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PROGRAM/放送作品
栄光への脱出
“約束の地”パレスチナを目指すユダヤ人たちの長く険しい旅。ポール・ニューマン主演の歴史ドラマ大作
パレスチナへの入植を目指すユダヤ人たちが起こした“エクソダス号事件”を、同じユダヤ人のオットー・プレミンジャー監督が感動的に映画化。勇壮な主題曲が物語とマッチし、アカデミー 劇・喜劇映画音楽賞を受賞。
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COLUMN/コラム2020.12.21
マルコム・マクダウェル原案・主演×リンゼイ・アンダーソン監督による「ミック・トラヴィス3部作」の第2弾
今日お勧めの映画は『オー!ラッキーマン』(73年)です。タイトルだけ聞くと、楽しそうな映画かな?と思うでしょうが、主人公が“地獄めぐり”をする話です。 主役はマルコム・マクダウェル。本作の直前にあのスタンリー・キューブリック監督の『時計じかけのオレンジ』 (71年)で主人公を演じて世界的なス ターになりました。映画自体も全世界でセンセーションを起こし、英国では上映禁止になるくらいのスキャンダルになりました。 この『オー!ラッキーマン』は、『時計 じかけ〜』の裏返しなんです。主人公ミック・トラヴィス役のマクダウェルは心優しい青年です。子どもみたいな笑顔が魅力的で、何をされても怒らない...... と『時計じかけ〜』のアレックスとは全く逆なんですよ。でもこっちのほうがマルコム・マクダウェルに近いんですって。 マルコムはリンゼイ・アンダーソン監督の『if もしも...』(68年)で主役に抜擢され、それを観たキューブリックが『時計じかけ〜』のアレックス役に起用しました。それであまりに有名になったマルコムは、自分もあんな凶暴な人柄だと思われるのが心配になり、自分の若いころをモデルにしたストーリーを書いて、アンダーソン監督に見せました。コーヒー豆のセールスマンから演劇を志しアンダーソン監督に見いだされて映画に出てスターに......と、これが全然面白くない(笑)。 そこで監督は脚本家を呼んで、セー ルスマンからスターになるまでの間に、 なるだけメチャクチャな話をブチ込め るだけブチ込めと、書き直させたのが本作なんです。 主人公のミックは心優しい青年で、何の罪もないのに当時のイギリス社会を象徴するような酷い目に遭っていく......拷問されたり、人体実験されたりね。『時計じかけ〜』もそうですよね。あっちは主人公が極悪人だけど、どちらもイギリス社会の被害者となってボロボロに虐められて、ドン底にまで堕ちていく。どこがラッキーマンやねん! この映画、なぜかオールスター・キャストで、ラルフ・リチャードソンやレイチェル・ロバーツ、若きヘレン・ミレンら有名どころが次々と出て来ますが、彼らがひとりで何役も演じています。何かテーマ的な意味があるのかと思うじゃないですか、ところが何の意味もありません(笑)。撮影中にも脚本が出来ておらず、行き当りばったりで撮影してたんで、俳優のスケジュールだけ押さえて、いろんな役をやらせたんですね(笑)。 この話、実は元ネタがあります。 1759年に発表した『キャンディード』という小説で、世の中や人間とは善いものだと信じている純粋無垢な若者キャ ンディードが世界中を旅しながら戦争や災害や貧困や異端審問や奴隷制度などこの世のありとあらゆる残酷な現実を経験するという話です。『ヤコペッ ティの大残酷』(75年)という映画にもなってます。『世界残酷物語』(61年) のグァルティエロ・ヤコペッティの。 『オー!ラッキーマン』はすごく楽しい歌が全編を飾っていますが演奏はアラン・プライス。アニマルズのメンバーで、「朝日のあたる家」のハモンドオルガンを弾いているのが彼です。 あと、若いころのヘレン・ミレンが マルコムとやたらいちゃいちゃしますが、どうも私生活でもつきあってたらしいですよ! (談/町山智浩) MORE★INFO.。●本作は、『if もしも...』(68年)と『ブリタニア・ホスピタル』(82年)の間に製作された、リンゼイ・アンダーソン監督、デヴィッド・シャーウィン脚本、マルコム・マクダウェル主演の「ミック・トラヴィス3部作」の第2弾。●監督と脚本家のシャーウィンは、80年代半ばに「ミック・トラヴィス」シリーズの第4弾『if もしも...2』の脚本を執筆していた。●2006年、マルコム・マクダウェルの半生を振り返るドキュメンタリーが作られたが、題名が『O Lucky Malcolm!』と本作のパロディになっている。その中でマクダウェルは、本作を「最も愛する出演作で誇りに思っている」と語っている。 ©︎Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
オー!ラッキーマン【町山智浩撰】
[R15相当]町山智浩推薦。『時計じかけのオレンジ』の主人公が善良な青年だったら!?というifもしも....を描く
町山智浩セレクトのレア映画を町山解説付きでお届け。『ifもしも....』のアンダーソン監督が、同作でブレイクしたマクダウェルの自伝的映画企画に「つまらん、こうしろ」とダメ出しして生まれた破天荒な作品。
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COLUMN/コラム2019.06.24
ハリウッド・レジェンドたちのターニング・ポイント 『栄光への脱出』
今から60年近く前に、70㎜超大作映画として華々しく製作・公開された、『栄光への脱出』。その物語は、第2次世界大戦終結から2年経った1947年、当時はイギリスの直轄統治領だった、東地中海に浮かぶキプロス島から始まる。 この島には難民キャンプが設けられており、3万人を超えるユダヤ人が収容されていた。彼ら彼女らは、ヨーロッパでナチス・ドイツのホロコーストを生き延びた後、戦後に聖地の復興を目指し、パレスチナへと移住しようとした人々。しかし周辺のアラブ諸国を刺激したくないイギリスに捕まり、キャンプへと送り込まれたのであった。 そんなキプロス島に、ユダヤ人地下組織のリーダー、アリ・ベン・カナン(演;ポール・ニューマン)が、潜入した。彼の計画は、キャンプの同胞2,800人を、エクソダス(脱出)号と名付けた貨物船で、パレスチナの地へと送り込もうというもの。 イギリス軍による出港阻止など紆余曲折を経ながらも、アリの作戦は国際世論も味方に付けて、見事に成功。そして2,800人は、パレスチナへと辿り着く。 しかしイギリス、そしてアラブを敵に回して、祖国の建国を目指すアリらの苦難の戦いは、この後更に激しさを増していくのであった…。 1958年に発表されたレオン・ユリスの小説を映画化し、その2年後=1960年に公開(日本では翌61年)された本作『栄光への脱出』。“イスラエル建国”という、20世紀の歴史的事件をヒロイックに描いて、世界的な大ヒットとなった。 ご存知の通り“イスラエル”という国家は、建国を巡る経緯やその後の歩みが、国際社会で常に物議を醸し続けている。それによって引き起こされた“パレスチナ問題”など、「親イスラエル」を強く打ち出した、アメリカのトランプ大統領の強硬な外交姿勢もあって、悪化の一途を辿っている感が強い。 そうした点から、間違っても「公平な描写とは言えない」本作の今日的意味を探るのも大変意義深いことではある。しかし本稿では、後にハリウッドのレジェンドとなる偉大な2人の映画人にとって、本作がどんな役割を果たしたかを紹介したいと思う。 レジェンドの1人目は、脚本を担当したダルトン・トランボ(1905~76)。1930年代後半より脚本家として活躍していたトランボだったが、戦後のハリウッドに吹き荒れた“赤狩り=マッカーシズム”の直撃を受ける。 47年にトランボは、ハリウッドの労働組合への共産主義の影響を調査していた「非米活動委員会」の聴聞会に呼び出された際に、証言を拒否。そのため実刑判決を受けて、禁固刑に服す。同時にハリウッドの“ブラックリスト”に載せられ、映画界から長らく追放されることとなった。 その後彼が書いた脚本を、友人のイアン・マクラレン・ハンター名義でクレジットした『ローマの休日』(53)、ロバート・リッチという偽名を用いて執筆した『黒い牡牛』(56)の2作が、アカデミー賞原案賞を受賞したものの、トランボの名は秘せられたまま。しかし彼が偽名で仕事しているという噂は徐々に広まり、カーク・ダグラスの依頼で59年に『スパルタカス』(60)の脚本を担当する頃には、「公然の秘密」となっていた。 そのタイミングで、トランボとは旧知の仲だった、オットー・プレミンジャー監督が59年の12月に、脚本のリライトを依頼してきた。それが本作、『栄光への脱出』である。本作の脚本はそれ以前に、原作者のレオン・ユリスともう1人の脚本家によって、何度も書き直しが行われていたのだが、映画化に適した仕上がりにならなかったのである。 翌60年の4月には製作に入る予定で、主要キャストとの契約も済ませていたため、プロデューサーも兼任するプレミンジャーは焦った。そこで以前から、切迫した状況での素早い仕事ぶりを高く評価していたトランボに、白羽の矢を立てたわけである。 本作の原作小説は、旧約聖書の時代に遡り、そこからホロコーストに至るまで、何世紀にも渡るユダヤ人の苦難の歴史を描く。そして最後にパレスチナへ戻って、イスラエルという近代国家の誕生に至るという筋立てであった。前任の2人は、この小説全体をスクリーンに移そうとして、失敗したのである。 トランボは原作にはあまりにも多くの物語が盛り込まれているため、このまま映画化するのは不可能であると判断。プレミンジャーにどの物語を映画にしたいのかと尋ねた。ウィーン出身のユダヤ人であるプレミンジャーから、「イスラエルの建国を描きたい」という答を得ると、その後は彼と密に連携しながら執筆を進め、明けて60年の1月半ばには、脚本を完成させた。 プレミンジャーは、こうしたトランボの功績に報いる意味も籠めて、サプライズを用意した。1月20日の「ニューヨーク・タイムズ」の一面で、『栄光への脱出』の脚本家に、ダルトン・トランボを起用した旨を公表したのである。同年秋に『スパルタカス』が公開された際に、トランボの名がクレジットされたのも、こうした流れを受けてのことである。 『スパルタカス』そして『栄光への脱出』は、腕利きの脚本家だったトランボを、正式に表舞台へとカムバックさせた記念碑的な作品と言える。そして“赤狩り”によってハリウッドにもたらされた“ブラックリスト”の時代も、遂に終わりを告げた。 本作が記念碑的な作品となった、ハリウッド・レジェンドの2人目。それは、主役のアリ・ベン・カナンを演じた、ポール・ニューマン(1925~2008)である。 アクターズ・スタジオ出身という出自もあって、銀幕デビュー時は「マーロン・ブランドの亜流」扱いされ、燻ぶっていたニューマン。しかし三十歳を過ぎて出演した、ロバート・ワイズ監督の『傷だらけの栄光』(56)で、実在のプロボクシング元世界チャンピオン、ロッキー・グラジアノを演じて高い評価を受け、一躍スターダムにのし上がった。 その後1950年代後半に、着実にキャリアを積み上げたニューマンが、60年代を迎えて、遂に“スーパースター”の地位を築く第一歩となったのが、架空の存在ではあるが、イスラエル建国のヒーローを演じた、『栄光への脱出』である。この作品は記録的な大ヒットとなって、ニューマンの出演作の中では長らく、TOPに位置する興収を稼ぎ出した。因みにこの記録を塗り替えたのは、アメリカン・ニューシネマの代表的な作品で、ロバート・レッドフォードと共演した、『明日に向って撃て!』(69)である。 父がハンガリー系ユダヤ人であるニューマンは、本作ロケ地のイスラエルに、クランク・イン数週間前に入って、その風土や国民の生い立ちを身をもって感じ取ろうとした。本作は、父方のユダヤの血のルーツを探るという意味でも、彼にとっては意義深い仕事となる筈だった。 そうした記念碑的作品であるにも拘らず、実は本作についてニューマンが後年語ることは、ほとんどなかった。あるインタビューで一言だけ、「寒々としたものだった」と素っ気なく述べたのみである。 なぜそうなったかと言えば、偏にオットー・プレミンジャー監督との“相性”。それまでに『帰らざる河』(54)『悲しみよこんにちは』(57)など数々のヒット作や秀作を手掛けてきたプレミンジャーだが、撮影現場では俳優に対する専制的な態度を取ることで知られ、「ろくでなしのファシスト」呼ばわりされるほど、悪名が高い監督であった。 そしてプロデューサーを兼ねた本作では、スケジュール通りに撮り上げるために、膨大な技術スタッフのチームを組織し、パノラマ的群衆シーンを動かすことばかりに集中。それまでにも増して、俳優の役作りに気を配ろうとはしなかった。 それに対しニューマンの演技は、アクターズ・スタジオ仕込み。演技の細部にまで深い関心を示してくれたり、準備に掛ける時間と空間を十分に提供してくれるような監督以外とは、なかなか良好な関係を築きにくい。 例を挙げるならば、ニューマンが最も敬愛した監督は、『ロイ・ビーン』(72)『マッキントッシュの男』(73)で組んだジョン・ヒューストン。それらの現場でのニューマンは、頻繁にヒューストンに話しかけに行って、様々な提案を行ったという。ニューマン曰く「とにかく彼(ヒューストン)はどんなときでも引き金を捜してるよ。名案を撃ち出す引き金だな。それを誰が引くかは関係ない。彼自身でもいいし、役者か、スクリプト・ガールだっていいわけだ。そこに連帯感というものが生まれてくるだろう」 本作撮影に当たって、ニューマンはロケ地到着後、プレミンジャーとの打合せで数頁に渡る提案を差し出した。するとプレミンジャーは、こう言ったという。 「非常に興味深い提案だ。君が監督する作品ならぜひ使いたまえ。しかし、この作品の監督を務める私がこれを使うことはないね」 本作関係者の証言では、このやり取りがあった後、ニューマンは要求されたことだけをするようになり、それ以上の努力をやめてしまったという…。 そんなこともあってだろう。本作の主人公アリ・ベン・カナンは、預言者モーゼに準えられるヒーローでありながらも、陰影に乏しく、その葛藤や煩悶が真に迫ってこないキャラクターになってしまっている。超大作として製作年度が近い『アラビアのロレンス』(62)などと比べると、人物描写が浅いことが、一目瞭然である。 そうした点も含めて、初公開当時は業界受けも評論家受けも決して良くはなかった本作だが、繰り返し記すように、大ヒットを記録した。プレミンジャーが個々の俳優の演技を蔑ろにしてまでこだわったスペクタクル感の強調や、ハリウッドを長年追われていたダルトン・トランボが脚本を手掛けたこともあってか、ユダヤ人たちの「自由への希求」が、ロマンスも交えてドラマチックに打ち出される仕上がりとなったことが、大衆の心を捉えたのであろうか。ニューマン演じる主人公も、薄っぺらさは否めないながら、実に格好良く描かれていることは、紛れもない事実である。 この作品の大ヒットは、“イスラエル”という国家の存在を、アメリカの世論が好意的に捉えるきっかけになったとも言われる。そうした意味でも、“映画史”的な語りしろが、意外に多い作品なのである。■ 『栄光への脱出』EXODUS © 1960 METRO-GOLDWYN-MAYER STUDIOS INC.. All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
素晴らしき戦争
反戦の叫びをイギリス流のブラックユーモアで歌い上げる!『ガンジー』の巨匠が描く戦争ミュージカル
『ガンジー』のリチャード・アッテンボローの初監督作。軍歌や賛美歌をブラックユーモアあふれる替え歌にし、作戦を練る軍上層部と危険な戦線に立つ兵士の立場を対比する。ゴールデン・グローブ外国映画賞を受賞。
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COLUMN/コラム2014.03.30
2014年4月のシネマ・ソムリエ
■4月5日『ダウンタウン物語』 登場するすべてのキャラクターを、平均12歳の子役たちが演じたミュージカル風のギャング・コメディ。名匠A・パーカーの軽妙な語り口が光る劇場デビュー作である。 禁酒法時代のニューヨークの雰囲気を本格的なセットで再現。才人、ポール・ウィリアムズ作曲による歌とダンス、パイ弾を放つマシンガンなどの小道具も楽しい! キャストで圧倒的な存在感を放ったのは撮影時13歳のJ・フォスター。にぎやかな抗争劇のさなか、主人公バグジー・マローンが出入りする酒場の歌姫を妖艶に演じた。 ■4月12日『バンテッドQ』 鬼才テリー・ギリアムのイマジネーションが炸裂するファンタジー。孤独な11歳の英国人少年が自宅の寝室に突如現れた6人の小人に導かれ、時空を超えた冒険に旅立つ。 ナポレオン、海坊主、悪魔らのキャラクターが次々と登場し、奇想天外な逸話が脈絡なく展開。その理屈を超越した馬力とスラップスティックなギャグに引き込まれる。 英国流のブラックな味わいの作風は、ハリウッド製ファンタジーとは異質の面白さ!アガメムノン王ともうひと役を演じるS・コネリーの出演シーンもお見逃しなく。 ■4月19日『サン★ロレンツォの夜』 ドイツ軍占領下のトスカーナ地方を舞台にした戦争ドラマ。イタリアのタヴィアーニ兄弟が幼少期の体験を基に撮った、カンヌ国際映画祭・審査員特別賞受賞作である。 物語の背景となるのは、1944年にサン・ミニアートの大聖堂で起こった虐殺事件の史実。ドイツ軍が街を爆破して撤退を図るなか、危険を感じた市民の脱出劇が展開する。 幼い純真な少女の視点をとり入れた映像世界には、素朴なユーモアや魅惑的な詩情が漂う。戦時下の痛切な悲劇を寓話へと結実させ、胸に染み入る感動を呼ぶ一作だ。 ■4月26日『バーティ』 鳥をこよなく愛し、空を飛ぶことに憧れる風変わりな青年バーディとその親友アル。共にベトナム戦争で心身に傷を負って帰還した若者たちの友情を描く感動作である。 1970?80年代に量産された“ベトナム後遺症”ものの1本だが、青春映画としてのみずみずしさは絶品。デビュー間もない主演俳優2人のナイーブな演技も好感度高し! 多彩なジャンルの傑作を放ったA・パーカー監督が鮮烈なイメージを創出。裸のバーディを“籠の中の鳥”に重ねた場面や、鳥の眼差しを表現した空撮シーンが印象深い。 『ダウンタウン物語』© National Film Trustee Co Ltd 1976 『バンデットQ』© Handmade Film Partnership 1981 『サン★ロレンツォの夜』©1983 RAIUNO/Ager Cinematografica Srl. Licensed by SACIS-Rome-Itary.All Right Reserves 『バーディ』© 1984 TriStar Pictures, Inc. All Rights Reserved.
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PROGRAM/放送作品
バンデットQ
『モンティ・パイソン』シリーズのテリー・ギリアム監督お得意の奇想天外なダーク・ファンタジー
風刺の効いたダーク・ファンタジーの名匠と言えば『12モンキーズ』や『Dr.パルナサスの鏡』を手がけたテリー・ギリアム監督。本作はザ・ビートルズのジョージ・ハリスンが主題歌を担当、大人のSFファンタジー