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アパートの鍵貸します
巨匠ビリー・ワイルダーがサラリーマンの恋と悲哀を軽やかに描く、ロマンティック・コメディの傑作
ビリー・ワイルダー監督の代表作にして、ロマンティック・コメディの不朽の名作。作品賞、監督賞などアカデミー賞5部門受賞。主演はワイルダー作品の常連ジャック・レモン。相手役にシャーリー・マクレーン。
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COLUMN/コラム2021.08.30
ワイルダー&レモン 黄金コンビの最高傑作『アパートの鍵貸します』
アメリカ映画史に燦然と輝く、名匠ビリー・ワイルダー。彼が1940年代、パラマウント・ピクチャーズを拠点としていた頃から、温めていた企画が2つあったという。50年に映画化を実現した、『サンセット大通り』と、本作『アパートの鍵貸します』(60)だ。 ワイルダーが『アパート…』の着想を得たのは、ノエル・カワードの原作・脚本を、デヴィッド・リーンが監督したイギリス映画『逢びき』(45)を観てのことだった。元祖“不倫映画”の名作と言われるこの作品では、お互い家庭を持つ男女が、逢瀬の場として、男の友人のアパートを利用しようとする。 ワイルダーはそこから、アパートを使われてしまった、友人の男性のことに思いを馳せた。帰宅して、恋人たちが帰ったばかりで、生温かいベッドへと潜り込む。自分には恋人もいないのに…。 しかし当時のアメリカ映画の基準だと、内容が些か「不道徳」に過ぎる。いずれ舞台劇にでもと考えて、この着想は、しばしワイルダーの脳内に寝かされることになる。 そしてやって来た50年代、ワイルダーは黄金時代を迎える。先に挙げた『サンセット大通り』を皮切りに、『地獄の英雄』(51)『第十七捕虜収容所』(53)『麗しのサブリナ』(54)『七年目の浮気』(55)『翼よ! あれが巴里の灯だ』(57)『昼下りの情事』(57)『情婦』(58)『お熱いのがお好き』(59)と、ほぼ1年に1本ペースで、新作を発表。社会派作品から、サスペンス、ラブストーリー、実話もの、そしてコメディまで、ジャンルは幅広く、しかもそのいずれもが、今日では「クラシック」として讃えられる作品ばかり。 1906年生まれ。50代中盤を迎えようとしていた頃のワイルダーは、まさに円熟期と言えた。 『お熱いのがお好き』(59)を撮り終えた後、ワイルダーは、『お熱い…』で初めて起用したジャック・レモンの主演で、もう1本撮りたいと考えた。そして、『昼下りの情事』以降コンビを組むようになった、脚本家のI.A.L.ダイアモンドと頭をひねっていると、件の不倫カップルにアパートを貸す男のことを思い起こした。 かつては、映画にするには「不道徳」と思われた内容だったが、60年代に入る頃には、検閲も緩和されていた。時を経て、製作できる状況になっていたのである。 主人公の役柄と状況は、ワイルダーが温めていた通りでイケる。ではストーリーは、どうするか? ヒントになったのは、1951年にハリウッドで起こった、スキャンダラスな事件だった。後に『エアポート』シリーズなどのプロデューサーとして活躍するが、当時は俳優のエージェントだったジェイニングス・ラングが、依頼主である女優のジョーン・ベネットと浮気。それを知った、ベネットの夫で著名なプロデューサーのウォルター・ウェンジャーが、ラングを銃で撃ったのである。 この時ラングは、部下のアパートを利用して浮気をしていた。ここから、映画の中の人間関係が決まった。大会社に勤める平社員が、上司にアパートを利用されるという構図だ。 このようにして話がまとまると、ワイルダーは、ジャック・レモン、プロデューサーのウォルター・ミリッシュ、製作会社のユナイテッド・アーティスツに提案。映画化の運びとなった。 *** ニューヨークの保険会社に勤めるバド(演:ジャック・レモン)は、4人の部長が愛人と密会するための場として、自分のアパートを提供していた。そして彼らの口添えで、昇進を手にする目前となった。 ところが、人事を握るシェルドレイクに呼び出され、そのカラクリがバレてしまう。ピンチと思いきや、シェルドレイクも、バドのアパートを使いたいという。それと引き換えに、遂にバドは課長補佐へと昇進する。 出世したバドは、以前から思いを寄せていたエレベーター係のフラン(演:シャーリー・マクレーン)にモーションをかける。しかし彼女こそが、シェルドレイクの密会の相手であった。 クリスマス・イブ、それに気付いてやけ酒を煽ったバドがアパートへと帰ると、睡眠薬で自殺を図ったフランが、倒れていた。シェルドレイクが、一向に妻と別れようとしない上に、今までに数多の女性と関係を持っていたことを知って、絶望してしまったのだ。 隣室の医師の助けで、バドはフランの命を救い、懸命に介抱する。そしてシェルドレイクに、フランは自分が引き受けると、宣言することを決意するが…。 *** 先に言及した通り、ジャック・レモンありきで、ワイルダーは本作の企画を進めた。レモンのことは、そのキャリアのはじめの頃から注目しており、『ミスタア・ロバーツ』(55)で彼がアカデミー賞助演男優賞を得た演技に関しては、「腹の皮がよじれるほど滑稽だった」などと評している。 念願叶って、『お熱いのがお好き』(59)に起用。この作品でレモンは、マフィアによる虐殺事件を目撃してしまったため、女装して逃避行する楽団員を演じた。それ以降レモンは、ワイルダーのお気に入り俳優No.1となり、2人のコンビ作は、トータルで7本にも及んだ。「彼のやることには何事によらず才能のきらめきが見られた」というワイルダー。例えば午前9時に撮影開始なら、8時15分にはスタジオ入りするような、レモンの振舞いも、高く評価した。 レモンはよく、ワイルダーのオフィスに「ねえ、すばらしいアイディアがあるんだ」と訪ねてきた。そしてしばらく話をした後、ワイルダーがからかうような目つきを返すと、「…わたしも気に入ってたわけじゃないんだ」と言って帰っていったという。 フランを演じたシャーリー・マクレーンは、本作と『あなただけ今晩は』(63)で、ワイルダー&レモンとトリオを組んでいるが、本作に関しては、当初不安を抱えていた。セットにワイルダーの妻が訪問した時、「ビリーはこれがいい映画になるってほんとうに思っているの?」などと尋ねたという。 結果的に彼女のキャリアの中でも、代表作と言える2本をプレゼントしてくれたワイルダーのことを、「…わたしの人生でとても重要な人物…」と言うが、同時にジャック・レモンに対して、強い羨望の念を抱かざるを得なかった。ワイルダーが「…ジャックに注目するのとおなじようには、わたしに注目してくれなかった」からである。「…仕事の面ではビリーは、ジャック・レモンに首っ丈。惚れこんでいたわ。わたしがセリフや演技についてアイディアを出しても、あまり聞きたがらなかったの。彼の注意を引くことができなかったー…」「ジャックといっしょのシーンでは、いつもいい演技をしなければならないとわかっていた。ビリーは、ジャックの出来がいちばんいいテイクを選ぶんですもの…」 シェルドレイク役には、当初ポール・ダグラスが決まっていた。しかし撮影開始2日前に、心臓発作で急逝。そこで白羽の矢を立てたのが、フレッド・マクマレーだった。 しかしマクマレーは、二の足を踏んだ。ディズニーと契約中で、ファミリー・ピクチャーに出演することになっていたからだ。それなのに、浮気者の中年男の役なんて…。 マクマレーはワイルダー作品では、『深夜の告白』(44)の出演をオファーされた際にも、躊躇したことがある。その頃の彼は、コメディに数多く出演。サスペンス映画で“殺人者”の役などは、荷が重いと感じたのである。 結局『深夜の…』の時と同様、マクマレーは『アパート…』にも出演することを決めた。こうして彼のキャリアの中では、ワイルダー監督作は、異色の2本となった。 巧みなストーリーテリングやキャラクターの造形に、舌を巻く本作。同時に、美術や小道具の使い方にも、注目していただきたい。 まずはバドが勤める、見るも巨大で奥行きのあるオフィス。美術監督アレクサンドル・トロ―ネルが、遠近法を駆使して作り上げたものである。 こちらのオフィスのセットは、実は奥へ行くにつれて、机や椅子が小さくなっていく。そして配置されたエキストラも、どんどん小柄になっていく。更にその奥では、小さな子どもに、大人の服装をさせた。更に更に奥には、最小限のサイズの机と、紙に描いて切り抜いた人形を用意した。 本作の小道具として、あまりにも有名なのは、コンパクト。開けると、ひび割れた鏡が出てくる。このコンパクトによって、主人公はそれまで気付かなかった事実を知る。セリフによる説明を省略する役割を果たすわけだが、具体的にどのように機能しているかは、本編を見てのお楽しみとしたい。 コメディ・リリーフ的な役割を果たすのは、バドのキッチンに置かれたテニスラケット。バドがスパゲッティをゆでる際、ざるの代わりに湯を切るのに使う。このテニスラケットが、独身男であるバドのキャラを表すと同時に、演じるレモンの軽妙な振舞いを引き出す。 テニスラケットのアイディアは自分が出したと、ワイルダーは主張している。しかし相方のダイアモンド曰く、「…ビリーはグルメだから、あのジョークが好きじゃないんだ。彼がいやな顔をしたのを憶えているよ…」 さてダイアモンドの回想から、もう一点印象深い話を引用する。本作を撮り終えて、4カ月ほど経った頃の話である。バーで飲んでいた時に、ワイルダーが突然叫んだ。「あの映画をどうすべきだったかわかったぞ!レモンをなんらかの障害者にすべきだったんだ。そうすれば、もっと同情できる登場人物になっていただろう」 しかし後年になると、ワイルダーは本作のことを、「もう一度やり直したいと思わない数少ない映画の一本…」と言うようになる。 本作は初公開時に、興行的にも批評的にも、大成功を収めた。ジャック・レモンの演技を、「チャップリンの再来!」と絶賛した新聞評も出た。 アカデミー賞では10部門にノミネートされて、5部門で受賞。プロデューサーも兼ねていたワイルダーは、作品賞、監督賞、脚本賞と、1本の作品で3本ものオスカーを得た、史上初の映画人となった。 その時プレゼンターだった劇作家のモス・ハートは、ワイルダーにオスカーを授与する際、こんな耳打ちをしたという。「ここらがやめどきだよ」。 確かに『アパート…』のような傑作を放ってしまうと、同じレベルを維持していくのは、困難である。この後60~70年代に掛けても、水準以上の作品を送り出し続けたワイルダーだったが、振り返ってみれば、確かに本作がピークであった。 それ故に、「もう一度やり直したいと思わない数少ない映画の一本…」と、後に語るようになったのかも知れない。 さて最後に、この作品の有名なラストシーンに関わることに触れたい。本作未見の方は、この後の文は、読むのを後回しにしてもらった方が良いかも知れない。 シェルドレイクの元を去り、バドのアパートへと向かうフラン。部屋のそばまで来ると、銃声のような音が鳴り響く。バドが以前にピストル自殺を図ったことがあると聞いていたフランは、大慌てで部屋のドアをノック。バドがシャンパンの蓋を開けただけとわかって、ホッとする。 フランは部屋に入ると、以前にケリがつかなかったトランプのゲームをやろうと誘う。愛の告白をしようとするバドを遮って、「黙って札を配ってよ」で、“THE END”である。 さてこのラストシーンについて、「めでたしめでたし」なのかと、よく問われたワイルダーは、そうではないと考えていた。2人は似合いのカップルではない上、バドは失業中で、フランもこの後に職を失うのは、必至。金がなくなれば、人間関係がギスギスするし、どちらもそんなに器用なタイプではない。 ラストで2人が居るアパートにはやがて、「…“貸し室”の札がかけられるようになるんじゃないかな」というのが、“皮肉屋”のワイルダーの見解だった。 ところがそんなワイルダーが、最晩年になると、考えが変わる。「…いまではあのふたりがうまくいったと思っているよ。結婚生活は長つづきして、ふたりはもっといいアパートに入っただろう」 ワイルダーは1949年に、女優のオードリー・ヤングと結婚をする。彼にとっては2回目の結婚だったが、2002年に95歳でこの世を去るまで、彼女と連れ添った。 ワイルダーはバドとフランのその後について考えが変わった理由として、「…もしかしたらオードリーとの結婚生活のせいで、ロマンティックになったのかもしれない…」と、説明していた。■ 『アパートの鍵貸します』© 1960 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. 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