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PROGRAM/放送作品
マーズ・アタック!
ハリウッドスターたちが、奇才T・バートンが描く世界観の中で個性的なキャラを熱演したSFコメディ
現代屈指の奇才T・バートンが特撮工房ILMのSFX技術を得て、火星人による地球襲来を往年のB級SF映画テイスト満点に映像化。主役からチョイ役まで、豪華ハリウッド人気スターたちの悪ノリ演技は必見。
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COLUMN/コラム2023.10.02
ティム・バートン印のポップでキッチュでブラックなSFコメディの傑作!『マーズ・アタック!』
それは友情から始まった 1950年代のB級SF映画と1970年代のディザスター映画にオマージュを捧げた、ティム・バートン監督のシュールでクレイジーな愛すべきSFコメディ映画である。劇場公開時は文字通り賛否両論。アメリカでは3週間で上映が打ち切られるほど客入りが悪かったが、しかしヨーロッパでは反対にロングランの大ヒットを記録。筆者の記憶だと日本でも評判はとても良かったはずだ。まあ、いかにもティム・バートンらしいオタク趣味丸出しのポップでキッチュなビジュアルや、時として残酷なくらいシニカルなブラック・ユーモアのセンスは、なるほど確かに見る人を選ぶであろうことは想像に難くない。 元ネタになったのはベースボール・カードの老舗トップス社が、1962年にアメリカで発売した子供向けトレーディング・カード「Mars Attacks!」。グロテスクな火星人の造形やリアルな残酷描写が子供たちに受けたものの、それゆえ保護者からの猛反発を食らって呆気なく販売が中止されてしまった。その後、「Mars Attacks!」は人気のコレクターズ・アイテムとなり、高額のプレミア価格で取引されるようになったことから、トップス社は’84年と’94年に復刻版をリリース。その’94年の復刻版を購入して、ティム・バートンにプレゼントしたのが脚本家ジョナサン・ジェムズだったのである。 イギリスの著名な劇作家パム・ジェムズを母親に持ち、マイケル・ラドフォード監督の『1984』(’84)と『白い炎の女』(’87)の脚本で頭角を現したジョナサン・ジェムズ。実はティム・バートン監督の出世作『バットマン』(’89)の脚本修正にノークレジットで携わっていた。ロンドン郊外のパインウッド・スタジオで撮影された『バットマン』。撮影中に幾度となく脚本修正の必要が生じたものの、当時ちょうど全米脚本家組合がストライキの最中だったため、オリジナル脚本を手掛けたサム・ハムが手を加えることは許されず、代わりに英国人の脚本家たちが修正に駆り出された。ジェムズはその中のひとりだったのだ。 お互いに趣味や好みの似ていた2人はたちまち意気投合。ほどなくしてロサンゼルスへ活動の拠点を移したジェムズは、バートン監督のもとで幾つも脚本を書いているのだが、残念ながら『マーズ・アタック!』以外は全てお蔵入りになっている。また、バートン監督と恋人リサ・マリーのキューピッド役を務めたのもジェムズ。ロンドンのモデル時代からリサ・マリーを知っているジェムズは、たまたま共通の友人を介してロサンゼルスで彼女と再会し、バツイチの独身だったバートン監督と引き合わせたという。いずれにせよ、当時の2人は無二の親友も同然だったようだ。 ストーリーの下敷きは『タワーリング・インフェルノ』!? 時は1994年の8月。バートン監督への誕生日プレゼント(8月25日が誕生日)を探していたジェムズは、ロサンゼルスのメルローズ通りにあるギフトショップへ入ったところ、そこでトップス社の「Mars Attacks!」と「Dinosaurs Attack!」のトレカ・ボックスを発見。これはティムの好みに違いない!と思った彼は両方とも購入してプレゼントしたという。それから1週間ほどしてバートン監督から連絡を受けたそうだが、当初は「Dinosaurs Attack!」の方を映画化するつもりだったらしい。巨大な恐竜がロサンゼルスの街を破壊するなんて最高にクールじゃん!?と。しかし、打ち合わせを進めるうちに2人は気が付いてしまう。それが『ジュラシック・パーク』の二番煎じであることに。そこでバートン監督は「Mars Attacks!」の映画化に鞍替えし、まずは映画会社ワーナーに提案するためのシノプシスを書くようジェムズに依頼したのである。 その際にバートン監督から指示されたのは、’70年代にアーウィン・アレンが製作したディザスター映画群、中でも『タワーリング・インフェルノ』(’74)を参考にすること。そこから「人々が醜悪な火星人に追いかけられて右往左往するオールスター・キャスト映画」という基本コンセプトが出来上がったという。すぐさま、ハイランド大通りにあった有名なレンタル・ビデオ店ロケット・ビデオで『タワーリング・インフェルノ』のVHSをレンタルしたというバートン監督とジェムズの2人。特に印象的だったのは、ロバート・ワグナーが火だるまになって死ぬシーンだったという。悪役でもない主演級の大物スターが悲惨な死に方をするなんて最高にクールじゃん?と感動したジェムズは、『マーズ・アタック!』でもオールスター・キャストの大半を悲惨な方法で殺すことに(笑)。さらに、『大地震』(’74)や『スウォーム』(’78)などをお手本にして、アメリカ各地に暮らす様々な社会階層の人々が登場する大規模な群像劇に仕上げたのである。 ストーリーは極めてシンプル。ある日突然、火星からのUFO軍団が地球へと飛来する。果たして火星人の目的は何なのか?友好の使者なのか、それとも侵略者なのか。この状況を政治利用しようとするアメリカ大統領、核爆弾による先制攻撃を主張するタカ派軍人、火星人ブーム(?)に乗って一儲けしようとするビジネスマンなど、様々な人々の思惑が交錯する中、いよいよ火星人とのファースト・コンタクトが実現。なんだ、むっちゃ友好的じゃん!とみんながホッと胸をなでおろしたのも束の間、たちまち本性を現した火星人たちの地球侵略攻撃が始まる。 火星人のキャラ造形が極端にグロテスクであることから、地球人のキャラクターも極端なカリカチュアとして描けば、うまい具合にバランスが取れると考えたというジェムズ。メインの登場人物だけでおよそ20名、幾つものプロットが同時進行するという脚本の構成は複雑だが、そこはスタンリー・クレイマー監督のコメディ巨編『おかしなおかしなおかしな世界』(’63)が大いに参考になったという。 テーマはズバリ「権力者を信用するな」。米国大統領にせよ、科学者にせよ、軍人にせよ、はたまたテレビの人気司会者にせよ、本作に登場する権力者たちは揃いも揃って、愚かで浅はかでバカで軽薄なクズばかり。世界の危機を救うどころか事態を悪化させ、いずれも自業自得の悲惨な最期を遂げる。むしろ世界を救うのは、家庭に居場所のない孤独な少年や老人ホームに追いやられた老婆、借金返済のためカジノで働く元プロボクサーなど、名もなき普通の人々。要するに、どこにでもいる平凡で善良なアメリカ市民こそが真のヒーローなのだ。 ギクシャクし始めたスタジオとの関係 およそ1週間でプレゼン用のシノプシスを書き上げたというジェムズ。『マーズ・アタック!』の企画は無事に通り、ワーナーは’95年8月の撮影開始、’96年8月の封切というスケジュールを立てたのだが、しかし制作陣はすぐに大きな壁にぶつかってしまう。というのも、レイ・ハリーハウゼンの特撮映画を熱愛するバートン監督は、本作の特撮もストップモーション・アニメでやろうと考えたのだ。当初は『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』(’93)のヘンリー・セリックに任せるつもりだったが、しかし当時のセリックは『ジャイアント・ピーチ』(’96)に取り掛かっていたため都合がつかず、セリックの推薦でイギリスのアニメ作家バリー・パーヴスに白羽の矢が立ったという。 しかし、英国人のパーヴスがアメリカでスタッフを集めて工房を作り、さらにテストフィルムを製作するまでに予想以上の時間がかかってしまった。おかげで、予定していたスケジュールが押してしまうことに。そこでプロデューサーのラリー・フランコがサンフランシスコへ飛び、ジョージ・ルーカスの特撮工房ILMと直談判。ストップモーション風のCGアニメを開発してもらうこととなる。本当にそんなことが出来るのか?とバートン監督は半信半疑だったが、しかしテスト映像の仕上がりを見て大いに納得。結局、CGを使うことでアニメ制作の時間短縮が可能になったが、その代わりに予算も膨れ上がってしまい、この頃から製作陣とワーナーの関係がギクシャクし始めたようだ。 さらに、脚本家ジェムズとワーナーの対立も表面化していく。撮影に向けて脚本のドラフトを書き始めたジェムズ。ワーナー経営陣には「クリエイティブ・チーム」と呼ばれる人々がおり、原稿は全て彼らのチェックを受けなくてはならなかったのだが、そこで様々な意見の相違が出てきたのである。それ自体はよくあることなのだが、しかしあるシーンを巡ってお互いが絶対譲らなくなってしまう。それが、本編冒頭の「燃える牛軍団」シーン。のどかな田舎で火の付いた牛の群れが暴走するという場面なのだが、これをクリエイティブ・チームは「動物愛護法に反する」としてNGにしたのだ。しかし、当然ながら実際に撮影で牛を燃やすわけじゃない。当たり前だが特撮で処理をする。「なにをバカなこと言ってるんだ!?」と呆れたというジェムズ。このシーンは観客にインパクトを与えるためにも絶対に必要だ。そう考えた彼は、何度NGを出されても無視し続けたそうだが、その結果ワーナーからクビを言い渡されてしまった。 ドラフト原稿を提出すること12回。すっかり疲れ切っていたジェムズは、むしろクビになってホッとしたという。代役には『エド・ウッド』(’94)の脚本家コンビ、スコット・アレクサンダーとラリー・カラゼウスキーを推薦。ところが、今度はワーナー経営陣の意向通りに修正した彼らの脚本をバートン監督が気に入らず、クビになってから5週間後にジェムズは呼び戻される。バートン監督の自宅で専用部屋を用意された彼は、なんとたったの5日間で新たな修正版を完成。「燃える牛軍団」シーンもシレッと復活させたのだが、どういうわけかこれが最終的に通ってしまったという。全く、いい加減なもんである(笑)。 あの役は本来ならディカプリオが演じるはずだった! こうしてなんとか脚本を完成させたバートン監督とジェムズだったが、今度はオールスターのキャスティングに難航する。スムースに決まったのは、科学者役のピアース・ブロスナンと大統領補佐官役のマーティン・ショート。どちらもナンセンスで毒っ気のある脚本の趣旨を理解し、最初から出演にとても前向きだったという。世界を救うフローレンスお婆ちゃんは、もともとシルヴィア・シドニーを念頭に置いた役柄。シルヴィア・シドニーと言えば、’30~’40年代にパラマウントの看板スターだった清純派のトップ女優。その一方で、かの大女優ベティ・デイヴィスをして「ハリウッドには私よりもタフな女優が2人だけいる。アイダ・ルピノとシルヴィア・シドニーよ」と言わしめたほどの女傑である。『ビートルジュース』(’88)でもシドニーと組んだバートン監督は、まるで自分の祖母のように彼女を敬愛していたそうだ。 しかし、それ以外のキャストはなかなか決まらなかった。アメリカ大統領役はウォーレン・ベイティに決まりかけたが、しかしワーナーが難色を示したため白紙撤回。成金の不動産業者役をオファーされたジャック・ニコルソンが、アメリカ大統領役も兼ねることで落ち着いた。このニコルソンの出演が決まった途端、ハリウッド中のスターが手のひらを返したように出演を希望するようになったという。恐らく、一歩間違えるとキワモノになりかねない映画だけあって、みんな様子を窺っていたのだろう。 ちなみに、フローレンスお婆ちゃんの孫リッチー役は、なんとレオナルド・ディカプリオが演じるはずだったが、しかし撮影スケジュールが押したせいで出演が不可能になったという。そのディカプリオが代役として推薦したのがルーカス・ハースだった。また、最後のギリギリまで見つからなかったのがフランス大統領役の俳優。撮影前日に「どうしよう!誰か知らない!?」とバートン監督から連絡を受けたジェムズは、たまたまご近所さんだった名匠バーベット・シュローダー監督を推薦。厳密にはスイス人だけとフランス国籍だし、見た目もド・ゴール大統領に似ているから適任だと考えたらしい。ダメもとで連絡してみたところ、自宅まで迎えの車が来るならオッケーとの返答。バートン監督はシュローダーが何者か全く知らなかったらしいが、あまりの芝居の上手さに舌を巻いたそうだ。 こうして当初の予定よりも大幅に遅れたものの、’96年12月に全米公開されることとなった『マーズ・アタック!』。疲労困憊したティム・バートン監督は恋人リサ・マリーとインド旅行へと出かけ、ジョナサン・ジェムズはロサンゼルスで宣伝キャンペーンが始まるのを待っていたが、しかし封切の3週間前になっても何も起こらなかったという。不安になったジェムズはワーナーに問い合わせるも、向こうは「宣伝なら1000万ドル規模の予算をかけてますから!」の一点張り。ようやく1週間前になってサンセット大通りに看板が掲げられ、映画館やテレビでも予告編が流れるようになったが、しかしジェムズに言わせれば遅すぎた。まるで自社作品を潰しにかかっているようだ。そういえば、プレビュー試写でも一般客から大好評だったにもかかわらず、同席したワーナー経営陣の反応は冷ややかだった。最初から売るつもりなどなかったんじゃないか?とジェムズは疑ったが、しかしその理由はいまだに見当がつかないという。 まあ、CGの使用による予算の増額や、脚本を巡るジェムズとの対立などで、ワーナー経営陣の心証を悪くした可能性はあるが、しかしだからといって多額の予算を投じた自社作品の宣伝をあえて放棄するようなことはしないだろう。恐らく、「ワーナー宣伝部はこの映画の売り方を分からなかっただけだ」というバートン監督の見解が正しいかもしれない。たとえ出来損ないの映画でも宣伝が上手ければ成功するが、反対にどれだけ出来の良い映画でも宣伝が下手ならば失敗する。今も昔も変わらぬ鉄則である。■ 『マーズ・アタック!』© Warner Bros. Entertainment Inc.
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PROGRAM/放送作品
刑事ジョン・ブック/目撃者
ハリソン・フォードが人間味あふれる刑事を好演。宗教集団“アーミッシュ”を描いた異色サスペンス
現代アメリカで独自の文化を育む宗教集団“アーミッシュ”の共同体を舞台に描く犯罪サスペンス。捜査を機にアーミッシュ母子と交流を深めていく刑事を、ハリソン・フォードが人間味豊かに好演。
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COLUMN/コラム2021.07.01
“アーミッシュ”そしてピーター・ウィアーとの出会いによる、ハリソン・フォード“キャリア最高”作『刑事ジョン・ブック/目撃者』
本作『刑事ジョン・ブック/目撃者』(1985)が公開された頃、主演のハリソン・フォードは、TOPクラスの人気スター。『スター・ウォーズ』シリーズ(77~)のハン・ソロ役、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81)に始まる「インディ・ジョーンズ」シリーズで、アクションスターとして確固たる地位を築いていた。 そんなフォードが刑事役と聞けば、当時の映画ファンは皆、もちろんアクション映画だろうと思い込む。原題の「WITNESS=目撃者」に、「刑事ジョン・ブック」とカブせた邦題も、『ブリット』(68)や『ダーティハリー』(71)といった、主人公の名前をタイトルにした、代表的な“刑事アクション”を連想させた。 しかし、そんなつもりで本作に臨んだ者は、何とも驚くべき肩透かしを喰らった。しかしそれは、期待外れだったという意味では、決してない…。 *** アメリカ・ペンシルバニア州の田舎の村落から、夫を亡くして間もない未亡人のレイチェルが、8歳のひとり息子サミュエルを連れ、旅に出る。目的地は、姉の住むボストン。 質素を旨とした2人の服装は、乗り継ぎで降りたフィラデルフィアの駅では、明らかに周囲から浮いていた。そしてすれ違う者から、囁かれる。「あの人たち、アーミッシュよ」 母子は、俗世との接触を断ち、独自のコミュニティで古の生活様式を守る、キリスト教の一派アーミッシュに属する者だった。 サミュエルは、公衆電話やエスカレーターなど、初めて見る文明の利器に驚きを覚える。しかし彼を最も驚かせたのは、トイレで偶然目撃した、殺人事件の顛末。殺されたのは、私服警官だった。 捜査の担当になったジョン・ブック刑事は、母子を強引に引き留め、協力させる。そしてサミュエルが目撃した殺人犯が、麻薬課のマクフィー刑事であることが判明する。 ブックは上司のシェイファーにその旨を報告し、極秘に捜査を進めることに。しかしその直後、マクフィーから銃撃を受ける。 上司もグルだと気付いたブックは、アーミッシュの母子も危険であると察知。重傷の身を押して、車で2人の住む村落まで送り届ける。 そこでブックは意識を失い、レイチェルの介抱を受ける。そしてそのまま、素朴なアーミッシュの生活の中に、身を潜める。 穏やかな日々が続き、ブックとレイチェルは、惹かれ合うものを感じ始める。しかし、一線は越えられない。それはこれまで培ってきた日常を、すべて捨てねばならなくなるからだ。 その一方で、シェイファーとマクフィー一味の執拗な追跡の手が、ブックたちに迫ってくる…。 *** 実在の宗派ながら、それまで多くの者にとっては未知の存在だった“アーミッシュ”が、本作の展開の肝となる。観客はハリソン・フォードが演じるジョン・ブックと共に、知られざる世界へと導かれる。 銃と暴力が蔓延る大都市で、刑事を務めてきたブック。“アーミッシュ”の社会は、彼が身を置いてきた場所とは、まさに正反対の異文化である。 厳しい戒律によって、18世紀以降の文明を拒否。農耕と牧畜による自給自足を旨として、車もテレビも電話も、ひとを傷つける武器もない。酒や煙草、更には快楽を目的としたセックスも禁忌である。そんな「絶対禁欲主義」の共同体で生まれ育ってきたレイチェルとブックの恋模様は、暫しプラトニックで、切ないものとなる。 本作はクライマックスでの悪徳警官グループとの対決など、アクションシーンが皆無というわけではない。しかしそれまでのフォード主演作とは、明らかに趣を異にした。 当時のフォードが、『スター・ウォーズ』『インディ・ジョーンズ』の2大シリーズで、TOPクラスの人気スターだったことは、先に記した。しかし逆に言ってしまえば、ルーカス印・スピルバーグ印限定。それ以外のヒットを持たないスターでもあった。 他の主演作は軒並み、興行的にも批評的にも、成功と言えるものはなかった。今ではSF映画史に残る名作の誉れ高い『ブレードランナー』(82)も、例外ではない。その頃の評価は、マニアックな人気がある、1本の“カルト映画”に過ぎなかったのである。 そんなフォードにとって本作は、2大シリーズ以外で、初の大ヒットとなった。また彼の現在に至る長いキャリアの中で、ただ一回だけアカデミー賞(主演男優賞)にノミネートされる作品となったのである。 プロデューサーのエドワード・S・フェルドマンが、本作の主演として、フォードに白羽の矢を立てたのは、脚本を読んだ際に、ゲイリー・クーパーがクエーカー教徒を演じる、南北戦争映画『友情ある説得』(56)を思い出したのが、きっかけだった。 クエーカー風の服装をしたクーパーを想起して、~現代俳優の中で、この手の服を着るとクーパーと同じくらい似合わなくて、滑稽に見えるのは誰だろう?~と考えた。即座に頭に浮かんだのが、フォードだったという。 オファーを受けたフォードは、脚本を読んですぐに気に入り、出演を決めた。後に脚本家に対して、フォードはその時のことをこんな風に語っている。「この作品には、90点くらいつけてもいいと思った。私が初めて読んだ時に90点もつける脚本というのは滅多にない…」 製作会社もパラマウントに決まり、次は監督探し。いわゆるハリウッド的な監督に委ねてしまえば、“アーミッシュ”が、よくある“刑事アクション”の単なる舞台装置になりかねない。 未知の異文化と関わっていく中で、主人公が変わっていく様を、きちんと捉えることが出来る。そんな監督としてフェルドマンが第一候補に考えたのが、『ピクニックatハンギング・ロック』(75)や『誓い』(81)『危険な年』(82)などで、オーストラリアの俊英と評判を取っていた、ピーター・ウィアーだった。 しかしその時のウィアーは、初のアメリカ映画として、ポール・セローの小説「モスキート・コースト」映画化の準備中。そのためフェルドマンは彼の起用を、一旦断念せざるを得なかった。 その後半年かけて監督探しを行うも、いずれも不調に終わったタイミングで、僥倖が訪れる。「モスキート・コースト」が資金難のため製作中止になり、ウィアーのスケジュールが空いたのだ。 オーストラリアに戻っていたウィアーは、届いた本作の脚本を読むと、フェルドマンのオファーにOKを出した。通常2年ほどを作品の準備期間に当てるウィアーだが、その時点で撮影までには、僅か10週ほどの時間しかなかった。それでも本作を引き受けたのは、“アーミッシュ”の存在に惹かれるものを感じたからだ。 その時点ではまだ暴力過多だった脚本を、ブラッシュアップ。ラブストーリーであり倫理観を扱うドラマという要素を、より強く打ち出すことにした。 フォードとウィアーは、準備期間の初対面からウマが合い、信頼関係が築けたという。ヒロインにケリー・マクギリスが候補に上がった際、「ほぼ新人」だった彼女の起用に難色を示したフォードだったが、「僕を信用できないなら、君はこの映画をやるべきじゃない」と断固とした態度を示すウィアーに、あっさりと翻意するほどだった。 フォードは本物の警官と共に夜のパトロールに出るなどの役作りを行い、“アーミッシュ”に関するリサーチは、ウィアーとマクギリスに任せた。自分は“アーミッシュ”については役柄同様、「…無知なままでいるよう…」細心の注意を払ったのだという。 それに対してマクギリスは、女優ということは隠して、“アーミッシュ”の家族と共に暮らすなどしたという いざ撮影に入っても、フォードとウィアーは、良好な関係を保った。ウィアーはフォードに、その時々で最高の演技、即ち“即興”を望み、フォードはそれに応えた。 本作の中で特に有名なのは、村落の“アーミッシュ”が総出で、新婚夫婦のための納屋を建てるシーン。実際に大工として生計を立てていた時代がある、フォードが見事な腕を披露する。 一方で、最もロマンティックなシーンと言えるのが、カーラジオから流れるポップスで、フォードとマクギリスがスローなダンスを踊るところ。ここで流れる、サム・クックの「ワンダフル・ワールド」を選曲したのも、フォードである。「ピーターは、私に、生理的な解釈ではなく、知的に解釈できるようにしてくれた。…それまでの監督との関係よりも、もっと私に対して影響力を持っていた」「彼(フォード)は好きにならずにいられない男だ。…強くて無口な、ハリウッド映画の伝統的なヒーローのような気がするよ」 こう語り合う2人は、まさに名コンビであった。この信頼関係があったからこそ、本作が世評も高い大ヒット作となったのは、疑うべくもない。 とはいえ、好事魔多しである。 ウィアーはアメリカで初めて取り組んだ本作で大成功を収めた後、念願の『モスキート・コースト』に改めて取り組む。主演は本作に引き続き、ハリソン・フォード。 この現場でも、互いへのリスペクトは失われなかった。しかし86年に完成し公開された作品が、本作のように観客と批評家から好意を以て迎えられることは、残念ながらなかったのである。 フォードは、ウィアーと組んだ2作品を、俳優生活で最高の体験だったと、後々まで語っている。しかし『モスキート・コースト』の失敗(!?)が災いしてか、その後2人のコンビ作は作られていない。これは至極、残念ことのように思える。 さて話を『…目撃者』に戻せば、本作の成功は“アーミッシュ”の文化に対する大衆の興味を喚起して、そのコミュニティ周辺には観光ブームが押し寄せた。本作内にも登場するが、それ以上に“アーミッシュ”に傍若無人な振舞いやからかうようなマネをする観光客が後を絶たなくなって、問題化したという。 個人的な想い出を言えば、本作を観た時に不思議に思ったことがある。先にも挙げたシーンであるが、「絶対禁欲主義」で踊ることも禁じられている筈のコミュニティなのに、レイチェルが、ジョン・ブックのダンスの誘いに、軽やかに応じられたこと。 実はその疑問は、本作初見から四半世紀近く経って、「松嶋×町山/未公開映画を観るTV」というテレビ番組に、構成として関わることによって氷解した。2009年から11年に掛けてTOKYO MXなどで放送されたこの番組は、アメリカの知られざる一面を伝える日本未公開のドキュメンタリー映画を、映画評論家の町山智浩氏のガイドによって紹介するというもの。 その中の『DEVIL'S PLAYGROUND』(02)という作品で、“アーミッシュ”が16歳になった時から1年間の“ルムシュプリンガ”という期間が、題材として取り上げられていた。この期間は何と、「絶対禁欲主義」とは真逆に、酒、煙草、ドラッグ、セックス等々、彼ら彼女らにとってすべての禁忌が、やり放題なのである。 これは、洗礼を受けて一生戒律に従って生きるか、それとも、教会を離れて俗世に入るかを決めるための準備期間。フリーな世界で奔放な1年間を過ごした上で、自分の一生を決めるというわけだ。 俗世に入ると、家族との縁は一生断ち切られて、二度と会えなくなる。加えて、遊び放題と言っても、所詮はアメリカの田舎町での枠内。1年も経つと、やりたいこともやり尽くす。結局は、進学や就職などに希望を見出した者など以外の9割は、“アーミッシュ”の世界へと戻っていくという。 この作品には相当な驚きを感じ、同時に、『…目撃者』のことを、思い出した。そうか、あのレイチェルも、ダンスはおろか、酒、煙草、ドラッグ、セックス漬けの奔放な1年間を過ごしたのか。なるほど~と。 本作から受けた感慨を台無しにしかねないエピソードだが、ご容赦を戴き、この稿の〆としたい。■ 『刑事ジョン・ブック/目撃者』TM & Copyright © 2021 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
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PROGRAM/放送作品
(吹)刑事ジョン・ブック/目撃者 【日曜洋画劇場版】
ハリソン・フォードが人間味あふれる刑事を好演。宗教集団“アーミッシュ”を描いた異色サスペンス
現代アメリカで独自の文化を育む宗教集団“アーミッシュ”の共同体を舞台に描く犯罪サスペンス。捜査を機にアーミッシュ母子と交流を深めていく刑事を、ハリソン・フォードが人間味豊かに好演。
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PROGRAM/放送作品
アライブ
もしも殺人事件を目撃したら?あなたの命も狙われる!身も凍る犯罪サスペンス!
『L.A.コンフィデンシャル』でアカデミー賞助演女優賞を受賞したキム・ベイシンガーが、殺人犯に命を狙われる主婦を熱演!超リアル犯罪サスペンス!