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PROGRAM/放送作品
GOAL! ゴール!
メキシコの貧しい少年がプロサッカー選手を目指しプレミアリーグに挑戦する青春スポ根サクセスストーリー
プロサッカー選手を目指す少年の成長を王道スポ根ものとして熱く描く。FIFA公認映画で、ベッカム、ジダンなどスーパースターも登場。さらにプレミアリーグの巨大スタジアムでの撮影がリアルな熱狂を生み出す。
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COLUMN/コラム2021.10.01
スコセッシ&デ・ニーロ。名コンビが『レイジング・ブル』でなし遂げたこと。
30代中盤を迎えたマーティン・スコセッシは、心身ともに疲弊の極みにいた。『ミーン・ストリート』(1973)『アリスの恋』(74)、そして『タクシー・ドライバー』(76)の輝かしき成功を受けて、意気揚々と取り組んだ『ニューヨーク・ニューヨーク』(77)が、興行的にも批評的にも、惨憺たる結果に終わってしまったのである。私生活で2番目の妻と離婚に至ったのも、大きなダメージとなった。 どん底から這い出すきっかけとなったのは、78年9月。入院していたスコセッシを、ロバート・デ・ニーロが見舞った時のことだった。「よく聞いてくれ、君と俺とでこれをすばらしい映画にすることができる。やってみる気はないか?」 デ・ニーロが言った「これ」とは、本作『レイジング・ブル』(80)のこと。盟友の誘いにスコセッシも、「やろう」と答えたのだった。 と言っても本作の準備は、その時にスタートしたわけではない。それよりだいぶ以前から、進められていたのである。 本作の原作は、元ボクシング世界チャンピオンで、現役時代に“レイジング・ブル=怒れる牡牛”と仇名された、ジェイク・ラモッタの自伝である。それがデ・ニーロに届いたのは、『ゴッドファーザーPARTⅡ』(74)撮影のため、73年にイタリアのシチリア島に滞在していた時。その暴力的なエネルギーとラモッタの特異なキャラクターに惹かれたデ・ニーロは、『アリスの恋』に取り組んでいたスコセッシに、この題材を持ち込んだ。 脚本は、『ミーン・ストリート』『ニューヨーク・ニューヨーク』などで2人と組んだ、マーディク・マーティンに託された。スコセッシが当初は、デ・ニーロほどは本作に乗り気でなかったこともあって、その後しばらくはマーティンに任せっぱなしとなり、何年かが過ぎた。 77年になってから、2人はマーティンの脚本を読んで、不満を覚える。そのため執筆は、『タクシードライバー』のポール・シュレーダーへと引き継がれた。 しかし、シュレーダーが書き上げた脚本には、大きな問題があった。ラモッタの性格が暗すぎる上に、シュレーダー本人が「僕が書いた中で最高の台詞」というそれは、刑務所の独房に入れられたラモッタが、自慰をしながらするモノローグだった…。 この作品に本格的に取り組むことを決めたスコセッシと、それを促したデ・ニーロの2人で、脚本に手を加えることとなった。カリブ海に浮かぶセント・マーティン島に3週間ほど缶詰めになって、シュレーダーの書いた各シーンを再検討。必要ならばセリフを書き加えて、最終稿とした。 撮影に関してのスコセッシの申し入れに、製作するユナイテッド・アーティスツは、目を白黒させた。彼の希望は、「モノクロで撮りたい」というもの。70年代も終わりに近づいたこの時期に、正気の沙汰ではない。 この頃は『ロッキー』(76)の大ヒットに端を発した、ボクシング映画ブームの真っ最中。『ロッキー』シリーズ、『チャンプ』(79)『メーン・イベント』(79)、挙げ句はカンガルーのボクサーが世界チャンピオンと闘う『マチルダ』(78)などという作品まで製作され、続々と公開されていた。 スコセッシの希望は、当然のようにカラー作品である、それらのボクシング映画とは一線を画したいという、強い思いから生じたもの。そして同時に、当時浮上していた、カラーフィルムの褪色という、喫緊の課題に対するアピールの意味もあった。 その頃に撮影の主流を占めていた、イーストマンのカラーフィルムは、プリントは5年、ネガは12年で色がなくなってしまうという、衝撃的な調査結果が出ていた。撮影から上映まで、ほぼすべてがデジタル化した、現在の映画事情からは想像がつかないかも知れないが、映画の作り手にとっては、至極深刻な問題だったのである。「…僕はこれを特別な映画にしたいんだ。それになによりも黒白は時代の雰囲気を映画に与えてくれる」そんなスコセッシの思いは届き、ユナイトはモノクロ撮影に、OKを出した。 一時期は「これが最後の監督作」とまで思っていたスコセッシの元に、79年4月のクランク・インの日、1通の電報が届いた。差出人はシュレーダー。その文面は、“僕は僕の道を行った。ジェイクは彼の道を行った。君は君の道を行け”というものだった。 *** 1964年、ニューヨークに在るシアターの楽屋。1人のコメディアンが、セリフの暗唱を行っている。その男は、42才になるジェイク・ラモッタ(演:ロバート・デ・ニーロ)。でっぷりと肥え太ったその身体には、かつての世界ミドル級チャンピオンの面影はなかった…。 時は遡り、41年。19歳のジェイクは、デビュー以来無敗を誇っていたが、初めての屈辱を味わう。ダウンを7回奪ったにも拘わらず、判定負けを喫したのだ。 妻やセコンドを務める弟のジョーイ(演:ジョー・ペシ)に当たり散らすジェイクだったが、そんな時に市営プールで、15歳の少女ヴィッキー(演:キャシー・モリアーティ)に、一目で心を奪われる。妻がいるにも拘わらず、ジェイクはヴィッキーを口説いて交際を開始。やがて2人は、家庭を持つこととなる。 43年、無敵と謳われたシュガー・レイ・ロビンソンをマットに沈めるも、その後行われたリターンマッチでは、ダウンを奪いながらも判定負けとなったジェイク。これからのことを考えると、それまで手を組むことを拒んできた裏社会の大物トミーを、後ろ盾にする他はなかった。そして、タイトルマッチを組んでもらう見返りに、ジェイクは格下の相手に、八百長で敗れるのだった。 49年、フランスの英雄マルセル・セルダンに挑戦。TKOで、ジェイクは遂に世界チャンピオンのベルトを手に入れた。しかし栄光の座を得ると共に、異常なまでの嫉妬心と猜疑心が昂じて、ジェイクは妻ヴィッキーの浮気を執拗に疑うようになる。そしてあろうことか、公私共にジェイクを支え続けてきた弟ジョーイを妻の相手と思い込み、彼に苛烈な暴力を振るってしまう。 この一件でジョーイから見放され、やがてチャンピオンの座から滑り落ちることになるジェイク。54年には引退し、フロリダでナイトクラブの経営者となるが、ヴィッキーも彼の元を去る。 遂にひとりぼっちになってしまったジェイク。その行く手には、更なる破滅が待ち受けていた…。 *** スコセッシは言う。~『レイジング・ブル』はすべてを失った男が、精神的な意味で、すべてを取り戻す物語だ~と。 その原作者であるジェイク・ラモッタは、本作のボクシングシーンの撮影中、デ・ニーロに付きっきりで、喋り方からパンチのコンビネーションまで、自分のすべてを伝授したという。中でも口を酸っぱくして指導したのが、己のファイトスタイル。それは「絶対にホールドするな」というものだった。 本作ではデ・ニーロの共演者として、ジョーイ役のジョー・ペシとヴィッキー役のキャシー・モリアーティが、一躍注目の存在となった。ペシはデ・ニーロと同じ歳だが、それまではほとんど無名の存在。ペシの過去の出演作のビデオをたまたま目にしたデ・ニーロが、スコセッシにも観ることを勧めた。スコセッシも彼の演技に興味を引かれ、会ってみることにしたのである。 ところがその時、ペシは俳優の仕事に疲れ果てて、辞めようと決意したばかり。スコセッシのオファーを、真剣に取り合おうとしなかった。 スコセッシはペシを、何とかなだめすかして、セリフ読みをしてもらうと、その喋り方が非常に気に入ったという。更に即興演技をしてもらうと、やはり素晴らしかったため、ジョーイ役を彼に頼むことに決めた。 ジョー・ペシの起用によって、呼び込まれたのが、キャシー・モリアーティだった。1960年生まれで当時18歳だったキャシーは、高校卒業後にモデルをしながら、女優を目指していた。 ペシはキャシーの近所に住んでおり、彼女がヴィッキー・ラモッタに似ていることに気が付いた。キャシーは、ペシに頼まれて自分の写真を渡し、それをスコセッシが見たことから、本作のスクリーンテストを受けることとなったのである。そして次の日には、合格の電話を受け、見事ヴィッキーの役を射止めたのだった。 役作りに際しては、ジェイク・ラモッタ本人がベッタリ付きだったデ・ニーロとは真逆に、キャシーは自分が演じるヴィッキーと会うことを、スコセッシに禁じられたという。ヴィッキー本人がセットを訪れた際も、キャシーは顔を合わせないように、仕向けられた。演技はほぼ素人で、すべて直感で演じたというキャシーが、ヴィッキーの影響をヘタに受けないようにするための配慮であったと思われる。 さて主演のデ・ニーロ。本作での役作りこそ、彼の真骨頂と言って差し支えなかろう。チャンピオンを演じるために、タイトルマッチに挑むプロボクサー以上のトレーニングを積んだのは、まだ序の口。引退後のでっぷりと太ったラモッタを演じるため、4カ月で25㌔増量という荒技に挑んだ。 フランスやイタリアまで出掛け、お腹が減らなくとも1日3回、高カロリー食を詰め込むという苦行を繰り返す。それによってデ・ニーロは、体重を72.5㌔から97.5㌔まで増やすのに、成功したのである。 役に合わせて、顔かたちや体型まで変化させる。当時はまだそんな言われ方はしてなかったが、本作ではいわゆる“デ・ニーロ・アプローチ”の究極の形が見られる。逆に『レイジング・ブル』があったからこそ、“デ・ニーロ・アプローチ”という言葉が生まれ、一般化したとも言える。 では、そんなデ・ニーロが挑むボクシング試合。スコセッシはどんな手法で作り上げたのか? 通常のボクシング映画では、リングの外に数台のカメラを置き、様々なアングルから捉えたものを、編集するというやり方が一般的である。ところが本作撮影のマイケル・チャップマンが回したカメラは、1台だけ。しかもその1台をリングの中に持ち込み、常にボクサーの動きに焦点を合わせた。 この撮影は、スコセッシが描いた絵コンテを、忠実になぞって行われた。それはパンチ1発から、マウスピースが飛んでいくようなところまで、各ショットごとに細かく描き込まれたものだった。 スコセッシは、リング上では観客がボクサーの眼を持つようにしたかったという。観客自身が、殴られているのは自分だという意識を持続するように。それもあって、試合のシーンでは、絶対に観衆を映さなかった。 サウンドも、リングで戦うジェイクの立場から作ることを決めていた。パンチがどんな風に聞こえるか? 観衆の声は、どんな風に届くのか? ライフルの発射音やメロンの潰れる音などを駆使して、結局ミキシングには、当初予定していた7週間の倍の時間が掛かったという。 本作で初めてスコセッシ作品に参加し、後々彼の作品には欠かせない存在になっていく、編集のセルマ・スクーンメイカー。彼女はこう語っている。「…監督があらかじめとことん考え抜いておかなければ、『レイジング・ブル』のような映画の編集は生まれてこないわ。あの映画を偉大にしているのは背後にある考え方であって、それはもちろん私のでなくてスコセッシのものなのよ」『レイジング・ブル』は、アカデミー賞で8部門にノミネートされ、デ・ニーロに主演男優賞、スクーンメイカーに編集賞が贈られた。この年はロバート・レッドフォードの初監督作『普通の人々』があったため、作品賞や監督賞は逃したものの、スコセッシの見事な復活劇となった。 ~『レイジング・ブル』はすべてを失った男が、精神的な意味で、すべてを取り戻す物語だ~ それはこの作品に全力を投じた、スコセッシにも当てはまることだった。■ 『レイジング・ブル』© 1980 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ
[R15+]伝説的ジャズ歌手がFBIのターゲットに!ビリー・ホリデイの知られざる戦いを描く実話ドラマ
人種差別を告発する「奇妙な果実」を歌いFBIに追われる身となったビリー・ホリデイの苦闘を、『プレシャス』のリー・ダニエルズ監督が映画化。歌手アンドラ・デイが初演技ながらホリデイを熱演しオスカー候補に。
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COLUMN/コラム2019.10.21
現場目撃のないテロ行為の再現『ユナイテッド93』
■最初の9.11アメリカ同時多発テロ映画 2006年に製作された『ユナイテッド93』は、アルカイダのテロリストによって機体を占拠された「ユナイテッド航空93便ハイジャック事件」を、ドキュメンタリー仕立てのドラマにした作品だ。2001年9月11日、この旅客機を含む4機のうち2機がニューヨークの世界貿易センタービルに、そして1機がペンタゴン(アメリカ合衆国国防総省)へと同時に撃墜した、いわゆる「9.11アメリカ同時多発テロ」を劇映画へとアダプトした最初のハリウッド作品である。ユナイテッド航空93便(以下:UA93便)もワシントンD.C.のアメリカ合衆国議会議事堂への突入がテロリストによって策動していたが、乗客たちの我が身を犠牲にした抵抗が、彼らの目的を未遂に終わらせたといわれている。 物語はUA93便のニューアーク・リバティー国際空港からの離陸を起点に、当日の旅客機内での出来事と、テロ攻撃を追うさまざまな連邦や州機関など複数の視点を交え、ことの推移をリアルタイムで克明に描写していく。そのような作品の性質上、目撃者全員が亡くなった機内の様子など、想定に頼らざるをえない部分もある。しかし乗客たちによる勇気ある決断と行動を、遺族や関係者への取材、そして膨大な資料収集と可能な限りのリサーチを尽くし、迫真的な演出によって明らかにしていく。加えてリアリティを徹底させるために、乗客はスター性を排した俳優によって演じられ、また客室乗務員やパイロット、その他の航空会社のキャストは、実際の航空会社の従業員が集められた。 だが映画はテロを未然に防いだことへの称賛に比重を置くのではなく、あくまでテロ攻撃という未曽有の事態に対し、それぞれの立場の者がそれぞれの役割を果たし、ひたすら回答を出していく姿が捉えられている。現実には政府機関の官僚的な手続きが事態を混乱に陥れるなどネガティブな要素も見られたが、劇中の演出はそれを強く批判したりすることはなく、監督であるポール・グリーングラスは、あくまでもフラットな演出に徹している。 ■アクション映画に革命を起こしたグリーングラス監督の実録スタイル そう、こうした困難な演出へのアクセスが可能となったのは、本作の監督であるポール・グリーングラスの力量によるところが大きい。 記憶をなくしたエージェント、ジェイソン・ボーンを主人公としたマット・デイモン主演のスパイスリラー『ボーン』シリーズのうち3作(『ボーン・スプレマシー』(04)『ボーン・アルティメイタム』(07)『ジェイソン・ボーン』(16))を手がけ、ダイナミックなハンドヘルト(手持ち)のカメラワークやショットを細かく構成した高速編集など、ハリウッド・アクションのシークエンスをより機動性の高いものにしたグリーングラス。そんな彼の特徴的なスタイルは本作においてもいかんなく発揮され、観る者を混乱の渦中に置き、そして息をのませるような没入感を生み出している。 もともとグリーングラスはテレビディレクターをキャリアの出発点としており、アクティブな手持ちカメラによる没入型のテクニックは、英グラナダテレビが制作し、ITVネットワークが長年放送してきたドキュメンタリープログラム「World in Action」(1963~98)のディレクター時代に培われてきたものだ。 ◇ポール・グリーングラス自身が「world in action」に言及したグラナダテレビのドキュメンタリー“Granada: From the North” そんな彼のスタイルが広く評価されたのは、1999年に自身が手がけたドラマ『The Murder of Stephen Lawrence(ステファン・ローレンスの殺人)』(原題)を起点とする。ロンドン南部のエルサムで、18歳の学生が白人青年の一団に殺害された事件を描いた本作は、グリーングラスがドキュメンタリーで実践してきた映像スタイルを本格的に投入。人種差別を起因とするこの事件の核心に迫り、BAFTA(英国映画テレビ芸術アカデミー)が主催する英国アカデミー賞テレビ部門で単発ドラマ賞を得たのである。 そしてグリーングラスはこのスタイルを、1972年の北アイルランドのロンドンデリーでデモをしていた抗議者たちが、イギリス軍によって射殺された事件を描いた『ブラディ・サンデー』(02)に適応。『ユナイテッド93』に通底する実録的な再現スタイルの鋳型を作ったのである。その記録映像を思わせるような高い完成度によって、本作は劇場公開へと拡大され、第52回ベルリン国際映画祭で金熊賞を獲得したのだ。 この『ブラディ・サンデー』を劇場で観た映画製作者のフランク・マーシャルは、グリーングラスの米商業映画の世界へとスカウトし、そして彼は『ボーン・スプレマシー』でハリウッド進出をはたすことになる。 ■『ユナイテッド93』を成立へと誘導した『アルジェの戦い』 グリーングラスのこうしたアプローチを下支えするものとして、『ユナイテッド93』にはもうひとつ、その存在に影響を与えた作品がある。それは1966年に製作された、イタリアとアルジェリアの合作映画『アルジェの戦い』だ。 同作は第二次世界大戦後に起こったアルジェリア戦争(1954~62)を主題にしたもので、アルジェリアが独立を勝ち取るまでの歴史を描いた政治的傑作のひとつだ。特に1957年に同国の首都でおこなわれたタイトルの「アルジェの戦い」(フランス軍が国民解放戦線(FIN)の抵抗を打ち砕こうとした紛争)に焦点が定められており、その映像演出はニュースリールのようなドキュメンタリー形式を装い、リアリティを徹底させたものになっている。また俳優もプロではなく素人を中心に起用し、両軍に公正な審理を与えるフラットな語り口など、これら要素を『ユナイテッド93』と共有しているといっていい。 ◇“The Battle of Algiers' trailer” グリーングラス自身『アルジェの戦い』に関しての言及は少なくない。代表的なものとしてはBFI(British Film Institute=英国映画協会)がおこなった「映画人の選ぶ映画ベスト10」において、選者の一人として同作を筆頭に挙げているし、また同作のBlu-rayに収録されたインタビューにおいて、この『アルジェの戦い』に対して以下のように所感をあらわしている。 「情報の伝達力が格段に飛躍し、世界情勢への理解が充分に及んだ現代においても、『アルジェの戦い』が放つ力は素晴らしい。そこには真実を超えた映像の説得力がある」 『ユナイテッド93』には、こうしてグリーングラスの瞠目した『アルジェの戦い』の創造性が細かく反映されている。そのため映画のクライマックスとなる乗客たちのテロリストへの反撃シーンは正視に耐えないほどの現場体験を観る者に強い、暴力描写への取り組み方は尋常ではない。たとえば同作の予告編が劇場で流れたさいも、席を立つ観客が後を絶たなかったという。グリーングラス自身はあくまでも遺族感情を考慮し、テロ事件から5年という経過が発表時期として妥当なのかどうかを懸念しながら、暴力の現場をどのように描くべきかに深い迷いを抱えていたという。しかし遺族から「あなたの感じたままに描いてくれればいい。どんなに描いてもわたしたちの想像を超えることはないのだ」という助言を受け、腹を決めたのだとしている。 もっとも、この『アルジェの戦い』とて、ロベルト・ロッセリーニ監督の『無防備都市』(45)に代表されるネオ・リアリズム映画(社会的テーマと写実的な演出を特徴とする作品動向)の系譜に連なるもので、その実録調のスタイルには、先んじて存在するひとつの潮流がある。くしくもグリーングラスがBFIのベスト10で同時に選出したイタリアの『自転車泥棒』(48 監督/ヴィットリオ・デ・シーカ)なども、このネオ・リアリズム映画の流れに身を置く作品だ。こうした映画史からの連続性、ならびに相互的な関連においても『ユナイテッド93』の位置付けを求めることもできる。 なによりグリーングラス自身、ラディカルといわれた自分のスタイルも非常に古典的なものであり、それは先述した「World in Action」に代表されるような、社会的リアリズムに肉薄した英国ドキュメンタリーの伝統のうえにあるという自覚を抱いている。そのため他のハリウッドの監督が彼のスタイルに追随したとき、その影響力の大きさに驚いたのは他ならぬ彼自身だったという。 ただ「こうであっただろう」というひとつの仮定のもと、現場目撃のないテロ行為の阻止をここまで描ききったことに、本作『ユナイテッド93』は固有の価値と意義を有している。グリーングラスはその後も、ソマリアの海賊が米国船籍の貨物船マースク・アラバマ号をハイジャックした『キャプテン・フィリップス』(13)や、2011年にノルウェーの首都ウトヤ島で起こった銃撃爆破テロを描いた『7月22日』(18)など、娯楽アクションと並行し、この実録的な検証路線を追求している。それらの嚆矢として、この『ユナイテッド93』は存在するのだ。■ 『ユナイテッド93』© 2006 Universal Studios. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち
[R15相当]またも2つの事件が大きな謎で結びつく!ジャン・レノ主演の猟奇サスペンスシリーズ第2作
リュック・ベッソン製作・脚本のサスペンスシリーズ第2作。ベテラン警視ニーマンスに扮するジャン・レノ以外はキャストを一新し、連続殺人事件の猟奇的ムードもアクションも前作よりパワーアップしている。
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PROGRAM/放送作品
(吹)クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち
[R15相当]またも2つの事件が大きな謎で結びつく!ジャン・レノ主演の猟奇サスペンスシリーズ第2作
リュック・ベッソン製作・脚本のサスペンスシリーズ第2作。ベテラン警視ニーマンスに扮するジャン・レノ以外はキャストを一新し、連続殺人事件の猟奇的ムードもアクションも前作よりパワーアップしている。
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PROGRAM/放送作品
EXIT(2018)
上昇する有毒ガス…生き残るには高層ビルを登るしかない!命綱なしで繰り広げる決死のサバイバルパニック
上昇してくる有毒ガスから逃げるため、地上数百mのビルからビルへと渡り歩く決死の脱出劇。人気グループ“少女時代”のユナと『建築学概論』のチョ・ジョンソクが、元ロッククライマーの男女を緊張感満点に熱演。
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PROGRAM/放送作品
ユナイテッド93
9.11、ハイジャックされた機内で何が起きたのか?市民の勇気ある行動をリアルに再現する
『ジェイソン・ボーン』シリーズ2、3のグリーングラス監督が、リアリティ追求のため犠牲者遺族や管制センター、軍への膨大な取材をもとに、9.11当日の状況を可能な限り再現した、究極のセミドキュメンタリー。
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PROGRAM/放送作品
(吹)ユナイテッド93
9.11、ハイジャックされた機狽で何が起きたのか?市民の勇気ある行動をリアルに再現する
“ジェイソン・ボーン”シリーズ2、3のグリーングラス監督が、リアリティ追求のため犠牲者遺族や管制センター、軍への膨大な取材をもとに、9.11当日の状況を可能な限り再現した、究極のセミドキュメンタリー。