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PROGRAM/放送作品
ブルース・リー/死亡の塔
[PG12相当]兄を殺された格闘家が復讐に立ち上がる!ブルース・リー亡き後に製作されたカンフー映画
ブルース・リーが撮影中に急死した『ブルース・リー/死亡遊戯』と同時期に企画された作品を、リーの過去の未公開フィルムを編集し製作。『死亡遊戯』でリーのスタント・ダブルを演じたタン・ロンが実質上の主演。
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COLUMN/コラム2023.08.09
『北京原人の逆襲』私史 ―怪獣映画少年はいかに本作を愛したのか―
◆香港を破壊する巨大猿人のファーストインパクト 天突くほどの巨大な古代猿人が、香港の街を破壊するモンスターパニック映画『北京原人の逆襲』(監督/ホー・メンホア)は、『道』(1954)『天地創造』(1966)のディノ・デ・ラウレンティス製作、『タワーリング・インフェルノ』(1974)のジョン・ギラーミン監督によるリメイク版『キングコング』(1976)の製作に触発されて始動した企画だ。3000万ドルという、当時としては巨額のバジェットを誇る前者に対し、わずか50万ドル(600万香港ドル)という低予算で対抗したにもかかわらず、本家よりもはるかに面白い作品となった。 この「『キングコング』以上に面白かった」というのは、本作を語るうえでテンプレのごとくついてまわる常套句だが、決して盛ったものではなく、日本公開時に小学生だった筆者(尾崎)がオンタイムでそれを実感している。なにしろ開巻からいきなり巨大猿人“北京マン”(吹替版本編での呼称に準拠。以下同)が登場し、村を容赦なく蹂躙するのを見せられては、始まって30分経たないと全体像を見せないキングコングの分が悪くなるのも当然だ。加えて本作のヒロイン、野生美女サマンサ(イヴリン・クラフト)の気持ち程度のアニマル革をまとった半裸姿も、思春期前の少年には相当に刺激が強いものだった。 そしてなにより、半端でないスケールのミニチュアと着ぐるみを駆使した同作の特殊効果が、驚くほど日本人である自身のDNAに馴染むものだったのだ。 それもそのはずで、本作の特技撮影は『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967)の特技監督として知られる有川貞昌を筆頭に、東宝の優れた特撮スタッフが製作元のショウ・ブラザースに招聘されて担当しているからだ。 当時の東宝怪獣映画は、円谷英二の死去にともなう1969年の特殊技術課の廃止以降、ゴジラシリーズを子ども向けの低予算映画としてシフトチェンジさせ、残存スタッフでその命脈を保ってきた。それも1975年の『メカゴジラの逆襲』で休眠期に入り、本格的な怪獣映画の製作は1984年の『ゴジラ』まで潰えてしまう。 その間『日本沈没』(1973)や『ノストラダムスの大予言』(1974)などのパニック映画は折に触れて製作されていたし、私的にはまだ見ぬ『スター・ウォーズ』(1977)の公開に胸躍らせて飢餓感はなかったが(同作の日本公開は1978年7月1日)、それでも怪獣映画こそ心の花形だった少年は、なんともいえない心の空洞を感じていたのだ。 そんな状況下で、東宝のサウンドステージの数倍はあろうかというショウ・ブラザースのスタジオに、香港の街をミニチュアで精密に再現し、巨大なクリーチャーを大暴れさせた同作は、黄金期の東宝怪獣映画を彷彿とさせるものだったのである。 ◆東宝特撮映画の道筋を変えたかもしれない存在 ショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟有限公司)は1950年代後半から〜1970年代末まで香港映画の黄金時代を牽引した映画会社で、技術的な発展を視野に入れた同スタジオは、日本の撮影スタッフを積極的に招き入れていた。『北京原人の逆襲』は同社にとって初の本格怪獣映画として、日本の優れた特撮スタッフが持つノウハウを希求したのだ。 後年、筆者はこの映画の特撮班に助監督としてたずさわった川北紘一氏と、インタビュー取材やトークショーの相手役として何度かお仕事をご一緒させていただき、この『北京原人の逆襲』について話を聞いたことがある。そのとき川北監督は、「当時は映画の仕事がなかったからさ、ついていくしかなかったんだよ」とニコニコ笑いながら参加の動機を答えていたが、事実、それは先に記した東宝特撮映画の動向に裏付けられるだろう。ただこの仕事を境に川北は『さよならジュピター』(1984)の企画にほどなく関与し、また東宝の田中友幸プロデューサーが主導してきた「ゴジラ復活委員会」に尽力し、後に平成ゴジラシリーズの特撮監督を担っていく。こうした怪獣映画ルネッサンスの布石として、『北京原人の逆襲』の影響力は小さくないものと筆者は捉えている。いささか極論かもしれないが、1976年のあの段階で川北の香港渡航がなければ、以後の東宝特撮映画の流れはもう少し違ったものになっていたかもしれない。 しかしこうして力説するほどに『北京原人の逆襲』が重要視されているかというと、当方の熱量とはいささかの温度差がある。 『キングコング』の対抗馬として世に出ながら、本作は撮影スケジュールの遅れから本家より半年後の公開となった。そのもくろみ外れは興行に影響し、初公開後の1週間でわずか120万香港ドルの興行収入しか得られなかった。そして限定的なインターナショナル公開の後、1979年にはアメリカでは『GOLIATHON』と改題され、短縮バージョンで短い期間に配給され、知られざるまま消えてしまったのだ。 それから20年後の1999年、『パルプ・フィクション』(1994)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(2019)の監督クエンティン・タランティーノが、当時パートナー関係にあった映画会社ミラマックスをスポンサーにして立ち上げたレーベル「ローリング・サンダー・ピクチャーズ」とカウボーイ・ブッキング・インターナショナルの共同によってオリジナル版が再公開され、全米20か所で深夜上映された。 不遇にあったこの傑作が 晴々しい復権を得た瞬間である。 ◆出藍の誉、ここに極まれり それにしてもなぜ『北京原人の逆襲』に、自分はここまで惹かれるのだろう? 映画の出自が出自だけに、当然ストーリーは『キングコング』の鋳型に収めたような定型的なものだ。興行師が金儲けのために未踏の地で発見した巨大猿人を捕獲し、その存在を見せものにした興行を打とうとする。だが猿人は制御を失い、大都市に放たれて大暴れをする。彼が唯一心を通わせるヒロインの存在といい、どこまでも“美女と野獣”の寓話に忠実である。クライマックスで猿人が、自国を象徴する高層建築によじ登っていくところまで、折目正しく踏襲している。 しかし、こうした類似性に観る側も自覚的であれば「では違う部分はどこなのか?」と比較し、能動的に作品と接していくことになる。だから余計に『北京原人の逆襲』の良点が鮮やかに映るのだ。 また同作の公開時、仮想敵だった『キングコング』はすでに公開から1年が経過しており、比較対象として俎上にさえ上がらなかったことや、このギラーミン版はむしろ、1933年製作のオリジナル版『キング・コング』との比較にさらされ、作品自体の評価がネガティブに固定してしまった。それが『北京原人』の高評価の底上げになったといえなくもない。 また当時はそこまで思慮深く意識していなかったが、本家『キングコング』に先駆けて公開してやろうという『北京原人の逆襲』の哲学は、東宝が『スター・ウォーズ』公開までの間に『惑星大戦争』(1977)を製作したのと似たものを覚えてしまう。そんな同作のエクスプロイテーションを標榜する姿勢に、肌感覚で同じようなテイストを感じたのだろう。 そして日本を代表するベテラン造形師・村瀬継蔵が創造した北京マンのままならぬ容姿も、「猿人系モンスターはブサイクである」という東宝怪獣の屈折した美学にのっとっており、そこもまた同作に肩入れする要素だったといえる。 これらが複合的に撚り合わさり、『北京原人の逆襲』は当時の少年の心をグッと捉えたというのが、オンタイムで同作を観た者の剥き身の体験談である。映画史には残らないかもしれない、しかしこの映画の存在は、怪獣映画ジャンキーだった筆者の私史にしっかりと刻みつけられている。■ 『北京原人の逆襲』© 2004 CELESTIAL PICTURES LTD. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ドラゴン危機一発
ドラゴン伝説はここから始まった!ブルース・リーが香港で映画初主演を果たしたカンフーアクション
ハリウッドから凱旋帰国したブルース・リーの実質的な映画初主演作。おなじみのヌンチャクも怪鳥音もないものの、主人公が溜めに溜めた怒りを爆発させる格闘シーンでは足技を多用したアクションでスカッとさせる。
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COLUMN/コラム2023.05.29
「カンフー映画の王様」の誕生を告げるブルース・リーの記念すべき初主演作!『ドラゴン危機一発』
ハリウッドを振り向かせるために香港へ戻ったブルース 永遠不滅のカンフー映画スター、ブルース・リーの初主演映画であり、’70年代カンフー映画ブームの原点とも呼ぶべき作品だ。’71年10月23日に香港で封切られるや大反響を巻き起こし、これを皮切りにアジア各国はもとより中東やヨーロッパ、アメリカでも大ヒットを記録。もともと予算10万ドルのB級映画だった本作だが、最終的には当時の香港映画として史上最高額となる5000万ドルの興行収入を稼ぎ出してしまう。 当時すでに香港のカンフー映画はアジア諸国で人気を博していたものの、しかし世界規模で成功した作品は『ドラゴン危機一発』が初めてだったとされる。おかげで、長いことハリウッドで燻っていたブルースは、一夜にして香港映画界を代表するトップスターへと飛躍。韓国や日本など一部の国では’73年7月20日のブルースの死後、ハリウッドでの初主演作『燃えよドラゴン』(’73)の爆発的ヒットを受けて劇場公開されているが、いずれにせよ『ドラゴン危機一発』の大成功が来るべきカンフー映画ブームの素地を作ったことは間違いないだろう。 アメリカ生まれで香港育ちのブルース・リー。日頃の素行不良を心配した両親の薦めもあって、13歳の頃から伝説的な武術家イップ・マンのもとに弟子入りをした彼は、そこで初めて生まれ持った武術の才能を開花させるわけだが、しかし喧嘩っ早い性格は一向に治らず問題ばかり起こすため、有名な俳優だった父親は当時まだ18歳のブルースに100ドルを持たせて渡米させる。「可愛い子には旅をさせよ」というわけだ。アメリカでは学業の傍らで武術道場を開いたブルース。やがて大学を中退した彼は道場の経営に専念し、自らが理想とする武術の追求と普及に邁進していくこととなる。 大きな転機が訪れたのは’66年。その2年前にカリフォルニアで開催された第1回ロングビーチ国際空手大会に参加したブルースは、そこで自らの編み出した驚異的な技を披露して観衆の度肝を抜いたのだが、これを見て強い感銘を受けたハリウッドのTVプロデューサー、ウィリアム・ドジャーの推薦によって、ドジャーが大ヒット作『バットマン』(‘66~’68)に続いて製作したヒーロー活劇ドラマ『グリーン・ホーネット』(‘66~’67)の準主演に抜擢されたのである。 ブルースが演じたのは覆面ヒーロー、グリーン・ホーネットの運転手兼助手である日本人カトー。残念ながら番組は1シーズンで打ち切りとなったが、しかし劇中でブルースが披露した中国武術のインパクトは大きく、これを機に彼のもとには脚本家スターリング・シリファントや俳優ジェームズ・コバーンにスティーヴ・マックイーンなどなど、ハリウッドの大物セレブたちが門下生として続々と集まってくる。中でもマックイーンとはお互いに固い友情で結ばれたというブルース。その一方で、彼はマックイーンに対して激しいライバル意識も燃やしていたという。なぜなら、自分もマックイーンのようなトップスターになりたかったからだ。 シリファントの紹介で映画のスタント監修やテレビドラマのゲスト出演をこなしつつ、ハリウッドでの成功を夢見て各スタジオに自らの企画を売り込んだというブルースだが、しかしどこへ行っても門前払いを食らってしまう。最大のネックは彼が中国人ということ。ドラマ『燃えよ!カンフー』(‘72~’75)がブルースの原案を下敷きにしているというのは実のところ誤情報だったらしいが、しかし当初は劇場用映画として企画された同作の主演スターとして、ワーナー・ブラザーズの重役フレッド・ワイントローブ(後に『燃えよドラゴン』をプロデュース)がブルース・リーに白羽の矢を立てていたことは事実だそうで、しかしやはり中国人が主役ではヒットが望めないとして却下されてしまったという。 一流の人材を求めているはずのハリウッドのスタジオが、なぜ一流の武術家である自分を受け入れてくれないのか?と思い悩んだというブルース。そんな彼にワイントローブやコバーンが香港行きを強く勧める。ハリウッド業界を振り向かせたいならば、映画スターとしての実力を証明しなくてはいけない。そのためには格闘技だけでなく演技力も磨かねばならないし、名刺代わりとなる主演映画だって必要だ。ハリウッドではハードルが高いかもしれないが、しかし香港であればそれも可能だろう。要するに「急がば回れ」である。そこでブルースは故郷・香港へ戻り、当時同地で最大の映画会社だったショウ・ブラザーズと交渉するのだが、しかしギャラの金額が折り合わずに決裂する。 そんな彼に声をかけたのが、’70年にショウブラから独立して新会社ゴールデン・ハーヴェストを立ち上げたばかりの製作者レイモンド・チョウ。ちょうど当時、香港では『グリーン・ホーネット』が再放送されており、ブルースの知名度も高かったことから商機ありと見込んだのだろう。かくして、’71年の夏にゴールデン・ハーヴェストとの契約を結んだブルース。その第1回出演作となったのが本作『ドラゴン危機一発』だった。 『燃えよドラゴン』へと繋がった舞台裏秘話とは? 舞台は東南アジアのタイ。親戚を頼って出稼ぎにきた中国人の若者チェン(ブルース・リー)は、初めて会う従兄弟シュウ(ジェームズ・ティエン)やその妹チャオ・メイ(マリア・イー)らと共同生活を送りつつ、彼らの勤務先である地元の製氷工場で働くことになる。ところがこの製氷工場、実は麻薬密売の拠点となっていた。社長マイ(ハン・インチェ)はマフィアのボスで、出荷される氷の中に麻薬を隠して売りさばいていたのである。そのことに気付いた従兄弟たちが次々と消され、ついにはシュウまで殺されてしまう。喧嘩はしないと母親に誓っていたチェンは、余計なトラブルに巻き込まれないよう事態を静観していたものの、兄の安否を心配するチャオ・メイのためにも真相を探り始めるのだったが…? もともと本作は当時すでにスターだったジェームズ・ティエンの主演作であり、新参者のブルースは準主演として起用されたという。しかし、格闘シーンの凄まじい迫力を目の当たりにし、感心した制作陣は彼を主演へ格上げすることを決定。おのずと脚本も書き直されることとなった。実際、映画そのものは必ずしも上出来とは言えず、脚本や演出にも突っ込みどころは少なくないのだが、しかしブルース・リーがいざ戦い始めると途端に雰囲気は一変。その圧倒的なスターのオーラと鍛え抜かれた肉体の美しさ、人並外れた身体能力に目が釘付けとなる。たとえ格闘技のことに詳しくなくとも、もはや彼が別格の存在であることは誰が見ても一目瞭然。ただひたすらカッコいいのである。当時は香港でもアメリカでも、興奮した観客がスクリーンのブルース・リーに向かって、声援や拍手を送って大騒ぎだったと伝えられているが、然もありなんといったところである。 ロケ地はタイのパークチョン郡。当時は劣悪な環境だったそうで、ホテルの水道の蛇口をひねれば黄色い水が出るわ、そこら中に蚊やゴキブリがいるわという状態だったらしい。そのうえ高温多湿の気候が厳しく、新鮮な食材も手に入りにくいため、さすがのブルースも体調管理に難儀したとされ、撮影中に体重が激減してしまったという。また、アクションシーンの撮影にトランポリンを使ったり、敵役が壁を突き抜けると人型の穴が開いたりといった、マンガ的に誇張されたロー・ウェイ監督の演出にもブルースは不満を示したと言われる。確かに、生真面目で本物志向なブルースの趣味でなかっただろうことは想像に難くないが、まあ、いかんせん荒唐無稽が身上のロー・ウェイ作品なので…。 そのアクションシーンの武術指導を手掛けたのが、俳優として製氷工場の極悪社長役を演じているハン・インチェ。巨匠キン・フー監督による一連の武侠映画でも俳優兼武術指導を担当した人物で、それこそトランポリンを用いたアクロバティックなスタントも彼の十八番だった。格闘シーンでブルースが口元で血を拭ってみせる仕草は、ハン・インチェが『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』(’67)で演じた刺客マオの真似だとも言われている。また、次回作『ドラゴン怒りの鉄拳』(’72)でヒロインを演じる女優ノラ・ミャオが、かき氷屋の娘としてゲスト出演しているのも見逃せない。 なお、本作は合計で3種類の音楽スコアが存在することでも知られている。まずは香港での初公開時に使用されたワン・フーリンの音楽スコア。良くも悪くも印象に残らない平凡なカンフー映画の音楽スコアなのだが、これを「東洋的すぎる」と考えた西ドイツの配給会社は、’60年代に同国の人気スパイ映画「ジェリー・コットン」シリーズのテーマ曲などを手掛け、ジャーマン・ラウンジミュージックの巨匠としても知られる作曲家ピーター・トーマスに新たな音楽スコアを発注。これがドイツ語吹替版のみならず全米公開された英語吹替版でも使われている。さらに、日本公開された別の英語吹替版でも独自の音楽スコアを使用。これは広東ポップスの作曲家としても有名なジョセフ・クーが手掛けたもので、エンディングには日本公開版オリジナルの主題歌「鋼鉄の男」(歌:マイク・レメディオス)が流れる。ただし、実際に聞き比べてみると分かるのだが、この日本公開版ではピーター・トーマスの音楽スコアも一部で使われている。 ちなみに、ゴールデン・ハーヴェストは’82年のリバイバル公開時に広東語吹替版を製作。これが現在に至るまでスタンダードなオリジナル音声として流通しているのだが、しかし一部の(特に日本の)ファンからはすこぶる評判が悪い。というのも、もともと本作ではまだブルース・リーのトレードマークである「怪鳥音」は存在しなかったのだが、このリバイバル公開版では別のブルース・リー作品から切り抜いたと思しき「怪鳥音」を無理やり被せているのだ。そればかりか、ピンク・フロイドやキング・クリムゾンの楽曲パーツまで勝手にサンプリング…というか無断使用(笑)。いったいどういう経緯でこうなったのか首を傾げるところではある。 とにもかくにも、ハリウッドでは見向きもされなかったブルース・リーにとって念願の映画初主演となった本作。彼に香港行きを勧めたワーナー重役フレッド・ワイントローブによると、本作の完成直後にブルースから本編フィルムが彼のもとへ送られてきたという。これを当時のワーナー会長テッド・アシュリーに見せると大変気に入ったらしく、すかさずワイントローブが「ブルースのために脚本を用意してはどうだろうか」と提言したところ、とんとん拍子で話がまとまって企画が実現する。それがワーナーとゴールデン・ハーヴェストの共同制作による、ブルース・リーのハリウッド初主演作『燃えよドラゴン』だったというわけだ。■ 『ドラゴン危機一発』© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ブルース・リー/死亡の塔 【月曜ロードショー版】
[PG12相当]兄を殺された格闘家が復讐に立ち上がる!ブルース・リー亡き後に製作されたカンフー映画
ブルース・リーが撮影中に急死した『ブルース・リー/死亡遊戯』と同時期に企画された作品を、リーの過去の未公開フィルムを編集し製作。『死亡遊戯』でリーのスタント・ダブルを演じたタン・ロンが実質上の主演。
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COLUMN/コラム2021.10.11
ブルース・リーの遺志を継いで作られた最後の主演作(?)『ブルース・リー/死亡遊戯』
実は『燃えよドラゴン』の前に撮影されていたブルースの出演シーン ハリウッドでの初主演映画『燃えよドラゴン』(’73)の大ヒットによって国際的なトップスターとなり、世界中で時ならぬカンフー映画ブームを巻き起こした香港映画のカンフー・レジェンド、ブルース・リー。だが、本人はその直前の’73年7月20日に、病気のためこの世を去ってしまう。享年32。あまりにも突然の悲劇からおよそ5年後、生前のブルースの未公開フィルムを使った「最後の主演作」が公開される。それが、この『死亡遊戯』(’78)だ。 もともと「死亡的遊戯」と題されていたという本作は、実は『燃えよドラゴン』よりも前にブルースの監督・脚本・主演で企画されていたのだが、その撮影途中にワーナー・ブラザーズとゴールデン・ハーベストが合作する『燃えよドラゴン』のオファーを受けたことから中断していた。先述した未公開フィルムというのは、この時点で既に撮影されていた分の映像である。ブルースは『燃えよドラゴン』の撮影終了後に本作の製作を再開させるつもりだったそうだが、しかし本人が急逝したことによって一度は頓挫してしまう。言わばその遺志を受け継いだのが、『燃えよドラゴン』でブルースと組んだロバート・クローズ監督。さらにブルースの後輩であるサモ・ハン・キンポーが武術指導を担当し、遺されたフィルムを使用したブルース・リーの「最後の主演作」が作られることとなったのである。その際に、ブルースが手掛けたオリジナル・ストーリーも大幅に変更されている。 当初、ブルースが演じるキャラクターは格闘技の元世界チャンピオンという設定で、家族を拉致したマフィアに強要され、各地から集められた格闘家たちと共に、韓国にある五重塔でのデスゲームに挑むこととなる。この五重塔では各階にそれぞれ格闘技の達人がひとりずつ配置されており、彼らとのデスマッチに勝利すれば順番に上の階へと進むことが出来る。そして、ほかの格闘家たちが次々と敗れていく中、主人公だけが無事に勝ち進んでいき、いよいよ最上階で最強の敵(カリーム・アブドゥル=ジャバー)と対決することになる…というお話だったという。最上階にはなにかお宝のようなものが隠されているらしいのだが、残念ながら現存する資料ではその詳細は分かっていない。 そして、ブルースが存命中に撮影されていたのは、主にこの五重塔でのクライマックスシーンだった。しかも、3階から5階までのパートしか存在していない。およそ39分間に及ぶこのクライマックスだが、しかし最終的に『死亡遊戯』完成版では11分強しか使われなかった。というのも、このシーンではブルース以外にジェームズ・ティエンとチェン・ユアンが共に最上階を目指す格闘家として登場するのだが、この2人が78年版の撮影には参加できなかった(ユアンは既に死亡していた)ため、彼らの出番を削らねばならなくなったのだ。さらに、五重塔という設定もなかったことにされ、クライマックスの舞台はシンジケートの隠れ家である料理店(香港に実在する有名な四川料理店・南北樓)の上階ということになった。ただし、ジェームズ・ティエンがカリーム・アブドゥル=ジャバーに殺される場面だけは、過去にシンジケートの犠牲となったカンフー映画スターのフラッシュバック・シーンとして前半で使用されている。 ブルースに見立てられた代役たち 完成版でブルース・リー(実際は大半のシーンが代役)が演じるのは、彼自身をモデルにしたような世界的なカンフー映画スター、ビリー・ロー。恋人の人気歌手アン・モリス(コリーン・キャンプ)が白人というのも、ブルースの実生活の妻リンダを彷彿とさせる。このところ、ビリーが主演する映画の撮影現場では不可解な事故が相次いでいるのだが、実は彼は香港を根城とする国際的な巨大シンジケートから脅されていたのだ。というのも、ドクター・ランド(ディーン・ジャガー)がボスとして君臨するシンジケートは、有名な映画スターやスポーツ選手と終身専属契約を結ぶことで、彼らの収入から違法に手数料を搾取していたのだが、しかしビリーは頑なにシンジケートとの契約を拒んでいたのである。 やがて組織からの脅迫はエスカレート。それでもビリーが屈しなかったことから、ドクター・ランドの右腕スタイナー(ヒュー・オブライエン)は、組織の刺客スティック(メル・ノヴァク)を送り込み、撮影現場のどさくさに紛れてビリーを射殺する。だが、殺されたと思われたビリーは奇跡的に一命を取り留めていた。友人の新聞記者マーシャル(ギグ・ヤング)の協力で死を偽装した彼は、密かにシンジケートへの復讐を計画することに。その一方でドクター・ランドやスタイナーは、事情を知りすぎたビリーの恋人アンを始末しようとしていた…。 実際に使用できる未公開フィルムが僅かであることから、『燃えよドラゴン』以前にブルースが主演した香港映画の映像も多数流用。例えば、ビリーが撮影現場で銃弾を受ける場面は『ドラゴン怒りの鉄拳』(’72)のラストシーンだし、本編冒頭で撮影している格闘シーンは『ドラゴンへの道』(’72)のコロッセオにおけるチャック・ノリスとの対決シーンだ。チャック・ノリスの出演はこの流用シーンだけなのだが、しかし当時の宣伝ポスターやオープニング・クレジットでは名前が堂々と使われている。まあ、いろいろと大らかな時代だった(笑)。それ以外にも、ブルース主演作の細かい映像がそこかしこで切り貼りされている(ビリーの葬儀シーンはブルース本人の葬儀映像)のだが、当然ながらそれだけではストーリーが成り立たないため、大半のシーンは別人の代役をブルースに見立てて撮影している。 代役を主に演じたのは、韓国出身のアクション俳優タン・ロン(本名キム・テジョン)とされている。ほかにもユン・ピョウやアルバート・シャムが代役を担当したシーンもあり、ユン・ピョウによるとブルースのスタントマンだったユン・ワーも参加したそうだが、誰がどこのシーンをどれくらいやったのかは、いまひとつハッキリしていない。ただ、代役がブルースと別人であることは、フィルムの質感が異なることもあって一目瞭然。最初のうちこそサングラスで顔を隠そうとしているものの、クライマックスへ至る頃にはそれすらしなくなっている。そういえば、鏡にビリーのクロースアップが映るシーンで、代役の顔部分にブルース本人の顔写真の切り抜きを合成しているのは前代未聞の珍場面だ。これは鏡に直接、写真を張り付けたとも言われているのだが、いずれにしても実に大胆不敵である(笑)。 ブルース・リーの恋人役として「共演」するのは、『メイク・アップ』(’77)や『トラック29』(’88)などで知られるカルト女優コリーン・キャンプ。『ポリス・アカデミー2全員集合!』(’85)や『ダイ・ハード3』(’95)、『スピード2』(’97)など続編女優としてもお馴染みで、最近でも『ルイスと不思議の時計』(’18)や『メインストリーム』(’20)などで健在だ。本作では劇中の挿入歌も本人が歌っている。そのほか、オスカー俳優のギグ・ヤングにディーン・ジャガー、テレビ『保安官ワイアット・アープ』(‘55~’61)のヒュー・オブライエンといった往年の名優が出演。『燃えよドラゴン』でブルース・リーの師匠役を演じたロイ・チャオが、本作では京劇俳優のおじさんとして顔を出しているのも要注目だ。また、武術指導のサモ・ハン・キンポーも、格闘技の試合シーンでシンジケートの用心棒ミラー(ロバート・ウォール)の対戦相手として登場する。 ちなみに、今やブルース・リーのトレードマークとも言える、黄色に黒のラインが入ったジャンプスーツは本作で初めて着用したもの。また、五重塔の階を上がるごとにさらなる強敵が待ち受けているというオリジナル・コンセプトも、その後の様々なアクション映画や格闘ゲームなどに影響を与えることとなった。劇場公開時からファンの間でも賛否両論あることは確かだし、これをブルース・リー主演作と呼べるのかどうか疑問ではあるものの、少なくともカンフー映画史上において重要な位置を占める作品のひとつであることは間違いないだろう。■ 『ブルース・リー/死亡遊戯』© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)ドラゴン危機一発 【日曜洋画劇場版】
ドラゴン伝説はここから始まった!ブルース・リーが香港で映画初主演を果たしたカンフーアクション
ハリウッドから凱旋帰国したブルース・リーの実質的な映画初主演作。おなじみのヌンチャクも怪鳥音もないものの、主人公が溜めに溜めた怒りを爆発させる格闘シーンでは足技を多用したアクションでスカッとさせる。
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COLUMN/コラム2015.06.12
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年7月】うず潮
映画ファンなら一度は見た事あるはず!あのキレッキレのブルース・リーカンフーを堪能できる「燃えよドラゴン」がザ・シネマに7月登場!ブルース・リーが繰り出す技のスピードは、今見ても尋常じゃありません!彼のスピードに合わせるべく、格闘シーンの緊張感がフィルムから伝わってまいります。ボスキャラとの死闘を繰り広げる鏡のシーンは、瞬き厳禁でございます!そして、あの名言が出るシーンは、弟子に蹴りの指導をするシーンです。お聞き漏らしなく!この映画のもうひとつの楽しみは、彼の意思を受け継いだ、カンフー映画に欠かせないあのスターたちがチョイ役で出演していること。何人知っていますか?検索せずにここは、若き日の初々しい彼らの表情と共に映画を見て再確認してみては!さらにザ・シネマでは、ジェイソン・ステイサム、スティーブン・セガール、アーノルド・シュワルツェネッガー、ジャッキー・チェンなど人気アクションスターの作品を毎日夜9時に放送します!お楽しみに! © 1994 Twentieth Century Fox Film Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
グランド・マスター
[PG12]伝説の武術家イップ・マンの戦いを再現!名匠ウォン・カーウァイの映像美が際立つ歴史絵巻
ブルース・リーの師である武術家イップ・マンの闘いの日々を、史実に忠実に再現。4年間に及ぶトレーニングを受けて撮影に臨んだトニー・レオンの身のこなしや、ウォン・カーウァイ監督らしい華麗な映像美は必見。
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NEWS/ニュース2011.09.13
【最強男トーナメント】準決勝・第一試合、結果発表!!
試合前にドクターチェックが行われ、準決勝第一試合を戦うチャック・ノリスは、一回戦で対戦したアーノルド・シュワルツェネッガーの“州知事ベアハッグ”によって腰を痛めてしまったことが発覚。医師は棄権を勧めたが、ノリスは頑としてこの提案を拒否し、準決勝出場を強行することを決定。控室では入念なマッサージを受けていた。対するセガールは、試合終了直後こそ憮然とした表情を浮かべていたが、控室に戻ってからは終始リラックスムードに。唯一心配されるスタミナ面を解消するべく、ゆっくりと休んでいたこともあって、この試合前に完全に回復した模様だ。好対照のコンディションで臨む準決勝第一試合。全試合優勝候補者の潰し合いの様相を呈しているこのトーナメントの中でも、屈指の好カードが始まる!レフェリーに呼ばれてケージの中央でルール説明を受ける両者。格闘家として輝かしい実績を持つ者同士の対戦だけに、コーナーに分かれる際のグローブタッチまで両者ともにリスペクトに溢れた表情を崩さなかったのが印象的だ。試合開始のゴング!しかし両者ともに、うかつには近付こうとはしない。だが遠距離であれば、多彩な蹴り技を持つノリスが断然有利。さっそく強烈なミドルキックを放つノリス。しかしその蹴りに、いつもの空気を切り裂くようなシャープさは無い。本当にわずかな差ではあるが、武道の達人同士の戦いの中では、このハンデは致命傷となりかねないものだ。間一髪でノリスのミドルキックを避けることに成功したセガールは、逆にいきなり一回戦でザ・ロックをノックアウトした飛び前蹴りを披露。しかし距離がありすぎたせいもあって、こちらもノリスにかわされる。ここをチャンスと見たノリスは一気に距離を詰め、セガールの懐に飛び込んでの正拳突きを試みる。しかし近距離はセガールの距離でもある。セガールはさらに歩を進めて超至近距離での打ち合いに応じ、高速の当て身“超セガール拳”を炸裂させた。セガールはノリスが顔面打撃有りのルールで戦ったことが無いことを見越して、ノリスの顔面に打撃を集中させてきたのだ。しかしノリスは、2007年にフルコンタクトのキックボクシングイベントWCL(ワールド・コンバット・リーグ)を主催するほど、現代の格闘技を研究している。このセガールの攻撃はまさに狙い通りの攻撃であったのだ。セガール拳を避けたノリスは、ここで大技のバックハンドブローの体勢に入る。しかしこれは逆にセガールのワナであった!後ろを向いたノリスにセガールの合気投げが炸裂。大きく吹き飛ばされたノリスはマットに叩き付けられて、一回戦で痛めていた腰痛をさらに悪化させてしまう。グラウンドでは難なくトップポジションを取ったセガールが、直上からの強烈なパウンドを打ち込み始める。しかし誰もがノリスの敗北を予想したそのとき、何と空手家であるノリスが下からの腕絡みのアタックを開始したのだ! 実はこのムーブは、ノリスの盟友で総合格闘技の創始者としても名高いブルース・リーが、『燃えよドラゴン』のオープニングでサモ・ハン・キンポーを相手に披露した技。ノリスはリーにこの技を伝授されており、実戦のこのタイミングでこの技を使ったのだ。しかしUFCのトップファイターたちとのトレーニングで、自身の格闘技スキルを完全に現代総合格闘技にアジャストさせているセガールは、予想外の攻撃に驚きながらもノリスの腕絡みを振りほどきスタンド状態に戻る。ノリスも立ち上り、両者は再びスタンドでの打撃戦を開始した。まるで空手の試合のようなスタンドでの打撃戦は2ラウンド、3ラウンドも延々と続き、決して引くことのない両者の打ち合いに観客は熱狂。ノリスは鬼神の表情で打撃を打ち込み、セガールは合気道家とは思えぬ打撃だけの真っ向勝負を披露。結局決定打の無いまま、3ラウンドのゴングが鳴り響いたのだった。勝敗は判定に持ち込まれたが、1ラウンドでトップポジションを取り、2ラウンド以降は腰痛に耐えながら戦ったノリス以上に手数を出し続けたセガールが、勝利をモノにした。健闘を讃えあった両者であったが、セガールは最大の弱点と思われているスタミナをこの試合で極限まで使い果たしたため、決勝戦に向けて大きな不安材料を残したこととなる。以上の結果通り、準決勝・第一試合はスティーヴン・セガールが勝利し、決勝戦に進むことに。次戦、準決勝・第二試合は、9月13日(火)21:00-23:00/23:00-25:00ジャン=クロード・ヴァン・ダム『ユニバーサル・ソルジャー』 VS アーノルド・シュワルツェネッガー『ターミネーター』2作目「ターミネーター」の本編終了後に、こちらのブログにて試合レビューを公開!作品鑑賞と合わせてお楽しみください!!