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PROGRAM/放送作品
荒野の決闘
OK牧場での伝説の決闘が蘇る!巨匠ジョン・フォード&名優ヘンリー・フォンダのタッグが贈る名作西部劇
西部史に名高いワイアット・アープとクラントン一家との決闘を題材に、西部劇の巨匠ジョン・フォードが多彩な人間模様や激しい銃撃戦を描写。誠実で男気あるアープを“アメリカの良心”ヘンリー・フォンダが好演。
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COLUMN/コラム2019.11.22
『セックス・アンド・ザ・シティ』の基ネタになった画期的なセックス・コメディ!
今回ご紹介する映画は『求婚専科』(65年)です。 原題は「SEX AND THE SINGLE GIRL=セックスとある独身女性」。ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』のことを思い浮かべると思うんですが、実はあの原点が本作『求婚専科』なんですよ。 原作は同名の本で、著者はヘレン・ガーリー・ブラウン。後に女性誌『コスモポリタン』で32年も編集者をした女性で、彼女が独身女性が結婚前に男性とセックスする必要について書いたエッセイ集です。これが1962年に発売されるや、アメリカでは大事件になりました。当時は、結婚していない女性はセックスをしてはいけないと考えられていたからです。 「セックスとある独身女性」というタイトルはどうにも意味不明ですが、元の書名は「SEX FOR SINGLE GIRLS=独身女性のためのセックス」だったんです。ところが、それは直接的でまずい、という出版社の自主規制で「SEX AND THE SINGLE GIRL」に変えちゃったそうです。でも、『セックス・アンド・ザ・シティ』の原作も女性の体験的なエッセイ集で、この『セックス・アンド・ザ・シングル・ガール』を元にして書名がつけられたんですよ。 『求婚専科』は、大ベストセラーの映画化ということで、映画会社も非常に気合いを入れて、オールスターキャストになっています。ヒロインは『ウエスト・サイド物語』(61年)で世界的な大スターになったナタリー・ウッド。彼女が演じるのは原作者ヘレン・ガーリー・ブラウンなんですが、ライターではなく、精神分析医という設定です。つまり完全にフィクションです(笑)。 相手役はプレイボーイ俳優のトニー・カーティス。役はスキャンダル雑誌の編集長。彼のご近所さんの夫婦がヘンリー・フォンダとローレン・バコール。2人ともハリウッドの超ド一流スターですけど、フォンダの役は脚フェチの変態おじさん(笑)。大スターにひどい役をふってます。 監督はリチャード・クワイン。彼は同時期に『女房の殺し方教えます』(65年)という、これもまたセックス・コメディを作ってる人です。ただ、この当時のハリウッド映画はヘイズ・コードという自主規制があるので、セックスについては描いちゃいけない。だから、ものすごくおしゃれに作ってあります。あと、ギャグの量も多い。今観ても腹を抱えて笑えます。 でも、今観ると、女性に対しての扱いがひどい。トニー・カーティスは、自分の秘書やいろんな女性に手を付けまくっているくせに、ヒロインのナタリー・ウッドのことを「処女だ!」と騒いでスキャンダルにしたり、女性差別的なギャグが多い。当時は、男尊女卑から女性の地位向上に向っていく過渡期だったんですね。 「求婚」といっても、全然、結婚を申し込む話ではなくて、独身女性にセックスをすすめている処女の心理学者と、彼女を取材するうちに惚れてしまった雑誌記者のラブ・コメディですね。それで、クライマックスはなんとカーチェイス! 60年代ハリウッドの娯楽映画の技をお楽しみに!■ (談/町山智浩) MORE★INFO.●原作者のヘレン・ガーリー・ブラウンは、出版社の雑用係から文章力を買われてコピーライターに抜擢、40歳のときに出版した本作がベストセラーとなり、遂には世界的な女性誌「Cosmopolitan」誌の編集長にまでなった。ちなみに、彼女の夫は『JAWS /ジョーズ』(75年)を製作したプロデューサー、デヴィッド・ブラウン。●設定がニューヨーク市からカリフォルニア州ロサンゼルスに変更されているなど、映画はかなり脚色されている。●当初はレスリー・H・マーティンソン監督、ダイアン・マクベイン主演と発表された。●トニー・カーティスが女性のナイトガウンを着ているシーンは、まるで『お熱いのがお好き』(59年)で共演したジャック・レモンのパロディ。 © Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
ジョン・フォード アメリカを創った男
西部劇の巨匠ジョン・フォードが描いた“真のアメリカ”とは?神話に隠された思いに迫るドキュメンタリー
多くの傑作西部劇を残したジョン・フォード監督は、作品を通じて何を描こうとしたか。『駅馬車』などモニュメントバレーを舞台にした代表作の映像や作品の変遷を通じて、その真意を掘り下げるドキュメンタリー。
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COLUMN/コラム2018.10.18
~昔々イタリアで~レオーネが夢見たもの 『ウエスタン』
セルジオ・レオーネ監督の『ウエスタン』の冒頭。荒野に佇む小さな駅に、悪党面のガンマンたちが現れる。演じるは、ハリウッド製B級西部劇の悪役として鳴らしたジャック・イーラムに、ジョン・フォード組常連の黒人俳優ウディ・ストロードら3人。老駅員に凄んでみせ、他の乗客を追い払うと、3人はそれぞれ己の位置を決めて、待ち伏せの態勢を取る。やがて列車が到着するも、降りる者はなく、拳銃を構えていた3人の緊張が、ふっと緩む。 ところがその時、どこからともなくハーモニカの音色が聞こえてくる。列車が走り出した線路の向こう側に、チャールズ・ブロンソンが演じる1人の男が立っている。やがて3人vs1人の間で、各々の拳銃が火を噴く瞬間が訪れる。…生き残ったのは、ハーモニカの男だけだった…。 レオーネ作品ならではの、エンニオ・モリコーネの旋律も聞こえてこないまま、14分30秒の長きに渡る、このオープニングに関しては、初公開時から厳しい意見が寄せられた。ここで端的な批判の例として挙げるのは、映画評論家の二階堂卓也氏の指摘。労作にして史料的価値も高い、二階堂氏の名著「マカロニアクション大全 剣と拳銃の鎮魂曲」(洋泉社 1999年初版刊行)の中で、次のように断じている。 「思わせぶり過多な演出と執拗なクロース・アップの手法にはいささか辟易させられた。この二つは冒頭から早くもエンエン……といった調子で表現される」「三人の無法者が駅からホームへ出るまでが実に長い」「…意味ありげで、実は何もない俳優たちの所作は頻繁に撮し出され、これには閉口せざるをえないのだ」 なるほど、“マカロニ・ウエスタン=イタリア製西部劇”を、1960年代中盤からリアルタイムで追ってきた筆者ならではの、正しき識見に思える。レオーネ監督が、『荒野の用心棒』(1964)『夕陽のガンマン』(1965)『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966)の、いわゆる“ドル箱三部作”で確立して磨きを掛けた得意技を、「これでもか!」と押し付けてくる様に、ウンザリといったところか。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というわけだ。 しかし私の場合、事情が違う。リアルタイムでスクリーン鑑賞したレオーネ作品は、彼の遺作となった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)のみ。他の作品は、彼がこの世を去った、1989年以降に初めて触れている。 原題が“Once Upon A Time In The West=昔々、西部で”という本作は、まず“マカロニ・ウエスタン”の世界を確立した、“ドル箱三部作”の総決算的な位置付けにある。それと同時に、『夕陽のギャングたち』(1971)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』へと続く、ハリウッド資本が大々的に導入された、“ワンス・アポン・ア・タイム三部作”の第1作に当たる。 『ウエスタン』は、60年の生涯で10本に満たない監督作しか残せなかったレオーネが、それでも“巨匠”と言われるに値する風格を見せつけた作品と、私には映る。「過ぎたる」部分にこそ、レオーネの“円熟”そして“野心”が見えてくるのである。 些か“作家主義”が過ぎるという誹りを、免れないかも知れない。しかしレオーネが死してから、そのフィルモグラフィーを追うようになった者としては、決して間違った見方ではないだろう。 “マカロニ…”で名を成したレオーネが、終生憧れたアメリカへの想いを吐露したと言われる、“ワンス・アポン・ア・タイム三部作”。その第1作『ウエスタン』に籠められた“アメリカへの想い”は、実はレオーネ1人だけのものではない。 本作原案に、レオーネと共にクレジットされている、ベルナルド・ベルトルッチとダリオ・アルジェント。後にイタリア映画を代表する存在になる2人だが、当時は20代。ベルトルッチは、駆け出しの映画監督。アルジェントはまだ、映画ジャーナリストだった。 この2人が数か月の間、レオーネ邸に呼ばれては、『ウエスタン』のストーリーのガイドラインを組み立てていった。そんな2人はレオーネと同じく、ジョン・フォード監督作品を代表とする、ハリウッド製西部劇をこよなく愛していた。 レオーネは本作で目指していたものを、後に次のように語っている。 「アメリカの西部劇の伝統的な筋立て、道具立て、背景、そして個々の作品への言及―こういったものを使って、私なりのやり方で国民の創生の物語を作ってやろう、というのが基本アイデアだった。伝統に挑戦したかったんだ。ありふれたストーリーに昔ながらの登場人物たちを配しながら、偉大でロマンティックな大西部を消滅させようとするアメリカ史上最初の経済的大発展の中で、最後の瞬間を生きようとしていた時代のアメリカを再構築したかったんだよ」 『ウエスタン』は、オープニングの待ち伏せシーンが、『真昼の決闘』(1952)へのオマージュであるのをはじめ、様々な“西部劇映画”からの引用に満ちている。『アイアン・ホース』(1924)『シェーン』(1953)『追跡』(1947)『捜索者』(1956)『赤い矢』(1957)『大砂塵』(1954)『ウィンチェスター銃'73』(1950)『ワーロック』(1959)等々。こうした引用の中には、ベルトルッチがレオーネに気付かれぬ内に、イタズラ小僧のようにこっそりと潜り込ませたものもある。作品完成後に指摘されたレオーネは、激怒したという。 その上で『ウエスタン』には、3人にとってイタリア映画界の偉大な先達である、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫』(1963)の影響を、強く見出せる。『山猫』は、時代の波に取り残されたイタリア南部の貴族階級が、北部から吹く革新の風によって、没落を決定づけられる物語。一方『ウエスタン』では、馬に乗り西部を開拓したガンマンたちが、鉄道によって財を成さんとする者たちに、居場所を追われていく。 『ウエスタン』キャストのトップにクレジットされるのは、クラウディア・カルディナーレ。『山猫』では、新しい時代の成金勢力者の娘役だった彼女に、本作では、都市部から西部に移り住み、最終的には根を張って生きていくことが提示される、高級娼婦出身のヒロインを演じさせている。これは当然、意識的なキャスティングであろう。 チュニジア出身のイタリア人女優カルディナーレがヒロインの物語で、西部の滅びゆく男たちを演じるのは、チャールズ・ブロンソン、ジェイソン・ロバーズ、そしてヘンリー・フォンダ。彼らはまさに、レオーネのアメリカへの憧れを体現したような俳優たち。特にブロンソンとフォンダのキャスティングは、レオーネにとっては数年来の念願だった。 ハーモニカを吹きつつ復讐を企てながら、ヒロインを支えるように立ち回る流れ者役のブロンソン。『荒野の七人』(1960)で彼を見初めたレオーネが、かつて『荒野の用心棒』(1964)の主役をオファーした経緯がある。しかし、元はイタリア語で書かれた脚本を、妙な英語で訳したものを渡されたブロンソンは、一読すると、にべもなく断った。 余談になるが、ここでブロンソンが『荒野の…』を受けていたら、クリント・イーストウッドに主役が行き着くことはなかった。そうなると、後の“ダーティハリー”にして、アカデミー賞監督であるイーストウッドの今日も、なかったかも知れない。 さて、そんな『荒野の…』主役に関しては、ブロンソンにオファーする前、レオーネが誰よりも出演を熱望した第1候補がいた。それが、名優ヘンリー・フォンダだった。 しかし『荒野の…』時には、まったく無名のイタリア人監督だったレオーネ。彼の想いはフォンダ本人まで届くことなく、そのエージェントから門前払いの憂き目に遭ってしまった。 そして“ドル箱三部作”でレオーネが名声を得た上で、改めての『ウエスタン』出演のオファー。フォンダはレオーネと面談し、未見だった“ドル箱三部作”を観た上で、首を縦に振った。その裏には、フォンダの友人で、『続・夕陽のガンマン…』の主要キャストだった、イーライ・ウォラックの尽力もあったという。 フォンダが『ウエスタン』で演じたのは、鉄道成金の手先になって、幼き子どもでも躊躇なく撃ち殺す、冷酷非情なガンマン。そしてヒロインのカルディナーレも、彼に犯されてしまう。『若き日のリンカーン』(1939)『荒野の決闘』(1946)などで清廉なイメージの強かったフォンダに、敢えて“悪役”をあてたのである。 フォンダは役作りのため、ヒゲをたくわえ、ブラウンのコンタクトレンズを入れて、ロケ地へと現れた。レオーネは直ちに、ヒゲを剃ってコンタクトも外すように、フォンダに命じた。レオーネの憧れた、ブルーの瞳のままのフォンダに“悪役”を演じさせることこそ、大西部が消滅していく様の象徴だったのかも知れない。 こうして理想のキャストを得た上で、ジョン・フォードの『駅馬車』(1939)などに登場する、アメリカ・モニュメントバレーでのロケも実現したレオーネ。2時間45分という長尺で、『ウエスタン』を完成させた。 興行の結果で言えば、フランスでの大ヒット以外は、ヨーロッパ各国で、“ドル箱三部作”の興行収入を下回る結果に。更にはアメリカでは、その長さを嫌ったスタジオ側によって、20分のカットが行われて作品のリズムが狂わされた上に、観客がフォンダの悪役に抵抗を覚えたせいもあってか、惨憺たる成績に終わった。 こうした流れは、“ワンス・アポン・ア・タイム三部作”を通じてのものとなり(遺作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』では、もっと悲惨な短縮&再編集が行われた)、レオーネが撮った“アメリカ映画”が、初公開時に観客席を埋めることは、ついぞ起こらなかった。 しかし『ウエスタン』も『ワンス・アポン…』も、現在ではレオーネの望んだ形が“正規版”。再評価が大きく進んでいる。 レオーネが、生前には遂に掴めなかったアメリカの夢。しかし彼が死して30年近く経った今、その作品の輝きは“映画史”の中で、年を経るごとに増しているかのようだ。◾︎ TM & Copyright © 2018 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved
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PROGRAM/放送作品
求婚専科【町山智浩撰】
町山智浩推薦。お軽いドタバタSEXコメディだが、原作の主張とは真逆の映画に!町山解説必聴の実は問題作
町山智浩セレクトのレア映画を町山解説付きでお届け。ウーマンリブの時代に書かれた女性の性解放の指南書を、保守的なハリウッドがゆがめて映画化しお軽いSEXコメディに。なにが問題!? 町山解説あわせて必聴。
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COLUMN/コラム2015.05.01
個人的に熱烈推薦!編成部スタッフ1人1本レコメンド 【2015年5月】にしこ
ひたすら真面目に生き、妻と子供を深く愛する男。貧しいけれど家族がいれば幸せ。そんな好人物がとんでもない悲劇に見舞われるという、おそろしい物語。ヘンリー・フォンダ演じるマニーはプロのミュージシャン。華やかなナイトクラブに勤め、金持ちのお客相手に演奏をする日々だが、ひがんだり欲を出したりせず、愛する妻と子供がいる生活に幸せを感じている。ある日、妻ローズの歯の痛みを治す為にまとまった金が必要になり借り入れの為に訪れた保険会社の受付で悲劇が!先日保険会社に入った強盗に顔が似ていた、それだけの事で警察から事情聴取を受ける事に…特筆すべきは、妻ローズを演じるヴェラ・マイルズの演技。繊細で優しすぎる為、ふってわいた災難を受け入れられず自分を責める形で精神のバランスを崩し始める様子は、本筋のサスペンス要素以上にハラハラさせられます。冒頭、自分の監督作に出演する事の多いヒッチコックがいつになく深刻な面持ちで登場します。「これは実際にあった物語である」。冤罪とはかくも簡単に起こり得るものだと。それはいつも簡単に人の人生を崩壊させると。時代考証を差し引いても実に恐ろしいのであります。 TM & © Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
(吹)求婚専科
覆面取材のはずが…ナタリー・ウッド&トニー・カーティスが洗練された恋模様を魅せるラブコメディ
シチュエーションコメディを得意としたリチャード・クワイン監督の本領発揮作。主人公らがそれぞれ車で追いかけ合うクライマックスのドタバタ劇は爆笑モノ。ヘンリー・フォンダら脇を固める豪華俳優陣にも注目。
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PROGRAM/放送作品
ウエスタン[復元オリジナル版]
オールスターキャスト!圧倒的映像美!壮大なるドラマ!これこそマカロニ・ウエスタンの到達点だ!!
マカロニ・ウエスタンの創始者レオーネ監督が到達した、マカロニの頂点にして、壮大なるオールスター西部劇。主役は4人。ヒーロー役・復讐のガンマンにブロンソン。“アメリカの良心”フォンダは初の悪役を好演。
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PROGRAM/放送作品
(吹)ウエスタン
オールスターキャスト!圧倒的映像美!壮大なるドラマ!これこそマカロニ・ウエスタンの到達点だ!!
マカロニ・ウエスタンの創始者レオーネ監督が到達した、マカロニの頂点にして、壮大なるオールスター西部劇。主役は4人。ヒーロー役・復讐のガンマンにブロンソン。“アメリカの良心”フォンダは初の悪役を好演。
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PROGRAM/放送作品
未知への飛行
核戦争による世界破滅の危機が迫る!シドニー・ルメット版『博士の異常な愛情』的傑作サスペンス
名匠シドニー・ルメット監督作品。ホワイトハウスの核シェルター、ペンタゴンの戦略立案室、空軍司令室という室内だけで構成。音楽も極力排除し、緊迫感漂う会話のみで、一級のサスペンスに仕上げている。