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PROGRAM/放送作品
ライトスタッフ
世界最速に挑み、人類未踏の宇宙に飛び出す。誇り高き男たちのフロンティア精神を熱く描く!
1947年、米陸軍から独立し米空軍が誕生。同年に伝説の空軍テストパイロット、イエガーが人類初の超音速飛行を成し遂げたところから象徴的に始まる、空とスピードに生きた男たちの不屈の冒険精神を描いた感動作。
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COLUMN/コラム2023.09.12
宇宙を舞台に、映画史に新たなジャンルを興した!フィリップ・カウフマン監督生涯の傑作『ライトスタッフ』
“ライトスタッフ”を日本語に訳すと、「正しい資質」「適性」。元々は、アメリカの著名なジャーナリストで作家のトム・ウルフによる造語である。 トム・ウルフは、1960年代後半から勢いを持った、”ニュー・ジャーナリズム”の旗手的な存在。書き手が敢えて客観性を捨て、取材対象に積極的に関わることで、対象をより濃密に、まるで小説のように描くというその手法によって、数多のノンフィクションをものしている。 その内の1冊が、「正しい資質」を持った宇宙飛行士たちが、アメリカの国家プロジェクト「マーキュリー計画」に挑む姿を描いた、「ザ・ライト・スタッフ」だった。そしてこれが本作、『ライトスタッフ』(1983)の原作となった 原作が1979年に出版されると、その映画化権の争奪戦が起こる。勝ち取ったのは、『ロッキー』シリーズ(76〜 )で知られる、ロバート・チャートフとアーウィン・ウィンクラーのプロデューサー・コンビだった。 彼らは、『明日に向って撃て!』(69)『大統領の陰謀』(76)で2度アカデミー賞を受賞している、ウィリアム・ゴールドマンに脚本を依頼。製作会社は、79年に設立された新興のラッド・カンパニーに決まり、1,700万ドルの予算が組まれた。 監督候補として名が挙がったのは、『がんばれ!ベアーズ』(76)のマイケル・リッチーや『ロッキー』(76)のジョン・G・アヴィルドセン。2人との交渉が不調に終わった後、フィリップ・カウフマンにお鉢が回ってきた。 カウフマンは、1936年イリノイ州シカゴ生まれ。シカゴ大学に学んだ後、紆余曲折あって、妻子を連れてヨーロッパへと渡った。そしてアメリカン・スクールの教師を務めている頃、フランスで興った映画運動“ヌーヴェルヴァーグ”と出会い、映画作りに目覚めた。 本作の前には、エイリアンの地球侵略もの『SF/ボディ・スナッチャー』(78)や、60年代を舞台とした青春映画『ワンダラーズ』(79)の監督として、或いは『レイダース/失われた聖櫃(アーク)』(81)の原案を担当したことで知られていた。綿密な時代考証に基づいたジャーナリスティックな視点と娯楽性を両立できる作り手として、評価され始めた頃だった。 カウフマンは、監督を引き受けるに当たって、脚本も自分に任せることを、条件とした。ゴールドマンが書いたものが、まったく気に入らなかったからだ。 時は80年代前半。ソ連を「悪の帝国」と名指しした、ロナルド・レーガン大統領の下、「強いアメリカ」の復活が標榜されていた。ゴールドマンの脚本は国策に沿ったのか、カウフマンにとって、「あまりにもナショナリズムが全面に出ていて辟易する…」内容だったという。 更にゴールドマン脚本では、カウフマンが原作に見出した重要な要素が、すっかり落とされていたのである。 ***** 1947年、カリフォルニア州モハーヴェ砂漠に在るエドワーズ空軍基地のテスト・パイロット、チャック・イェーガーが、新記録を作った。X-1ロケットに乗って、人類史上初めて、「音速の壁」を破ったのである。これ以降次々と、記録が更新されていく。 第2次大戦後の米ソ冷戦。両陣営の緊張が高まる中で、57年にソ連がスプートニク・ロケットの打ち上げに成功。アメリカは、宇宙開発で後れをとった。そこでアイゼンハワー大統領とジョンソン上院議員が中心となって、「マーキュリー計画」が始動した。 宇宙飛行士にふさわしい人材として、白羽の矢が立てられたのは、空軍などのテスト・パイロットたち。ジョンソンらが、「彼らは手に負えない」と、その我の強さを危惧する中での決定だった。 しかし現役最高のパイロットだったイェーガーは、宇宙飛行士を「実験室のモルモット」と揶揄。また彼は大学卒ではなかったため、その候補から外される。 508人の応募者を集め、過酷な身体検査と適性試験が繰り返される。そうして絞られた59人から、最終的にアラン・シェパード、ガス・グリソム、ジョン・グレン、ドナルド・スレイトン、スコット・カーペンター、ウォルター・シラー、ゴードン・クーパーの7人が選ばれた。 彼らは厳しい訓練を経て、次々と宇宙に飛び立ち、国民的英雄に祭り上げられていく。 一方で、孤高の闘いを続けてきたイェーガーは、最後の挑戦に臨もうとしていた…。 ****** ゴールドマン脚本は、「マーキュリー計画」に挑む宇宙飛行士たちに話を絞って、イェーガーのエピソードは、丸々削除していた。それに対しカウフマンは、物語の冒頭とクライマックスに、イエーガーのエピソードを配置したのである。 その上で、宇宙飛行士7人すべてに詳しく触れると、いかに3時間超えの長尺でも、とても描き切れない。そこで、シェパード、グリソム、グレン、クーパーの4人のエピソードをクローズアップして描くことにした。彼らは国家や政治家の思惑に時には反発しながら、“個”としての誇りを守ろうとする。「…現在の宇宙計画はすべて地球の必要性に奉仕することに重点をおいていて、人々が外宇宙を求める心理には重きをおいていない」と指摘するカウフマン。彼にとっては、逆にそうした心理こそが、興味の的だった。 カウフマンは、孤高の存在であるイェーガーと、チームでプロジェクトに対峙していく宇宙飛行士たちを対比しながら、いずれとも、「現代のカウボーイ」として描いた。そして、アメリカの精神風土である、インディペンデント・スピリットへの強い賛同を示したのである。 カウフマンははじめ、「未来が始まったとき、ライトスタッフが存在した」と考えていた。しかしその後、「いかに未来が始まったのか、それはライトスタッフを持った男たちがいたからだ」という結論に到達したという。「…時代を描くだけではなく、その時代に生きた人間たちを描こうと試みた…」カウフマンは、宇宙飛行士だけでなく、その妻たちの不安や恐怖、功名心なども、丁寧に描出している。 製作に際して、カウフマンはスタッフに指示し、揃えられる限りの資料を揃えさせた。記録映画フィルムの買い物リストを渡され、国中を歩き回ることとなったのは、編集担当のグレン・ファーら。彼らは、NASAや空軍、ベル航空機保管庫などで膨大なフィルムに目を通し、30年間人目に触れていなかった、ソ連のフィルムの発見に至った。こうして収集された映像類の一部は、編集や映像加工のテクを駆使して、本編で効果的に使用されている。 集められた大量のビデオテープは、“宇宙飛行士"たちの役作りにも、大きく寄与した。スコット・グレンは、自分が演じるアラン・シェパードの「外側をつかまえるために」それらを利用したという。しかしシェパードの内面に関しては、「ぼくが自分自身を演じる方がいい」という判断に至った。 グレンの判断の裏付けになったのは、カウフマンの姿勢。彼は俳優たちに、自分が演じる実在の飛行士に会えという指示を行わなかったのである。 自らの考えでただ1人、演じるゴードン・クーパーを訪ねたのは、デニス・クエイド。そんな彼曰く、本作の撮影は「ぼくの人生最高の恋愛」だったという。クーパーの妻を演じたパメラ・リードも“夫”と同様に、「わたしの人生で最も幸せな時間だった」とコメントしている。 カウフマンの演出は、“宇宙飛行士"たちが信頼を寄せるに足るものだった。ジョン・グレンを演じたエド・ハリスは、「何ごとにおいても決して妥協しなかった。あの人は8人目の宇宙飛行士だ」と、カウフマンを称賛。ガス・グリソム役のフレッド・ウォードはシンプルに、「彼はすばらしい人だ」と、賛辞を寄せている。 本作の評価を高めた要因に、孤高のパイロット、チャック・イェーガーの存在があることを、否定する者はいまい。彼を演じたサム・シェパードは、まさに生涯のベストアクトを見せた。 1943年生まれのシェパードは、劇作家として、20代はじめからオフ・ブロードウェイを中心に、華々しく活躍。その後演出も、手掛けるようになる。 映画に初めて出演したのは、テレンス・マリック監督の『天国の日々』(78)。この作品で彼は、若くして死病に侵された、農場主の役を印象的に演じて、主演のリチャード・ギアを完全に喰った。 映画出演5作目に当たる、本作の日本公開は、アメリカの翌年=84年の9月。その年の春には、彼が原作・脚本を手掛けたヴィム・ヴェンダース監督作『パリ、テキサス』(84)が、「カンヌ国際映画祭」で最高賞のパルム・ドールを獲ったことも、話題となっていた。 本作でのシェパードの演技について「ニューズ・ウィーク」誌は、「…あたかもゲーリー・クーパーを想わせる…」「サム・シェパードはこの映画で二枚目としての地位を永遠のものにした…」と絶賛。「…この反体制的な芸術家が、伝説の空軍のエースと合い通じるものを持っていると見抜いた」監督のカウフマンに対しても、「慧眼である」と高く評価している。 因みに本作では、当時59歳だったチャック・イェガーを、テクニカル・コンサルタントとして招き入れた。パイロットたち行きつけの店のバーテンダー役として出演もしているイェーガーと、演じるシェパードの初対面は、ある中華料理店だったという。 カウフマンによると2人は、「最初は用心深く見つめ合うという感じ」だった。しかし店を出る時にお互いの小型トラックを見て話し始めると、突然2人の間にあった垣根がとれたかのようになり、その後はまるで、“親子”のような関係を築いたという。 サンフランシスコ在住のカウフマンは、ハリウッドを嫌って、本作の大半を自分の地元で撮影した。波止場の倉庫をスタジオに改造した上、「互いに刺激を与え合える人々と組む必要がある…」と、地元の熱心な才能を数多く起用している。 CG時代到来の前、宇宙船や戦闘機などの特撮に関しては、コンピューター制御による“モーション・コントロール・カメラ”が全盛を極めていた。カウフマンは、『スター・ウォーズ』シリーズ(77~ )や『ファイヤーフォックス』(82)などで成果を上げていた、この最新技術への依存を、敢えて避けるように指示を行った。 そこでVFX担当のゲイリー・グティエレツは、特殊効果の原則に立ち返ることにした。ある時は、サンフランシスコの丘に登って、ワイヤーで吊り下げた模型飛行機と雲を作る機械を駆使して、飛行シーンを撮影。またある時は、大きな弓を作って、超音速ジェット戦闘機の模型を矢のように飛ばして、カメラで追った。このように、当時としても「アナログ」な手法にこだわったことが、いかに効果的であったかは、各々が本作を観て、確認していただきたい。 本作で描かれた「マーキュリー計画」が幕を閉じるのは、63年5月。奇しくもその年の11月、ケネディ大統領暗殺事件が起こる。後継の大統領となったのは、宇宙開発の仕掛人の1人だったジョンソンだったが、彼の政権下、アメリカはベトナム戦争の泥沼に陥っていく。 その前夜のアメリカの栄光と矛盾を描き出した本作は、アカデミー賞に於いては、作品賞やサム・シェパードの助演男優賞など、9部門でノミネート。主要部門の受賞は逃すも、編集賞、作曲賞、録音賞、音響効果賞の4部門のウィナーとなっている。 しかし興行的には、不発。当初の予算1,700万ドルを遥かにオーバーしての製作費2,700万ドルは、まったく回収できない成績に終わってしまった。 だが本作なしでは、後の『アポロ13』(95)や『ドリーム』(16)などの作品の存在は考えにくい。「実話をベースにした宇宙映画」という、それまではなかったジャンルの先駆けとなった本作は、紛れもなくエポック・メーキングを果したのである。 製作から40年経った今でも、語り継がれる作品を作り上げたフィリップ・カウフマンも、まさに“ライトスタッフ”の持ち主だったと言えよう。■ 『ライトスタッフ』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
トレマーズ2
モンスター映画の快作『トレマーズ』の続編。地中の巨大生物が更に強力になって戻ってきた!
3つの続編が作られたモンスター映画の快作『トレマーズ』の2作目で、『ライトスタッフ』のフレッド・ウォードが1作目に続いて主演。地下生物“グラボイズ”が、本作では大量発生!さらに驚異の進化を遂げる!!
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COLUMN/コラム2023.04.10
「第2の挑戦」に想いを馳せて —『レモ/第1の挑戦』
◆殺人機械シリーズをライトに映画化 殺人罪の極刑を受け、死刑を執行された警官ウィリアムズ。だがそれは見せかけで、彼は蘇生され、ケネディ大統領によって発足された秘密機関《CURE》の特殊工作員として新たなキャリアを得る。そしてスーパーナチュラルな武術《シナンジュ》を会得し、銃器を必要としない殺人機械=デストロイヤーとなり、国益をおびやかす脅威的な敵を駆逐していく——。 元記者/編集者であるウォーレン・マーフィーとリチャード・サピアを生みの親とするアクションキャラクター《レモ・ウィリアムズ》は、1971年に出版された「デストロイヤーの誕生」を起点に、2023年の現在までに153巻のアドベンチャーノヴェルシリーズで活躍を繰り広げている。1985年公開のアメリカ映画『レモ/第1の挑戦』(以下『レモ』)は、そんなレモを新たなスクリーンヒーローとして、小説同様のシリーズ展開を企図された一本だった。 同作は前述の「デストロイヤーの誕生」から基本的なコンセプトと設定を受け継ぎ、アメリカの軍需産業で暗躍する腐敗した武器商人へと敵を替え(原作ではマフィア組織)、世界観を初っ端から大きく拡げている。 なにより本作がシリーズとして連続性を要求されたのは、ガイ・ハミルトンを監督に据えたことからも明白だ。スパイアクション映画の総本山ともいえる『007』シリーズを過去に4本も演出した人物から、そのノウハウを伝授してもらおうというのが製作サイドの狙いとしてあったのだ。 残念ながら『レモ』は大ヒットに恵まれず、シリーズ化のもくろみは潰えてしまったが、作品は恒久的にファンを増やし、現在もカルトな人気を誇っている。要因はフレッド・ウォード(『ライトスタッフ』(83)『トレマーズ』(90))演じる主人公レモの、観客の視座に寄せた大衆的なヒーロー像や、彼に奥義シナンジュを伝授する韓国人チュン(『キャバレー』(72)のジョエル・グレイ)の超人かつ禁欲的なキャラクターが、多くの人の心を捉えて離さないこと。加えてユーモアとシリアスを絶妙にブレンドさせた作風や、レモが恐怖心を抑制したすえに展開する極限アクションなどが挙げられる。 ◆ヒッチコックを超えろ! 自由の女神像でのアクション とりわけアクション面における本作の成果は大きく、そこはハミルトンの人選が奏功したといえる。氏はいわゆる「スネークピット(混乱のるつぼ)」を設定する達人として、その腕前を存分に発揮したのだ。特にそれが顕著なのは、本作最大の見せ場ともいえる、自由の女神像を舞台とするアクションシークエンスだろう。 当該描写は「デストロイヤーの誕生」にはないオリジナルで、発案はハミルトンによるものだ。本作のプリプロダクション当時、自由の女神は建造100周年を目前とした修復中にあり、周りが作業のために鉄骨の足場で囲まれていた。これを見た監督自身が、本編の見せ場にもってこいの場所だと判断したのだ。 自由の女神を用いたアクションシークエンスといえば、1942年にサスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックが発表した『逃走迷路』がそれを実現させていた。しかしハミルトンは、その見せ場をリアプロジェクション(背景投影)やマットペイント(合成画)、あるいはトラベリングマット(移動合成)といった特殊効果で加工せず、全てをライブで撮りきるプロセスに挑んだのだ。女神像のモックアップ(実物大模型)を用いるところは『逃走迷路』を踏襲しているが、『レモ』ではそれをさらに大きくし、胸部からトーチの先端までを精巧に再現した、約25メートルのモックアップをイスタパラパ(メキシコシティの管轄区域)の屋外に建造。俯角のショットは本物の女神像で、仰角ショットはモックアップでというふうに、両所で可能なアクションをカメラに収め、それらの映像素材を巧みに編集で繋ぎ合わせることにより、目も眩むような高度での戦いを創造したのである。スタントとアクションはハミルトンとスタント・コーディネーターのグレン・H・ランドールによって慎重に設計され、キャストに振り付けられた。またマンハッタンとメキシコとの異なる映像のルックは前者を基準にカメラフィルターなどで統一させ、違和感なくショットをひとつにしたのである。 なにより当時のメキシコはペソ安・ドル高という為替相場によって、ハリウッド映画における制作の重要な拠点となっていた。『レモ』もその類に漏れず、自由の女神像を中心に多くのセットは、同地のプロダクションセンターであるチェルブスコ・スタジオにて建造したものだ。この映画の制作元であるオライオン・ピクチャーズは7年前に設立したばかりの独立系スタジオで、作品に充てられる予算は限られていた。しかしプロダクションデザインを担当したジャクソン・デ・ゴヴィアは、効率的なセットデザインを提供して予算以上の成果を上げている。自由の女神像はもとより、レモがコンクリートの廊下を経てガス室のトラップに誘導されるまでの基地内のセットはドアを同じように設計し、カメラアングルの調整だけで3つしか作成していないハッチを10以上に見せる成果をもたらした。 こうしたセットデザイン手法の実績を買われ、デ・ゴヴィアは後年、アクション映画の革命的作品である『ダイ・ハード』(88)にも参加。同作では物語の舞台となるフォックス・プラザ(劇中ではナカトミ・ビルに設定)と精巧なミニチュアのモックアップを併用することで、ロサンゼルス・センチュリーシティを舞台とした大規模な都市破壊描写を可能にしたのだ。 ◆悠然と進行する「第2の挑戦」 それにしても「第1の挑戦」とは、なんと罪深いサブタイトルだろう(原題直訳は「レモ・ウィリアムズ:冒険の始まり」)。公開からじき40年が経とうとしているのに、今も続編を純粋な気持ちで待ち続けているファンがいる。 その間に、実現への動きがなかったわけではない。現に1988年、全米でTVムービー“Remo Williams: The Prophecy”が放送されている。このパイロットドラマは『レモ』で描かれた1年後を時代として設定し、冒頭には同作の本編クリップが挿入され、映画とのリンクを主張している。しかし配役は異なり、『私の愛したゴースト』(91)のジェフリー・ミークがタイトルキャラクターを(フレッド・ウォードは出演を固辞)、『猿の惑星』シリーズ(68〜73)や『ヘルハウス』(73)などで知られる名優ロディ・マクドウォールがチュンを演じている。唯一、音楽を担当したクレイグ・サファンが続投し、映画を反復するようなテーマ曲で関連性を強めている。 ◎Remo Williams: The Prophecy それからさらに時代を経た2014年、『キスキス,バンバン』(05)『アイアンマン3』(13)で知られるシェーン・ブラックを監督に、ソニー・ピクチャーズが『ファイト・クラブ』(13)の脚本家ジム・ウールズや、「デストロイヤー」シリーズ111から131を執筆した共同著者ジム・ムラニーと新たな『レモ』の制作を開始したことが報じられた(*1)。その後ウールズに代わって『ドラキュリアン』(87)の監督フレッド・デッカーが参加し、ムラニーと脚本に取り組む段取りとなっていたが、具体的な成果は得られていない。 しかし2022年に入り、企画はソニー・ピクチャーズ・テレビジョンに引き継がれたようで、ゴードン・スミスが『ヒットマン』シリーズのプロデューサーであるエイドリアン・アスカリエと一緒に「デストロイヤー」のテレビシリーズをリリースすることが発表された(*2)。 こうして悠然とした進捗をみせている『レモ』のリブート計画だが、我々にとって長年の祈願だった「第2の挑戦」を観ることができるのは、そう遠くない日のことかもしれない(半ばヤケクソぎみに)。■ (*1) https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-news/shane-black-direct-destroyer-sony-726801/ (*2) https://deadline.com/2022/12/the-destroyer-series-adaptation-1235192845/ 『レモ/第1の挑戦』© 1985 ORION PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
トレマーズ
正体不明の巨大地中生物が小さな町を襲う。“陸版ジョーズ”とも言えるモンスター映画の快作!
『ターミネーター』のゲイル・アン・ハード製作総指揮の“陸版ジョーズ”とも言えるモンスター映画の快作。まだ若い『告発』のケヴィン・ベーコンや『ライトスタッフ』のフレッド・ウォードなど個性派俳優が好演。
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COLUMN/コラム2019.02.26
アメリカ「唯一の敗戦」で生じた、“MIA問題”のリアルな顛末〜『地獄の7人』〜
本作『地獄の7人』には、映画の内容以上に強烈な思い出がある。 1983年に製作されたこの作品は、同年にアメリカで公開されて、日本公開は翌84年の6月だったから、多分その直前の話。ラジオ局のプレゼントでホール試写が当たった私は、友人と2人で出掛けた。 映画が終わった直後、ちょっと興奮した私たちがこの映画について語っていると、やはり客席に居た白人の男性から、こんな言葉を浴びせられた。 「ダガ、アナタタチハ、センソウノゲンジツヲ、シラナイ」 穏やかながら痛烈な口調に、私たちは吃驚して、暫し沈黙せざるを得なかった…。 ********** アメリカ合衆国の歴史上で、「最大級の汚点」とされる、“ベトナム戦争”。ソ連との冷戦時代、「ベトナムの共産化を阻止する」という名目で、アメリカは南ベトナム軍を支援し、1965年から本格的に軍事介入を行った。しかし、北ベトナム軍及び南ベトナム解放戦線との戦闘は長期化し、戦況は泥沼化の一途を辿っていく。 次第に劣勢に追い込まれたアメリカ軍は、73年に撤退を余儀なくされる。これを、アメリカの対外戦争に於ける、「唯一の敗戦」と見なす者も多い。 アメリカ兵の戦死者・行方不明者は、5万8,000人。国家の威信は大きく揺らぎ、若者たちは深く傷ついた…。 映画は「社会の鏡」である。アメリカ映画に於いて、“ベトナム戦争”がどのように描かれているかの変遷は、そのままアメリカ社会や世相の変化を表している。 西部劇の大スターにして、ハリウッドを代表するタカ派のジョン・ウェインが、1968年に監督・主演した『グリーン・ベレー』は、娯楽映画の衣を纏いながら、アメリカによるベトナムへの軍事介入の“大義”を高らかに謳い上げる、プロバガンダ作品だった。 しかしほぼ同時期、ベトナム戦争を一つのきっかけとして、それまでの権威が大きく崩れていく。そして、既成の権威に牙を向く、“アメリカン・ニューシネマ”の時代が訪れる。“ニューシネマ”の中では、例えば朝鮮戦争を舞台とする、ロバート・アルトマン監督の『M★A★S★H マッシュ』(70)や、ラルフ・ネルソン監督の西部劇『ソルジャー・ブルー』(70)のような作品の中で、“ベトナム戦争”を暗に批判した描写が見られるようになる。 “ニューシネマ”が終焉を迎えた後、1978年は、“ベトナム戦争”をテーマにした作品のエポックメーキングと言える年となった。アメリカの田舎町から戦場に向かった若者たちの運命を描く、マイケル・チミノ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の『ディア・ハンター』、ジェーン・フォンダ扮する軍人の妻と、ジョン・ボイトが演じる半身不随となったベトナム帰還兵との愛を描く、ハル・アシュビー監督の『帰郷』。この2本が公開されたのだ。 『ディア・ハンター』はその年度のアカデミー賞で、作品賞、監督賞、助演男優賞、音響賞、編集賞の5部門、『帰郷』は、脚本賞、主演男優賞、主演女優賞の3部門を受賞した。1978年は、ベトナム戦争を題材とした“反戦映画”が、他を圧した年となったのである。 『ディア・ハンター』では、平穏な日常と戦場のギャップが強烈に描かれたが、ベトナムの戦場のリアルをスクリーンに映し出す試みは、その後も連綿と続いていく。『地獄の黙示録』(79)『プラトーン』(86)『フルメタル・ジャケット』(87)『カジュアリティーズ』(89)等々。 『帰郷』のように帰還兵を題材とした作品としては、オリバー・ストーン監督、トム・クルーズ主演の『7月4日に生まれて』(89)が、その後の代表的な作品として挙げられる。しかし一方で、そうした存在を主人公にした、B級テイストのアクション映画も、頻繁に製作されるようになる。 『ローリング・サンダー』(77)『ドッグ・ソルジャー』(78)『エクスタミネーター』(80)等々。その究極の形とも言えるのが、82年に公開された、シルベスター・スタローン主演の『ランボー』第1作である。 因みに、当初その先駆けのように言われたのが、76年公開の最後の“ニューシネマ”『タクシードライバー』。しかし、デ・ニーロが演じた主人公トラヴィスは、その誇大妄想狂ぶりや虚言癖から、彼が自称する「ベトナム帰りの元海兵隊員」というのは、「信じ難い」というのが、今日では有力な説になっている。 そして“戦争アクション”という形で、80年代の半ば近くから、次々と製作・公開されるようになるのが、いわゆる“MIAもの”である。「MIA」とは、Missing in Action=「戦闘後の行方不明兵士」を意味する言葉。 では“MIAもの”とは、一体どんな内容の作品なのか?それについては、『ランボー』に続いてのテッド・コチェフ監督作品であり、このジャンルの口火を切った本作、『地獄の7人』のストーリーを紹介するのが、手っ取り早いと思う。 主人公はジーン・ハックマン演じる、退役軍人のローズ大佐。10年前にベトナム戦線で行方不明=MIAとなったひとり息子の行方を捜し求めている。 アメリカ政府から何ら有力な情報がもたらされることがない中、独自の調査で、ベトナムの隣国ラオスに在る捕虜収容所の空中写真を入手。アメリカ兵の捕虜らしき影を、そこに見出す。 ローズは自分と同じく、息子がMIAとなっている富豪から資金援助を得て、自らがリーダーとなり、救出作戦を強行することを決意する。そのために彼は、息子の戦友たちを訪ね歩き、協力を求める。 ベトナムからの帰還後、実業家として成功を収めた者が居る一方で、戦場の悪夢にうなされ続ける者も居る。大佐を含めて、集まった者は、“七人”。実戦の勘を取り戻し、作戦を成功させるための猛訓練が数週間に渡って行われた後、チームは勇躍、タイのバンコクへと旅立つ。 ここからラオスを目指す算段だった“七人”だが、そこで思わぬ邪魔が入る。ベトナムやラオスとのトラブルを恐れ、密かに彼らの監視を続けていたCIAによって、用意した装備がすべて、没収されてしまったのである。 しかし彼らは諦めず、麻薬バイヤーの中国人の力を借りて、中古の銃火器を調達。陸路で目的地へと向かう。 ラオスとの国境で、まずは一戦を構えた一行。犠牲を出しながらも、国境警備の兵士を全滅させて、ラオスへの入国を果たした。 そして遂に、目的地の捕虜収容所に達し、アメリカ兵の捕虜4名の存在を確認。ラオスの大地を血に染める、地獄の救出作戦を開始する…。 本作の翌年以降に公開されて、むしろ本作よりも知名度が高い“MIAもの”『ランボー/怒りの脱出』(85)や、チャック・ノリス主演の『地獄のヒーロー』シリーズ(84~88)も、ベースとなる展開はほぼ同じ。主人公は正規の外交交渉を飛び越え、アメリカ兵捕虜が囚われている収容所に乗り込んで救出作戦を展開。殺戮と破壊の限りを尽くす。 では80年代、なぜこうした“MIAもの”が数多く製作・公開されたのか?大きな理由の一つに挙げられるのが、1981年にロナルド・レーガンが、アメリカ大統領に就任したことである。 俳優出身で、“グレート・コミュニケーター=偉大なる伝達者”の異名を取ったレーガン大統領。ソ連など共産陣営との対決姿勢を強め、2期8年の任期=即ち80年代のほとんどに渡って、「強いアメリカ」の復活を鼓舞した。まるで、ベトナム戦争の「敗戦」という、悪夢を吹き飛ばすかのように。 そこに呼応するかのように製作されたのが、“MIAもの”だった。アメリカ国内には以前から、ベトナム領内には戦争捕虜が残されているとの見方が根強くあったが、強硬なタカ派的な姿勢が強いレーガン政権の下では、自国民を取り戻すためには、「実力行使も辞すべきではない」という考え方が、自然と強まったわけである。 レーガン政権誕生直前、中東のイランでイスラム革命が起こり、1979年から81年に掛けて、在イラン・アメリカ大使館の外交官たちが人質に取られるという事件があったことも、“MIAもの”の製作を、後押しした。まるで、アメリカ国民の間に溜まった、大きなストレスを晴らすかのように。 では“MIA”の現実は、どのようなものだったのか?果してベトナムやその周辺に、囚われのアメリカ兵は居たのであろうか? ベトナム戦争はアメリカ軍撤退の2年後、1975年のサイゴン陥落で終結。その後アメリカとベトナムが、“国交正常化”を目指した交渉を始めるまで、10年以上の歳月を要した。 87年に両国は、“MIA”調査の進展とベトナムへの人道援助の開始で合意。91年には協力促進のため、アメリカ側の常設事務所が、ベトナムのハノイに設けられた。 その後、両国の国交は95年に正常化されるが、ベトナム側はその前後=91年から2019年までの28年間に、972体に及ぶアメリカ兵の遺骨を発見・発掘。アメリカへの返還を果たしている。更には、いまだ不明者として登録されているアメリカ兵1,597人の捜索に、毎年100億円以上の予算を注ぎ込んでいる。 この事実は即ち、少なくともベトナム国内には、ジーン・ハックマンやスタローン、チャック・ノリスが乗り込んで、武力で奪還するような捕虜は存在しなかったということを表す。“MIAもの”はその前提自体が、映画上での創作に過ぎなかったわけである。 そもそもアメリカ側の戦死者・行方不明者5万8,000人に対し、国土が泥沼の戦場と化したベトナム側は、民間人を含めて300万人が犠牲となっている。そしてその内の30万人が、いまだに行方不明のままだ。 遥か東南アジアの異国で行方不明になった者を案じて、肉親や友人がその身を救おうとするドラマに、アメリカの観客が快哉を叫んだ理由は理解できる。一概に戦死者や行方不明者の数を比較することにも、大きな意味があるとは思えない。 しかし焦土と化した地に、かつての“侵略者”側が再び乗り込んで来て、軍事作戦を慣行。数名の生存者を救うために、何十名・何百名という罪もない兵士を血祭りに上げる展開には、正直ついていけない部分を感じる。 84年の初夏、『地獄の7人』の試写に赴いた私は、同行の友人と共にその部分に大いに引っ掛かり、鑑賞直後には些かエキサイトして、この映画について批判を述べ合ったのである。そこに冷え水を浴びせるかのような、白人男性の一声。 「ダガ、アナタタチハ、センソウノゲンジツヲ、シラナイ」 彼がアメリカ人だったかどうかもわからないが、ベトナムからの帰還兵であってもおかしくない年代ではあった。しかし今となっては、日本人の少年2人に、何であんな声を掛けてきたのか、その心情は想像するより他にない。◼︎ TM, ® & © 2019 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
レモ/第1の挑戦
東洋の秘術をマスターした警官が最強の暗殺者へと生まれ変わる!カルト人気を集めた痛快アクション
『007』シリーズのガイ・ハミルトン監督が人気アクション小説を映画化。武器を使わずに素手のみでターゲットを仕留めるなど、秘術“シナンジュ”を身に付けた主人公レモの活躍を生身のアクションで魅せる。
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NEWS/ニュース2012.07.09
アクションスター列伝【逃避行対決】結果発表!
『チェーン・リアクション(1996)』(キアヌ・リーヴス)正体不明の凄腕暗殺者ジャッカルに扮するブルース・ウィリス。追われながらもターゲットを追い詰める。 VS 『ジャッカル』(ブルース・ウィリス)正体不明の凄腕暗殺者ジャッカルに扮するブルース・ウィリス。追われながらもターゲットを追い詰める。 追われながらも果敢にミッションを遂行するのはどっちだ!?いざ、対決! キアヌ・リーブスとブルース・ウィリス。かたやアクロバティックにのけぞるマトリックス戦士、かたや不死身のダイハード刑事として、日本でもファンの多いスター同士である。そんな彼らが、ここでは“追われる男”として激突。『チェーン・リアクション』のキアヌも、『ジャッカル』のブルースも、彼らのイメージとはやや異なるキャラクターにふんしているが、軍配はどちらに? 石油に変わるエネルギーを水から生み出すという、画期的なクリーン・エネルギー装置を開発したものの、何者かに命を狙われたあげく、いわれのない殺人容疑をかけられた若き研究者。『チェーン・リアクション』でキアヌがふんするのは、そんなキャラクターだ。頭脳派という点だけで彼には珍しい役(?)だが体型もいつもよりズングリしていて、いかにも科学オタク風。運動能力に乏しそうな人物だけに、迫りくる危険から逃げるストーリーには大いにハラハラさせられる。研究所の大爆破によって迫る爆風からバイクで必死に逃亡し、市街地を走っては逃げ、氷上を滑っては逃げる。もちろん、その過程で陰謀の画策者を探り出すという、これまた難儀なミッションに奔走するワケで、スリリングなことこのうえない。■ 一方、1970年代の社会派サスペンス・アクションの傑作『ジャッカルの日』を大胆に改編した『ジャッカル』でブルース演じるのは、米国要人を暗殺する任務を負った正体不明の殺し屋、通称ジャッカル。追いかける側はリチャード・ギアが演じる、FBIに協力を要請された元IRAテロリストで、彼にとってジャッカルは因縁の宿敵でもある。どちらも諜報活動のプロだから、追いつ追われつの攻防は、やはり緊張感たっぷりだ。ジャッカルは身を隠し、逃げ回りながらもテロ暗殺計画を進めるわけで、彼がどのようにして標的に近づき、その標的が誰なのかというミステリーもドキドキ感をあおる。さてジャッジだが、ブルース演じるジャッカルは名前も国籍さえもわからない、ミステアリスな存在で、それは簡単には敵につかまらないことの表われでもある。変装術も巧みで、ロン毛や金髪、ヒゲ面はもちろんメタボ体型にもなるのだから凄いと言えば凄いのだが、スター・オーラの強い役者が演じているため、一歩引いてみると“どう見てもブルース・ウィリスだよ!”というツッコミも入れたくなる。その点、キアヌは役の上のフツーっぽさもあって、ぜい肉多めの姿で奮闘する姿は、見ていて感情移入しやすい。“追われる者の奮闘”という基準から見て、必死さが伝わってくる後者を勝者としたい。 以上のように、【逃避行対決】を制したのは、「チェーン・リアクション(1996)」のキアヌ・リーヴス! 明日7/10(火)のアクションスター列伝は【ヴァンパイア対決】!こちらもお見逃しなく!■ © 1996 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.© TOHO-TOWA
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PROGRAM/放送作品
地獄の7人
ベトナム戦争終結後、捕虜となり未だ戻らぬ息子を想う父親をジーン・ハックマンが演じた戦争アクション
戦時行方不明者(MIA)救出を取り上げたアクション映画がこの頃流行ったが(『地獄のヒーロー』、『ランボー2』)、そんな中でも、息子を思う父の愛を描き、感動を盛り込むことに成功した異色MIA救出モノ。
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PROGRAM/放送作品
(吹)地獄の7人
ベトナム戦争終結後、捕虜となり未だ戻らぬ息子を想う父親をジーン・ハックマンが演じた戦争アクション
戦時行方不明者(MIA)救出を取り上げたアクション映画がこの頃流行ったが(『地獄のヒーロー』、『ランボー2』)、そんな中でも、息子を思う父の愛を描き、感動を盛り込むことに成功した異色MIA救出モノ。