで実物を見に行く。 パリに戻った2人は、その彫像を思わせる容貌を持つカトリーヌ(演:ジャンヌ・モロー)という女性と知り合う。ジュールは彼女にプロポーズ。生活を共にするようになる。 ある時ジムは、ジュールとカトリーヌと共に3人で芝居見物に行く。男2人が芝居の議論に熱中すると、カトリーヌは突然セーヌ河に飛び込ぶ。この時ジムは、自分もカトリーヌに惹かれていることを自覚する。 第一次世界大戦が始まり、ジュールとジムはそれぞれの国の軍人として、敵味方に分かれて戦線へと赴く。共に生きて還れたが、再会の時までは、暫しの時を要した。 ジュールとカトリーヌが暮らす、ライン河上流の田舎の山小屋に、ジムは招待された。ジュールとカトリーヌの間には、6歳の娘もいたが、夫婦仲はうまくいってなかった。 ジュールはジムに、彼女と結婚してくれと頼む。それは、自分も側に置いてもらうという条件付きだった。 3人の奇妙な共同生活が始まるが、カトリーヌには、他にも愛人がいた。ジムは刹那的に男を愛する彼女に絶望し、パリに暮らす昔の恋人の元に戻る。 数ヶ月後、3人は再会した。カトリーヌは自分の運転する車にジムを乗せると、ジュールの目の前で暴走。壊れた橋から、車ごとダイブするのだった…。 ****** カトリーヌを演じたジャンヌ・モローに、トリュフォーが初めて会ったのは、1957年。「カンヌ国際映画祭」会場内の廊下だった。モローは主演作『死刑台のエレベーター』(58)を撮り終えたばかりで、その監督で当時恋人だったルイ・マルと一緒に居た。 トリュフォーは「ジュールとジム」の小説に出会った時と同じく、その時「雷の一撃」を受けた。そしてモローをヒロインにすれば、「ジュールとジム」を映画にできるのではと、感じたという。 その後トリュフォーとモローは、週に1度、ランチを共にするようになる。トリュフォーの口数が多くないため、むしろ並行して行った、手紙でのやり取りの方が、内容が濃かったようだが。 モローは、トリュフォーの初長編『大人は判ってくれない』に、ジャン=クロード・ブリアリと共に、友情出演。「ジュールとジム」の小説を読むように渡されたのは、その前後だったと思われる。すでにスターだったモローは、トリュフォーの当時の知り合いの中では、「予算も脚本も、特別手当もない、とんでもない企画」に参加してくれる、ただ1人の女優だった。 1959年の4月、トリュフォーは原作者のロシェにジャンヌ・モローの写真を送って、カトリーヌの役について助言して欲しいと頼む。ロシェは「彼女は素晴らしい。彼女についてもっと知りたいと思います。私のところに連れてきて下さい」と返事を書いたが、2人の面会は叶わなかった。手紙を書いた4日後に、ロシェがこの世を去ってしまったからだ。 トリュフォーは、原作の謳い文句だった「純愛の三角関係」の感動を、忠実にスクリーンに移し替えようと試みた。「ひとりの女がふたりの男とずっと人生をともにするという、このうえなく淫らなシチュエーションから出発して、このうえなく純粋な愛の映画をつくること」それを目標に、ジャン・グリュオーと共同で、脚色を行った。 タイトルロールである「ジュールとジム」のキャスティングも、重要だった。トリュフォーはジュールの役には、原作通りに外国人を希望した。フランス語を話す際のアクセントや言いよどみによって、キャラクターをより感動的にできると考えたからだ。 一時、イタリア人のマルチェロ・マストロヤンニの名も挙がったが、トリュフォーは原作に忠実に、ゲルマン系の俳優にこだわった。それがオスカー・ウェルナーだった。トリュフォーはマックス・オフェルス監督の『歴史は女で作られる』(55)に出演しているウェルナーを見て、「彼以外にありえない」と、白羽の矢を立てたという。 すでにドイツやオーストリアでは有名だったウェルナーに対して、ジム役に選ばれたアンリ・セールは、まったく無名の存在。パリのキャバレーのステージで寸劇を演じていた芸人で、映画に出たこともなかった。トリュフォーは、セールの背の高さや物腰の柔らかさ、敏捷さなどが、原作者ロシェの若い頃を髣髴させるという理由で、彼をジム役に抜擢した。 因みにジュール役にウェルナー、ジム役にセールを決定する際には、トリュフォーはモローに立ち会ってもらったという。 1961年4月、遂にクランクイン。撮影に当たってトリュフォーは、「あたかも、この物語は、余り信用出来ないといった思いで、古い写真帳をめくっていくかのごとき感じ…」を出すことを意識した。そのため、登場人物も場所も、遠めから撮影。それは観客に凝視させながらも、その中には決して入っては行けない世界という意味付けだった。 先に記した通り、「予算も…特別手当もない、とんでもない企画」だった本作は、撮影クルーは15名ほどと、極めてミニマム。多くのシーンは、トリュフォーや関係者が友人知人に頼んで借りた場所で、ロケを行った。 音声の同時録音はされず、セリフはその場では適当に喋っておいて、ポストプロダクションで10日ほど掛けて吹き込んだ。因みに、衣裳はすべて自前。自分たちで作るか、見付けてくるかして、揃えたものだった。 本作に於いてジャンヌ・モローは、劇中のヒロインという以上の働きをした。彼女曰く「私はトリュフォーと一緒にこの映画を共同製作したの。私たちはありったけのお金をすべて投資したのよ」アルザスのロケでは、出演者とスタッフ合わせて22人分の昼食を、毎日彼女が作ったのだという。 それでも撮影の終盤には、製作費が底を尽き、プロデューサーがその調達に奔走するハメになったというが…。 モロー曰く、撮影は「幸福の時…」であった。トリュフォーの現場では、誰もが映画のことだけを考える。「全体として荘重で深みのある雰囲気で、それでいて絶え間のない笑い声に満ちた開放的な雰囲気…」それは悲しい物語でありながらも、ディティールはおかしさに彩られている、「ジュールとジム」の世界観と重なる現場であったと言えるかも知れない。 トリュフォーは、撮影中やその合間に起こる事柄を捉え、うまく活用して映画の中に取り入れる能力があった。即興演出も、しばしば行われた。 劇中でモローが、ボリス・バシアクのつま弾くギターで歌う、有名な「つむじ風」という歌。トリュフォー曰く、元から友人同士だったモローとバシアクが、撮影合間に楽しみながら作った曲が素晴らしかったので、「…なんとかわたしの映画に使いたい…」と頼んだのだという。 モローの証言だと、そのディティールは、少し違っている。彼女と元夫のジャン=ルイ・リシャール、そしてバシアクと3人で、以前からよく口ずさんでいた歌を、トリュフォーが採用したのだという。 いずれにしろ、映画史にも残る「つむじ風」という歌が、元は本作のために作られた曲ではなかったのは、間違いない。因みに同時録音なしで進められた本作の撮影で、このシーンだけは、録音技師を招いて撮影された。何回かカメラを回した中で採用されたのは、ジャンヌ・モローがリアルに節の順番を間違えて、一瞬ジェスチャーをするテイクだった。「幸福の時…」を共にしたトリュフォーとモロー。恋多き男と恋多き女の組合せ故、「恋人同士だった」という指摘もある。しかしながら、トリュフォーはモローとの関係は、「双子の兄弟」のように感じていたと表現。モローは、2人の恋愛関係を否定した上で、「…私たちは、お互いの技術と知性と感性に惹きつけられていたの…」と語っている。 『突然炎のごとく』は、61年6月にクランクアップ。編集とアフレコに4ヶ月ほど掛けて、翌62年の1月にパリで公開された。 公開後、トリュフォーが驚くと同時に喜びを感じたのは、彼の元に届いた2通の手紙。1通は、原作者ロシェの未亡人からで、その内容は、「…ピエールが観たらさぞ喜んだことでしょう」というもの。 そしてもう1通には、こんな自己紹介がしたためられていた。「私は75歳で、ピエール・ロシェの小説『ジュールとジム』の恐るべきヒロイン、カート(カトリーヌ)の成れの果てです…」「ジュールとジム」は、ロシェが自らの若き日について書き綴った小説であることは、先に書いた通り。ロシェ自身が投影されているのは、ジムのキャラクター。そしてジュールとカトリーヌのモデルとなったのは、ベルリンで活躍したユダヤ系ドイツ人作家のフランツ・ヘッセルと、その妻であったヘレン・カタリーナ・グルントであった。 ヘッセルはナチの台頭から逃れ、フランスに亡命した後、1941年に客死していたが、グルントはまだ存命だったのだ。彼女からの手紙には『突然炎のごとく』の感想が、こんな風に綴られていた。「わたしは映画を見て、生涯の最も美しい瞬間を生き直した心地がします」 トリュフォーは是非お会いしたいと返事を書いた。しかしグルントは、ジャンヌ・モローと比較されたくなかったからなのか、「会えない」という返信を寄越した。 モデルとなった、老婦人のお墨付きを得ただけではない。『突然炎のごとく』は、ヨーロッパの主要都市やアメリカ・ニューヨークなどで次々と公開され、絶賛を博した。そしてその後、映画のみならず、様々なジャンルの創作物にただならぬ影響を及ぼす。 製作から60年以上経った今日では、作り手が本作の存在を知ることなしに、「純愛の三角関係」のDNAが息づく作品も、少なくない。■ 『突然炎のごとく』© 1962 LES FILMS DU CARROSSE / SEDIF
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PROGRAM/放送作品
日曜日が待ち遠しい!
ヒッチコック作品を彷彿とさせる軽妙洒脱なタッチが冴える!名匠トリュフォーの遺作となったミステリー
フランソワ・トリュフォー監督が亡くなる前年に手がけた遺作。晩年のトリュフォーのミューズだったファニー・アルダンをヒロインに迎え、ヒッチコック風の冤罪サスペンスをモノクロ映像で洒脱に綴る。
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COLUMN/コラム2022.11.04
スピルバーグ、最初にして最後の“ディレクターズ・カット”―『未知との遭遇【ファイナル・カット版】』―
「この映画には多くの美徳がある。ほとんどのハリウッド作品やパルプSFとは異なり、人間と地球外生命体との接触は、主に平和的であると考えられていることだ」カール・セーガン(天文学者・作家) 「スピルバーグが描く異星人には自然の善良さが表れており、生や死を超えた善なるものが感じられる」ドゥニ・ヴィルヌーヴ(『メッセージ』(16)『DUNE/デューン 砂の惑星』(21)監督) スティーヴン・スピルバーグの壮大なSF叙事詩『未知との遭遇』は、人類と地球外知的生命体とのコンタクトを真摯に、そして迫真的に描いた嚆矢の商業長編映画で、一般市民や科学者、軍などそれぞれの視点から捉えたサスペンスフルな異常事態が、やがて友好的なエイリアン・コンタクトの輪郭をあらわにしていく実録調の構成をとり、この種のジャンルの語り口や目的を一新させた。なによりスピルバーグ自身、フィルモグラフィで単独脚本を兼ねた唯一の監督作として特別な思いを抱いており、そのため過去に二度も手を加え、完成度を極限にまで高めている。 ◆悔いを残した「オリジナル劇場版」 1977年11月16日、『未知との遭遇』はニューヨークのジーグフェルド・シアターとハリウッドのシネラマドームで限定公開され、連日ヒットを記録。そして1か月後には全米272館の劇場で拡大公開され、翌年の夏に上映が終了するまで全米総収入1億1639万5460ドルを稼ぎ出し、配給元であるコロンビア・ピクチャーズの過去最高となる売上を叩き出した。さらには海外における公開によって、1億7100万ドルが追加計上された。当時コロンビアは株価が下落して経営難の状態にあり、スピルバーグはメジャースタジオを倒産の危機から救い出したのた。 だが、こうした好転を得るために、コロンビアはクリスマス興行を必要とし、本来の予定よりも7週間も早い公開をスピルバーグに要求。ひとまずの完成を急務としたため、彼は自身が望んでいたように作品に仕上げることができなかったのである(以下、当バージョンを「オリジナル劇場版」と呼称)。 スピルバーグの不満は、主人公であるロイ・ニアリー(リチャード・ドレイファス)のエピソードと、第三種接近遭遇を調査するラコーム博士(フランソワ・トリュフォー)とメイフラワー・プロジェクトのエピソードとの並置にあり、さらにはいくつかのシーンの削除と、省略したシーンの追加を望んでいた。加えてバミューダ三角海域にて消息を絶った輸送船コトパクシ号が、海岸から500kmも離れたゴビ砂漠で発見されるシーンを撮影できなかったことにも不満を抱いていた。 そこで1978年の夏、本作が劇場公開を終えたタイミングで、スピルバーグはコロンビアに「自分が望む形で映画を完成させるため、予算を与えることは可能か?」と訊ねた。そこでコロンビアは、暫定的に計画を立てていた同作のリバイバル公開を条件に、追加撮影をほどこした更新バージョンをリリースする機会をスピルバーグに持ちかけたのだ。 ただし映画への再アクセスにはマーケティング戦略上、マザーシップ内部を見せる撮影が必要だとコロンビアは提示してきたのだ。多くの批評家や観客が、ロイが巨大な宇宙船に乗った後に起こったことを見たいという願望を表明していたからだ。 スピルバーグは「オリジナル劇場版」に調整を加え、作品に統一感を持たせたいと感じており、最終的には自身の作品をアップデートさせるという希求にあらがえず、提示された条件を承諾したのである。 コロンビアはスピルバーグに再撮影の製作費200万ドル(150万ドルという説あり)と7週間の期間を与え(撮影は結果的に16〜19週間を要した)、『未知との遭遇/特別編』(以下「特別編」)の製作へと至ったのである。ただこの時期、すでに監督は次回作となる戦争スペクタクルコメディ『1941』(79)の撮影に入っており、その間に「特別編」の制作チームの再編成を着々と進めた。 ◆理想に近づいた「特別編」 多くのスタッフ、ならびにキャストはこの意欲的なプロジェクトへの再登板を表明したが、ラコーム博士を演じたフランソワ・トリュフォーは監督作『終電車』(80)の撮影に入っており、また撮影監督のビルモス・ジグモンドはライティングに対するコロンビアの無理解が溝となって身を引き、デイブ・スチュワートが代わりを担当することになった。視覚効果スーパーバイザーのダグラス・トランブルと視覚効果撮影監督のリチャード・ユリシッチは、パラマウントで『スター・トレック』(79)に取り組んでいたことと、トランブルは契約上の解釈から無報酬が懸念されたことで参入を見送り、代わりにアニメーション監督のロバート・スウォースが、前者の薦めにより視覚効果の指揮をとることになった。そして命題ともいえるマザーシップ内部は『スター・ウォーズ』(77)『エイリアン』(79)などでコンセプト・アーティストを務めたロン・コッブがデザインし、モデル作成はちょうど『1941』のミニチュア制作に参加していたグレッグ ジーンが続投した。 ミニチュア制作の作業は1979年の夏に始まったが、スピルバーグは『1941』の撮影が終わるまで同作に集中するつもりでいた。しかしロイ役のリチャード・ドレイファスが多忙だったため、1979年2月に1日だけ空いた彼のスケジュールを利用し、先行して一部撮影に踏み切った。そしてドレイファスが新たに建設された、マザーシップへのランプを上っていく様子が撮影された。ハッチ内部の両方の壁に並び、ロイを船内に迎え入れる小さなエイリアンたちは、多くの女の子をエキストラで配役している。「特別編」ではロイがランプをのぼり、密閉されたボールルームに入ると、天井が突然上向きに浮揚し始め、コッブの設計した小型のUFOが飛行して脱着する壮大なドッキングエリアへと移動するが、ドッキングエリアの一部がランプとハッチの内部としてセットで建造され、残りはミニチュアと視覚効果を駆使して表現された。 スピルバーグは『1941』の劇場公開から数週間後の1980年1月より本格的な作業を開始し、手始めにゴビ砂漠のシーンに着手。20世紀フォックスの裏庭に置かれていた古い船の模型をジーンが改造し、カリフォルニア州デスバレーの近くで撮影した。特別な撮影機材やポストプロダクションでのエフェクト効果に頼らず、強制遠近法を用いて同シーンに挑んでいる。コトパクシ号の模型を前景に置き、俳優や車両を含むすべての要素を約200ヤード離れたバックグラウンドに配置して、あたかも実物大のコトパクシ号が目の前にあるかのように演出したのである(一説によれば、同シーンの撮影は後に『E.T.』(82)『太陽の帝国』(87)でスピルバーグと組む、シネマトグラファーのアレン・ダヴィオーが手がけたという)。 これらの撮り下ろし映像が揃うと、スピルバーグとエディターのマイケル・カーンは「特別編」の編集を開始。まずは不必要だと判断した多くのシーンを削除することから始めた。もっとも顕著なのは、ロイがデビルズタワーの模型を作るために、近所から破壊したものを家に持ち込むシーケンスだ。空軍の記者会見シーンも削除され、ロイが電力会社で原因不明の停電について話し合う冒頭のシーンなどもオミットされた。逆に「オリジナル劇場版」制作時に撮影したが使わなかった、ロイがシャワーで感情を崩壊させるシーンが差し戻され、妻ロニー(テリー・ガー)が彼のもとを離れる動機を明確にしている。加えて会話の小さな断片が各所で削除され、結果としてオリジナル劇場版から16分を削除し、以前にカットした7分を復元。さらに新たに撮影した6分のフッテージを追加し、「特別編」は「オリジナル劇場版」より3分短かくなった。 また音楽面でも改変をおこなった。それは最後のクレジットで、ジョン・ウィリアムズ作曲によるエンドタイトルを流していたものを、「特別編」ではディズニーの長編アニメーション『ピノキオ』(40)の歌曲「星に願いを」のメロディを挿入したインストゥルメンタルに変更した。これは劇中、ロイの家で鉄道模型の卓上に置かれていた、ピノキオのオルゴールを受けての伏線回収でもあり、映画のテーマに同期する曲としてスピルバーグは使用を熱望したのだ。もともとはクリフ・エドワーズが歌うオリジナル曲を引用していたのだが、1977年10月19日におこなわれたダラスの試写では観客の反応が悪かったために代えた経緯があり、インスト版を用いることにした。 この「特別編」は1980年7月31日にビバリーヒルズの映画芸術科学アカデミー本部のサミュエル・ゴールドウィン・シアターでマスコミ向けに上映され、同年8月1日に北米750館の劇場で一般公開。その後すぐに海外での公開がおこなわれた。そして1600万ドルの収益を上げ、コロンビアは再びその投資から、リバイバルとしては悪くない利益を得た。 批評家と観客の反応はまちまちで、変更がより焦点を絞り、まとまりをもたらしたと称賛する者もいれば、改ざんの必要性を問い批判する者もいた。なによりも誤算だったのは、あれだけこだわったマザーシップ内部の描写に、あまり賞賛を得られなかったことだろう。 スピルバーグ自身も、この件に関しては後悔の念を強く抱き、後年「オリジナル劇場版」と「特別編」の両方が観られる初のレーザーディスクを米クライテリオン・コレクションでリリースするにあたり、VFX専門誌「シネフェックス」当時の編集長ドン・シェイのおこなったインタビューで心情を吐露している。 「理想的な『未知との遭遇/特別編』は「オリジナル劇場版」のエンディングで終わることだったね。リチャード(・ドレイファス)がマザーシップの内部に入って、あたりを見回し、 ハイテク器機や蜂の巣のようなスペースシップを眺めることはなかったんだ。映像はきれいだったし、想像力に溢れていてよくできていると思う。でもオリジナルのエンディングのほうがずっと好きだ」 ◆究極の『未知との遭遇』〜「ファイナル・カット版」 『未知との遭遇/ファイナル・カット版』(以下「ファイナル・カット版)は、こうした経緯を経て2種類となった『未知との遭遇』の決定版とするべく、スピルバーグが承認した最終バージョンである。叩き台になったのは1981年1月15日にABCテレビネットワークで放送された143分のもので、これは「劇場オリジナル版」と「特別編」がひとつに統合され、多くのカットシーンが残されていた(スピルバーグは後に脚本に協力したハル・バーウッドに「すべての要素を含んだお気に入りのバージョンだ」と語っている)。このABCテレビ放送版に沿う形で、両バージョンの要素を組み合わせながら、いくつかのシーンを短くし、あるいは長くするなどの調整をしたものである。 「ファイナル・カット版」における最大の特徴は、ロイがマザーシップ内部に入り込むクライマックスが完全にオミットされている。そして「星に願いを」のインスト版が「オリジナル劇場版」のエンドタイトルに戻された。前者に関しては、『未知との遭遇』4K UHD Blu-rayソフトに収録された特典インタビュー“Steven Spielberg 30 Years of CLOSE ENCOUNTERS“(『スティーヴン・スピルバーグ 30年前を振り返って』)の中で、スピルバーグは以下のように語っている。 「船内の様子は、観客の想像の中だけに存在するべきと考えたんだ」 同バージョンで初めて『未知との遭遇』に接する若い世代は、はたしてマザーシップの向こう側に、どのような光景を想像するのだろうか? ちなみにこの「ファイナル・カット版』、正式な呼称は”The Definitive Director's Version“で、スピルバーグは本作をフィルモグラフィにおいて唯一の“ディレクターズ・カット”だと位置付け、以後、自作の改変はしないといった意向を示している。まさに文字どおりのファイナルであり、そういう意味においても希少なバージョンといえるかもしれない。■ 『未知との遭遇【ファイナル・カット版】』© 1977, renewed 2005, © 1980, 1998 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
柔らかい肌
妻子ある平凡な中年男が若い女との情事に溺れる…名匠トリュフォーがヒッチコック・タッチで綴る不倫ドラマ
フランソワ・トリュフォー監督が『華氏451』の準備期間中に撮影した小品。ありふれた男女の不倫ドラマを、トリュフォーが敬愛するヒッチコックのサスペンス風に仕立て上げ、不穏なムードと緊張感を漂わせる。
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COLUMN/コラム2018.10.23
フランソワ・トリュフォー監督の名作『突然炎のごとく』のアメリカ版アレンジ・リメイク!
今回紹介するのは『ウィリーとフィル/危険な関係』(80年)。これは日本では劇場公開されず、TVで1度放送されただけで、その後VHSもDVDも出ていません。ものすごく珍しい映画のひとつです。この映画は1970年から1980年の10年間を描いた物語で、マーゴット・キダーがヒロインを演じています。この女優さんはこのあいだ亡くなってしまいました。その追悼放送の意味も込めています。 マーゴット・キダーの周りにいる2人の男が、ウィリーとフィル。この3人の関係を描いているのですが、彼女をめぐって男2人が争ったりせず、男たちは彼女がどちらを愛していても幸せなんです。しかも男同士、ものすごく仲がよくて、愛し合っている。そんな三角関係なんですね。この映画の最初、名画座でのある映画の上映シーンから始まるんですけど、それはフランス映画で、フランソワ・トリュフォー監督が1962年に作った“JULES AND JIM” という映画。日本では非常に変で『突然炎のごとく』というタイトルなんですが(笑)、そのジュールとジムを、ウィリーとフィルが観ているところからこの映画は始まります。 この『突然炎のごとく』という映画がいかに世界中の映画に影響を与えたかを知らないと、なぜ『ウィリーとフィル』という映画が作られたのかわからないと思います。『突然炎のごとく』は、これまでの結婚制度であるとか男尊女卑とかを破壊するような、革命的な映画として衝撃を与えて、62年にこれが公開された後、60年代のカウンターカルチャーという、世界的な文化革命が起こるんですね。その起爆剤となった映画なんです。 そしてこの『ウィリーとフィル』は、ニューヨークに住んでいるイタリア系とユダヤ系の男同士。ウィリーのほうは高校の先生でユダヤ系、非常にまじめな男です。フィルは写真家でイタリア系の女ったらし。この一見まったく合わないような2人が『突然炎のごとく』を観に行って、意気投合します。イタリア系のフィルを演じているのはレイ・シャーキーという俳優さんで、この人は若くして亡くなったので代表作がそんなにないんですが、ユダヤ系のウィリーを演じているマイケル・オントキーンという人は、『ツイン・ピークス』(90 ~ 91年)の保安官のハリー・トルーマンを演じた人として、日本では非常に有名ですね。この2人が一妻多夫の映画である『突然炎のごとく』を観たあとに、ある女性と出会います。それが、マーゴット・キダーです。彼女を2人とも愛して、10年間ずっと、くっついたり離れたりしながら暮らしている。ちなみに『突然炎のごとく』はこの映画だけじゃなくて、まずアメリカでものすごいブームを呼んだときに、影響を受けたのが『俺たちに明日はない』(67年)なんですね。さらに『明日に向って撃て!』(69年)もそうでした。 この『ウィリーとフィル』は、監督であるポール・マザースキーの自伝的なものでもあります。この人は実際に主人公たちと同様にNYから出てきた人で、TVの仕事をして、その後ハリウッドに行き映画監督になったので、フィルのたどる道は、マザースキー監督自身がたどった道でもあるんですね。こういった感じで事実がすごく反映されているんですけど、中でもマーゴット・キダー扮するヒロインの非常に自由な、結婚をしても結婚というものに縛られず、2人の男を同時に愛するシングルマザーとなるんですが、この彼女のキャラクターには、キダー自身のすごく自由な性格も投影されていますね。この映画は、一見何の映画なのかわからない、時代性を映しすぎているからという問題があるんですけど、知れば知るほど非常に深い映画です。■ (談/町山智浩) MORE★INFO. 当初はウディ・アレンとアル・パチーノの主演で企画されていた。撮影はウィリー役にジョン・ハードを配して始まったが、最初の週でクビになった。ナタリー・ウッドが自身の役でカメオ出演している。フランス映画好きのマザースキー監督、本作の後にも『素晴らしき放浪者』(32年)をリメイクした『ビバリーヒルズ・バム』(85年)を撮っている。
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PROGRAM/放送作品
突然炎のごとく
奔放な女性を巡る危うい三角関係の行方は?名匠トリュフォーが紡ぐヌーヴェルヴァーグの記念碑的な名作
ゴダールの『勝手にしやがれ』と並ぶヌーヴェルヴァーグの記念碑的作品。ジャンヌ・モローが魅惑的に演じる自由奔放な女性を中心とした三角関係を、フランソワ・トリュフォー監督が即興的な演出で瑞々しく綴る。
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PROGRAM/放送作品
ピアニストを撃て
愛するアメリカ映画のエッセンスを名匠が自己流にアレンジ!トリュフォー流フィルム・ノワール
『大人は判ってくれない』でデビューを飾ったフランソワ・トリュフォーが、米国映画の手法やフィルム・ノワールへのオマージュを意欲的に織り交ぜた犯罪映画。シャンソン歌手シャルル・アズナヴールを主人公に起用。
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PROGRAM/放送作品
(吹)未知との遭遇 【ファイナル・カット版】
巨匠スティーヴン・スピルバーグによるSFの金字塔!宇宙人との接触を描くクライマックスは必見
『E.T.』同様、異星人との友好的なコンタクトを描いた本作は同年公開の『スター・ウォーズ』と並び、以降のSF映画人気に火をつけた。宇宙人との接触を音と光で描いた圧巻のクライマックスは必見!
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未知との遭遇
巨匠スティーヴン・スピルバーグによるSFの金字塔!宇宙人との接触を描くクライマックスは必見
『E.T.』同様、異星人との友好的なコンタクトを描いた本作は同年公開の『スター・ウォーズ』と並び、以降のSF映画人気に火をつけた。宇宙人との接触を音と光で描いた圧巻のクライマックスは必見!