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ディーバ
女神の歌声が恋と事件を引き起こす!フランス映画の新時代を告げたジャン=ジャック・ベネックスの初長編作
フランスの鬼才ジャン=ジャック・ベネックス監督の長編第1作。色彩豊かな映像美で多様なエッセンスを融合させ、“1980年代版ヌーヴェルヴァーグ”とも言われるシネマ・デュ・ルックを代表する作品となった。
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COLUMN/コラム2024.02.05
1980年代をリードした才能!ジャン=ジャック・ベネックスの長編第1作『ディーバ』
1980年代のフランス映画界。ジャン=ジャック・ベネックスは、リュック・ベッソンやレオス・カラックスと共に、「Enfant Terrible=恐るべき子供たち」と呼ばれた。 他には3人の頭文字を取って、「BBC」と称される場合も。50年代末から60年代に掛けて、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーらが起こした映画運動「ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)」に引っ掛けて、「ネオ・ヌーベルヴァーグ」「ヌーベル・ヌーベルヴァーグ」などとも謳われた。 1946年生まれのベネックスは、パリっ子。スタンリー・キューブリックを敬愛する映画少年であったが、大学は医学部に進む。 しかし映画への夢が諦めきれず、「イデック=高等映画学院」を受けるも、不合格。一旦CM業界に進んだ後、映画界に辿り着いたのは、70年のことだった。 助監督として、ルネ・クレマンやクロード・ベリ、クロード・ジディといった、フランスの有名監督に付いた。他に、俳優のジャン=ルイ・トランティニヤンの監督作品や、アメリカのコメディアン、ジェリー・ルイスがフランスで撮った作品の現場にも携わったという。 助監督生活は10年に及んだが、その間の77年には、製作・脚本・監督を務めた短編作品を発表。そして81年に、長編初監督である本作『ディーバ』を、世に送り出したのである。 先に挙げた、ベネックス、ベッソン、カラックス、80年代を席捲した「BBC」3監督の作品は、それぞれに趣向を凝らした視覚スタイルを持つことから、「シネマ・デュ・ルック」と言われた。『ディーバ』は、まさにその嚆矢となった作品なのである。 ***** 18歳の郵便配達員ジュールは、黒人のオペラ歌手シンシア・ホーキンスの大ファン。その熱が昂じて、地元パリでのコンサートの際、客席でこっそり彼女の美しい歌声を録音し、更には楽屋から、ステージ用のドレスを持ち去るのだった。 彼が盗み録りしたのは、レコーディングを決して許さないシンシアの歌声を、自分のものとするため。しかし、海賊版発売を目論む海外の音楽業者がそれを知って、録音テープ奪取へと動き始める。 その一方で、闇の犯罪組織とそのリーダーの秘密を暴露しようとした元娼婦が、パリの街なかで殺害される。彼女は死の間際に、偶然居合わせたジュールのスクーターのカバンに、すべての秘密を吹き込んだカセットテープを、こっそりと忍ばせていた。 ジュールは、音楽業者と犯罪組織、そして警察という三者から追われることとなり、絶体絶命のピンチに陥る。そんな彼の味方は、レコード屋で万引きしているところを目撃したのがきっかけで親しくなった、ベトナム人の少女アルバと、彼女と暮らす謎めいた中年男ゴロディッシュの2人だけだった。 生命の危機に曝されると同時に、ドレスを盗んだことの告白から、ジュールは憧れのシンシアとの距離がぐっと近づいていく。果して彼は追っ手から逃れ、“ディーバ(歌姫)”とのロマンスを成就できるのか!? ***** ベネックスは自ら意図して、本作を長編第1作の題材に選んだわけではない。とにかくデビューを果したいと考えていたタイミングで、プロデューサーから持ち込まれた原作を映画化したのである。 あくまでも「ひとつの機会として取り組んだ」というベネックス。しかし極めて意欲的に、元はゴロディッシュとアルバの2人が、様々な事件を解決するシリーズの一編だったという原作を、自らの脚色で、かなり大胆にアレンジしている。 まず冒頭から、“ディーバ”がトスカニーニが愛したオペラ「ワリー」を歌うのは、映画オリジナル。その録音テープを巡って暗躍する音楽業者は、原作では「ニッポン・コロムビア」のミハラ氏だったのを、台湾系の海賊版レコード業者へと変更している。 ジュールを追う犯罪組織の構成員が、パンク・ファッションの殺し屋2人組なのも、ベネックスによる創造。 原作ではブロンドのフランス娘だったアルバは、後記する理由からベトナム人へと変更し、ゴロディッシュの人物背景も、映画用に大きく変えられた。 このような改変を加えながら、展開するのは、郵便配達員とディーバの“ラブストーリー”と、殺し屋が跳梁しスクーターが逃げ惑う“サスペンスアクション”のクロスオーバー。画面を彩るのは、ポップアートにパンクファッション。音楽面で見ると、オペラとシンセサイザーが共存する。 そんな本作で、主役のジュールを演じたのは、フレデリック・アンドレイ。キャスティング・イメージは、「サンタクロースの存在を信じていて、憧れのディーバと手に手をとって散歩する夢を持っている少年」ということだった。現代日本文化に精通し、後には自ら“オタク”と名乗っていたベネックスは、本作を振り返って、「いま思えばジュールこそおたくそのものだ」などと語っている。 因みにアンドレイは、俳優より監督志望。本作公開後はTV映画に次々と出演するも、やがて監督に専念。短編を数本撮った後に、84年に長編に挑むも失敗に終わり、そのまま映画界から姿を消してしまった。 ベネックスは、祖父がバリトン歌手で叔父がテノール歌手。幼少時からオペラに親しむ環境にあったという。 そんな彼が見初めて、“ディーバ”シンシア・ホーキンス役に抜擢したのは、ウィルヘルメニア・ウィギンズ・フェルナンデス。オペラ座の総支配人にもその実力を認められた本物のオペラ歌手で、本作以降もステージで活躍を続けた。 アルバ役のチュイ・アン・リーは、パリのディスコでローラースケートで踊っている姿を目撃したベネックスが、その場でスカウトした。当時14歳だったというが、ベネックスは彼女を“発見”したために、アルバの設定を、ベトナム人少女へと変更したのである。「波を止める」ことを夢見ている、ミステリアスな中年男のゴロディッシュを演じたのは、リシャール・ボーランジェ。ベネックスが助監督に付いていた作品に端役で出ていた時に、目を付けたという。 それまでは放浪生活を送っていて、自作の楽曲でジャズ歌手に転向しようと考えていたボーランジェだが、本作で売れっ子俳優の仲間入り。リュック・ベッソン監督の『サブウェイ』(85)、ピーター・グリーナウェイの『コックと泥棒、その妻と愛人』(89)等々に出演した。 後に、本作に出演した時のことを尋ねられたボーランジェは、「…さっぱり訳のわからない映画だと思った」と語っている。 本作のキャストでもう1人、スターになったと言えるのは、スキンヘッドの殺し屋を演じた、ドミニク・ピノン。『デリカテッセン』(91)『アメリ』(2001)など、ジャン=ピエール・ジュネ監督作品には、欠かせない存在となった。 さて、本作『ディーバ』がパリで公開されたのは、81年3月。諸般の事情で公開が2週早まり、宣伝が行き届かなかったことなどから、当初は客入りが悪く、そのまま消え去ってしまう作品かと思われた。しかし口コミや熱心な映画館主のプッシュなどがあって、徐々に興行に勢いが生じ、やがて熱烈に受け入れられた。 それまでのフランス映画にはなかった、鮮烈で人工的な映像設計とストーリー展開。後には“ベネックス・ブルー”とも呼ばれるようになる、青の色彩を基調とした統一された様式美は、当時目まいがするほど「新しかった」のである。 結局135週=2年半以上のロングランとなり、200万人もの動員を記録。また「フランスのアカデミー賞」こと“セザール賞”では、新人監督賞、撮影賞、音楽賞、録音賞の4部門が授与される結果となった。 そうした熱狂の一方で、本作には苛烈な批判が寄せられたのも、事実である。“ヌーヴェルヴァーグ”の流れを組む「カイエ・デュ・シネマ」の批評家を中心に、「映像に凝っただけ」「コマーシャル(広告)的な美に過ぎない」などと、酷評する声が止まなかった。 こうした批判が噴出したのは、本作が、ゴダールやトリュフォーなどの“ヌーヴェルヴァーグ”の映画作家たちの、会話やナレーションを中心に展開する映画とは、対照的だったことも大きいと思われる。ベネックス自身が、「彼らに逆らっているとは言いたくないが、彼らと違う作品を作る権利はあるでしょう…」などと、嘯いてもいる。 そんな彼に続くように、本作の2年後=83年には、ベッソンが『最後の戦い』(83)、カラックスが『ボーイ・ミーツ・ガール』で登場。フランス映画の若き世代が、「言葉よりイメージに重きを置く」「語らず見せようとする」傾向が、はっきりとしていく…。 批評という意味では、フランスの翌年=82年4月に公開されたアメリカの方が、本作を圧倒的な好意を以て迎えたと言える。 著名な映画評論家ポーリーン・ケールは本作を、「…純粋にきらめている。様式と古風なガラクタの混合。そのどのショットも観客の喜びを誘う。これは華麗な映画のオモチャだ」と評した。「ニューズウィーク」誌は、「…スピルバーグがコクトーとクロスオーバーしたようなものだ」、「ローリングストーン」誌は、「聖なる狂気の作品。コメディー、ロマンス、オペラ、さらに殺人事件まで…」と、それぞれ本作の魅力を指摘している。 そして『ディーバ』はアメリカで、フランス映画としては、異例のヒットとなった。 華々しき第1歩を踏み出した、ジャン=ジャック・ベネックス。『ディーバ』に続いては、ジャラール・ドパルデュー、ナスターシャ・キンスキーという、当時のTOPスター2人を主演に迎えて、第2作『溝の中の月』(83)を完成するも、これは手痛い失敗となった。 そこからリカバリーしたのは、第3作『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』(86)。ベアトリス・ダルとジャン=ユーグ・アングラードの主演で、激烈なまでに情熱的な男女の愛を描いたこの作品は、フランスで360万人動員したのをはじめ、世界的なヒットとなる。 しかしこれが、ベネックスのキャリアに於いては、ピークだった。2022年1月13日、75歳で逝去。結局彼が長編を手掛けたのは、81年から2001年まで。実質20年の活動で、6本という寡作に終わる、 ある時ベネックスは、『ディーバ』のオペラ歌手が、レコーディング化を拒み続けた理由について、こんな説明をしている。「非人間化と闘うひとつの方法は芸術家として闘うこと」であり、シンシアの行動は、「…我々が言いたいことを言い続け、世界を動かしている利益と妥協せず、我々自身であろうとする寓話」であると… それはハリウッドから、『薔薇の名前』『エビータ』『エイリアン3』といった大作の監督をオファーされるも、心が動かすことがなかった、ベネックスの生き様そのものだったのかも知れない。■ 『ディーバ』© 1981 STUDIOCANAL
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PROGRAM/放送作品
コックと泥棒、その妻と愛人
人間の欲望がむき出しになっていく…イギリスの奇才ピーター・グリーナウェイ監督による醜くも美しい群像劇
奇才ピーター・グリーナウェイ監督が、持ち味である様式美や映像美への徹底したこだわりを存分に発揮。泥棒成金と学者など相反する人物たちが絡み合う欲望模様を、ヘレン・ミレンら実力派キャストたちが魅せる。
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COLUMN/コラム2022.12.14
こだわりの“色彩”に映える、グリーナウェイの反骨と諧謔精神『コックと泥棒、その妻と愛人』
1942年イギリスのウェールズに生まれた、ピーター・グリーナウェイ。「最初に恋した芸術は絵画だった」という彼は、画家になりたくて美術学校に通うが、その在学中、スウェーデンの巨匠イングマル・ベルイマン監督の『第七の封印』(1957)を観て、「人生が変わった」。それはグリーナウェイ、17歳の時だった。 強く映画に惹かれながらも、卒業後は絵を描いて暮らそうと考えた。しかし生活が成り立たなかったため、映画の編集の仕事をすることに。そこで様々な、カメラテクニックを学んだという。 66年に、5分の実験映画を製作。それ以降は、数字やアルファベットをコラージュした幾何学的な実験映画を次々と製作し、次第に評判となっていく。 初めての劇映画は、『英国式庭園殺人事件』。この作品は82年、グリーナウェイ40歳の時に公開され、ヨーロッパでは、カルト映画として熱狂的に支持される。 因みに日本では、続く『ZOO』(86)『建築家の腹』(87)『数に溺れて』(88)等々の作品を、先に公開。『英国式…』は、91年まで待たなければならなかった。 グリーナウェイはかつて撮った実験映画をバージョンアップするかのように、『ZOO』ではアルファベット、『数に溺れて』では数字に過剰にこだわった演出を見せた。その作風や様式美は、日本でも熱烈なシンパを生み出したが、その時点ではまだ、“カルト映画”の範疇に過ぎなかった。 そうした作家性を損なうことなく、それでいて、ストーリー自体はわかり易く展開。知的なエンタメとして楽しめることを実現し、多くの映画ファンの支持を集めたと言えるのが、本作『コックと泥棒、その妻と愛人』(89)である。 ***** 高級フランス料理店「ル・オランデーズ」。一流シェフであるリチャード(演:リシャール・ポーランジェ)を擁するこの店に、毎夜オーナー気取りで訪れるのは、泥棒のアルバート(演:マイケル・ガンボン)と、その妻ジョージーナ(演:ヘレン・ミレン)。そしてアルバートの手下ミッチェル(演:ティム・ロス)ら。 盗んだ金で贅沢三昧。傍若無人な態度で、他の客にも迷惑を掛けまくるアルバートに、リチャードはうんざりしながらも、追い出すことはできない。ジョージーナも夫の卑しさに辟易しながら、彼の凶暴さをよく知ってるため、逃げ出せなかった。 そんなある時ジョージーナは、常連客の紳士マイケル(演:アラン・ハワード)と目が合い、何かを感じた。示し合わせたようにトイレの個室に向かい、愛し合おうとする2人。 その日は妻の戻りが遅いと、アルバートが追ってきて、未遂に終わる。しかしそれからは毎夜店を訪れる度、ジョージーナとマイケルはリチャードの計らいで、厨房の奥や食材庫などで、情事に耽るようになる。 アルバートが妻の不貞に、遂に気付く。愛し合う2人は、マイケル宅へと逃げのびた。 誰に憚ることなく抱き合い、リチャードの差し入れを食しながら、幸せに震える2人。しかし至福の時は、あっという間に終わる。 隠れ家を、アルバートが発見。マイケルは、残忍な方法で殺害された。 涙を流すジョージーナは、夫への復讐を誓い、リチャードの協力を求める。彼女が実行した、世にもおぞましいその方法とは? ***** 映画が製作された80年代終わりは、飽食の時代と盛んに言われた頃。グリーナウェイは、消費社会のメタファーとして、“レストラン”という舞台を選んだ。 彼曰く、「人はそこで、豪華なものを食べ、食べているところを見られ、見られるから着飾り、マナーに従い、スノッブな会話を楽しむ。自己PRの場としてのレストランは、突き詰めれば悪の根源でもあるのだ」 グリーナウェイは本作を、自分のフィルモグラフィーで、唯一の政治的な映画かも知れないとも語っている。そもそも本作の企画をスタートさせたのは、時のイギリス首相マーガレット・サッチャーによる、新自由主義に基づいた政策“サッチャリズム”への非難からだった。 凶悪な泥棒のアルバートは、富裕層と貧困層の格差を広げる、“サッチャリズム”を信奉する者を表している。その傲慢さや無神経さ、貪欲ぶりを、「絶対的な悪」として描くのが、本作のモチーフのひとつであった。 ではグリーナウェイはそうしたことを、どんな手法を用いて描いたのだろうか? 元は画家志望だった彼は、「カメラを使って絵を描いている」と言われるように、画作りに於いて、“シンメトリー=左右対称”にこだわる。そしてこのシンメトリーは、キャラ設定などにも及ぶ。 本作の場合は、1人の女を巡る、2人の男というシンメトリー。その1人は、野卑な泥棒であり、もう1人は、学者で教養人という、対照的な2人である。 グリーナウェイは、文学にも惹かれ、言語そのものにも大いなる興味を持っている。結果的に絵画や文学など、西欧文化の古典からの引用が、頻繁に為されることとなる。そもそも『コックと泥棒、その妻と愛人』というタイトル自体、イギリスの伝承童謡である、「マザー・グース」からの引用だという。 グリーナウェイは自らを、フィルムメーカーとは思っていない。「映画という媒体に身をおいた画家であり、また、小説家」だと、自負しているのだ。 「映画という媒体に身をおいた画家」としては、“オランダ・バロック美術”への傾倒がよく知られる。本作ではレストランと店外に、17世紀の画家ハルスによる、「聖ゲオルギウス射手組合の士官たちの会食」が飾られている。まさに“オランダ・バロック”の特徴のひとつである、写実的な「集団の肖像画」だ。12人もの士官たちが、各々くつろぎ、生き生きとした表情で描かれている。 そしてこの絵画で士官たちが着る服が、レストランに集う、泥棒たちの衣装のモデルとなっているのである。本作は、世界的なデザイナーである、ジャン=ポール・ゴルチエが、初めて映画の衣裳を担当した作品でもある。 絵画的という意味では、本作で最も特徴的なのが、“色彩”である。登場する部屋ごとに、象徴的な色で統一を行っているのだ。レストランは“赤”、厨房は“緑”、トイレは“白”等々といった具合に。ジョージーナがレストランからトイレに入る時には、ドレスの色が赤から白に変わったりする。 こうした色にはそれぞれ意味合いがあり、例えばレストランの“赤”は、暴力の場であることを表す。厨房の“緑”は、神聖な場という意味。そこでは食べ物が生み出され、また、人が逃げて潜むことができる。そしてトイレの“白”は、天国を表現。ジョージーナとその愛人マイケルにとっては、初めての逢瀬の場であった。 本作では他にも、“青”“白”“黄”“金”といった色が使われている。かのピカソは、「色は物から離れて、自由になることができる」と考えて、自らの作品で実践した。グリーナウェイは、それと同じ野心的なチャレンジを行い、色は非常に装飾的な上、そこに感情を盛り込めることを、示そうとしたのだ。 こうした、グリーナウェイの用意したステージの上で踊った俳優陣も、見事である。特に「悪の化身」とでも言うべき、泥棒アルバート役のマイケル・ガンボン。グリーナウェイ言うところの、「どんな魅力もない絶対的な悪人」に対して、観客は不快感を募らせつつも、その存在感が圧倒的で、目が離せない。 妻のジョージーナ役は、今や名優の名を恣にしているヘレン・ミレン。当時40代半ばに差し掛かろうという頃だが、愛人役のアラン・ハワードと共に、全裸で画面内を右往左往し続ける。 本作は公開時から、典型的な「ポスト・モダン」だと言われた。「ポスト・モダン」を簡単に説明すると、芸術・文化の諸分野で、モダニズム=近代主義の行き詰まりを打ち破ろうとする動きである。建築やデザインに於いては、装飾の比重が高まり、過去の様式が自由に取り入れられるところに特色がある。 先にも記したことだが、グリーナウェイ作品は、西欧文化の古典からの引用が頻繁に成されるのが、特徴のひとつ。“色彩”で装飾的な試みを行ったことも含めて、まさに「ポスト・モダン」と合致している。 それ故に本作は、鑑賞しただけですべてがわかるような映画ではない。多岐に亙るサブテキストを学習しなくては、理解を深めることが困難な代物とも言える。 そんな作品が、日本でも大きな注目を集めた。それはまさに、“時代”の賜物と言える。 1980年代中盤から2000年代はじめ頃まで、日本の映画興行には、「ミニシアターの時代」があった。単館興行でロングランし、1億から2億もの興行収入を叩き出すような作品も珍しくなかった。 そんな中で「シネマライズ」という映画館は、86年にオープン。渋谷のミニシアター文化の中核を担った。 デヴィッド・リンチの『ブルーベルベット』(86製作/87日本公開)、レオス・カラックスの『ポンヌフの恋人』(91製作/92日本公開)、ダニー・ボイルの『トレインスポッティング』(96製作/同年日本公開)や、テーマ曲「コーリング・ユー」が印象的な『バグダッド・カフェ』(87製作/89日本公開)、マサラ映画人気に火を点けた『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95製作/98日本公開)等々、「シネマライズ」は数々のヒット作をリリースした。『コックと泥棒、その妻と愛人』は、興行に於いて、それらに連なる存在感を放った作品なのである。 1990年の8月4日に公開し、11月30日まで、ほぼ4カ月のロングラン。流行の最先端を発信する街に集う、いわゆる“渋谷系”の若者たちも、多く集客した。 若者の映画離れが懸念されて久しい今となっては、まさに隔世の感である。その舞台となった「シネマライズ」も、2016年に閉館。30年の歴史に、ピリオドを打った。「ポスト・モダン」に関して、「ただの流行りものだった」と、後に辛辣な批評も行われている。では『コックと泥棒…』やグリーナウェイの集めた注目も、その時期の「流行りもの」に過ぎなかったのか? そんなことは、ないだろう。些か古びた部分はあれど、グリーナウェイの試みは、いま観ても十分に刺激的で、鮮烈な魅力が溢れている。『コックと泥棒、その妻と愛人』は、“サッチャリズム”から30~40年も遅れて、今更新自由主義に傾倒。深刻な格差を生み出している我が国に於いては、シャレにならない作品とも言える。 泥棒アルバートのような輩が横行しているのを、我々の多くは今まさに、目の当たりにしている筈だ。■ 『コックと泥棒、その妻と愛人』© NBC Universal All Rights Reserved
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PROGRAM/放送作品
サブウェイ
パリの地下に広がるエキセントリックな別世界──パンクでエスプリの利いたリュック・ベッソンの長編第2作
パリの地下鉄のさらに深くに地上とは異なるエキセントリックな世界が広がる、という独自のイマジネーションをリュック・ベッソンらしいスタイリッシュな映像で描写。イザベル・アジャーニらキャストもハマリ役。