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PROGRAM/放送作品
メカニック(2011)
[R15+]鮮やかな殺しのテクニック。J・ステイサム主演でブロンソンの同名アクションをリメイク
1972年のブロンソン主演同名作品を『エクスペンダブルズ2』の監督がリメイク。ブロンソンの演じたヒットマン役に当代一のアクション俳優J・ステイサムを起用し、アクション演出も21世紀に相応しく派手に。
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COLUMN/コラム2022.08.08
不屈の精神と魂の自由を謳いあげた戦争映画の傑作『大脱走』
第二次世界大戦下のドイツで本当に起きた大脱走劇 捕虜収容所からの脱走劇を題材にした戦争映画は枚挙に暇ないが、しかしこの『大脱走』(’63)ほど映画ファンから広く愛され親しまれてきた作品は他にないだろう。実際に起きた脱走事件を基にしたリアリズム、史上最大規模と呼ばれる脱走計画を余すことなく再現したダイナミズム、自由を求めて困難に挑戦する勇敢な男たちの熱い友情を描いたヒロイズム。『OK牧場の決斗』(’57)や『老人と海』(’58)、『荒野の七人』(’60)などの名作で、不屈の精神を持った男たちを描き続けたジョン・スタージェス監督だが、恐らく本作はその最高峰に位置する傑作と言えよう。 舞台は第二次世界大戦下のドイツ。脱走困難とされる「第三空軍捕虜収容所」に、ドイツの捕虜となった連合軍の空軍兵士たちが到着する。彼らの共通点は脱走常習者であること。実は、当時のドイツ軍は頻発する捕虜の脱走事件に頭を悩ませていた。なにしろ、逃げた捕虜を捜索するためには貴重な時間と人員を割かねばならない。かといって、戦争に勝つことを考えれば敵兵を逃がして本隊へ戻すわけにはいかないし、ジュネーブ条約で捕虜の保護が義務付けられているので処刑するわけにもいかない。そこでドイツ空軍は脱走常習者だけを一か所に集めて厳しい監視下に置き、なるべく余計な手間を減らそうと考えたのである。 とはいえ、集まったのはいわば「脱走のプロ」ばかり。しかも、ナチス親衛隊やゲシュタポに比べるとドイツ空軍は良識的で、規則を破った捕虜への懲罰も比較的甘い。そのため、到着早々から脱走を試みる者が続出。フォン・ルーガー所長(ハンネス・メッセマー)から自重を求められた捕虜リーダーのラムゼイ大佐(ジェームズ・ドナルド)も、脱走によって敵軍を混乱させるのは兵士の義務だと言って突っぱねる。 それからほどなくして、「ビッグX」の異名を取る集団脱走計画のプロ、ロジャー・バートレット(リチャード・アッテンボロー)が収容所に連行されてくる。にわかに色めき立つ捕虜たち。目ぼしい英国空軍メンバーを一堂に集めたバートレットは、収容所の外へ繋がるトンネルを3カ所掘って、なんと一度に250名もの捕虜を脱走させるという壮大な計画を発表する。 トンネルの掘削に必要な道具を作る「製造屋」にオーストラリア人のセジウィック(ジェームズ・コバーン)、実際に掘削作業を請け負う「トンネル王」にポーランド人のダニー(チャールズ・ブロンソン)、資材を調達する「調達屋」にアメリカ人のヘンドリー(ジェームズ・ガーナー)、掘削作業で出た土を処分する「分散屋」にエリック(デヴィッド・マッカラム)、身分証などの書類を偽造する「偽造屋」にコリン(ドナルド・プレザンス)、収容所内の情報を収集する「情報屋」にマック(ゴードン・ジャクソン)といった具合に担当者を決め、捕虜たちは前代未聞の大規模脱走計画を着々と進めることとなる。 一方、彼らとは別に脱走計画を試みるのが一匹狼のアメリカ兵ヒルツ(スティーヴ・マックイーン)。何度も脱走を繰り返しては独房送りになるため通称「独房王」と呼ばれる彼は、その独房で隣同士になったアイヴス(アンガス・レニー)と組んで単独脱走を試みようとしていたのだ。それを知ったバートレットたちは、単独脱走が成功したらわざと捕まって収容所へ戻り、外部の情報を教えて欲しいとヒルズに頼む。というのも、集団脱走計画を成功させるためには逃走経路の確保も必須だが、しかし収容所内からは外の様子がよく分からないからだ。 当然ながら、この無茶な依頼を一旦は断ったヒルズ。ところが、その後トンネルのひとつが看守に発見されてしまい、ショックを受けて錯乱したアイヴスが立ち入り禁止区域に入って射殺されたことから、考えを改めたヒルツはバートレットらに協力することにする。こうしてヒルツの持ち帰った外部情報をもとに計画を進めた捕虜たちは、’44年3月24日に前代未聞の大規模な集団脱走を実行に移すのだが…? 各スタジオから企画を断られ続けた理由とは? 原作は実際に第三空軍捕虜収容所の捕虜だった元連合軍パイロット、ポール・ブリックヒルが執筆した同名のノンフィクション本。彼自身は実際に脱走しなかったものの、しかし計画そのものには加わっていた。’50年に出版されて大評判となった同著の映画化を、かなり早い時期から温めていたというジョン・スタージェス監督。当時MGMと専属契約を結んでいた彼は、最初に社長のルイス・B・メイヤーのもとへ企画を持ち込んだものの、「物語が複雑すぎるうえに予算がかかりすぎる」として断られたという。 その後独立してからも、あちこちの映画スタジオやプロデューサーに相談したが、スタージェス曰く「どこでも話を逸らされておしまいだった」らしい。最大のネックとなったのは、脱走した主要登場人物の大半が死んでしまうこと。気持ちの良いハッピーエンドがお約束だった当時のハリウッド映画において、この種のほろ苦い結末は観客の反発を招きかねないため、確かにとてもリスキーではあったのかもしれない。また、映画に華を添える女性キャラが存在しないこともマイナス要因だったそうだ。 風向きが変わるきっかけとなったのは、黒澤明監督の『七人の侍』(’54)をスタージェス監督が西部劇リメイクした『荒野の七人』。これが予想を上回る大ヒットを記録したことから、同作の製作を担当したミリッシュ兄弟およびユナイテッド・アーティスツは、いわばスタージェス監督へのご褒美として『大脱走』の企画にゴーサインを出したのだ。予算はおよそ400万ドル(380万ドル説もあり)。同年公開された戦争映画大作『北京の55日』(’63)の約1000万ドル、コメディ大作『おかしなおかしなおかしな世界』(’63)の約940万ドルと比べてみると、実はそれほど高額な予算ではなかったことが分かるだろう。 それゆえ、当初はカリフォルニアのパームスプリングス近郊を、戦時中のドイツに見立ててセットを組むという計画もあったらしい。ところが、組合の規定によってエキストラでもプロを雇わねばならず、そのため現地で人材調達をすることが出来ない。それではあまりに不経済であることから、やはりドイツが舞台ならドイツで撮影するのが理に適っているということで、ミュンヘン郊外のバヴァリア・スタジオで撮影することになったという。ちょうどスタジオの周囲も実際の収容所と同じく森に囲まれているし、大勢のエキストラも近隣の大学生を安く雇うことが出来た。収容所の屋外セットは400本の木を伐採し、森の中に空き地を作って建設したという。ちなみに、撮影終了後は倍に当たる800本の木の苗を新たに植えたそうだ。 撮影の準備で最大の難問だったのは、この第三空軍捕虜収容所のセットをどれだけ忠実に再現できるかということ。本来ならば実際に現地へ赴いて参考にすべきところだが、しかし収容所のあったザーガン(現ジャガン)周辺は戦後ポーランド領となり、当時は東西冷戦の真っ只中だったため視察が難しかった。現存する写真資料だけでは心もとない。そこで白羽の矢が立てられたのは、実際に脱走計画でトンネル掘削を担当した元捕虜ウォリー・フラディだった。劇中ではブロンソン演じるダニーのモデルとなった人物である。製作当時、母国カナダで保険会社重役となっていたフラディは、本作のテクニカル・アドバイザーとして招かれセット建設に携わり、捕虜収容所の外観だけでなくトンネルの中身まで、限りなく正確に再現したという。 豪華な名優たちの共演も大きな魅力 その一方で、史実を大幅にアレンジしたのは脚本。まあ、こればかりは仕方ないだろう。なにしろ、本作はドキュメンタリーではなくエンターテインメントである。なによりもまず、映画として面白くなくてはならない。脚本は映画『アスファルト・ジャングル』(’50)の原作者として有名な作家W・R・バーネットが初稿を仕上げ、戦時中に捕虜だった経験のあるイギリス人作家ジェームズ・クラヴェル(ドラマ『将軍 SHOGUN』の原作者)が英国軍人の描写に信ぴょう性を与えるためリライトを担当したそうだが、しかし最終的にはスタージェス監督自身が現場でどんどん書き直してしまったらしい。また、『ジャイアンツ』(’56)の脚本家として知られるアイヴァン・モファットもノークレジットで参加しているが、その件については改めて後述したいと思う。 実際にトンネルを抜けて捕虜収容所の外へ出たのは79名。そのうち3名が現場で捕らえられ、76名がいったんは逃げおおせたものの、しかし最終的に脱走に成功したのは3名だけで、再び捕虜となった73名のうち50名が見せしめのためゲシュタポによって処刑された。こうした動かしがたい事実をそのままに、脱走計画の詳細などもなるべく事実に沿って描きつつ、映画らしいアクションとサスペンスの要素をふんだんに盛り込んだ、ハリウッド流のエンターテインメント作品へと昇華させたスタージェス監督。そのほろ苦い結末にも関わらず、意外にも自由でポジティブなエネルギーに溢れているのは、やはり彼独特の揺るぎない反骨精神が物語の根底を支えているからなのだろう。 確かに脱走した捕虜の大半は処刑され、生き残った者も3名を除いて再び捕虜となってしまうが、しかしそれでもなお彼らは希望を棄てない。なぜなら、ナチスは彼らの身体的な自由を奪うことは出来ても、魂の自由まで奪うことは出来ないからだ。いわば独裁的な権力に対して、堂々と中指を立ててみせる映画。本作が真に描かんとするのは、権力の弾圧や束縛に決して屈しない強靭な精神の崇高さだと言えよう。だからこそ、あのクライマックスに魂の震えるような感動を覚えるのである。 『荒野の七人』でもスタージェス監督と組んだマックイーンにコバーン、ブロンソンをはじめ、英米独の名優たちがずらりと顔を揃えた豪華キャストの顔ぶれも素晴らしい。中でも、コリン役のドナルド・プレザンスは実際に第二次大戦で連合軍の爆撃隊にパイロットとして加わり、第三空軍捕虜収容所の近くにあった第一空軍捕虜収容所に収容されていたという経歴の持ち主。集団脱走計画に加わったこともあったという。また、調達屋ヘンドリー役のジェームズ・ガーナーも、朝鮮戦争へ従軍した際に部隊内の調達役を任されていたそうだ。この2人の熱い友情がまた感動的。ただし、彼らが飛行機で逃亡を試みるというプロットは本作独自のフィクションだという。 ほかにも魅力的な役者がいっぱいの本作だが、しかしテーマとなる「不屈の精神」を最も象徴的に体現しているのは、独房王ヒルツ役のスティーヴ・マックイーンだろう。表向きはクールな一匹狼だが、しかし内側に熱い闘志を秘めた生粋の反逆児。ただ、そんなヒルツも当初は単なるアウトサイダー的な描かれ方をしており、そのため撮影途中でラフ編集版を見たマックイーンは憤慨して席を立ってしまったらしい。おかげで撮影も一時中断することに。そこでスタージェス監督はマックイーンの意見を取り入れて脚本をブラッシュアップすべく、ハリウッドから脚本家アイヴァン・モファットを招いたというわけだ。オープニングでヒルツが立ち入り禁止区域にボールを投げ込むシーンは、その際に書き足された要素のひとつだったという。 やはり最大の見せ場は終盤のバイク逃走シーン。もちろん、これも映画オリジナルのフィクションである。大のオートバイ狂だったマックイーン自身がスタントも兼ねているが、しかしジャンプ・シーンなどの危険なスタントは保険会社の許可が下りなかったため、マックイーンの友人でもあるバイクスタントマンのバド・イーキンズがスタントダブルを担当。実は、ヒルツをバイクで追跡するドイツ兵の中にもマックイーンが紛れ込んでいるらしい。これぞまさしく映画のマジック(笑)。本当にバイクが好きだったんですな。 ちなみに、実際の集団脱走劇に加わったのは主にイギリス人やカナダ人の空軍兵士たちで、アメリカ人は脱走計画の準備にこそ参加したものの、しかし計画が実行される前に他の収容所へと移送されていたらしい。だが、最重要マーケットであるアメリカでのセールスを考えれば、有名ハリウッド俳優のキャスティングは必要不可欠。そもそも本作はハリウッド映画である。そのため、劇中では米兵の移送がなかったことに。主要キャラクターについても、一部はモデルとなった特定の人物がいるものの、それ以外は複数の人物をミックスした架空のキャラクターで構成された。また、捕虜たちが脱走計画に必要な物資を調達する方法に関しても、実際は英米の諜報機関が外部から協力していたらしいのだが、機密情報に当たるとして劇中では詳細が一部省かれている。■ 『大脱走』© 1963 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC. AND JOHN STURGES. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
バラキ
[PG12相当]暗黒街に生きる男の非情な運命。チャールズ・ブロンソンが演じるマフィアの壮絶な半生!
バラキという実在のマフィアが明かす闇社会の恐るべき秘密。『セルピコ』と同じ原作者がこれを取材したノンフィクションを、アクションやサスペンスに定評のあるテレンス・ヤング監督が映画化した実録極道モノ。
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COLUMN/コラム2021.04.30
世界のクロサワ作品が大いなる“西部劇”にアレンジされるまで。『荒野の七人』
村民たちが農作業で細々と生計を立てている、メキシコの寒村。ところが収穫期になると、山賊の頭目カルヴェラが、35人もの手下を引き連れて襲来し、農民たちの汗と涙の結晶を、「殺さぬ程度に」残して、奪っていってしまう。 毎年繰り返される傍若無人な振舞いに耐えかねて、反抗を企てる村民もいた。しかしそうした者を、カルヴェラは容赦なく、撃ち殺すのだった…。 困り果てた村民たちは、長老に相談する。そして、「銃を買って、戦うべし」との声に従い、ミゲルら3人は、村民たちから集めた金を持って、国境の街へと出掛けた。 そこで彼らは、目にした。先住民の埋葬を巡って起こった騒動を、度胸とガンさばきで見事に収めた、2人の拳銃使い、クリスとヴィンの姿を。 クリスを頼れる人物と見込んだミゲルたちは、「銃の買い方と撃ち方を教えてくれ」と、彼に懇願。それに対しクリスは、「銃を買うよりは、ガンマンを雇った方が良い」と教え、結果的に自ら助っ人となった。 そんなクリスに、ヴィンも合流。しかし40名近くの盗賊に対抗するには、2人では到底足りない。 1人僅か20㌦の報酬にも拘わらず、クリスの昔馴染みやお尋ね者など、腕利きのガンマンたちが、集まった。そして最後に、先住民の埋葬騒ぎに居合わせ、クリスとヴィンに憧れを抱いた青二才の若者チコが、仲間に加わる。これで助っ人は、“7人”となった。 ミゲルたちの寒村まで案内された“7人”と、カルヴェラ率いる山賊団の、命懸けの戦いが始まる…。 *** 本作『荒野の七人』(1960)は、多くの方がご存知の通り、本邦が誇る「世界のクロサワ」こと、黒澤明監督の不朽の名作『七人の侍』(54)の、“西部劇”版リメイクである。そしてここから、スティーヴ・マックィーンやチャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、ロバート・ヴォーンなど、次々とスターが育ったことでも、広く知られる作品である。 オリジナルの『七人の侍』が、アメリカで公開されたのは、1956年の7月。「これは西部劇の傑作になる!」と最初に目を付け、僅か250㌦で、東宝からリメイク権を買ったのは、プロデューサーのルー・モーハイムだった。 その後本作に関わる多くの人物が、モーハイムと同じような思いを抱いたが、それは至極当然のこと。黒澤が最も尊敬し、その後を追ったのは、「西部劇の神様」ジョン・フォードだったからだ。 因みに東宝はリメイク権を売るに当たって、『七人の侍』の脚本を執筆した原作者たち=黒澤、橋本忍、小国英雄の3人には、何の断りもなかったという…。 リメイクが動き始めた当初の構想では、やはり『七人の侍』を観て大いに気に入った、オスカー俳優のアンソニー・クインが主演。そしてクインに薦められて『七人の侍』を鑑賞後、夢中になって、モーハイムからリメイク権を買い取るに至ったユル・ブリンナーが、監督を務める筈だった。 当時のブリンナーは、『王様と私』(56)でアカデミー賞主演男優賞を獲得した、スター俳優。その初めての監督作になるかも知れなかった本作だが、結局彼は監督デビューを断念する。そして、後に『ハッド』(63)や『ノーマ・レイ』(79)などの社会派作品を手掛けることになる、マーティン・リットに監督を依頼した。 リットは脚本に、ウォルター・バーンスタインを起用。実は『荒野の七人』の原型は、この時にバーンスタインが書いたものと言われる。彼の名は諸事情があって、作品にクレジットされてはいないのだが。 その後リットは、このプロジェクトから去る。余談ではあるが、彼と黒澤作品の縁はこの後も続き、『羅生門』(50)をポール・ニューマン主演で、やはり“西部劇”にリメイクした、『暴行』(64)の監督を務めている。 リットと入れ替わるように、独立系のプロデューサーである、ウォルター・ミリッシュが、本作に参画。そして彼が白羽の矢を立てたのが、『OK牧場の決斗』(57)などで、“西部劇”をはじめとする“男性アクション”の担い手として評価が高かった、ジョン・スタージェスだった。 スタージェスが監督に本決まりとなり、更には製作者としてもクレジットされることとなった。そんなプロセスの中で、キャスティング作業も本格化していく。 オリジナルの『七人の侍』で志村喬が演じた、リーダーの勘兵衛に当たるクリス役には、ユル・ブリンナー。そしてスタージェスの前作『戦雲』(59)の出演者から、スティーヴ・マックィーン、チャールズ・ブロンソンが抜擢された。 マックィーンの役名は、ヴィン。オリジナルでは、加東大介が演じた勘兵衛の腹心の部下・七郎次と、稲葉義男が演じた参謀的存在の五郎兵衛をミックスした存在である。ブロンソンのオライリーは、千秋実がやった平八に当たるが、オリジナル版のムードメーカー的な存在と違って、腕が立つキャラクターとなっている。 三船敏郎の菊千代と、木村功の勝四郎を合わせた若造キャラのチコ役には、1950年代に「ドイツのジェームス・ディーン」と呼ばれて人気を博した後、ハリウッドへと進出した、ホルスト・ブッフホルツが決まる。 カウントしてもらえばわかるが、ここまでの4人で、『七人の侍』の内の6人分のキャラが、消化されてしまっている。即ち、ブラッド・デクスターが演じたハリーと、ロバート・ヴォーンが演じたリーの2人は、オリジナルの『七人の侍』には存在しない。本作『荒野の七人』のために創造された、キャラクターなのである。 七面倒な書き方になってしまったが、これはオリジナル版とそのリメイク版である本作の違いを示す上で、避けて通ることができない部分である。 因みにデクスターは、スタージェスの『ガンヒルの決斗』(59)に出演していた縁からの出演。ヴォーンは、『都会のジャングル』(59)でアカデミー賞助演男優賞候補となったことが注目されての、起用だったと言われる。 ここでヴォーンの出演を決めたことが、ジェームズ・コバーンの起用にも繋がる。ヴォーンとコバーンは、大学時代からの友人同士。コバーンは『七人の侍』のリメイク企画が進められていることを、ヴォーンから聞いて、スタージェスに連絡を取ったのである。 実は本作の製作された1960年のハリウッドは、俳優たちのストライキが予定されていた。無事にクランクインするためには、スト突入の前に、主要キャストの契約を済ませねばならない。 そのため急ピッチでキャスティングを進めている最中に、コバーンがやって来た。彼に当てられたのは、宮口精二が演じた、『七人の侍』の中で最も腕利きの、剣の達人久蔵に相当するブリット役。オリジナル版のアメリカ公開時、連日劇場に足を運ぶほどの熱烈なファンだったというコバーンは、配役を聞いて、小躍りしたという。 こうして“7人”が、遂に決まった。本作が『七人の侍』の忠実なリメイクと言われることが多い割りには、“西部劇”に翻案するに当たっては、登場するキャラクターから、様々な点で知恵を巡らしてアレンジしたのである。 そもそも最初の脚本では“7人”は、南北戦争の敗残兵という設定。オリジナル版での、戦国時代の戦乱の中で主家を失った侍=浪人者に準拠していた。リーダーも老成した勘兵衛により近いキャラで、スペンサー・トレイシーが演じるイメージだったという。 黒澤は後に、南北戦争の敗残兵の方が良かったと語っている。しかしこれは、オリジナルに忠実であって欲しいという、原作者の欲目であろう。 結果的に『荒野の七人』は、南北戦争の敗残兵ではなく、“ならず者”のガンマンの集まりとなった。各々のガンマンは、これまで少なからぬ悪行を行ってきたことを窺わせる。それがきっかけを得て、弱者である農民たちの味方となる。 これはハリウッド製西部劇の伝統とも言える、“グッド・バッド・マン”のパターンに則っている。悪い奴ではあっても、心の底に人間味を持っており、最終的には善行を施すというわけだ。 因みに『荒野の七人』が、オリジナル版から離れた原因のひとつには、メキシコロケもあった。本作に先立ってメキシコで撮影された、ロバート・アルドリッチ監督、ゲイリー・クーパー×バート・ランカスターの2大スター共演作『ベラクルス』(54)に於ける、メキシコ人の描き方に問題があったため、「アメリカ映画は来るな!」という声が高まっていた中での、ロケだったのである。 撮影現場には、メキシコ政府から派遣された検閲官が同席。脚本がチェックされ、何度も手直しせざるを得なかった。 オリジナル版で農民たちは、野武士の襲来を撃退するのに、端から浪人者を用心棒として雇うことを目的に、町へと出る。しかし、先に記した通り本作では、「銃を買って、戦う」ために、農民は街に出る。クリスのアドバイスを受けて初めて、ガンマンたちを雇うことを決心するのである。 こうした回りくどい展開になったのは、正にメキシコ政府の横槍に応じた結果である。付け加えれば、農作業に勤しむ村民たちが、その割りには、汚れひとつないような真っ白なシャツを着ているのも、検閲官の指示によるものだったという。 随所に施した“西部劇”仕様に加えて、本作はこのような、当初は想定しなかった改変も加えられている。そして上映時間は、オリジナル版の207分という長尺に対して、その6割ほどの128分。 “7人”と野武士の対決に於いて、オリジナル版では、緻密な作戦計画が段階的に実行されていく。それに対して本作は、山賊との対決が、かなりシンプル且つ直線的に描かれる。 あまりに機能的に事を運び過ぎるため、ちょっと納得し難い展開もある。優勢に立ったカルヴェラが、“7人”の命を奪わずに、わざわざ逃がす際に、銃器まで返す。これは、ご愛嬌で済ますべきなのか? 今どきの言い方では、あからさまな「死亡フラグ」である。 戦いの顛末として、“7人”の内4人までが斃れるのは、オリジナル版と同じ。だが長丁場となった対決の中で、1人また1人と命を落としていくオリジナル版に対し、本作では最終決戦で、4人の命が一気に奪われる。とにかく、簡潔且つスピーディなのだ。 ここで、敢えて言いたい! だからこそ本作は、ワールドワイドに大衆的な人気を得たのではないだろうか? 私が本作を初めて観たのは、今から40年以上前の十代前半=中坊の頃。池袋文芸坐で、本作後にスタージェスが、マックィーン、ブロンソン、コバーンを再度起用した、『大脱走』(63)との2本立てだった。 そして『七人の侍』の何度目かのリバイバル上映を観たのは、それよりも後。正直に言えばその時は、オリジナル版の重さや暗さ、そして長さにノレず、「『荒野の七人』の方が面白い」と思ったのである。 その後何度も鑑賞を繰り返す内に、社会的なテーマや哲学的な深みまで持った『七人の侍』の素晴らしさを、「格別のもの」と感じるようになっていく。しかしながら両作初見の際に、当時の映画少年として感じたことは、必ずしも間違ってはいまい。 何はともあれ、『七人の侍』から本作『荒野の七人』が受け継いだ、野盗の略奪に苦しむ農民を救うために、プロフェッショナルが集結して力を尽くすというプロットは、ハリウッドの黄金期を支えたジャンルのひとつ“西部劇”に、新風を巻き起こすこととなる。 ガンマンに、「家族も、子どもも、帰る家もない」などと嘆かせ、そのキャラに陰影を持たせる。これもまた、それまでの“西部劇”とは一味違った、極めて斬新なアプローチだったと言われる。 そして本作は、ジョン・フォードらが作った、大いなる“西部劇”の時代の終末期の作品となった。4年後には、セルジオ・レオーネ監督による、イタリア製西部劇=マカロニ・ウエスタンの『荒野の用心棒』(64)が登場。“西部劇”の歴史は塗り替えられる。 『荒野の用心棒』は、やはり黒澤明監督の『用心棒』(61)のリメイク。…と言っても、無断でパクった作品であり、後に裁判を経て、公式なリメイクとなったのであるが。『荒野の用心棒』の主演は、クリント・イーストウッドに決まる前、有力候補だったのが、チャールズ・ブロンソン。レオーネが、本作のオライリー役を見ての、オファーだった。 そんなこんなも含めて、『荒野の用心棒』が本作の影響下にあったのは、多くが指摘するところである。付記すればレオーネは、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(66)に、本作でカルヴェラを演じたイーライ・ウォラックを起用。これもウォラックが、オリジナル版の野武士の頭目にはなかったユーモアや愛嬌を、カルヴェラ役に加えたのを、買ってのことだったと思われる。 『荒野の七人』は、ハリウッド製の大いなる“西部劇”と“マカロニ・ウエスタン”の、ミッシングリンク的な位置にある作品と言える。そして後々まで、多くのファンに愛され続ける作品となった。 続編が3本製作され、1990年代末にはTVシリーズ化。更にアントワン・フークア監督、デンゼル・ワシントン主演で、リメイク版『マグニフィセント・セブン』(2016)が製作されている。 それは偉大なる『七人の侍』に、“西部劇”としての創意工夫を加えて見事にアレンジした、本作『荒野の七人』の素晴らしさの証左と言えよう。■ 『荒野の七人』© 1960 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
(吹)デス・ウィッシュ(2018)
[R15+]ブルース・ウィリスがあの復讐鬼に!バイオレンス指数がアップした『狼よさらば』のリメイク
チャールズ・ブロンソン主演の『狼よさらば』をブルース・ウィリス主演でリメイク。バイオレンスホラー映画の鬼才イーライ・ロス監督が本領を発揮し、悪党を私刑する主人公の復讐劇を壮絶かつ痛快に魅せる。
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NEWS/ニュース2019.09.27
10月特集:「狼よさらば」シリーズ一挙放送 朝までブロンソン を記念し ブロンソンズ(みうらじゅん、田口トモロヲ)による番宣&オーディオコメンタリー放送決定!!インタビュー全文掲載!!
\10/4(金)は朝までブロンソン/ 「狼よさらば」シリーズ一挙放送!! ●『狼よさらば』21:00~22:45 © 1974, renewed 2002 StudioCanal Image. All Rights Reserved. チャールズ・ブロンソンが、犯罪被害者遺族にして、街の悪党どもを殺しまくる闇のヴィジランテ(自警団)ポール・カージーに扮した「デス・ウィッシュ」シリーズの第1作目。●『ロサンゼルス』22:45~深夜 00:30 © 1982 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved チャールズ・ブロンソン主演『狼よさらば』の8年ぶりとなる続編。前作からさらに過激になったバイオレンス描写や処刑人ブロンソンの凄みが圧巻。レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが初めて映画音楽を担当。●『スーパー・マグナム』深夜 00:30 ~02:15 © 1985 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved 警察が悪党を殺らないならオレが殺る!というヴィジランテ映画の原点『狼よさらば』シリーズ。当初の“法と正義の間のジレンマ”というテーマを卒業し、この第3弾は悪党を倒しまくる痛快アクション映画へと進化した。●『バトルガンM-16』深夜 02:15 ~04:00 © 1987 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved チャールズ・ブロンソン主演『デス・ウィッシュ』シリーズ第4弾。処刑人ポール・カージーの武器がロケットランチャー付のM16自動小銃にパワーアップし、麻薬組織の悪党たちに容赦ない復讐バイオレンスを見舞う。●『DEATHWISH/キング・オブ・リベンジ』深夜 04:00 ~06:00 © 1993 DEATH WISH 5 PRODUCTIONS, LTD.. All Rights Reserved 70歳を超え俳優業を引退していたチャールズ・ブロンソンが、代表作『デス・ウィッシュ』シリーズに自ら幕を降ろすため復帰。銃撃戦以外の多様な処刑方法を魅せ、さらに粋な名セリフでシリーズを締めくくる。 放送詳細はこちら⇒https://www.thecinema.jp/tag/102 ★ブロンソンズ オフィシャルインタビュー 【ブロンソンズを結成してから20年以上。しかし二人でブロンソン作品のオーディオコメンタリーを行うのは初のことだそう。】 みうらじゅん(以下みうら):初めてというか、コメンタリールームにオヤジ二人が閉じ込められて一緒に映画を観るなんてことはそうそうないですからね(笑)。そういう意味では初めてだったと言えますね。田口トモロヲ(以下田口):非常にまれな体験をさせていただきました。ただやっていることはいつもブロンソンズ内で行われているブロンソン会議と同じですからね。みうら:未来に向かっての会議の一環だと思うんですけど。今まで会議はしこたまやりましたからね。どうしたらブロンソンが雑誌の表紙になるかとか。そういう大きなお世話なことまで考えていたんで。この収録の後も二人で飲みに行こうと思ってるんですけど、きっと同じ話が続くだけなんです(笑)。なんならブロンソンズの初CDを出した1995年から話の内容は何にも変わっていないし。トモロヲさんとは、ブロンソンの話をずっとしているだけなんですよ。ただブロンソンは2003年にお亡くなりになったので。そこからは新作がないんで、同じ話しかしていないんです。田口:もうループですよね。味が出なくなるまで噛み続けているんですけど、でも噛めば噛むほどブロンソンは新鮮になってくるんですよ。だから今日も新鮮でしたね。【そんな二人が好きなブロンソン作品とは? やはり甲乙つけがたい?】田口:いや、生前からかなり明確に甲乙はつけてますね(笑)。みうら:ブロンソンの作品は明確なんですよ。名作、そうでもない作品とハッキリしています(笑)。田口:でもやっぱり絶頂期の「狼の挽歌」と「狼よさらば」あたりじゃないですかね。ヴィジランテという、自警団ものの元祖なので、そこは映画史的 に押えてももいいんじゃないかなと思いますが。 みうら:「狼よさらば」はブルース・ウィリス主演で最近リメイクもされていますからね。そこは基本ですよね。田口:ブロンソン学校に入りたいならそこは外せないですよ。みうら:入りたくない人は「チャトズ・ランド」までを見る必要は一切ありませんから(笑)。田口:必要ないですね。だからカッコいいんですよ。みうら:このチームをやってから、初期の名作だけでなく、80年代90年代のアクション一筋なブロンソン作品も面白いと気付いた具合です。田口:50過ぎてまだアクションをやっているということがグッとくるんですよね。みうら:今回放送する「デス・ウィッシュ」シリーズの最後となる「DEATH WISH/キング・オブ・リベンジ」では70を超えていますからねブロンソン。そこを含めて男気と呼んでいるわけです。田口:本当にブレがない。みうら:チャールズ・ブレンセンだよね。田口:ブレンセンって原型がもう分からないね(笑)。【そんな二人が考えるブロンソンの魅力とは?】 田口:顔ですね、あの顔はやっぱり革命ですよね。顔を見ているだけで充足しちゃいます。みうら:もはやブロンソンの“顔力映画”ですからね。あんな超人顔されてる人って今、いないですからね。田口:人類の原点に近いと言ってもいい。みうら:ですね(笑)。僕らも初ブロンソンはだいぶ戸惑いましたから。田口:価値観が転換したからね。それがカッコいいんだという。みうら:「さらば友よ」という映画で、当時、世界一男前と言われていたアラン・ドロンと共演したんですけど。最後の最後、ブチャムクレが食うんだよね。ブチャムクレの方が断然カッコいい!あの時代に価値観が変わったんですよ。田口:それをブロンソン業界では「ブロンソン革命」と呼んでいるんです。【ブロンソン未経験の人にメッセージを】みうら:まずはブロンソン未経験は羨ましいですね、もはや。知らないことはすごいことなんで。僕らは一番多感な時期に、マンダムのコマーシャルとかで日本でも大ブレイクしていて、知っていましたからね。ああいう顔力のある方が天下を取っていた時代を知らない人がどう感じるのか、逆に知りたいですね。田口:今だと顔面放送禁止みたいな状態の人がポンと主役で出てるっていうことのすごさというか、時代の許容力というか。革命的な時代だったんですよね。ブロンソンの顔も誰もやったことがないから。みうら:確実に70年代に新しい価値観が生まれたんですよ。でもそれからまた今は元に戻って、イケメンの時代になったじゃないですか。でもブロンソンの前もハリウッドはイケメンだったから。ブロンソンが革命を起こしたことになります。田口:夢がありますよね。それでブロンソンを掘っていったら、「常に愛妻と共演する」とか、映画を私物化していることが分かって。これは面白い人物だなと言いながら、また酒が進むんです。みうら:そんな話を、そのままオーディオコメンタリーしてますから。もう忘れたかのように同じ話ね。田口:ループオンです。キープオンのさらに上をいくループオンの状態に入りましたね。みうら:しかも老化もあるから、いつも初めて聞いたように盛り上がるんですよ(笑)。“老いるショック”もしめたもんなんです。田口:何回観ても新鮮ですからね。みうら:だからまずはオーディオコメンタリー付きで観て欲しいんですよね。そこから入られるのも良いかと。オーディオコメンタリーで言ってたことは、ちょっと違った見方のブロンソン入門ですから。田口:映画って自由に観ていいんだっていうことを発見すると思います。だから妄想なんですよね。データじゃなくて、思い込みで語っているので。そういうことをキャッチしていただければと思います。--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------<ブロンソンズ プロフィール>ともに文化系であるみうらじゅんと田口トモロヲが、チャールズ・ブロンソンの男気に憧れて結成したユニット。雑誌『STUDIO VOICE』に人生相談コーナー「ブロンソンに聞け」を連載し、1995年にはこれをまとめた単行本『ブロンソンならこう言うね』を刊行。同年、マンダムのCMソングとして有名なジェリー・ウォレスの『男の世界』をカバーしたシングル『マンダム 男の世界』を発表した。1997年には、アルバム『スーパーマグナム』を発表している。2017年、『POPEYE』連載の「ブロンソンに聞けRETURNS」を『男気の作法』として刊行。現在『Tarzan』に移動し、峯田和伸(銀杏BOYS)をメンバーに加え連載中。
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PROGRAM/放送作品
デス・ウィッシュ(2018)
[R15+]ブルース・ウィリスがあの復讐鬼に!バイオレンス指数がアップした『狼よさらば』のリメイク
チャールズ・ブロンソン主演の『狼よさらば』をブルース・ウィリス主演でリメイク。バイオレンスホラー映画の鬼才イーライ・ロス監督が本領を発揮し、悪党を私刑する主人公の復讐劇を壮絶かつ痛快に魅せる。
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COLUMN/コラム2019.09.08
最強のパパが愛する妻子を守り抜くチャールズ・ブロンソン版『96時間』
恐らく50代以上の日本人にとって、チャールズ・ブロンソンといえば「マンダム」。’70年に放送の始まった男性用化粧品「マンダム」のテレビCMは、アラン・ドロンと共演したフランス映画『さらば友よ』(’68)で日本の映画ファンを魅了したブロンソンをモデルとして起用し、一躍社会現象になるほどの大反響を巻き起こした。CM中でブロンソンの呟く「う~ん、マンダム」のセリフは子供の間でも流行語に。ちょうどこの時期、ヨーロッパでもブロンソン人気が過熱し、フランスやイタリアの映画界で引っ張りだこの大スターとなる。それらの主演作は、日本でも次々と輸入されてヒットした。そんなチャールズ・ブロンソン・ブームの全盛期に公開された映画のひとつが、この『夜の訪問者』(’70)である。 舞台は避暑地として有名なフランスのコートダジュール。観光客向けにボートをレンタルしているアメリカ人の船乗りジョー(チャールズ・ブロンソン)は、聡明で美しい妻ファビアン(リヴ・ウルマン)と可愛い娘ミシェル(ヤニック・ドリュール)に恵まれ、平凡だが満ち足りた生活を送っている。時おり夜中に悪夢でうなされることもあったが、それは朝鮮戦争に従軍した時の悲惨な経験が原因だとファビアンは思っていた。ある一本の電話がかかってくるまでは…。 それはいつものように、ジョーが船乗り仲間と酒や博打を楽しんで帰宅した晩のこと。娘ミシェルは学校のキャンプで外泊中だった。ファビアンの小言をジョーが苦笑いしながら聞いていると、そこへ一本の「お前を殺す」という不気味な電話がかかってくる。顔色を変えて受話器を置いたジョーは、すぐに実家へ帰るようにと妻へ指示。しかし、家の中で不気味な物音が響く。2階の寝室で隠れているように言われたファビアンだったが、ジョーが誰かと激しく揉み合っているような音を聞き、心配になって恐る恐る1階のキッチンへと降りてくる。すると、気を失って倒れている夫の横に、拳銃を手にした見知らぬ男が立っていた。 男の名前はホワイティ(ミシェル・コンスタンタン)。どうやらジョーとは旧知の仲のようだ。意識を取り戻したジョーは、隙を見てホワイティに襲いかかり、首の骨をへし折って殺してしまう。状況がまるで呑み込めず、夫に問いただすファビアン。そんな彼女にジョーは、長年隠してきた過去の秘密を打ち明ける。 軍隊時代に上官を殴った罪で投獄された彼は、刑務所でロス大尉(ジェームズ・メイソン)とその子分であるホワイティ、ファウスト(ルイジ・ピスティッリ)、カタンガ(ジャン・トパール)と知り合う。彼らは賄賂や密売の罪で逮捕された汚職軍人たちだった。運転の腕前をロス大尉に見込まれたジョーは、彼らの脱獄計画に力を貸すことに。しかし、たまたま鉢合わせた見回りの警官をカタンガが殺害したことから、これに強く憤ったジョーは自分だけ独りで逃走し、残されたロス大尉たちは捕まってしまった。刑期を終えて釈放された彼らが、いつか自分を見つけ出して復讐に来るかもしれない。ジョーが悪夢にうなされていた本当の原因はそれだったのである。 ファビアンの協力でホワイティの死体を海へ棄てたジョー。しかし、自宅へ戻るとロス大尉とファウスト、カタンガの3人が待ち受けていた。彼らの狙いはジョーへの復讐ではなく、当時の借りを返してもらうこと。つまり、自分たちの新たな犯罪計画に協力させることだった。妻と娘を人質に取られたことから、ロス大尉の要求を呑まざるを得なくなるジョー。だが、黙って命令に従うような男じゃない。ずば抜けた知性と俊敏な戦闘能力を駆使し、巧妙に敵の隙を突いて空港へ向かったジョーは、仲間と合流するため到着したロス大尉の愛人モイラ(ジル・アイアランド)を拉致し、妻や娘との人質交換を申し出るのだが、思いがけない事態が起きて窮地に追い込まれてしまう…。 実はテレビドラマ化もされていた! ずばり、これはチャールズ・ブロンソン版『96時間』。一見したところ普通のお父さんだけど実は最強の元兵士という主人公ジョーのキャラは、『96時間』シリーズでリーアム・ニーソンの演じたブライアン・ミルズのルーツみたいなものだろう。まあ、ブロンソンの場合はTシャツの半袖から覗く筋骨隆々な腕を見ただけで、こりゃタダモノじゃないぞとバレてしまうのだが(笑)。それにしても撮影当時のブロンソンは49歳。無駄な贅肉を削ぎ落とした見事な筋肉美は、さすが子供の頃から炭鉱労働で鍛えまくっただけのことはある。しかも、本人だって実際に第二次世界大戦で従軍した元兵士。臨戦態勢に入った時の顔つきからして違う。しかも、渋くて枯れた大人の男の色気がダダ洩れ。これこそがブロンソンの魅力であり醍醐味だ。 原作はリチャード・マシスンが’59年に出版した中編小説『夜の訪問者』。実はこの作品、著者であるマシスンの脚色によって、約1時間のテレビドラマとして映像化されたことがある。それが、’62年に放送された『ヒッチコック・サスペンス』(『ヒッチコック劇場』のリニューアル版)シーズン1の第11話「Ride the Nightmare」(邦題未確認)である。そのストーリーを簡単にご紹介しよう。 物語の舞台は原作と同じアメリカのカリフォルニア。郊外の住宅地に暮らす中流階級の夫婦クリス(ヒュー・オブライアン)とヘレン(ジーナ・ローランズ)のもとに、ある晩一本の電話がかかってくる。「お前を殺す」という相手の言葉に戦慄し、家中の電気を消して窓のブラインドも下ろし、じっと息を潜める2人。すると、キッチンの窓から一人の男が乱入する。フレッド(ジェイ・レイニン)という侵入者は、クリスのことを知っている様子だった。やがてクリスとフレッドは揉みあいになり、相手の拳銃を奪ったクリスはフレッドを射殺する。 困惑するヘレンに今まで隠していた暗い秘密を打ち明けるクリス。今から15年前、当時19歳だったクリスは父親との不仲で非行に走り、悪い仲間たちとつるんでいた。ある時、仲間たちの宝石店強盗に加わったクリスは、店の外で車に乗って待機していたところ、防犯アラームが鳴って警官が現場へ駆け付ける。怖くなったクリスはそのまま一人で逃走。後になって仲間たちが店主を殺して逮捕されたことを知り、自らも指名手配されていることから、名前を変えてカリフォルニアへ逃げてきたのである。 新聞記事によると、かつての仲間アダム(ジョン・アンダーソン)とスティーヴ(リチャード・シャノン)、そしてフレッドの3人は刑務所を脱獄したらしい。正当防衛とはいえフレッドを殺したクリスは、警察に自首しようとするものの、そこでヘレンが反対する。そうなれば15年前の罪で逮捕されることは免れないからだ。深夜にフレッドの死体を処分した2人。すると、その翌日アダムとスティーヴがクリスの前に現れ、ヘレンを人質にして4万ドルの逃走資金を要求する。約束の時間までに現金を用意せねば妻は殺されてしまう。すぐに銀行へ向かうクリスだったが、しかしお節介な隣人や規則にうるさい銀行員などに邪魔されてしまい、刻一刻と制限時間が迫りくるのだった…。 原作をコンパクトにまとめたというドラマ版は、言うなれば過去の封印された罪と向き合わねばならなくなった男の因果応報な物語。大雑把な筋書きは『夜の訪問者』とほぼ一緒だが、ストーリーの趣旨はだいぶ異なる。ブロンソン版の脚色にはジャック・ベッケル監督の傑作ギャング映画『現金(げんなま)に手を出すな』(’54)の原作・脚本で有名な、フランスの犯罪小説家アルベール・シモナンが参加しており、やはりギャング映画的な側面が強調されていると言えよう。 演出を手掛けたのは初期007シリーズの監督としても知られるテレンス・ヤング。前半では『暗くなるまで待って』(’67)にも通じる閉鎖空間での心理サスペンス的な語り口でスリルを盛り上げつつ、後半はダイナミックなアクションでスケールを広げていく。中でも、終盤のカーチェイス・シーンは見もの。カースタントをロジャー・ムーア版007シリーズで有名なスタントマン、レミー・ジュリアンが担当しているのも興味深い。本作がブロンソンとの初タッグだったヤングは、その後も『レッド・サン』(’71)や『バラキ』(’72)でブロンソンとコンビを組むことになる。 ちなみに、冒頭で述べた通り、日本やヨーロッパにおけるブロンソン・ブームの真っただ中で公開された本作だが、その一方でアメリカでは『狼よさらば』が大ヒットする’74年までお蔵入りになっていた。そもそも、ヨーロッパでのブロンソン主演作の大半が、アメリカで公開されたのは1~2年遅れ。国外でのブームがアメリカ本国へと逆輸入されるまで、それなりにタイムラグがあったのである。ブロンソンのハリウッド凱旋復帰作は『チャトズ・ランド』(’72)。以降、『メカニック』(’72)や『シンジケート』(’73)などで着実にヒットを重ね、『狼よさらば』の大成功によって、ようやくアメリカでもブロンソン・ブームが巻き起こったというわけだ。■ 『雨の訪問者』© 1970 STUDIOCANAL - Medusa Distribuzione S.r.l.
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PROGRAM/放送作品
卒業白書
トム・クルーズの記念すべき初主演作にして出世作!初々しいスターオーラを全開させた青春コメディ
トム・クルーズが初めて主演を飾り、高校卒業を控えた青年が娼婦と巻き起こす騒動をユーモラスかつ爽やかに魅せる。トムが下着姿で踊るダンスは自ら即興で振り付けたもので、名シーンとして今も語り継がれている。
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COLUMN/コラム2018.12.01
違いの分かる大人のための上質なアクション映画『メカニック』
‘70年代のアメリカで吹き荒れたチャールズ・ブロンソン旋風。もともと『荒野の七人』(’60)や『大脱走』(’63)で個性的な脇役として頭角を現し、巨匠セルジオ・レオーネのマカロニ西部劇『ウエスタン』(’68)やアラン・ドロンと共演したフレンチ・ノワール『さらば友よ』(’68)などの国際的な大ヒットで、一足先に日本やヨーロッパでスターダムを駆け上がったブロンソンだったが、しかし肝心の本国アメリカでの人気はいまひとつ盛り上がらなかった。なにしろ、この時期の出演作はどれもヨーロッパ映画ばかり。アメリカ公開までに1~2年のブランクがある作品も多かった。『夜の訪問者』(’70)なんか、全米公開は4年後の’74年。日本で大ヒットした『狼の挽歌』(’70)だって、アメリカの映画館でかかったのは’73年である。それゆえに、外国でブロンソンが受けているとの情報は入っても、そのブーム自体が本国へ逆輸入されるまで少々時間がかかったのだ。 しかし、ニューヨークでロケされたイタリア産マフィア映画『バラキ』(’72)を最後に、ブロンソンはハリウッドへ本格復帰することに。そして、チンピラに愛する家族を殺された中年男の壮絶なリベンジを描いた、マイケル・ウィナー監督の『狼よさらば』(’74)が空前の大ヒットを記録したことで、ようやくアメリカでもブロンソン旋風が頂点に達したというわけだ。そのマイケル・ウィナー監督とは、ハリウッド復帰作『チャトズ・ランド』(’72)以来、通算6本の作品で組んでいるブロンソン。中でも筆者が個人的に最もお気に入りなのが、ブロンソン=ウィナーのコンビ2作目にあたるハードボイルド・アクション『メカニック』(’72)である。 主人公アーサー・ビショップ(チャールズ・ブロンソン)は、とある組織のもとで秘かに働くメカニック。普通、メカニック(Mechanic)といえば「機械工」や「修理工」を意味するが、しかし裏社会においては「プロの殺し屋」を指すらしい。組織から送られてきた資料をもとにターゲットの詳細な個人情報を把握し、その身辺をくまなく調べることで入念な暗殺計画を練り、偶発的な事故に見せかけて相手を確実に仕留めるビショップ。足のつくような証拠は決して残さない。仕事が仕事なだけに、普段から人付き合いはほとんどなし。広々とした大豪邸にたった一人で暮らし、趣味の美術品コレクションを眺め、クラシック音楽のレコードに耳を傾けて余暇を過ごす。決して感情を表には出さず、淡々と殺しの仕事をこなしているが、しかし内面では心的ストレスを募らせているのだろう。精神安定剤と思しき処方薬は欠かせない。それでも心が休まらぬ時は、馴染みの娼婦(ジル・アイアランド)のもとを訪れては恋人を演じさせ、つかの間だけでも偽りの温もりに孤独を紛らわせる。 そんな一匹狼ビショップのもとへ、新たな殺しの依頼が舞い込む。ターゲットはハリー・マッケンナ(キーナン・ウィン)。組織の大物だった亡き父親の部下であり、ビショップがまだ子供だった頃からの付き合いだ。しかし、ビジネスに私情を一切持ち込まない彼は、普段通りに淡々と任務を遂行。何事もなかったかのようにハリーの葬儀にも出席し、そこで彼の一人息子スティーヴ(ジャン=マイケル・ヴィンセント)と知り合う。謎めいたビショップに好奇心を抱き、なにかと口実をもうけて彼に接触して素性を探ろうとするスティーヴ。一方のビショップも、父親の死に動揺する素振りすら見せず、冷酷なまでに合理的で客観的なスティーヴの言動に暗殺者としての素質を見抜き、いつしか自分の弟子として殺しのテクニックと哲学を伝授するようになる。2人はお互いに似た者同士だったのだ。 そこへ次なる仕事の指示があり、ビショップは組織に断りなくスティーヴを同伴させるのだが、弟子の判断ミスで危うく失敗しかけたことから、これを問題視した組織のボス(フランコ・デ・コヴァ)から口頭で注意を受ける。その場で新たな任務を依頼されるビショップ。すぐにターゲットがいるイタリアのナポリへ向かうよう急かされ、怪訝そうな顔をしつつも渋々引き受けた彼は、計画を相談しようとスティーヴの留守宅へ上がりこみ、そこでたまたま自分の暗殺資料を発見してしまう。要するに、組織はビショップの後釜にスティーヴを据え、もはや用済みとなった彼を始末しようとしていたのだ…。 孤独な老練の暗殺者が、育てた若い弟子に命を狙われるという皮肉な筋書きは、同じくマイケル・ウィナー監督がバート・ランカスターとアラン・ドロンの主演で、生き馬の目を抜く国際スパイの非情な世界を描いた次作『スコルピオ』(’73)へと引き継がれる。また、ストイックで寡黙な殺し屋ビショップのキャラクターは、ブロンソンの友人でもあるドロンが『サムライ』(’67)で演じた殺し屋ジェフ・コステロを彷彿とさせるだろう。そういえば、あちらも数少ない他者との接点が美しき娼婦(しかも演じるのは主演スターの妻)だった。なんか、いろいろ繋がっているな。ビショップの仕事ぶりを克明に描いたオープニングは、アメリカでも高い評価を得た加山雄三主演の東宝ニューアクション『狙撃』(’68)と似ている。安ホテルの一室からターゲットの住むアパートの室内を望遠レンズ付きカメラで何枚も撮影し、その写真を並べながら暗殺工作の段取りを計画。ターゲットが留守中に部屋へ忍び込み、予めマークしていた数か所に細工を仕込む。あとは向かいのホテルに潜んでターゲットを監視し、ここぞというタイミングで一気に仕留める。『狙撃』は冒頭7分間でセリフが一言だけだったが、こちらはここまでの15分間で一言のセリフもなし。それでいて、主人公ビショップが何者なのかをきっちりと描いている。実に見事なプロローグだ。 そのビショップと若き後継者スティーヴの奇妙な師弟関係が、本作における最大の見どころであり面白さだと言えよう。組織からの指示があれば、たとえ少年時代から良く知る恩人であろうと、顔色一つ変えず冷静沈着に殺すことの出来るビショップ。別に個人的な恨みなどない。確かに一瞬ギョッとはするものの、しかしあとはプロとして与えられた仕事をこなすだけだ。一方のスティーヴも同様だ。父親が突然死んだって何の感慨もなく、そればかりか葬儀を途中で抜け出し、自分のものになった豪邸に大勢の友達を呼んでパーティを開く。といっても、バカ騒ぎしている友達を眺めているだけ。表面上は知的で社交的で魅力的な人物だが、しかし主観的な良心や感情というものに決して流されず、常に物事を客観的かつ論理的に捉えて合理的に行動する。ある種のサイコパスと言えるかもしれない。それを強く印象付けるのは、恋人ルイーズ(リンダ・リッジウェイ)が自殺未遂を図るシーンだ。恋人とは言え、そう思っているのはルイーズの方だけ。スティーヴにとっては数いる遊び相手の一人に過ぎない。その冷たい扱いに腹を立てた彼女は、呼び出したスティーヴの前で両手首をカミソリで切って見せるのだが、彼はまるで意に介さないばかりか高みの見物を決め込む。死にたいと思って死ぬ人間になぜ同情しなくちゃいけない、君が望みを叶える様子を最後までちゃんと見届けてあげるよ、と言わんばかりに。その場に居合わせたビショップも、ルイーズの体重が110ポンドと聞いて、「だったら3時間以内に死ねるな。まずは悪寒がして、それからだんだんと眠くなるんだ」なんて平然とした顔で解説をはじめ、ルイーズに「あんたも彼と同じで人でなしね」と言われる始末(笑)。ここでビショップは、自分とスティーヴが同類の人間であるとの確信を抱き、やがて彼を自分の後継者として育てることを考え始めるわけだ。 脚本家のルイス・ジョン・カリーノによると、当初の設定ではビショップとスティーヴの関係性に同性愛的なニュアンスがあったという。要するに、恋愛とセックスの駆け引きを絡めた新旧殺し屋同士のパワーゲームが描かれるはずだったようなのだ。だが、やはり時期尚早だったのだろう。主演俳優のキャスティングが二転三転する過程で、同性愛要素がたびたび出演交渉のネックとなり、いつしか脚本から削り取られて行ったらしい。なるほど、それはそれで刺激的かつ興味深い作品に仕上がっていたかもしれない。一方の完成版では、ビショップとスティーヴは疑似親子的な関係性を築いていく。年齢を重ねることで徐々に丸くなり、長年のストレスから肉体的にも精神的にも限界を感じ始めたビショップは、若い頃の自分を連想させるスティーヴに対し、つい親心にも似た感情を抱いたのだろう。その気の緩みが結果的に仇となってしまい、自らを危険な状況へと追い詰めていくことになるわけだ。 余計な説明を極力排したハードボイルドな語り口は、ともすると表層的で分かりづらい作品との印象を与えるかもしれないが、しかし登場人物の何気ない反応や仕草、一見したところ見過ごしてしまいそうなシーンの一つ一つにちゃんと意味があり、自分以外の誰も信用することが出来ない非情な世界に生きる主人公の誇りと美学、孤独と哀しみが浮かび上がる。フレンチ・ノワール…とまでは言わないものの、しかし多分にヨーロッパ的な洗練をまとったマイケル・ウィナー監督の演出が冴える。ナポリへ舞台を移してからの終盤も、いまや師匠と弟子からライバルとなった2人の、抜き差しならぬ共犯関係をスリリングに描いて見事だ。カーチェイスや銃撃戦も見応えあり。呆気なく決着がついたと思いきや…という捻りの効いたラストのオチにもニンマリさせられる。まさに違いの分かる大人のための上質なアクション映画だ。 ちなみに、ご存知の通りジェイソン・ステイサム主演で’11年にリメイクされた本作だが、しかし両者は似て非なる作品だと言えよう。リメイク版では主人公ビショップを観客が「共感」できる親しみやすいキャラクターへと変えたばかりか、あえてオリジナル版では曖昧にされていた背景や設定に説明を加え、スティーヴがビショップに弟子入りする明確な理由を与えてしまったせいで、その他大勢のジェイソン・ステイサム映画と見分けがつかなくなったことは否めないだろう。続編『メカニック:ワールドミッション』(’16)に至っては、まるでジェームズ・ボンド映画のような荒唐無稽ぶり(笑)。それはそれで別にいいのだけれど、あえて『メカニック』を名乗る必要もなかったのではないかとも思えてしまう。まあ、それもある意味、スター映画の宿命みたいなものか。 なお、ビショップの自宅として撮影に使われた豪邸は、ロサンゼルスのウェストハリウッドに実在するが、本作の数年後に全面改修されているため、当時の面影を残しているのは門から玄関までの急な坂道だけだそうだ。また、組織のボスが暮らしている広々とした大豪邸は、サム・ペキンパー監督の『バイオレント・サタデー』(’83)のロケ地にもなった場所で、もともとはハリウッドの大スター、ロバート・テイラーが所有していた。さらに、スティーヴがチキンのデリバリーを装って押し入る邸宅も、ロサンゼルスに隣接するパサデナ市に実在しており、こちらはテレビ版『バットマン』(‘66~’68)のブルース・ウェイン邸の外観として使用されている。▪︎ © 1972 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC. All Rights Reserved